ミカは後悔していた。
「ごほっ……ああもう、なんで忘れてたかなぁ……!」
衝撃に襲われ、業火に包まれ、煙で咳き込みながら。
「おいッ、大丈夫か!?」
背中の方から聞こえてくる声は中隊長か。あれほどトリニティ嫌いを前面に出していた割には随分と慌てた声をしている。ゲヘナらしくもない善性の発露だな、とミカの理性は分析していた。
だが、それを揶揄うような余裕は今ここにない。
「……化物め。やはり風紀委員長と同格か、貴様は!」
憎々しげに吐き捨てるアリウス生のひとり。今しがたミカに対してサーモバリック手榴弾を投擲した張本人だ。当然、ミカが無力化されることを期待して彼女はその行動に出たのだろう。しかし結果はどうだ。
ミカは五体満足のまま,気絶することもなく未だその場に立ち塞がる。それどころか、ミカの着る制服にすら銃撃同様に焼け焦げのひとつも残っていないではないか。
アリウス生の間に少しばかりの動揺が広がっている隙に、ミカは声を張る。
「中隊長ちゃん、後ろに退いて。ここは私が受け持つから」
「馬鹿を言え! 今のを何度も喰らえば、お前だって……」
「私なら大丈夫だよ、このくらい。でも貴女たちは?」
ミカにそう問われてしまえば、中隊長も口を閉ざすほかなかった。つい先程の投擲物がただの火炎瓶ではないことくらい、一目見ればよく理解できた。
確かにキヴォトスの人々は、外部からの衝撃や刺激に強い。仮に衝撃を与えられて気絶することはあっても、それが身体の直接的な破壊に至ることはまずないのだ。手榴弾の破片や戦車砲の直撃程度で死ぬようなことはないし、特急列車から飛び降りるような暴挙を敢行しても、とりわけ頑丈な者であれば意識すら保つ。火傷を負っても、表皮だけで済めば傷跡は大抵残らない。
しかしその一方で、身体の内側から蝕まれることへの耐性は、外部からの衝撃耐性ほどに理外ではない。肺から酸素を取り込めなくなれば呆気なく意識を失うし、放置すれば死ぬ。有毒な物質を摂取してしまえば相応に苦しみ、場合によってはそのまま死ぬ。重度の火傷を負えば助かったとしても目立つ傷が残るし、あるいは手の施しようがないことだってある。
これらの事実を総合すれば、キヴォトス人のヘイローを効率的に破壊する手段が浮かび上がってくる。一瞬でも良いから酸素を絶って、ついでに強烈な毒物も吸引させ、気を失ったまま火達磨にして肺を焼いてやればいいのだ。どれかひとつに限っても対処が難しいというのに、仮に全てが一気に押し寄せてくれば完全なるオーバーキルである。
そして、燃料気化爆弾という形でそんな兵器が実現してしまった。挙句の果てにはサーモバリック爆弾という進化形も登場し、大量破壊兵器の弾頭から手榴弾まで、あらゆるサイズで実用化に至ってしまったのだ。
「何分、維持できる?」
苦々しい表情でそう問いかける中隊長を見て、ミカは吹き出すように笑う。
「あはっ、こんなときに笑わせないでよ。……このくらい、私一人でどうにかなる。あなたたちは先生に状況を伝えて、それから────」
そこまで言ったミカの声を遮るのは、小銃の発砲音。HK416、他ならぬ彼女が借り受けた銃であり、トリガーを引いた張本人も彼女であった。そのたかが一射で、アリウス生たちがまた紙屑のように吹き飛んでいく。
「他の風紀委員を助けに行きなよ。話の邪魔をしてまで焼き殺そうとしてくるんだから、普通の風紀委員じゃ相手にならないよ」
たった今、空を舞ったうちの何人がサーモバリック手榴弾を所持していたのだろう。おそらくそう多くはあるまい、一人でもいたかどうかすらわからない。しかしミカは躊躇なく撃った。懐に手を伸ばそうとした者がアリウス生の中にいたから、何かを取り出されるよりも先に周囲ごと吹き飛ばした。
本来ならば、ミカがそんなことをする必要はないのだ。事実、一度は直撃を受けたにもかかわらず、彼女は全くの無傷だったのだから。それでも彼女がこうして発砲した理由など、文字通り火を見るよりも明らかなことだ。
「……戦域E5にて戦闘中の風紀委員に告ぐ。撤退だ! 第七中隊長の判断により撤退する!」
「そうそう、それでいいんだよ。その方が私だって……」
「第七中隊及び戦域E5の残存戦力は、連邦捜査部長のみを頼りとして撤退する。本部にそう報告しておけ!」
……ゲヘナらしくもない善性の発露だ。いっそ言葉にして伝えてやろうかとも思ったが、ミカの本能がギリギリのところでそれを食い止めた。
中隊長の号令でじりじりと後退を始めつつも、戦場から一気に離れようとはしない装甲車たち。後方の歩兵戦力が安全に撤退するまでは、盾の役割を全うするつもりでいるらしい。
「逃すか! 第七中隊をここで撃滅しろ!」
「ふーん、面白いこと言うじゃんね? 私の横を通っていけるとでも思ってるの?」
ミカの挑発的な笑みを前にしても、アリウス生の前衛が突っ込んでくる。しかしミカはそれを無視して、路地裏から横に抜けようとしている一団の対処を優先した。人間ではなく建築物を狙ったミカの
しかしその一方で、銃を乱射しながら突進してくる前衛への対処は遅れてしまった。一人二人は半ば格闘戦の間合いにまで踏み込んできている。単純な銃撃による対処は難しい、狙いがブレる。かといってこの距離で相手を吹き飛ばそうとすれば、自分も爆発に巻き込まれかねない。ならば、選択肢はひとつしかない。
響く風切り音。ばきりと表現するのがおそらく正しいであろう、およそ人体から鳴るべきでない音。銃撃を受けても出てこないような、蛙を潰したときに聞こえてきそうな悲鳴。そのまま地面に倒れ伏すアリウス生。いっそ馬鹿らしくなるほどに静まり返る、戦場。
「あーあ、これ大丈夫かなぁ……まあいっか、死にはしないだろうし。それで、次に私の前に出てくるのは誰なの?」
今しがた思い切り
全体的に見て、戦況は良い。大会議室で慌ただしくする風紀委員たちに囲まれながら、先生はそう考えていた。
増援を送り込んだ現場も込みで、風紀委員会が劣勢を強いられている戦場は現在時点でどこにもない。ミカと共に向かったはずの第七中隊が後退するという情報を聞いた瞬間には自分自身の耳を疑ったが、次いでサーモバリック手榴弾についての報告が上がればすぐに納得できた。重装備かつ車両が主体となっている第七中隊とは相性が相当悪いだろうし、そうでないにしろキヴォトス人に炎はよく効く。だからこそ、ミカの頑丈さには感謝しなければならない。
「……見通しが甘かった、かな」
ヒナを擁する風紀委員会を相手にするのだから、ヒナに効く武器を持ってきていても不思議ではない。ヒナに効く武器であれば、ミカにも効くことは充分有り得る話だろう。何もサーモバリック手榴弾に限った話ではない。もしもアリウス残党が生物兵器や化学兵器を手に入れて、それをテロ目的ではなく、ヒナを無力化するためだけに投入していたらどうする? それが他の風紀委員たちやミカに対しても使われていたらどうなっていた?
ヘイローを壊す爆弾というオーパーツは、ゲマトリアによって回収された。あんな連中の言葉を信じるならばという注釈は付くものの、何故か彼らはそういうところだけ妙に律儀だ。きっと間違いなく、その全てが回収されているだろう。
だからこそ、もう安心だと高を括っていた部分があった。人は死ぬ。呆気なく死ぬ。キヴォトスですら、手段を選ばないのであれば案外殺せてしまうものだ。
忘れるな、________。
「……反省は後からでもできる。そうですよね」
無意識に呟いたその言葉は、先生としてのものではない。ただ、彼女としてのものだった。
「よしっ。……こちら対策本部。ヒナ、聞こえてる?」
『大丈夫。先生は無事なの?』
「貴女たちのおかげでね。今のところ、敵の主戦力はミカが止めてる。各戦域に散らばった負傷者の撤退支援には第七中隊と手の空いてる戦車中隊を回してるけれど、負傷者多数で対処が追いついてない。これから機甲戦力は救急医学部の護衛にも割くから、ますます火力が足りなくなる」
『……私が周って、聖園ミカの対処戦域以外を殲滅すべき?』
「そうだね、ヒナにはそれをお願いするつもりだけれど……もうひとつ」
我ながら無茶を言ってしまうな、という自覚が先生にはあった。埋め合わせはきっちりとしなければならないだろう。
「ヒナがいちいち輸送ヘリから降りると、戦場あたりの時間効率が良くない。そもそも降りる場所を探すのも大変だし、ヒナの攻撃が空から飛んでくるとしたら、敵からは大きな脅威になるはず」
『……私一人でガンシップをやるということ?』
「どちらかと言えば、文字通りのCOIN機かな。積んでる武装がヒナだけだからね」
要するに先生のオーダーは、飛行中の輸送ヘリから身を乗り出した状態で戦えというもの。確かにアリウス側も対空兵装には乏しいだろうし、効果的であることには間違いないが、だからと言って改造もしていない輸送ヘリでやるようなことではない。
『了解した。どの戦域から対処すればいい?』
それでもヒナは文句ひとつ言わず、先生の指示を受け入れた。
「……まずは戦域C12へ。詳細座標は追って伝えるから、指示を待って。以上、対策本部」
先生という存在を疑おうともしないヒナの期待が、今は重かった。いいや、今だけではない。様々な生徒に向けられていた期待から、ただ眼を背けていただけなのだ。
私なんて生徒たちより少し人生経験が長いだけで、誰かを導くような能力があるわけではないのに。ましてや指揮能力など、付け焼刃の真似事でしかない。キヴォトスで暮らす全ての生徒を救うことは不可能だ。自分の手が届く範囲でなければならなくて、そのうえあちらからも手を伸ばしてもらわなければ、結局は引っ張り上げることもできなくて。
この箱庭で起こるすべての出来事に責任を持つことは能わない。私は私なりに、背負うべき責任だけを背負う。線引きすることこそが責任だと信じる。
決意を新たにした先生は、シッテムの箱からモモトークを起動する。
『準備はできた?』
『問題ない。命令を乞う』