神谷道場の面々と和解して、半月が経った。
由太郎は結局、神谷活心流の預かりとなり二番門下生となった。
吾輩がまともに剣術を教える事が出来なかったからである。
現在、由左衛門が月謝を払っており、少しは神谷道場の家計の足しになれば……と考えている。
あの道場、収入は殆ど無いのだ。
薫の父が残した遺産、そして門下生が居た頃の蓄えをすり減らしながら活動している。
偽・抜刀斎事件の所為で門下生が全て逃げてしまった為、今の門下生は弥彦一人だった。
これから、少しずつ弟子が増える事を祈っているようだが。
無一文の
そう考えれば家計は常に火の車である。
生憎、吾輩も塚山家に寄生している無職で人の事は言えないが……。
と言っても、剣心や薫、左之助は人徳があり……街をあるけば八百屋や魚屋なんかからも色々貰っているのは知っている。
家計は、それほど深刻という訳ではない。
だが、まぁ……それはそれとして。
「吾輩も月謝を払わなくて良いのか?」
「だって雷十太さん、門下生じゃないでしょ?悪いわよ」
なんて言われてしまえば、差し出そうとした金も懐に戻してしまうもの。
数少ない収入として、薫は積極的に出稽古をし、そこの道場主から金銭を貰っているそうだ。
しかし、お得意先の前川道場は一時閉鎖中だ。
……まぁこれは吾輩の所為なのだが。
それを思えば、申し訳なくなって隅っこで小さくなってしまいそうで。
結局、この道場を支えている定期収入は塚山家の月謝だけらしい。
悲しい事である。
閑話休題。
由太郎は週に三度、神谷道場に通い剣術を教えてもらっている。
吾輩もそれに合わせて、共に神谷道場に来ている。
最近は神谷道場の面々とも打ち解けてきたのだが──
「オイ、雷十太」
「うむ?どうした、弥彦」
道場で正座し、茶を飲んでいると……頭上から弥彦に声を掛けられた。
吾輩が弥彦に声を掛けられているのを見て、由太郎が目を猫のように鋭くさせて走ってきた。
薫も呆れながら、それについてくる。
……何故か、道場の隅に全員集まってしまった。
「雷十太のアレ……なんか凄い切れ味のやつ、どうやってるか見せてくれよ」
「飯綱の事か?」
「そうそう、それ──
同意した弥彦の頭に、竹刀が直撃した。
由太郎の先制かつ、背後からの奇襲である。
「いってー!何すんだ!」
「つくづく思っていたが弥彦!お前は先生に対する礼儀がなっていない!」
「うるせぇな……別に俺の先生じゃねーんだから良いだろうが」
頭をさする弥彦に、薫がため息を吐いた。
「二人とも喧嘩しないの。まぁでも……弥彦は少し、歳上に対する礼儀を弁えた方が良いと思うわ。ね?雷十太さん」
うっ、歳上、か。
そう言えば、そうである。
この中でまとめ役でもある薫ですら十七歳。
吾輩が一番歳上なのだ。
若人達の元気が、ま、眩しい……。
身体にガタが来ている訳ではないが、その若さゆえの精神性は吾輩には無いのだ。
言ってて悲しくなってきた。
「ま、まぁ吾輩は……そんな事、気にしていないが」
「ほら。本人が良いって言ってんだから、グチグチ言うなよな」
「ダメよ雷十太さん、弥彦が調子に乗っちゃうから……しっかり言わないと!」
弥彦が調子に乗るので、薫は眉を顰めている。
吾輩はため息を吐いて、首を傾けて──
「それで、飯綱が見たいという事だったな」
話を無理矢理戻す。
「おう」
弥彦は頷き、薫と由太郎も耳を傾けた。
「私も気になるわ。アレってどうやってるの?ちょっと参考にしてみたいし見せて欲しいな」
「先生、俺も久々に見たいです!」
なんて期待されれば、吾輩も乗り気になるという物。
何とも単純である。
「良いぞ。何か斬っても良い物を用意して、中庭に行こう」
そうして──
「雷十太さん、これなら斬っても大丈夫だから」
用意されたのは……乾燥した皮付きの木材だった。
「…………むぅ」
つまり、炊飯用の薪割りである。
普段は剣心がしているが、それの代わりという事だろう。
確かに斬って良い物だが……これでは家事代わりではないか。
なんてため息を吐きつつ、竹刀を借りる。
それを弥彦は訝しむ。
「あれ?真剣じゃねェのかよ?」
「別に、得物は何でも良いのだ」
「は?何言ってんだ?」
そう答えれば弥彦は訝しむような顔をして……流石の薫も同じく、困惑しているようだ。
まぁ確かに、流石に変な事をしている自覚はある。
昔、塚山家で
しかし、ここは空を飛び回り、馬より早く走り、剣に火を纏わせるような人間がいる世界……刃のない剣でも切断できるような吾輩が居ても異常ではないだろう。
そう驚くことではない。
吾輩は薪の元となる乾燥した原木を、台の上に置く。
少し距離を置いて、竹刀を構える。
「では、ゆくぞ」
声を掛ければ、三人の目が吾輩に集中する。
……少し気恥ずかしく感じる。
人に見せるような剣を振るった経験が少ないからだ。
期待半分、疑惑半分の目がこそばゆい。
……意図的に、意識を切り替える。
「……ふぅ」
さすれば、周りの目など気にならず。
ただ得物の間合いの内に存在する物だけに、意識が集中していく。
息を吐き、水平に構えていた竹刀を頭上へ。
剣先を揺らす。
独特な軌道を描き、高速で震わせた剣先は空気の断層を生み出し……竹刀へ真空の刃を纏わせる。
幾度も振るってきた剣を寸分違わず、『いつも通り』に再現する。
「……はッ!」
秘剣、纏飯綱。
振り下ろした竹刀は、まるで豆腐に包丁を入れたかのように、抵抗さえ感じさせず……原木を真っ二つにした。
息を呑むような音が聞こえた。
だが、まだ終わりでは無い。
そのまま纏った空気の断層を解き放てば、弾けた空気が二つに切断された木々を打ち上げ──
宙を舞う。
息を吐く暇なく、竹刀の先端を弾くように跳ね上げる。
即ち、逆袈裟である。
剣を振るう刹那の中、剣先を揺らし、真空の刃を纏わせる。
しかし、先程とは違う剣の軌道を描く。
捻じ曲げ、弾くように剣先に纏う真空の刃を弾き飛ばす。
第二の秘剣、飛飯綱。
しかして……飛ぶ斬撃が、宙に飛ぶ木材を真っ二つに寸断した。
二つの木材は、更に四つの木材になったのだ。
これは以前、剣心に纏飯綱を飛んで回避され、龍槌閃で反撃された時の反省を活かした連携である。
纏飯綱を放ち、距離を取った所に飛飯綱を放つ……飛飯綱では致命傷にはならないだろうが、手傷を負わせれば纏飯綱を回避出来なくなるという魂胆だ。
……別に剣心とまた戦おう等とは考えていないが、自身の技に欠陥が見つかれば改善しようと躍起になるのは剣客の性だ。
そして、この連携もまた何百と鍛錬を行った。
吾輩は実戦で咄嗟に、自由自在に剣を振るえるほど才能が優れている訳ではない。
ならば、鍛錬の末に反射の領域となるまで反復練習するしかないのだ。
つまりは、引き出しの中に『型』を用意するということ。
実戦では、相手の挙動に合わせて引き出しから『型』を引き出すのみである。
がたごとと、四つの薪が地面に落ちる。
流石にそれを宙で受け止める事は出来ず、落ちた薪を拾い直した。
……聞こえると思っていた歓声が聞こえず、思わず不安になり、振り返る。
「……どうだ?大道芸みたいな物だが。満足したか?」
そう聞けば……引いたような顔をした薫と弥彦がいた。
由太郎は自慢げに腕を組み、頷いていた。
弥彦がジトっとした目で、由太郎を睨んだ。
「……オイ、由太郎」
「なんだよ」
「コレってヤバい事してるんじゃないのか?」
「今更気付いたか?先生は凄いんだ」
「凄いとかそういう話じゃないだろ。意味不明だっつーの」
ボソボソとよく聞き取れない会話をしている弥彦と由太郎は無視して、薫へ目を向ける。
「どうだろうか、薫さん。参考になれば良いのだが」
「……なっ、なな──
「な?」
「な!なる訳ないでしょ!」
突然怒鳴った薫に思わず、後退りした。
凄い気迫だった。
思わず竹刀を落としそうになった吾輩に、薫はハッと気付いたようで自分の口を手で塞いだ。
「あ、ごめんなさい……でも、その……私には参考にならなかったかな?」
「む、それは残念だ」
まぁ、これは吾輩の得意技であり、弛まぬ努力の継続成果である。
唯一誇れる特技なのだ。
訊いておいて何だが、一目で真似でもされたら落ち込むかも知れない。
「んで?結局どうやってるんだ?それ」
しかして、弥彦は首を傾げて聞いてきた。
「確かに。飯綱の仕組み、俺も知りたいです」
「わ、私も」
なんて由太郎と薫も言うものだから、竹刀を構え直した。
「では……理屈は如何か、だな?」
「おう」
「はい!」
「うん」
吾輩は上手で優しく竹刀を握り、下手で竹刀を固めた。
ゆっくりと、切先のみを揺らす。
「まず、剣先を揺らす。こうして鍔を軸にするように意識すると良い」
「おう」
「はい!」
「うん」
少しずつ、速度を上げる。
剣先が陽炎のように、錯覚のように見えるほど早く。
「そして、少しずつ速度を上げれば……空気の断層が生まれ、真空が出来る」
「……おう?」
「はい!」
「う、うん?」
剣先から生み出した真空を纏うように、円を描く独特な軌道で剣を動かす。
「更に、生み出した真空を、剣の軌道で巻き込み、纏わせ──
勢いが損なわれぬよう剣を素早く振るい……剣先を弾くように止める。
そうすれば、纏っていた真空は刃へと姿を変える。
それは、剣から弾き出され──
スパンッ!
と遠くに置いてあった、薪用の木材を真っ二つにした。
「このように射出する。さすれば、飛飯綱の完成だ」
「……お、おう」
「はい!流石、先生です!」
「……えぇ?」
吾輩は竹刀を下ろして、三人へ顔を向ける。
「後は慣れだ。技の精度や、真空の刃の指向性は練習すればするほど良くなっていくだろう。参考になったか?」
こうして原理を説明するのは初めてだ。
少し不安に思っていると、由太郎が深く頷いた。
「はい!俺もいつか出来るように頑張ります!」
「……うむ。由太郎ならいつか出来るだろう」
元気な返事に思わず頭を撫でたが……弥彦は少し引いたような顔をして、頬をヒク付かせていた。
そして、薫も同様の表情をしていた。
解せぬ。
この世界は肉体を鍛錬すれば幾らでも、人間離れした技能が習得出来る筈なのだが。
……いや、この肉体の才覚がおかしいのだろうか?
しかし、先日、剣心に手も足も出ずにボコボコにされたばかりだ。
自惚れてはならないと戒める。
切った薪を置き場に直していると……騒動を聞き付けてか、居間から左之助が顔を出してきた。
「何だよ、騒がしい。何か変な事でもあったのかよ」
そう訊かれた弥彦と薫は、一斉に吾輩へ顔を向けた。
「ええっと……」
「なぁ?」
その仕草を見た左之助は呆れたような顔をしつつ、欠伸をした。
「そこの姐ちゃんが変なのは、今に始まった事じゃねぇだろ」
「……そんなに変か?」
散々な言いように顔を顰めると、左之助は苦笑した。
「いや悪い悪い、馬鹿にしてる訳じゃないんだが……いや、なんつーか、規格外っつーか?まぁいいか」
そのまま靴を履いて、門の方へ向かって歩き出した。
「んじゃ嬢ちゃん、俺は赤べこで昼飯食ってくる」
「え?お金はあるの?」
「奢ってもらうんだよ」
なんて言いながら後ろ手を振り、神谷道場を後にした。
薫は……少々、険しい顔をしていた。
「奢りって誰に奢って貰うのかしら。全く」
そんな事を言っていると、弥彦も顔を強張らせた。
「昼食……?ってやべ、もうそんな時間かよ。俺もちょっと、赤べこに行ってくる」
「あら?日雇いのお仕事?」
「おう、そういうこった」
弥彦もいそいそと片付けをして、道場を後にした。
となると道場内にいるのは吾輩と由太郎、薫と──
「おろ?何か催し事でもしてたでござるか?」
割烹着を着た剣心が、風呂場から顔を出してきた。
……先程まで風呂窯を洗っていたのだろう、顔が少し黒く汚れていた。
「ううん、ちょっと雷十太さんに技を見せて貰ってたの」
「それなら拙者も見たかったでござるな」
割烹着を脱ぎ、手拭いで顔を拭き……そうした仕草を見れば、『幕末の最強剣客!』というより何だか『凄腕の主夫』のように見える。
実際、剣心の家事の腕は確かだ。
特に料理は上手い。
……薫に比べれば、いや本当に。
薫の料理は食えない訳ではないが……結構ヤバい。
「まぁ、ひと段落ついたし。ちょっとお昼にしない?」
「うむ、拙者が作るでござるよ」
「え?でも悪いわよ」
「いやいや何の、拙者が作るでござるよ」
「えー……いつも悪いわね、剣心」
剣心も自覚しているのか、薫相手に無理矢理意見を通していた。
ちら、と由太郎を見れば安堵の息を吐いていた。
そんなに嫌だったのか……いやまぁ、吾輩はただ飯をしている手前、批判する気は少しもないのだが。
確かに、味噌汁が時々苦いのはよく分からないが。
あの苦さの正体は一体何なのだろうか。
結局、その日の昼食は剣心が作ってくれた。
うむ、やはり美味い。
……恐らく吾輩よりも料理が上手いのではないか?
一応、生家に居た頃は花嫁修行と称して、家事手伝いや料理の練習などさせられてはいたが……彼の家事能力はそれ以上だろう。
なんて思いながら、吾輩は昼食を頂いた。
そうして食後、せめてもと食器を洗っていると──
「あ!いけない、味噌が切れたの忘れてたわ……」
という薫の声が聞こえた。
「おろ?確かにそうでござるな。昼は吸い物だったから問題なかったが……」
「もう、一大事よ!明日は出稽古なのに……夕食の用意も出来ないじゃない」
そうして薫は申し訳なさそうな顔で、由太郎の顔を見た。
「ごめんなさいね、ちょっと午後からの稽古なんだけど……」
「良いですよ。何なら俺が荷物持ちをしますから」
確かに味噌を買いに行くなら男手がいるだろう。
吾輩も頷く。
「吾輩も行こう。手は少しでも多い方が良いだろう?」
「ありがとう!なら、お米とお塩とお醤油も買おうかしら」
「お、おろ……」
なんて予定していなかったであろう追加の買い物まで検討し始め……剣心と薫、吾輩と由太郎の四人で道場から買い物に出かけた。
肩に味噌の入った桶と、醤油の入った桶を持つ。
木製の棒を両方の取手に差し込めば、肩に担いで持てるため楽である。
「おろ……」
「その、雷十太さん、重かったら片方持つけれど……その、大丈夫なの?」
「それなら先生、俺が持ちます!」
なんて心配されているが、剣心は米櫃を持っており、由太郎も塩の入った桶を持っている。
薫は確かに何も持っていないが──
「いや、構わない。この程度、持っている内に入らないぐらいだ」
吾輩は神谷道場に世話になっている身、こうした時ぐらいは頼って欲しいと思っている。
実際、大した重さではないし。
しかし、吾輩の言葉が遠慮ではなく本気だということを察した剣心は……頬をヒク付かせる。
「……すごい力持ちでござるなぁ」
気の抜けた声で、目を瞬いた。
しかして、何を言っても無駄だと悟ったか薫がため息を吐いた。
それを見た剣心は苦笑しながら目を逸らし──
「む?アレは左之でござるか?」
「えっ?道草でも食ってるのかしら」
店頭で突っ立っている左之助の姿を見つけた。
剣心はそそくさと近寄り、左之助の肩を叩いた。
「左之、何をしてるでござるか?」
「あ?……お前らこそ、揃いも揃って何してんだ?」
左之助が腕を組んで、剣心、薫、由太郎を見て……吾輩と目が合った瞬間、気の毒そうな顔をした。
「……あー、片方、俺が持つか?」
「いや、見た目より重くはない。心配しなくていい」
「おう……そうか?」
左之助は柄が悪いが、良い奴だ。
気遣いも出来て、男らしく、義理人情深く……同性からの人気が高い。
厚意を無駄にしたのを申し訳なく感じつつ、左之助のいた店の方へ目を向ける。
「む、錦絵か?」
色刷りの木版画が売られている店のようだ。
この時代では珍しくない大衆娯楽の一つである。
量産できるために、一枚一枚がとても安いのだ。
「ほう、左之が……珍しいでござるな」
ひょっこりと、剣心が吾輩の横から顔を出した。
頭一つ分、吾輩の方が背丈が大きいため、こうして吾輩が前に立ってしまうと邪魔になってしまう。
更に剣心の横から薫が顔を出した。
「へー、左之助が?ひょっとして美人画?」
「ちげぇよ」
美人画とは綺麗な女性を描いた絵の事だ。
左之助が買う印象は確かにない。
というか、左之助が錦絵全般を買う印象がそもそもない。
「『赤べこ』の妙に頼まれたんだよ。俺のじゃねぇよ」
「ほほう?」
「なーんだ、つまんない」
三人でわちゃわちゃとしている間に、吾輩は錦絵へ視線を落とした。
美人画以外にも、武士の絵も沢山ある。
維新志士や新撰組、伝承の剣豪なんかも──
「む?」
「どうかしましたか?先生」
思わず声が漏れると、由太郎が顔を出した。
視線の先……鼠小僧なんかの、恐らく伝承系の錦絵の中に、見覚えのある絵があった。
目の部分に穴が空いた浪人笠をかぶった剣客の絵だ。
しかし、服の凹凸から女の絵だと分かる。
……酷く、見覚えのある絵だった。
「雷十太殿?どうしたでござ……おろ?」
「何かあったの?……って、あら?」
「んだよ、面白ぇモンでもあったか……ふ、ぷふっ」
三者三様、驚いたり、困惑したり、笑ったり。
由太郎に視線を落とすと……目を輝かせて、その錦絵を見ていた。
左之助が笑いを堪えながら女剣客の錦絵を指差し、店主に声を掛けた。
「オイ、親父!この絵について何か知ってるか?」
「ああ、それかい?」
店主の男がごそごそと引き出しから、他の錦絵を出してきた。
……嫌な予感がしてきた。
「ちょっと前に流行ってた噂でな。凶賊に襲われると、
並べられた絵は、どれもこれも浪人笠を被った女の剣客……つまり、吾輩の絵だった。
凶賊狩りをしてた頃に変な噂が立っているのは知っていたが……吾輩に肖像権はないのか?
いや、この時代には無いのか。
「一時、行商の間で御守り代わりに流行ってたんだよ。まぁ、実際に助けて貰った商人もいるって話だ」
視線が吾輩に集まる。
……顔を逸らした。
今、物凄く顔が熱くなっているのを自覚した。
それに気付かず、店主は煙管を燻らせた。
「ま、噂は噂。そんな女、流石に居る訳ねぇな……居たら拝んでみてぇぐらいだ」
また、視線が吾輩に集まる。
穴があったら入りたい。
吾輩の精神的屈辱はありながらも、左之助は目的の錦絵を購入していた。
ちなみに薫の金で、だ。
左之助は無一文だったのだ。
あと……何か、左之助は古い知人に会いに行くそうで、先に帰った。
何でも、左之助が昔所属していた赤報隊の絵があったとかで……それを描いた絵師は知り合いに違いない、とか。
……首を捻れば『物語』にそんな話があったような気がした……が、無視した。
基本的に雷十太、つまり吾輩の出番は既に終了している。
これからは、吾輩が居ても居なくても勝手に解決するという事だ。
死人が出るような大事でもなければ、無理に介入する必要もなかろう。
それは兎も角、剣心と薫は錦絵屋の冷やかしを継続している。
何も買うつもりはないようだ。
……まぁ、神谷道場の懐事情は寂しい。
無駄遣いもしていられないのだろう。
と、視線を逸らせば。
「……む?」
由太郎が何やら、こそこそと店主と話していた。
何か隠れて買うつもりだろう。
吾輩達に隠れて買わなければならないもの……と言えば。
成程、美人画か?
由太郎もそういう事が気になる年頃だろう。
好きな異性に告白するぐらいには色恋に関心があるし……首を横に振る。
意識すると照れてしまい、挙動がおかしくなってしまう。
ここは考えないが吉だ。
邪気退散、色恋退散。
しかして、知的好奇心はくすぐられる物で。
どんな美人画を買うのかと、こっそり覗き込めば──
吾輩の絵を買っていた。
思わず、顔を窄めてしまったのは言うまでもないだろう。