THE LAST COMPANY   作:帝都造営

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富士の裾野に立つモノは③

「やあ美佳。漸く来たな」

 

 その台詞を、私はどれだけ待ちわびたことだろう。私に死ぬなと命じた姉さん。私を生かそうとしてくれた姉さん。それが私の目の前で、真っ赤に染まった軍刀と共に立っている。

 

「ああ済まない。嫌なものを見せてしまったな」

 

 そう言いながら刀を一振りする姉さん。纏わり付いた血は遠心力で簡単に吹き飛ばされて、壁にぽつぽつと血痕を刻む。

 

「何をしているんですか。望姉さん」

「見れば分かるだろう?」

 

 鼻をつく匂い。それは嗅ぎ慣れた刺激臭。血の匂いとも違うそれは、言うなれば恐怖の匂いだ。戦争が綺麗事じゃないことなんて知っている。だけれどこれは、そういう次元じゃない。

 

「何をしているのかは分かります。なんでこんなコトを」

「何故? 君は特例法案も知らないのかね月刀少尉。国家の安寧を揺るがす反社会分子は、早急に排除されなければならない。それが『突発性反社会的人格障害に関する救済措置の特例法案』の存在理由だ。そして、私はそれに従っているのみ」

 

 それなのに、まだ姉さんは法律なんてものに頼ろうとするのか。その意思が自分のものではないと、腐臭のする現実に蓋をしようとしているのか。『リスト入り』が危険だから『排除』するという安易な理論に基づいた法律を守ろうとするのか。

 

「お母さんが言っていました。あの法律は、もうなくなるって、参議院選挙が終われば、改正されるのは間違いありません」

 

 元々、あの法律は恐ろしい人権侵害を内包しているものだった。確かに憲法は人権を法律の範囲で保障するとか言っているけれど、人権を守ってくれない法律なんて必要ないはずだ。

 それなのに姉さんは、深いため息をつく。

 

「なんだ美佳。特例法案を無くすことに賛成なのか? 特例法案が無くなればどうなると思う。我々はこれまでのように危険な人間を安易に排除出来なくなる。それはつまり『やつら』がつけいる隙を与えるということだ。それ即ち、亡国への(みち)

 

 姉さんはそんなことを言う。姉さんにとっては、きっとまだ大日本帝国とかいうのは健在なのだろう。でも考えてみれば分かる。

 

「もう、滅びちゃったんですよ。そんなの」

「滅びてないさ。まだ私の第七〇一陸戦大隊は健在さ。この大隊が存在する限り、反攻の灯火は消えない。反撃は永遠に続く」

 

 それは、姉さんにとっての希望。七〇一二中隊を率いていたときからそうだったに違いない。あの時の中隊は関西防衛の希望で、姉さんは関西を守ることで国を守るのだと豪語していた。確かにそれは間違っていないのだろう。阪神工業地帯は日本に残された数少ない重工業の集積地、北九州を喪い、瀬戸内を喪い、そして中京と京浜の工業地帯は半身不随。そんな状況で関西を喪うことの痛手は分からない訳ではない。だけれど、それだって姉さんの思い込みではなかったのだろうか。だってそんなに関西が重要なのなら、別に七〇一二中隊が死守しなくても、他の部隊が死守してくれたはずだ。そんなことも姉さんは理解してくれない。

 

 いや、そんな筈はない。だって姉さんは、私より頭がいい。

 

「本当は、もう姉さんだって分かってるんですよね。分かっていても止まれなくて、それで苦しんでるんですよね?」

 

 それなら、もっと早く、どうして私は止められなかったのだろう。皇軍双撃、ヒトがヒトを撃つことを姉さんはそう呼ぶ。そんな難しい言い方をしなくたって、日本人が日本人に向けて銃を向けることの異常性くらい私にも分かる。それを仕方のないことだと定義したのは特例法案で、姉さんはそれに悩まされていたはずなのに……それなのに、姉さんは血の付いた刀を持っていた。

 

「必要なことなんだよ。美佳。特例法案と同じだ。もしかすると美佳は『処分』を殺処分か何かと勘違いしているのかもしれないな。いや、確かに殺処分の事例があることは事実だが……何も全て殺処分されている訳ではない。うん」

 

 姉さんが、部下をたった今殺した姉さんがそんなことを言う。

 

「何もかも、そう単純な話じゃないんだ。特例法案によって月刀美佳は人権を剥奪された、一方で、特例法案のお陰で七〇一二中隊は補充要員を得ることが出来た。この不思議な物理学を、ヒトは『持ちつ持たれつつ』と言う。何も上から下に流れるだけが法律じゃないということだ。となれば、特例法案が消えればこの国は『やつら』に対抗するための貴重な手段を喪うことになる」

「じゃあ、姉さんは特例法案に賛成なんですね?」

「まさか。賛成反対で割り切れるほど単純じゃないだけさ」

 

 でも、そうだとしても姉さんの行いは許されるものではないだろう。私は何もしらない。でも、だからこそ分かることもある。

 

「ダメなものはダメです。私は……()()()()()、貴女の行いを許す訳にはいかない。こういう時って、軍法会議ですよね?」

「なんでそこで疑問形なんだよ()()。もっと勉強し給え」

 

 しかし、君は私を裁くことは出来ないだろうな、と姉さん。

 

「少尉、朝潮計画のことは知っているな?」

 

 答える必要はないだろう。その言葉を出せる時点で、姉さんは私が朝潮計画を把握していることを知っているのだから。

 

「これは儀式だよ。まあ確かに、連中の防御が険しく強襲上陸を仕掛けた七〇一大隊に大損害が出てしまうのはベストな展開ではあった。しかしそうはいかなかった。連中は大した戦力を原発(ここ)に割いていなかったし、上陸されても背後に敵が回り込んだ程度の認識だろう。故に、私は血を払うことにしたのだ」

「意味が、分かりません」

 

 分からない、本当に分からない。いや身体が、本能が姉さんの言うことを拒否する。大損害が出ればベスト? 損害を抑えること、同僚達を部下達を犠牲にしないことにあれだけ腐心していたはずの姉さんが、そんなことを言うのか。

 いやそれとも……突撃を最良の手段とした姉さんは、初めからずっと、損害を増やすことだけを考えていたというのか。

 

「分からないだろうな……では、分かりやすい例をあげよう」

 

 第一二五歩兵連隊を見たな? 姉さんが問いかけるのは、私たちが海岸で出会った歩兵部隊のこと。頷く私に姉さんは言う。

 

「一二五連隊は玄武連隊。世界革命戦争で樺太の大地を守った精鋭だ。所在は樺太庁、要するにまだ無傷の部隊だ」

 

 で、それがどうしてここまで来られたと思う? その言葉に私は答えようとして、言葉を詰まらせる。あの歩兵部隊は舟艇機動でここまで来たと言っていた。だけれど樺太の部隊ということは、ホバークラフトや小型艇だけでここまで来ることは難しい。その一方で、強襲揚陸艦のような大きな船を運用すれば『やつら』に沈められてしまうだろう。

 

「しかしそれが正解なんだよ月刀少尉。強襲揚陸艦〈房総〉それが彼らをここまで運んできた。ではその護衛は?」

 

 私は海軍のことには詳しくない。それでも、船団護衛にすら艦艇を割けないのが今の海軍なわけで、答えは明白だ。

 

「そうだ。故に我が大隊の第一中隊。七〇一一中隊がいる」

 

 それは、恐らく姉さんの自慢話だったのだろう。姉さんは楽しげにその第一中隊がどんなに素晴らしい組織なのかを話していく。

 それはまるで普段の姉さんのよう、軍事の話、政治の話を楽しげに、おやつのクッキーのおまけのように話す姉さんのよう。

 だけれどその内容は、歪んでいた。

 

「私たちは、これまでの戦役で多くの犠牲を出してきた。しかし一方で、美佳に託した五島一士のような『海防艦』もいくつか産み出されてきた。しかし艦艇(ふね)に『なれる』子はごく少数。だからこそ私はその法則性というものを探ってきた」

「それが神産計画……なんですよね」

 

 その通り。姉さんは正解を言った生徒に向けるような笑顔。それなのにその笑みは一瞬で深淵の彼方へと行ってしまう。

 

「しかし、それが限界だった。法則性は、まあ見つからないわけでもなかった。加藤大佐を犠牲に編み出した手段を用いれば、海防艦よりももう少し強い種を産み出すことも出来た」

 

 それが駆逐艦だな。彼女はそう言う。私は海防艦と駆逐艦の違いは知らない。ただ姉さんが言うには、駆逐艦の方が強いらしい。

 

「そして、その駆逐艦の一部が〈房総〉の護衛に付いている。だからこそ彼らは洋上で魚の餌になることなく、浜岡で死ねる」

 

 その言葉が、歪んでいることは指摘するまでもないのだろう。もうとっくに何もかもが狂ってしまっていて、それでも来るっていないと言い続けるのが姉さんで。

 

「それで……姉さんの言う『儀式』ってなんなんですか?」

 

 だから、私はその答えも知っていた。朝潮計画は人命を使って新たな生命を産み出す計画。もう答えは分かっている。姉さんはやっぱり殺してしまうのだ。昔の私は、いや今の私ですらも、姉さんは仕方なく殺してしまうのだと思っていた。それで苦しんで、苦しんでも罪を受け入れるのだと思っていた。

 

 でも、それは違う。

 

 

 だって姉さんは、どこまでも笑っているのだから。

 

 

「神産計画と朝潮計画のコンビネーションだ。『やつら』に近づくことは叶わなかった。凡人を何百人殺しても『やつら』には勝てなかった。では、少しでも『やつら』に近づいた人間を殺せば、さてはてどうだろうか。答えはもう出ているんだよ、美佳」

 

 そう言いながら姉さんは刀を振りかざす。私は咄嗟に腰に手を掛けてしまって、それを後悔する。嗚呼、お母さん、あなたはこうなることまでも知っていたのですか。もう姉さんが取り返しの付かないほど歪んでしまっていて、それで私に刃が向くと知っていたのですか。それで私に、刀を託したのですか?

 

「止めてください姉さん。私、これでも剣術は得意なんですよ」

「嘘八百は止めるんだな美佳。お前、体育は苦手だっただろう」

「そんなこと、関係ないです」

 

 そう、関係ない。私にとって大事なのは誰を守るかだ。仁田ちゃんが止めた理由がようやく分かった。確かに今の姉さんは、福ちゃんを見た瞬間に殺そうとするだろう。そうなれば私は、福ちゃんを見捨てるか姉さんを斬るかの選択肢を迫られる。その結果が迷った末にどちらも出来ず、そして姉さんが目的を達することなのは容易に想像がついた。

 

 でも今なら、私にはいくらでも選択肢がある。刀を抜くだけでも牽制にはなる。これで姉さんは走り込んでこれなくなるし、私から眼を逸らすこともなくなるだろう。

 私はにじりと足を下げる。少なくとも室内じゃダメだ。事務本棟は狭すぎる。幸いにも出入り口は近く、そとに出るのは簡単。そして姉さんは、今更私を見逃す選択肢はないだろう。

 

「なあ美佳。終わりにしよう、私は神の子にはなれなかった。多分お前もそうだ。神の子にはなれないし、部下達の魂を集めることも出来ていない。お前が小隊長として過ごした数週間、お前の『リスト入り』は進行したか? しなかっただろう?」

 

 だから私たちは、犠牲(いけにえ)になるしかないんだ。姉さんの理屈ではそうなのだろう。もう姉さんは歪んでしまっていて、どうやって死ぬか、それだけが頭の中で回っているのだろう。

 歪んでいる。歪んでいる。私が助けられたかもしれない、いや助けるべきだった歪みが、そこにはあった。

 

「姉さんの方こそ、もう終わりにしましょう? 姉さんが止めても誰かがやってくれますよ。誰かが、きっと」

「似たような言葉はもう聞いたさ。みんな私を止めようとする。なあ美佳、私はそこまでの化物か。誰もに止められるような」

「それは……」

「そうなんだな? 私が中隊長だった時は誰もそんなことは言わなかった。私は国家の為に死ぬ、そう豪語しても誰も止めはしなかった。何故なら、国家の為に身を差し出すことは戦時においては必須事項だからだ。故に誰も止めない。お前だって」

「私は……」

 

 止めました。そう言いたかった。けれど姉さんは止まらなかった。だから私は止めるのを止めた。つまり、止めなかった。

 

「それがなんだ! 私が大隊長になって、下関や瀬戸内を奪還し始めた瞬間にこれだ。みんな私に止めろという。なんだ、私はそんなに狂っているのか。おかしく見えるのか。そんなはずはないだろう。私は、この国はずっとそうやって回ってきた!」

「だから、それが違うんですよ」

「違う? どう違うのかエビデンスを出して見ろよ。なにか根拠があるのかよ! 私は国のために死ぬ、今日ここで死のうが昨日どこで死のうが一緒だろう。何が違うんだ。それに……朝潮計画は証明してくれたんだ。兵士の死は無駄にはならない、と」

 

 それは違う。例え犠牲が無駄じゃなかったとしても、死ぬことはやっぱり無駄になることだ。でも、私の叫びは言葉にならない。

 

「私は、死の先には靖国しかないと思っていた。しかしそれは違った。それは誰かの中で生き続け、そして力を与えてくれるんだ。死の先には報国があって、その先に勝利と、靖国がある」

 

 滅茶苦茶だ。姉さんの言うことは滅茶苦茶だ。この人の考えは朝潮計画の理論を越えて、何か違う場所へと飛び立っている。

 それは恐らく、願望というもので。

 

「姉さん……あなたは、もう」

「狂っているか。歪んでいるか? ああいいとも、好きに言えばいい。別に私はもう、自分がどうなったって構いやしないんだ」

「構う人はいますよ。私以外にも……きっと」

 

 その言葉に、はっとする姉さん……いや、はっとしたと、その眼の曇りが少しでも晴れたと私は()()()()()()()()

 姉さんは視線を地面に落として、それから空を仰ぐ。そこには澄み渡る空。空色がどこまでも続いていく、夏の空。

 そこは今や、真っ赤なペンキに覆い尽くされようとしている。

 

「黄昏時だな……」

 

 姉さんが言う。それは先ほどまでの取り乱したような調子とは違う、なんだか冷静な声。その声に心臓を撫でられた私は、心底震え上がる思いだった。こんなに暑い日なのに、寒い。

 

「なあ、知ってるか美佳。黄昏時の由来は、あんな夕陽で誰が誰だか分からなくなるから付けられた……それが語源らしい」

 

 そうなんですか。とは言わない。姉さんの雑学は、放っておくだけで勝手に続いていくのだ。それを知って聞き続けようとする私は、多分姉さんに縋っていたいのだ。いつまでも。

 それは過去の記憶(おもいで)。私は姉さんの後ろについてばっかりで、姉さんにいつも守って貰っていた。たった数年しかない歳の差は、私にとってはどんな谷よりも大きな溝で。

 そんな姉さんが、私の目の前で壊れようとしているのを、私は見届けられないでいたのだ。今でも、この期に至っても。

 

「なあ、美佳。私は誰なんだ」

「姉さんは、姉さんですよ」

「どうしてお前は、実の姉でもない私をそう呼ぶんだ」

「私を導いてくれたから。私を私にしてくれたからです」

 

 それは答えにはなっていないのだろう。そして姉さんは、肝心の姉さんこそ私を見ているのだろうか。私はずっと見ていた。背中を追うという形でしか見ていないけれど、見ていたのは事実だ。

 

「そうか。じゃあお前には、悪いことをしたな」

 

 何を言っているのだろう。答えは、姉さんが見る空にあった。

 

「あれ、は……」

「日本が世界に誇るPHIエアクラフト。その最新鋭爆撃機よ」

 

 そこには、空を埋め尽くすような航空機の群れ。いやそれは流石に誇張表現が過ぎるだろう。こちら、つまり浜岡原発に真っ直ぐ向かってくる爆撃機の数は精々が一〇機といったところで。しかも高度を高く取っているから鳥よりも小さい。ただそれでも、その不気味なシルエットは、まるで私たちを覆い尽くすよう。

 

「原子力発電所に爆弾を……姉さん、貴女は本当に」

「狂っているか? 狂っているとも! それは貴様が言ったことだぞ月刀美佳! 私が歪んでいる? 狂っている? 知ったことか、この作戦は、浜岡原発の破壊作戦は初めから存在した。ましてや作戦立案者はこの馬鹿げた作戦に『神々の黄昏』などと名前を付けてしまった。分かるか、かつて日出ずる国を名乗った我が国は、今自ら斜陽の国であることを認めてしまったんだ!」

「知りませんよッ!」

 

 なんだそれ、なんだというのだそれは。

 そんな理由で、日本の軍隊が私たちの頭上に爆弾を落とすのか。原発に爆弾なんて落として、それで建屋が、格納容器が壊れてしまったらどうするつもりなんだ。そんな危険を全部承知で、この国はそんなことをしてしまうのか。

 

「飛べ、黄金の黒鷲よ! 願わくばその穢れた業火で、この私と世界、そして祖国に仇なす魑魅魍魎を打ち払わんことを!」

 

 

 ああ、ああ。もう、全部おかしくなってしまったんだ。

 

 どうしてこんな結末になってしまったのだろう。どうして私たちはこんな目に遭わなければいけないのだろう。答えは何処にも存在などしていなくて、ただただ無常なだけで。そんな全ての暴力が私に降りかかってくるようで、私は呪われているようで。

 

 

 だけれど、私はそんな妄想に取り付かれている暇はない。

 

 だって、ここで考えることを止めてしまったのなら。姉さんのように訳の分からないことを叫び散らすだけならば。私に存在する価値はない。私は戦うと決めたんだ。それはこの世界の歪みと、世界の理不尽全部と戦うってことであって。みんなを、私を、それを全部守るってことで。

 私は軍刀を構える。お母さんが託してくれた力。そこには歴史の重みと、私の想いが込められている。それが私に、力をくれる。

 

 だから。わたしは――――逃げるわけには、いかないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明日、最終話を投稿します。
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