序章 第1幕
ヒトから零れ落ちた悪意の集合、『マガツヒ』――。
太古の昔から、ヒトを脅かし続けてきたマガツヒとの飽くなき戦いは熾烈を極め、今より千年前、ヒトは滅亡の危機に瀕していた。
だが、そんな中……一人のヒトがマガツヒに対抗しうる術を確立した。
その名は、安倍晴明。彼は『アヤカシ』と呼ばれるヒトならざる者たちを、『式神』として味方につけ、戦ったのだった。
そして、晴明の死後……
彼を始祖とし、式神と共にマガツヒを討つ者たちは『陰陽師』と呼ばれるようになる。
ヒトの世を守る存在、陰陽師。
その一人である
月曜日。それは一週間の内で最も憂鬱な始まりの日。
大多数の者が、これからの一週間に溜息を吐き、前日までの天国を想うことだろう。
「ふあ……」
それは、
そんな那岐の直ぐ側に腰を下ろす人物が一人。年齢の割にはまだあどけなさが残る顔立ちをした男子生徒の名前は、藤原日景。那岐と日景、この二人は中学生の頃からの付き合いだ。
「大丈夫か」
「うん。でも、ちょっと眠たいかな? 16章を書き上げるのに徹夜したから」
那岐は趣味を人生の中心に置くことに躊躇いがない。那岐の両親もそういう人生を送ってきた人間であり、彼女自身も『旅』という趣味を人生の中心に置いている。その証左こそが、彼女の連載する『あやかしランブル!』という漫画作品だ。
幼い頃から少女漫画家である母の作業現場で腕を磨いてきた彼女の技量は、何と連載の一つを許されるほどなのである。
物語の佳境。連載当初からラスボスと目されていた禍の王と、陰陽寮に所属する陰陽師である主人公とその式神たちの最後の戦いが描かれる第16章。『集う願いの物語』と題された第二部最終章を完結させるために那岐は徹夜をした。
この漫画は日景も読んでおり、続きを読めるのはありがたいのだが、もう少し生活を大事にしてほしいとも考えてしまう。
「二人とも、おはよう!」
談笑する二人のもとへニコニコと微笑みながら歩み寄る女子生徒が一人。
彼女の名は
腰まで届く長く艷やかな濡羽色の髪、少し垂れ気味の大きな瞳はひどく優しげだ。スッと通った鼻梁に小振りの鼻、そして薄い桜色の唇が完璧な配置で並んでいる。
微笑みの絶えない彼女は、非常に面倒見がよく責任感が強いため学年を問わずよく頼られる。それを嫌な顔一つせず真摯に受け止めるのだから高校生とは思えない懐の深さだ。
白く透き通った髪と青い瞳の神秘的な雰囲気を持った那岐と、もう一人、この学校の三大女神全員と友好関係にある日景は当然の如く、男子生徒の大半から嫉妬の対象となっている。
中でも特に強い敵意を向けるのは
華奢なように見えて意外と筋肉が付いている日景は、根の善良さもあり力仕事などを自分からよく引き受けており、女子生徒から人気のある男子生徒の一人に数えられている。コミュ力の高さも彼の人気を後押しする要因の一つだろう。
その日景に醜い嫉妬心を向ける彼らが女子生徒に快く思われるはずもなく、無関心ならまだいい方で、あからさまに侮蔑の表情を向ける者もいるほどだった。
「ああ、おはよう」
「おはよう! 香織ちゃん!」
すわっ、これが殺気か!? と言いたくなるような眼光に晒されながらも、何事もないかのように挨拶を返す日景。入学当初こそ頬を引き攣らせていたものの、こうも毎日のように殺気を孕んだ視線を向けられていれば、流石に慣れてくるというものだ。
そもそも、本物の殺意を知る日景からすれば、男子生徒の向けてくる敵意や悪意など文字通りの児戯にも等しいものであり、多少居心地が悪くともそこまで気にするようなものではない。
「那岐、それに日景君もおはよう。毎日大変ね」
三大女神最後の一人、苦笑気味に朝の挨拶をした女子生徒の名前は
ポニーテールに纏めた長い黒髪がトレードマーク。切れ長の目は鋭く、しかしその奥には柔らかさも感じられるため、冷たいというよりはカッコイイという印象を抱かせる。
百七十二センチという女子にしては高い身長と引き締まった体、凛とした雰囲気は古くからこの国に伝わる侍を彷彿とさせる。
事実、彼女の実家は八重樫流という剣術道場を営んでおり、雫自身、小学生の頃から剣道の大会で負けなしという猛者である。美少女剣士として雑誌の取材を受けることもしばしばあり、熱狂的なファンがいることを日景たちも知っている。学校でも後輩の女子生徒から熱を孕んだ瞳で『お姉さま』と慕われて頬を引き攣らせている光景がよく目撃されている。
「三人共、そろそろ朝礼の時間だよ。自分の席に着いたほうがよくないかい?」
次に、自分の席に着くように促したのが天之河光輝。如何にも勇者らしい名前をした彼は、容姿端麗、成績優秀、文武両道の完璧超人だ。
サラサラの茶髪と優しげな瞳、百八十センチほどの高身長に細身ながら筋肉の付いた体。誰にでも優しく、正義感も強い光輝に惚れている女子生徒はダース単位で存在しており、月に二回以上は学校に関係なく告白を受けるという筋金入りのモテ男だ。
雫と幼馴染の彼は小学生の頃から八重樫流に通う門下生であり、全国クラスの猛者である。
「よ、日景。今日も一緒に走り込みに行こうぜ」
最後に、日景に声を掛けた男子生徒の名前は
龍太郎は努力とか熱血とかそういうのが大好きな性格をしており、体力を鍛えるためよく放課後に日景と一緒に走り込みをしている。
「悪い、龍太郎。今日は先約があるから走り込みにはいけない」
「そいつは残念だなぁ」
本当に残念そうな表情をする龍太郎に、那岐は申し訳無さそうに眉尻を下げる。
「ごめんね、一緒に遊びに行く約束をしてるんだ」
「気にすんな。こういうのは早い者勝ちだぜ」
二人の会話を盗み聞きしていた大介を筆頭とする男子生徒たちが、「テメェ、那岐ちゃんと一体何をするつもりなんだ? アァ!?」という言葉より明瞭な視線をグサグサと突き立てる。
その視線から逃れるように教室の時計に目を向けた日景は、光輝の言うように、もうすぐ始業時間であることに気が付いた。
「……本当に始業時間ギリギリだ。そろそろ自分の席に戻った方がいい」
「あ、ホントだ! 日景くん、また休み時間にお喋りしようね」
「分かった」
そうこうしている内に始業時間となり教室の中に教師が入ってきた。教室の空気の異変には触れず何事もないように朝の連絡事項を伝える。そして、当然のように一時限目が開始された。
四時間目。社会科の授業を終えた日景は鞄の中から幾つかのおにぎりを取り出した。何となしに教室を見渡すと購買組が飛び出したことで随分と人数が減っている。
それでも日景の所属するクラスは弁当組が多いので三分の二くらいの生徒が残っており、それに加えて四時間目の授業をしていた社会科担当である
「日景! お昼御飯、一緒に食べようよ」
自分の机を向かい合わせにすると、那岐は鞄の中から大きな弁当箱を取り出す。見るからに彼女一人のお腹に入る量ではない弁当箱を目にした日景は、「……流石は陰陽寮の裏方総長」と呆れとも感心ともつかない微妙な表情をしてしまう。
調理、洗濯、掃除、裁縫……諸々の裏方業務全てで免許皆伝を認められた那岐の腕前は伊達ではない。弁当箱の中には美味しそうな料理がズラリと並んでいる。
「わぁ! 美味しそう! ねね、那岐ちゃん。お弁当、私も一緒に食べていいかな?」
「うん、もちろん!」
更に、二人の席にニコニコと寄ってきた香織が机の上にお弁当を広げる。南瓜の煮付などの和風料理が殆どを占める那岐に対して、彼女の弁当箱の中身は卵焼きや唐揚げなどの定番のオカズが並んでいる。和と洋、多種多様な料理の並ぶ光景は学校の昼食とは思えないものだ。
「二人とも、本当にすごいな。自分はおにぎりを用意するので精一杯なのだが……」
この学校に通う上で一人暮らしをしている日景は自分で三食用意しているのだが、朝御飯は目玉焼きやウインナーなどの簡単な料理、その余りをおにぎりにすることで学校の弁当に流用、晩御飯に一品、しっかりとした料理を作るといった食生活を送っている。
それ故に、炊事の大変さは日景自身もよく理解しており、これほどの弁当を毎日用意している二人には尊敬の念を抱かずにはいられない。
「ふふっ、もう慣れたからね」
「本当に那岐ちゃんは女子力が高いなぁ。私も見習わないと……!」
再び不穏な空気が教室を満たしていく中、その空気を祓い清めるように二人の少女はキラキラとした表情を見せる。そして、その表情を向けられる日景に対する圧力も刻一刻と増していく。
食べにくいと思いながらもおにぎりを食べていると二人の男子が寄ってきた。光輝と龍太郎だ。
「二人共。こっちで一緒に食べよう。藤原はおにぎりで十分みたいだしさ。せっかくの二人の美味しい料理を片手間に食べるなんて俺が許さないよ?」
爽やかに笑いながら気障なセリフを吐く光輝にキョトンとする香織。少々鈍感……というよりも天然が入っている彼女には、光輝のイケメンスマイルもセリフも効果がないようだ。
「え? なんで、光輝くんの許しがいるの?」
素で聞き返す香織に思わず雫が「ブフッ」と吹き出した。光輝は困ったように笑いながらあれこれ話しているが、馬耳東風、彼の言葉の数々が香織に届くことはなかった。
結局、学校一有名な六人が集まることになり、そのまま昼御飯を食べることにした……その時。
「……!?」
日景の目の前、光輝の足元に白銀に光り輝く円環と幾何学模様が現れた。
その異常事態には直ぐに周りの生徒達も気が付いた。全員が金縛りにでもあったかのように輝く紋様、俗に言う魔法陣らしきものを注視する。
その魔法陣は徐々に輝きを増していき、一気に教室全体を満たすほどの大きさに拡大した。
「皆! 教室から出て!」
自らの足元まで異常が迫ってきたことでようやく硬直が解け悲鳴を上げる生徒たち。未だ教室にいた愛子先生が咄嗟に叫んだのと、魔法陣の輝きが爆発したようにカッと光ったのは同時だった。
数秒か、数分か、光によって真っ白に塗り潰された教室が再び色を取り戻した時、そこには既に誰もいなかった。蹴倒された椅子に、食べかけのまま開かれた弁当、散乱するペットボトル、教室の備品はそのままにそこにいた人間だけが姿を消していた。
「さすが日景くん……相変わらずトラブルに愛されていますね」
生徒たちの消えた教室の中に、影が一つ。ヒトの形をした影が生き物のように蠢いた。
「まずは、この事態を知らせないといけないですね」
虚空に穴が開く。影の中から飛び出した黒狐は、その穴の中に自らの身を投じた。今度こそヒトの姿が消えた教室の中に、騒ぎを聞きつけた隣の教室の教師が駆けつける。
この事件は、白昼の高校で起きた集団神隠し事件として大いに世間を騒がせるのだが、それはまた別の話。