ゲーム出身の一般アークスが、オラリオでダンジョンアタックするのは無理がある 作:柳沢紀雪
フリュネさんのハンマー投げじみたデタラメな投擲によって、城壁を遥か高く飛び越えてしまった私の身体は、放物線を描いて戦場の喧騒を置き去りにし、砦の裏手に広がる深い森の中へと吸い込まれていった。
不自然な挙動だと思われない程度に
「ふぅ……。葉っぱだらけだね、これ」
泥と木の葉まみれになったミニスカートをパタパタと払い、自慢のピンク髪に絡まった小枝を指先で丁寧に取り除いた。今日は、リオンにうるさく言われたのでちゃんと中にスパッツを穿いている。
私は周囲に
「WMS、繰り返す、WMS」
『SELNB、繰り返す、SELNB』
通信機の向こう側から、どこか楽しげなワカヒルメ様の声が響き、その背後で聞こえたイシュタル様の若干ヒステリーの混じった声に少し口の端を持ち上げると、私はすぐさま回線をチームチャンネルへと戻した。
今のは私とワカヒルメ様の間で決めておいた暗号――「WMS(Who is Mirror Seeing?)」という問いに対し、ワカヒルメ様が「SELNB(Seeing Eltyna and Lion, Not Berdina)」ということ。つまり神々の『鏡』はエルティナとリオンに釘付けで、私の姿は完全に画面外へ消えていると教えていただいたわけだ。
バベルの天上で優雅に観戦中の皆々様は、今ごろ私がフリュネさんの剛腕で戦線離脱し、森のどこかで戦闘不能になっていると思い込んでいるはず。
けれど、それこそが私達の狙い通り。感づいている神様も少なくはないだろうけど、この空白こそが最後の奇襲を成立させるための絶対条件だ。
「さてと、さっさと準備しなきゃ……」
私は巨剣を一旦地面に突き立てると、アイテムパックを起動してスィデロさんに無理を言って打ち出してもらった特殊外殻とも言える巨大な鞘を取り出した。
刀身を丸ごと飲み込むその円錐形の鞘は、136cmの私の矮躯を悠々と超える背丈を誇り、重量に至っては私の体重――38kgなんて誤差に思えるほどに重く、巨剣と一体化することで、それはもはや武器というよりは一つの「質量兵器」へと変貌を遂げた。
「よし、接続確認……完璧だね。それじゃ、いっちょ行きますか!」
私は鞘に収まった巨剣を真っ直ぐ天へと向け、それをフォトンで包み込んで慣性を抑制すると、
一回の跳躍と共に増していく上昇速度に従い、眼下に広がっていた砦や深い森は、瞬く間にミニチュアの箱庭へと凝縮され、遠ざかっていく。巨剣の鞘が空気を断ち割る衝撃は、白く濁った衝撃波の衣となって身を焼き、大気の激流が無数の爪となって、剥き出しの肌を削り取ろうと執拗に追いすがってきた。
地上を離れて空へと舞い上がる。本来なら重力の井戸に縛られて生きることを宿命づけられた生命にとって、空とは根源的な恐怖の対象であるに違いない。
しかし、それをも越えて遙か銀河の彼方まで星々の海を渡りゆくことを宿命づけられたアークスである私にとって、重力の
視界の下方には、先ほどまで見上げていた雲たちが白銀の絨毯となって地表を覆い尽くし、仰ぎ見る空は地上にいた頃の淡さを捨て、吸い込まれるような深いコバルトブルーへとその色を湛えている。ごくごくわずかに、しかし確かに弧を描き始めた惑星の輪郭が、ここがもはや大気の底ではないことを静かに教えてくれた。
そう、私はついに高度1万メートルの「境界線」へと辿り着いたんだ。
その瞬間、今まで私の
急激に薄くなる酸素と氷点下へと叩き落とされる外気温を検知して、生命維持装置が即座に極限環境モードへと移行し、私の血液に直接酸素を送り込み始めたおかげで、肺を焼くような苦しさも指先を凍らせる冷気も、もはや存在しない。
「よし、もう一踏ん張りだ。頑張ろう」
私は空気の抵抗から解放された軽やかな感覚に身を委ね、さらに高度を稼ぐべく、さらなる高みを目指して再び虚空を蹴り飛ばした。
先ほどまで分厚い壁のごとく私の行く手を阻んでいた大気の抵抗はすでになりを潜め、どれほど速く突き進もうとも切り裂くべき相手がもはや存在しない、孤独な静寂の世界へと私は足を踏み入れた。
風の唸りも大気の震えも届かないこの場所では、己の鼓動と身体を駆け巡る血流の音だけが、耳の奥でこの圧倒的な静止を際立たせる唯一の証となっていた。
鮮やかだったコバルトブルーの空は、上昇と共にその深度を増していき、今や宇宙の虚無を溶かし込んだような暗いインディゴへと変じている。
太陽が天頂へと歩み寄り昼が訪れようとしているにもかかわらず、空は逆に光を失い、瞬きを忘れた星々の鋭い輝きを増していった。
大気の揺らぎを脱したその場所で輝く星々は、地上のように瞬くことをやめてその場に静止し、青や赤、琥珀色といった鮮やかな原色を保ったまま、漆黒の
視界の下方には緩やかに弧を描く惑星の輪郭が広がり、太陽の光を浴びて燃えるような橙色に輝く惑星の縁と、逃れようのない死を予感させる
オラクル船団のアークスとして、この音のない暗黒の世界こそが魂の安らぐ真の故郷であり、望郷のごとく切ない感情に流されそうになるが、今はセンチメンタルに浸っているときではない。
ついに、私は高度3万メートルに達した。
空気は地上の100分の1ほどにまで希薄となり、すでに肺は呼吸をなすことができず、身体が内なる圧力に耐えきれず四散する運命を待つばかりの、生命を拒絶する絶望の世界だ。
私は逆さまになった世界で、眼下で傲慢にそびえる砦の座標を網膜に投影し、地上で誘導を開始したエルティナの信号とパスを確立させると、重力に抗うのをやめて「落下」という名の自由を享受することにした。
「……さてと、それじゃ、たっぷり落とし前をつけさせてもらうよ」
私は鞘に収めた巨剣をしっかりと構え、位置エネルギーの全てを破壊の衝動へと変えるべく、星空に足を向けて全力で虚空を蹴り飛ばした。
3万メートルの虚無を背負い、私は一筋の「重たい光」となって、漆黒の天頂から逆さまの世界へと真っ逆さまに身を投げた。
地表面で私が出せる速度はせいぜい秒速100メートル程度で、よっぽど頑張れば秒速130メートルまでいけるかもしれないが、そのためにはかなりの加速距離が必要になるだろう。ましてや閉鎖された砦の本拠点という限られた空間では秒速30メートルを出すのが関の山だった。
それでは第一級冒険者の規格外の反応速度を打ち破る「決定的な一撃」とするには心許ないというのが、私とエルティナの共通した見解だった。
かといって、それ以上の速度を求め、加速距離を伸ばしすぎれば、それだけ相手に対処する時間を与えるだけのことだ。これは、たった一撃の奇襲でなければならない。
ではどうするのかという答えがこれだ。
私は特殊外殻の鞘とともに、巨剣をはっきりと地上へと向けると、巨大な質量兵器と化したその全身をフォトンで包み込んで可能な限り空気抵抗を軽減し押さえ込もうと努めた。
生命維持装置の極限環境耐性モードを緩めることができないため、身体強化に回していたフォトンの一部をそちらに回すことで補填をする。
高度1万メートルを突破し、生命維持装置の負荷が劇的に軽減される瞬間に合わせて余剰フォトンをすべて空気抵抗を削る方向に転化させれば、真空に近いこの場所で蓄えた超音速のまま地表へと帰ることが出来事だろう。
「各局へ。コード:
私は通信機越しに自らで最後となる作戦指令を下すと、徐々に高まっていく空気抵抗の咆哮に全身を委ね、もはや思考を止めて一握の光となり、破壊の化身として敵集団へと鉄槌を下す断罪の流星へとその身を変じた。
新しく高評価を1件いただきました。大変はげみになります。
ありがとうございました。
また、今回は低評価を1件いただきました。以前も評価をいただいていた方が、評価を改められたといったところでございます。
評価のいかんはともかく、拙作にしっかりと向き合っていただいていることに感謝申し上げます。これからも精進いたしますので、暖かく見守っていただければと思いました。