女体化した、男だった頃の俺は神の残骸のように朽ちていく。   作:千佳のはんぺん

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0.2話『転変』

 下着。下着。下着。

 

 透明の綺麗な質感に水色やピンクなどの光が灯ったマネキンに装着された淡い色のブラとパンツ。

 以前までは近くを通ると何となく気まずくて目を伏せていたランジェリーショップなる所に、俺は母と共に足を運んでいた。

 

 

「か、母さん!」

「なに? 欲しいの決まった? ならサイズを計らないと」

「じゃなくて! あの、テキトーなのでいいよしまむらとかの! ここはちょっと、俺が居ちゃダメな場所だろ!?」

「なんで? 今貴方女の子じゃない」

「でっ、でも!」

「これとか似合いそうじゃな〜い? 伊緒ったら女の子になっても私に似てるし、似合う下着の傾向も私に似てると思うのよね〜」

「馬鹿じゃないの!? 服の上から宛てがうなぁ!!」

 

 

 母に手を後ろで組むように言われ、何着も下着を宛てがわれる。なんでもいいだろ、さっさとこんな場所から離れたい……!!

 

 

「うわっ、すっごい美人親子。芸能人……?」

「っ!? わ、分かった! それにするからもう終わりでいいよね!? お会計行こ!」

「一着だけだと後々また買い物来ないとでしょ。まずはこれで決まり、ね」

「テキトーでいいだろ本当に!! 単価高いじゃん店変えようよ〜!!」

「駄目よ〜。ちなみにこの後服も買いに行くから。ついでに明日は美容院に行って、その後にまた買い物行くからね〜」

「予定詰め込みすぎだよ! なんでそんな!?」

「高校は受かったんだから晴れてもうすぐ高校生じゃない? 高校生と言えば高校デビュー、つまり皆キラキラに自分を飾ってくるのよ! 我が子が周りの個性に潰されるだなんてあってはならないからね、退院明けのモジョモジョ伊緒ちゃんを絶世の美少女にしてみせるわ!」

「いいよぉ〜モジョモジョでもなんでも……」

 

 

 モジョモジョがなんなのか分からないが、絶世の美少女になんかなりたくない。普通でいいんだ普通で。目立ちたがりの母とは違うんだ、俺は平穏無事に日々を過ごせればそれだけで満足なのに……。

 

 

「じゃあ、好きなデザインも分かったという事で。すいませーん。この子のバストサイズ測りたいんですけど」

「ぎゃー!? 何言ってんのやめて!?」

 

 

 急に母が近くに居た店員さんに声をかけとんでもない事を言い始めた。流石にこれは叩かざるを得なかった。力が弱まっていてポコポコ殴りしか出来ず、母に「痛い痛い〜」と軽くあしらわれた。病み上がりじゃ力が全然出ないなぁ!!

 

 

「採寸ですね。コチラへどうぞ〜」

「結構です」

「結構じゃないでしょ。どのみち伊緒のサイズだと必要な事でしょ。結構あるみたいだし」

「うううぅぅぅ……やっぱり最悪だ女の体……」

 

 

 心底嫌だったが、母の頼みなので逆らう訳にも行かず。仕方なく渋々店員の後を着いて歩きカーテンで中を見れないようにしてあるフィッティングルームまで歩いてきた。

 

 

「どうぞ〜」

「えっ。あ、あの、一緒に入るんですか?」

「? はい。採寸なので……」

「あ、そ、そうですよね。ははっ」

 

 

 マジか。紐みたいな、柔らかいメジャーで測るのか、胸って。知らなかった……なんか、型みたいなやつに押し付けて1番合うやつでサイズを決めてるのかと思ってた。

 

 花柄の壁に、下着の宣伝ポスターやウェットティッシュなんかも置いてあって、鏡張りで。なんだか、今まで入ったことの無い未知の領域って感じがして心臓が跳ねる。

 

 

「上着は脱いでTシャツだけになってね」

「は、はぁ。わかりました」

 

 

 店員さんが持ち上げたカゴに先程買ってもらったカーディガンを入れ、下の男の体だった頃に着ていたTシャツのみの状態になる。

 

 男の頃より体は縮んでるから体型がぴっちりと出ることは無い。が、今の肉体で換算するとこの服は大分オーバーサイズで、上着を着て見た目を誤魔化さないと服に着られている子供にしか見えなくなるんだよな……。

 

 

「では行きますね〜」

「お、お願いします……」

 

 

 服を背中側に引っ張られ、洗濯バサミのようなもので留められる。今まで隠れていた膨らみが目視出来るようになって恥ずかしくなるが、店員さんは無反応だしそれが普通の事なら仕方ない。我慢、我慢。

 

 胸の形を探られると紐メジャーを胸の頂点に宛てがわれる。背中側まで引っ張られ、メジャーの数値を読んでいるのが分かった。

 

 

「ブラはしてないんですね。初めてのご来店ですか?」

「は、はい。まあ……」

「駄目ですよ〜ちゃんと着けなきゃ。お客様のサイズなら、付けていないと将来綺麗な形を保てなくなっちゃうかもしれませんからね」

「そうなんですか……?」

「そうですよ〜。羨ましいです。最近の子は発育が進んでますからね〜」

 

 

 あはは〜と笑いながらそんな事を言う店員さん。いい匂いするなあ、優しい匂いだ。花のような、ほんのり甘くて……。

 

 

「はい、測れましたよ〜」

「えっ、もうですか!?」

 

 

 店員のお姉さんの匂いでふわふわしていたらいつの間にか採寸は終わっていた。1分も経っていたか分からないくらい一瞬で終わったな……? お姉さんは紙に何かを書き、それを俺に渡してきた。

 

 

「アンダー……トップ?」

「アンダーは胸の下、丁度ここを一周させた大きさになりますね」

 

 

 お姉さんが俺の下乳の更に下の胴に指を添えた。胴囲、という事だろうか。

 

 

「という事はトップは、胸のテッペンから一周した感じの大きさ、ですか?」

「そう! そこから算出した数値がその人のバストサイズって事になります。お客様はトップが91、アンダーが73なので……ブラサイズはDの75になりますね」

「はあ。デカいんですか?」

「私から見たらとても大きいですよ! 羨ましいです!」

「それは、へこみますね……」

「え!? あっ、大きいのコンプレックスでしたか!? 申し訳ありません!」

「いや……」

 

 

 コンプレックス、というか。いや、コンプレックスで合ってはいるのかもしれない。心が男のこのままだから、自身の女性的な特徴を認識する度に軽く自己嫌悪に陥ってしまう。

 

 確かに、今まで見てきた中で、胸の大きなクラスメートと同じくらいの見た目の胸をしていると思ったが。そう身近に居たという記憶から鮮明に、女として見られた際の俺の姿が容易に想像出来てしまって、なんか気分が落ちてしまった。

 

 

「ごめんなさい、へこむってのはゲームのログボ貰うの今になって思い出してて。だから、採寸とは全く関係ないです」

「そうなんですか? よかったです……。では続いて、ウエストとヒップの方の測定にも移りましょう!」

「ウエストとヒップ……腰と尻っすか!? え、尻も測るんですか!」

「当然です! お客様に合ったショーツを選ぶためにもサイズを知るのは重要なので!」

「そ、そうですよねっ。ははっ、は、はぁ……」

 

 

 やっぱり気分が落ちた。今度は何を言い訳に誤魔化そうかな……。

 

 

「お、ま、た、せ〜!!」

「お〜二人ともおかえり。随分とご機嫌だな〜ママ」

「久しぶりに伊緒と二人で買い物したんだもんっ! ウキウキのルンルンよ〜」

「そうかそうか。で、どうした伊緒。今にも死にそうな顔してるじゃないか」

「二度と来たくない……女の体、もう嫌だ」

「何があったか深く聞かない方が良さそうだな」

 

 

 車に乗り込むと、父が俺にタピオカミルクティーを渡してくれた。いつの流行りだよ。どうせ近くのセブイレで見つけてきたのだろう。

 ありがとうと伝えると無言で首だけ振っていた。親父の照れ隠しってなんか気持ち悪いな。

 

 

「で? この後はどうするんだ? 薬局か?」

「そうね〜。あと、夕飯の買い物もしたいからイオンにも行きたいかな」

「了解。伊緒は?」

「え?」

 

 

 不意に話しかけられたから父とミラー越しに目を合わせる。

 

 

「買い物、着いてくるのか? お母さんの買い物は長いぞ?」

「そうね、先に家まで送りましょうか。生理用品も買っていくつもりだけど、伊緒にはまだ何も分からないと思うし」

「い、いや! 俺も着いてく!」

 

 

 つい、声を大きくしてそう言った。一年間、本当の意味で孤独だったのと、今まで以上に両親と関われている事で今まで我慢していた感情が反動で溢れてるのだと感じた。

 

 それに、両親の事がなくたって今家に帰ったら状況を把握していない俺の姉妹達が待ち受ける家に一人で戻るのは危険な気がする。不審者扱い、ないし侵入者扱いされて排除される可能性だってある。

 

 

「そうか。じゃあ軽く何か食べてくか。何がいい?」

「え、えーと……焼肉!!」

「晩御飯食えなくなるぞ……ママは?」

「焼肉!!」

「うーん似た者親子。よし、じゃああの二人には内緒で焼肉パーティーと洒落込むか!!」

「やったー! 流石パパの太っ腹ビールっ腹痩せろコノヤロ〜!!!」

「ママ。後半悪口だよママ。夫の心は繊細なんだよママ、ごめんね太くて」

 

 

 両親のコントのようなやり取りに、つい笑ってしまう。今まで、穂高なんかとセット扱いしてきた恨みから全然ロクに見てなかったけど、俺の親ってこんな感じの人達だったんだ。ひょうきん者というか、すごく気が合うんだろうな。

 

 

「それじゃ、腹パンパンになるまで食うぞー!」

「おー!」

「パパは何もしなくてもお腹パンパンだけど、おーっ!」

「ママ。もう腹枕してあげないよ?」

 

 

 

 

 日が落ち、時刻が20時に差し掛かった辺りで自宅であるアパートに帰ってきた。

 駐車場に車を停め、荷物を持って入口に鍵を差し込んで共用スペースに入り、エレベーターが来るのを待つ。

 

 

「こんばんは〜」

「あ、こんばんは!」

「家族三人で買い物ですか、仲良いですねぇ。っと、おや? そちらのお嬢さんは……?」

 

 

 俺達家族が住むアパートは結構規模がデカくて設備もしっかりしていて、一階の共用スペース横の管理人室には高頻度で管理人さんが鎮座している。

 

 昔からこのアパートに住んでいるから、俺の姿も当然管理人さんにずっと見られている訳だし、俺達家族の成長を見届けてきたから構成とかも頭の中に入っているだろう。

 

 俺の姿を見て、管理人さんは不思議そうな顔をしていた。俺の姉妹達のどちらかと比較しているのだろう。

 

 姉は歳が離れておりもう働いていて大人の顔付き体つきをしている。妹は今年で中一になるばかりだ。

 そして、今の俺の見た目は年相応の少女って感じがする。つまり、どっちに寄せて見たとしても、中一には流石に見えないし高三や大学生にも見えづらい微妙な感じなのだ。

 

 どちらとも上手く合致しないからクエスチョンマークを浮かべてる様子だった。姉でも妹でもなければ、今まで見た事ない三人目の女の子……? みたいな感じで思考しているのかもしれない。

 

 

「あー……この子はですね」

「どうも、お久しぶりです管理人さん。伊緒です」

「えぇ、伊緒くんかい!? 君、男の子じゃなかったかな!?」

「……えーと」

 

 

 なんて説明したらいいか分からず答えを出しあぐねていると、俺の心中をある程度察したのか管理人さんは「ま、色々あるよね人生」と強引な形で話題をあやふやなまま流してくれた。

 

 

「いやはや、伊緒く……じゃなく、ちゃんだね。伊緒ちゃんだったか〜。長谷川(はせがわ)さん家って三人姉妹だっけ? と疑問に思ってたけど、そっか。大きくなったねぇ」

「はは、まぁ」

「いや、すまんね呼び止めて! エレベーターも来た事だし、荷物運ぶの手伝おうか?」

「お気持ちだけで嬉しいです! そんなに重くはありませんし大丈夫ですよ!」

「わかりました。ま、気をつけて」

 

 

 管理人さんに会釈をし、エレベーターに乗り込む。

 

 三階に着き扉が開き、自分らの住む部屋まで歩く。父が先頭を歩いてドアまで着くと鍵を開け、母に家に入るよう促され、一年ぶりに我が家の敷居を跨いだ。

 

 

「た、ただいま〜」

「!? 伊緒だあああああぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 

 扉を開け玄関で靴を脱ごうとしたら、ドタドタとけたたましい音が鳴って奥のリビングの方からこちらに何者かが接近する音が響いた。

 

 電気をつけると、そこにはリクルートスーツを履いたままストッキングを中途半端に脱いだ姉が目の前に立っていた。

 

 

「伊緒おかえり一年ぶっ……誰!?」

「伊緒だよ。女の子になったの。言ったでしょ?」

「ええぇぇえあんなの本当だとは思わないよ!! え、伊緒なの!? なんで女の子になっちゃったの〜!!!」

 

 

 母の説明に納得のいっていない俺の姉、長谷川瞳美(ひとみ)が俺の肩を掴んでグワングワンと揺さぶってくる。酷い酒の匂いだ、相当飲んだな今日……。

 

 

「退院したばかりで伊緒も疲れてるんだから。ほら、買ったもの運ぶの手伝ってよお姉ちゃん」

「や! 私もお仕事頑張ったもん! 手伝いやー!」

「こりゃ酷い酔い方してるな……少しは酒を控えなさい。全く、誰に似たんだか」

「間違いなくパパ似ですよ……!」

 

 

 母が父の腹をペチンっと叩く。姉の方はと言うと、「やー!」と叫んでた割には俺の手から荷物を奪って「お姉ちゃんはねー。お姉ちゃんなのーっ!」と意味の分からない事を言いながらなんやかんやで手伝ってくれていた。

 

 手が空いたので両手にそれぞれ別の荷物を持っていた父から荷物を一つ奪ってやった。

 

 

陽日(ようか)は? 部屋にいるのか?」

「うんー、お友達と電話中だって! スプラトゥーンしながら!」

「そうか。ご飯が出来たら呼んできてくれ」

「やー! 伊緒が行ってきて!」

「伊緒は疲れてるし、荷物整理とか他にも色々やる事あるでしょ! お姉ちゃんなんだから少しくらい」

「お母さん! 今日のご飯何っ??」

「今日はすき焼き……にするつもりだったんだけど、諸事情によってカレーに変更しました」

「カレー!? やったー! 私お母さんの作るカレー大好き! ストゼロ飲もっ」

「自制しなさい」

「ぎゃー! 離してよお父さん! 伊緒ーっ、お酒お姉ちゃんに口移しでちょうだーい!!!」

「絶対嫌だ」

 

 

 ぎゃいのぎゃいの騒ぐ姉に父がプロレス技を仕掛け制圧する。俺がいない間もどうやらこの家族は相変わらず騒がしい様子だった。

 

 

 一年前までは、こんな騒がしい家族に鬱陶しいだとか、馬鹿みたいだとか、そんな事ばかり抱いて殆ど家に帰らない生活をしていた。

 俺ばかり我慢しているのに他の奴らだけずるい、のうのうと楽しそうに生きていて腹立たしい、そんな歪んだ感情を家族に向けていたのだ。

 

 今、こうして帰ってくると。相変わらず馬鹿やってるなって思ったが、それも全然悪くないと思えた。見ていて楽しいし、微笑ましい。

 変わらぬ日常がまだそこにあったことに、随分と心が救われてしまった。

 

 

「あ、そ、そうだ! 伊緒!」

「? なに、姉ちゃん」

 

 

 父に逆エビ固めを極められている姉が、悲鳴を上げながらもソファの上に指を差した。そこにはでかでかとしたミミズの這ったような文字で『伊緒くんおたんじょうびおめめめ〜!!』と書かれた紙と共に、なんか高級そうな包み紙で梱包された四角い物があった。

 

 

「なにこれ?」

「誕プレ兼退院祝い兼お姉ちゃんを助けてくれ代! 助けて! 体が真っ二つになっちゃう〜!!!」

「……うわ、すごい。これ、テレビでやってた店のチョコの盛り合わせじゃん」

 

 

 高級そうな包み紙は事実高級店の物であった。しかもその店は都会の、それこそ銀座とかにあるような上等な店としてテレビで取り上げられてて、芸能人でも顧客がいるみたいな感じで取り上げられているようなものを、なんでウチの飲んだくれの姉が……?

 

 

「なんだよその目〜!!! こんな日くらい背伸びして多めにお金使ってもいいでしょ〜? 最初、伊緒がもしかしたら助からないかもって話まで出てたんだよ?」

「あっ、こら瞳美!」

「パパもママも、私や陽日だって心配で心配で。それが、具合が良くなったっていいてさ。戻ってこれるまで時間はかかるって聞いたけど、それでもすっごく安心して、嬉しかった。見栄張って祝いたくもなる気持ち、伊緒ならわかるでしょ?」

「……ごめん」

「ああんごめんじゃないじゃーん!!!」「ごふぅっ!? こら、父を足蹴にするんじゃない!」

 

 

 父の顔面を高速で三発ほど蹴って吹き飛ばした姉がグネングネンにうねりながらこちらに近付き、俺のすぐ目の前に立ち塞がる。そして、手を伸ばしてきて何をするのかと思いきや、姉は俺の頭に手を置いて優しく撫でてきた。

 

 

「おかえり、伊緒。よく戻ってきたね、お姉ちゃん嬉しいぞ」

「……うん。ありがとう、姉ちゃん」

「まあ、女の子の姿になってるからあんまり実感湧かないけど。それもまたアリ!」

「なに、アリって」

「デヘヘ〜。ねぇ伊緒〜? なんか、中学に入ってから私と全然一緒にお風呂入ってくれなくなったよね〜?」

「!? お、俺、部屋で色々やることガッ」

 

 

 部屋に逃げ入ろうと思ったが撫でていた手でガッと頭を掴まれ動かなくなる。なんて事だ、頭骨が縮小したせいで鷲掴みされている。身長の有利もないし、精神的にも物理的にも姉に勝てなくなってしまった!

 

 

「おけけが生えた事を気にしてるのかな? それともお姉ちゃんで……むふふ。18禁な妄想しちゃうのかな? でも、女の子になったらそこら辺の心配なんて皆無だもんね! ねっ伊緒? ねーっ?」

「はっ、離せ! ケダモノォ! 離せぇ!!」

「いいじゃない姉と弟で水入らず……あっ、今は妹か! うふふ、姉妹水入らず、仲良く洗いっこしましょうよ」

「嫌だァ!!!」

「いい加減にしなさい……」

 

 

 姉の頭に父の手が落ちる。姉は「ちぇー」と言って、俺を解放した。

 

 

「瞳美は俺が止めておくから今はゆっくりしてなさい。あと、ご飯の前に陽日と会話を交わしておくと変な空気にならなくて済むから、それも一応頼むな」

「ん、んー……分かった。頑張ってみる」

 

 

 父は姉に「飲み比べ勝負でもするか!?」と勝負を吹っ掛け姉の無力化に成功すると、俺に手を振って散の合図を送った。

 

 ギシ、ギシ、と音を立てながら廊下を歩く。姉の部屋の前を通り俺の部屋の前、及びその正面に位置する妹の部屋の前に到着する。

 

 自分の部屋……に、入る前に、一言妹にただいまと言うべきなのだろうか。しかし、今のこの姿を見ても妹は俺だって気付かないだろうし、そもそも俺妹に好かれていないし……。

 

 そんな事を考えて立ち止まっていると、ガチャリと音がして、妹の部屋……ではなく、俺の部屋の扉が空いた。

 

 

「むぅ。いつになったら部屋に来るわけ。どうせリビングで皆話してんだ、私なんか無視し、て……」

「あ、どもー……」

「……だれ、ですか?」

「お兄ちゃんです」

「は?」

「お兄ちゃんです」

 

 

 パチパチ、と妹が目をパチクリさせる。思考停止、白黒した目でしばらく俺の顔を眺めた後、妹の口が小さく動いた。

 

 

「……確かに。少しだけ、お兄ちゃんっぽい」

「えっ、どこがだよ。明らかに別人だろ、今の俺の姿」

「んーん! よく見ると、雰囲気というか、表情がそっくり! パーツは違っても、なんか、なんとなくお兄ちゃんっぽい!」

「なんだそれ……俺じゃない別の誰かがここに来て同じ事言ってたら、その時も同じ事言ってたろうなお前」

「言わないよ! お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん!」

「お、おい?」

 

 

 今まで堪えてきた物が一気に崩壊したかのように、妹が俺に抱きついてきて胸にぐりぐりと顔を埋めてくる。

 

 

「よかった、よがっだああぁぁぁ生きてたあぁぁぁっ!! うぅっ、おがえりなざいいぃぃぃいっ!!」

「あ、あはは。うん、ただいま。ごめんな、心配かけて」

「じんぱいなんて時でないもんんんうぅぅっ!!」

「じゃあたった今これは何をしている絵面なんだろうね。お兄ちゃん分からないや」

 

 

 妹が泣き崩れる。しゃがんで、ちゃんと抱き寄せてやる。小さな頃にやったように、背中をトントンと優しく叩いて落ち着かせる。

 

 

「うっ、うぅっ。わだじ、お兄ちゃんが帰ってきたら、言いたい文句が沢山あったの!!」

「文句? なに、言ってごらん」

「昔は優しかったのに、中学生になってからお話してくれなくなったの、寂しかった!」

「……ごめんね」

 

 

 そうだな。中学生になってから、俺は家の事をおざなりにしすぎた。両親は当然、姉とも妹とも距離を置いて、出来るだけこの家族と関わらないようにしていた。

 

 幼い頃仲良くしていたのに、小学校高学年に上がってから俺に拒絶されて。妹視点では意味が分からなかったと思う。そりゃあ俺を嫌うはずだ、当たり前の話だった。

 

 

「あどねっ、まだ、あるのっ!!」

「うん、聞くよ」

「………………ねぇ、お兄ちゃん」

「うん」

「おっぱい大きすぎ。私への当てつけ?」

「……せめて俺側にキチンと非がある文句を言ってくれ?」

 

 

 好きでこんな身体になった訳じゃないんだから胸の事なんか言われても知った事ではない。というか、胸が育たないのは誰のせいでもないだろ。成長期に期待して待っていなさい。

 

 

「ていうかさ、陽日。なんで俺の部屋に居たんだ?」

「それはっ。……ああもうっ。バレちゃったし台無しか。いいや、驚かそうとしてたの!」

「それはサプライズ的な意味で?」

「そう! もう、台無し! ふんっ! これ!」

 

 

 妹は俺の部屋にドタドタと入り直すと、またもや包みに入った物を俺の胸にドンッと押し付けてきた。今日はよく物を貰う日だ、一生分のプレゼントを貰ったような気分になる。

 

 

「開けてもいい?」

「好きにすれば!」

「なんで怒ってるんだ……?」

「怒ってないよ! お兄ちゃんのバカ!」

 

 

 そう言うと妹は自分の部屋に戻……るかと思いきや一度立ち止まって俺の目の前で腕を広げるようジェスチャーしてきて。仕草で指図された通りに腕を広げる。

 

 

「……お兄ちゃん」

「ん、陽日。相変わらず甘えんぼなんだな」

「そんなんじゃないし。……生きててよかった」

「あぁ……改めて、ただいま」

「あら〜あらあらあら?」

「「っ!?」」

 

 

 姉の、瞳美の声がして慌てて陽日と離れる。ニヤニヤと笑いながら瞳美が俺と陽日の頭に手を置いてきた。

 

 

「伊緒が女の子になった事でブラコンの陽日ちゃんのメンタルが折れちゃわないか心配だったけど、姉妹になっても百合百合出来てるみたいで良かったよ〜!!」

「え、ブラコン?」

「何言ってんの瞳姉(ひとねえ)のバカバカバカ! 毎日お腹ゆるゆるの寝ゲロし放題の婚期逃し女ァ!」

「まだピチピチの23歳なんですけどぉ!? 最近お腹の調子いいし寝ゲロだってしてないし!! 伊緒っ、引いた目で見ないでぇ!」

「知らなかった……なんつうか、ちゃんとしろよ姉ちゃん。長女なんやし」

「あっ、一番効く諭され方しちゃった。三姉妹になって抱きしめ百合百合しようと思ったのに、お姉ちゃんいいやつ貰っちゃったなー……」

 

 

 陽日の毒舌を食らった瞳美がガックシ項垂れる。

 

 

「はあ、お姉ちゃん晩御飯のお手伝いしてくるもん。伊緒と陽日は二人で仲直りでも何でもしてるといいよーだ」

 

 

 肉や野菜を炒める音と香ばしさが部屋にまで届く。昼過ぎに焼肉を食ったが、一年間食事すら採れず点滴ばかりだったのだ。空腹にヨダレがどんどん口の中に充満する。

 

 

「なあ、陽日」

「なに? お兄ちゃん」

「この家で晩飯食うの、男だった頃も合わせて久しぶりだしさ。母さん達の手伝いをしてみたいんだ」

「すればいいじゃん?」

「……なんて言えばいいかわからん」

「は? はーはー、なるほどなるほど、なるほどねぇ〜」

 

 

 俺の意図に気付き納得したのか、陽日は立ち上がり俺に手を差し伸べてきた。手を取らずに普通に立ったらむくれられた。そんな顔されても、別に普通に立てるしな……。

 

 

「じゃ、一緒に手伝うって言いに行こっか。多分そんなにいっぱい人いたら邪魔だよ〜って言われるけど、私がうるさ〜い! って駄々こねればいいんでしょ?」

「駄々こねてとは言ってないんだが……」

「いいのいいの! それをお兄ちゃんがコラコラって注意して、改めてお願いするの! そういうの、すっごく兄妹っぽいじゃん!」

「兄妹っぽい……兄っぽいか? それ」

「うん! お兄ちゃんの見た目からはもう兄要素ゼロだけどね!」

「一言余計なんだよな。分かった、それで行こう」

 

 

 そう言うと、陽日は大分昔に見たっきりの、晴れやかな笑顔で「うんっ!」と元気よく返事した。

 

 結局その後、流石に家族五人全員で台所に立つのは邪魔になるということで台所には立たせてもらわなかったが。その代わり、俺と父と陽日の三人はダイニングテーブルでフルーツを切って更に並べる事で料理に参加する事が出来た。

 

 身体が変貌した後に家族の温かさに気付けた。

 皮肉な事だ。

 穂高に付き纏われて、振り回されるのは誤解だって不貞腐れて、家族にもその怒りの矛先を向けて自分から手放してたのに、今になってこの時間がずっと続けばいいと思うだなんて。

 

 

「……こんな姿になったのに、俺を伊緒として受け入れてくれて、ありがとうな」

 

 

 誰にともなく小さく呟くと、正面にいた父が「ん?」と目を向けてきた。なんでもない、と誤魔化して俯いて表情を隠した。

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