ゲーム出身の一般アークスが、オラリオでダンジョンアタックするのは無理がある   作:柳沢紀雪

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株券の発行の時が来た

 

 次の日も、引き続きリオンに組み手をしてもらい、位階昇華(ランクアップ)に伴う感覚のズレを修正しようと努めたが、指先からつま先に至るまで、所々に数ミリ程度の違和感がまだ残っているようで、新しい肉体という器に魂が馴染みきっていない感触がとても気持ちが悪かった。

 

 大まかなところは修正できたので、変なところでつまずいたり転んだりすることはなくなったので、確実に前進はしているのだけどね。

 

「後は実戦で詰めていくしかありませんね」

 

 とリオンに諭された私は、当面は命の危険が少ない上層を中心に、慎重な調整に専念することを決意した。

 

 結局今日もリオンはお風呂に行かずに帰ってしまい、私も一人での鍛錬をする気にはなれなかったので早々に切り上げて、ワカヒルメ様を助けていた秋葉さんと、株券発行機の調整を終えたエルティナを誘い、例の昼から空いている公衆浴場で女同士仲良く汗を流した。

 

 かつての過酷な境遇を感じさせぬほど白く滑らかな秋葉さんの背を流し、漆黒の長い髪を指先で丁寧に梳き洗いしてあげると、湯気に包まれた彼女の美しさは見違えるほどに際立ち、鏡に映る姿を本人も眩しそうに見つめていた。

 

 ワカヒルメ様も「私も手伝ってあげるよ」と手を伸ばされたが、秋葉さんが斎服殿(いみはたどの)時代の癖か「恐れ多いです」と恐縮したため、今回はご遠慮いただいたところだ。

 

 繁忙期前の安価な入浴料を支払って浴場を後にした私たちは、心地よい疲労感を抱えて『絹糸(けんし)の館』へと戻り、早めの夕餉を囲むことにした。

 

 しっかりと仕込みをしていたトマトソースを温め直し、手打ちパスタが踊る大鍋の様子を見極めると、私の一番の得意料理を新しい家族の皿へと丁寧に盛り付けた。

 

 食事の合間を見計らい、来週から【ディアンケヒトファミリア】の治療院へ検査入院してもらう予定を秋葉さんへ告げ、本人でも自覚のない不調があるかもしれないので、じっくりと時間をかけて調べて貰うことを伝え、了承を得た

 

 彼女への神の恩恵(ファルナ)の刻印は万全な状態に戻った退院後に行うこととし、それまではエルティナの主導で入院用の清潔な下着や肌着に、退屈しのぎの書物といった備品を、一つ一つ吟味しながら揃える準備期間とした。

 

 入院中はエルティナの所持していた通信機を秋葉さんに預けることにした。

 これなら夜の静寂に不安を感じた時でも、簡単にワカヒルメ様とお話しすることができて心も安らぐはずだ。

 

 

 

「皆様、食後にお時間をいただけますか?」

 

 穏やかな夕食の余韻がリビングを包み込む中、給仕を終えたエルティナが静かに背筋を正すと、澄んだ声音で私たちへ食後の時間を求めた。

 

「私は特にやることもないけれど、二人の方はどうだい?」

 

 ワカヒルメ様は食後のお茶を楽しみつつ、私と、まだ新しい環境に慣れぬ様子の秋葉さんへと目配せを送る。

 

「私も明日の仕込みを済ませれば、後は眠りにつくばかりですから大丈夫ですよ」

 

「わ、私も……今は特に作業はありませんので……」

 

 私は明日の献立を頭の隅で組み立てながら答え、秋葉さんも彼女らしい慎ましやかな仕草で静かに首を横に振った。

 

「では、かねてより進めておりました『株券発行装置』の製作が完了しましたので、その最終確認をお願いいたします」

 

 エルティナの淡々とした宣言に、ワカヒルメ様と私は「いよいよだね」と期待に目を輝かせたが、事情を知らぬ秋葉さんだけは「かぶけん……?」と不思議そうに小首を傾げていた。

 

 私たちは手早く食器を洗い上げると、水切り用の桶へと並べ、エルティナの先導に従って工房の一角へと足を踏み入れた。

 

「こちらが株券発行装置(かぶけんはっこうそうち)の本体です」

 

 エルティナは工房の隅で静かな威容を放つ白布の塊を小さな手で指し示し、一歩下がる。

 

「ああ、これのことだったんだね。機織り機に向かっている間も、ずっと気になっていたんだよ」

 

 ワカヒルメ様は好奇心に瞳を輝かせながら歩み寄ると、新調されたばかりの工房に鎮座する未知の機械を上下にのぞき込み始めた。

 

「布をとってもいいの?」

 

 私ははやる気持ちを抑えきれず、白布の上からその表面を指先で控えめに突いてみると、布越しに伝わる硬質な金属の冷たさと確かな重量感が、確かな手触りを返してきた。。

 

「どうぞ」

 

 エルティナが静かに頷いて許可を出すと、私は背伸びをしながら大きな白布の端を力いっぱい掴み取り、小柄な身体でもつれぬよう細心の注意を払いながら一気に引き剥がした。

 

 舞い上がるわずかな埃の向こう側、ついに白日の下に晒されたその装置は、鋼鉄の鈍い輝きと、おそらく回路(サーキット)を納めているのであろう操作盤(コンソール)を思わせる小さな箱に各種のスイッチ類が並んだ、まさに工作機械という雰囲気を醸し出している。

 

「ふむふむ、なるほど……で、これはなんなんだい?」

 

 ワカヒルメ様は「なるほど、わからん」と表情で語りながら腕を組みつつ、株券発行装置(かぶけんはっこうそうち)の周囲を何度も回り、四方八方から興味深げに眺め始めた。

 

「スイッチがたくさん並んでいるけれど、これはやはり魔石を動力として動くの?」

 

「はい、まずはこちらをご覧ください」

 

 エルティナは私の問いに淀みなく応じると、小人族(パルゥム)サイズに設えられた作業台の上に鎮座する、鈍い銀光を放つ金属製のプレートを小さな手で指し示した。

 

「うーん、ひょっとしてこれが……原板なのかな?」

 

 私は手のひらより一回りほど大きく、ちょうど紙幣と同程度のサイズに収まったコンパクトなプレートを手に取ると、鋼鉄の削り出し特有のずしりとした確かな重みが掌を押し返してきた。

 

「実に繊細な模様が刻まれているね。不用意に触れて傷をつけてしまわないか心配になるほどだよ」

 

 ワカヒルメ様は私の手元にある原板へ顔を近づけ、四方を覆う優美な蔦模様や、下部に整然と並んだ四つ葉のクローバー、そして中央にあしらわれた真昼の太陽のごとき意匠を、職人の鋭い瞳でじっくりと凝視した。

 

「こちらの原板は、彫刻凹版を採用しております。凸版では、偽造防止のための極微細な文字や、独特の触感を生む立体印刷を施すことが難しかったのです」

 

 エルティナが淡々と技術的な解説を加えたが、ワカヒルメ様は「細かい文字……? どこだい、私にはただの模様にしか見えないけれど」と不思議そうに首を傾げ、目を細めて金属の表面をさらに深く覗き込んだ。

 ワカヒルメ様は顔を近づけ、意識を研ぎ澄ませて表面処理をされた原板を凝視されたが、そこには優美な蔦模様や太陽の意匠が広がるばかりで、文字が介在する余地などどこにもないように見えた。

 

「では、こちらをご使用ください」

 

 エルティナはそれに応じると、作業机から取り出した高倍率のルーペをワカヒルメ様に手渡し、繊細な模様が密集する一点を細い指先で静かに指し示した。

 

「ええと……ん? ……これは……! 驚いたな、これほど微細な文字を意匠の一部として組み込むなんて、並の職人の業じゃないよ」

 

 ワカヒルメ様が驚愕に目を見開くのを見て、私も横からレンズを覗き込むと、拡大された視界の中で蔦の曲線に沿うように『ワカヒルメファミリア』という共通語(コイネー)が極小の粒子のような精密さで刻まれているのが確認できた。

 

「ここだけではありません。偽造をより困難にするため、肉眼では判別不能な箇所に幾つもの異なる微細文字を配しております」

 

「確かにこれじゃあ、最初から仕掛けを知っている者でなければ複製なんて夢のまた夢だね」

 

「はい。この原板に彫刻することに時間を取られておりました」

 

 エルティナは達成感を表情に出すことこそなかったが、その声音には確かな自負が混じっており、ワカヒルメ様は感嘆の吐息を漏らしつつ、手元のルーペを隣で固唾を呑んでいた秋葉さんに手渡すと、酷使した目元を優しく揉みほぐされた。

 

「なるほど、執念だね……。これほどの精密加工、ひょっとして【技巧】の発展アビリティの影響名のかな?」

 

「おそらくその影響も大きいと思われます」

 

「……凄いです」

 

 秋葉さんもレンズを覗き込み、感極まったような声を漏らしており、私も、エルティナの成長を感じることができて嬉しい限りだ。今後が楽しみだね。

 エルティナの的確な指示に従って、丹念に削り出された原板を株券発行装置の所定の位置へと慎重にセットし、起動スイッチを指先で押し込むと、複雑な歯車が噛み合う小気味よい音が工房内に響き渡った。

 

「凹版印刷は原板の溝へ深々とインクを塗り込み、その後に平面部の余分なインクをローラーで完璧に拭い去る工程が必要となります」

 

 エルティナは淡々と解説を加えつつ、複雑な機構が凝縮された小型プレス機の挙動を見守っていた。

 

「なるほど。今、勢いよく回っているあのローラーで原板を拭いてるわけか」

 

 ワカヒルメ様は安全のために少し離れた場所から装置を眺め、エルティナの説明通りに動く機械の精密さに、感銘を受けたように目を細められた。

 

「まずは一枚印刷します。プレス機が上下の原板に高圧をかけて紙に押しつけます。その際に凹面内のインキが紙に浸透し、図柄を複写します」

 

 閉鎖された装置の奥で重厚な駆動音が響き、強力な油圧が上下の原板を専用の用紙へと押しつけると、床を伝う重い振動が私の足裏を微かに揺らした。

 

 それから数秒も経たないうちに、排紙トレイに刷りたてほやほやの株券が滑り込んできて、排出口から漏れ出るかすかな熱気が、春の寒夜の空気を一瞬だけ暖めた。

 

「少し、熱を持っているんだね」

 

 ワカヒルメ様はトレイに指を伸ばし、慎重な手付きで株券をつまみ上げると、その温もりに驚いたように眉を上げられた。

 

「インクの表面を乾燥させるため、排紙の瞬間に熱風を当てております。……ですが、立体印刷を施した部分は内部まで硬化するのに数日を要するため、今日中に額面を書き込むことはお控えください」

 

 エルティナの言葉に、ワカヒルメ様は「そうか、焦りは禁物だね」と頷きつつも、どこか残念そうに刷りたての紙面を眺めていた。

 

「ですが、こちらに数日前にテスト印刷を行い、完全に乾燥させたサンプルを用意しております」

 

 エルティナが手際よく別の棚から取り出したその一枚に、ワカヒルメ様は肩をすくめて見せた。

 

「なんか、料理番組みたい」

 

 私はそう言うとワカヒルメ様からできたての株券を受け取って、別の作業台に慎重に乗せて乾燥を進めた。

 

 

 

 ワカヒルメ様は完成した株券を受け取ると、指先でその表面をなぞり、意図的に盛り上げられたインクが作り出す独特のざらつきと、彫刻凹版特有の重厚な手触りを丹念に確かめられた。

 

「なるほど……。この触感と、肉眼では捉えきれない微細な文字。これほどの手間と技術を見せつけられれば、偽造をする気も起こさせないわけだ」

 

「まさに、その心理的抑止こそがこの技術の目的です」

 

 エルティナがどこか誇らしげに言葉を添える。私はワカヒルメ様が眺める紙面を横から覗き込みながら、ふと気になっていた意匠について、確認するように呟いた。

 

「そういえば、今回は透かしは入らないんだね」

 

「光の屈折を利用する透かしを実現するには、繊維の密度を制御した専用用紙の開発から着手せねばなりませんので、初期段階の今回は実装を見送りました」

 

 エルティナの論理的な説明に、私は「なるほどね」と頷きつつ、紙の製造となると結構大変な事業になりそうだと思いをはせた。

 

「将来的な課題ってことか。まあ、今のうちはこれでも十分じゃないかな? どう思われますか? ワカヒルメ様」

 

「私には技術的なことはなんのこっちゃだよ。……ともかく、これに額面を記載すればいいのかい?」

 

「はい。こちらの改ざん防止用インクをお使いください。一度定着すれば、溶剤を用いた消去や上書きを物理的に受け付けない特殊な調合を施しております」

 

「ふむ、まさに万全だね。……では、記念すべき最初の 1000 株券を発行しよう。ここへ数字を書き込めばよいのかい?」

 

 エルティナの指示に従い、ワカヒルメ様は筆を執ると、中央部に【壱千株券】の文字を、その右下へ【ワカヒルメ】の御名を、神ならではの流麗な筆致で記された。仕上げに、書き終えた文字を保護するようにファミリアの正式な角印が「トン」と重厚な音を立てて押され、オラリオの初の株券の発行と相成った。

 

「うーん、感慨深いですね……。それじゃ、折を見てこれをフィンさんに売却してきます」

 

 フィンさんに1000株を売却する約束をしていたからね。随分お待たせしてしまって申し訳ないが、これで約束が果たせるってものだ。これを彼の勇者様(ブレイバー)は、いかに価値を見いだして、いかに活用して、いかに運用していくのか。お手並み拝見と行こうじゃないか。

 

「あ、そうだ。エルティナにちょっと相談いい?」

 

 ワカヒルメ様の手によって発行されたばかりの壱千株券(いっせんかぶけん)を、心ゆくまで眺めた後に、アイテムパックへと大切に格納し、私はふと思いついたことがあり、傍らで待機していたエルティナへ声をかけた。

 

「いかがいたしましたか? マスター」

 

 エルティナは私の微かな声のトーンの変化を察し、私の正面へと歩み寄ると、少し声を落として答えを返してくれた。内緒話って事でも無いんだけどね。

 

 視線の先では、ワカヒルメ様が秋葉さんを伴って発行装置の挙動を一つ一つ確認しており、私が保有する150株――1500万ヴァリスに相当する証書の残りを刷り上げるべく、真剣な面持ちで手順を確認しているようだ。コンソールには簡易的な説明文と共にスイッチが順番に配置されていて、矢印に従って設定をして行けば誰でも発行が行われるようになっているようだった。理想的なUIだね。

 

 毎日五枚ほどのペースで印刷を進めれば一月もかからずに発行が完了するだろうという、二人の話し声を背中で聞き流しながら、私はエルティナに一つの提案を投げかけた。

 

「この装置を利用して、偽造できない『売掛証書』を作れないかなって思ってるんだ」

 

「売掛証書、ですか?」

 

「うん。オラリオでは後払いが基本でしょ? 私は偽造が怖くて使わなかったけど、この機械で刷ったものなら安心かなって思うんだよ」

 

 私は空中に思い描く構想をエルティナと共有すべく、身振り手振りを交えながら言葉を継いだ。

 

「今度、イシュタル・ファミリアからの賠償金はギルドの金庫に保管してもらうことにしたでしょ。だから、この売掛証書をギルドに持って行けば、ギルドの窓口で直接ヴァリスと引き換えられる『ヴァリス交換券』にすれば、すごく便利になると思うんだけど、どうかな?」

 

 エルティナは私の突飛な提案を瞬時に演算し、「合理的であると判断します。しかし、それはギルドとの密接な協議が不可欠となりますね」と、冷静に答えを返してくれた。

 

「もちろん。交渉の席にはエルティナにも付いてきてほしいんだ。私だけじゃなかなか話を聞いて貰えないかもしれないからさ」

 

「承知いたしました。では、原板作成に入ります。一週間ほどお時間をいただきますが、よろしいでしょうか?」

 

「うん、急がなくてもいいよ。他にやることがあったら、そっちを優先していいからね」

 

 これが実用化されたら、高額な商品の売り買いをする際も重くてかさばるヴァリスを持ち運ぶことなく紙切れだけで決裁できるのだから、かなり便利になると思うんだ。

 ただの便利グッズだから、オラリオの経済にも株式ほどのインパクトは与えないと思うんだよね、知らんけど。

 

 

 

 







ファンタジー系のSSで株券を発行する日が来るとは思いませんでした。


また、今回は1件の高評価をいただきました。ありがとうございました。




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