THE LAST COMPANY   作:帝都造営

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富士の裾野に立つモノは①

 甲府。戦国の世にはかの武田氏が抗争を繰り広げたこの場所は、言うなれば日本の懐だ。長野ほど山奥ではない甲府へのアクセスは容易い。江戸幕府の初期にはここに甲州街道が整備され、江戸陥落の悪夢に備えた将軍の避難場所でもあったと言う。

 

 そして国防と街道というのは、現代でも密接に関わっているものである。地震と核戦争から逃げることは出来なくても、地べたを這いずり回る『やつら』から逃げることは出来る。日本政府は帝都東京を貫くNR中央線に沿うように内陸へ移動していき、立川の予備施設を経由しながら更に奥地へと移動した。

 

 その行き着く先こそが甲府。即ちこの場所は、日本の臨時首都。

 

「小河原さん。久しぶり」

 

 その台詞に、統合幕僚本部の小河原海軍少佐は振り返る。陸海空軍を統合運用することを目的に設立された幕僚本部は、(れつき)とした中央政府の抱える組織である。それ故に遙か西府中からこの甲府まで移転してきた訳で、その組織に所属する小河原も統幕本部の象徴と呼ぶべき紫を基調とした制服を着込んでいた。

 

「甲府は暑いよねぇ、盆地気候っていうんだっけ?」

 

 そんな小河原の眼に映ったのは、暗闇の中でも映える純白の制服。それは海軍の夏期制服であり、臨時とはいえ首都機能の全てが集まった甲府の街では決して珍しくはないものだった。

 

 しかし、彼にとってしてみれば奇跡のような光景である。

 

 その視線が捉えるのは海軍式の敬礼を披露する女性将校。敬礼を披露した彼女は、小河原を見据えて口角を吊り上げてみせる。

 

「今月一日付で海軍少佐。これで少佐殿と同階級です」

 

 その言葉が示すのは制帽に踊る桜葉模様(スクランブルエツグ)。佐官以上の将校にしか許されない紋様を揺らす彼女に、小河原はどうにか答えた。

 

「ああ、昇進おめでとう。本当に並ぶとはな」

 

 そう漏らす彼も、制帽には同じ模様が踊っている。目をこらせば、両方の階級章が少佐を意味することが分かるだろう。小河原は女性将校の名札に刻まれた「飯田」の二文字を見ながら言う。

 

「まさか。お前がここまで来るとは思わなかったよ」

「私も思いませんでした。いえ、仮に私が少佐になれたとしても、その頃に小河原さんは大佐か少将にはなっていた筈です」

 

 飯田が言うのは「平時」における話だろう。階級というのは積み上げられたピラミッドのようなもの。少尉や大尉といった尉官なら階級は時間経過と共に上がるだろうが、これが佐官となると昇進するべき役職の少なさもあり簡単には上がらなくなる。

 その意味では、一〇以上も入学年度の違いのある二人が同じ階級になるということは滅多にないこと。ましてや先任の、つまり飯田に追いかけられる立場にある小河原は出世街道と名高い統幕本部勤務。その役職は誰もが望むものであり、この有事においても出世街道と呼ぶべき場所(ポスト)。二人の階級が並んだのは、飯田の例外的な昇進あってこそのものであった。

 

「情報操作の件は助かりました。ありがとうございます」

「礼には及ばん。幕僚本部の仕事は、前線の補助に過ぎない」

 

 それでもまあ、衛星部隊の協力を取り付けるのは大変だったがな。そう軽口を飛ばす小河原は『やつら』が現れた最初期から対処に当たってきた幕僚である。最初は駆逐艦の沈没事件とされた『やつら』による海軍への攻撃。それが沖縄上陸、更には九州上陸と着実に亡国の日が迫ってくるのを、名を変え組織を変える軍組織の中で見てきた男である。

 

「わざわざ甲府くんだりまで来たんだ。今日は誰に用だ?」

「いえ。誰かに会いに来たわけではないのです。研究機関の野暮用を片付けて、それで時間が余ったので」

 

 それは嘘だろう。小河原が統幕本部の人間として忙殺される身なら、飯田は前線を支える部隊長として忙殺される身。

 

「それなら、珈琲の一杯ぐらいは飲むな?」

 

 空中にマグカップを掴んでみせる小河原。飯田は身構える。

 

「いえ、私は……」

「安心しろ。今や俺も一部署一室の主だよ」

 

 それを言うなら一国一城でしょうに。飯田の突っ込む言葉も気にせず、小河原は背を向ける。彼女がなぜ身構えたのか、その理由は分かっている。

 

「……父親に挨拶ぐらいしたらどうなんだ?」

「ダメです。『幽霊が現れた』と正気を失われたら困ります」

「親ってのは、幽霊でも娘が現れたら嬉しいと思うがね」

 

 その先に返事はない。そのまま歩けば、小河原に与えられたオフィスは間近にある。

 

「戻られましたか少佐。御殿場が電話が来てましたよ」

 

 顔だけ上げて伝言を伝える統幕本部の制服を着た少尉。

 

「分かった、後で折り返す。それよりお茶請けを出してくれ」

「そんなものありませんよ」

 

 肩を竦める少尉に、じゃあ何か買ってこいと指示を飛ばす小河原。飯田にも礼をしながら出て行く彼を見ながら、彼は言う。

 

「……統幕も大分質が落ちた。()()の影響は凄まじいぞ」

 

 部下の非礼を詫びるよと小河原。飯田は促されるままに応接セットに座ると、おもむろに口を開く。

 

「粛軍は必要でしたよ。連中に作戦が漏れては困ります」

「しかしな、各師団は全て再編成。連合艦隊は『リスト入り』の警戒を名目に艦艇を港から動かそうともしない。空軍に至ってはパイロットを対象から除外しろと言ってきている始末。粛軍のせいで陸海空の三軍はバラバラだ。反攻作戦が滞る」

 

 粛軍、というのは勿論『リスト入り』の排除作業のこと。神戸での近衛兵による市民虐殺、そして加藤大佐による軍事作戦の漏洩は、軍内部の全ての場所ににおいても暗い影を落としていた。

 

 これまで『リスト入り』と言えば、精々が市民の反乱や凶悪犯罪という形でしか発露していなかった。それはそれで問題なのであるが、国家を守護ために存在する暴力装置が暴走してはどうしようもない。結果として粛軍と呼ぶに相応しい『リスト入り』の摘発、排除が行われるに至ったのである。

 

 無論、粛軍以前に人材不足は顕著となっていたのだが……限界まで追い詰められた人事に突然シャッフルが掛かったようなものだ。現在の軍は手足をあべこべに動かすことしか出来ない。

 その結果として、各地の奪還作戦に部隊が動かせない状態が続いている。小河原がそう言えば、飯田は澄まし顔で言葉を継ぐ。

 

「反攻作戦の遅滞はまだ出ていません。何か問題でも?」

「それは、()()()()()が肩代わりしているからだろう」

 

 その言葉に、飯田は微笑む。

 

「ええ。立派な部下達で助かってますよ」

「『リスト入り』への粛軍だからこそ、『リスト入り』だけで構成された部隊は影響を受けない……皮肉なものだな」

 

 その言葉に、飯田は最小限の言葉しか返さない。彼女の率いる第七〇一二中隊……を基幹に再編された第七〇一大隊は、今や日本全国を駆けずり回る遊撃部隊だ。時には瀬戸内海を走り回り、時には下関を奪還する。そして大隊の次の矛先は、新たな戦場へと向けられることが決まっていた。

 

「第一総軍戦策第七号。聞いたな?」

「ええ、聞いております。来週か、もしくは今週にでもですか」

 

 飯田の言葉は、問いというよりは確認を取る調子。

 

「今週だろうな。今週に発動して来週に成功、そして一ヶ月後には参議院選挙だ。成功すれば戦果を喧伝して与党の大勝利、失敗しても選挙期間で巻き返して辛勝程度に収める……こんな所か」

「我々は票田の為に戦争している訳ではないのですがね」

「天皇主権が形だけだってことは勤王党支持者のお前だって理解しているはずだぞ。国を支えるのは納税者で、つまり有権者だ」

 

 政治ありきというのも悲しい話であるが、日本は民主国家である。付け加えると、一億五千万に迫る有権者が為政者に審判を下す国政選挙は、『やつら』の本土上陸を許してからは初めて。

 

 与党の立憲友民党が政権与党を維持できるかに注目するのは当然のことであったし、それは軍部にとっても死活問題である。

 

「まあ構いません。『やつら』の目は欺きましたし、必要な部隊は小河原さんが用意してくれた。あとは我々の仕事です」

 

 飯田のその言葉に、小河原は自分のデスクから一冊のファイルを取り出す。そしてそれを無言で渡し、読めと眼で命じる。

 

「富士の裾野……偉大なる帝国軍による反抗の狼煙としては、よく決まった名前ですよね。私、こういうの大好きです」

「だろうな」

 

 陸軍第一総軍の第七号戦策『富士の裾野』の発動が間近に迫っていることは、軍部の中では公然の秘密である。それでも実際に資料を眼にすると新鮮なものだ。現在東海地方に構築されている沼津―清水の防衛線を一斉に押し上げ、静岡県全域を奪還する作戦。愛知県からも攻勢を仕掛けることで、挟撃の格好をとることになるこの作戦は、壮大な作戦名とは裏腹に消極的な作戦である。そもそも『やつら』を押しのけるために策定された総軍戦策において、この『富士の裾野』だけは()()作戦。つまり一度は自国領土を放棄することを前提としているのだ。理由は東海地方の地形にある。伊豆半島から渥美半島に至るまでの地域は、海岸平野が多く広がる平たい地形。即ち防御に適した地形がなく、目の前には海、そして背後の日本アルプスに挟まれる格好となる。これでは守備のしようがないと言うわけだ。第六号戦策では東名高速と東海道本線をフル活用した機動防御も検討されているが、いずれにせよ陸軍に腰を据えて戦うつもりがないことに変わりはない。

 

「まあこの際、陸軍の及び腰はどうでもいい。三七(ページ)を見ろ」

「?」

 

 ファイルを捲る飯田に、小河原は言葉を紡ぎ続ける。

 

「……富士の裾野の実施を早めたいのは、何も政治家だけじゃない。これが成功し東海地方を取り返せれば、関東地区は太平洋だけに集中できるし、東海本線や東名高速が復旧されれば国内作戦の幅は飛躍的に広がる……しかしそれ以上の問題は浜岡原発だ」

「なるほど。浜岡原発ですか」

 

 それは静岡県中部に位置する原子力発電所。僅かな燃料で大量の電気を産み出すことが出来る原子力発電というのは、資源が乏しく、火力発電や水力発電による発電に限界を感じていた日本にとっては福音と呼ぶべき夢のエネルギー源であった。硬貨ほどの大きさの燃料(ウラン)があれば、それだけで小さな町一年分の電力を賄えてしまう。政府や企業がこぞって推進派になるのも当然である。

 

 しかし原発は有事に弱い。自然災害は勿論、戦争にも。

 

「ですからね。しかしあれは緊急停止(スクラム)状態なのでは」

「公式にはな」

 

 半ば諦めるように言う小河原。その台詞と表情が意味するところは明らかである。浜岡原発は緊急停止できていないのだ。

 

「正確には、緊急停止を完了したという報告が入っていない。逆に炉心融解(メルトダウン)の報告もない。当時はそれでよいと放置された」

 

 まあ、あの頃は色々ありすぎたからな。浜岡原発という存在は、誰にとっても些末な問題になっていた。そう小河原は言う。

 

「ですが、いざ『富士の裾野』となるとそうはいかなくなる」

「そうだ。浜岡原発がどのような状況になっているかというのは、我々の最大の懸案事項。これが作戦を左右する」

 

 そう言いながら小河原は飯田が読みふけるファイルへと目線を飛ばす。そこには浜岡原発の周辺地図、そして最近撮影された衛星写真なども添付されているはずだった。

 

「奇跡的に陥落せず、備蓄の食糧と水で耐えているという可能性に賭けるのもいいですが……まあ、敵の巣窟でしょうね」

 

 味方が籠城しているならば、屋上の上に文字を書くなど様々な手段を使って連絡をしてくる筈。それがなされていないという時点で、浜岡原発に人類がいないのは確定である。

 

「しかし一方で、連中が出入りした形跡もないんだよ」

 

 連中は放射能を嫌うらしいからな。そう言う小河原。確かに放射性物質に汚染された地域に『やつら』が留まらないということはこれまでの()()によって証明されていることであった。

 

「……これ、連中が浜岡原発を完全に掌握しているのでは?」

「まさか。そんなこと」

「小河原さん。連中を下に見てはいけません」

 

 その言葉は『やつら』に近づいた飯田海軍少佐(リスト入り)だからこそ言える台詞。押し黙った小河原を説き伏せるように彼女は言う。

 

「もしもです。浜岡原発が連中の管理下にあるとしたら、これは問題です。我々が原発の大電力を用いて電磁投射砲を運用しているように『やつら』の陸棲型が高出力レーザーを撃ってくるかもしれない。それも連射式の砲台として攻略部隊に立ち塞がる」

 

 即座に排除されるが故に注目されることはないが、人類に最も警戒されている『やつら』というのが陸棲型である。それは地上に定着し、まるで要塞のように立ちはだかる。生物の顔をして成長するものだから一口に諸元を語ることは出来ないが、己の細胞を使って電力を生み出し、高出力のレーザーを放つのである。それは航空機に弾道ミサイルを撃ち落とし、さらには戦車や掩蔽壕(バンカー)を水飴のようにしてしまう。『やつら』が展開する水の防壁を破れると豪語した電磁投射砲すらも迎撃してしまう始末。

 

「まさか……偵察機だって撃ち落とされなかったんだぞ」

「温存している可能性は? 浜岡原発が荒らされていないのであれば、連中は原発(アレ)の危険性を理解しているかもしれない。であれば、その周辺に陣取ることで人類(われわれ)がヤケクソになって原発を破壊する可能性も理解出来るはず。実際、検討してるんですよね?」

神々の黄昏(ラグナロク)作戦か。私も詳細は知らないが……」

 

 それは、放射能を苦手とする『やつら』を追い払うために全国各地の原発を()()するというもの。国土を侵されるのならいっそのこと国土を破壊する。そのような心中精神の賜物である。

 日本という国は、狭い。しかしその狭い国土に二桁もの原子炉が存在するのがこの国である。一度開放されれば全土が放射能に塗れることとなるだろう。女性将校は吐き捨てるように言う。

 

「許されない話です。仮にも神州を穢すなど、以ての外です」

「まあ、少なくとも国民、特に静岡県民は許さないだろうな。だからこそ今回の作戦は慎重にならざるを得ない。そこで、統幕本部としては貴官の大隊に頼らざるを得なくなったわけだが……」

 

 その言葉の先に、返事は一種類しかないのだろう。

 それを知って小河原は、言葉を止める。

 

「なあ飯田、いや……()()()

「職務中です小河原少佐。それでも()()()とお呼びした方が?」

「ああそうしろ、それでその下手くそな敬語もやめろ」

 

 その一言でファイルに手を伸ばす小河原。奪われるままにされた飯田は、抗議の色を顔の全面に浮かべる。彼女の母親譲りである黄金が混じる茶髪が揺れれば、その双眼は小河原を捉える。

 

「この戦争は……いや、戦争ではないか。ともかくこの情勢において、俺たちはもう十分にやって来たと思わないか?」

「過程よりも成果。それが社会人(おとな)だって、敦さんは私が国防大学校に合格したときに言ったよね? 成果はまだ上がってないよ」

 

 彼女の言う『成果』というのが、国家の存亡であるのは間違いないだろう。如何に国軍が奮闘したとして、国家が滅びればそこには何も残らない。軍の奮戦を讃えるのは新聞だけだ。

 

「成果……ね」

「私はね、まだ何にも成果が挙げられていないんだ。東海地方だけじゃない。四国に九州も取り返さなきゃいけない。同盟国の領土だって回復しないといけない。やることだらけなんだよ」

「成果という意味では、お前ほど成果を挙げた者もいないだろうが、いつの間にか少佐にまでなりやがって。いいか、お前がいなければ関西地方は守られなかった。広島は核の炎に消えただろうし、下関も奪還できず本州と半島は分断されたままだった」

 

 お前以上に、誰が成果を挙げてきたんだ? 小河原の問いは、言うなれば一種の慰めだっただろう。滅私奉公は公務員の誉れであるが、とはいえ軍人も人間(ヒト)である。小河原にとっての飯田望は顔なじみの少女でしかない訳で、それが国防大学校に入ろうと任官しようと、それこそ『リスト入り』しようと関係ない。

 しかし当人にとってはそうではないのだろう。彼女は髪を振り乱しながらに言葉を振りまく。

 

「違いますよ、違うんです。関西防衛は大隊を指揮した加藤大佐の成果、下関は陸軍第五師団によるものです。そして広島は……いいえ、どんな戦いだって本当に成果を挙げたのは私の部下だ」

「なんだそれ、謙遜にもなってないぞ」

 

 加藤大佐が指揮を執った第七〇一大隊に組み込まれていたのは飯田が指揮する中隊だけ。下関を奪還したとされる陸軍第五師団は所属する兵員がいない、つまり()()()()()師団。

 となれば、彼女の首を振らせるのは『彼女の部下』即ちこれまでに飯田望という指揮官が()()させてしまった命な訳で。

 

「のぞみ。個人が挙げる戦果と国家が挙げる戦果は違う。お前はもう十二分に国家に貢献した。そうだろう?」

「まさか。国家の勝利は国民の貢献を積み重ねて始めて達成されるモノ。そして今現在、その積み重ねの達成点が見えていない」

 

 であれば極限まで貢献を積み重ねるしかないでしょう? そう言う飯田に、小河原はため息で応じる。

 

「分かっているだろうに。俺が言いたいことは――――」

「そうだよ。私は戦うほど『やつら』に近づく」

 

 それは、既に何度も軍が思い知らされてきたことである。『やつら』による汚染は、例えるなら感染症のようなもの。前線に長く居る兵士より順に侵され、そして最後には『リスト入り』へと、『やつら』と同じく祖国を犯す存在へと姿を変えてしまう。

 

「でもそれは、大きな間違いだったんだよ。敦さん」

 

 ねえ、私を見てよ。そう言いながら飯田は制服を脱ぎ捨てる。

 

「私は、もう何ヶ月も最前線にいる。だけれどほら、私の身体はこんなに正常だ。指揮官としてずっとやって来たのにさ」

「やめろ、仮にも女性だろうに。お前は」

 

 捨てた制服を拾おうとする小河原に、飯田は自嘲顔。

 

「驚いた、私みたいな『兵器』を女として見てくれるんですね」「おい、のぞみ。いい加減にしろ」

 

 果たして彼の言葉は届いたのだろうか。彼女の目線は宙を彷徨い、口元からこぼれ落ちる息は荒い。先ほどまで部屋で小河原と歓談していた海軍少佐はどこかに吹き飛んでしまったようで、そこには錯乱した一人の女性が居た。

 

「ああ、すみません。いいんですいいんです。確かに庁舎内で男女二人きり一つ屋根の下、おかしなことが起こってもおかしくありません。いやそれ以前に『リスト入り』と関わりを持てば、栄光の統幕本部勤務を掴み取った小河原敦の経歴に傷がつくか」

「のぞみ!」

「触るなぁッ! 私にッ、触るんじゃないッ!」

 

 振り払うように、腕を振る彼女。その反動で眼鏡が飛ぶ。

 

「わたしはッ、もう飯田望じゃないんだよ! 視力は落ちた、身体はおかしくなって、もう銃弾も機銃弾すらも通さないッ!」

 

 なあ、これが人間か? 二〇粍機関銃弾の掃射に耐えられる生物を果たして人間と呼んで良いのか? そう問う彼女。

 

「落ち着け、のぞみ。お前はまだ人間だよ」

「嘘だ、そんなの嘘だ。敦さん優しいもんね。ごめんね、面倒くさい女で。お父さんとの仕事付き合いだけだもんね、私たち」

「何の話だ。それとこれとは関係ないだろうに」

 

 小河原がそう言えば、飯田は何にも分かってないよと嗤う。

 

「じゃあなんで銃に手を掛けてるのさ。やっぱり私はバケモノにしか見えない? そりゃそうだ、粛軍の後も悪性腫瘍みたいに軍にこびり付くのが私たちだ。撃てよ、撃って見ろよ」

「のぞみ、落ち着け。お前は飯田望だろう。飯田啓介参議院議員の孫で、飯田孝介海軍大佐の娘だろう。それでお前は、俺の」

 

 その言葉は最後まで紡がれることはなかった。それは紙鉄砲のような音。飯田が胸を見ると、そこには小さな穴が空いている。

 

「――――貴様ァ!」

 

 叫んだのは小河原。彼が睨む先には拳銃を構えた少尉の姿。

 

「じっ、自分は。少佐に及んだ危険を排除しようとしただけで」

 

 そんな彼は、恐らく小河原の言うとおりに茶請けを買いに行ったのだろう。そして戻ってきたら上司が半狂乱になった客に襲われていた。だから撃った。それだけのことなのだろう。

 そしてだからこそ、飯田は嗤う。

 

「はッ、ハハは! そうだ、撃て、もっと撃てよ新米少尉。しかしな勘違いして居るぞ、私を殺すにゃ拳銃じゃあ足りない。核弾頭だ。核を持ってこい! 帝都を核で焼き尽くすんだよ!」

「飯田少佐! 貴様それでも帝国海軍人かッ!」

 

 小河原が掴みかかる。仮に『リスト入り』とはいえ、宙に浮いてしまった彼女に抵抗らしい抵抗が出来るはずはない。そのまま壁に叩きつけられて、それでも彼女は腕の先で嗤い続ける。

 

「そうだ。殺してくれ、もう殺人未遂でも何でもいい。現行犯の私を殺してくれよッ! どうせ国は滅びるんだ。私は見たんだ、我が帝国で核が破裂する、雪崩のような軍勢が北からやってきて、女子供は全員(なぶ)られる、民族が滅びるんだ、どうせ一緒だ。破滅は避けられないんだよッ……破滅ッ、はっ……かッ」

 

 段々と威勢が弱まる彼女。気道を塞がれたのがそんなに辛いのか。彼女が弱まる様を見て、小河原は却って安心した。

 

「そうか……こんなになっても、苦しいんだな。お前は」

 

 それから彼は振り返る。そこには少尉が拳銃を構えたまま、呆然と二人の様子を見守っているだけ。この場を外すように小河原が言えば、彼は困惑に染まりきった顔を振る。

 

「外せと言ったんだ。聞こえなかったか」

「しかし」

「外せと言っているッ!」 

 

 小河原の一喝。怯んだ部下は、飯田を睨みながら退出する。

 それを見届けた彼は、華奢な彼女の身体を離す。記憶の中よりも二回りほど小さくなった彼女は、激しく咳き込みながら喉を押さえる。その様子を見ながら、小河原は彼女に腕を伸ばす。

 

「少しは落ち着いたか、のぞみ」

「……うん。ごめんなさい」

「謝るな。ばか」

 

 そうして立ち上がろうとした彼、その背中に少女の腕が回される。海兵一四五期で第七〇一大隊の大隊長。神戸の戦線を半年支え続けた海軍将校が、雷鳴に怯える子供のように縋っていた。

 

「敦さん……もう、もう嫌だ。死にたいよ、人間として死にたい。私はもう何百人も殺してみた、何千人も見殺しにしてきた。私が無能だったせいで、何万人も死なしてしまった」

「お前のせいじゃないよ。お前は軍令に基づいて職務を遂行した。それを誰が責められる? 俺たちは軍人だ。それに、お前が死んだらお前の為に死んだ奴らはどうなる」

 

 これは戦争だ。官房長官が否定して、六十八の都府庁道県知事が有害鳥獣駆除の派遣要請を出していたとしても関係ない。軍人が国家のために駆り出され、そして国家のために死んでいく。

 

「お前は生きるんだ。何のために作戦がある。何のために軍事組織が高度化したと思ってる。人的資源の損耗を防ぐためだ」

 

 そうだろう。その言葉に、飯田は首を振る。

 

「でも、私は殺した。殺すことが正しいと定義した。ねえ敦さん、神サマの子供は産まれなかったんだ。『神産計画』は失敗したんだよ。神サマの子供ってだけじゃ『やつら』には勝てない」

 

 その言葉には、小河原は押し黙るしかない。『やつら』を打ち砕くために『やつら』と同等の力を手に入れる。それが飯田望という『リスト入り』が提唱した理屈であった。それは彼女が縋った希望であった。自分を律するための一筋の光であった。

 

「もう、やめよう」

 

 その言葉に、飯田は顔をあげる。その顔を覆い尽くしていたのは絶望か諦観か。それでも彼女は首を振る。

 

「もういい。『神産計画』は失敗したんだろう? ならお前はもうお役御免だ。ここまでやったんだぞ?」

「そうはいきません。()()()()()は統幕本部勤務でしょう? それなら分かるはずですよ。計画を止めるわけにはいかない」

「……なあ、のぞみ。お前は軍人(にんげん)に拘ったじゃないか。確かに俺は統幕本部勤務のエリートだ。だがな、女一人も守れないような無能が統幕本部に勤務することは許されないんだ」

 

 恐らく、限界はとうの昔にを迎えていたのだろう。それは彼女に限った話ではない。戦争はあまりに長すぎた。航路は貨客船の残骸で埋め尽くされ、空は旅客機の悲鳴で満たされた。都市は真紅の血と炎で染められ、緑の平原はどす黒い茶色に汚された。

 それでも戦争だ、総力戦だと奮い立たせ、今日まで必死にやってきたのだ。しかし肝心の軍ももはや機能不全、散々政治だ政治だと言っている参議院選挙だって、一千万人を超える難民を抱えながら実施できるかなんて分かりはしない。そんな全ての破綻が折り重なって、そうして奇跡に頼ろうとしたのが『神産計画』であった。第七〇一二中隊であった。そして、飯田望であったのだ。

 

「皆、お前に頼りすぎたんだ。たかが一介の少佐に国が救えるか? 一人の女に人類が守れるか? 無理な話だ。国を救えるのは国だけだ。人類を守れるのは人類だけだ」

 

 その言葉の後に続くのは、お前一人に何が出来るという言葉のだろう。それを知ってもなお、飯田は首を振る。

 

「そうであったとしてもです。私は救国の英雄になると……!」

「お前が現実(それ)を知って、道化(えいゆう)になったのは分かる。だがそれで何になった。もう『神産計画』は失敗した。終わりだよ」

 

 小河原の台詞にいやだ、いやだと首を振る飯田。

 

「ですがッ、まだ『朝潮計画』があります。終わっていません。帝国は、帝国軍は健軍以来の常勝軍。そして帝国は神州であります。敵対的危険生物如きに滅ぼされるほど、あり得ない!」

「あり得るんだよッ!」

 

 日本は、恐らく滅びる。海を喪い、本州の上空ですら制空権は危うい。陸地に侵攻されたことは大量の難民を生み出し、銃後を確実に蝕んでいる。核兵器で築き上げた決死の防空網だって、核兵器が尽きるか汚染が許容値を超えるかのチキンレースである。

 それは東南アジアの国々が辿ったのと同じ結末。アジアの盟主として、核保有国として、これでもこの国は耐え抜いた方だろう。

 

「いいかよく聞け。この国は終わりだ。『朝潮計画』をお前は心底嫌っていただろうに。そんな手段に頼る時点で国は滅びたようなもんだ。そしてあれで『リスト入り』になった加藤大佐はどうなった、アイツは狂気の中に居るぞ。使い物にはなりゃしない。そしてお前は、朝潮計画の対象者じゃないんだ。中隊で何百人使っても、お前は『カミ』にはなれなかった」

 

 堰を切ったように畳み掛ける小河原。朝潮計画の理論に基づけば、新たな生命の創造には犠牲(いけにえ)が必要。それを自身の指揮下で磨り潰した飯田は、しかし『新たな生命(カミサマ)』になることはなかった。

 

「お前は不適格なんだ。もはや『神の子』を預ける資格もない」

「そんな、ことは」

 

 否定の言葉は空気の塊になって出てこない。

 

「秘策が……秘策があるんです」

 

 沈黙。振り払うように腕を放す小河原を見て、飯田は自嘲顔。

 

「追い詰められた化物の秘策は聞けませんか」

「……聞いてもいい。ただし条件付だ」

 

 なんですかと問う飯田。小河原は一言。

 

「まずは俺の『秘策』を聞け」

 

 そこで一呼吸。小河原は空気を吸い込んで、吐く。

 

「俺の母方は青森だ。あそこはまだ戦災に見舞われていない」

「逃げろと、仰るんですか。この期に及んで?」

寿()退()()は女の権利だろうに」

 

 言葉の意味を理解できなかったのだろう。数瞬ほど眼を白黒させた後に、はは、と声が零れる。それは発音から発声になり、そして最後には笑い声になる。ハハハと、力なき声が流れ落ちる。

 

「何かの冗談でしょう。私は軍人の皮を被った化物ですよ?」

「しかし軍人(にんげん)に違いはない」

「あなたは『上官を義父さん呼ばわりは勘弁だ』と言っていた」

「国が滅びれば軍隊もない。そうすれば、全員一般人だよ」

 

 小河原がそう言えば、なるほど道理だと飯田は嗤う。

 

「軍人は臣民(にんげん)です。ですが、一人の女性(いいだのぞみ)ではありませんよ」

 

 飯田はてきぱきと言葉を並び立てる。それは既に用意されていた言葉であり、何ヶ月も前に決着がついた事項(こと)のはずだった。

 

「私は、飯田家の女でありました。祖父は私の事を宝とは言ってくれましたが、それは飯田家の宝。要するに、贈呈品(おくりもの)です」

 

 その言葉と共に、ポケットより何物かを取り出す飯田。

 

「家長制度は廃れて久しいですが、しかし役には立つ物です。事実、私の叔母は贈呈品として月刀の家に嫁ぎました」

 

 だから、その運命は私も違和感なく受け入れておりました。飯田が視線を注ぐのは一枚の写真。そこには飯田望に彼女の父母、加えて親族一同の顔が並ぶ。正月だろうか、着飾って邸宅の前に並ぶ彼らの列。そこに彼女の叔母である月刀春奈の姿はない。

 

「そんな当たり前が……今はこんなにも遠い」

 

 膝をつく彼女は震えているのだろう。夏の暑さにも震えるようなその背を、小河原は必死で包み込む。

 

「なら今から手繰り寄せればいい。のぞみ。始まりはどうでもいいし終わりもどうでもいい。だが俺たちはまだ生きている。北へ行こう、北海道でも樺太でも、満州いやソビエトロシアだって構わない。『やつら』が来ない場所はまだ幾らでもあるんだ」

 

 命あっての物種じゃないか。飯田は心から嗤う。

 

「それは女が言い出すから美徳となるのですよ。()()

 

 その言葉が、決別の言葉なのは言うまでもないであろう。少佐同士の付き合いには「のぞみ」も「敦さん」も存在しない。

 

「父を、頼みます」

 

 それだけ言って背を向ける飯田。小河原は無言で見送る。開いた扉から、恐る恐ると言った様子で少尉が顔を覗かせる。

 

「どう……なったんですか?」

「凡人だったよ、私は」

 

 そう一言、それだけ言ってデスクへとよろけるように座る小河原。彼は手に握られたメモ用紙を開くと、そこに眼を走らせる。

 

「おい、航空総軍を呼び出せ」

 

 なぜですと問う少尉に、小河原は一言。

 

「凡人らしく、職業軍人らしく。その使命(やくめ)を果たすためだ」

 

 彼が握り締めるメモには一つの文字が躍っている。

 

 

 ――――神々の黄昏(ラグナロク)、と。

 

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