「先生に…先生にミカさんを守ってほしいのです…!」
まだ太陽が顔を見せることのない午前5時過ぎ、貴重な睡眠の時間を謳歌していた俺を、突然の電話で叩き起こして呼び出した、対面に座る少女、ティーパーティーの現ホスト・桐藤ナギサは紅茶のカップを少し傾けそう言った。
普段の姿に似つかわぬ、若干強めの語調を携えた彼女のその身体は、少しだけ震えているように感じられる。
「ミカを守る…俺が?はぁ…ナギサさん、またまたご冗談を。鉛玉一発で致命傷になり得るか弱い人間に、この世界で人を守れと仰りますか。ついこの間撃たれて三途の川を渡りかけたばかりだというのに、全く…ティーパーティーのホストさんも人使いが荒いですなぁ…」
軽い冗談のつもりだったのだが、ナギサの動揺が目に見えて分かるようになる。その瞳はうっすらと涙を湛え、カップを持つ手が震えて紅茶が床へと溢れた。
そんな様子を見て取ったのか、テーブルにつくもう一人が割って入ってきた。
「先生、君という人は…ナギサを揶揄うのも大概にし給えよ。彼女はああ見えて繊細なんだ、不意にポッキリと折れてしまいかねないよ」
百合園セイア。ティーパーティーの三人のうちの一人。つい最近まで諸事情で病床に臥していたが、今は復帰してナギサと共にティーパーティーの両翼として政務を執り行っている。聡明な彼女のことだ。さっきのが本気ではなく、俺なりのナギサへの軽い挨拶ということを理解して呆れているのだろう。言葉の端々に「程々にしてほしい」という意志が汲み取れた。
「はぁ…冗談だ、悪かったなナギサ。だが…俺がミカを守るというのはどういうことだ?俺だって多少の自衛ができる程度には戦えると言っても、結局ミカの方が俺より何倍も強いだろう?」
「ふ、ふぅ…ありがとうございます、セイアさん…そうですね、では先生には順を追って説明しましょうか」
ナギサはソーサーにティーカップを置き、椅子に腰掛け直す。セイアもこちらを向き、両の視線が俺を射抜いて、それから二人は語り始める。
ティーパーティー最後の一人、聖園ミカを取り巻く、凄惨な現状について。
「先生も既にご存知の通り、ミカさんは先日の聴聞会でティーパーティーからの除名が決定、今は後任を迎えるまでの引き継ぎ役とでもいうべき立場にあります」
「だが、特例扱いされているといえ、今のミカの所属自体は一般生徒に過ぎない。先生、君も見ただろう?ティーパーティーであるという、トリニティにおける最高の権力とそれに付随する名声を失い、罪の代償として魔女の烙印を押された彼女は、この学園では都合のいい標的でしかなくなっているのさ」
その光景は、今まで何度も見てきた。ミカが犯してしまった間違いを考えても、有り余るほどの邪悪なものたちで。
そこにはトリニティの闇とでも言うべき部分が表層に現れていて、思い出すだけで眉間に皺が寄るのを感じる。
「そう…ですね、ミカさんの周囲の環境はかなり悪化しています。ティーパーティーとしての職務がある時は、正義実現委員会に要請して護衛を付けてもらっていますが、一般生徒として活動している時間まで、そちらに手を回していただく訳にはいかず…」
「既に処遇は決定したにも関わらず断罪を声高に叫ぶ暴動、わざわざ寮まで赴いての悪質な嫌がらせや、正義実現委員会への虚偽通報、私刑と称しての一対多の暴行、それに無数の誹謗中傷…枚挙に暇がない」
「ですから、先生にはそのような悪意から、ミカさんを守って欲しいのです。トリニティには先生の活躍を知る生徒も多いですし、その先生がミカさんの隣にいてくだされば、嫌がらせに対する大きな抑制力になるはずですから」
そこまで言った後、ナギサが不安を押し流すかのように、紅茶を一気に煽る。カップを戻し、再びこちらを向いた彼女の瞳には、決断の色が浮かんでいた。
「もちろん、簡単ではない事は承知しています。ミカさんや先生、もちろん私たちの言動次第では、状況が悪化する可能性も決して否定できません」
「あれらが一過性の悪意だと楽観的に捉える事も出来る。時間が全てを解決してくれるという希望的観測もある。だが…」
セイアが言葉に詰まる。未来視を失い、代わりに勘が鋭くなったという彼女なりに、何か感じる事があるのだろう。どうにかして伝えようと、無理やりにも続きを捻り出そうとする彼女を手で制止した。
静寂がまだ仄暗い庭園を覆い、重苦しい雰囲気が流れる時間をも遅くさせている、そんな錯覚さえ起こしてしまう。
「私は…私は…!もうミカさんが傷つくところは見たくないんです…!あの無理した作り笑顔も…ボロボロになった姿も…顔を合わせるたびに、友人があんな姿になっているのを見るのは、もう…!」
最初に口を開いたのはナギサだった。ミカに対して抱え込んでいた想いが一気に溢れ出したかのように、雫となって頬を伝い煌めいた。爪が食い込み、今にも血が滲み出そうなほど硬く握られた拳が、テーブルに振り下ろされる。
いつもの穏やかな彼女からは想像もできない、グツグツと煮えたぎるような感情が、空気を震わせる。
「それは私も同感だ。せっかくお互いに一歩ずつでも分かり合えるようになってきたんだ。友があのような形で終焉を迎えるのは、可能なら避けたいものだ」
「だから…お願いします、先生…今だけは、ティーパーティーとしてではなく、二人の友人として…ミカさんを…救って欲しいんです…」
正直、最初は乗り気でなかった。一人の生徒に肩入れしすぎるのは、シャーレの業務に支障をきたすことになりかねないし、何となくだが悪い方向に転ぶような気がしてならない。勘がそう告げている。
けれど、それは生徒の頼みを断る理由にはなり得ない。状況が悪化したなら、そこから立て直すだけのことだ。何より、一番聞きたい言葉も二人の口から聞くことができた。ならば、答えは一つに決まっていた。
「そうだな…分かった。その話、引き受けよう。ミカのため、それからナギサとセイアのためにも、な」
「…!ありがとうございます!ミカさんを…よろしくお願いします、先生」
「ああ、私からも感謝を伝えさせて欲しい。それから、ミカを頼むよ」
ナギサとセイアが顔を見合わせ、安心したかのように微笑む。そこに先ほどまでの不安や重圧は見えず、友人を心から想う年頃の少女が二人、曙に差し掛かる空間を彩っていた。
そんな二人を眺めながら、俺は少しだけ残った冷めかけの紅茶を喉奥に流し込み、それから立ち上がる。
「おや、先生はもう帰るのかい?夜は暫く明けないさ。せっかくなんだ、三人だけで秘密の茶会とでも洒落込もうじゃないか」
「ご招待どうも。けど今日は遠慮しておくかな。今から大事な大事なお姫様を迎えに行かなくちゃならないからな。まぁ、また誘ってくれよ?」
歯の浮くような台詞に唖然としている二人を横目に見ながら、足早に庭園を後にする。自分でも分かってしまうくらい熱く紅潮した頬を、二人には見られないように。
ミカの部屋がある寮の近くに行くと、門前に一人の女子生徒が立っていた。彼女は近づくこちらに気がついたのか、深々と頭を下げた。
「七星カイト先生ですね?お待ちしておりました。ナギサ様から全て聞かされております。ミカ様の部屋に案内いたしますね」
一度ミカに連れられてきた時、点呼の時に聞こえた声と同じだった。恐らくここの寮監だろう。勿論その事は彼女に言えるはずもないが。どんな反応をされるか分かったものではない。
「ああ、よろしく頼むよ」
あくまで平静を装い、寮監の後ろをついていく。まだ起床時間は過ぎていないようだ。廊下は静まり返っていて、互いに言葉を交わすこともない。二人の小さな足音だけがコツコツと響く。
変わり映えのない景色の中をしばらく歩いた後、見覚えのある場所に出た。屋根裏へと繋がる非常階段だ。前を進む彼女は慣れた足運びで黙々と階段を登っていく。
そして、一つ目の踊り場に辿り着いたあたりで足を止めるとこちらを振り返り、口を開いた。
「ところで…先生、先日はお楽しみでしたか?」
「え…うん…は…?先日って…」
「あら、バレていないと思われていたのですか?夜の点呼の際にミカ様の部屋にいらっしゃられたので、さぞ深い関係になられたのかと…」
バレバレだった。恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。いっそ飛び降りてしまおうか、とまで思う。
まああの時の状況から冷静に考えてみれば、布団一枚被った程度で、一端の成人男性が隠れられるはずもないのは自明なのだが。
「責める意図はないのです。むしろ喜ばしいことですよ?ミカ様が幸せになられるというのは…」
「いや、手出してないから…ていうかそれは流石に先生失格だから!?ミカに悪影響を及ぼしかねないし!」
「あら、それは残念…ですが、先生なりにミカ様のことを想われていると分かって安心しました」
寮監は微笑むと、手で階段の上を差し示した。どうやらここからは一人で行けということらしい。
「では、今後はミカ様の部屋には自由に出入りしていただいて構いませんので…どうか、ミカ様をよろしくお願いしますね?」
「勿論、しっかり守るから安心して」
「先生からその言葉が聞けて安心しました。では…ごゆっくりどうぞ」
「だから何もしないからー!」
彼女は楽しそうな表情で返事を聞きとげると、先ほどと同じように深々とお辞儀をする。正直なところ、内心では緊張していた俺は、それを解してくれた彼女へ心の中で感謝しながら、その横を抜けて階上へ──ミカの待つ屋根裏部屋へと向かった。
非常階段を登り切ると、目の前に続く短い廊下の向こうに扉が見えた。ミカの部屋だ。
背後に暖かい陽光を感じながら腕時計を見ると、6時丁度を指している。流石にミカも起きているだろうと、扉に近づきノックをする。程なくして奥からバタバタと忙しない足音が聞こえ、扉が開け放たれた。
「もー…寮監ちゃんなに…?まだ6時だよー?それに今日はお休みだっ…て…」
先程までベッドで休んでいたのか、丁寧に手入れされた髪を下ろし、フリルのついた純白のネグリジェに身を包んだミカが、扉の向こうから半身だけをひょっこりと出して現れる。そのとんでもなく可愛らしい姿に、思わず目線が釘付けになってしまう。
ミカもミカで普段とは違う来客に気付いたのか、完全にフリーズした。それから、みるみるうちに頬がりんご色に染まっていく。そして二人の時間が完全に停止した。
「その…なんだ?まあ…おはよ、ミカ」
「せ、せせせんせい?!こっちみないでーっ!」
無事再起動を果たしたミカが、ものすごい勢いで扉を閉めながら部屋の中に逃げていった。
あまりの負荷に耐えきれなかったのか、扉が音を立てて倒れる。元々建て付けも悪かったのだろうか、金具からすっぱりと綺麗に外れていた。どういう原理なのかはさっぱりだが、これなら後で直すのも楽だろう。
部屋の方からは、せっせと身支度をするミカの独り言が少しだけ聞こえる。年頃の女子生徒の着替えを覗くわけにもいかないので、胸元にしまってあったココアシガレットの箱を開け、脳裏に映った彼女の姿を記憶に焼き付けながら、廊下に背中を預けて待つことにしたのだった。