ゲーム出身の一般アークスが、オラリオでダンジョンアタックするのは無理がある 作:柳沢紀雪
アンフィス・バエナが、静まり返った湖面の向こうからこちらを見下ろしていた。青と朱――二つの巨大な頭がゆらりと揺れ、そのたびに冷たい視線が肌を撫でる。まるで、私の鼓動の速さすら測っているかのようだ。
その巨体は水から上がる気配を見せない。――つまり、戦場は必然的に水上となる。
「まあ、水中戦も何とかいけるけど……どうしようかな。池の水を全部抜いてやれば楽かもしれないけどさ」
軽口を叩いてみせても、胸の奥では別の計算が渦を巻いていた。潜って、何か
だけど、それをすれば確実に
その余波で、ジャガーノートすら目を覚ましかねない。
「……それはそれで、面白い展開かもしれないけどね。今回はけが人がいるからね、仕方ないね」
青と朱。見た目だけなら、青は冷気、朱は火炎――そんな単純な属性分けが頭に浮かぶ。
強敵ほど“ありきたり”を極めてくるものだ。むしろ、シンプルであるほど厄介だと知っている。もしも、氷と火を融合させて極大消滅攻撃を放ってきたら――それはそれでロマンだな。
あるいは、青を癒やしの象徴と捉える事もできるか。攻撃の朱と回復と守りの青。そうなると、青を先に落とさないと無限に回復されて、戦闘は永遠に終わらない。
どちらにせよ、この巨剣と私のスキルがあれば、バロールの魔眼すら打ち消せる。丁寧に対処すれば、傷一つ負わずに済む――今はそう慢心しておこう。
「ふぅ……ベルディナより各局。これより単独にてアンフィス・バエナとの戦闘に入る。以上」
通信機をオープンチャンネルに切り替え、静かに告げてから電源を落とす。途端に、世界は水音と自分の呼吸だけになった。
『マスター。最悪の事態を想定するべきでしょうか?』
エルティナの声が、脳裏に直接響く。
『大丈夫だよ。今回ばかりは、勝利が条件じゃないからね』
エルティナにとって“最悪”とは、マスターである私の死だ。アークスの装備を封じたまま階層主と戦うのなら、その可能性は確かにある。
だけど私は、そこまで戦闘狂ではないつもりだ。
甲高い咆吼が、ダンジョンの空気を震わせた。
「そうだね、始めようか」
私は右足を前へ、左足を後ろへと滑らせた。巨剣を正眼からゆっくりと引き、切っ先を背後へと向ける。重心が沈み、体の芯が一本の線に収束していく。
――この身のすべてを、たった一撃に注ぎ込むために。
狙うのは、やつが攻撃へと転じる刹那。人であれ、モンスターであれ、その瞬間だけは必ず“隙”が生まれる。
そこへ踏み込めるかどうか――それこそが、私という存在の真価が決まる。
生と死の境界線をなぞるように、わずかな呼吸の揺らぎすら読み取って踊る。アークスであれ、冒険者であれ、勝利を求める者が最後に立つ場所は、いつだって同じだ。刃の上で舞う覚悟を持てるかどうか。それだけだ。
刹那、青の口元に蒼白い光が湧き上がるように出現した。先に回復を行うとは考えにくい。防御か、それとも冷気の攻撃か――そんな予測を巡らせた矢先だった。
【警告:対象の口腔部に高エネルギー反応】【温度急上昇:現在2500℃】
「そっち!?」
あてが全部外れて精神的にずっこけそうになったけど、体幹は何とか維持し続けてタイミングを見計らう。
驚きはしたけど、焦ることはしない。当てが外れるのなんてよくあることだ。タイミングさえ間違わなければ大抵のことは流せる。
私は呼吸をひとつ沈め、上昇するエネルギーが臨界へ達するのを静かに見届けた。
そして――やつが口を開こうとした、その瞬間。私はそのわずかな兆しを、確かに捉えていた。
いつも以上に後ろ足へ力を込める。筋肉と骨がきしむ感覚すら、今の私には心強い。
私の中にある
アンフィス・バエナの青頭が一瞬だけ戸惑いを見せた。しかし、溜め込んだエネルギーを抑えきれないのか、そのまま顎門を割り、煮えたぎる溶鉱炉のような輝きを溢れ出させる。
超高温のブレスが放たれる前に、その喉奥まで突入して内部から突き破ってやろう――そう決断した刹那、視界を覆い尽くした不気味な「赤い霧」が私の突撃を拒んだ。
「なに? 熱くは……ないけど……」
煙幕にしては稚拙だ。しかし、視覚を可視光線からフォトンへと切り替え、擬似的に再構築した視界には、私の直撃をあざ笑うように身をよじる青頭の姿が映し出された。
「ちょこざいな!」
青頭は今にもブレスを放とうと射線を合わせてくる。私は強制的に回避軌道をとるべく、再び
「うそ、不発ってありうるの!?」
足場になるはずの空間が、そこにはなかった。
今の一瞬で確信した。あの朱頭が吐き出した「赤いモヤ」が原因だ。
「なんだろ、あの赤いのが原因かな?」
私は何とか体勢を立て直し、アンフィス・バエナを旋回するように距離を置いて様子を伺う。朱頭が再び赤いブレスを撒き散らし、連動するように青頭が猛烈な青い炎を吐き出した。
進行方向を塞ぐように展開された蒼炎の壁。それを回避すべく再度ジャンプを試みるが、やはり足裏には虚空の感触しかない。
「やっぱり、あの赤いのが原因か。厄介な……」
幸い、運動エネルギーそのものを打ち消す機能はないようだが、あの赤い霧の中ではまともな回避が不可能というわけだ。
「これ、下手をしたら赤いやつの中だと、
どちらにせよ、このままでは慣性に引かれて青い火炎放射の真っ只中に突っ込んでしまう。
「生命維持装置、出力最大。極限環境耐性モード!」
【生命維持装置:極限環境耐性へ移行――完了】
これで数千度の熱にも数秒は耐えられるはず。とりあえずの命綱は編んだ。あとは、飛び込むだけだ。
私は舵の壊れた暴走機関車のように空中を滑空しながら巨剣を振りかぶり、巨壁のごとくそびえる青い炎に向かって全力で叩きつけた。
【WARNING】
結局、巨剣は虚空を切り裂くばかりで、その風圧でわずかに炎が散った程度だ。激流のような火炎は止まることなく押し寄せ、私を飲み込み、押し流していく。
「あっついなぁ、もう……!」
最大出力の生命維持装置越しであっても、肌を焼くほどの熱気が突き刺さる。私は無理に抗わず、炎の激流に身を任せた。そうして赤いモヤの範囲外へとはじき出された瞬間、私は再び巨剣を振りかざし、炎の尾を引く激流に逆らうように一閃させた。
強い光が一瞬だけ爆ぜ、青い炎の奔流に明らかな空隙が生まれる。その瞬間の熱量は完全に喪失した。
私は次なる赤い霧が迫る前に、
超高速で水面を突き破り、激しいキャビテーションを切り裂きながら水中へ深く沈み込む。重力に身を委ねて湖底へと降り立つと、巻き上がった砂が視界を濁らせた。私はその霞の中で、ゆっくりと頭上を仰ぎ見る。
「あいつ、蛇じゃなくて……首長竜だったんだ」
水面越しでは分からなかったその全貌。双頭の付け根の下側には、ずんぐりとした重量感のある胴体が繋がっていた。さらにそこからは、巨体に似合わない小さく可愛らしいヒレのようなものが四枚、ゆらゆらと水を掻いている。
「フィギュアにしてやったら、めちゃくちゃ売れそう……」
命を狙い合う敵としては憎たらしいけれど、手のひらサイズのマスコットなら愛でてあげてもいいかもしれない。そんな不謹慎な思考が頭をよぎる。
「……とはいえ、ここなら安全ってわけでもないよね」
私は湖底の砂を踏みしめて立ち上がる。浮力に弄ばれることもなく地に足が着いているのは、アークスの重力制御のおかげ。さらに生命維持装置が血液へ直接酸素を送り込んでいるため、肺に水が入る恐怖も、息苦しさもない。水の抵抗さえ無視すれば、地上と変わらぬ活動が可能だ。
「水中なら、あいつも火炎放射や赤い霧は放てない。……意外と、これが正解なんじゃない?」
上空での「機動力封じ」という最悪のコンディションに比べれば、この青い牢獄の方がまだ戦いようがある。私は巨剣の柄を握り直し、揺らめく光のカーテンが差し込む水面を見つめた。
といってもどうしたものかと、私は腕を組んで小首を傾げた。その間にも、ピラニアに似ているくせにどう見ても十倍はある、手のひらサイズには収まらないような化け物たちが群がって、ギラギラと血走った目で私をかじろうと、その鋭い牙を剥いていた。
「私は美味しくない……こともないかも? 玉のお肌で、出るとこ出てるから食いではあるかも……」
思わず、胸からぶら下がっている二つのコブを、おもむろに下から持ち上げてみた。我ながら、魅惑のもちもち感だ。普通に美味しそうで困る。
「危ない危ない。私にはカニバリズム志向なんてないんだ」
ハッと我に返り、湖底に突き刺していた巨剣を引き抜く。空気より遥かに重い水の抵抗を、フォトンの慣性制御でいくらか相殺し、水中とは思えない速度で刃を一閃させた。
「焼き魚にもならない雑魚どもが。魚卵からやり直せ!」
瞬きする間に、群がっていたモンスターたちは三枚に下ろされてから爆散し、灰の混じった濁流となって周囲に散っていった。
さらにその血の匂いに引き寄せられたのか、今度はサメを凶悪にデフォルメしたようなやつらが、結構な速度で突っ込んできた。
「カマボコにでもなってろ!」
……ちょっと口が悪いな、私。さっき、自慢の機動をことごとくギミックで封じられたことに、案外むかっ腹が立っているのかもしれない。
ともかく、私はその場でスクリューみたいに高速回転。襲いかかる数匹のサメどもを、まとめて「なます切り」にしてやった。
「さてと。水中戦の感覚もだいぶ掴めてきたね。じゃ――反撃と行こうか!」
私は
狙うは、あのずんぐりとした胴体。アンフィス・バエナの無防備なお腹にめがけて、私は巨剣を構えたまま水中を突き進んだ。
狙い違わず、私の巨剣がアンフィス・バエナの柔らかい腹部へと深く突き刺さった。
ドロリとした、重く熱い感触。直後、おびただしい量の鮮血が噴き出し、周囲の視界を瞬時に赤色に染め上げていく。
「やっぱり、お腹は柔らかいね」
水上からは、怒りに狂った青頭が猛烈な火炎放射を浴びせかけてくるのが見えた。水面が激しく泡立ち、煮えくり返るような音が響くけれど、届くのは心地よい温泉程度の熱だけだ。朱頭が撒き散らす赤いモヤも、水上を支配するばかりで、水中にまでは干渉してこない。
なんか、勝ち筋を見つけちゃったかもしれない。だけど、私ぐらいに水中戦できる冒険者が他にいるかどうかは分からないけどね。
作戦が的中したことを確信し、私は一度巨剣を引き抜いて、再び湖底へと急降下した。重力と
「次は、その可愛いヒレをもらっていくよ!」
足首に膨大な精神力を集中させ、着底するとともにそれを一気に爆発させて、一筋の光となって水中を急上昇を開始する。標的は、巨体を支える前ヒレの一枚。すれ違いざま、私は慣性制御を全開にした一閃を叩きつけた。
――ズバッ、という、水の中とは思えないほど鮮烈な断絶音。
巨大なヒレが付け根から千切れ飛び、水中に落下していく。
「フカヒレ一丁上がり。これはちょっと不味そう」
アンフィス・バエナが苦悶に悶え、湖全体を揺らすほどの震動が走った。私はその突進の余力を殺すことなく、海面を割るシャチのように、一気に水上へと躍り出た。
「ふぅ……やっぱり空の方が居心地はいいかな」
飛沫を撒き散らしながら空中に身を躍らせる。水上は依然として赤い霧が立ち込めているけれど、片方の機動力を奪った今ならそれなりにやれるだろう。無理ならまた水中に潜んで全部のヒレをもいでやるだけだ。
「さてと、第二ラウンドと行こうじゃないか」
不敵に笑う私に、アンフィス・バエナは憎しみの炎をその口腔に宿していた。