「知ってるよ。化け物中隊だろ?」
「ば、化け物中隊……?」
そんなの、初めて聞いた。唖然とする私に姉さんは言う。
「だから福を外させたんだよ、聞いて気持ちのいい話じゃない」
「そりゃ、そうですけれど……」
だけど。なんで私には。その疑問には答えず、姉さんは中尉に向き直る。
「しかしだね、大須さん。現状他に方法がないじゃないか。あるならむしろ教えて欲しいぐらいだ……」
そこまで姉さんは言うと、はっとしたように言う。
「まさか、出来たのか?」
「……月刀に潜った私が、そうでもなく現れると思います?」
「姉さん、それってどういう……」
「ごめんね美佳。あとでちゃんと分かるように説明する。言いたいことは分かったよ大須さん。それで?」
「失敗です」
「は?」
「しかし失敗だ。失敗だったんですよ」
そう言ってかぶりを振る中尉。姉さんが詰め寄る。
「待ってくれ、成功したんじゃないのか」
「成功したんですよ。でも失敗だ」
「待ってくれ、成功したのか、失敗なのか、どっちなんだ」
「分かりませんかこんな簡単なことが? 例えば七〇一二を見て下さい。成功していると言えますか?」
「成功してるさ。現にこうして、戦線の維持に成功している」
そう言った姉さん。中尉は大仰に腕を組む。
「ええそうです……確かに、七〇一二が悪者だとはお地蔵様も言わなかった。しかし世の中には時勢の流れというものがある」
「確かにそうだ。聞こう」
「問題は帝国の秩序です。月刀軍曹のパンツより、深海棲艦の撃滅に乗り出すことが帝国の秩序に相応しい行為です」
その言葉に、私も、姉さんも止まった。
録画した番組をうっかり一時停止してしまったよう。
「……大須、中尉?」
姉さんはどうにかといった様子で言葉を紡ぐ。中尉は姉さんを睨んで言った。
「まだお分かりになりませんか。失敗したんですよ。私が生き証人。そう、内なる小学三年生がそう叫ぶのです」
「中尉、まさか」
姉さんの口から言葉が漏れる。大須さんは、大須中尉は、意気込むように姉さんに迫った。
「太政大臣であろうともです! 軍楽隊の祭り囃子に合わせて揺れる陽炎と、二四式原子分裂反応弾一一型のぱちぱちと砕ける様はそれはもう圧巻で、まるでコンピューターグラフィックスのそれなんだよ、これが!」
「中尉」
姉さんが手を腰に回す。そこには、銃剣。
「総天然色の官製アストロターフィングや二億総ワーキングプアを私が許さないことくらい、
「中尉ッ!」
姉さんの言葉を遮るように中尉は天井へと、その更に高みを目指して片腕を振り上げてみせた。
「さぁっ! 今こそ満洲里へ向かって凱旋だ!」
中尉が目を剥く。思わず私が引き下がったのを良いことに、中尉はもう一歩まえに出る。姉さんが私と中尉の間に割って入る。
「大須中尉、失敗したというのはそういうことなのか!」
姉さんを中尉は指さした。涎を垂らしながらに叫ぶ。
「そう、失敗したが救いは近い! 皆して天を突くような大鳥居をくぐれ、玉音に周波数を合わせよ!
「中尉ッ! 私の話を聞け! 聞いてくれッ!」
「捨て置け民衆、進めや東亜ッ! 我こそは、大将軍!」
中尉は笑いながら部屋を飛び出す。
「わぁっはっはっはっはっはぁ――――!」
「大須……」
まるで熱が抜けた気球のように、姉さんが身体を崩す。
「姉さんっ」
倒れないように私は姉さんを支えて――――戦慄した。
「あっ、すまん。美佳……」
姉さんの身体は、思っていたよりもずっと軽い。風でも吹けば飛んで行ってしまうんじゃないだろうか。
開け放たれた部屋からさっきの巡査さんが現れる。
「何が、あったんですか?」
「なにが、あったかって?」
姉さんが震える声でそう言う。それでも毅然とした表情をすぐに作り上げ、私の支えを取り払う。そして迷いのない声で言った。
「……巡査、
「ええと……確か、六甲アイランドの避難民受け入れ施設の警備で、二個大隊ほどが付いていたはずです」
「二個大隊……」
人数にすれば八〇〇人ほどだろうか。
「巡査、君は東灘署に連絡を取ってくれ」
「……何故です?」
「彼は、いや
「まさか」
そうこぼした巡査は、しかし姉さんの言葉を否定することはなかった。姉さんは続ける。
「あの近衛兵を取り押さえろ、そして東灘署に連絡だ。もしダメなら県警本部に繋げ、私は大阪の憲兵隊を呼び出す。規模が規模だぞ。下手すれば大勢死ぬ!」
「りょ、了解……署内にてマル突発生、至急増援を」
その言葉を聞いた巡査は呆然としたまま無線機を手に取ると、何かを告げながら部屋から出て行く。
「えっと……姉さん」
「ごめ、十秒頂戴」
そう言って姉さんは――――今度こそ座り込んだ。
私は知らない。
大須中尉というのがどういう人で、そしてどういう場所に立っていたのか。
私は姉さんと大須中尉の会話の意味が半分も分からなかった。
それはきっと、私の頭が悪いから。
これは私がこれまで分からないふりをしてた罰なんだ。
姉さん。姉さん。声に出さないで叫ぶ。手を触れないで抱きしめる。
姉さんのこと、私はなにも分からない。私は分からないふりをしているうちに本当になにも分からなくなってしまった。
でも姉さんは姉さんだ。絶対にそれだけは変わらない。変わらせない。
姉さん。お願い、姉さん。姉さん。
ぺちん。部屋に音が響いた。
「そうだ。大勢死ぬ。私がやらなきゃ、大勢死ぬ!」
姉さんが立ち上がる。私の方を向いた姉さんは――――完璧なまでに、いつもの姉さんだった。
「迷惑かけたね
六甲アイランド。兵庫県神戸市東灘区の南、大阪湾に浮かぶ人工島。
海上文化都市と銘打たれたこの島には、沢山の公園や学校、病院などがある。元々高級住宅地として売り出そうとした経緯もあるらしく、マンションとかも多く立ち並んでいる。
加えて、客船ターミナルに貨物船受け入れ埠頭、それにコンテナヤード、集配センターに工場地区。神戸市の都市開発の夢を詰め込んだようなその都市が――――燃えていた。
「……所詮、こんなもんか」
双眼鏡から眼を放す姉さん。爆発音が響き渡る。どこかの燃料にでも引火したのだろうか。炎の海から赤黒いキノコが生え、そのままぐりゃりと重力に惹かれて崩れ落ちる。
「なあ軍曹、まるで映画みたいだと思わないか」
ここは六甲アイランドと本土を繋ぐ六甲大橋。上下三車線という広々とした橋梁を、赤い橋脚から伸びるケーブルが吊り橋のように支えている。その向こうに見える六甲アイランドの街。
「明日には一面に踊るんだぞ? 敵対的危険生物の大阪湾侵入を許したって、許したけれども、これを全力で排除したと」
姉さんが言う。瀬戸内海を喪ったとはいえ、軍は紀伊水道、淡路島のラインで辛うじて大阪湾を守っている状況だった。そうでなきゃ神戸どころか大阪までも砲爆撃に晒されることになるし、私たちだって
「ほんと、ふざけてる」
姉さんがそう吐き捨てると、陸の方から連続した音が聞こえてきた。もう聞き慣れた羽音。
「おい、まだやるのか。まだやる気なのか」
陸軍のものなのだろう。回転翼機の姿が炎に照らされて夕闇の中に浮かび上がる。姉さんはそれを力なく見上げると、それから絞り出すように言った。
「まだいるんだぞ。まだ。まだ!」
「姉さん」
私は多分。言葉を選べない。くるりと振り返った姉さんと眼があって、私は逸らすことなく見つめた。姉さんはすぐに逸らす。
それから顔を上げると、側にいた警官に告げる。
「巡査部長。暫く外します。もう……連中が来ることもないでしょうから」
「了解です」
二人は互いに敬礼を交わし、そして姉さんはゆっくりと陸へ向かって歩いて行く。誰も声をかけたりはしない。封鎖の命令を受けたのはもう二時間も前だ。
「福ちゃん。お願いしていい?」
「……分かってる。ここは任せて」
福ちゃんは、陸軍から借り受けた八九式小銃を持ったまま言った。私ではなく、大橋の向こうを見つめたまま。
「美佳姉さん」
「なに? 福ちゃん」
「あたしは、いつかこうなること。分かってた」
「……そっか」
「だから『姉さん』なんて呼びたくなかったんだ」
そう言えば、他の子達が姉さんを母や姉のように慕う中、福ちゃんだけは姉さんのことを「中隊長」と呼び続けていたっけか。
「美佳姉さん。中隊長を、お願い」
嗚呼、本当に、この子は聡明だ。
「分かってるよ。大丈夫」
そう小さく手を振って私は封鎖線に背を向ける。封鎖に動員されたパトカーの警告灯が闇夜に揺れる炎と混じって私の背を焼く。
多分。多分だけれど、福ちゃんは気付いていたのだろう。私は気付けなかった。分からないフリをしてたから。知らないフリをしてたから。私にとっての姉さんは完璧なヒトで、私はいつも姉さんに頼ってた。それが姉さんだと思ってた。本気で。
私は、馬鹿だ。
「飯田大尉」
思った通りと言うべきか、姉さんは海を見ていた。私の声に気付いたのか、それとも気配に気付いたのか。姉さんは振り返る。
「ああ、軍曹か。どうした? 急変したか?」
「カタが付いたのは、大尉のほうがよくご存じでしょうに」
肩を張って私が紡ぐ言葉を、姉さんは飲み込む。
「ああ、そうだな。そうだ。一六式を呼び寄せて
海軍は乗り遅れたな。姉さんは笑って見せる。
六甲アイランドには四国からなんとか脱出して、疎開住民票の発行や、病院で治療を受けていた避難民。それを守るために展開した近衛師団の分遣隊七〇〇が居た。
それが、こんなことになるなんて。
「分からないです」
本当に分からない。姉さんは分かっているのだろうか。福ちゃんは分かっているのだろうか。私たちに武器は与えながら、六甲アイランドへと救出に向かうことは禁じた陸軍や、その命令を追認した姉さんの上司……第七〇一大隊の大隊長は分かっているのだろうか。大橋を封鎖する警官隊は分かっているのだろうか。
「分からないです。『リスト入り』ってなんなんですか」
そう漏らせば、姉さんは答えてくれる。私の質問が、姉さんを答えさせてしまう。姉さんは『姉さん』だから。
そうだ。私には、姉さんをこうして動かすことしか出来ない。
「連中お得意の戦術なんだよ」
姉さんの指す連中は、どこまでを指すのだろう。今日私たちに襲いかかってきた二人組だろうか、話しながらに壊れていった大須中尉? それとも、六甲アイランドを地獄に変え、目下それ以上の業火に焼かれる
「『リスト入り』なんて言葉は、連中が現れるまでは存在しなかった。それに類する事象も観察されたこともなかった。従って連中とリスト入りに相関性があるという説は推論としては妥当」
――――そして『リスト入り』であるということが、私たちの、この第七〇一二中隊の力にもなっている。私がそう付け足すと、姉さんは頷いた。
「そうだ。毒は使いよう、我々のように『リスト入り』を逆手に取ることもある。だが一般的には汚染でしかない」
「汚染……」
「そうだ。汚染だ……軍曹は、近衛をどれほど知ってる?」
「え……」
近衛は『やつら』が現れた最初の頃から、世界各地を駆け回っていた。ジャワの時だって先んじて出兵したと聞いているし、その後もオセアニアの各地で同盟国を救うために戦い続けたという。
多くの議論を呼んだ。近衛は何のために戦うのか。『やつら』の侵略を『戦争』と定義できなかったこの国は、戦争をするための方便として近衛を利用しているのだと叫ぶ人もいた。
何が正しいのか私は分からない。私は知らない。
だから、私は事実だけを言う。
「……ずっと、戦ってきたんですよね」
「そうだ。神戸に展開している近衛の分遣隊はスマトラ島撤退戦以来の精鋭だ。多くの戦場を駆け抜けた精鋭は、それだけ『やつら』と砲火を交わしている……つまるところ、彼らは非常に汚染を受けやすい環境にあった。それも長期間」
姉さんは続ける。
「連中は汚染先を選んだりはしない。海にばらまかれた原油のように、同心円状に全てを蝕んでいく。精鋭無比の近衛であろうと――――決して例外ではない。大須中尉を見ただろう?」
その言葉に、最後に見た大須中尉の姿が蘇る。
何人もの警官に囲まれて、手足を押さえつけるようにして床へと組み伏せられた特務中尉の姿。私たちを助けてくれたあの人は、叫んでいた。
「今だぁッ! 今こそだァッ! 私を迎え入れるのだぁあ!」
「でも、分からないです。なんで今日なんですか。敵対的危険生物が襲いかかってきた訳じゃないのに」
「襲いかかってきたじゃないか。現に今、こうして警報が発せられ、陸空軍は避難民ごと六甲アイランドを焼いた」
そうだ。焼かれた。何百発の砲弾に、何百トンの爆弾。それが空から、陸から投げられて――――人工島は燃えた。
私たちの目の前で、何万人が死んだ。
「おかしい……じゃないですか」
おかしい。おかしいに決まってる。なによりおかしいのは、それを平然と、少なくとも表面上は平然と受け入れた姉さん。
「なんで近衛師団が敵対的危険生物として扱われてるんですか!近衛師団は天皇の軍隊じゃなかったんですか!」
「近衛師団だけじゃないよ。私たちは、日本陸海空軍は
まるで答えを読み上げるかのように、姉さんは言う。
「じゃあ……姉さんは憲法に『死ね』って書いてあったら、死ぬんですか?」
「潔く死ぬだろうね。それを国家が望むなら」
「姉さん!」
どうすればいいか私は知らない。私はそんなお利口じゃないし、多分お利口なままじゃ姉さんに言葉は届かない。
馬鹿は馬鹿なりに、馬鹿としてのやり方で。
私は姉さんに掴みかかった。
「姉さん。本気で言ってるんですか!」
「やめなよ
「じゃあ処分すればいいです。姉さんが出来るのなら」
「美佳……アンタも反抗するようになったのね」
お姉さん悲しいわぁ。姉さんがわざとらしく顔を歪める。
「じゃあ教えてください。『リスト入り』ってなんなんですか。私たちは敵対的危険生物と戦ってるんじゃないんですか」
――――姉さんは、何のために戦ってるんですか。
自分を殺してまで、何のために。
「知らないよ」
姉さんは激しくかぶりを振った。
「知らないよ。私は連中の研究家なんかじゃない、私はただの軍人なんだ。私はただ軍令に則って
そこまで言うと、姉さんは私の手を取る。
「それだけだ――――そう言えたら、どんなに良かったか!」
私の姉さんが手に力を入れる。痛い。けれど、私は姉さんから目を離したりはしないし、決して背けたりはしない。
私は馬鹿だから、誰かにずっと答えを求めてきた。世界が壊れても気付かないフリをしてきたし、世界に棄てられても姉さんに助けられても、それ以上のことをしようとは思わなかった。
「教えてください。姉さん」
「知ることに意味があるとは思えないわね。知ってどうする」
「姉さんに抱え込ませたくないんです」
私は、多分ずっと護られてきた。
金沢に居場所がなかったお母さんは私を護るために逃げてくれた。神戸のお祖父ちゃんはそんな私を護ってくれた。姉さんは東京に住んでいたけれども、夏休みや春休み、お正月にはやって来てくれて……本当に色んな事を教えてくれた。私にも兄弟が居なかったわけじゃない。
でも、私の実の兄は金沢から離れることを殆ど許して貰えなかった――――お母さんは、お兄さんのことを『人質』だと言っていた。私だって馬鹿じゃないから、その意味は、兄と一緒に暮らせない意味は分かっていた。でも馬鹿だから、気付かないフリをしていた。
そうだ。だから姉さんを慕ったんだ。親戚の中じゃ姉さんが一番歳が近くて、お兄さんと同じくらいの歳だった姉さんを。
そして姉さんは、それに全力で応えてくれた。
私が、応えさせてしまった。
姉さんに姉さんであることを。飯田望という一個人じゃなくて、私の、月刀美佳の姉として振る舞わせてしまった。姉さんはきっと優しいから、私のために、そうしてくれたんだ。私を護るために。
だからもう、護られるのは辞めたんだ。
「姉さん、教えてください。本当のことを」
姉さんを護りたい。やり方は分からないけれど、護りたい。
「いいの?」
私は頷く。護りたいから、まずは知りたい。姉さんのこと。
「分かった、じゃあ。教えたげる。『やつら』のこと、そして」
そして姉さんは――――拳銃を引き抜いた。
「私たち――――第七〇一二陸戦中隊の