衝撃的な言葉にまともな相槌も打てないミカを尻目に、セイアは淡々と説明を始める。
「シャーレへの転籍というものは、生徒に一時的な手助けを求める、いわゆる仮入部や臨時加入の手続とは全く違う。正当な手段を以て、君をシャーレに迎え入れることが先生の目的だ。シャーレは連邦生徒会長直属であると定義された組織、故に正式な加入が認められた生徒は連邦生徒会に名目上の籍を置くこととなる。転校の一形態として理解するべきだろう」
「ま、待って、ちょっと待ってセイアちゃん」
一体全体セイアが何を言っているのか、これっぽっちも頭に入らない。それがミカの率直な感想だった。
ティーパーティーと先生の尽力によってなんとか事実上の謹慎処分に落ち着けてもらい、仕方のないこととはいえ息苦しい学生生活を送っている日々の中、どうして自分が突然シャーレに移るなどという話になるのか? ミカにはその理由がまるで分からなかったし、ましてやセイアが突然そんなことを言い出すなど、事前に予想できるわけもなかった。
……あらゆる前提条件を無視して、自分がシャーレに移って先生に迎え入れられるということだけを考えるならば、それは間違いなく素敵なことだ。夢にまで見るような願いだと言っても、今のミカからすれば決して大袈裟にはならない。
普段から忙しくしている先生の手伝いをこなしながら、シャーレの一員として日々を過ごせるとすれば、それはどれだけ幸せなことだろうか。先生といつでも会うことができて、返しきれないくらいにもらった優しさを少しづつ先生に返すことができる。叶うはずのないそんな未来が、唐突に叶おうとしている。
だが、それに手を伸ばすことは決して許されない。
聖園ミカの贖罪はまだ何も終わっていない。自らが犯した罪の重さは身に沁みて理解しているし、いつになればそれら全ての償いが終わるのかも分からない。いいや、きっとそんな日は来ないのだろう。来るはずもない。
愚かな行いのひとつひとつを挙げていけばきりがない。しかし、他のどのような過ちよりも……親友を騙し、親友を裏切り、そして親友を殺しかけたという罪が、ミカの心を深く蝕んでいた。誰に許されようと、誰に救われようと、決して過去が消えるわけではないのだ。
だから、突然差し出されたこの救いの手を掴んではいけない。自分にそう言い聞かせておかないと、苦しさと気持ち悪さで頭がおかしくなりそうだった。
「……ミカ、続けても構わないかい」
控えめにかけられたその言葉に、ミカは何も返さなかった。それを無言の肯定だと受け取り、セイアは再び口を開く。
「先生からの要請と私は言ったし、それは確かな事実だ。一方で、君をシャーレに転籍させようという動きは私とナギサの意向でもある。……くれぐれも勘違いしないでほしいが、私たちは君をトリニティから追い出したい邪魔者だと見做しているわけではない。そこだけは承知してくれ」
ミカの肩がびくりと跳ねる。それを見逃さなかったセイアは、普段よりも幾らか優しい声色でミカに語りかけた。
「君を追い出したいならば、聴聞会で君の弁護を買って出ることはしない。今日こうして君を呼び出したのも、それが君の助けになると信じているからだ」
話を戻すが、とセイアは続ける。
「総合的に見て、ティーパーティー及び正義実現委員会は聖園ミカがトリニティに必要だと考えているし、聴聞会の面々も最終的にそう判断した。君の処遇に反発する生徒も少なくはなく、現にデモ集会が連日起きているような状況ではあるが……そのような悪影響を考慮し、君が新たなトラブルを起こす可能性を甘受し、さらに生徒会長としての権力やパテル分派首長としての人脈を君が悉く失ってもなお、君の存在はトリニティにとって価値がある。それが何故か、自らでも把握しているだろう?」
「……正義実現委員会の戦略兵器に並ぶ戦力として、私を野放しにするなんてことはできない。そういうことだよね?」
そう答えたミカの言葉を、セイアは否定しなかった。
「本来であれば、連邦生徒会が調停者の機能を放棄している今、君にはトリニティに在籍していてもらわなければ困る。より踏み込むならば、万が一にも連邦矯正局送りにしたり退学処分にした結果、巡り巡ってトリニティの敵対勢力に君が合流するなどという未来があってはならない。故に、君は聴聞会においても情状酌量の余地ありとされた。そういうことにしておいた方が、トリニティにとって都合が良いと見做されたがために」
ミカの戦闘能力はトリニティ内部においてもまことしやかに語られていただけで、実際に彼女が衆目の前でその実力を見せる機会は皆無だった。……聴聞会前日に彼女が自力で脱獄し、牢屋を囲んでいた生徒の集団をまるごと蹴散らし、アリウス自治区に単身突撃するまでの話だが。
結果的にはこの行動によって個人戦力としてのミカがトリニティ上層部から明確に評価され、それが聴聞会において彼女の退学処分に反対する者が増える理由に繋がったのだから、なんとも皮肉なものである。
「そうだね。もしエデン条約が本当に正しく結ばれていたら、私は今頃トリニティにいられなかったと思うよ」
「……すまない、前置きが長くなってしまった。とにかく、ティーパーティーから見て君を放り出す意味はないという認識が共有できているならば話は早い。その上で、私は酷な話を君にしよう」
セイアはそこで一度言葉を切って、ミカの瞳をじっと見据える。
「トリニティは君を必要とする。だが、君はトリニティを真に必要とするだろうか?」
「…………ふーん。セイアちゃんってば、当たり前のことを聞くんだね?」
長い沈黙の後に呟かれたミカの言葉には、あからさまな呆れの──あるいは嘲りの──感情が乗せられていた。
「君はそう思っているのかい? 本心から、私は当然のことを聞いていると?」
「セイアちゃんのそういうところ、本当に嫌いだよ。
「……私の立ち振る舞いが傲慢に見えたのならば、君の思考を予測しているように感じられたのならば、今ここで謝罪しよう。すまなかった、ミカ」
「……なんだかやりにくいなぁ、そんな素直に謝らないでよ」
普段のお茶会であれば、ありったけの語彙を以てミカに言葉の槍を突き刺してくるところだ。毒にも薬にもならない皮肉の応酬を幾度となく繰り返し、互いの本音を心の底に追いやる作業。
今この瞬間、セイアがそうしなかった理由。ミカにもその意図はしっかりと伝わっていて、伝わっていること自体がどうにも腹立たしくて、むかむかとした感情が行き場を無くしたままにミカの心中を巡っていた。
「……トリニティこそが私の全て。私はそういう生き方しかできないんだって、セイアちゃんも知ってるはずだよ」
その言葉を皮切りに、堰を切ったかのように声が溢れ出す。
「私は……私にとって大事だったものを、気付いたときには全部失ってて。もうダメなんだって絶望して、それでもまだやり直せるって先生が教えてくれた。だから、私はトリニティで……」
「それは決してトリニティの中でしか達成不可能な課題ではないはずだ。君の言う大事なものがどのような存在であれど、それらはトリニティという枠組みに縛られていなければどう足掻いても手に入らない、というわけではないだろう?」
予想外の鋭い反論にミカは思わずたじろいだが、それでもさらに主張を展開していく。
「……トリニティには、私のせいで迷惑を被った人が沢山いる。その人たちが私に怒るなら、私にはその怒りをずっと受け止める義務がある。もしもトリニティから逃げ出すようなことをしたら、私は先生に顔向けできないよ」
「正当な怒りを受け止めなければならないのは事実だ。しかし私は、君に正当な怒りを向ける権利のある者をそこまで多くは知らないな。例えばナギサであったり、補習授業部の面々であったり、先生であったりは、いずれも君を赦していると記憶している。私も君からの謝罪は正式に受けているし、私から君に謝罪すべき事象も確かに存在した。この現状で、君が殊更気に病む必要性を感じない」
セイアに容赦なく正論を突きつけられ、ミカの口調は段々と弱々しくなっていく。
「で、でも、例えばパテル分派の子たちは私のせいで肩身が狭くなったり、針の筵になったりしてるって……」
「私が眠っていた間のことを何も知らないとでも思っているのかい、ミカ。パテル分派のうち、政治的急進派は君を祭り上げることに失敗し、無抵抗だった君を愚かにも集団リンチした。ああ、かつての君よりもなお愚かなことにね。そしてそれに参加しなかった者は、何もしなかった。その後に君がどのような窮地に立たされようと、パテル分派の首長である君のために自ら動く気概を持つ者はいなかった」
彼女らしくもない強い語気で話すセイアは、これまで誰も見たことがないほどの怒りを湛えているようだった。少なくともミカにはそのように思えて、少しの嬉しさと多大な罪悪感が同時に押し寄せてくる。
「君に政治的求心力が足りなかったことは事実かもしれない。だが君をトップに据えた責任を派閥全体で取るか、あるいは君を少し庇う程度の行動であればパテル分派の誰にでも可能だったはずだろう。しかしそれらが為されなかった以上、パテル分派の現状は彼女らの行為に対する代償に過ぎず、君がパテル分派に対して必要以上の責任を負わされる理由は存在しない」
そう言い切ってからセイアは息を整え、ミカのさらなる発言を待った。どのような言葉でも説き伏せてみせるという決意が彼女の瞳には映っていて、ミカの自信をますます揺るがせていく。
「わ、私は……そう、トリニティの聴聞会で処分を下された身だから、トリニティの内部でその処分を受けるのは当然のことで」
「それ自体は道理だ。だがそれは『聖園ミカがトリニティを必要とする理由』とは全く違う。むしろ君への処分を遂行させ、一般生徒の溜飲を下げたいのはトリニティ側の都合でしかない。そのうえ、処分の内容自体も場所を問うものではない」
「……トリニティは、私にとって唯一の居場所で。一度は手放して、もう帰れないって思った場所で、私にはここしかなくて」
「君にとって、かつてそれは確かに真実だった。しかし今は君のことを救ってくれた先生がいるだろう。トリニティにしか居場所がないという主張は、最早正当性を失っている」
淡々と返すセイアを前に、ミカはとうとう黙り込んでしまった。二人以外には誰もいない部屋で、音を立てるのはアンティークな置き時計のみ。
「ミカ。今のトリニティ総合学園は、自らの過ちに気付き今度こそ正道を往かんとする今の君にとって、理想的な場所ではないと言わざるを得ない。君にとってのトリニティは、君の在り方を定め、進むべき道を啓く唯一の場所ではない。現状においてはそう理解するべきだ」