吾輩は縁側に座り、茶を啜る。
空を見上げれば燕が視界を横切った。
深く息を吐き、湯呑みを置く。
平和である。
驚くほどに平和である。
本当にこの世界が、剣客浪漫譚なのか心配になる程に。
吾輩は神谷道場、その縁側に座っていた。
よく手入れされた庭を見つつ、茶を啜る。
時は昼過ぎ。
由太郎と弥彦は日課の稽古を終え、薫の頼みでお使いに行っている。
重い物を運ぶのも、一人で物事を判断するのも鍛錬の一環……なんて言っているが用は丁稚扱いである。
鍛錬を兼ねてのお使い、という訳だ。
これに関しては吾輩も納得している。
弥彦はまだしも、由太郎は一人で何かをするという経験が少ない。
故に、判断力というか……その、社会常識というのを学んで欲しいという気持ちもある。
うむ。
剣心は左之助に連れられて行かれた。
会話の端の盗み聞きから推測すると……左之助が賭場に無理矢理連れて行ったというのが実情だろう。
飛天御剣流の目を活かしてボロ儲け……ではなく、当人の気分転換も兼ねてだろう。
左之助は先日、何やら生き別れの友人と出会って一悶着があったそうで……少し落ち込んでいた。
剣心もそれを知っている故に、左之助に付き合っているのだろう。
仲の良い事だ。
よって、神谷道場に居るのは薫と吾輩のみである。
といっても薫は家事をしており、縁側に居るのは吾輩だけだ。
ずず、と茶を飲む。
薫が家事をしている間に、こうして腰を下ろして茶を飲んでいるのは……何とも罪悪感が沸く。
手伝おうか?と聞いても、断られた。
吾輩は客人扱いらしい。
……部外者扱いか、と。
そう思って落ち込んだが、薫に悪意はないだろう。
ただ吾輩の扱いに困っているという様子だ。
由太郎のように門下生ではなく、他の面々のような居候ではない。
要約すれば門下生の付き添い、という扱い。
なるほど、道場内の家事を手伝わせるには気後れするだろう。
「……はぁ」
再度、ため息。
何と言えば良いのか、こう……自分だけサボっているような気がして、何とも落ち着かないのである。
剣でも振りたい気分であるが、他人の道場で勝手に素振りをする訳にもいかない。
そもそも自分用の竹刀を塚山邸から持って来ていない。
素振りをするなら借りる必要がある。
故に。
今はただ、この間延びした平和を堪能するしかない。
……いや、別に平和が嫌いな訳ではないが。
吾輩は幕末の人斬り共とは違い、争い事が好きな訳では──
甲高く玄関の木板を打つ音が聞こえた。
二度、それも焦るように早く。
「む?」
ちら、と室内へ目を向けて……薫が手を離せなさそうな事を確認し、玄関まで向かう。
今日は普段着だ。
髪には櫛も挿している。
まぁ足先は下駄ではなく、草履だが。
踏み固められた土の上を歩き……玄関の門を開けた。
「すまないが、薫さんは少々手を離せなくてな──
視線の先には誰も居ない。
そうして、視線を下げると──
「……三条、燕か?」
「えっ、と……由太郎、くんの師匠、さん?」
『赤べこ』の店員、弥彦と親しい小さな少女がそこに居た。
しかし普段の内気な笑みではなく、汗をかいて息を切らし焦燥していた。
ただ事ではない。
問いただそうと口を開き──
「あれ?燕ちゃんじゃない?って……どうしたの!?そんなに焦って……」
直後、薫が顔を出し、尋常じゃない様子に駆け足で寄ってきた。
そんな薫へ、燕が焦った様子で口を開いた。
「そ、それが!弥彦くんと由太郎くんが!」
目を瞬く。
弥彦と由太郎は今、買い物に行っている。
それが一体全体、どうしたという──
「人攫いに遭っちゃったんです!私、見ました……見ちゃったんです!」
人攫い?
……人、攫い?
弥彦と、由太郎が?
「……は?」
瞬間、身体中の血が沸騰するほどに熱くなった。
空気を震わすような感触が身を包み……直後、薫に着物の袖を掴まれた。
視線を落とすと、燕が怯えたような顔をしている。
……怖がらせてしまった。
「……すまない」
「い、いえ……」
落ち着け、落ち着くんだ。
努めて、冷静に……冷静に振る舞う。
息を深く吐く。
よし、大丈夫。
そして、視線を燕へ向けた。
「警察には言ったか?」
「い、言いました。警察の方も不審な人を見たそうで……ええと、これを」
燕は服の袖から、紙を取り出した。
中には住所が書かれている。
「警官さんが、ここかも知れないって……人攫いは剣をさしてたので、えっと剣客崩れかも知れなくて……逃げる方向から、きっとこの溜まり場だろう、って」
「分かった」
吾輩は紙を燕から取り上げる。
目を落とせば……成程、ここからそれほど遠くはない。
……しかし、少し訝しむ。
何故、警官がそれを知っているのか。
何故、こうも都合よく物事が進むのか。
誘い込まれているかも知れない。
だが、そんな悩みや不安よりも……何倍、何十倍もの怒りが胸の内を占めていた。
「ら、雷十太さん?」
「薫さん。すまないが、剣心と左之助さんに、この話を。それと──
吾輩が紙を押し付けると、薫は驚いた顔をした。
「竹刀を一本、借りさせて貰えないだろうか」
彼女は、何度も頷いた。
◇◆◇
「く、っそ……」
俺は床に転がっている由太郎を見た。
コイツ、俺が剣客崩れ共に殴られそうになった時、庇いやがった。
「痛、っつ……」
由太郎は頬を赤く腫らし、少し涙目になっていた。
そりゃそうだ、大の大人に思いっきり殴られたのだから。
俺も由太郎も腕と足を縛られている。
まるで芋虫のような状態だ。
俺は頭を回し……這いずって窓の外を見る。
さっき
見覚えのある場所が見えた。
あまり東京でも治安が良くねぇ場所だ。
……神谷道場に拾われる前、スリをやっている頃に何度か来た事がある。
「チッ……」
薫から面倒くさい用事を頼まれ、買い出しに行く途中……急に後ろから襲われた。
踏んで蹴られて……このざまだ。
俺はまだ良いが……由太郎に視線を向ける。
「オイ、大丈夫か?」
「心配……するぐらいなら、挑発するなよ。お前の所為で殴られたんだぞ」
そうだ。
捕まった後、俺は下手人の剣客崩れを挑発し……殴られそうになった所を庇われた。
「そりゃ、悪かったな。すまん」
「……クソッ」
俺が謝れば、由太郎はバツが悪そうな顔で視線を逸らした。
コイツ、俺が謝ると思ってなかったんだろうな。
そう呆れつつも、由太郎の背中に声を掛ける。
「ま、無駄に煽った訳じゃねーけどな」
「……あれに意味があったのか?」
「当たり前だろ、俺がそんな無駄な事をする奴に見えんのか?」
「見えるぞ?」
「しねーよ、バカ」
その返答に少し苛立ちながら、手元にある物を由太郎に見せた。
握ってる内に手を切っちまって、ちょっと血が出てるが。
「……何?」
「さっき割れた窓の
三角形に割れた、
「いやそれは見れば分かるけど……割ってすぐにアイツら片付けてただろ?いつの間に?」
「頭に血が上ってる奴の目を盗むのは簡単だったぜ?」
ひらひらと、切れた手を見せる。
元々、剣心や薫に拾われる前、俺はスリをやっていたからな。
手先は人並み以上に器用だ。
手に付いた技術は、足を洗っても手には残るってか……ちょっと複雑な気持ちだが、今は役にたつ。
縛られたまま目を盗んで拾うのはちと難しかったが、そこは由太郎が庇ってくれたお陰で楽に済んだ。
その
「ほら、背ぇ向けろ」
「ま、待ってくれ。ここで逃げる素振りを見せたら……今度は殺されるかも知れない。先生や剣心が助けてくれるまで、待った方が良い。だろ?」
……なんて弱気な事を言う。
確かに一理あるだろうが、その考えは悪手だ。
俺は頭を近づける。
「バカ。縛られてるフリは続けるんだよ。万が一の時に逃げれるようにしとくんだ」
「そ、そうか?」
「それにアイツら、殺すつもりはないだろ」
「……どういう事だ?」
「殺す気なら、さっさと俺らを殺してるだろ?つまり──
「人質って事か」
「そういう事だろうよ」
俺は由太郎と背中を合わせて……由太郎の手を縛っている縄に
きりきりと、擦って切ろうとする。
だが縄は硬くて、
少し時間が掛かりそうだ。
「……頬、痛むか?」
「え?あぁ……まぁ、少しは」
「そうかよ」
「……何が言いたいんだ、お前は」
「何でもねーよ」
ぶちり、ぶちりと縄が切れて……由太郎の両手が空く。
俺は由太郎へ目を向ける。
「今度はお前がやれ」
「……分かった」
こういう荒事に慣れてないようで手こずっている。
焦れったく思っていると──
「……オイ、由太郎。何か聞こえないか?」
「何か?何かって……」
耳を澄ますと、何かが壊れる音、怒声、悲鳴が聞こえる。
由太郎も気付いたようで、表情を明るくした。
間違いない、誰かが助けに来たんだ。
俺達は顔を合わせて──
「剣心か!」
「先生だ!」
意見をすれ違わせた。
思わず、互いに不服な顔をした。
「剣心だろ」
「いや、先生に違いない」
直後、俺を縛っていた縄が切れた。
「まぁ、どっちでも構わねェか」
「……それも、そうだな」
俺は切れた縄を自分の手首に巻き、先端を指で挟んだ。
「これでしっかり見られねぇ限り、縛られてるように見えるだろ」
「なるほど……?」
由太郎も慣れていない手付きで真似をする。
ちょっと拙いが……縛ってると思い込んでるだろうし、バレやしないだろ。
……騒音が近付く。
剣心が……いや、由太郎の言う通り雷十太なのか、どちらかが迫って来ている。
だが、なんつーか……物音の出方が尋常じゃない気がする。
人を殴ったり暴れてる音じゃない。
まるで建物が取り壊されているかのような、強烈な騒音。
……こりゃ、俺じゃなくて由太郎の方が正解かも知れねぇな。
思わず身震いしていると──
直後、この部屋の戸が開いた。
剣客崩れ共が部屋に入ってくる。
先頭に立ってるのが頭……由太郎をブン殴った奴だ。
黒髪、長髪の……外套を来た男。
その手には、真剣。
そして、刃物のような鋭い気迫を身に纏っていた。
……コイツ、ただの雑魚じゃねぇ。
見ただけでハッキリと分かった。
「オイ!ガキども、殺されたくなかったら付いてきやがれ!」
由太郎が、俺に視線を送る。
俺は小さく頷く。
ここで抵抗するのは拙い。
一旦は逆らわない方が良い。
由太郎と俺は剣客崩れ共に連れられて……廊下を歩かされる。
建物がボロいからか、木板の音が鳴り響く。
合わせて、耳に男の悲鳴や怒声が聞こえる。
「クソッ、化物め。確実にここで殺してやる……!」
長髪の男が悪態を吐きながら、俺達の背中を押し急かせる。
そうして歩かされ広間を通る途中、漆喰の壁の向こう側で大きな騒音が聞こえた。
すぐそこまで、助けに来ている。
「チッ、向かい側まで来てやがるのか!?ガキども、急ぎやが──
直後、強烈な音が響いた。
漆喰の白い破片が、飛び散る。
何かが壁を貫通して転がった。
「な、何だ!?」
砕けた漆喰と木板、それに埋もれていたのは……人だった。
剣を折られた、人相の悪い男が白目を剥いて転がっていた。
パラパラと、砕けた漆喰が落ちる。
砂埃が散って、今出来た大穴から……一人、広間に入って来た。
「……見つけたぞ。屑どもめ」
今朝見た、着物姿のまま竹刀を握る雷十太が、そこに立っていた。
「せ、先生!」
由太郎の奴、嬉しそうに笑って……苛立った剣客崩れに首元を引っ張られた。
瞬間、雷十太の眉間に、メチャクチャ皺が寄った。
目に見えて分かる。
怒っている。
由太郎もその表情に気付いたのか、さっきまでの笑みは薄まり、少し引いたような顔をしている。
分かるぜ。
尋常じゃない迫力だ。
まるで、山の中でデケェ熊と出会っちまったかのような……威圧感。
俺らの周りにいる剣客崩れどももビビってやがる。
そんな雷十太が、威圧感を振り撒きながら……俺らを掴んでる長髪の剣客崩れに目を向けた。
「……今すぐ、その二人を解放して貰おう」
空気を肌が叩いたような気がして、少し腰が抜けそうになる。
助けに来てくれたってのは分かるが……それにしても、怖過ぎる。
そしてまた、口を開いた。
「さすれば──
「解放すりゃ俺達を見逃してくれるってか?」
大粒の汗を流しながら、長髪の剣客崩れが言葉を口にした。
強がりだと、俺にも分かった。
「いいや。半殺しで済ませてやる」
ピクリ、と長髪の剣客崩れの眉が動いた。
目に見えて苛立っているのが分かった。
「調子に乗るなよ……雷十太さんよぉ」
……名前を知っている?
つまり、コイツ……雷十太か由太郎絡みの奴か?
そんな俺の困惑を他所に、剣客崩れが言葉を繋ぐ。
「てめぇにシバかれた所為で、ウチの門下生は道場を見限りやがった。今じゃ道場主と名乗る事も出来ねぇ」
そこでようやく、俺は理解した。
コイツ、雷十太に道場破りされた道場主か!?
「んで、こうして剣客崩れの長なんてしてる!てめぇの所為で俺はここまで落ちちまった!」
血管が浮くほどに、剣客崩れはキレていた。
「代々続いてた道場をてめぇがブッ壊しやがった!てめぇの所為だ!てめぇの──
「それがどうした」
しかし、それ以上に……雷十太はキレていた。
目に見える空気が歪んで見える程に、怒気を放っていた。
「道場破りは、確かに吾輩も悪いかも知れん。だが今、貴様がやっている事は何だ?」
「あ……!?」
「子供を誘拐し、丸腰の者へ刃物を突き付け……身に付けた剣術で暴れているだけだ。吾輩が道場を壊したのなら、その道場を汚しているのは……貴様だ」
雷十太が、剣客崩れを睨んだ。
「違うか?甲源流の中岡……いや、元甲源流か?」
「ッ……!」
ぎり、と剣客崩れの……中岡が、歯を鳴らした。
図星ではあるが、認められないのだろう。
「……へ、ヘヘッ」
しかし、即座に……軽薄な笑みを浮かべた。
「何がおかしい?」
「てめぇは立場が分かってねェようだから教えてやる。少しでも俺らに抵抗する素振りを見せたら──
刀を、首元に突き付けられる。
「そのまま御陀仏だ。二人、仏が増える事になるぜ」
「…………」
雷十太は返事をしない。
……クソッ、ここまで凶器が近いと逃げようとしても斬られる方が早えか。
中岡の周りにいた剣客崩れが、剣を構えて……雷十太へ向き合う。
「抵抗なんてしてみろよ。うっかりしちまうかもなぁ……?」
「…………」
手に持った竹刀をだらりと下げたまま……雷十太は正面の剣客崩れを睨んだ。
「……ヘッ、ちと顔は怖ぇが綺麗どころだ。死ぬ前に良い思いをさせてやるぜ」
なんて下衆な事を言いながら、一人、雷十太へ近付き──
「女一人に頭数揃えて、恥ずかしくないのかよ!」
由太郎が声を上げた。
中岡は苛立った様子で、由太郎を見下ろした。
「大の男を何人も殴り倒す奴を、俺は女だって認めねぇよ」
「ハッ、器量の狭い奴だな。勝てないからって、そうやって……情けない事この上な──
「うるせぇ!」
由太郎が殴られた。
……だが、由太郎の視線は俺へ向いていた。
分かってんだよ、そんな目を向けなくても。
俺は中岡の足を強く踏んだ。
「
怯んだ瞬間、由太郎が地面を蹴り……中岡を後ろにのけ反らせた。
コイツの周りにいた剣客崩れは雷十太の方へ向かっている。
だから、今はコイツさえ何とかすれば逃げられる!
「なっ、中岡さ──
一人、雷十太から視線を外して中岡へ顔を向け──
「ぷぎゃっ」
直後、人が打ち上がった。
「は?」
「え?」
「あ?」
雷十太が、竹刀で剣客崩れの顎を打上げ……天井に頭を突き破らせたのだ。
だらりと、まるで『てるてる坊主』のように大の男が釣られてしまった。
「なっ──
直後、別の人間が横に吹っ飛んだ。
まるで鞠のように、床を跳ねて襖に突き刺さった。
「やめっ──
もう一人、宙を吹っ飛びながら錐揉んだ。
まるで正月のコマみてぇに、くるくると……回って。
ぐちゃりと、受け身も取れず床に転がった。
「さて」
数度の瞬きの間に、剣客崩れ共は物言わなくなっていた。
雷十太は……さっき、由太郎が殴られたのを見た所為か、更に顔を険しくしていた。
まるで般若面のような顔をしている。
そんな雷十太が……中岡へ目を向けていた。
「残りは、貴様一人だ」
俺と由太郎は壁に張り付くように距離を取って、中岡が恐怖を感じているのを見た。
俺もちょっとビビった。
だがそれでも中岡は、心が折れていないのか……小さく、笑った。
「ヘヘッ……大した腕だな。俺を一度、倒しただけあるぜ……?」
「いいや、吾輩は強くはない。貴様らが弱過ぎるだけだ」
「抜かせ、てめぇ程の奴は見た事がねぇよ」
「井の中の蛙だな。羨ましい限りだ」
「褒め言葉は素直に受け止めるべきだぜ?俺程度じゃあ、自分にゃ勝てねぇってな」
そう褒め称えるような言葉を吐きながら、力はお前が上だと認めながらも……何故か、中岡は笑っていた。
そして、自身の外套を掴んだ。
「だが、そりゃ俺とてめぇが同じ装備だったらだ!」
そのまま、引き剥がす。
黒い、金属製の甲冑が姿を現した。
「見ろ!黒南蛮鉄の甲冑だ!最硬を誇る逸品!刀でも貫けねぇ……ましてや、竹刀なんかでは傷一つ付ける事だって出来ねェだろうよ!」
そのまま、刀を構えた。
「武器も防具も!全てにおいて!俺がてめぇに優っている証拠だ!」
合戦でもするのかと思える程、中岡は身を固めていた。
俺でも分かる。
装備の差は、戦いにおいて決定的な差になる。
勝ち誇ったような中岡が、笑う。
しかし……その姿を、雷十太は冷めた目で見ていた。
「御託はいい。さっさと来い」
「……ヘッ、強がりを」
数歩、中岡が雷十太へ近付いた。
左手に、先程脱いだ外套を持ちながら──
……まさか!?
「死にやがれ!」
外套を広げて、雷十太へ投げ付けた。
宙を漂い、視界が遮られる。
そのまま、間髪入れず刀で外套を貫いた。
「先生!?」
「き、汚ぇ!」
俺と由太郎は、中岡の後ろに居た。
外套に遮られて、どうなっているかは分からない。
「戦いに汚いもクソもあるかよ!相手を殺した奴が勝ちなんだ──
「そうだな。それには同意してやる」
外套の向かい側から、声が聞こえた。
雷十太の声だ。
「チッ!まだ生きてやがったか!だが!今度こそ貫いてやる!」
そう言いながら、中岡は剣を抜いて──
「は?」
その上身の半分の所で……真っ二つに斬られている事に気付いた。
綺麗な断面をさせて、刀身が半分の長さになっている。
何をしたのか、アイツには分からないだろう。
だが俺は知っている。
アレは……雷十太の
竹刀で真剣を斬りやがったんだ。
瞬間、外套が取り払われた。
雷十太が、暴力が目の前に現れた。
眉間に皺を寄せ、腕に血管が浮いている。
そして竹刀は……上段に構えられていた。
「待っ──
「誰が待つか」
刹那、俺は爆発を幻視した。
木板を砕く程の踏み込みと共に、竹刀が急加速した。
そのまま……中岡の肩へ、上段からの一振りが命中した。
およそ、竹刀から出たとは思えない程の爆音。
そのまま、中岡は地面に叩き付けられた。
……黒南蛮鉄の甲冑は、ひしゃげている。
地面に倒れた中岡へ、一歩雷十太が近付いた。
「中岡。私は今、怒っているんだ。分かるだろう?」
「う、ぐ……だ、が元はと、言えば、てめぇが──
「そうだな。吾輩の浅慮が招いた事だ。故に……吾輩が怒っているのは貴様らだけではない」
ぎちぎちと、どこからか音が鳴る。
……竹刀の柄に巻かれた革からだ。
途轍もない握力で握られ、音が鳴っているのだ。
怒っている。
怒っているのだ。
「吾輩自身にも怒っている。不甲斐ない。情けない。許せない……そう怒っている」
雷十太は自分自身に怒っているのだ。
この事態を招いてしまった事に、由太郎を誘拐されてしまった事に。
己の失態に怒っているのだ。
「だから、先程の一撃は『八つ当たり』でもある。悪いとは思って……まぁ、いないが」
既に、中岡は気を失っていた。
白目を剥いて、泡を吹いていた。
先程の一撃で内臓にまで衝撃が来たのだろう。
気の毒だとは思わないが……哀れだな。
まるで潰れた蛙みてぇだ。
ちょっと引いてると──
「先生!」
由太郎が飛び出して、雷十太に抱き付いた。
雷十太は少し手を彷徨わせて……抱き返した。
そして、俺を一瞥した。
「……すまなかった、由太郎。それに弥彦も」
……一瞬、何で謝られたのか分からなかった。
少し考えて、苦笑した。
「気にしてねぇよ。つーか、助けたんだから、もっと偉そうにしてもバチは当たらないと思うぜ?」
「……そうか、ありがとう」
まぁ、こうして……しおらしくしてりゃ、ちょっと
さっきまでの暴れ具合を見てると、何とも言えなくなるが──
って、由太郎の声が聞こえねぇぞ?
ふと視線を、雷十太に抱き締められてる由太郎に向けると……痙攣していた。
俺は慌てて、視線を雷十太に向けた。
「て、てめっ、オイ!雷十太!由太郎が!」
「む?由太郎がどうかしたのか──
なんて言いながら呑気に視線を落として……抱き締められ、窒息寸前になってる由太郎に気付いた。
「わ、あっ!?由太郎!?」
すぐに腕を解くと、ふらふらと由太郎が尻餅を突いた。
「す、すまない。由太郎……!その、大丈夫か?怪我も……」
おろおろと雷十太は由太郎の様子を窺う。
由太郎は首を左右に振った。
「だ、大丈夫です!こんなの擦り傷で──
たらり、と由太郎が鼻血を出した。
「な、血が出てるぞ!?殴られて、は、鼻が折れたのか!?」
「あ、いえ殴られましたけど……」
由太郎が殴られたのは頬だ。
鼻じゃねぇ。
つまり、この鼻血は──
「ケッ、エロガキが」
胸元に抱き締められて興奮したって事だな。
俺の言葉に、由太郎が顔を真っ赤にした。
「なっ!?俺はそんなんじゃなっ──
ぴゅー、と。
血が出た。
怒りで興奮した所為で、血が集まったのだろう。
しかして、そんな血塗れの様子とは対照的に、雷十太は顔を青ざめた。
「ゆ、由太郎!?拙い、はやく診療所に行かねば!」
「え?うっ、大丈夫ですよ!?先生!」
「だ、だが、血が……血が」
「……ほ、ホントに大丈夫ですから!」
慌てる二人を見て、少し愉快な気持ちになる。
「プッ、クク……」
そうして、笑っていると──
「おろ?既に終わっていたでござるか?」
「は?つまんねーな」
剣心と左之助が現れた。
……あり得ねーぐらいの遅刻だ。
俺は二人を睨んだ。
「遅ぇーぞ!もう終わっちまったし!もう少し早く来れねーのかよ!?」
「そ、それは申し訳ないでござるよ」
「何でコイツ、助けられる側なのに偉そうなんだよ」
剣心は申し訳なさそうにし、左之助は呆れた顔をした。
……俺はため息を吐いて、二人に向かって笑いかけた。
◇◆◇
警官が目まぐるしく、現場の調査と片付けをしている。
吾輩が竹刀で気絶させた剣客崩れ達が、縄で縛られ連れて行かれる。
床も壁もメチャクチャ、気絶した人間が多数。
そんな現場を生み出してしまった吾輩は、警察から軽い取り調べを受けていた。
いや、剣心が警察の署長と知り合いで良かった。
部外者であれば、取り調べは遥かにキツくなっていただろう。
そうして、時間が過ぎ。
ようやく、取り調べから解放された。
先に神谷道場の面々は帰らせた。
居ても仕方ない面子が二人と、怪我人が二人だ。
いつまでも現場に留まらせて居ても仕方ないだろう。
だから、吾輩は一人で帰路に着こうと……現場である屋敷の外へ出た。
そして、少し考え事をする。
奴等は『誰か』に雇われていたらしい。
何でも吾輩を襲うように言われ……私怨も手伝い、悪知恵を働かせて勝手に人質を用意しようとしたらしい。
何とも腹が立つ話だが……それよりも、その雇った『誰か』とは誰なのか。
剣心ではなく、吾輩を狙う『誰か』。
剣客崩れ共も詳しくは知らないらしいし、手詰まりだ。
……ふと、嗅いだ覚えがあるも、珍しい臭いが鼻に通った。
何の臭いか……ふらりと、屋敷の裏へ足を向ける。
枯れ草の中から臭いがする。
掻き分けて、踏み潰されたそれに目を落とした。
「これは……?」
そうか。
この臭い……
踏み潰されても尚、仄かに燻らせている煙草の吸い殻があった。
それも、この明治には珍しい舶来品の……紙巻の煙草だ。
それを拾い上げる。
そして、その向かい……屋敷の窓が側にある事に気付いた。
その窓から中を覗けば、吾輩と中岡が争っていた広間が見えた。
……燻っている火からも、吾輩が戦っている間……ここで煙草を吸いながら観戦していたのだろう。
「……あの男か」
犯人に目星が付いた。
吾輩は、その吸い殻を指でへし折った。
動乱が近付いて来ているのだと、嫌でもそう予感させられた。
吾輩は目を、細めた。