『こちら対策本部。第七中隊長と連邦捜査部長、聞こえてる?』
ガタゴト揺れる、乗り心地が良いとは言えない装甲車の中。無線越しに先生の声が届く。
「こちら第七中隊長、感度良好」
「連邦捜査部長、ばっちり聞こえてるよ~☆」
ミカが思い返すに、先生に名前以外で呼ばれた経験は過去にたったの一度しかない。アリウス自治区で、自分の終わりを悟ったあの瞬間のこと。忘れるはずもなかった。ただ、あの瞬間をミカが忘れられない理由は決してそれだけではない。むしろミカには、あのとき先生にかけてもらった言葉よりも強く記憶に焼き付いているものがあった。
その光景は心の奥底にだけ秘めてほしいと先生に願われて、ミカはそれを受け入れた。記憶の中の緋色だけが、ミカの心には燈っている。自分のことを連邦捜査部長と呼んでくれる先生の声が、あの緋色を流し去ってはくれないものか。場違いなのは自覚しつつも、ミカはそんなことをぼんやりと考えていた。
『貴女たちの車列はまもなく警戒ラインに到達。事前の通達通り、対策本部もしくは風紀委員長からの介入が無いかぎり、第七中隊長の判断で作戦を遂行すること。連邦捜査部長は第七中隊と協同して暴徒の鎮圧にあたると同時に、中隊の任務を阻害しない範囲での自由な作戦行動を承認する。復唱は必要なし。理解できた?』
「第七中隊長、了解した」
「連邦捜査部長、了解。大丈夫だよ」
『よろしい、みんなの健闘を祈るよ。以上、対策本部』
その言葉を最後に無線が途切れた。そこから間を置かず、運転手を務める風紀委員から大声で報告が上がる。
「前方、風紀委員と暴徒の銃撃戦です!」
「様子はどうなっている?」
中隊長の問いかけに答えるのは、スコープ越しに外の様子を確認していた別の風紀委員だ。
「即席のバリケードを用意して応戦していますが、風紀委員の方が押されているようです。暴徒の装備は……複数の車両に後方からの支援火力。我々とも引けを取りません」
「つまり事前情報の通りというわけか。おい、連邦捜査部長」
がさつな呼びかけだったが、フルネームを呼び捨てにされるよりは役職呼びの方がいくらかマシだ。ミカは素直に返事を飛ばす。
「どうしたの、中隊長ちゃん?」
「お前はどこに陣取るつもりだ。こうして運ばせた以上、最低限の仕事はしてもらうぞ」
「一番前に。あなたたちに進む気があるなら、私を盾にしてくれていいよ」
「……正気か? 砲火の真っ只中に突っ込むことになるぞ」
予想外の返答に面食らいつつも、中隊長はなんとか語気を維持したままそう返した。そもそも、この場にいる誰もミカが本当に先陣を切るなどとは考えていなかったし、なんならまともに仕事をするのかすら訝しんでいたのだ。
我らが風紀委員長を前にして言葉でやりあえるところは流石に元ティーパーティーだが、戦場では元ティーパーティーなど役に立つはずもない。先生の前でだけはやる気ある様子を見せておいて、いざ戦闘が始まれば最後方に居座り、ただ戦場に居たという実績だけを作って終わり……そんなところに違いないだろう。風紀委員たちがそう考えるのも、無理のないことだった。
「風紀委員会にどう思われたって別にいいけど、信用は買えるときに買っておきたいし。箱入りのお姫様扱いにも飽きちゃったからね」
中隊長の言葉に答えているようで答えないまま、真実と欺瞞を織り交ぜて。
「……合図で飛び出せ。多少の援護はしてやるが、友軍の救援が優先だ。余計な期待はするな」
「へぇ? どういう風の吹き回しなの?」
「お前に向かって飛ぶ弾が増えることで我々の戦力を温存できるならば、それに越したことはない。精々長時間生き残れ」
それを聞いたミカはにやりと笑う。
「何が可笑しい」
「ううん、何も。あなたたち、温存されてるだけのことはあるんだなって思っただけだよ」
中隊長を筆頭に、他の風紀委員よりも明らかに充実した重装備群。戦車は配備されていないようだが、だからこそミカには理解できた。彼女たちこそ、風紀委員会の中でも歩兵戦闘に特化したエキスパート集団に違いない。
それ以上の言葉が中隊長から返ってくることはなかったが、敵意と警戒しか含まれていなかったその視線に少しだけ違うものが混じり始めたことを、ミカは確かに感じ取っていた。
「中隊各員へ。全装甲車両はこのまま防御陣地の前方まで進出し、友軍の盾として遮蔽を確保しつつ、正面敵戦力の制圧を行う。各小隊は輸送車両から降車し散開、作戦通りに友軍と合流しろ」
了解、と威勢の良い返事が無線越しにいくつも返ってくる。しかし中隊長の指示をそのまま受け取るならば、指揮車として運用されているこの装甲車を含めて、車両群がそのまま目の前にいる敵へ突っ込んでいくことになる。
「ねえ、あなたたちこそ正気なの?」
「生身でやるつもりのお前よりはな」
今度は中隊長の方がにやりと笑う番だった。
「そら、もう時間だ! 揺れるぞ、何かに掴まっておけ!」
散らばる瓦礫を避け、そこに身を隠す風紀委員たちを避け、即席のバリケードをすれすれでかわす。運転手は大したドライビングテクニックの持ち主なのだろうが、乗り心地は今まで以上に最悪だった。イチカの運転してくれた送迎車が今になって恋しくなってくる。
「三つ数えろ、連邦捜査部長。お望み通り、敵の真っ正面に向けてやる」
借り物の小銃を右手に構える。左手はドアに添え、いつでも飛び出せるように。
「一、二の……三ッ!」
こうして、眩い星が戦場に解き放たれる。
ファーストコンタクトは、紫色の衝撃だった。
「……は?」
風紀委員会の装甲車が突っ込んでくるのに身構えていた暴徒たちのひとり。一際装備の充実した、兵士のような生徒。あるいは生徒のような兵士なのか。どちらにせよ、戦場で呆けるような真似が彼女に許されないのは間違いない。だが、彼女を責めるのは酷なことだろう。
装甲車から白衣の何者かが飛び出した。それを認識した次の瞬間には、彼女はもう空中を舞っていたのだから。
遅れたように襲いかかってくる胸部の鈍痛。銃弾をもろに食らったのか。ボディアーマーを軽々貫通するだけに飽き足らず、人間を吹き飛ばすほどの威力を、たかだか銃撃で? そんな馬鹿なことがあるか。経験がそう叫び、しかし五感が現実を肯定する。地面が近づく。意識が遠のいていく。スローモーションのように移りゆく景色、これが走馬灯というものなのか。
暗くなる視界、眩む紫の光。その向こう側に見えるのは、さながら天使のような────
「おまたせ〜☆ 連邦捜査部シャーレ部長、聖園ミカだよ!」
違う、悪魔のような笑顔だった。最後にそれだけを認識して、彼女の意識は闇へと落ちていく。そして自らが吹き飛ばした相手の考えていたことなど知ることのないまま、ミカは大通りの中央に堂々と立った。
「面倒だし、まずはざっと掃除しようか。数が多いと邪魔だしね」
「……くそ、何をしている! 反撃、反撃しろ!」
「うるさいなあ。まずはあなたからね」
軽い銃声が二度三度。小銃弾とは思えない、破壊的で破滅的な炸裂音も二度三度。まるで狙いの付いていない、素人のような射撃。たったそれだけで、きっとこの場の指揮官だったのだろう生徒を含む
「ヒィッ……!」
「降参なんて今更許さないよ。挨拶は撃ってからで良いし、証言は起きてからで足りるからね!」
笑顔と共に物騒な言葉を吐きながら、ミカは目の前に立つ暴徒たちに銃弾を浴びせていく。その一発一発が誰もを一撃で昏倒させられるだけの威力を持つだけでなく、ミカの気まぐれで榴弾砲じみた爆発の着弾点にまで化けうる、相対する者からすれば文字通り悪夢のような掃射。しかし、それがいつまでも絶え間なく続くわけではない。
「あれ、もう弾切れ? しょうがないなあ」
戦場の最前線に立っているとは思えない余裕の表情でリロードに入るミカ。当然、好機とばかりに反撃しようとする者たちが彼女に銃口を向け……トリガーを引く寸前になって、ミカの後方から飛んできた制圧射撃の嵐にそれを阻まれる。
「あいつにだけ良い顔をさせるな! 風紀委員会の、第七中隊の任務を全うしろ!」
中隊長の檄が飛ぶ中、装甲車に備え付けられた機関銃座がいくつも火を噴いた。ミカの放ったものと比べればその銃弾に一撃の重みはないが、それでもミカのリロードを援護し、後方の防御陣地を立て直すのに充分なだけの時間を稼ぐのは容易だった。
未だ残っている暴徒たちの中で行動を起こすだけの精神力が残っていた者たちは、遮蔽に身を隠して第七中隊の制圧射撃をやり過そうと試みる。しかし数秒後には遮蔽ごとミカに吹き飛ばされて終わった。そんな彼女を恐れて逃げ出しそうとした者は、機関銃弾をその背中にしこたま撃ち込まれて倒れ伏す。
ミカと風紀委員会第七中隊の到着からわずか三十秒足らず。風紀委員会が押されていた戦場の構図は、今や風紀委員会による一方的な蹂躙に移り変わりつつあった。
「これ、私が来た意味ってあったのかな?」
流石にこれほどの優勢とまでは行かずとも、この程度の敵戦力は第七中隊だけでどうとでもなったのではないか。そんな感想をミカが抱き始めたころ、大通りの向こう側から唸るエンジン音が聞こえてくる。
猛スピードで突っ込んでくるのは、新品同様の豪勢な装甲車だ。ミカの記憶が正しければ、あれは確かミレニアム製だったような気がする。ブラックマーケットにでも流れたのをどうにかして確保したのだろうか。
装甲車ではバリケードの突破に不向きな故に退いていたのか、単純に戦力として温存していたのかは定かでない。どちらにせよ、大通りの戦線が一瞬で崩壊したのを察知してやってきたのは明白だし、理に適っている。
ただ、その行動に過ちがあったとするならば。
「あはは、的が大きくなって助かっちゃうよ」
聖園ミカにとっては、人間相手も装甲車相手も大して変わらないという事実を把握していなかったことにあった。
ミカの一撃で装甲車の左前輪が弾け飛び、そのまま勢い余って横転。そこに二撃目が入り、薄い天板を吹き飛ばす。泡を食って這い出てきた搭乗員たちに三撃目を入れ、制圧完了。十秒もかからず、歩兵にとって本来手強い敵であるはずのそれは道端のオブジェと化した。
「うん、上々だね。これならすぐ……」
そこまで言ったところでミカが口を噤む。たった今、目の前でこれだけ蹂躙の限りを尽くしたにも関わらず、なおも暴徒たちの増援が眼前に集結してくる様子を目の当たりにしたからだ。
しかしその中に木端の悪党や半グレ、傭兵の姿はない。装備こそ揃ってはいないが、着ている制服は同じ。今更言うまでもなく、アリウス分校のそれである。
「……学ばないよね、あなたたちも。今更こんなことしても勝ち目なんてないって、まだわからないの?」
返事はない。その場に立つアリウス生たちは、ただ憎悪だけがこもった視線をミカと風紀委員会の面々に向けていた。
「別に、私のことならいくらでも恨んでくれていいけどさ。あなたたちに命令する存在はもういないのに、これ以上罪を重ねたっていいことないんじゃない?」
ミカが言い終わるか終わらないかというタイミングで、乾いた破裂音が大通りに響く。アリウス生のひとりがミカを狙って銃撃したのだ。
「……そんなのじゃ私には全然意味ないってことも、伝わってないんだね。もう組織として崩壊してるのかな」
しかし、ミカの身体には傷ひとつ付かない。それどころか、真新しいシャーレの制服にすら孔を空けることは叶わなかった。
「まあいいや。あなたたちが好きにするなら、私もそうするだけだし」
その言葉を最後に、蹂躙劇が再び幕を開けようとしていた。