ゲーム出身の一般アークスが、オラリオでダンジョンアタックするのは無理がある 作:柳沢紀雪
さて、昨日の打ち上げではフィンさんに株式を売る約束をしたけれど、肝心の株券発行用の機械がまだ完成していないので、実際の売却はもう少し先のことになるか。そのことを説明するのを忘れてたね。
「うーん。お酒を飲んでいないから、目覚めはスッキリだね」
前世のOL時代、私は二日酔いがひどい体質だったから、飲み会の翌日は常に地獄の淵を彷徨っていた記憶がある。
歯磨きを終え、朝食を摂るか悩んでいるうちになんとなくタイミングを逃してしまった。私はメニューからコスチュームのプリセットを選択し、冬用のモコモコ猫耳パジャマから、いつもの「プリテールチェルカ」に変更した。
「さてと、今日は……納品かな」
昨日、夜も遅くならない程度で帰された時にも、工房の明かりはまだ灯っていた。ワカヒルメ様はおそらく夜通し機織りを続けておられたのだろう。側に控えるエルティナが健康管理を徹底してくれているだろうから、きっと大丈夫だろう。
私は足元まで届くピンクの髪をいつものツインテールに結い直し、結び目を「スイートメルトリボン」で固定する。最後にサッと髪を両手で流し、姿見の前でくるりと回った。
『エルティナ、ワカヒルメ様のご様子は?』
アウターに何を羽織るか考えながら、私はアークスの通信機越しにエルティナを呼び出した。
『大丈夫。ちょっと仮眠を取ったから体調はいいよ。おはよう、ベルディナ』
エルティナの代わりに、ワカヒルメ様の穏やかな声が響く。
『おっと、おはようございます、ワカヒルメ様。今日は納品ですか?』
『うん。それなんだけど、今回は私とエルティナで行ってくるから、君はダンジョンに行って欲しいんだ』
『素材がなくなりました?』
『羊毛はまだ十分ある。だけど、やっぱり絹がないと今後に差し障りがありそうでね』
『でしょうね。分かりました……何とかします』
ダンジョン産の羊毛は確かに高品質だけど、それでも
私は即座に外出着から、戦闘用のコスチューム(今日はサイヴァトランツをベース)へと変更して、アイテムパックから巨剣を取り出し、腰のマウント部へ繋止する。
「下層か……こっそり行っちゃう? まずは、エイナさんに相談だね」
ダメだと言われるのは目に見えているが、手続きを無視すると、エイナさんに怒られるだろうから、最後の手段にしたいものだ。
私は少しズレたガーターベルトをロングソックスに止め直し、戦闘システムを待機状態から通常モードへ移行させた。
体内のフォトンの出力を高めると、全身が静かな熱を帯び始めた。
◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇
「ダメです。
まあそうだよね。
ギルドの受付で、スパイダーシルクを求めて下層に向かう許可を申請したが、エイナさんには秒で却下されてしまった。これも、イシュタルファミリアの妨害かと思うのはちょっと無理があるね。
「どうしてもダメですか?」
「ダメです」
「袖の下は?」
「いりません!」
賄賂を受け取らない公務員は信用に値するけど、今の私にはその生真面目さが少しだけ恨めしい。仕方ない、ペナルティ覚悟で強行軍に出るか、あるいはリザさんに手伝ってもらうかなぁ。
私が肩を落として受付を離れ、不退転の心意気でダンジョンへ向かおうとしたその時、腰の通信機にノイズが走った。
『こちらエルティナ。お嬢様、応答願います』
わざわざ思念通信ではなく、冒険者用の端末を使ってくる意図は何だろうか。私は足を止め、ギルドフロアの隅にあるソファに腰を下ろした。
「こちらベルディナ。感度良好」
『本日分の品物の納品をすべて終えました。……その結果、次回の受注はゼロとなりました』
「それは……どういうこと?」
『言葉通りです。ワカヒルメファミリアは現在、すべての納品先から取引を停止させられました』
エルティナの無機質な声が、現状の非情さを物語っていた。
「やりやがったな、歓楽街の腐れ
私は通信機をギリギリと握りしめる。通りかかった女性冒険者が私の呟きを聞いてしまったのか、ギョッとして首をすくめると、逃げるようにダンジョンへと去っていった。
一瞬だけ肺の奥まで空気を吸い込み、吐き出し、落ち着いたところで通話スイッチを押した。
「こちらベルディナ。ワカヒルメ様のご様子は?」
『工房でお休みです。表情には出されていませんが、気落ちされている様子です』
「お労しい……」
ワカヒルメ様がどれほどの想いで、糸を紡ぎ、織物をなしあげていたのか。それを無下にするばかりか、神の尊厳すら踏みにじるようなやり方に、私は足を抱え込み、両膝に額を押しつけて、深く息を吐き出した。
「ふぅ……。こちらベルディナ。了解……私は、今から歓楽街に行く。以上」
通信を切り、私は顔を上げた。
『ダメだよ、ベルディナ。それだけはダメだ。どうか、早まらないで、帰っておいで』
通信機からワカヒルメ様の柔らかな声が聞こえ、私はそのままソファに身を沈めた。
「こちらベルディナ。神命を承ります。以上」
私は立ち上がり、地面を強く踏みしめた。重量軽減を解除した巨剣の重みが石造りの床を鳴らし、私は一歩、前へ進んだ。
表面上は冷静を保っているつもりだ。けれど、私の身体からは、自分でも制御しきれないフォトンと魔力の波動が、不気味な陽炎となって立ち上っていた。
オラリオの人々には認識できないその波動は、本能的な恐怖として周囲の冒険者たちを圧倒する。
まるで私に道を譲るように開いていく人波の真ん中を私は進み、街の風に身を委ねた。