今は昔、陰陽師の総本山である『陰陽寮』にて二人の少女が講義を行っていた。教師役を務めている二本の大きな尻尾を持つ妖狐族の少女の名前はイズナ。事務や雑用、豊富な知識で陰陽師を支える補佐役のイズナは、仕事の一環として同じ陰陽師に付き従う式神に勉学を教えていた。
その式神の名前はアスカ。腰帯に二振りの刀を差した彼女は犬神のアヤカシであり、主である陰陽師とは見習い時代から契約を結んでいる。
「陰陽術の歴史っスか? うーん、見習いの時の授業でやったような気はするっスけど……何にも覚えてないっス! 時の流れは恐ろしいっスね!」
満面の笑みで告げられた言葉に、教壇に立つイズナは呆れたような顔をする。
「まるで『最初は覚えていた』かのように言いおってからに……。どうせお主のことだから、授業は寝ておったとかだろう?」
「えへへ……面目ないっス。でも、最初に晴明様が作ってから1000年経ってるし、今の陰陽術は相当強くなってるんでしょ?」
安倍晴明が陰陽術を発明してから1000年もの年月が過ぎている。100年もあれば、常識が一変するほどの進歩を遂げるのがヒトという存在だ。陰陽術もまた大きく進歩しているのだろうというアスカの考えはおかしいものではない。
「実はそうではない。陰陽術で何ができるか、どの程度の力を出せるか、それは安倍晴明の頃とほぼ同じなのだ」
「え? じゃあ何も変わってないってことっスか?」
「いや、そんなことはない。この1000年で変化はしてきた。但し、それは威力を高めるのではなく、普遍化の方向でだ」
「ふへ? 何が変なんスか?」
「『ふ・へ・ん』だ! この場合は、『誰にでも使える』くらいの意味だな。陰陽術の歴史は普遍化の歴史と言っても過言ではない」
普遍とは、全体に広く行き渡ること。例外なく全てのものに当てはまることを意味する。専門技術であった陰陽術を多くの者が扱える一般技術に落とし込むために、陰陽寮は、その長い歴史の大半を費やしてきた。
「最初期の陰陽術は精度は高かったが、使いこなせる者が殆どいなくてな。今よりも輪をかけて陰陽師の数は少なかった。だから晴明は、陰陽術を開発した当初から、より多くの者に使えるよう、いかに扱いやすくなるかを念頭に置いていたそうだ」
「あー! なるほど! それが『ふへんか』ってヤツなんスね! でも、晴明様が最初から考えてたことなんスよね? 『歴史』ってことは……晴明様はやらなかったんスか?」
「ああ。何せ、その実現を待たずして、災厄でこの世を去ったからな」
その昔、神々がこの世界を創り上げた時より、人々は人間の負の感情より生まれるマガツヒという異形の存在に脅かされていた。しかし、安倍晴明が陰陽術を生み出したことにより、人々はこの脅威を克服していった。
その流れを阻むように発生した災厄の名を『マガツヒの王』という。王の力は凄まじく、晴明は人々を守るために自らの命を犠牲にして王を封印し、帰らぬ人となったとされている。
「まあ、元が零から創り上げた理論だ。一代でこれほどの体系を確立しただけでも破格の業績。その改良にまで力及ばなかったのも無理はあるまい。おまけに、災厄で陰陽寮は殆ど全壊だ。研究の要である晴明を欠いた上、資料の殆どを失ってしまったというわけだ」
「ええ!? それじゃ研究とか無理じゃないっスか!?」
「ああ、そうだな。葛の葉が技術を伝えはしたものの、研究は暗礁に乗り上げたようだ」
イズナの口にした葛の葉とは陰陽寮の顧問を務める妖狐の名前だ。創設当時から陰陽寮に所属している葛の葉が技術を伝えたことで、この世から陰陽術が完全に喪失する事態は避けられたが、その寸前にまで行っていたのは紛れもない事実。
アスカの言う通り、そんな状況下で陰陽術の研究を進めることなど出来るはずがない。
「だがそれで終わりではない。陰陽寮の設立以来、開祖たる安倍晴明に並ぶような人物は現れていないが……常識外れの天才がいなくても、人間には別の力がある」
コテン、とアスカは首を傾げる。
「それはな、積み重ねだ」
見た目こそ幼い少女に見えるが、齢にして百を超えるイズナは、先達としてアスカに告げる。
「晴明は志を全うすることができなかった。だが、彼の志は陰陽寮に遺った。それならば、後人がやることは一つ。先達の遺志を継いで、出来る限りのことをする。その次もまた同じだ」
一歩、また一歩と陰陽師と陰陽術の歴史は続いていく。その一歩は亀の歩みかもしれないが、前に向けて着実に進んでいる。ならば、その先には必ず存在しているはずだ。
「確かに、晴明ほどの偉業を成しうる者は現れなかった。だが、幾人もの人々が、途方もない年月を積み重ねていけばどうだ? そうすれば、一人では決して届かないところにも、手が届くかもしれない。そう、かつて晴明が思い描いていたものに……」
生徒たちが訓練を開始した日から二週間が経過した。現在、日景と那岐は訓練の休憩時間を使って何人かの生徒と一緒に王立図書館にて調べ物をしている。机の上には『水属性魔法図鑑』、『雷属性魔法図鑑』、『ラットマンでも分かる魔法の使い方』などの本が置かれている。
何故、そんな本を読んでいるのか。それは、トータスの魔法技術を、日景と那岐の扱う陰陽術の形に落とし込むためだ。
この世界に於ける魔法は、体内の魔力を詠唱により魔法陣に注ぎ込み、魔法陣に組み込まれた式通りの魔法が発動するというプロセスを経る。魔力を直接操作することはできず、どのような効果の魔法を使うかによって正しく魔法陣を構築しなければならない。
そして、詠唱が長いほどに流し込める魔力の量は多くなり、魔法の威力や効果も上がっていく。
例えば、RPGなどで定番の”火球”を真っ直ぐに放つだけでも、一般に直径十センチほどの魔法陣が必要になる。基本は、属性・威力・射程・範囲・魔力吸収(体内から魔力を吸い取る)の式が必要で、それ以外は誘導性や持続時間などの付加価値が付く度に式を書き加える。
要するに、より複雑な魔法を使おうとすればするほど魔法陣自体も大きくなるということだ。
しかし、この原則にも例外がある。それが魔法適性だ。
魔法適性とは、簡単に言うと魔法陣に書き込む式を省略することのできる体質のことだ。先程の例ならば、火属性の適性があれば、式に属性を書き込む必要がなく、その分だけ魔法陣を小さくできる。この省略はイメージによって補完される。式を書き込む必要がない代わりに、詠唱時に火をイメージすることで発動する魔法に火属性を付加できるのだ。
大抵の人間は何らかの適性を持っているため、上記の直径十センチ以下が平均であるのだが、日景と那岐には魔法適性が全くないことから、基本五式に加え速度や弾道・拡散率・収束率など事細かに式を書き込む必要があった。
そのため、”火球”の魔法を行使するのにも直径二メートルほどの魔法陣を必要としてしまい、実戦では全く使える代物ではなかった。
「ありがとう。二人のおかげでこの符術を完成させることができた」
「ううん、気にしないで。わたしも勉強になったから」
「栞の言う通りだよ。むしろ、私たちの方が感謝したいくらいなんだからっ」
故に、日景と那岐は既存の魔法を陰陽術の型に嵌めることにした。それに協力してくれたのが天職『水術師』の
この符とは、陰陽術の一種である符術に用いる道具である。謂わば、陰陽術版の魔法陣のようなものだ。霊力を流し込むことで符に書き記した符術を行使できる。
「本当は、他の系統の符も作りたいところだが……」
「しゃあねぇよ。野村はまだしも、中野と斎藤は檜山のダチだからなぁ」
「檜山くん。日景が嫌いみたいだからね」
三人目の協力者――
ボクシングジムに通うのが趣味だった加奈の天職は『拳士』であり、先述の二人とは異なり魔法関係の座学は本人のステータスには直接関わらないのだが、友人二人の付き合いということで彼女も符術の開発に協力してくれた。
荒々しい男口調とは裏腹に、内面は友達思いで心優しいどこにでもいる普通の女の子だ。
栞と琴音以外にも各魔法に才能を有する生徒は存在している。天職『土術師』の
この内、信治と良樹は日景に強い敵愾心を抱いている檜山大介の友人であり、この二人から協力を得るのは絶望的だ。残り二人の男子生徒にも協力を拒否されており、唯一協力を取り付けられた奈々の氷属性以外の系統に関しては、日景と那岐が完全に自力で開発することになりそうだ。
「光属性の魔法は光輝くんが得意だけど……」
「……流石に、あれはないよね」
生徒たちの中で最も光属性魔法を得意とするのは光輝であり、当然、日景も光の符術を制作するために協力を求めたのだが、その際に光輝から返ってきた言葉は以下の通りだ。
「他の誰かを頼りにせずに藤原自身がもっと努力するべきだ。弱さを言い訳にしていては強く離れないだろう? 聞けば、訓練のない時は図書館で読書に耽っているそうじゃないか。俺なら少しでも強くなるために空いている時間も鍛錬に充てる。何時までも周りの優しさに甘えてばかりなのはどうかと思うよ。彼女たちだって君に構ってばかりはいられないんだから」
これには流石の日景も絶句した。光輝の目には、日景は鍛錬もせずに図書館に入り浸る不真面目な人間に写っているようだ。栞たちも抗議の声を上げたのだが、光輝は「え? ああ、ホント、君たちは優しいよな」と日景に気を遣ったと解釈していた。
光輝の唯一にして最大の欠点がこれだ。正義感が強い故に思い込みが激しい光輝は、自分の思考に疑問を抱かないという悪癖がある。それこそ、誰が何と言おうと無駄なほどに。そして、何より性質が悪いのは、その主張に正当性を覚えるほどの能力を光輝が身に付けていることだ。
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天之河光輝 17歳 男 レベル:10
天職:勇者
筋力:200
体力:200
耐性:200
敏捷:200
魔力:200
魔耐:200
技能:全属性適性・全属性耐性・物理耐性・複合魔法・剣術・剛力・縮地・先読・高速魔力回復・気配感知・魔力感知・限界突破・言語理解
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本来、ステータスをこの域にまで引き上げるには長い年月が必要となる。天職に恵まれた者が十年以上の厳しい鍛錬の末に辿り着くのがステータス値200の領域だ。しかし、光輝はその領域にたったの二週間で到達している。
この世界では努力の成果が目に見える形で表示される。だからこそ、知識面などの目に見えない努力に関しては日本以上に評価されにくい。
結果、訓練以外の時間を図書館で過ごす日景には、サボり魔のレッテルが貼られつつあった。
「だけど、これでサボり魔の汚名も返上だろ?」
「今日の訓練、楽しみにしてるからねっ!」
その時、偶然傍を通りかかった司書が物凄い形相で日景たちを睨みつける。どうやら、興奮のあまりに騒ぎ過ぎたようだ。日景たちが急いで謝罪すると、「次はねぇぞ、コラッ!」という無言の睨みと引き換えに何とか見逃してもらえた。
「はぁ~、びっくりした~」
「でも、今のはあたしたちが悪いからなぁ……」
「図書館ではお静かに、だからね」
「あっ! みんな、そろそろ訓練の時間だよ」
「へ? って、ホントだ!」
「早く借りてきた本を片付けないと!」
那岐の言葉で訓練の時間が迫っていることに気が付いた日景たちは、慌てて本を片付けると図書館の外に飛び出した。王宮までの道程は短く目と鼻の先ではあるが、その道程にも王都の喧騒が聞こえてくる。露天の店主の客引きや遊び回る子供たちの声、実に平和的で日常的だ。
このまま戦争が起きなければ、などと思いつつ、日景たちは訓練施設に向かうのだった。