私は悩んでいた。
大学3年の夏、軽音楽に全てを捧げていた私の目の前に「進路」という一つの大きな壁が立ちはだかっていた。
私の父はアマチュアバンドのギタリストだった。
そんな父の背中を小さい頃から見てきた私は、かなり早い段階から音楽の沼にハマっていった。
父からもらったリッケンバッカーの620を手に、中学から今に至るまで音楽漬けの日々を過ごしてきた。
勿論、できるなら音楽を自分の仕事にしたい。その気持は強かった。
でも、母は「安定した暮らし」をしてほしいと私に説得し続けていた。
自分の思いと母の思いの間に板挟みにされた私は、とりあえず結論を先送りにし続けていた。
そして今に至る。
「はぁ…嫌になっちゃうなぁ…」
「葵?どうかした?」
「いや…何でもない。」
「最近ため息ばかり付いてるけど、本当に大丈夫なの?」
「んー大丈夫じゃないかも。」
「何か悩んでるなら話してよ。」
私はバンド仲間に悩みを話した。
「あー…なら寺田先輩にアドバイスしてもらったら?」
「寺田先輩かぁ…」
寺田先輩は、うちの大学の軽音サークルが誇る伝説の先輩だ。
軽音サークルからプロのバンドマンとして名を馳せた後、今は大ヒットを連発する凄腕プロデューサーになった凄い先輩なのだ。
手掛けたアーティストが例外なく売れっ子になっていくので、世の人々は寺田先輩の事を「小室哲哉の再来」と呼んでいるらしい。
勿論、そんな人が後押ししてくれれば私が夢を諦めずに続けることが容易にできるだろう。
ただ…寺田先輩は売れっ子であるが故にとんでもなく忙しいのは簡単に想像できた。
軽音サークルが演奏を披露する学祭や対バンには時間を縫って見に来てくれるのだが、何でもない平日に寺田先輩に遭遇できるとは到底思えなかった。
「良い案だとは思うけど、寺田先輩って神出鬼没だしすぐ会えないような気がするなぁ…」
「そうだよね…」
「でも助言は嬉しいよ。ありがとうね。」
結局、この日は練習に身が入らないままお開きとなった。
夕暮れ時、まだまだうだるような暑さの中下宿へと帰っていった。
下宿は、大学からそう遠くない所にある。この大学で機械工学の教授を務めている赤田健次の住居を間借りしている形だ。
「戻りました。」
「あ、お帰り~。暑かったでしょ?麦茶でも飲む?」
「すみません。頂きます。」
私を迎えてくれたのは1年先輩の梨華さんだ。赤田教授とは親子の関係で、宗教学科で神道を学ぶ傍ら部活ではソフトボールに打ち込んでいる。
「…ティーセットを片付けてますけど、誰か来たんですか?」
「そうね。父さんが昔ゼミで教えてたって人が来てたのよ。確か…寺田さん…とか言ってたかな?」
「寺田さん…もしかしてそれって寺田康さんじゃないですか?」
「え…何で分かったの?」
「実は…」
「なるほどね。あの人軽音サークルのOBだったんだ…父さんの研究分野と全然違う音楽プロデューサーだから何でかな?って思ってたけどそういうことなのね。」
「いやーまさか寺田先輩が下宿に来てるとは思わなかったなぁ…会って話したいこともあったんですけどね。」
「…もしよかったらその話、私にしてくれない?何か助けられるかもしれないからさ。」
梨華さんにそう促してもらえたので、私は今抱えている悩みを打ち明けることにした。
「…夢を追いかけるのか、諦めて普通の生活を選ぶか。…私もそんな悩みを持ってみたかったなぁ。」
「え…もしかして梨華さん…」
「そうよ。お母様から神楽巫女の後継者に指名されたのよ。」
「…」
梨華さんの実家である赤田神社には、赤田家の女性が1000年以上代々受け継いできた「神楽巫女」という役職が存在する。
梨華さんとお姉さん(今は卒業して下宿にはいない)のどちらかがこの役職を継ぐことが決まっていた。
どうやらこの問題に決着が付いたらしい。
「…正直、自分の夢を諦めなきゃいけない現実から目を背けたい部分があるわ。」
「そうですよね…」
「でも、決まっちゃったものは仕方ない。私はやらなきゃいけないことが出来たってだけだし…」
「…」
「葵ちゃんも、もしかしたらやらなきゃいけない事が今後出てくるかも知れないわけでしょ?」
「そうですね。」
「なら、諦めがつくまで…やりたいことをやれば良いんじゃないかしら?」
「…そうですね。やっぱり音楽をやろうと思います。」
こうして、私は夢を諦めない事を決断した。
とは言え、状況が変わったわけではない。
ここからどうするか…
「とりあえず父さんに話してみる?寺田さんに話をつけるならまず父さんに連絡を取ってもらったほうが良いだろうし…父さんなら今部屋にいると思うから。」
「そうですね。ありがとうございます。」
梨華さんの後押しを受け、私は赤田教授に相談すべく部屋へと向かった。
続く