ゲーム出身の一般アークスが、オラリオでダンジョンアタックするのは無理がある 作:柳沢紀雪
春の陽気がオラリオの街を包み始めていたけれど、私たちの主神であるワカヒルメ様が働く衣料品店には、冬よりも冷たい影が落ちていた。
どうも、イシュタルファミリアの息がかかったアマゾネスたちが、客を装って店内に居座り、あからさまな嫌がらせを繰り返すようになったようだ。
連中は何も買わずに通路を塞ぎ、商品を品定めする客に鋭い眼光を向ける。
その結果、店の売り上げは以前の3割も落ち込んでしまったという。
威力業務妨害罪だとギルドに報告しても、現行犯じゃないと罪に問えないとよく分からない理屈をこねてきて全く相手にしてくれない。どうも、ギルド内にイシュタルファミリアに通じてるやつがいるんじゃないかな?
店主や同僚の店員たちは、憤慨して徹底抗戦を叫んでいたけど、ワカヒルメ様は悲しげに首を横にふり、それを拒んだらしい。
自分のせいで店員に被害が及ぶのは心苦しいし、これ以上店に迷惑をかける訳にもいかないと、ワカヒルメ様は、自ら退職を決意した。そして、これをきっかけに今まで進まなかった起業を本格的に進めることにしたのだ。
最後の日、店主は「いつでも戻ってこい。お前の席は空けておくからな」と涙ながらに言い、ささやかな、けれど心のこもった宴会を開いてくれたと聞いた。
そして、今日、
「ベルディナ、エルティナ。……事業の資金は自分で貯めたいなんて偉そうなことを言ってきたけれど、今の私には、もう君たちしか頼れるものがない。どうか、君たちの資産を、私に貸してはくれないだろうか。必ず、利子をつけて返すから」
私は慌てて、土下座をせんばかりの勢いのワカヒルメ様を何とかソファに座っていただいた。
「むしろ、これはファミリアの資金ですからね。ワカヒルメ様の自由にしていいお金なんですよ。遠慮なんていりません」
けれど、ワカヒルメ様の表情は晴れない。義理堅い方であるがゆえに、眷属の稼ぎをそのまま使うことに抵抗があるのだろう。こちらとしては、むしろワカヒルメ様の夢を叶えるために使っていただけるなら、一番いい使い道なんだけどなぁ。
その時、側に控えていたエルティナが、冷静な声で提案した。
「では、ワカヒルメ様。借金という形ではなく、『株式』を発行してはいかがでしょうか」
「……カブシキ?」
きょとんとするワカヒルメ様に、エルティナはモニターを空中に投影し、資料を見せながら説明を始めた。ひょっとして、以前から説明するために作ってたってこと? 抜け目ないなぁ。
エルティナの説明はそれほど難しくはない。事業を興す資本金としてワカヒルメ様が『株券』という権利証を発行し、それを私が購入する。返済義務はない代わりに、私は株主として収益から分配金を貰ったり、経営に口を出したりできるという仕組みだ。
元いた場所――オラクル船団や地球では一般的な会社の運営方法だということも説明して、すでに長年にわたって確立された概念であることも丁寧に説明した。
突発的なアイディアではなく、実際に長年運用されていることである方が安心を持てるだろう。
「なるほど。なかなか理解しきれないところもあるけど……二人を信じるよ」
「じゃ、決まりですね!」
私たちは早速、アイテムパックに格納していたヴァリスの袋をテーブルに並べてワカヒルメ様に見せた。
「結構あるね……」
「1年分ですからね。私とエルティナは装備の更新とか、ポーションの補充とかが殆ど必要ないので、貯蓄率はかなり高いですかね?」
ガネーシャファミリアからの報酬のうち残してあった450万ヴァリスの袋が一つ。時計の販売収益が1袋20万ヴァリスが13袋で合計260万ヴァリス。そしてギルドから提供された通信機関係の作業費の1000万ヴァリスの大袋が1つ。合計で1710万ヴァリスが机上に提示された。
「じゃあ、きりのいいところで1500万ヴァリスを出資することでどうですか?」
「いや、もっと残しておいた方がいいんじゃない?」
「いえ、最初にケチると後々やりたいことができてもできないかも知れないじゃないですか」
「そうか。じゃあ、それでお願い」
ということで、1500万ヴァリスの出資が確定した。
「株券……現物の紙があった方が、神様としては実感が湧くかな?」
「1株100ヴァリスを初値として計算しますと、15万株となります。さすがに15万枚を発行するには多すぎますので、1000株券を150枚発行するのが妥当でしょう」
エルティナはそう言うと、いつものように淡々と作業プランを構築し始めた。
「うーん。株券発行用のプリンタが欲しいね。偽造防止用にうちの印章の透かしが入ったやつとか」
「透かしについては、製紙段階で入れる模様ですので、印刷機で再現するのは難しいと思われます。株券作成に特化し、透かし加工も行う機能を持たせたものであれば、オラリオの出版業界への影響は軽微と判断できます」
「君たちは、本当に何でもありだな……」
ワカヒルメ様が半ば呆れたように感心していたけれど、必要なことだからね。
「あと、経理はエルティナに任せていいのかな?」
「ご要望でしたら」
「どうですか、ワカヒルメ様?」
「……お願いしたい。お金の管理はどうも苦手でね。その代わり、二人にはなるべく早く給料が出せるように頑張るから」
主神が経営し、団員が出資し、サポーターが経理を担う。そして給料をファミリアに納める。なんだか不思議な循環取引のような気もするけれど、これが私たちの新しい形だ。
◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇
ワカヒルメ様は退職の餞別として、店主から使わなくなった古い機織り機を格安で譲り受けていた。手入れをすれば、神業を持つ彼女の手でいくらでも蘇るだろう。
店主はさらに、生糸の仕入れ先を紹介し、当面の反物の納品も請け負ってくれるという。
「本当に、いい人たちだね。……頭が上がらないよ」
こうして、
「とりあえず、しばらくは私とエルティナが仕入れと納品を代行します。ワカヒルメ様は、この安全な館から出ないで作業に集中してください」
最近、外にはイシュタルファミリアのアマゾネスたちがうろついている。彼女たちの目的が私なのか、ワカヒルメ様なのかは分からないけれど、警戒するに越したことはない。
ダンジョン探索は一時お預けになるけれど、蓄えは十分にあるし、最悪時計を売ることだって考えればいい。
最近、ロキファミリアのエルフの方々から、
「それで、最初は何の糸を買ってくればいいですか?」
「そうだね。この館の名前を『
「いいと思います!」
私は糸の種類なんてさっぱりだけれど、仕入れ先でエルティナに映像を中継してもらい、ワカヒルメ様の指示に従って最高級の絹糸を仕入れることができた。
「さて。織機も届いた。始めようか」
工房に入ったワカヒルメ様は、真っ直ぐに機織り機の前に座った。
無数の経糸を張り巡らせ、そこに一本一本、緯糸をくぐらせていく。言葉にすれば単純な作業だが、ワカヒルメ様の動きはもはや神の領域だった。
「模様とかは入れないんですか?」
「最初は、白一色から。無垢の美しさを追求したいんだ」
トントン、カラリ。
杼をくぐらせ、筬で優しく叩き整える。ペダルを踏むたびに経糸が上下し、そのたびに新しい布地が紡がれていく。
静寂に包まれた工房に、一定の、そしてどこか心地よいリズムだけが響き渡る。
「うーん……。なんだか、子守歌みたい。……ちょっと眠くなってきちゃった……」
「いいよ、そこで横になってなよ」
ワカヒルメ様は、工房の隅に置かれた簡易ベッドを指さして微笑んだ。すでに工房で寝泊まりする気満々なのかね?
私はお言葉に甘えて、そのリズムに身を任せることにした。
戦争とは、勝つことよりも負けないことの方が大切だ。だから、くじけずやっていこう。
織り機の音を聞きながら、私は静かに意識を沈めていった。