吾輩は『
日本剣術の行末……ではなく、自分自身の行末を真に憂う者である。
時は幕末、嘉永7年。
吾輩は二度目の生を授かった。
そう、二度目である。
輪廻転生など信じてはいなかったが、吾輩は間違いなく前世というものを覚えていた。
しかし、過去ではなく、未来であった。
西暦で言えば二千を過ぎ、百年以上未来から……遥か過去に吾輩は生まれ変わったのだ。
だが、その程度では驚きはしなかった。
時代の差など些細に感じられるほど、大きな差異があったのだ。
それに気付いたのは、己の名を知った時だ。
もう一度、名乗ろう。
吾輩は『
……その名に、吾輩は聞き覚えがあった。
言うなれば、生まれる前から知っていた。
そうだ。
漫画『るろうに剣心ー明治剣客浪漫譚ー』に登場する人物の名だったからだ。
この世は創作の世界ではないか?……とは他人には決して、口が裂けても言えぬ。
言えば『気でも狂ったか』と嘲笑されるに違いない。
だが、吾輩の疑惑は幾つもの事象によって裏打ちされてしまう事となる。
元治二年、吾輩の歳は十一となった。
それなりに裕福な家に生まれた吾輩は、噂話を耳にした。
まことしやかに囁かれている『噂』を。
幕末、乱れるこの国を血で洗う人斬りの『噂』。
最強と名高く、恐れられる……伝説。
詳しい容姿は誰も知らぬ、会えば必死の殺人剣客。
ただ、頬に十字の傷があるとか。
その姿に覚えがあった。
そして、その名にも覚えがあった。
通り名は『人斬り抜刀斎』。
つまり『るろ剣』の主人公、
その人が現世に存在しているのである。
喜ぶべきか?
否。
何度でも言おう。
吾輩の名は『
その名は『るろうに剣心』に登場する……『悪役』の名だ。
それも序盤に登場する、格の低い悪役だ。
名は体を表し、豪快な容姿をしており、剣術に於いても強者に分類される筈だが……精神が脆かった。
最初は格の高い剣客だった。
強き古き剣術の復興を目論む殺人剣の使い手であり、真古流という剣客一派を作り出し、卓越した剣技を振るう。
その剣の腕前は
しかし、話が進むにつれて卑怯な小細工や、不意打ち、目潰し……小物になっていき……最後は殺人剣を語りながらも人を殺した事がない事を剣心に悟られ……戦意喪失。
情けない男、それが吾輩だ。
……だが、ここが『るろうに剣心』の世界であるならば……どうにも一つ、腑に落ちぬ事がある。
吾輩が『女』である事だ。
そう、漫画に登場する『
同姓同名だが……性別が全く、異なるのである。
いや、そもそも女児に『
何か、運命とも言える強固な縛りによって『
母に問うてみてば、生まれる寸前まで腹の中の子を男と確信し、男の名しか用意していなかったそうだ。
あぁ、やはり狂っている。
それとも、我が子にそれほど興味がないのか。
吾輩は『
己の将来を真に憂う者である。
偶然、同姓同名というだけで全く異なる別人であれば……と祈る事は止められぬだろう。
しかし、その祈りは裏切られる事となった。
蔵の奥底に、古臭い剣術の指南書があったのだ。
それは、古流剣術……効率的に人を殺す、殺人剣の秘伝書であった。
……これこそ、漫画の『石動 雷十太』が見出し、会得する事になる秘剣『飯綱』の元となる秘伝書だろう。
最早、己に言い訳する事も出来ぬ。
吾輩は『石動 雷十太』。
『るろうに剣心』に登場する悪役……性別は違えど、その人なのだ。
吾輩は秘伝書を開いた。
……この世は弱肉強食である。
未来の日本と違い、この時代では治安など紙屑に等しい。
たとえ、戦乱の幕末の世が明けても……だ。
この世界は少年漫画。
それも戦闘を題材にした剣客浪漫譚。
凶悪な悪人と、善良な主人公が争う漫画だ、
ならば、偶然にも悪人と鉢合わせる事があるかも知れぬ。
弱ければ、命も尊厳も誇りも守る事は出来ぬ。
この世界は力無き者に厳しい。
ならば、強くならなければならぬ。
己の我を通すために。
己の身を守るために。
その日から、吾輩は秘伝書を元に鍛錬を始めた。
父母の反対を押し切り、剣を振るう日々。
しかし、吾輩は子供であり父母の承諾がなければ師範すら雇えぬ。
だが、独学でも問題なかったのだ。
この身は剣の才覚に溢れていた。
書物と自己鍛錬のみで上達して行く。
それは漫画での雷十太も同じだったか……今となっては調べる術もない。
日が昇り、月が昇る。
桜が散り、銀杏が落ち、雪が積もる。
砂場を走り、重石を持ち、金板を巻いた剣を振るう。
父母が諦め、生まれた妹に『姉のようになるな』と言い始めた。
申し訳ないと思いつつも、慎ましい淑女としての振る舞いは出来ぬ。
男に愛想を振る舞う事など出来ぬ。
吾輩は……未だ、生前の性別を忘れられぬ。
寧ろ、今生の性別の方が間違いではないかと疑う始末。
これでどうして父母の望む淑女になれようか。
しかして、父母の願いを裏切り、鍛錬を続けた結果……吾輩は、ついに会得したのだ。
初めは、剣先が揺らぐだけであった。
視界の錯覚か、空間が揺らいでいるのか。
答えは、否。
空気の断層により、光が揺らいでいるのだ。
剣を、振るう。
超高速で独特な軌道を描き、振るわれる剣が真空の刃を生み出す。
真空の刃は凄まじい切れ味を誇り、刃のない竹光に刃を与え……目前の大岩を両断したのだ。
すなわち、怪異『鎌鼬』の再現。
純粋な剣技と、鍛錬が生み出した見えざる刃。
これこそが真古流の象徴となる我が秘剣『
雷十太曰く『究極の殺人剣』である。
寸断された大岩を前にして……しかし、吾輩は満足していなかった。
初歩の初歩、扉を叩いたに過ぎぬ。
体得した『真空を剣に纏う斬撃』は、『
これは基礎だ。
真の奥義とは──
その先にある。
それから数年。
父母から遂に居ない者として扱われ始めた頃。
吾輩は奥義に至った。
◇◆◇
曇天、雨の滴る夕暮れ。
刀を構える。
剣先は夢幻の如く揺れ動き、真空の刃を纏う。
ここまでは『
しかし、瞬間……剣先を弾くように振るえば──
刀が纏っていた、真空の刃が離れた。
視界に、宙で弾ける水滴が見えた。
直後、四尺は離れた岩盤に……斬撃の跡が残った。
視認する事も叶わぬ、『飛ぶ』斬撃。
これこそが原作の雷十太が誇っていた、奥義。
『
「……ふ、ふふ」
普段は全く笑わぬと不気味がられている吾輩だが、流石にこの時は頬が緩んだ。
至ったのだ。
空想の物語であり、前世の記憶にある『石動雷十太』と同等の剣術を修めた。
その事実は、吾輩を安堵させた。
まだ精度は低く、連続で放つ事も出来ぬ。
だが、そこらの剣客には負けぬ技を手に入れたのだ。
……出来ぬ事が出来るようになること。
それはまるで
この身に宿る剣技への才覚。
それが吾輩に剣術の愉しみを教えてくれた。
夢中で、一心不乱に……何も考えず、鍛え続ける。
それは自身の行く末を憂う吾輩にとって、唯一安心出来る時間だったのだ。
正直に言おう。
吾輩は剣を振るうのが好きに『なった』のだ。
初めの目的は護身だった。
しかし、今は……鍛錬こそが目的になっていた。
剣を振るい続けた。
暇さえあれば、剣を振るい続けたのだ。
己の不安から逃げるために。
心の弱さを慰めるために。
故に──
それ故に──
当然の事だが。
吾輩は、石動家から勘当されてしまったのだ。
「むぅ……」
時は明治七年。
吾輩は二十歳となっていた。
すらりと背は伸び、手足には細くも発達した筋肉が張り詰めている。
無駄な贅肉は一片もなく、皮膚の下は硬い筋肉があるのみ。
そんな吾輩を娶れる者が居る筈もなく。
吾輩自身も嫁ぐ事を敬遠していた。
ただ飯食いの剣狂いだと父母に罵倒された。
しかし幸い、妹と弟が居る。
代わりは居るのだ。
故に、父母は吾輩を勘当した。
吾輩自身、申し訳ない事をしたという自覚はある。
親不孝者であるという自覚もある。
だが、しかし……己の憂いを払う為には、剣技を止める事など出来ぬ。
輪廻転生などしなければ、父母の望む吾輩でいられたのだろうか?
選ばなかった道筋を知る術はない。
吾輩は餞別代わりの刀と、小さな荷物を手に……暗闇の中、石動の家に頭を下げた。
誰も見ていないだろう。
しかし、ここまで育ててくれた恩はあった。
親の望む道へ進まなかった負い目があった。
だが、曲げる事の出来ぬ己があった。
故に、頭を下げた。
万感の想いを込め、頭を下げたのだ。
礼ではない。
謝罪でもない。
これは決別である。
過去の自分を切り捨て、吾輩は流れの浪人……
◇◆◇
流浪人とは、難儀なものである。
言えば職のように捉えられるが、実際は無職だ。
実家が裕福なれど、勘当された身だ。
頼る事は叶わぬ。
しかし、街から街へ……旅をする中、この身は凶賊を誘き寄せた。
まるで、火に群がる蛾のように。
女であるから、弱者に見えるのだろう。
舐められたものだ。
武術を修めていない凶賊相手に剣を振るい、叩きのめし……金銭を巻き上げる。
これこそ吾輩が見つけた金策である。
……殺しはしない。
加減はしている。
見知らぬ相手に悪行を働こうとする凶賊など、死んで当然の存在だ。
しかし、吾輩に『殺す』為の覚悟がなかった。
古流剣術という殺人剣を振るっているにも関わらず、人の命を奪う事を恐れていたのだ。
……原作の雷十太と同様に『人斬り』をした事のない『人斬り童貞』……いや『人斬り処女』か?
兎にも角にも、まだ人の命を奪う覚悟が持てずにいた。
しかし、それは優しさではない。
弱さだ。
殺さぬ覚悟を持っている訳ではない。
ただ、殺せる覚悟を持っていないだけなのだ。
似ているようで、全く異なる。
いつか、吾輩と同格かそれ以上の敵と相見えた時……この迷いは致命傷になるだろうか。
人を殺さず無力化するには、相手よりも何倍も強くなければならぬ。
もし、それ以上の相手が現れた時……吾輩は決死の覚悟を持って剣を振るえるのか。
それがただ、心配でならぬ。
山を走り、鍛錬をしつつ……旅を続ける。
目的地は『東京』である。
何故、東京なのか。
単純に『るろうに剣心』の舞台だからだ。
この身が『
頭の奥の記憶が焦がれているのだ。
読者として『緋村剣心』に憧れる想いと、剣客として『人斬り抜刀斎』に憧れる想い。
二つが吾輩の足を進めさせた。
一度で良い。
会って話してみたい。
一度で良い。
剣を打ち合ってみたい。
単純な我欲である。
崇高な目的もなく、ゆっくりと……鍛錬をしつつ、東京へ向かって足を進めた。
吾輩の選んだ移動手段は徒歩である。
……いや、徒歩以外の選択肢は無かったと言うべきか。
列車やバス等は高価であり、使えないのだ。
しかし、物語の始まりは明治十一年。
今は明治九年。
時間はあるのだ。
焦らず、鍛錬をしながら向かうとしよう。
◇◆◇
「むぅ……」
明治十年。
歳は二十三。
未だ、放浪を続けている。
東京とは目と鼻の先だ。
手に持つ刀を刀袋に隠し、顔は浪人笠で隠している。
初見では、声を聞かねば女と見破れぬだろう。
吾輩の背丈は六尺弱……前世風に言えば180程だろうか。
この時代の平均身長は150程。
そう考えれば、かなりの長身であり、威圧感によって大男だと誤認されてもおかしくはない。
凶賊を叩きのめし続け、まとまった金銭を手にした吾輩は、その印象を利用する事にした。
こうして面倒事を避ける為に男のフリを続けている。
しかし──
吾輩は崖上から見下ろす。
目下の林道にて、一台の馬車が横転していた。
凶賊に襲われている商人達。
正しく面倒事だ。
血を流している使用人の爺。
商人らしき男……そして、まだ若い子供。
息を殺し、それを見ていた。
介入するか、否か……悩んでいた。
凶賊どもに金銭を受け渡せば、命だけでも助かるだろう。
吾輩は、自身が介入しないで済む理由ばかり探していた。
吾輩は臆病なのだ。
……剣術は鍛え続けていたが、精神面はいつまで経っても成長しないものだ。
然もありなん。
吾輩は強者との命の奪い合いすらした事のない……図体がデカく、無駄に歳ばかり取った子供のようなものだ。
重大な選択にはいつも、尻込みをしていた。
吾輩が木陰で、唾を飲んだ直後……商人の男が頭を下げた。
両手を地に突き、膝を折り……頭を下げている。
所謂、土下座という奴だ。
命乞いか……賢明な判断である。
この世界は弱肉強食であり、弱き者は誇りを守る事も叶わぬ。
しかし、弱き者は弱き者なりに、生き抜く術があるのだ。
だが、それを理解出来ているのは大人だけだ。
まだ若い、十歳を越えるか否か、そんな子供には分かりはしない。
気を強く振る舞い、我が身を守ろうとして──
凶賊に蹴り飛ばされた。
口が切れたのか血を流しつつ、凶賊に胸ぐらを掴まれている。
……吾輩は面倒事が嫌いである。
ここで無事に済むのであれば、介入をしないつもりである。
しかし、面倒事も嫌いだが……胸糞が悪いのも嫌いだ。
ここで子供を見捨てたとなれば、吾輩は三日三晩ほど後めたい気持ちになるだろう。
そんな小さな理由である。
だが、それが嫌だった。
吾輩には覚悟がない。
危険を犯す覚悟もないが、目の前の子供を見捨てる覚悟もないのだ。
弱き者は誰も守れぬ。
しかし、吾輩は弱き者ではない。
この程度は吾輩にとって危険ですらない。
少なくとも、目下の外道どもに比べれば……吾輩は強者なのだ。
ならば。
争うのか、見捨てるのか。
どちらの方が容易いか。
答えは出ている。
吾輩は目下、凶賊どもに向かって飛び降りていた。
◇◆◇
「意気がるなよ、小僧!小僧は小僧らしく、親の真似してペコペコすりゃあいいんだよ!」
俺は胸ぐらを掴まれ……口の中にある血の味を噛み締めながら、目の前の柄の悪い男に怯えていた。
「なぁ、塚山さん。アンタもそう思うだろ?」
男が親父に視線を向けた。
瞬間、親父が頭を地面へ擦り付けた。
「お、お願いします!何卒、命だけは……息子だけは……!」
「そりゃあ、アンタ次第だな!」
情けなく頭を下げる親父と、バカみたいに笑う凶賊。
俺は……親父に失望していた。
親父は昔、武士だった筈なのに。
塚山家は士族の筈なのに。
強かった筈なのに。
腰の刀を捨て、士族の誇りも金へと変えてしまったのか。
目が潤み、視界がボヤけた。
「親、父……!」
声を振り絞り、歯を食い縛り、俺は──
────────ッ!?
目の部分に切れ込みの入った笠、浪人笠をかぶった背丈の大きな男が……凶賊の背後に立っていた。
その手には刀……真剣が握られていた。
月光を反射し、刀身がギラリと輝く。
新手だろうか?
いや、違う。
目の前の凶賊とは一線を画す存在感があった。
間違いなく、位が違う。
善人か悪人かは分からないが、少なくともコイツらの仲間ではない。
それだけは俺にも分かった。
俺の様子に、周りの凶賊達も剣客へ目を向け……そして、驚愕した。
途轍もない威圧感。
得体の知れぬ恐怖。
ただ、明確に感じていたのは……圧倒的な力の気配!
直後、その男が剣を振り上げ……地面へと、叩きつけた。
叩き付けられた剣は──どうしてそうなったのかは理解出来ないが──大地を引き裂いた。
巨大な傷跡が、その一撃の強烈さを如実に表している。
正に、一撃────!!!
その一撃で事は済んだ。
凶賊共は蜘蛛の子を散らすように逃げてしまったのだ。
それが我が身に振るわれたならば、確実に命を奪われると直感した故に……彼等は反抗ではなく、逃走を選んだのだ。
俺は尻餅をついて、謎の剣客を見上げる。
「凄い……」
思わず、感嘆の言葉が漏れたが、誰も咎めはしないだろう。
それ程までに、驚異的だった。
これこそが無敵なのだと、俺は思った。
この世の全てを蹴散らすような『強さ』を感じた。
父に対する失望を上回る、焼け付くような羨望……それが俺の心に消えぬ疵を残した。
そんな『強さ』を象徴する男が、浪人笠に手をかけた。
「立てるか?」
そう短く聞いてきた声は、女の声だった。
浪人笠を脱ぎ捨てれば……綺麗な顔をした女の顔があった。
俺は目を見開いた。
少し日に焼けたその顔を、俺を見て緩めた。
あぁ。
俺は……
この夜の出来事を。
月華の下で見た、その小さな笑みを。
己の頬に帯びた僅かな熱と……大きな鼓動の音を。
忘れる事は出来ないだろう。
◇◆◇
助けた商人の名は『
はぁ、塚山……塚山か。
……塚山?
「ぬ、ぬぅ……っ!」
吾輩は頭を抱えた。
塚山家。
彼等は士族であり、元々は剣を生業とする一族だった。
しかし明治維新後、刀の目利きの腕を頼りに刀剣商となった。
つまり、刀剣の売買によって財を成した豪商である。
何故、初対面である筈の士族に対して、そこまで知っているのか?
詳しいのか?
答えは簡単である。
彼等も『るろうに剣心』の登場人物であるから、だ。
それも吾輩、石動 雷十太と縁の深い……というより、雷十太編の重要な登場人物なのだ。
特に……助けた塚山家の跡取り息子、塚山 由太郎は雷十太編後、外伝にも登場する人物である。
彼等と雷十太の接点は何か?
凶賊に襲われた所を、雷十太に助けられるのが縁で。
そして、由左衛門がパトロンとなり、由太郎へ剣技を教えるべく雇われる。
由太郎は雷十太を先生と敬い、後ろをついて歩くようになる。
しかし、その実……凶賊に襲わせたのは雷十太だという真相がある。
金銭が必要だった雷十太が襲わせ、助ける事によって塚山家に寄生するつもりだったのだ。
由太郎に関しても、寄生先のパトロンの煩わしいガキとしか見ていない。
なんとも、胸糞の悪い話である。
しかして、今、吾輩も同様の立場にある。
……いや、凶賊を差し向けた事実などないが。
立場は少し差異があれども……。
吾輩が悩んでいるのは、吾輩が……まるで導かれるように『るろうに剣心』に引き寄せられている事についてだ。
吾輩はここにいる。
名は雷十太だが、漫画の登場人物ではない。
しかし、これ程までに運命的な物を感じてしまえば……信心深くもなってしまう。
いずれ、吾輩も漫画の悪役のような末路を迎えるのか。
吾輩の行く末は、
「……認めたくないな。杞憂であれば、どれほど良いか」
ぽつり、と溢れた言葉に反応し、声が上がる。
「どうかしましたか!?先生!」
由太郎は汗をかきながら、重石を運んでいた。
「……いや、すまない。独り言だ」
手を小さく振ると、また笑顔で重石を運び始めた。
これは鍛錬である。
吾輩が指示した。
……先日の、凶賊から塚山家を助けた後。
吾輩は原作通り、塚山家の食客となった。
最初は断ったのだが、確かに……まぁ、流浪人の辞め時だと思ったのも事実だ。
漫画と同様の道を辿った。
今は明治十年。
来年、明治十一年になれば『るろうに剣心』の物語が始まる。
そうなれば、世の中は更に物騒になる。
凶賊狩りをしていて、偶然でも
吾輩は強くなった。
だが、幕末の動乱を戦い抜いた本物より優れていると思える程、自惚れてはいない。
ならばと……今は由左衛門の依頼通り、由太郎の要望通り、鍛える事にしたのだ。
「でも、先生!いつになったら剣を握らせて貰えるのですか!?」
「……ふむ、もう少し基礎的な部分が出来てからか。今、剣を振るい始めれば、変な癖が付いてしまうからな」
「……っ、分かりました!」
重石を持って、由太郎は塚山家の中庭を走っている。
しかし……流石、豪商。
何とも広い庭である。
由太郎の目は……焦りと、不安が滲んでいる。
……はぁ、仕方あるまい。
「由太郎、二年だ。その頃には剣を握れるようになっているだろう」
「……はい!」
具体的な数字を出せば、由太郎は頬を引き締め、鍛錬に精を出し始めた。
……二年。
それは何も、由太郎の力量を見て言っている訳ではない。
根拠……ではなく、吾輩の思惑は別にある。
「……真古流は、この時代にはそぐわぬ」
実家から持ってきた数少ない荷物である……古流剣術の秘伝書を撫でた。
吾輩が教えられるのは殺人剣のみ。
この道に、由太郎を連れて行く事は出来ぬ。
ならばと……吾輩は今、叶わぬ約束をしたのだ。
……誰が由太郎に剣技を授けるべきか。
少なくとも、吾輩ではない。
神谷活心流という流派がある。
『るろうに剣心』のヒロインである神谷薫が師範を務める、活人剣の流派だ。
物語通りであれば……将来的に、由太郎は神谷活心流を修める。
それが相応しい。
由太郎の行く末は、殺人剣という血濡れた道ではなく、活人剣という光の道でなくてはならぬ。
……真古流は吾輩が生み出し、吾輩が滅ぼすのだ。
「由太郎、少し休憩しよう」
「いえ、まだ全然疲れてはいません!」
「過度な鍛錬は身体に毒だぞ。適度な休憩も、鍛錬の一つだ」
吾輩が縁側に座ると、由太郎も頷いた。
「せ、先生が言うのでしたら……」
そして、借りてきた猫のように吾輩の側に座った。
……何故、こうも遠慮してしまうのか。
それは少し気掛かりだった。
『るろうに剣心』であれば、もっと小判鮫のようにベッタリ……だったと思うのだが。
吾輩と由太郎が縁側に座ったのを見てか、使用人が茶菓子を用意してくれた。
色鮮やかな餡で作られた菓子だ。
吾輩の稼ぎでは買おうとも思えぬ、高級品だ。
口に入れ、茶を飲む。
……隣にいる由太郎の視線を感じる。
「……どうかしたか?」
「い、いえ……」
少し慌てた様子で、彼も菓子を口に含んだ。
……彼はまだ九歳、子供なのだ。
一回りも歳が違えば、気になる事もあるだろう。
思わず、頭を撫でてしまう。
「な、なんですか?」
「……いや、すまない。嫌だったか?」
「い、嫌では……ない、ですが……」
恥ずかしさに顔を赤らめた。
それがまた可愛らしく、追加で撫でてしまった。
由太郎は……優しい子である。
少々、父である由左衛門に対する当たりが厳しいが……反抗期のような物だろう。
未熟であるが……。
そう、子供なのだ。
将来を照らされた、伸び代のある子どもだ。
まだ青く、何色に染まるかも分からぬ果実なのだ。
人を守る道か、人を傷付ける道か。
活人への道か、殺人への道か。
その行く末は分からぬ。
ならば、この子の将来を守らねばならぬ。
あわよくば、行く末を見届けたい。
「…………」
……しかし、脳裏に描かれたのは、由太郎の腕から血が流れる絵だ。
腰に差した刀を見下ろす。
物語通りに行けば、吾輩の『飛飯綱』により腕の腱が斬られ……剣を満足に振るえなくなる。
それだけは、避けなければならない。
……漫画の石動 雷十太は関係ない。
ここに居る石動 雷十太として……彼の『先生』として……大人として。
彼の将来を守らねばならぬ。
吾輩は『石動 雷十太』。
物語の行く末を……この少年の行く末を、真に憂う者である。
次回は明日予定です。