「……やっぱり、そうなんだ」
自分に用意されていた席がシャーレの部長だと聞かされても、ミカが動じることはなかった。確証があるわけではなかったが、シャーレに
しかしその事実は、ミカがその待遇を素直に受け入れることと決してイコールではない。
「でも先生、本当にいいの?」
「何か不安なことがあるのかな?」
にこやかに聞き返す先生とは対照的に、ミカの顔には感情らしい感情が浮かんでいなかった。
「シャーレの部長なんて、連邦生徒会の大半を鼻で笑えるような権限を握れるはず。私みたいな人間が権力を持てばどうなるのか……先生は知ってるでしょ?」
「そうだね。ミカのように純粋な正義を信念として動くことのできる生徒なら、シャーレの持つ権力を有意義に使えると思う。私はどうにも、権力を使うというのが下手というか……正直に言うと、本当に向いてないんだよね。だから、ミカにはとても期待してるんだよ」
予想だにしない先生の返答に、ミカの息が詰まる。
「今後、ミカが何か選択を間違えるようなことも、あるいはミカの正義が歪んでしまうこともあるかもしれない。でも、そうなったときにミカを諭すのはシャーレの顧問である私の役割だからね」
「……先生はそうやって私のことを信じてくれるかもしれないけど、他の人はどうかな。私がシャーレの部長になったら、先生の評判もシャーレの名声も一気に落ち込むよ」
ミカの瞳に影が落ちていく。それでも出来る限りの明るい自分を演出しようと、彼女は必死に声のトーンを引き上げた。
「先生、やっぱりやめておかない? シャーレのお仕事が気になるのは本当だけど、私は……ほら、シャーレを代表できるような良い子じゃないし。私みたいな生徒を贔屓してるって他の子に思われたくないでしょ? 私もこれ以上先生に迷惑かけたくないしさ。部長として籍を置くよりも、保護観察処分とかの方が……」
「ミカ」
先生に名前を呼ばれて、ミカの言葉はぷつりと途切れる。
「こうやってミカのことをシャーレまで連れてきてもらったのは、私のわがままなんだよ」
「……わがまま?」
「ミカはトリニティで本当に頑張っていたし、よく耐えていた。きっとこれから新しい友達を見つけて、前を向いて歩いていけたと思う。それを理解していながら、私はミカの身柄をシャーレに置いて、自分の手が届く場所でミカの更生を見守りたいと考えたんだ」
大袈裟でわざとらしいジェスチャーを交えつつ、先生は続ける。
「だから私がミカを贔屓していると言われても、それは仕方のないことだよ。実際に特定の生徒に目を掛けてるのは事実なんだからね」
先生の言葉を静かに聞くミカだったが、その内心は複雑だった。
先生の優しさに甘えて、何度も迷惑をかけて、周囲から浮き続けている不良生徒。そんな自分を見捨てないでいてくれることが、ミカは純粋に嬉しかった。
しかしその一方で、先生は徹底してミカとの間に一線を引く。先生と生徒、大人と子供。そうした関係性を一歩でも越えようとする行動に対して先生はとにかく頑なだし、モモトークの会話もほとんど事務的で、どこか他人行儀なそれに終始していた。ミカの前に立つ先生は、いっそうんざりするくらいに『先生』を貫き通している。
先生は聖園ミカを好いてくれているわけではない……むしろどちらかと言えば、その存在を忌避しているということに彼女はすぐに気付いた。それでもこのまま何もせずに嫌われたままでいたくはなくて、あわよくばその視線をこちらに向けてほしくて、様々なアピールでなんとか気を引けないか試してきた。
その試行錯誤がますます自分を面倒な女にしてしまって、距離を置かれる原因になっていそうなことからは目を背け続けて。
「だから、贔屓だと言われるかもしれないことは最初から……ミカ、聞こえてる? 大丈夫?」
そう問いかけながら、先生が顔を覗きこんでくる。
「先生。私さ、どうしてもわからないことがあるんだよね。聞いてもいい?」
「勿論だよ。どんなことでも聞いてほしいな」
先生に肯定の意を示されても、ミカはすぐに口を開かなかった。否、開けなかった。今から言葉にする疑問を先生に直接ぶつけるのはあまりにも愚かだと理解していたし、その行為が決定的な過ちである可能性を自分で否定できなかったのだ。
「……やっぱりなんでもない。ごめんね、話を遮っちゃって」
ギリギリのところで踏みとどまれた自分のことをミカは内心で褒め称えた。そうだ、聞かないのが正解だ。結果として思わせぶりな言動になってしまったのはマイナスだが、そのくらいは今更どうということもない。
そう信じて顔を上げたミカの視界に映ったのは、悩み顔をした先生の姿。
「……先生?」
ミカの声に先生は応えず、腕を組み目を閉じたまま表情を変えない。その居心地の悪い沈黙が破られたのは、先生による実に数十秒もの熟考の末だった。
「ミカ。私はね、これからミカに隠し事はしないと決めたよ」
先生の唐突な宣言に、ミカはただぽかんと口を開けることしかできなかった。そんな彼女を見てか、先生は苦笑しながら話し出す。
「本題の前に、ちょっとだけ自分語りをさせてほしい。いいかな?」
なんでもないような口調でそう言った先生だったが、ミカにはこれが今まで以上に真面目な話なのだとすぐに察せられた。無言でじっと耳を傾ける。
「私が考えるに、『先生』の仕事……つまり大人の仕事とは、子供が背負いきれない責務を負うことに他ならない。生徒の自主性による意思決定と行動こそが第一であって、私はそれを陰ながら支えて、無理が出てきたら助太刀して、それでもダメだったら最後は大人として払うべき代償を払う。先生としての私の在り方は、そういう形が良いと信じてるんだ」
確かに先生のスタンスはその言葉の通りだ。シャーレ顧問として各校の問題に介入するとき、あくまで生徒が主役だという姿勢を先生が崩してこなかったことはミカも知っていた。
「だから生徒たちが何か大きな問題にぶつかったときにも、私は最初から正解を示すことはしてこなかった。それは確かに一番早くて確実な手段かもしれない。けれどもそこには子供の自由意思がないし、それが積み重なれば子供はやがて自分で考えることをしなくなっていく。悪い大人が捩れた思想を押し付けて、子供がそれを受け容れることしかできなくなった結果がどういうものになるのか……ミカもよく知ってるはずだよね。そうなることは避けないといけない」
きっとアリウスのことを言っているのだろう、というのはすぐに理解できた。それでも直接その名前を出そうとしないのは先生らしい。
「生徒の自主性こそが第一。その考えを曲げる気はないけれど、それだけで助けることのできない生徒がいるなら、私はその子のために違う方法を用意するべきだと思うんだ。例えば、ミカのような子のためにね」
「……私に自主性がないって言いたいわけじゃないよね、先生は」
自分のような生徒に自主性を持たせておくと、ろくなことにならないという話ではないのか。ミカ自身はそう確信していたが、彼女がそういった結論に至ることも先生は予想済みだった。
「さっきも言ったはずだよ、ミカ。私はミカの持つ純粋な正義の信念を信頼してるし、それに期待してるんだ。……ミカは自分のことを指して頭が良くないと言うけれど、私は決してそんなことはないと思う」
先生はゆっくりと語りかける。
「ミカはむしろ頭の回転がすごく速いし、知識もしっかり人並みかそれ以上にある。だからミカ自身がそれを望めば、物事の裏側に隠された意図を読み取ったりすることもできる」
先生の言葉で自分の頬が少し火照ったことを自覚して、ミカの脳内は羞恥心で急速に満たされていった。ほんのちょっと褒められただけでこれだ。我ながらお花畑にも程がある。
「ただ、最近のミカには……どうしても思考がネガティブに偏りすぎる癖がある。それからミカはちょっと思い込みが激しくて、それが思考の速さと合わさって悪い方向に進むこともあるよね。だから今も、ついさっきも、ミカにとって辛い想像ばかりが頭に浮かんでしまう。違うかな?」
その指摘の全てが図星でしかなくて、どこか浮かれていたミカの感情はすっと醒めていく。どうしても嫌な考えが纏わりついて、数少ない友人たちや先生の言葉すら信じられなくなってしまうあの感覚。自分のような人間には、心配されるような価値なんてない。信頼されるような価値もない。愛されるような価値なんてありはしない。
なのに、あの不器用で旧い幼馴染が。あの無遠慮で新しい親友が。聖園ミカをまるで価値ある存在のように扱うから、その矛盾に苦しんでいる。そのうえ、こんなはずじゃなかったと嘆く自分が未だ頭の片隅に居座っている。私は愛される
「……私がネガティブって、先生は本当にそう思ってるの? あんまり自覚はないかなぁ。あ、もちろんこれまでやったことは反省してるけどね? そういう意味だと、今までよりは慎重でネガティブな考え方をするようにはなったのかもね」
深く考えずに言葉を並べて、先生に笑顔を向ける。今の私はちゃんと笑えているだろうか。……これで先生は安心してくれるだろうか。
きっと、しないんだろうね。
「……いつか」
先生は小さな声で、しかし確かに届く声で言う。
「いつか、ミカが話してもいいと思える日が来たら。隠し事をしなくてもいいと思える日が来たら、そのときに教えてほしい。今聞いたことだけじゃない、いつか話せなかったこと、話すまでもないと思ったこと、なんだっていい。でも、ミカの隠し事を教えてほしいと一方的に言うだけじゃフェアから程遠い。だから私もミカに隠し事をするのはやめる。さっきの発言はそういう決意の表明だと受け取ってもらいたいな」
「……ずるいね、先生。その言い方」
「良くない大人の駆け引きになってる自覚はあるよ。けれども、こういう方法が今のミカには必要だと思うんだ」
……ああ、もう。この人は本当に。
「救えないなぁ、先生は」