ゲーム出身の一般アークスが、オラリオでダンジョンアタックするのは無理がある   作:柳沢紀雪

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忘れてたけどステイタス更新しないとね

 

 

「あー、疲れた……」

 

 日が沈まないうちに、なんとか絹糸(けんし)の館まで戻ってこられた。けれど、その反動か、私はくたくたになって着の身着のままソファに倒れ込み、まるで生きている死体のようになってしまった。

 

「マッサージをいたしましょうか?」

 

 エルティナがそう提案してくれる。その魅力的な申し出に心が揺らいだけれど、ここは断ることにした。

 私のサポートで彼女の演算回路にも相当な負荷がかかっているはずだ。今は彼女にもゆっくり休んでもらいたい。

 

「ふぅ――少し落ち着いた。お風呂に行こうかな」

 

 公衆浴場は開いたばかりで、今は一番混み合う時間帯だ。いつもならもう少し時間をずらすところだけれど、一刻も早くこの疲労に満ちた身体を湯船に沈めたい、という欲求がわき上がってくる。

 

「私は、ワカヒルメ様の様子を確認してまいります」

 

 エルティナはそう告げると、疲れを感じさせない軽やかな足取りでリビングを出て、工房へと向かっていった。

 

「うーん。私も行こうかな。邪魔にならなきゃいいけど」

 

 とりあえず、アークスブレザーを部屋着に設定し直して、バキバキに凝った肩や腰を回しながら立ち上がり、私もリビングを抜け、エルティナを追うように工房へと足を向けた。

 

 工房からは相変わらず、規則正しくも心地よい機織りの音が響いていた。そのリズムに誘われるように、私は危うく立ったまま船を漕ぎそうになってしまう。

 

「やあ、二人とも。お帰り。会見は大丈夫だったかい?」

 

 ワカヒルメ様は私とエルティナの姿を認めると作業の手を止め、隅に置かれた水差しから少しだけ水を飲んで喉を潤された。

 

「すみません。お邪魔でしたか?」

 

 作業を中断させてしまったかと申し訳なく思ったけれど、ワカヒルメ様は手をヒラヒラと振って笑った。

 

「いいんだよ。そろそろ今日は終わりにしようと思ってたところだったから、ちょうど良いきっかけになって助かった。ダラダラと作業を続けても、良いものは生まれないからね」

 

 ワカヒルメ様は指の感覚を確かめるように、何度か手を握ったり開いたりして、固まった関節を解きほぐしているようだった。

 やっぱり、ワカヒルメ様はこうして働いている時が一番生き生きとしていて、美しい。

 

「それじゃ、そろそろお風呂に行きませんか? 混んでいるかもしれませんけど、疲れを癒やすには一番いい時間ですよ」

 

 私は思い切ってワカヒルメ様を誘ってみた。意外に思われるかもしれないが、私たちとワカヒルメ様とでは生活のリズムが違うため、お風呂のタイミングが重なることは滅多になかったのだ。

 

「そうだね、確かにそれくらいの時間だ。うん、いいね、行こう。準備するから少し待っていておくれ」

 

 ワカヒルメ様は厚手のエプロンを外して工房のハンガーに掛け、邪魔にならないようまとめていた髪を解くと、軽く手櫛を通された。

 

「分かりました。それじゃ、門で待ってます」

 

 私はそう告げてエルティナを伴い自室へと戻った。いつものお風呂セット――替えの下着をハンドタオルとバスタオルで包み、それらをごそっと木組みの風呂桶に収める。その上にラベンダーの香りがする石鹸を乗せれば準備完了だ。

 

 公衆浴場には一応備え付けのものもあるけれど、やっぱり使い慣れた自分の物を持っていきたい。シャンプーやコンディショナーはまだ高価で手が出せないけれど、いつかはこの桶に並べてみたいものだ。

 

 公衆浴場は確かに人は多かったけれど、ごった返して芋洗い状態というほどでもなかった。ワイワイガヤガヤと心地よい喧騒に溢れていて、この時間帯には珍しい「女神と幼女と小人族(パルゥム)」という組み合わせに、色々な人から話しかけられて楽しかった。

 

 会話に花が咲くというのか、女三人寄れば姦(かしま)しいというのか。無限に湧き出てくるおしゃべりに時間を忘れそうになったけれど、エルティナの冷静な進言のおかげで、なんとか湯船から抜け出すことができた。

 

「やー、楽しかったですね。ちょっとのぼせちゃいました?」

 

 私はまだ頬の赤いワカヒルメ様の手を握り、少し冷たい夜風で熱を冷ましながら歩いた。

 

「長湯は得意な方なんだけどね。流石にあれだけ喋り続けると、体より先に喉が疲れてくるよ」

 

 ワカヒルメ様は苦笑いしながらも、肌の血色はとてもいい。溜まっていた疲労も、お湯の中に十分溶け出していったんじゃないかと思う。

 

「また一緒に行きましょうね。しばらくはエルティナもずっと一緒ですから」

 

「そうだね。――あ、そうそう。言い忘れてた。今晩、二人のステイタス更新をするから覚えておいてね」

 

「あー、そういえば忙しくて全然できてませんでしたね。それじゃ、夕飯の後にワカヒルメ様の部屋へ伺えばいいですか?」

 

「うん、それでお願いするよ」

 

 ステイタス更新か。あの戦争遊戯(ウォーゲーム)でどれほどの経験値(エクセリア)が入っているかは分からないけれど、少しは足しになってくれているといいな。少なくとも、格上のレベル5を一人、それにレベル2~3の集団を多数無力化したんだから、それなりに稼げていないと困る。

 

 

◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇

 

 

 今日もなんだかんだと忙しく、食材を買う時間もお料理をする暇もなかったので、夕食は相変わらず、出来合いのお惣菜を並べるだけのごく簡単なものとなった。

 とはいえ、お惣菜も買う店を多少は選んだので、それなりの満足感は得られたけれど。

 

「落ち着いたら、アストレア様たちも誘って戦争遊戯(ウォーゲーム)の打ち上げをしましょうね。せっかく賠償金も入りますし、ちょっとお高いところで」

 

 この間、ロキファミリアとの宴席で使った『豊穣の女主人』などは、素晴らしい料理の数々に感動したものだ。フィンさんのおごりだったので正確な値段は分からないが、会計の際に彼が差し出した革袋の膨らみからして、なかなかの高級店なのだろうと推測しているところだ。

 

「そうだね。今度、アストレアに聞いておくよ……」

 

 ワカヒルメ様はオムレツをフォークで突きながら、どこか上の空で答えた。その気持ちはよく分かる。

 

 これまで絹の経糸(たていと)のように張り詰めていた緊張が、調印による終戦を経て、完成した織物を織機から切り離した時のような独特の倦怠感に変わったのだ。仕上げの一太刀で経糸を断つ瞬間、弦楽器が奏でるような甲高い音が響き、プツリと糸が切れる――。今のワカヒルメ様は、その解放感に感覚が追いついていない状態なのだろう。

 

「今日はもうお休みになられますか? ステイタス更新は後日でも問題ありません」

 

 エルティナが、疲れの見えるワカヒルメ様を気遣って言葉を投げた。湯船で温まったことも、心地よい気だるさに拍車をかけているのかもしれない。

 

「いや、大丈夫。こればかりは主神として、ちゃんと向き合わないとね。……ごめん、ちょっとボーッとしていたよ」

 

 ワカヒルメ様は傾いでいた小首をしっかりと立て直し、オムレツの最後の一欠片を勢いよく口に運ぶと、「ごちそうさま」と食事を締めくくった。

 

「本当に、無理はしないでくださいね?」

 

 念押しはしてみたが、ワカヒルメ様の決意は固いようだった。

 

「なるべく早く終わらせてあげた方がいいね」

 

 私はそう言うと、素早く食器をキッチンへ下げて、エルティナの手も借りて手早く洗い物を済ませ、エプロンを外して身軽になると、ワカヒルメ様の寝室へと突撃を敢行した。

 

「おっと。思ったより早かったね」

 

 ワカヒルメ様は執務机に向かって、筆を執っていた。

 

「まだお仕事でしたか?」

 

「いや、久しぶりに和歌でも詠んでみようと思ったんだけど。どうにも集中できなくてね」

 

 ワカヒルメ様は筆を置き、軽く背筋を伸ばして立ち上がると、私をベッドへと促した。

 

「それじゃ、お願い」

 

 その言葉に従い、私は上着と肌着を脱いで、後ろ手でホックを外し、前を抑えながら、むき出しの背中をワカヒルメ様へと差し出す。

 

「始めるよ」

 

 ワカヒルメ様が指先に小さな傷を作って血を滲ませ、私の背に触れる。その瞬間、刻まれた神の恩恵(ファルナ)が解錠され、彼女の指先の動きに従って、蓄積された経験値がステイタスという数値へと変換されていく。

 

「これは……」

 

 静かな部屋に、ワカヒルメ様の驚愕の声が響いた。

 

「どうしました?」

 

「……おめでとう、ベルディナ。これで君も、レベル3になれるよ」

 

 その言葉に、自分の鼓動が跳ねるのを感じた。

 

「長かったですね……」

 

「いや、君たちが冒険者になってまだ一年ほどだろう。それでレベル3なんて、むしろ早すぎるくらいだよ。――ランクアップさせるかい?」

 

「もちろんです。早く下層へ行かないと、経験値が稼げない体になっちゃいましたから。お願いします」

 

 ランクアップ可能となっても、アビリティが上限に達するまで保留するケースもあるというが、そんな悠長なことをしていたら一生ランクアップなどできない。せめてレベル4までは迷わず上げてしまうべきだ。レベル4を超えれば、事実上の階層制限はなくなるのだからね。

 

「よし、完了だ。これで君もレベル3の冒険者の仲間入りだね。……後は……そうだね、エルティナの更新を終わらせてからにしようか」

 

 

 私は後ろ手でホックを留め直し、収まりの悪かった双房を丁寧にカップの中へ整えると、肌着と上着を羽織ってベッドから飛び降りた。こういうのをちゃんとしないと、後々形が崩れて取り返しの付かないことになるからね。

 

「うーん。レベル3になったと言っても、劇的に何かが変わったという実感はないですね」

 

 軽くジャンプをしたり、ストレッチをしてみたりするが、体に違和感一つないのがむしろ奇妙に感じられる。

 

「まあ、そんなもんだよ。さあ、エルティナ。おいで」

 

「失礼します」

 

 エルティナはいつものようにワカヒルメ様のお膝へちょこんと座り、背中を開いて大人しく更新を受け始めた。

 

「私がランクアップしたということは、当然エルティナも……ですよね?」

 

 私とエルティナは奇妙なラインで繋がっているらしいので、成長の歩調も合うはずだ。

 

「…………うん。そうだね。おめでとうエルティナ、君もレベル3だ。ランクアップさせるかい?」

 

「お願いします」

 

 案の定だった。私はベッド脇の椅子に腰を下ろし、エルティナの背中で進む更新作業を静かに見守った。

 作業は滞りなく終わり、エルティナは服を直してワカヒルメ様のお膝から飛び降りると、私の傍らで待機した。

 

「いろいろあって驚いたけれど、ともかくおめでとう。ギルドには私から報告しておくよ。……それともう一つ。レベルの上限についてだ。今までレベル5までだったけれど、それが一段階引き上げられて、レベル6まで解放されていたよ。これは、なんと言えばいいのかな?」

 

「フリュネさんを倒したから……でしょうかね?」

 

 私は小首をかしげた。けれど、ワカヒルメ様はどこか腑に落ちないといった表情だ。

 

「普通ならそうなんだろうけど、なんとなく違う気がするんだよ。ひょっとしたら……通信機や時計といった君たちの技術的発展が、神々(わたしたち)の琴線に深く触れたのかもしれない」

 

「あー、なるほど。それはエルティナの功績になりますか」

 

 ランクアップに必要な『偉業』。それは強敵の撃破だけでなく、神々ですら予想だにしなかった「価値ある創造」もまた、天界の基準では偉業としてカウントされるのかもしれないね。

 

「私の功績は、マスターの功績でありますので」

 

 エルティナは特に感動した様子もなく、淡々と事実だけを伝えてくる。

 

「まあ、そう言わずに。自分の成したことは、ちゃんと誇ったほうがいいよ」

 

 私がそう諭しても、彼女にはそうした自尊心の判断基準がインプットされていないから、まさに暖簾に腕押しといったところだけれどね。

 

 ちなみに、このランクアップによって私とエルティナには新たな発展アビリティが発現していた。

 

 私に発現した新たな発展アビリティは【復活 I】で、詳しい説明はないのだがおそらくラスターウィルのような一度だけ致命傷を受けても死なないタイプのものではないかと思われる。怖いから試すこともできないけどね。

 

 それと、エルティナに発現したのは【技巧 I】で、これはおそらく製造に関するアビリティと思われた。より細かく、より精密で、より優美な製作が可能になったのではないかと予想しているが、今後が楽しみだ。

 

 ランクアップの祝いのことも話題に上ったが、今日はとにかく皆が疲れ切っているので、詳しいことは後日に、ということでこの日は解散となった。

 

『リザさん、私、ついにレベル3になりましたよ。深層に行くまで、もうひと踏ん張りですね』

 

 床についたところで、日課になっているリザさんとの報告会と相成った。リザさんは今、仲間と共に38階層の拠点を再整備しているとのことだ。以前、私たちがスィデロさんと素材収集をしていた時に、うっかり潰してしまった場所だね。

 

『その節はご迷惑をおかけしましたと、リドさんに伝えてください』

 

『奴は気にするなと言っていた。だから、お前が気にすることではない』

 

 リザさんは相変わらず優しい。けれど、それでも気が済まないので、いつかお詫びに何かを包んで持っていきたいとは思っている。……もっとも、時間が取れないのが一番の問題なのだけれど。

 

『下層に行ったら、一旦合流しませんか? 私も、お仲間の皆さんとゆっくりお話ししたいです』

 

 なんだかんだ言っても、彼らとは一戦交えて別れて以来だったから、改めて親睦を深めたいと思っているのだ。できれば、アストレアファミリアの人たちも一緒に行けたら最高なんだけど。

 

『確認しておく。……察するに、公私共に厄介事が片付いたのだろう?』

 

『そうですね。戦いはダンジョンの中だけじゃなく、地上にもありました。なかなか、人間ってのはしがらみが多くて参りますね』

 

『察することしかできんが……今日はもう休め。通信はここまでにしておく』

 

『分かりました。おやすみなさい、リザさん』

 

 私はそう告げて通信を閉じ、掛け布団を引っ張り上げて顔を埋めた。窓から差し込む月明かりが私の足元を静かに照らしていたが、次第にその光の印象も薄れていく。

 心地よいまどろみの世界へと、私はゆっくりと旅立っていったのだった。

 

 







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