ゲーム出身の一般アークスが、オラリオでダンジョンアタックするのは無理がある   作:柳沢紀雪

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Trophy

 

 調印式が執り行われる場所は、街中の喧騒を完全に遮断したバベルの一室――神々の『鏡』による生中継さえ行われない、重苦しい静寂が支配する少し広めの会議室だった。てっきり講堂でお祭り騒ぎみたいに盛大に行われると思ったけど、そうでもなかったみたいだ。

 

 私がちょっと重めのドアを押し開いた瞬間、女神イシュタル様から放たれた、膝を震わせるほど苛烈な怒気を真っ向から浴びてしまい、思わず「ひぇっ」と情けない声を漏らしてその場に立ちすくんでしまった。

 

「いい加減にしろ、イシュタル」

 

 その様子にワカヒルメ様が、いつになく鋭い眼光でイシュタル様を短くたしなめてくれたおかげで、私は強張っていた身体の力を抜き、逃げるようにワカヒルメ様の側へとたどり着くことができた。

 

 反対側に座るイシュタル様の傍らには、その双眸に何の感情も映していないアイシャさんが、置物のように静かに立ち尽くしてこちらを冷淡に眺めている。

 

 代表者と言うからには、てっきり団長のフリュネさんが来るものだと思っていた私は、その疑問をワカヒルメ様へアークスの通信機でこっそりと問いかけてみた。

 

『あちら側は、なんで団長じゃないんですか?』

 

『何でも、まだ完全に回復していないらしいよ。至近距離であんなものを受けたんだから、命があるだけでも儲けものだろうね』

 

 ワカヒルメ様の苦笑混じりの答えを聞きながら、私はあの時、虫の息だったフリュネさんの巨躯にエリクサーの1本を丸ごと振りかけて一命を取り留めさせた光景を思い出した。

 流石にすぐに元気いっぱいとはならなかったみたいだね。後遺症とか無いといいけど。

 

 まあ、これに懲りたら少しは真っ当な人間になれるよう努力したらいいよ。

 

「ごめんなさい、遅くなってしまったわ」

 

 静寂を破るように会議室へ姿を見せたのは、慈愛に満ちた微笑みを湛えたアストレア様と、どや顔でその隣に立つアリーゼさんに、その影に潜むように無言で歩を進めるリオンだった。

 

 リオンは私と目が合うと、フードの奥からわずかに瞳を揺らして軽く会釈を返してくれたので、私は嬉しくなってヒラヒラと手を振り返したけれど、すぐにワカヒルメ様にたしなめられてしまった。

 

「これで全員集まりましたね? では、調印式を始めさせていただきます」

 

 バベルの一室に漂う重苦しい沈黙を切り裂くように、ギルド職員の無機質な声が響き渡る。

 私は隣で端然と佇むエルティナの横顔を盗み見つつ、ワカヒルメ様とイシュタル様の目前に鎮座した豪奢な装丁の書類へと視線を落とした。

 

 ワカヒルメ様とイシュタル様のちょうど中程に立つ職員は、感情を排した手付きで一通の立派な袋とじ書類を手に取り、これより始まる儀式が単なる事務手続きではなく、神々の不可逆な裁定であることをその場に宣言した。

 

「ワカヒルメファミリア、およびイシュタルファミリア間において勃発した戦争遊戯(ウォーゲーム)に関し、ワカヒルメファミリアの勝利が確定したことを受け、戦後条約の調印を執り行います」

 

 職員が七面倒くさい法的な言い回しを並べ立て、甲だの乙だのといった退屈な文言を訥々と拝読する中、私はその内容を脳内で噛み砕くのを早々に諦め、代わりにエルティナがHUD上へ投影してくれた簡潔な要約ログへと意識を集中させた。

 

『えーっと。結局、ワカヒルメ様はイシュタルファミリアを解体したり、主神を追放したりはしないんだね』

 

 一番重要なところはそこだ。ここまで大規模な戦争遊戯(ウォーゲーム)になると、相手側のファミリアを解体して、主神をオラリオから追放することは殆ど定番みたいらしいから、今回もそうなるのかなと思っていた。

 

 私がアークスの思念通信でそっと問いかけると、ワカヒルメ様は膝の上で固く握りしめた拳にわずかな震えを滲ませつつ、静かに頷いた。

 

『流石に、あの規模の歓楽街を即座に解体するとなれば治安へのインパクトが強すぎるってさ。……さんざんギルドに泣きつかれて、仕方なくの妥譲だよ』

 

『そうなんですね。まあ、分からなくもないですけど』

 

 ワカヒルメ様としては、汚らわしい歓楽街を解体し、腹立たしい主神を即座にオラリオから追放したかったはずだけれど、ギルドの「政治的配慮」が、勝利の代償として寛容を強いたということなんだろう。

 

 ただ、秩序のある悪はまだマシなんだよ。本当に怖いのは秩序から解放された悪だから、むしろ、こういうのは一カ所に固めてちゃんと経営して貰った方がいいとは思う。感情的には納得はできないけどさ。

 

「ここまでの内容に問題はありませんか? では、次に戦後賠償にかかる項目へ移らせていただきます」

 

 ギルドの職員が感情を削ぎ落とした手つきで書類を捲ると、静まり返った会議室に紙の擦れる乾いた音だけが響き、いよいよこの会合の核心――イシュタル・ファミリアの戦後賠償の条項へと足を踏み入れた。

 

『なるほど。イシュタル・ファミリアは全資産の3分の1を私達に、同じく3分の1をアストレアファミリアに現金化して支払うことか。……これ、建物や土地みたいな不動産も含まれているんだね』

 

 私はHUDに投影された賠償リストの膨大な数字をなぞりつつ、歓楽街という巨大な市場そのものを解体せんとする過酷な条件に驚きを隠せなかったけれど、アークスの思念通信越しに返ってきたワカヒルメ様の声には、明らかに怒りが込められていた。

 

『当然だよ。本当は資産の全部をぶんどってやるつもりだったけどね。ギルドはずいぶんイシュタルが好きみたいだ』

 

 うーん。触らぬ神に祟りなしだな。だけど、ここまでくると、ぜったいギルドに歓楽街の常連が多数いるね。内緒で()()してる人もいるんじゃないかな?。

 

『ですが、全資産の7割近くを喪失させるのですから、どれほど巨大な派閥であってもその屋台骨が軋むほどの打撃となるのは間違いありません』

 

 エルティナがいつもの無機質な声で論理的な分析を差し挟んでくれたおかげで、ようやく荒ぶる神の波動も若干和らいで胸をなで下ろす。

 

 だけど、あの戦闘娼婦(バーベラ)たちが本気で夜の街を回し始めれば、これほどの巨額であっても数年で笑い飛ばして稼ぎ出してしまいそうな予感がするんだよね。私達が戦闘後に可能な限りの救護を行ったから、戦力自体は割としっかりと残ってるし、侮れないよね。自業自得と言われたらその通りなんだけどさ。

 

「以上が賠償金の確定事項となります。……続きまして、本件における『特殊項目』の通達に移らせていただきます」

 

 ギルド職員がその場の全員を一旦見渡して、異論がないことを確認すると、重々しい手付きで書類をさらに一枚捲り、居住まいを正して口を開いた。。

 

『特殊項目って、一体何のことだろうね』

 

 私が通信機越しにそっと問いかけると、エルティナは空間に不可視のデータを投影しながら、イシュタル・ファミリアが独占していた歓楽街の全事業を「株式」として発行し、その50%をギルドが優先的に購入し、残りを一般市場へと放流するというなかなか面白そうな再編案を示してくれた。

 

 なるほど、そう来たか――と私は内心で舌を巻きつつアストレア・ファミリアの面々を伺えば、泰然自若としたアストレア様の隣で、アリーゼさんがその赤髪を揺らしながら頭上に大量の疑問符を浮かべている様子が良く分かった。気持ちは分かる。

 

 ギルド職員が未知の概念である株式の権利や配当の仕組みを、一から丁寧に説明していくと、ようやく全容を把握したアストレア様が静かに手を上げた。

 

「つまり、それは……イシュタル・ファミリアは歓楽街の支配権を完全に失うということかしら」

 

 それは、まさに核心を突く問いだったようで、会議室は一気に静まりかえり、冷蔵庫かと思うほど冷え込んだ。

 

『そうなの?』

 

 私が改めてエルティナに確認を求めた。

 

『その通りです。支配権は実質的に株式という形で外部へ売却され、イシュタル様はあくまでギルドに首輪を繋がれた「雇われの経営者」という立場に格下げされるということです』

 

 なお、株式の売却益も純資産の一部に計上されるため、ここからも賠償金が発生するらしい。売却益が出たと思ったら、その3分2を無条件で持っていかれるんだからざまぁって感じだね。

 

 うーん。これは、勝ったな。

 

 ワカヒルメ様の真正面に座るイシュタル様は、自身の権威が「紙切れ」によって切り刻まれていく屈辱に耐えかねているのか、いらだたしげに指先を机にコツコツと叩き続け、その美貌を隠しきれない怒りでどす黒く歪めている様子だ。負けた方が悪い。

 

 つまり、今後イシュタル・ファミリアが今回の戦争遊戯(ウォーゲーム)による莫大な喪失を埋めようと頑張れば頑張るほど、その利益は「配当」としてギルドや株主の懐を永続的に潤す仕組みになっているのだからね。痛快じゃないか。

 

 私は込み上げる愉悦を隠そうともせずにイシュタル様へ向けてどや顔をカマしてやると、彼女は絶世の美女が浮かべてはいけない表情を浮かべ、周囲の空気を押し潰すような神威を漏らし始めた。やり過ぎたか。

 

「やめろ、イシュタル」

 

 ワカヒルメ様が凛とした声でその暴走を鋭くたしなめると、美神は会議室に響き渡るほど大きな音で舌打ちし、重厚な椅子の背もたれに乱暴に身体を預けながらお行儀悪く足を投げ出した。

 

 会場が若干落ち着いたところで、ギルド職員が事務的な手付きで私たちとアストレア様たちに対し、イシュタルファミリアの公開前株式を取得できる権利を提示したけれど、ワカヒルメ様とアストレア様は静かに首を振り、迷うことなくその申し出を辞退した。

 

 いわゆるIPO株というやつだね。公開前にちょっと割安に買っておいて、公開時に着いた値段で売り払うことで利益を得るという手法だ(エルティナから聞いた)。

 

 お二人も性格上、イシュタルファミリアの事業から資産を得ようとは思っていないのだろう。私だって欲しいとは思わないから、それでいいと思う。

 

 幾多の衝突と陰謀を乗り越え、ついに完成した合意文書へワカヒルメ様とイシュタル様がそれぞれペンを走らせると、バベルの一室を支配していた肌を刺すような緊張がようやく霧散し、二つの派閥の間に正式な不可侵条約が結ばれた。

 

 この署名をもって長い抗争に名実ともに終止符が打たれ、イシュタルファミリアからの不当な妨害も契約によって行えないことになったのだから、まずは肩の荷が下りた安堵を噛みしめよう。

 

 けれど、条約の条項に記されなかったアイシャさんの処遇を思うと後ろ髪が引かれる思いだ。実質的な不可侵条約が締結されたのだから、今後アイシャさんとの接触が難しくなってしまう訳だからね。

 

 私は小さくため息を漏らして真正面で無表情に立ち尽くす彼女の目をそっと眺めた。

 これを勝利の代償というものなのか。

 本来なら敵であるはずの彼女と、わずかな間に結んだ友好は決して嘘ではないと心に刻みつつ、それでもこれ以上の深追いはワカヒルメ様の立場を危うくすると自戒して、静かに席を立った。








実は、この戦後処理がしたいので、先んじてワカヒルメファミリアが株式を発行するストーリーを入れたという裏話があります。


また今回は1件の最高評価と2件の高評価をいただきました。
おかげをもって日間ランクに入れさせていただきました。
本当に嬉しく思います。






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