ゲーム出身の一般アークスが、オラリオでダンジョンアタックするのは無理がある 作:柳沢紀雪
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背後で轟く爆音と、アイシャさんの「逃がしたか!」というわざとらしい絶叫を背中で受けながら、私は夜の歓楽街へと滑り込んだ。
崩落した外壁の瓦礫に紛れ、空中で体勢を立て直す。今の私に姿を消すような便利な機能はないから、暗視モニターと広域マップと、この小さな身体を最大限に活かして闇に溶け込むしかないのだ。
『マスター、北北西へ。30秒後にパトロールの小隊が通過します。最短ルートで影に潜り込んでください』
アークスの通信機からエルティナの冷静な声が届く。エルティナの精密な広域レーダーとエネミーセンサーがあれば、追っての位置は丸わかりだから捕まる可能性はかなり低いだろう。
『ありがとう、エルティナ。移動するね』
私はエルティナの誘導に従い、入り組んだ裏路地の暗闇を縫うように疾走した。HUDの端に浮か広域マップには、エルティナがリアルタイムで更新するパトロールのルートが赤いラインで表示されている。
『マスター、10時方向の屋根の上に反応あり。その先の積み荷の影で一時停止を』
『わかった』
私は音もなく加速し、湿ったレンガの壁を蹴って、指定された木箱の影へと滑り込んだ。 直後、頭上の屋根を数人のアマゾネスたちが激しい足音を立てて駆け抜けていく。彼女たちが携える長槍が、月光を反射して冷たく光った。
その一団がちょうど私の真上、路地を跨ぐ梁の上で足を止め、苛立ったような声で話し始めた。
「おい、侵入したネズミはどんな奴だって?」
「確か猫族の子供らしいよ。髪は短くて、小癪な入れ墨をしてたってさ」
「儀式を台無しにしたやつだ。四肢をもいででも連れてこいって主神様の命令だ。くわばらくわばら」
「バカだよねぇ。
屋根の上では自信満々で、若干私を嘲るような口調でアマゾネス達が去って行くが、大変残念だったね。その『髪の短い猫族の子供』は、あなたたちの足元で休憩中だったんだよ。
彼女たちが十分距離が離れたことを確認し、私は再び行動を開始する。建物の隙間や荷物の影を完璧にトレースするエルティナのナビゲーションのおかげで、結局一度も視界に捉えられることはなかった。
やがて、歓楽街を囲む巨大な外壁が見えてきた。しかし、目抜き通りに通じる大門も、勝手口となる小門もすべて固く閉ざされている。
「まあ、飛び越えればいいんだけどね」
私はそう独りごちつつも足を止めることなく
空中でさらに数度の加速を行い、私は巨大な石壁の頂を軽々と飛び越えた。一年ぐらい前にはオラリオの市壁も自力で飛び越えたのだから、歓楽街の外壁ぐらいはお茶の子さいさいってやつだね。
放り出された夜の風を全身に受けながら、そのままオラリオの一般区画の雑踏へと音もなく着地する。
「ふぅ……。ここまで来れば、もういいか」
周囲に人影がないことを確認し、私は手慣れた手つきでメニューウィンドウを呼び出した。HUDに投影された『ファッション編集』から、通常時のプリセットを呼び出す。
一瞬、淡いフォトンの光が全身を包み込んだ。
潜入用の黒いボディスーツが光の粒子となって霧散し、代わりにいつも街を歩くときに愛用している「プリテールチェルカ」が再構築され、頭部の「ケモーネイヤー」が消え、短くまとめていた髪が解かれると、足元まで届く鮮やかなピンク色のツインテール――『N-ナイトメアヘアー』が夜風にふわりと広がった。
頬の十字のペイントも、フォトンの瞬きと共に跡形もなく消え去り、いつもの「ビスクドールメイク」が適応され一安心だ。
「よし、完璧だね。帰ろうか、私たちの家へ」
私はいつもの自分に戻ったことにほっと一息ついて、夜の街を歩く普通の幼女のように振る舞いつつ拠点である『絹糸の館』へと急いだ。
まあ、途中で
最後にちょっと締まらなかったけど、私の夜の冒険はこれで幕引きとなった。
◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇
深夜のオラリオ。歓楽街の喧騒から遠く離れた区画に構える私たちの拠点、『絹糸の館』の重厚な門をくぐり、私は静かに玄関の扉を開いた。
「ただいま戻りましたよ、ワカヒルメ様」
リビングに足を踏み入れると、そこには魔石灯の柔らかな明かりの下、一睡もせずに私たちの帰りを待ち続けていた主神の姿があった。ワカヒルメ様は、私の声を聞くなり安心したように肩の力を抜いて、椅子から立ち上がった。
「お帰り、ベルディナ。無事で良かった」
ワカヒルメ様は私の肩に手を当てて、怪我がないか確認するように見つめてくる。
「ほんのかすり傷ですよ。……でも、ごめんなさい、ワカヒルメ様。時計、取り戻せませんでした」
本来なら私のわがままで進めた事だったけど、こうして目的を果たせなかったのは残念で仕方ない。
「気にしなくていいよベルディナ。命がかかってたんだろう? そちらを優先した君を私は誇りに思う」
「そう言っていただいて安心しました。また、別の方法を考えましょう」
「いや、私は新しくエルティナに作って貰えばいいんじゃないかって言ってるんだけどね」
ワカヒルメ様が少し呆れたように、けれど茶目っ気たっぷりに首を傾げたその時、私の視界の端でHUDが明滅し、エルティナからの通信が入った。
『マスター、こちらエルティナ。撤収完了、現在帰還中です』
脳内に響く冷静な声に、私は安堵の吐息を漏らす。
『分かったよエルティナ。焦る必要はないからね』
『ああ、ゆっくり帰っておいで』
ワカヒルメ様も通信機越しに優しく声をかける。
『承知いたしました』
通信を終え、私はようやく肩から力を抜いて靴を脱ぎ、ソファによじ登って寝そべった。
「エルティナも無事そうですね」
私が胸を撫で下ろすと、ワカヒルメ様は私の頭を優しく、慈しむように撫でてくれた。
「エルティナが戻ったら、温かいお茶でも飲もうか」
ワカヒルメ様はそう言い残すと、鼻歌混じりにキッチンへと向かわれた。
ワカヒルメ様の時計は取り戻せなかったけど、一つの命を救う事はできたはずだ。アイシャさんと結んだ、派閥を越えた奇妙な絆。それがきっと、これからの私たちを良い方向へ導いてくれるはずだと私は信じる。