幼いころから、周囲の人々は私を褒め称えてくれた。
私がどんなことをやっても、叱る声は何も聞こえてこなかった。私が欲しいと願ったものは全て与えられて、あるいは願う前から手元にあることも珍しくなかった。
別に欲しくもなかったけど、『貴女にこそ相応しい』なんて言われながら明るい未来を示されたから、誰が敷いたかもわからないレールの上に飛び乗った。気付けば、私はティーパーティーとしてトリニティ総合学園という名前の庭を見下ろしていた。
抑えきれない攻撃的な衝動を外に向ける、世間知らずな少女として存在することを私は求められてきた。周囲にそう望まれてきた。だから私はそれに応えて、そのように生きていた。それが私の全てだったから。
聖園ミカは『魔女』だと、誰かが言った。
誰かは『人殺し』だと言った。誰かは『邪悪』だと言った。誰かは『裏切り者』だと言った。私を断罪する声。どこまでも正しい声。私の犯した拭いようのない罪を自覚させ、私にそうあることを求める声。そうあることを望む声が聞こえた。
だから私はそれに応えて、そのように生きる。
愛される少女でありたい。救われるお姫様でありたい。けれど私は浅慮と身勝手で人殺しになって、そんな自分を誤魔化すため邪悪に染まり、全てを裏切った魔女。それでも慈悲がほしい。親友ともう一度笑い合いたい。それが私に許されるわけもないのに。……そうだ、私が許されないのならば、私と同じように正しい痛みを味わうべき者がいるはずだ。だから私は魔女として────
『ミカは魔女じゃないよ』
一度や二度の失敗で未来は閉ざされない、とその人は言った。私の未来には無限の可能性がある、とその人は言った。なんて甘美で、なんて残酷な言葉だろう。私にもまだ救われる道があるのだと言ってくれた。私はまだ死ぬことが許されないのだと言われてしまった。全てを終わらせるために、ここまで来たはずだったのに。
そうして私は、その人が言うところの『不良生徒』になった。なのに、魔女であることを私に望む声が頭の中でずっと反響している。わがままな少女だった私が消えないまま、未だに泣き叫ぶ声もどこからか聞こえてくる。誰か、本当の私を教えてほしい。私は何者になればいい? どんな私であることが正しい? ずっと、そう問い続けている。
……真実を与えてくれるような存在なんて、どこにもいないと知っているのに。
「…………」
自分が眠りから目覚めたことを間違いなく認識しつつも、ミカは瞳を開けようとしなかった。起床する意思よりも気怠さの方が優りすぎている。
ここ最近、ミカの睡眠は質が落ちるばかりだった。不眠症というわけではないのだが、とにかく眠りが浅い。それ故かはわからないが、寝ている間に見る夢もあまり心地良いものではないのだろうと彼女は推測していた。あくまで推測なのは、夢の内容を彼女自身が覚えていられないからだ。
ぶつける先のない不快な感情と、前日の疲労が抜けきらない身体。それでも知人にそんな素振りを見せるわけにはいかない。ましてや今日は朝一番でシャーレまで送ってもらい、先生と会うことになるのだから尚更だ。
「……あれ?」
ミカは奇妙なことに気付いた。いくらなんでも静かすぎるし、揺れなさすぎる。どれだけ専用送迎車が高級車両だからといって、どれだけイチカの運転技術が高いからといって、車が走っている最中にこうは行くまい。
倦怠感に逆らいながら、ミカは自分に覆い被さっていた掛け布団を横に除ける。……いや、そもそもなぜ掛け布団? 車の中にそんなものがあるはずないだろう。
やっとのことでミカが重い瞼を開きながら起き上がると、目の前に広がるのは殺風景で小さい部屋の光景だった。
「……えっと」
寝起きで頭は回らないが、少なくとも車の中ではないのは一目瞭然だ。ミカは一先ず部屋の中を確認しようとしたが、それより先にノックの音がドアから響く。
「ミカ、起きてる?」
部屋の外から優しくかけられたその声に、ミカの心臓は一瞬止まりかけた。
「せ、先生っ!?」
「あぁ、本当にもう起きてたんだね。着替えの服を持ってきたんだけれど……入っても?」
「……ちょ、ちょっと待って! 少しだけ待って!」
ミカは慌ててベッドから飛び上がり、懐から小さなハンドミラーを取り出す。服装はそのままだったが若干シワがついていたし、髪の毛もかなり跳ねてしまっていた。軽めのメイクがほぼ崩れていなかったのは不幸中の幸いだろう。どのみち短時間では直しようのない部分もあるが、やらないよりはずっとマシだ。
……というより、先生の来訪で一瞬頭から飛んでしまっていたが、そもそも一体全体ここはどこなのだろうか。先生がこうして訪ねてきているということを鑑みれば、恐らくその答えはシャーレのオフィスである可能性が高い。
そのどちらだったとしても、車の中で寝てしまった自分が目を覚まさなかったので、仕方なく先生とイチカがこの部屋に運んでくれたのだろう。しかしつまるところそれは、自分の寝顔を間違いなく先生にも見られているということであって。
普段は少しの物音でも目が覚めるほどに眠りが浅いのに、どうしてこんなときだけ。
だが、今更そんなことを言っても仕方ない。一度深く息を吸って、吐いて、いつも通りの自然体な振る舞いの聖園ミカを思い出す。
「……よしっ。もういいよ、先生☆」
「それじゃあ、入るよ」
そう言いながら先生が部屋のドアを開ける。
ミカよりほんの少しだけ高い背丈に、エアリーボブの淡いブラウンヘア。スカート部まで一体となったワンピース型の白い制服に、これまた白を基調としたコートは、連邦生徒会行政官の制服とほぼ同じものだ。その容姿の若々しさ故に、連邦生徒会在籍の生徒だと紹介されても初対面ではしばらく気付かないかもしれない。このキヴォトスにあって彼女を『シャーレの先生』たらしめるものはただひとつ、頭上にヘイローが浮かんでいないという事実だけだ。
そんな先生が、間違いなく目の前にいる。たったそれだけのことで、疲れきっていたミカの心は少しだけ活力を取り戻していた。
「……どうしたの? 私の顔に何か付いてるかな」
「あっ、ご、ごめんなさい! その、本当に先生だなぁって」
「うん、そうだね。私は私だよ」
くすりと笑いながらそう返す先生は、片手になにやら大きな紙袋を携えている。その中身こそ、先程彼女の述べていた着替えの服なのだろう。
「ミカが随分ぐっすり眠ってたものだから、少し心配してたんだよ。深夜からの行動で無理をさせてしまったと思うし」
「ううん、全然大丈夫! まあ、ちょっと眠かったのは確かだけどね。ところで先生、この部屋って……」
「シャーレの仮眠室だよ。無理に起こすのもどうかと思ったから、イチカに頼んでここまで運んでもらったんだ」
自らの予想がほぼ完璧に当たっていたことを把握して、ミカは内心で安堵していた。先生に寝顔を見られてしまったのは恥ずかしいことこの上ないが、今更それを言っても仕方ない。むしろ起こさずここまで運んでくれたイチカに感謝しなければならないところだろう。
「そういえば、イチカからの伝言があったんだった。『ミカさんの新生活を応援してるっすよ!』……って笑顔で言ってたよ」
「伝言って……イチカちゃん、もしかしてもう帰っちゃったの?」
「それはもう、完全にとんぼ返りだったよ。今から飛ばせば一限にギリギリ間に合うかも、ってね。安全運転で帰りなさいとは諭しておいたけれど」
「そうだったんだ。……今度、ちゃんとお礼を言いに行かなくちゃね」
「うん、それがいいと思う。イチカもきっと喜ぶだろうね」
そう言いながら先生は紙袋をベッドの脇に置き、椅子に座ってミカと向かい合った。
「さて、と……今回の件、ミカにとっては急な話だったと思うし、本来はミカ自身の意思を尊重すべきだった。ナギサやセイアまで巻き込んだ強引な手段になったことを、改めて謝らせてほしい。ごめんね」
「もー、やめてよ先生。サインするって決めたのは私なんだし、それにシャーレのお仕事にもすっごく興味あったから! ナギちゃんもセイアちゃんも詳しく教えてくれなかったけど、これから私は先生のお手伝いをすることになるんだよね?」
正確に言えば、ミカが興味を抱いている対象はシャーレの仕事ではなく、シャーレで仕事をこなす先生の姿であることは言うまでもない。とはいえ、『連邦捜査部シャーレ』と『シャーレの先生』がほぼイコールで繋がっている現状、ミカの認識はそこまでズレているというわけでもなかった。あくまで現状においては、の話だが。
「じゃあ、まずはそこから説明しようか。ちょっと退屈な話になるかもしれないけれど、大事なことだからね」
ミカから視線を外すことなく先生は言う。普段ならば大歓迎なのだが、髪のセットもメイクの決まり具合も微妙な今はあまり目を向けないでほしい、というのがミカの本音だった。
「事実の確認から始めるよ。ミカは昨日付でトリニティ総合学園を離れ、本日付でキヴォトス連邦生徒会へと転籍することになった。配置される部署は……強いて言うなら『連邦生徒会長預かり』の扱いになるかな。そしてミカが部活として所属するのが連邦捜査部、つまり私が顧問を務めるシャーレになる。ここまでは大丈夫?」
「うん、わかってるよ」
「じゃあ次に行こう。シャーレという組織がそもそもどういうものなのかについて、ミカはどのくらい理解してるかな」
「えーと……連邦生徒会長直属の組織で、だから今の連邦生徒会はシャーレに協力を求めることはできても指図することはできない。超法規的な権限を持っていて、連邦生徒会長がいない今なら割となんでもできる。でも先生はその権限を積極的に使おうとはしない。仕事の内容は落とし物探しから生徒の救済まで、先生はいつも多すぎる仕事に追われて忙しそう……って感じかな、私が知ってるのは」
「うん、百点だね。『落とし物探しから生徒の救済まで』というのは少し仰々しいけれども……」
「でも、救ってきたでしょ? 補習授業部もティーパーティーも、それからゲヘナとかアビドスとか、もちろんアリウスも。この前は行く場所の無くなったSRTの子たちまで助けてあげたって聞いたよ」
つらつらと学校の名前を挙げていくミカの姿に、先生も思わず目を丸くする。
「ミカがそこまで知ってるなんて、想像してなかったよ」
「他の学校でどんなことをやってたのかは最初から知ってたよ、補習授業部の担任として先生を呼ぶときに調べたから。SRTの話は……今の私でも噂が聞こえてくるくらい、先生とシャーレって有名になったからね」
その言葉を聞いた先生は少し困ったような顔を見せたが、ミカがそれに気付くことはなかった。
「そんなに知識があるならきっとわかると思うけれど、念のためにもうひとつだけ聞いておこうか。……今現在、シャーレにはどれだけの生徒が正式に所属してると思う?」
「んー……私の知る限り、
ミカの回答に軽く拍手をする先生。
「その通り。シャーレにはキヴォトスのあらゆる生徒を同意無しに加入させる権限があるけれど、今のところこの権限を正式な形で発動したことはないんだよね。データ上だけ臨時入部させて、生徒たちが在籍校の自治区外で戦闘する正当性を確保する……なんてことが何回かあったくらいかな」
「でも、シャーレに入り浸ってるような子も何人かいるって聞いたよ。そういう生徒はどう扱ってるの?」
「ちょっとした仕事の手伝いをしてくれた生徒には、そのたびバイト代を支払ってるよ。ともかくそういった生徒にしろ、臨時入部させた生徒にしろ、正式なシャーレ転籍にまで及んだことはこれまで一度もない。シャーレが形式上とはいえ連邦生徒会の部活動である以上、完全な形で生徒を入部させるには元の在籍校から学籍を移す必要があるからね」
今更言われるまでもなく当たり前の話である。生徒たちにはそれぞれの学生生活があるし、部活や生徒会を始めとする活動に参加していることも多い。いくらBDでの映像授業が場所を選ばないからといって、慣れた学校や周囲の友人たちから切り離し、生徒を強制的にシャーレまで連れてくるなどという行動を先生が理由無くするはずもない。
「実を言うと、とある事情で学校を追い出されかけたり、学校に通えなくなってしまった生徒たちが前にいてね。もしかすれば、彼女たちはシャーレの正式部員第一号になっていたかもしれない。結果的にはそうならなかったけれど……それで、結局何が言いたいのかというと」
先生はミカの顔を見ながら、あまりにもあっさりと口にした。
「つまるところ、ミカがシャーレ初の正式部員なんだよ。これは同時に、ミカがシャーレの部長になるということでもある。他に所属する生徒がいないわけだからね」