ゲーム出身の一般アークスが、オラリオでダンジョンアタックするのは無理がある 作:柳沢紀雪
開いた窓から滑り込むように中に入ると、そこはひんやりとした空気が漂う酒蔵だった。
オラリオの夜を彩る歓楽街において、酒は血と同じ。棚に並ぶ無数の樽には、熟成しきったワインや高価なウィスキーが詰まっているのだろう。一個くらい持っていってもバレないんじゃないかなと、樽を眺めながら、不謹慎な思考が頭をよぎった。
指先で触れさえすれば、私の『アイテムパック』に一瞬で格納できる。証拠も残らない、完全犯罪の成立だ。もっとも、そんなことをして後でオラクル船団の管制にバレたら、無茶苦茶怒られるだろうけどね。
「時間がないよ。急ぐよ」
アイシャさんの鋭い声に、私は「分かりました」と雑念を捨てた。
『マスター、廊下に生体反応あり。30秒で視界から外れます』
耳元の通信機からエルティナの冷静な声が響き、私はアイシャさんの袖を軽く引いて足を止めさせた。
「アイシャさん。廊下に誰かいます。……あと少し、待ちましょう」
「本当だろうね?」
「確認しますか?」
私が木戸を指し示す仕草をすると、アイシャさんは鼻を鳴らした。
「いや、足音を聞けばいい」
彼女は扉に耳を押し当て、目を閉じて全神経を集中させる。数秒の静寂の後、遠ざかっていく微かな足音を捉えたのか、アイシャさんは目を開いた。
「確かに……誰かいたね。大したもんだよ」
「(エルティナは)すごいでしょ?」
自慢のサポートパートナーを褒められ、私は少しだけ胸を張った。周辺マップから完全に反応が消えたのを確認し、私たちは音もなく扉を開けて廊下へと滑り出した。
「……なんだか、慌ただしいですね」
本来なら今夜は全面的にお休みの歓楽街のはずが、石造りの廊下には連絡役のアマゾネスたちが忙しなく行き交い、重苦しい緊張感が霧のように立ち込めている。
「よっぽど大切な儀式なんでしょうね」
「さあね、私が知っていることは――――。いや、今は急ごう」
アイシャさんの表情が一瞬、苦いものを噛み潰したように曇った。私はあえてそれを指摘しなかった。
「そういえば、時計はどこにあるんですか? 検討はついているんでしょう?」
「確実って訳じゃない。だが、間違いなくあの
アイシャさんの言葉に、通信機越しのワカヒルメ様が『嘘はついていないね』と太鼓判を押してくれた。
あの懐中時計は、職人向けで洗練されたデザインだけど、常に煌びやかさを追求するイシュタル様にとって、身に付けるには地味すぎると判断されたのかもしれないね。外装も貴金属じゃなくて普通の真鍮とかガラスだし。
けれど、珍しい機械工芸品として、そのコレクションを寝室に飾っておくのは理解できるところだ。
「うーん。ひょっとして、金とか宝石をちりばめた時計を『献上』してれば、素直に返してもらえた可能性、ありましたかね?」
「はっ、甘いね。アンタみたいな上玉なら、時計ごと檻にぶち込まれて終わりさ。あの
強欲の化身か。神様の独占欲っていうのは、ダークファルス級だね。
「20秒後に、次の角から人が来ます」
エルティナの警告を、即座にアイシャさんへ伝える。
「あいよ、こっちだ」
私たちは物陰に身を潜める。通り過ぎていくアマゾネスたちは、儀式に使うと思われる祭具を恭しく運んでいた。窓の外を仰ぎ見れば、雲の切れ間から傲慢なほどに輝く満月が顔を出している。
「もうすぐ、
アイシャさんの瞳に、憎しみと悲しみが混ざり合った複雑な色が宿る。
「……満月と、その儀式。何か関係があるんですか?」
「ああ。儀式は満月の光と共に執行され、そして終わる。……あいつの命も」
消え入りそうな呟きだったけれど、私の耳はそれを逃さなかった。
ようやく、パズルがつながった気がする。アイシャさんが危険を冒してまでこの塔に忍び込んだ「野暮用」。それは、この不吉な儀式の犠牲になろうとしている、彼女の大切な仲間の命を救うことなんじゃないかって。
『ワカヒルメ様――』
私は、脳裏で「嘘はついていない」というワカヒルメ様の言葉にかぶせるように声をかけた。
『うん。ベルディナの言いたいことは分かるよ。君の思うままにするがいい』
『ありがとうございます』
主神の許可は出た。なら、迷う必要はない。
「アイシャさん。主神の寝室はこの向こうみたいですけど、警備がガチガチですね。……これ、真正面から行くと時間がかかりますよ?」
アイシャさんの拳が、焦燥からか固く握りしめられる。
「……天井裏を伝うしかないね。間に合うか……?」
「ねえ、アイシャさん。先にアイシャさんの『用事』を済ませちゃいませんか? そっちの方が、圧倒的に時間がないんでしょ?」
私の提案に、アイシャさんは弾かれたようにこちらを見下ろした。
「……何言ってんだアンタ。私はまだアンタを案内する義理を果たしてないだろ」
「時計は逃げません。でも、人の命は今この瞬間にも消えようとしてる。どっちが重いかなんて、比べるまでもないですよね?」
時計を奪還したいのは私のわがままだ。だから、別に後回しにしてもいい。
「……ちっ、聞かれてたのかい。私としたことが……」
「アイシャさんは、人情深い幼女はお嫌いですか?」
「ああ、アンタみたいな『お節介』は大嫌いだよ」
『嘘だね』
ワカヒルメ様、それは野暮ってもんですよ。
◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇
アイシャさんの案内に従い、私たちは不気味なほど静まり返った楼閣の深部へと足を踏み入れた。
目的地と目される部屋は、回廊の突き当たりにあった。真四角に区切られた空間は、これまでの煌びやかな装飾とは打って変わり、冷徹なまでの神秘性を醸し出している。
「ここだ。……入りな」
アイシャさんが低く囁く。
部屋の入り口は重厚な木製の両開き扉になっていたが、片側の扉がわずかに開いており、そこから外の廊下へ向けて冷たい空気が漏れ出している。天井が他の部屋に比べて一段低く、無意識に首をすくめたくなるような圧迫感があった。
一歩、中へ滑り込む。
部屋の反対側には細い格子状の窓が一つあり、そこから差し込む青白い満月の光だけが、薄暗い室内を斜めに切り裂いている。
「……何もないね。もぬけの殻だ」
アイシャさんの苦々しい言葉通り、そこは奇妙なほどに「空っぽ」だった。
部屋の中央、月光が最も集中する場所に、石造りの祭壇のような台座が鎮座している。まるで空から降り注ぐ満月の輝きを、その身に吸わせていたかのような配置だ。
私はすぐさまエネミーセンサーを台座へと向けて、フォトンによる簡易スキャンを実行した。
『マスター、台座の熱源反応にわずかな残余を確認。10分前まで、ここに何らかの魔力を持つ物体が安置されていた可能性が極めて高いです』
エルティナの冷静な声が脳裏に響く。
台座の天面には、何かが置かれていた微かな擦れ跡が見える。それは、アイシャさんが「ぶっ潰す」と宣言していた、儀式に欠かせないマジックアイテムの類いだったのだろう。
「間に合わなかったか……!」
アイシャさんが台座に拳を叩きつけた。
さっきまでそこに「あった」はずの何かが、今はもう「ない」。
満月の光は、ただ主のいなくなった冷たい石の台座を虚しく照らし続けている。
『エルティナ、この部屋を中心に対象物のディープスキャンを行って。形状データはアイシャさんの説明を元に割り出して』
『……了解。スキャン範囲を拡大。……捕捉しました。これより三つ上の階層、空中庭園へ向かう順路に、特定のマジックアイテムを運搬する個体を三名確認』
私はアイシャさんを振り返り、力強く頷いた。
「見つけました! 空中庭園へ向かっているみたいです。アイシャさんの仲間……アマゾネスの人が慎重に運んでます。足は遅い、まだ追いつけます!」
「案内しな!」
アイシャさんは迷いなく駆け出した。
「こっちです!」
廊下を疾走しながら、私は考える。アイシャさんはイシュタル様を嫌っているが、このファミリアの仲間たちを憎んでいるわけではない。彼女は、仲間の命を守るために一人で泥を被る覚悟でここにいるのだ。
なら、私がやるべきことは一つ。
「――アイシャさん、先に行きます!」
「おい、待ちな――!」
呼び止める声を置き去りに、私は
驚愕に目を見開くアイシャさんの姿が、一瞬で背後へと流れ去った。
やがてエルティナがマークした対象が廊下の先に見えた。こちらに背を向け、慎重に何かを運んでいる様子だ。
私は途中に飾られていた飾りの甲冑をあえて音を立てて崩し、それが持つ槍を手に取って突入する。
その音にローブを着た魔導士風のアマゾネスが振り返り、目を丸くして硬直するばかりだった。
私は槍の先で両手の中の箱を突き刺し、天井に跳ね上げて中身を手にした。キズ一つない澄み切った水晶のような玉。これがなんなのかは分からないが、アイシャさんはこれをぶっ潰すと言っていたものだ。
「やめろ!」
という声がするがすでに遅い、私はその玉をつかんで天井から床へたたきつけた。
砕け散り細かい破片となってカーペットに散る。私は任務完了を確信して元来た道へと戻る。
「アイシャ! そいつを止めろ! 賊だ!!」
魔導士風のアマゾネスはちょうど私に追いついてきたアイシャさんに向かって叫んだ。アイシャさんは戸惑ったような表情を浮かべているが、私が彼女に槍を投げすれ違いざまにナイフを一閃する。
「合わせてください」
「すまないね」
そういってアイシャさんも腰のナイフを抜いて私の攻撃合わせてくれた。
「シャレイ、あんたは上に報告しな! 賊は私が追う!!」
「……頼んだよ!」
アイシャさんの叫びに応じ、魔導士のアマゾネスが回廊の奥へと消えていく。残されたのは、真っ白な月光が差し込む不気味な静寂と、対峙する私とアイシャさんだけだ。
アイシャさんは腰のナイフを抜き放ち、その切っ先を私に向けた。彼女の瞳には、先ほどまでの「協力者」としての色はなく、オラリオのLv.3冒険者としての鋭い殺気が宿っている。
【来れ、蛮勇の覇者、雄々しき戦士よ、たくましき豪傑よ、欲深き非道の英傑よ】
重厚な詠唱が始まり、彼女の周囲に紅い魔力の奔流が渦巻き始める。私はそれに応えるように、ダガーを逆手に構え直し、体内のフォトンを脚部へと集中させた。
「……合わせますよ、アイシャさん」
私が最短距離で踏み込むと同時に、アイシャさんのナイフが唸りを上げた。金属が激突する鋭い音が響き、火花が散る。Lv.3の膂力は凄まじく、まともに受ければ私の細い腕など容易に砕け散るだろう。私は
【
アイシャさんの攻撃はさらに激しさを増した。一撃一撃が岩をも砕く重さを持ち、私の視界の端でHUDが【CAUTION】の警告を点滅させる。
私は
「はっ! 逃げ足だけは一級品だねぇ!」
アイシャさんの挑発的な笑み。けれど、その瞳の奥には「行け」という強い意志がこもっていた。
【我が身を満たし我が身を貫き、我が身を殺し証明せよ】
詠唱は最終段階に達しようとしていて。ナイフに集束した魔力が、もはや視認できるほどの紅い光の柱となって立ち上る。
私はわざと距離を詰め、彼女の懐へと潜り込んだ。
ガキンッ、と本日一番の激しい衝突音が響く。至近距離で見つめ合う。
「準備はいいかい」――彼女の無言の問いかけに、私は小さく頷いた。
私は全力で彼女を突き飛ばし、背後の外壁へと大きく跳躍した。
【飢える我が
力強い最後の一節をもってアイシャさんがその一撃を解き放ち、振り下ろされたナイフから、巨大な紅色の斬撃波が放たれた。
私はその圧倒的な魔力の奔流をあえて真っ向から受け流し、その衝撃を利用して背後の外壁へと背中から突っ込んだ。
『エルティナ。私はこのまま歓楽街を出るから。安全が確認でき次第エルティナも脱出して』
着弾の寸前に私はエルティナに指示を送り、後のことは彼女の判断に任せることにした。
『承知いたしました』
これから、怒濤の追撃を受けるであろう私よりも、未だに人形のフリをしているエルティナの方がおそらく安全だろう。
凄まじい轟音と共に、楼閣の壁に大穴が穿たれ、その爆風と瓦礫に身を潜めつつ、私は外の闇へと身を躍らせた。背後でアイシャさんが「逃がしたか!」とわざとらしい口惜しさを叫ぶのを聞きながら、私は夜の風の中へと消えていった。