TSおねショタ雷十太   作:WhatSoon

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第十幕「純情な感情は」

先生に腕を斬られてしまった後、俺は薫さんの知人のいる小国診療所まで運ばれた。

 

俺を運んで来た左之助は、診療所の医者に俺を引き渡した後、そのまま剣心と先生の居た場所に戻って行った。

痛みで意識が朦朧としている中、その後ろ姿を見ていた。

 

診療所はまだ珍しい西洋医学を取り入れた様式をしていた。

木組みの寝台に座らされた俺は、薫さんと弥彦に見守られながら……医者の手当を受けた。

 

その医者は、医者にしては珍しく女性だった。

割烹着のような衣服を着ている、まだ若い女性だ。

だからと言って手際が悪い訳ではなく、素早く俺の傷を消毒し、針と糸で縫ってくれた。

……かなり、痛かったけれど。

 

そうして、その女医へ薫さんは顔を向けた。

 

 

「恵さん、その……傷はどうなの?」

 

「見事な程にパックリと斬れてるけど……傷の大きさの割に浅いし、出血も少ないわ。こんな傷、初めて見たわ。一体何で斬られたの?」

 

「何で斬ったって言っても……私も、良く分からないし……」

 

 

薫さんが云々と悩むような仕草を見せている。

痛む傷口を感じながら、俺は恵……と呼ばれた医者に話しかける。

 

 

「恵さん……その、俺の傷は……治るんですか?」

 

 

右腕に傷を負った。

……一度、腕に傷を負い、剣客として再起不能になった人間を見た事がある。

それを思い出して、不安になり──

 

 

「大丈夫、心配しなくて良いわ。斬れたのは皮膚ぐらいだから……一週間もすれば跡も残らないと思う」

 

 

その言葉を聞き、俺と薫さんは安堵の溜息を吐いた。

そして、薫さんが俺の頭を撫でた。

 

 

「良かったわね、由太郎くん」

 

「……はい」

 

 

しかし、手放しで喜べない。

もやもやとした不安は絶え間なく、俺の中で渦巻いていた。

 

そんな俺を見てか、弥彦に左肩を小突かれた。

 

 

「オイ、心配すんなよ。今頃、雷十太なら剣心がぶっ飛ばしてる頃だからな」

 

 

そう言われて内心、苛つきながらも……息を深く吐いた。

弥彦は俺を慰めようとしてくれているのだ。

だから、苛立ちながらも罵声は飲み込む。

 

不安の理由は別にある。

誤解を解くべく、弥彦に目を向けた。

 

 

「俺は、先生が無事なのか心配なんだよ」

 

「……お前、まだあんな奴の──

 

「お前にとって『あんな奴』かも知れないけど、俺にとっては大切な人なんだよ」

 

 

そんな俺の様子に弥彦は苦虫を噛み潰したような顔をした。

それでも何も言わなかったのは怪我人である俺に配慮してなのか、何を言っても無駄だって呆れられたか。

 

直後、薫さんが俺の顔を覗き込んだ。

 

 

「由太郎くんは……その、さっきの雷十太、先生の事、どう思ってるの?」

 

 

さっきの、というと……俺を助けたのは狂言だと言い切ったり、怪我を負わせながら見捨てた事を言っているのだろう。

手当てされた筈なのに、傷がジクジクと痛んだ。

 

 

「気にしてないと言ったら嘘になりますけど」

 

「……うん」

 

「それでも、昔の優しかった頃の先生を俺は信じているので……俺は──

 

 

どたん、と大きな音がした。

診療所の外からだ。

 

 

「……何かしら?」

 

 

恵さんが離席し、それに釣られて俺も薫さんも、弥彦も音のした方へ向かう。

そこに居たのは剣心と──

 

 

「よう、恵。追加の急患だ」

 

 

左之助に背負われて、気を失っている……雷十太先生の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数時間経った。

 

寝台に寝かされた先生を、俺は側に座って見ていた。

 

先生の脇腹の骨にヒビが入っているらしく……思わず、剣心を睨んでしまった。

だが、頬を掻いて申し訳なさそうにしているアイツに、それ以上は何も言えなくなった。

 

それから、神谷道場の奴らは、夜も遅いからと返された。

剣心だけは俺の親父が心配すると悪いからと、塚山邸まで連絡をしに行ったらしい。

 

それで、結局……俺は何もする事はなく、それでも先生を残して帰る事もできず。

俺は先生の側にいる事を選択した。

 

女医の恵さんに「貴方も帰ったら?」なんて言われたけれど……今はただ、先生の側に居たかったから。

 

だから、先生の寝顔を見ていた。

……ここ最近の険しい表情ではなく、穏やかな寝顔だった。

 

あぁ、そういえば……そうだった。

先生はこんな優しい顔をしていたのだと、やっと思い出せた。

 

 

「……先生」

 

 

ぽつりと呼びかけてしまった。

先生は一体、何を思っているのか……何故、あんな事をしていたのか……今でも分からない。

剣心に何か知っているかと訊けば「それは本人に訊くべきでござるよ」なんて言われる始末。

 

だけど、もう一つ言ってくれた。

「約束は守ったでござるよ」と。

 

月明かりが窓から入り込んでいて……そうして──

 

 

「……由、太郎?」

 

 

ぼんやりしていた俺へ、声を掛けられた。

視線を向ければ、先生が僅かに目を開けて……俺を見ていた。

 

 

「うっ……」

 

 

少し、不安になる。

険しい表情をして、俺を罵倒した先生を思い出したからだ。

 

だけど……俺は首を横に振り、左手で先生の手を握った。

硬いけれど、滑らかな……女性の手だった。

何の為に握ったのか……咄嗟で、自分にも分からなかった。

 

 

「……怪我、痛まないですか?今、お医者さんを呼んできますから──

 

 

慌てて、手を引っ込めようとした。

だけど、今度は先生に手を握られた。

 

 

「せ、先生?」

 

「……すまない、少し側に……居てくれないか?」

 

 

その声色は凄く優しくて、寂しげで、弱々しかった。

俺は少し驚いたけれど、それを飲み込んで……頷いた。

 

静かな時が俺と先生の間で流れる。

先生は何か言おうと悩んでいるようだけれど、何も言えず……何かを迷っているように見えた。

急かす事もせず、俺は先生が何を言うのか待っていた。

 

そうして、長いような短いような時間が経って──

 

 

「……すまなかったな」

 

 

そう、謝罪をされた。

俺は慌てて首を横に振る。

 

 

「け、怪我の事でしたら大丈夫です。ちょっと掠った程度ですから──

 

「怪我の事だけじゃない……吾輩は由太郎を傷付けてしまった」

 

「……先生」

 

 

先生の言いたい事は理解出来た。

確かに、この身体だけではなく心も……先生に傷付けられた。

 

 

「先生か……まだそう呼んでくれるのか?」

 

 

だけど──

 

 

「俺は……今でも、先生の事を尊敬してます。だから、先生は先生です」

 

 

俺にとって石動 雷十太という女性は……憧れの対象で、こうなりたいという理想の姿で、それで……大切な人なのだ。

 

俺の言葉に先生は安堵の表情を浮かべた後……少し、眉を顰めた。

 

 

「由太郎……少し、昔話をしていいか?」

 

 

先生の目に若干の怯えを感じた。

……先生は俺に昔の話をしたがらない。

なのに、今そんな話をすると言う事は……意味のある話なのだろう。

 

だから、頷いた。

俺の肯定に対して、先生は口を開いた。

 

 

「吾輩は昔、士族だった」

 

「昔、ですか?」

 

 

士族は産まれた時から、死ぬまで士族の筈なのに。

そう考えているのが分かったのか、先生は自嘲気味に口を開いた。

 

 

「勘当されたのだ。石動家……吾輩の生家から」

 

 

そうして話されたのは、先生が俺に出会うまでの話だった。

 

男の名前を付けられ育てられた事。

弟が生まれ、家長としての役割がなくなった事。

剣を振るって生きてきた事。

家族から勘当された事。

 

 

「……どうだ?由太郎。情けない話だろう」

 

 

その人生は、俺が考えていた先生の人生より……凡庸で、平坦だけど、下り坂のような人生だった。

 

 

「お前は吾輩を先生と慕ってくれている。強い士族のあるべき姿だと見てくれているが……本当は、自身の役割から逃げた勘当娘(ロクデナシ)の──

 

「先生」

 

 

だけど──

 

 

「俺は例え先生が弱くても、情けなかったとしても……憧れる気持ちは変えませんよ」

 

「……どうして」

 

 

いつもの男勝りな口調は影を潜めて、弱々しくそう問い掛けられた。

 

 

「俺は先生にあの時、確かに助けられたんです。それに……弱くても許すのが、優しさだと……先生が教えてくれたじゃないですか?」

 

「……由太郎」

 

 

あの日、茶屋で先生と話した時、教えてくれた事だ。

先生にとっては大した事のない一日の事だろうけど、俺には忘れられない日の一つなんだ。

 

先生に嘘を吐かれても傷付けられても、昔にどんな失敗をしても。

助けられたのは事実で、色々な事を教えてくれたのは事実なんだ。

 

全部が全部、嘘だった訳じゃない。

だから……俺の想いは変わらない。

 

……先生の手が、俺の頭に触れた。

 

 

「……由太郎は、強いな。吾輩よりも」

 

 

そう言って撫でられた。

いつもの、優しい手だった。

 

思わず、顔が熱くなる。

 

 

「……強くはないですよ」

 

「そうか……?なら、優しいな」

 

「誰にでも優しい訳じゃありませんよ……」

 

「……そうだな」

 

 

照れ隠しも虚しく、見抜かれてしまったように撫でられてしまった。

子供扱いされている事にむず痒く感じる。

 

 

「吾輩はな……お前の先生に相応しくないからと、身を引こうとしていたんだ」

 

「……相応しくない、ですか?」

 

「神谷道場の彼等の方が、お前を良く導いてくれるだろうと思っていた。実際に、吾輩は今もそう思っている」

 

「だから俺に、嫌われようとしたんですか」

 

「……あぁ、そうだ」

 

 

思わず、口を噤む。

先生の自己評価の低さ……それは時々、感じていた。

大した事はしていないと、大した人間ではないと謙遜している姿をよく見ていた。

 

……ここまで深刻だとは思っても見なかったけれど。

 

 

「俺は先生と一緒にいたいです」

 

 

だから、思いを告げた。

 

 

「……良いのか?こんな吾輩を……」

 

 

そう問い掛けられて……少し、迷う。

口にするか、しないか、迷って──

 

 

「俺は……先生の事が好き、ですから」

 

 

それでも想いを口にする。

 

家族として、愛している。

弟子として、愛している。

男としても、愛している。

 

 

「一緒にいると楽しくて、嬉しくて……俺は、幸せだったから」

 

 

そう口にする。

 

気恥ずかしい。

だけど、今必要な言葉だった。

 

先生は流浪人(るろうに)だから、何もしなければきっと何処かへフラッと居なくなってしまう。

だからこうして、想いを伝えて引き止めなければならないんだ。

 

先生は少し驚いたような表情をして、目を瞬いた。

そうして噛み締めるように頷き……あの頃と同じように、優しく微笑んでくれた。

 

 

「……ありがとう、由太郎。吾輩も由太郎が好きだ。塚山邸の皆にも……感謝しているよ」

 

 

……きっと先生は、俺の事を歳の離れた弟か、甥のようにしか見ていないのだろう。

そう思うと少し悔しくて、思わず口を開いた。

 

 

「……俺の『好き』は先生の『好き』と少し、違うけど」

 

 

無意識のうちに漏れてしまった言葉に、恥ずかしくて口を閉じた。

 

 

「……違う、とは……どういう意味だ?」

 

 

しかし、先生の耳にしっかりと届いていたようで、聞き直されてしまった。

だけど、理解してなさそうな顔をしていて……思わずため息を吐いた。

安堵と、呆れだ。

 

 

「……先生って、やっぱり少し抜けてますよね」

 

 

なんて言っても、先生は分かっていないような顔をしていた。

……気不味さと気恥ずかしさが混じって、思わず椅子から立ち上がった。

 

 

「その、お医者さんを呼んできますから……良いですよね?」

 

「あぁ、すまない……頼んで良いか?」

 

 

先生から顔を背けて……病室を出た。

顔が熱くなっていくのを感じた。

気付かれていなかったとは言え、想いを告げたのだ。

 

しかし……本人に全く意識されていないのが情けなくなった。

 

いつか、先生から一人の男だと意識して貰えるように……強く、なりたい。

頬を叩いて、恵さんを呼ぶべく扉を離れた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

吾輩は病室で……枕に顔を埋めた。

必死に冷静を装っていた表情筋を解き放つと……顔が熱くなっていくのを感じる。

先程、由太郎の口にした言葉を思い出す。

 

 

『俺は……先生の事が好き、ですから』

 

『……俺の『好き』は先生の『好き』と少し、違うけど』

 

 

アレはつまり、そういう事だろう。

由太郎は……私の事が好きなのだ。

 

由太郎は男として、吾輩を女として。

 

 

「う、うぐ……」

 

 

枕に向かって短く唸る。

 

脳の中がぐるぐると回る。

恐らく今、吾輩の頭上ではヒヨコが飛び回っているだろう。

 

先程は何とか抜けているような素振りで切り抜けたが……もし、言及されれば拙かった。

 

脳味噌が沸騰しそうだ。

鏡を見なくても、顔が赤くなっているのを感じる。

 

好意をぶつけられて、感じているのは戸惑いだ。

 

由太郎は端正な少年だ。

将来、様々な女性から好意が寄せられるような美青年になる。

それに優しく、意思も強い。

吾輩は知っている。

 

そんな未来ある少年に、吾輩が?

どんな冗談だ?

 

 

「い、一時の気の迷いの筈だ……」

 

 

吾輩は二十四、由太郎が元服する頃には二十九だ。

歳の差は十以上ある。

 

由太郎はもっと、若く綺麗な……そう『赤べこ』の燕のような少女に惚れるべきなのだ。

 

なのに何故、どうして、わ、『私』を……?

 

 

「…………」

 

 

嫌か、と訊かれれば……好意を抱かれるのは嫌ではない。

自分の中にある枯れた筈の女性的な価値観で言えば、由太郎は……そういう目で、見れるかと言えば……見れてしまう。

 

だが、年齢差を考えると、吾輩の価値観が邪魔をする。

 

由太郎も、今は良いだろうが……元服する頃には、吾輩から気持ちが離れていてもおかしくない。

 

十歳以上離れているのだから、そう怯えてしまう。

 

 

「ぬ、ぬぅっ……」

 

 

枕に顔を埋めて唸る。

唸っていると──

 

 

「……何をしているのかしら」

 

 

扉の側に高荷 恵が立っていた。

 

恵は昔、悪人に強制され阿片を作らされていた所を剣心に助けられた女医だ。

こういった怪我人が現れれば、剣心の事情を知る女医の元へ連れていくのは当然だ。

 

そんな恵の目は疑惑に染まっている。

慌てて姿勢を正せば、直後、由太郎が入ってきた。

どうやら醜態を見られずに済んだようだ。

 

 

「……まぁ良いわ。脇腹は?痛むかしら」

 

 

気を取り直したかのように訊いてくる恵に、首を振る。

 

 

「ほんの少し、と言った所だ」

 

「そう、なら──

 

「雷十太殿」

 

 

……と、もう一人病室に入ってきた。

頬に十字の傷がある、吾輩を病室にぶち込んだ張本人だ。

 

 

「……剣心か」

 

 

そう呼べば、恵と由太郎は剣心へ目を向けた。

そして、恵が声を掛けた。

 

 

「剣さん……帰って来てたの?」

 

「うむ。少し雷十太殿と話して良いでござるか?」

 

「え、えぇ……良いけれど」

 

 

そうして、吾輩の方へ足を進めた。

その途中、由太郎が剣心を少し睨んだ。

 

 

「なぁ……親父は何か言ってたか?」

 

「うむ、事情を話せば、由左衛門殿は大層心配していたでござるよ」

 

「……そうかよ」

 

 

そう口にすれば、由太郎は少し眉尻を下げた。

実の父親に心配されているという事実が、彼を弱気にさせたのだろう。

 

そうして由太郎は小さく口を開き──

 

 

「……その、ありがとな」

 

 

感謝の言葉を口にした。

剣心は少し驚いたような顔をして、それでも頷いて由太郎の頭を撫でた。

由太郎は頭を撫でられて、嫌そうな顔をしていたけれど。

 

そんな姿を微笑ましく見ていると、剣心が吾輩の方へ視線を向けた。

 

 

「由左衛門殿は、雷十太殿の事も心配していたでござるよ」

 

「……そうか」

 

 

実の息子を傷付けたというのに……小さくため息を吐く。

 

 

「……すまなかった。剣心」

 

「おろ?」

 

「迷惑をかけてしまった……謝っても、謝り切れない程に」

 

 

頭を下げる。

普通の人間ならば見限っていても仕方がないほど、吾輩は迷惑を掛けてしまった。

それでも連れ戻そうとしてくれたのは、偏に彼がお人好し過ぎるからだ。

 

それに甘えてはならないと、思って──

 

 

「拙者は気にしていないでござるよ」

 

「……それでも、謝らせて欲しい」

 

 

そう言えば、彼は頬を掻いて……吾輩へ視線を戻した。

 

 

「雷十太殿、今はどのような心持ちでござるか?」

 

「……どのような?随分と抽象的で難しい質問をするな?」

 

「おろ……では、由太郎殿の元から、また去るつもりはあるでござるか?」

 

 

そう剣心が訊けば、由太郎は目に見えて心配そうな顔をした。

……吾輩は首を横に振った。

 

 

「……いや、もう二度と、勝手に去ろうとはしない。流石に、反省……した」

 

 

そう答えれば、由太郎は目に見えて嬉しそうな顔をした。

……さっきの事もあり、あまり顔を凝視すると照れてしまいそうだ。

 

 

「うむ、ならば良かった。それを聞ければ、拙者も剣を振るった甲斐があるというもの。それだけで満足でござるよ」

 

 

剣心は微笑みながら頷いて、恵へ視線を移した。

 

 

「それで……恵殿」

 

「えぇ、明日には退院して貰うわ。二人とも傷は浅いし、ご家族も心配しているでしょう?」

 

 

吾輩と由太郎は視線を合わせた。

 

 

「今日はもう寝て、怪我人は明日に備えなさい。分かったかしら?」

 

 

そして二人、頷いた。

 

吾輩は病室で、由太郎は仮眠室で寝て……翌朝、塚山邸へ歩いて帰還した。

 

……吾輩達の怪我まみれの姿を見て、奉公人は失神し……由左衛門に大層叱られてしまったが。

 

それでも、日常に帰って来たのだと……そう思えば、悔いはなかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

二日後、神谷道場にて。

 

 

「剣心、由太郎くんは結局どうなったの?」

 

「おろ?」

 

 

木製のたらいで、衣服を洗濯していると……後ろから、薫殿に声を掛けられた。

 

 

「だって、道場に顔を出してくれないし……気に病んでなければ良いけれど」

 

「大丈夫でござるよ……肉体的にも精神的にも。元気になれば、また来てくれるでござるよ」

 

「なら良いけれど……お見舞いとか行った方が良かったかな、って思っちゃって」

 

 

薫殿は悩ましげな顔をしていた。

そんな薫殿の後ろから、にゅっと顔が出て来た。

左之助だ。

 

 

「なんでい、嬢ちゃん。見舞い行かねぇのか?」

 

「だって、迷惑になったら悪いし」

 

「雷十太の奴に迷惑掛けられたんだから、アッチも文句言えねぇだろ」

 

 

けっ、と聞こえるように口にした。

左之助はまだ、雷十太殿の事を許していないらしい。

拙者から『彼女の行動は、由太郎殿を心配していたからこそでござるよ』と言っても、納得はしていなかった。

 

弥彦も未だに目の敵にしている。

それだけ、由太郎の事を傷付けたのが許せないのか……割り切れるほど大人ではないからか。

 

薫殿は困惑しながらも、雷十太殿がどうであれ、由太郎くんが許すのであれば……と納得していたが。

 

そう考えていると、左之助がため息を吐いた。

 

 

「でもまぁ、神谷道場(ウチ)にはもう来ないかも知れないぜ」

 

「え?」

 

「……どうでござるかな」

 

 

本来の先生である雷十太殿と和解したのだ。

由太郎も剣を学ぶなら彼女の下が良いと言っていた。

 

だから、神谷道場まで鍛錬しに来る事も少なく──

 

 

コン、コンと。

乾いた木の音が響いた。

少しして道場の門に付けられた木板の音だと、拙者は気付いた。

 

 

「あら?お客さんかしら。珍しいわね」

 

 

……実際、神谷道場を訪ねてくる人は少ない。

道場生が少ない、というか弥彦しか居ない今、訪ねてくるのは薬師の押し入りぐらいでござるか?

 

薫殿が居間から出て、そちらに向かう。

拙者もそろそろと歩けば……。

 

 

「由太郎くん!傷はもう大丈夫なの?」

 

 

由太郎が門前に立っていた。

いつも通りの服装だが、竹刀袋は持っていない。

稽古目的ではないのだろう。

 

 

「いえ、大丈夫です!血ももう出てないですし……」

 

「そうなの……」

 

「心配、お掛けしました」

 

「ううん、良かったわね」

 

 

なんて礼儀正しく頭を下げて……拙者に気付き、顔を少し顰めた。

嫌われてはいないようだが、どうにも苦手意識というか……対抗心を燃やしているように見える。

何に対してか、と言えば……一人ぐらいしか思い当たる節はないが。

 

そう思っていると、薫が自身の袖を撫でた。

 

 

「それで?今日は何の用なの?稽古はまだ出来ないわよね?」

 

「えぇ、まぁ……稽古ではないです。用事があるのは──

 

 

そう言って、由太郎は門の外へ顔を出した。

何やら、小さな声でボソボソと喋って……外に飛び出し、誰かを引っ張ってきた。

その様子に薫殿は首を傾げて……直後、目を丸くした。

 

外に居たのは、着物姿の綺麗な女性だった。

背丈は大きく……結った髪にべっ甲の簪を差していた。

 

拙者も少し呆けてしまったが、何度か目を瞬き……口を開いた。

 

 

「よく来たでござるな、雷十太殿」

 

「……その、失礼する」

 

 

そこに居たのは、味気のない男物の衣服を着た雷十太殿ではなく……華やかな女物の着物を着た雷十太殿だった。

 

似合っていない訳ではない。

寧ろ似合っている。

 

だが、男物の衣服を着ていた雷十太殿を知っていれば……少々、驚いてしまうのも仕方ないだろう。

 

 

「え?え!?えぇっ!?」

 

 

……いや、少々ではなく驚いている者がそこに居るが。

 

 

「薫殿……そんなに驚いては失礼でござるよ?」

 

 

と小声で窘めれば、正気に戻ったのか、薫殿は顔を赤らめて何度も頷いた。

しかし、薫殿の声は想定より大きく──

 

 

「あぁ?嬢ちゃん、何かあったか……?」

 

 

ガラガラと戸を開けて、左之助が顔を出した。

 

 

「……んん?」

 

 

左之助は薫殿を見て、拙者を見て、由太郎を見て……雷十太殿を見た。

 

そして、目を細めて……擦った。

また薫殿を見て、拙者を見て、由太郎を見て……雷十太殿を見た。

 

雷十太殿が少々気まずそうにしていると──

 

 

「わりぃ、少し顔を洗ってくる」

 

 

なんて言って、左之助は戸を閉じた。

恐らく、左之助は自分が寝惚けて幻覚を見ていると思ったのだろう。

 

……雷十太殿に視線を戻すと、顔を赤らめて震えていた。

 

思わず、声を掛ける。

 

 

「す、すまぬ。雷十太殿……悪気があった訳ではないのだが……」

 

「い、いや……似合っていないのは百も承知。お目汚しをした」

 

 

そう言って、視線を逸らす。

瞬間、由太郎が爆発した。

 

 

「あのクソ、トリ頭野郎!先生に失礼な真似をしやがって!ブン殴って謝らせてやる!」

 

「……いや、吾輩が悪いのだ」

 

「先生は悪くありません!悪いのはアイツです!」

 

 

怪我人なのに『ブン殴ってやる!』と意気込む由太郎を、雷十太殿がなんとか宥めていた。

慌てて薫殿が口を開いた。

 

 

「ご、ごめんなさい!少し驚いただけで……ううん、凄く似合ってるわ」

 

「……世辞を言わせてしまったな、すまない」

 

「えっと、お世辞じゃなくて……その着物も、簪もよく似合ってるから。ホントよ?」

 

 

薫殿の言葉は本心だった。

実際に、雷十太殿は似合っていた。

彼女は確かに背丈は高く、筋肉質な身体をしていたが……細身で、綺麗な髪をしていた。

 

故に、女性物の着物も、簪もよく似合っていた。

 

拙者も同調し頷くと……由太郎は怒りの矛を収めた。

雷十太殿も、髪に挿したべっ甲の簪を撫でて、微笑んだ。

 

 

「そうか……ありがとう、薫……さん」

 

 

その仕草はとても雅で、薫殿は顔を赤らめ固まってしまった。

……隣の由太郎は耐性があるだろうと目を向ければ……駄目だ、彼も固まっていた。

 

 

「ごほん」

 

 

拙者が咳払いをすれば、二人はハッとして首を横に振った。

 

何が起きているのか分かってなさそうな雷十太殿へ、拙者は視線を向けた。

 

 

「雷十太殿、由太郎殿。立ち話も何だ、道場で腰を下ろさぬか?」

 

「すまないな」

 

 

先日までとは打って変わって謙虚で大人しい姿に、薫殿は目を白黒とさせている。

隣の由太郎は気にしていない事から、成程、昔はこういった様子だったのだろうと納得した。

 

ならば、今の雷十太殿は……つまり彼の言う『優しい先生』とやらに戻ってくれたのか。

拙者は頬を緩めて、使い物にならなくなってしまった家主の代わりに、彼女達を迎え入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道場に入り、家事手伝いをしていた弥彦と、本当に顔を洗っていた左之助を呼び戻した。

そうして全員が集まった直後、雷十太殿が膝を折った。

 

 

「……この度は迷惑をかけてしまい、申し訳なかった。この通りだ」

 

 

そのまま頭を下げ、床に手を突いた。

 

由太郎も謝罪をするのは知っていたようだが、ここまですると思っていなかったのか、少々驚いた様子を見せていた。

 

拙者以外……つまり薫殿も、左之助も、弥彦も、驚いて顔を合わせていた。

先日までの傍若無人っぷりとは、あまりに様子が違うからだ。

 

薫殿は少々戸惑った様子を見せながらも、頭を振った。

 

 

「えっと、雷十太……さん?私は別に迷惑を掛けられてないから……」

 

「しかし、薫さんを不快にさせたのは事実。由太郎の事も心配してくれただろう」

 

「え?……それは、まぁ、私が勝手に心配してただけで……ううん、気にしてないわよ。ね?」

 

 

そう言って、薫殿は拙者に顔を向けた。

つられて雷十太殿の視線も向く。

……拙者が苦笑しながら頷けば、雷十太殿は息を深く吐いた。

 

 

「すまない。恩に着る」

 

 

そう言って再び頭を深く下げた。

薫殿は頬を掻いて、照れたように苦笑していた。

どうやら、薫殿は雷十太殿を許せるようで。

嬉しく思っていたが──

 

 

「おい」

 

 

弥彦はどうやら違うようだ。

 

 

「てめーのやった事、頭下げたぐらいじゃ俺は許せねーぜ」

 

 

腕を組んで、そんな事を言う物だから……由太郎は少し表情を険しくした。

しかして当人である雷十太殿は申し訳なさそうな顔をした。

 

 

「すまない。無理に許す必要は──

 

「だからよ。今後、由太郎を傷付けねーって約束しろ」

 

 

……弥彦が雷十太殿を指差した。

失礼な態度だが、雷十太殿は気にしていないようだ。

 

少し驚いた表情をした後、雷十太殿は真剣な表情で頷いた。

 

 

「承知している。もう由太郎を傷付けるような事はしない。約束しよう」

 

「……フン、なら許してやっても良いぜ」

 

 

弥彦は腕を組んで、照れ臭そうに顔を背けた。

その仕草に、雷十太殿は少し嬉しそうな顔をして、微笑ましげに笑った。

 

 

「すまないな……由太郎の友達になってくれて、ありがとう」

 

「……あ?俺は全然、アイツと友達なんかじゃねぇーよ!目ぇ腐ってんじゃ──

 

 

瞬間、由太郎が爆発した。

 

 

「良い加減にしろ!先生に対する不敬、もう許せない!捻くれチビめ!俺がボコボコにしてやる!」

 

「あ!?なんだ!?やるか!?俺は怪我人だからって手加減しねぇーぞ!マセガキが!」

 

「マセてなんかいない!チビ!」

 

「んだと!?」

 

「やるか!?」

 

 

ギャーギャーと喚き出した由太郎と弥彦を、それぞれ雷十太殿と薫殿が抑えた。

 

 

「由太郎、怒ってくれるのは嬉しいが……そこまでだ」

 

「弥彦!良い加減にしなさい!」

 

 

由太郎の方は窘められ、しゅんとしていたが……弥彦の方は暴れ続け、ついに薫殿に拳骨を落とされてしまった。

 

 

「い、いっでー!」

 

「ぷっ……ふは」

 

 

雷十太殿の後ろで、由太郎が笑っているのが見えた。

 

二人、仲が良いのか、悪いのか……何とも言えぬ関係ではあるが、互いにある程度は認め合っているのだろう。

否定はしているが友人、と呼んで差し支えないだろう。

 

……雷十太殿の視線が合った。

互いに、苦笑するように笑った。

 

ふと、中越流前川道場の前川宮内殿の事を思い出した。

剣術の行く末に随分と悲観していたが……あの二人を見ていれば、あまり心配はなさそうだと思えた。

 

そうして、雷十太殿は残り一人……左之助の方へ顔を向けた。

その視線に気付いたようで、気まずそうに顔を歪めて……ため息を吐いた。

 

 

「……あーハイハイ、俺は気にしてねェよ」

 

「左之助さん……」

 

 

申し訳なさそうに雷十太殿が頭を下げると、左之助は自分の頭を掻いた。

何だかんだ言って、左之助は他人に優しい。

こうして正面から謝られると、すぐに折れてしまうぐらいには。

 

こうして、雷十太殿と神谷道場の面々は和解できた。

由太郎殿は安堵の吐息を吐き、拙者も喜ばしく感じた。

 

 

「あ、そうだ。薫さん、これ親父から詫びの菓子折りを──

 

 

由太郎が出した包みに、左之助が顔を突っ込んだ。

 

 

「お?上等な奴か?ちと見せな」

 

「トリ頭の分はねぇよ」

 

「あ?怪我したお前の先生を連れて帰ったのは誰だと思ってんだ?」

 

「……変な所、触ってないだろうな」

 

「馬鹿言うな。俺がそんな事するような奴に見えるか?」

 

「見えるから言ってるんだ」

 

 

喚いて戯れている由太郎と左之助、その間に弥彦が入り騒いでいる。

呆れた様子で見ている薫殿に、雷十太殿が近付いた。

 

 

「薫さん、少し良いか?」

 

「え?えぇ、どうかしたの?」

 

「頼みがあるのだが……」

 

「頼み?」

 

「あぁ。由太郎に、これからも剣術を教えてやってくれぬか?」

 

 

瞬間、びしり、と空気にヒビが入ったような気がした。

薫殿は笑顔のまま固まっているし、由太郎の表情はどんよりと曇天のような顔になっている。

 

慌てて、拙者は口を開く。

 

 

「雷十太殿、お主まだ自身の剣術を『殺人剣』等と言っているのか?」

 

「い、いや違う。由太郎に教えるのも、やぶさかではない。だ、だが──

 

 

雷十太殿は自身の胸の前で手を組み……指と指を合わせ、顔を逸らした。

 

 

「吾輩、剣を人に教わった事も、教えた事もなく……どう教えれば良いか分からぬのだ」

 

 

また、空気にヒビが入ったような気がした。

今度は弥彦も、左之助も固まっていた。

 

しかして、拙者は納得していた。

確かに彼女の剣技は古流剣術ながら、作法というか、無駄のある部分が全く無かった。

様々な流派の良い所取りをしたように見えていたが……やはり、独学であったか。

 

そう納得していると──

 

 

「え?じゃあ……雷十太さんは、その、どうやって剣術を修めたの?」

 

 

薫殿が気を取り直し、質問した。

後ろの左之助と、弥彦も首を縦に振った。

……由太郎は知っているようで、達観したような顔をしていた。

 

 

「書物を読み……独学なのだ」

 

「しょ、書物?ど、独学?」

 

「故に、正しい剣の振り方など分からぬのだ。可能であれば吾輩にも教えて欲しいぐらいで──

 

 

なんて事を宣うものだから、薫殿は顔面を蒼白にしていた。

彼女も同じ女性の剣客。

目の前の人間の出鱈目さに言葉を失っているのだろう。

 

すると固まっていた弥彦が、思わず……と言った様子で顔を顰めた。

 

 

「オイ。やっぱこの女、イカレてんぞ」

 

「何だと!先生の何処が──

 

「どうなってんだよ、自己肯定感。低過ぎだろ」

 

「……いや、そう。それは俺もそう思う」

 

 

珍しく意気投合している弥彦と由太郎に、詮無きことかとため息を吐いた。

直後、こそこそと左之助が拙者に耳打ちした。

 

 

「マジか?」

 

「マジでござる」

 

 

そう返せば、また首を傾げながら戻っていった。

 

確かに、拙者にも師はいる。

剣術とは一朝一夕、どころか人生を懸けても完成させられぬ物。

師から弟子へ、その弟子へと継承していく事で完成させていく物である。

 

そんな物を書物だけで、あそこまで戦えてしまえば……異常と言わざるを得ない。

 

 

「ぬ……その、吾輩……何か気に障る事を言ってしまっただろうか?」

 

 

本人がそれに気付いていないのが、末恐ろしい。

 

 

「いや、気にしなくて良いでござるよ」

 

「しかし……」

 

 

確かに、魂が抜けたように譫言を呟いている薫殿、首を傾げる左之助、戯れている由太郎と弥彦。

何とも変な光景ではあるが、平和には違いない。

 

笑みが漏れて、雷十太殿へ目を向ける。

 

 

「雷十太殿、この景色、どう見えるでござるか?」

 

「……平和だと思うが」

 

「これはお主が此処にいるからこそ、出来た光景でござるよ」

 

「……そうか?」

 

「そうでござる」

 

「……そうか」

 

 

雷十太殿の頬は緩み……幸せそうに笑った。

これならば、もう心配はあるまい。

 

剣を交わした相手でさえ、こうして分かり合えるのだ。

ならば彼女の剣は……決して『殺人剣』等ではなく、誰かを助けられる『活人剣』になれるだろう。

 

剣は凶器。

剣術は殺人術。

どんな奇麗事やお題目を並べても、それが真実。

 

しかし、こうして誰かを助け、笑顔を作る事が出来るのも事実。

人を活かす剣などと、師が聞けば甘っちょろい戯言だと言われるだろう。

 

されども、拙者は信じている。

これからの世は、そんな戯言が真実になる事を。

 

 

 

 

 

 

……直後、由太郎が拙者と雷十太殿の間に割り込んできた。

まるで猫のような声で威嚇されたが……微笑ましい物である。

 

微かに笑う雷十太殿の目には、何かに憂うような影は……一片もなかった。

 




一旦完結です。
続きは気が向いたら描きます。

追記(2023/08/21)
今後について↓
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=301639&uid=267675
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