THE LAST COMPANY   作:帝都造営

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富士の裾野に立つモノは②

 仁川を出発した船団は、徐々に数を減らしつつあった。とはいえそれは『やつら』の襲撃を受けたからという訳ではない。確かに襲撃は何度かあったけれど、それは私たち近衛師団特務機動小隊と、飯田防護社の回転翼機で撃退することに成功していた。

 

 船団は徐々に分岐していったのだ。初めは山口県の仙崎で、次に鳥取県の境で。『やつら』によって海上交通の攻撃が止まない以上、日本全国が物資不足。鉄道も山陽本線や東海道本線に攻撃を受けて、昔のように万全の輸送体制を誇るわけではない。道路で運ぶにはトラックの燃料が足りない。そのような都合から、船団はあちこちで分離して各地の港に入っていくのだ。航海の距離が短くなる分には護衛側の負担も減るので、この形が取られているのだと園田さんは説明してくれた。

 

 そして私たちは、いよいよ目的地である若狭湾へ。そんな時、園田さんの口から告げられたのは驚きの事実だった。

 

「『富士の裾野』?」

「ええ。第一総軍戦策第七号『富士の裾野』。東海地方に上陸された際の反攻作戦ですね。それが既に、発動されています」

 

 その言葉を聞いた私は、きっと不満顔であったのだろう。それを見越して園田さんは言葉を繋ぐ。

 

「確かに私は朝潮計画に関することはお話しすると言いますが、その他の事まで全て話すとは言っていません。それとも、私の幼年学校時代や中東で爆弾魔(ボマー)を殺したことについて聞きますか?」

 

 私の半生を語っても良いならお話ししますよ?

 園田さんの主張は「聞かれなかったから答えなかった」というありきたりなもの。そしてそれは隠す理由にはならないだろう。

 

「ですが、その奪還作戦と『朝潮計画』そして『神産計画』は密接に関わっている筈です。どうして言わなかったのですか」

「どうして言わなかった? お嬢様、あなたは大きな勘違いをしている。もしも私が『富士の裾野』の存在を語らなければ、あなたは同じ台詞を言えたでしょうか? そして私は今、あなたに存在を語った。別に私は黙っていたわけではありません」

「仮にそうだとしても、その情報は真っ先に私に伝えられるべきではありませんか。そんな大攻勢に姉さんが参加しないはずがない。そうなれば『朝潮計画』との関わりも明らかです」

 

 私は園田さんに伝えたはずだ。私は怒っていると。であれば園田さんは激昂した『リスト入り』を刺激するようなことはしないだろう。殊更、飯田望(ねえさん)のことについては配慮があって然るべき。

 

 それが、私の驕りであればそれまでなのだけれど。そんな私を、コトは単純なんですと園田さんは笑う。

 

「とある筋から隠れ『リスト入り』……つまり浸食が表面的になっていない人物たちの一覧(リスト)が手に入ったのです。彼らは特段の犯罪をする訳ではありませんが『やつら』は彼らの視覚を共有することが出来ます。要するに連中の情報源となっているのです」

「まさか、その人達を『処分』したのですか?」

「『処分』? 冗談じゃない。情報源がなくなってしまっては相手に此方の意図が割れてしまうじゃありませんか」

 

 園田さんが言うには、情報戦というのは情報を守ることだけではないらしい。敢えて敵に情報を漏らすのも、情報戦だという。

 

「重要なのは、情報をコントロール下に置くことなのです。鉄道輸送に電力供給、運輸省に提出される飛行計画。更には各種の軍需物資に欠かせない希少金属の取引動向……軍事計画に付随して動くモノは意外と多い物ですから、全てを隠すことなど不可能です。しかし、情報に一定の方向性を持たせることは出来る」

 

 例えばこれを見てくださいと端末を差し出す園田さん。若狭湾に入って通信圏内に入ったこともあるのだろう。そこには今日の日付が刻まれた電子版新聞が映し出されている。

 

「『陸軍、九州奪還へ』……もちろん、連中は我々の日本語(もじ)を解するかも分からない生物です。ですがここに陸軍向け鉄道が西日本に集中していることや北部航空軍の航空機が関西に移転してきている情報が加わってくれば『やつら』は気付くでしょう」

 

 目的は九州である。西日本の奪還であると。

 

「だからこそ、あなた方に言うわけにはいかなかった。別に信用していないわけではありませんが……やつらに近しい者(リスト入り)を名乗ったのは他でもないお嬢様ですからね。それに」

 

 手も足も出ない海の上で言われたところで、貴女には何も出来なかったでしょう? 『やつら』に情報が漏れる危険を園田さんが犯した時点で、既に作戦は開始されているということ。

 

「もっと早く言ってくれれば、私は死に物狂いで海の上に立って走ろうと努力したかも知れませんよ?」

「ということは、私の判断は正解だったということですね」

 

 分かっている。園田さんは一般人よりも多くのことを知っているだけで、単なる一般人に過ぎない。そんなことは自嘲した本人が一番よく分かっている話で、だから彼はこんな風に冗談めかして言ってみせるのだろう。一方の私は、こんなことになってしまっても未だに月刀家の人間であり続けているわけで。

 

「もうすぐ迎えが来るはずです。本当なら半島まで迎えに来て欲しいところなのですが……最近の空軍は海の上を嫌いますから」

 

 その言葉とほぼ時を同じくして、緑の若狭湾岸の向こうに小さな黒点が見える。それはだんだんと大きさを増して、最後には二つの羽根を持つ巨大な鳥となって頭上へと舞い降りてくる。

 

「このクラスの巡視船へ発着艦を行えて、尚且つ最速の巡航速度を誇る機体、MVー22(オスプレイ)です。我が社にも一機欲しいですね」

 

 陸軍仕様らしく機体はどす黒い迷彩色。水面やら機材カバーやらを盛大に揺らしながら甲板に降り立ったその巨体。

 

「お嬢様。あなたは『神産計画』を知った。その顛末を知ってもなお、戦場へと、従姉妹の居場所(せんじよう)へと往かれるのですか」

 

 今更そんなことを聞くのか、なんて聞くつもりはない。無駄だと分かっていても聞いてしまうのだろうし、そして私も答えは変わらないと答えるのだけなのだろう。思えば、私も昔はそうだった。学校に行って、どこにでも転がっていそうな会話を同級生と呼ぶべき人達と一緒にして、色んな習い事をして時に叱られて褒められて、そんな風に、何でもない普通を過ごしてきた。

 

 そういう意味では、今の園田さんは昔の私、落ちてきた空のせいで崩れ去ってしまった仮初めの普通そのものなのだろう。

 園田さんは自分でも言っていた通り、一般人なのだ。

 だからこそ飯田の保身を嫌い、そして多少の違法行為を乗り越えてでも月刀に協力して国家を救おうとしたのだろう。それならば、月刀美佳(わたし)という少女。つまり一人の元女子高校生でありながらも特例に特例を重ね、ついには近衛師団の少尉になんてなってしまった人間とは、住む世界が違う。だから私は戦う。

 

「私は月刀家の、月刀美佳ですから」

 

 きっと姉さんは、それを『貴族の義務』なんていうのだろう。

 でもそれは違う。貴族の義務(ノブレス・オブリージユ)の本質は、無私になって全体に奉仕すること。でも私は福ちゃんを守るために力を求めた。お母さんは私を助けるために政治活動をしていて、望姉さんは自分の『リスト入り』に自らケリを付けるために戦っている。

 だから私の台詞は、あまりにも自分勝手な茶番(ことば)に過ぎない。月刀家のため? この日本という国のため? 一体誰がそんなことの為に戦えるというのだろう。貴族が自分勝手でなかった日などないし、ましてや平民が自分勝手でないはずがない。

 

 そしてそれを嘘で囲って進むのが貴族である。嘘八百の荘厳美麗を当然の如く並び立て、愚神礼讃の平民を地獄の釜へと落とす。

 命令書に輸送手段、そして武器。何もかもがお膳立て済み。私が一族の名前を自分勝手に使うのなら、私や福ちゃん達の命を自分勝手に使う人間もいるということだ。

 

「行くよ。特務機動小隊、総員搭乗!」

 

 掛け声一つで何が変わるだろう。回転翼機一機で、兵隊四人で何が出来るだろう。この国は広くて、目の前ではなくとも滅亡の二文字が迫っていて。なのに誰もが一つになろうともしない。

 

「姉さん。行くんだな、戦場(うみ)に」

 

 福ちゃんが武器を構えながらに言う。福ちゃんが抱えるのは小銃とは違う武器。海防艦には海防艦に適した武器があるのだとは陸軍の誰かが言っていた台詞。誰かに()()()武器なんて、本当はないことぐらい分かっている。私は平和主義って訳じゃないけれど、それでも戦いがないならそっちの方がいいと思ってる。

 

 それでも、姉さんは、私の従姉妹は戦場にいるのだ。本音を言えば連れ戻したい。でも力不足の私では姉さんを連れ戻すことが出来ないから、だから戦うしかないのだ。『富士の裾野』が東海地方を奪還する作戦なら、それを貫き通して奪還してやればいい。返し刃で四国も九州も奪還して、南西諸島(おきなわ)も取り返してしまえばいい。そうすれば、私の言葉も少しは姉さんに届くはずなのだ。

 

 私は逃げない。私に力はないけれど、力をくれる存在はいる。

 

「ねえ、伊藤ちゃん」

 

 振り返る伊藤ちゃんに私は指揮端末を渡す。まさか端末を預けられるとは思わなかったのだろう。受け取れませんと突き返されるけれど、もう決めたこと。両手は空けておきたいのだ。

 

「多分、相当荒っぽいことになると思う。飯田望海軍少佐がどんな作戦を立てているのか……ううん、そもそも戦場にいるのかどうかも私は知らないけれど、でも敵も強いはず」

 

 そうなったら、これを使うつもり。そう腰に差したモノに触れる私に、怪訝そうな顔を隠しもしないのは大野ちゃん。

 

「えー? 姉ちゃん刀なんて使えるのかよ……?」

「初歩の初歩だけれど、折らない位には使えるつもりだよ?」

 

 胸を張ったつもりだけれど、逆に伊藤ちゃんは首を傾げる。

 

「本当ですか? 飯田少佐だって銃剣を使っていましたよ」

「それは……私は皆ほど銃が上手じゃないから」

 

 もう一つ理由を付け足すのなら、私は弾丸に水を纏わせることが出来ない。それでは図体の大きい怪物みたいな『やつら』には通用しても、ヒト型の防御壁には遮られてしまう。

 そうなれば、私の選択肢は接近戦だけ。防壁はただの水。いくら密度やらを操作できるにしたって、使えない場所まで近づいてしまえば此方のものだ。そう考えれば、お母さんが渡してくれた平成七年制式軍刀は、まるで私に戦い方を指示しているよう。

 

 それで戦うことが、私に出来る唯一の――――。

 

「あれ……? 言われてみれば、姉さんは銃剣を使っていた」

 

 私の言葉に、さらに首を傾げる伊藤ちゃん。そういえば姉さんは、あの中隊では積極的に銃剣を使っていた。いざ突撃となれば先頭に立って走り、銃で撃っては『やつら』を突き刺した。だけれど姉さんだって軍刀を扱えたはずだ。姉さんはあの頃から国防大学校を卒業した立派な士官だったし、少なくとも集合写真を撮るような時には軍刀を携えていたはず。いやまあ、銃剣術の方が得意だから銃剣を好んだと言われればそれまでだけれど。

 

 でも可能性として考えられるのは、そこじゃない。

 

「ねえ福ちゃん……姉さんは、何処まで出来たと思う?」

 

 私たちのやり取りを見守っているだけだった福ちゃん。海防艦福江を名乗る彼女なら少しは分かるはずだ。

 

「どう、だろう。中隊長は、何もかも隠していたから」

「そっか」

 

 まあ、それはそれで姉さんらしい。あの人が部下や従姉妹(いもうと)に自分の弱みを見せるはずがない。姉さんは中隊長で、戦うよりは部隊の指揮を執ることが中心の仕事。戦いにおいては姉さんよりも古田中尉のほうが余程目立つだろうし、戦い以外の場面は表には出てこないモノ。それでも、もしも姉さんが小銃で戦えていたのなら。視力が落ちた以外に変わりはないと言い張っていた姉さん。それは真っ赤なウソで、本当は古田中尉のように弾丸に水を纏わせることが出来るのだとしたら、姉さんは私が『リスト入り』するよりも早くから中隊を率いていた。それなら、姉さんの方が私より()()していても全然おかしい話ではない。

 

「姉さん? どうしたんだ?」

 

 私が何を考えているかなんて分かっている筈だろうに。わざわざそう聞いてくれる福ちゃんは優しい。だから私は決まり切った形として、福ちゃんの頭を撫でる。

 

「大丈夫。考えても変わらないから」

 

 結局、何がどう転ぼうと選択肢は一つなのだ。

 格納庫の扉が、ゆっくりと閉まる。回転速度を上げたティルトローターは、若狭湾の向こう、本州のその先を目指す。

 

 道中は、何か大きな出来事があったわけではなかった。外を見ることも叶わない格納庫の中で、ただ無為に時間を過ごす。

 その間、結局私はずっと考えていたのだと思う。それはもう何度も繰り返された問いで、それでも答えが出ていない問い。

 

 それは姉さんの、望み。

 彼女は、軍人として私を迎え入れてくれた。私を救ってくれた。その理由は、一体何だったのだろうか。『処分』が決まっていた親族の私を助けるため? それとも第七〇一二中隊で消費するための『リスト入り』が欲しかっただけ? それは恐らく両方で、そして天秤がぴったり釣り合うくらいに同じ重みを持っている。

 釣り合っている二つの理由は、姉さんにとっては大切なものなのだろう。親族を守る。国を守る。それはきっと、普段なら同じモノなのだろう。家族を小さな国に例えた人もいた。一族を守るのは国家を守ること。姉さんなら、きっとそう言う。

 でも、それは果たして両立出来ることなのだろうか。園田さんは言った。朝潮計画の『朝潮』は、沈んだ潜水艦。それを回収するときに得られた生命体が発端だという。園田さんの写真には確かに海の上に立つ少女の姿が映っていた。それは海軍の駆逐艦、その乗組員の命を錬成して産み出されたのだと言う。

 

 朝潮計画は、命を磨り潰したその粉末を捏ねて作る生命。

 

 姉さんはそれが嫌だったのだろう。姉さんの頭の中では、国を守るために投げ出される命だけが正解。国家への忠誠を誓った姉さんにとって、兵士が自ら望んだ死は尊ばれる。だけれど命を産み出すためだけに挽きつぶされる命は……そしてそれを強要する存在は、最も彼女が忌み嫌う存在だ。

 でも。神産計画は失敗した。望んだ兵士が『やつら』に近づき、そして護国の盾となる目論見は潰えた。当たり前だ。だって私たちは、私は何も知らなかった。戦争も、報国も、その死地への覚悟だって、何一つ持ち合わせていなかった。あの中隊で、心の底から死を望んでいた兵士が居ただろうか。みんな生きるのに必死だった。今日を楽しんで、それで明日も楽しんでやるって、そう誰もが思っていたのだ。だから姉さんの目論見は外れた。『リスト入り』は『やつら』に近づくこと。福ちゃんがそうなったように、海防艦福江という誰か知らない存在を受け入れること。

 

 でも、それで福ちゃんは変わっただろうか。変わったのは認めるしかないのかも知れない。それでも福ちゃんは福ちゃんだ。

 だから、神サマの子供は産まれなかった。

 歪んでいる。この世界も私も姉さんも、みんな歪んでる。

 

「歪んでるよ」

 

 ではその世界で、歪みの一部になってしまった私は何を為せばいいのだろう。どうやって歪みを乗り越えればいいのだろう。私の望みは単純だ。姉さんと、そして福ちゃんに大野ちゃんに伊藤ちゃん……ううん、中隊が解体されて以来離ればなれになった他の子達もそう。とにかくその皆で、生きていたいだけ。

 

 でも、それを『やつら』は許してくれなかった。少なくとも空は燃えて、海は濁った。街には住めなくなって……そういえば、中隊の子達の多くは戦災孤児だって、姉さんは言っていたっけ。

 

 そんな私たちが『やつらに近しい者(リスト入り)』になるなんて、おかしな話だ。それでも姉さんは毒をもって毒を制するなんて言うのだろうか。やっぱり世界は歪んでいるとしか思えない。

 

 でも、分からなかった。そこまで分かっていても、私はどうすればいいのか分からない。歪んでいるのはいい、歪んでいてもいい。大事なのは、そこから何をするかじゃないか。

 それが分からない。私は何をすればいい? 私はただの少尉だ。それも特例でなっただけで、吹けば飛ぶような階級章しか持っていない。私に何が出来るというのだろう。

 

 分かっている。考えても無駄なんだ。いい考えなんて思い浮かばないし、思い浮かぶわけもない。私程度が思いつく答えが正解なら、とうの昔に国は『やつら』を追い払えているだろう。

 

『間もなく着陸します。降車の用意を』

 

 誰かの声が耳に届く。私の頭を覆うヘッドホン。そこから聞こえるということは、多分事務連絡か何かなのだろう。

 眼を開ける。格納庫は薄暗い灯りに照らされている。身体中に高速回転する翼の振動が伝わってくる。私の隣には部下たちが居て、それが私の指示を待っている。

 

「いこう」

 

 作戦計画書はない。作戦指示もない。ただ行き先だけが指定されていて。その先には何かが待ち受けていることだけは確かで。

 私は送話スイッチを押す。これで皆にも聞こえるはずだ。

 

「いくよ!」

 

 機体の体勢が一気に傾く。それは螺旋を描くよう。空気を圧縮するような音が外から聞こえる。それは戦争の音、お腹の底からひっくり返すような砲撃の音。まるで墜落するような勢いで落ちていく機体は、最後に一際強い力で引き揚げて、落ちた。

 扉が開く。目の前には、要塞みたいな斜面と城壁。

 そしてその向こうには、巨大な豆腐みたいな建物と、煙突。

 

「こ、ここは……」

 

 言葉を紡ぐ余裕なんてなかった。突然背後が爆ぜて、私たちは吹き飛ばされる。何が起きたのかも確かめる余裕はない。周りに全員が揃っていることを確認すれば、ここはどうやら海岸のよう。

 轟音と砂塵を巻き上げながら、船のような装甲車がやってくる。私が駆け寄ると、向こうは銃を構えながら所属を問うてきた。逆にこちらが所属を聞きたいぐらいだと伝えれば、彼は叫ぶ。

 

「第一二五歩兵連隊です。橋頭堡は確保したんでしょうねッ!」

 

 第一二五連隊? 橋頭堡? 訳が分からずに聞き返すしかない私に、向こうは叫ぶように状況を伝えてくる。なんでも彼らは、この場所を守るための増援として舟艇機動してきた部隊だそう。

 

 この作戦は『富士の裾野』――――守りにくい東海地方を奪い返すための戦い。そう考えれば、この部隊に託された任務は敵の後方を遮断、そして目の前の建物を確保することなのは分かる。

 

「浜岡原発……!」

 

 それは、正しく巨大な要塞であった。津波を防ぐために築かれた海抜二〇メートルを超える防波壁。その向こうに堅牢な原子炉建屋や煙突、そして送電線の姿が見える。その最中を無人機(ドローン)が飛び回り、頻りに銃弾や砲弾の音が聞こえてきている。

 

「司令部は何処ですか!」

 

 こんな場所では声もろくに通らない。私も叫ぶように聞けば、第一二五連隊の兵士は叫び返す。

 

「恐らく事務本館でしょう! 道分かりますか!」

「問題ありません! 伊藤ちゃん、地図!」

 

 叫びながら走り出す。事務本館が何処かは知らないけれど、少なくともあの壁の向こうにあるのは間違いない。登れる場所を探すように目線を走らせれば、壁の一角が崩壊しているのが目に付いた。崩落しているというか、回転翼機が激突したことで破られてしまったと言う方が適切だろうか。ともかく、機能を失った防波壁に向けて私は走り出す。

 

「あそこから入れば、建屋の横を通って真っ直ぐです!」

 

 伊藤ちゃんの叫びが私の耳に届く、これで道は大丈夫、問題は原発の敷地内がどうなっているかだ。浜岡原発が大切な場所なのは私でも分かる。それは即ち、相手にとっても押さえたい建物であるということ。内部に敵がいる可能性だって……いや、そもそもここに辿り着いた私たちが目下攻撃を受けているのだ。ひっきりなしに海岸に取り付いてはトラックや装甲車を吐き出すホバークラフトの中には黒い幕をべろりと無残に垂らして擱座しているものもあったし、既に頭上を誘導弾が何発も通過している。

 

 ここで戦いが起こっているのは間違いないのだ。となると重要なのは、その戦いが何処で起きているのかということ。

 

「敵は、どこに……」

 

 残骸を乗り越えた先の土地は、至って普通。そこには舗装された道路。植えられた街路樹。所々では花すら咲いている。誰も手入れをしなかったのだろう。そこら中に背の高い草が林立しており、それらの一部は装甲車の輪帯に踏み潰されて無残な姿になっている。九の平和に一の戦争が混ざったような、そんな景色。

 そしてその中に、私は突っ伏す人影を見つけた。

 

「福ちゃん大野ちゃんは周囲を警戒して。伊藤ちゃん救急箱!」

 

 状況は分からない。けれど人が倒れているということは、つまり助けなくちゃいけないということだ。それにあの服装には、見覚えがある。海軍の服装。あれは中隊でも使われていた服装だ。

 

「しっかりして、名前言えますか? 大丈夫?」

 

 うつ伏せになっていた彼女をそっと仰向けに。そこで私は息を呑む。戦争のことは知っている。もちろん硝煙の匂いだけじゃなく、血の匂いだって知っている。だけれど慣れたわけじゃない。

 そしてなにより、その顔。血の気が引いたその顔には覚えがある。伊藤ちゃんに止血を指示した時、開いたその眼が私を捉えた。

 

「あ……久しぶり、です。軍曹」

 

 もう少尉だけれどね。なんてどうしようもないことは言わない。彼女はあの中隊の同じ小隊、しかも同じ分隊に所属していた。

 

仁田(につた)ちゃん……どうしてここに」

「作戦、ですよ。こほっ」

 

 その言葉が、彼女の小さな口の周りを赤く染める。喋らないでと今更言う私に、彼女は言葉を続ける。

 

「私はもうダメだから……行って」

「何言ってるの。大丈夫だよ、助かるからね!」

「そうじゃ、なくて」

 

 その一言に、私も伊藤ちゃんも手を止める。そうじゃない、とそこまで言わせるような何かがあるのだろうか。彼女は私を見つめると、必死に手を伸ばす。

 

「軍曹が来てくれて、よかった……松前ちゃんが、危ない」

 

 その名前を聞くのも久しぶりだ。それは仁田ちゃんと同じ、あの中隊で私と一緒に戦っていたこの名前。中隊が解散になってバラバラになっていたと思っていたけれど、二人は同じ部隊にいたと言うことだ。仁田ちゃんは松前ちゃんが危ないと繰り返す。

 

「この先をまっすぐ行って……そこに居るから」

「でも。仁田ちゃんのことは置いてけないよ」

 

 私の視界には仁田ちゃんの身体が映っている。怪我は切り裂かれたような一本の傷。伊藤ちゃんが押さえているから内臓が飛び出したりはしないけれど、止血が間に合っていないのは明らか。

 

「お願い、私の友達が死んじゃうの」

 

 瀕死と呼ぶべきは仁田ちゃんなのに、友達が死んでしまうと彼女は言う。それは妙な話。ここには砲弾の痕も焼け焦げる匂いもしない。仁田ちゃんはここに倒れていた。では何故、友達が危ないと言うことが分かるのだろう。

 

「まさか……」

 

 私の頭に思い浮かぶのは、小さな可能性。

 仁田ちゃんも松前ちゃんも『リスト入り』だ。進行の度合いによっては、情報を共有することも出来る。

 

「分かった、仁田ちゃん。福ちゃん、私と一緒に――――」

「まって」

 

 行こうとしたのに、私を止める仁田ちゃん。これ以上何か伝えることがあるというのだろうか。彼女は首を振る。

 

「福を連れてっちゃ……だめ。あそこは、危険が……」

「だったら余計に、福ちゃんを連れてかなくちゃ」

 

 福ちゃんはここにいる誰よりも強い。銃弾には耐えられるし、ヒト型の『やつら』だって一撃で倒せる。それなにに仁田ちゃんは、福ちゃんを連れて行くなと言う。

 

「もうここには、敵はいないの」

 

 訳が分からない。敵が居ないとは言うけれど、外からは砲声が聞こえるし回転翼機だって飛び交っている。仮に原発の敷地内を制圧しているのだとしたら、松前ちゃんに危険が及ぶ理由は。

 

「……え。嘘、だよね」

 

 理由。理由なんてあるじゃないか。朝潮計画は『やつら』を越える存在を産み出すことが目的で、そのためにはどんな犠牲が必要なのか。それを私は、園田さんから聞いている。

 そして仁田ちゃんの肩には、小さなワッペン。

 そこに縫い付けられた数字を、私は見てしまった。

 

「姉さん?」

「ごめん福ちゃん、仁田ちゃんをお願い!」

 

 私は走り出していた。嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ。そんなことはあり得ない。朝潮計画に必要なのが犠牲(いけにえ)なのはいい。それが産み出されてしまうことは仕方がない。だってこれは戦争で、私たちは命を賭けてたたかっている。そしたら死んでしまうこともあるだろう。犠牲のない戦いなんてものは存在しなかったし、それは当たり前のこと。だから許せなくても認めるしかない。

 

 そして、あの人も同じだと思っていた。

 

 右足で大地を蹴って、左足で着地する。その反対を繰り返せば、私の身体はぐんと前に突き出される。それは当たり前の、私が当然のことと享受してきた()()()()で。でもこんな簡単なことだって、私が両足という道具をちゃんと所持していて、そして奇跡的にもそれを自由に動かせるから出来たこと。私の一動作ですら奇跡に支えられているのだ。私は、何もかもが当たり前だと思っていなかっただろうか。毎日食卓に並んだ豪華な食事、いや昔の私は、普段の食事を豪華だなんて思ったこともなかった。それこそ戦闘糧食を実際に食べてみて初めて、あの生活が豪華だと実感したのだ。思えば軍隊でもそうなのかも知れない。作戦地域への移動には車が、電車が、そして航空機が与えられた。私たちはそれを当たり前のように使っていた。でも考えてみれば、移動手段がない戦争だってあるのだ。戦国時代に車があっただろうか。中国や太平洋に満足な鉄道があっただろうか。そこを自分たちの足だけで歩く戦争が、教科書の中にはあった。私はそれしか知らない。

 

 だから、私はやっぱり何も知らなかったのだ。知識としては知っている。歴史としては知っている。だけれどそれが、自分に、そして私が信じたあの人に起こるなんて信じられない。

 

 事務本棟ののっぺりとした外装が見えてくる。多少のシダ植物が壁に這いつくばっているけれどそんなことはどうでもいい。

 

 あり得ない。その一言で私は盲目になっていなかっただろうか。誰だって残酷になれる。だけれどそれは国家が、集団が残酷になるだけで、別に一個人が残酷になってしまう訳ではない。そんな言い訳を並べていなかっただろうか。それならどうして、私は軍隊という高度に組織化された場所でそんな妄想をしていたのだろうか。朝潮計画という人命を必要とする計画は国が進めているものであって、お母さんに園田さん、そして姉さんはそれに反対しているのだと、どうして私は思い込めたのだろうか。

 

「姉さん!」

 

 ここに居るのは分かっている。それが絶望だとしても、もう私は分かってしまっている。私もやっぱり『リスト入り』なのだろうか。だから姉さんの居場所が分かるのだろうか。それは違うって、ずっとそう、思い込もうとしてきた。

 

 でも、それはもう限界で。

 

 

「やあ美佳。漸く来たな」

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