真剣な面持ちのミカを見て、ナギサとセイアの表情も少しばかり硬いものに変化する。
「聞きましょう」
「ああ、今度こそ聞かせてもらうよ」
二人の返事を聞き、意を決したようにミカは口を開いた。
「ナギちゃんもセイアちゃんも忙しいだろうけど、絶対にシャーレまで遊びに来て。お茶会の準備をして待ってるから」
「……約束します。貴女の親友として、必ずシャーレに足を運ぶと」
「それだけじゃダメだよ」
ミカの否定に困惑する一同。しかし彼女は迷うことなく続ける。
「私の大好きなナギちゃんとセイアちゃんだけじゃダメ。
「ミカさん、それは……」
「こうやって私を見送ることさえできちゃえば、最悪ティーパーティーから追い出されても構わない……なんて、少しでも思ってたんじゃない? 少なくとも、私の手助けをしたことで自分が不利な状況に置かれる可能性を考えないような二人じゃないよね」
トリニティの政治情勢が不安定なのは今更言うまでもない。それこそナギサやセイアが散々述べてきたことだ。ティーパーティーの権力が以前よりも絶対性を失ってしまった今、ミカの手助けをすることがどれほどの政治的リスクを孕むものであるか。
昔のミカならば気付かなかったか、気付いても気にしなかっただろう。その衝動性こそが彼女の持つ本質なのだから。
「君は、変わったな」
「全然変わってないよ。むしろ、変わったなんて言うならそれこそセイアちゃんの方だよ。今日の話し方、私にわざわざ気を遣ってくれてたんでしょ? 普段ならもっと小難しい言葉に回りくどい話し方ばかり使うのにさ」
「……その事実に気付いたことこそが君の変化であり、私はそれを好ましく受け止めているよ。それはそれとして、ずけずけと物を言う君の癖はいい加減直すべきだがね」
セイアはそれだけ言って、ナギサの方に目配せする。
「……わかりました。必ずや、セイアさんと一緒にシャーレを訪問します。そしてミカさんがトリニティに戻ってくるその日まで、ティーパーティーとして微力を尽くすと誓います」
「あはは☆ 簡単に言うけどさ、ナギちゃんはそれがどんなに大変なことなのかわかってる?」
「当然です。ミカさんとは違い、私は政治力でティーパーティーの席に座っていますから」
「え、今は私の悪口を言う流れじゃなかったよね!?」
それがナギサの照れ隠しであることは彼女の表情を見れば明らかだった。それに気付いていてもミカは反論の声を上げるし、セイアはその様子を見守っている。
トリニティの長たるティーパーティーも、こうしてじゃれあっている間は普通の生徒と何も変わらない。こうしてじゃれあっている間しか、彼女たちは純粋な子供でいられない。
三人とも、それを身に沁みて理解していたから。
「さて、と。そろそろ行かなきゃ、私がティーパーティーじゃなくなっちゃうかな」
「……ええ、そうですね」
「もう、やだなぁナギちゃん。そんな『もう二度と会えない』みたいな顔しないでよ。シャーレまで遊びに来てくれるんでしょ?」
「勿論です。約束ですからね」
「うん、約束ね。セイアちゃんも、色々ありがとう」
「その感謝は……いや、素直に受け取ろう。こちらこそありがとう、ミカ。先生によろしく」
その言葉を聞き届けて、ミカは憑き物が落ちたような笑顔で送迎車に乗り込んだ。静かにドアを閉めて、座り慣れたシートに身体を預ける。
「それじゃあ、このまま出発するっすよ」
「うん、お願い。シャーレまでよろしくね、イチカちゃん」
運転席のイチカからかけられた声にそう返事して、ミカは瞳を閉じた。数秒もしないうちにゆっくりと車が動き出す。
もしかすれば、車の外では二人が律義に見送ってくれているかもしれない。それでもミカは、窓の外の景色を見る気にはどうしてもなれなかった。
「……ナギちゃん、やっぱり向いてないよ」
小さな独り言が口から漏れる。
ナギサは自分の政治力に自信があるのだろうし、それはミカも認めるところだ。だとしても、友人を傷つけまいと嘘を吐くその姿は……やはり、幼馴染の優しい少女でしかなかった。
先刻セイアに教えてもらったことを、ミカは間違いなく覚えている。こうして自分がシャーレに向かっている以上、トリニティの生徒としてこの場所に戻ってくることはまず有り得ないのだ。
もう二度と帰ってこれないであろう、トリニティの景色。それを目に焼き付けるようなことはしたくなくて、聖園ミカは静かに瞳を閉じた。
……閉じていた、のだが。
「ミカ様」
数十秒ほど車に揺られた頃合いに、ハンドルを握るイチカからの呼びかけ。
「様付けなんてもういいよ。私はティーパーティーどころかトリニティ生でもなくなる、ただの聖園ミカだから」
「それじゃあ、えーと……ミカさん。念のための確認なんすけど、シートベルトはちゃんと締めてるっすか?」
予期していなかった質問に思わずミカの瞳が開く。
「え? うん、勿論締めてるけど……」
「それは何よりっす。……ミカさん、これからしばらく我慢をお願いするっすよ。ちょっと荒っぽい運転になるっすから」
その発言の意味をミカが問いただすよりも先に、イチカがアクセルを深く踏み込んだ。さらにそこから間を置かず、後方から聞き慣れた破裂音が響く。
────銃声だ。わざわざ確認するまでもない。
「え、ちょっと、イチカちゃん!? なにこれ!?」
「情報がどこかから漏洩してたみたいっすね。案の定って感じっす」
イチカが動揺の様子もなくそう返している間にも、後方から放たれたのであろう銃弾が車のボディに弾かれる嫌な金属音が幾度か響く。ティーパーティーの専用車両だけあって、しっかりと防弾仕様の改修が施されてはいるのだが、ミラーで確認する限りでは二台か三台の装甲車が後を追ってきているように見えた。
いくら防弾改修がされているとはいえ、この車に装甲車と正面切って戦えるような耐久性も、装甲車を振り切る軽快な機動性もない。それをよく知っているミカは慌てふためく他なかったが、そんな彼女の様子を見たイチカは苦笑いで続ける。
「安心してほしいっす、ナギサ様とセイア様はこうなる可能性も想定してたっすよ」
「そ、想定してたって言っても……そんなことより、早く反撃しないと」
「ダメっす、ミカさん。今ここで反撃したら相手の思う壺っすよ。ミカさんがこの車に乗っている証拠を掴まれるのが一番不味いことっす」
そもそも私もミカさんもまともな武器の持ち合わせがないっすからね、とイチカは付け加える。確かにイチカの言う通り、今の彼女が携帯しているのは一丁の拳銃だけ。ミカに至っては完全に丸腰のままであるし、見たところ車内に何かしらの銃火器が用意されているわけでもない。
一見するとどうしようもないような状況だが、イチカには何か秘策があるようだった。運転席に備え付けられた無線機を手に取り、彼女はそのまま話し始める。
「ピクシーよりウィンダミア」
『ピクシーどうぞ』
「ポイント・ヴィクター現着まで30秒。“シェケルを鋳潰す”、どうぞ」
『“シェケルを鋳潰す”、ウィンダミア了解』
「以上、ピクシー」
端的なやりとりが終わり、通信はすぐに途切れた。交わされた言葉が何を意味するのかミカにはさっぱりわからなかったが、彼女にはその内容よりも気になることがあった。
「イチカちゃん。今喋ってた相手って、もしかしてハスミちゃん……」
ミカが聴いていた限り、無線越しにイチカが会話していたウィンダミアなる相手の声は、どう考えても正義実現委員会の副委員長である羽川ハスミのそれとしか思えなかったのだ。しかし、イチカはその疑問を根本から否定する。
「いいえ、ミカさん。私たちは誰とも話してなんかいないっす」
イチカが堂々とそう断言する間も、後方からの銃弾は止む様子を見せない。交差点でハンドルを大きく切りながら彼女は続ける。
「運転手だけが乗っていたティーパーティーの車両に、トリニティの要人も乗っているのだと勘違いした反体制勢力が攻撃を仕掛けた」
その語りを遮るように、一際大きくけたたましい発砲音が二度三度と鳴り響く。これまでの銃声と違ったのは、その音がミカたちの真横から発せられたということ。それらに次いで、幾つかの爆発音や衝撃音が深夜の閑静なメインストリートを揺らした。
ミカは反射的に窓の外へ視線を向けたが、そこにあるのはシャッターを下ろした建物の並びと真っ暗な路地裏のみ。……いいや、違う。そこには確かに誰かがいたのだ。
そうでなければ、暗闇の中に銃のスコープは光らないだろうから。
「そこに偶然居合わせた正義実現委員会の夜間当直要員が、一方的に攻撃を仕掛けている集団の制圧を行なった。おかげでティーパーティーの車両は何事もなくその場を離脱することができた。そういうことっす」
「……そういうこと、かぁ。うん、そういえば今日のイチカちゃんは正義実現委員じゃないんだっけ。偶然に救われちゃったって感じかな」
「そうなるっすね。そもそも、正義実現委員会で使われるコールサインはもっとシンプルっす。さっきは何か妙に洒落たコールサインが
「正義実現委員会の無線じゃない、ってことだね」
二人が些かどころではなく白々しい会話を繰り広げる間に、先程まで絶えず鳴っていた銃声はすっかり途切れ、ぴったりと後ろに追従してきていた装甲車との距離はあっという間に離れていく。正義実現委員会によるたったの一斉射で、追手の全てが破滅的な被害を被ったということか。しかしハスミのような実力者ならばともかく、一般委員は夜間の見回りで持つ程度の武器で装甲車を即座に無力化することなどできまい。
恐らく、対物狙撃銃や機関銃といった重武装を抱えた部隊による援護射撃が装甲車には浴びせられたはずだ。爆発物による足止めも当然あっただろう。偶然を主張するにはあまりにも準備されすぎた戦場だった。
正義実現委員会は、基本的には政治に興味のない集団である。即ちそれは政治に囚われず動けるというトリニティにおいて特筆すべき長所に繋がるが、一方であまりにも政治的すぎる案件には簡単に首を突っ込むことができなくなるという短所にもなっている。
そんな組織に頭を下げて、この偶然を作るための尽力がいかほどのものか。この偶然を準備するために、果たして親友はどれほどの借りを作ってしまったのか。
「重いなぁ、期待が」
誰にも聞こえないような囁き声が消えていく。ミカにとって幸いだったのは、その声がイチカにすら聞こえていなかったらしいことだ。彼女は相変わらずアクセルを踏み込んだままの体勢だったが、その顔からは幾分か険しさが消えていた。
「ミカさん、ここからはナギサ様から受けた事前の指示通りに走ることになるっす。トリニティ自治区を最短距離で抜けて、その後はゲヘナ自治区を避けつつ高速道路を大回りで飛ばすルートで、シャーレに着くのは早朝っすから、今のうちに寝ておいた方がいいと思うっす」
「ありがとう、じゃあそうさせてもらおうかな。……また銃撃戦になったりしたら起こしてね?」
「さ、流石にもうないと思うっすけどね……」
引きつった顔のイチカを尻目に、ミカは今度こそ瞳を閉じてシートに身体を預ける。
ティーパーティーのために誂えられた内装は快適で、車内でありながら屋根裏部屋のベッドよりもゆっくり眠れそうだった。イチカの運転技術が高く、揺れをほぼ感じさせないのもあるだろう。
数分もしないうちに、ミカの意識は夢の世界へと落ちていった。