誘拐事件から数日が経過した。
大きな出来事もなく、何事もなかったかのように日常は続いている。
……吾輩も日常をなぞっている。
内心では平穏とは程遠かったが。
誘拐事件を指示した『何者か』の正体に目処は付いている。
だからといって行動に移る事は出来ずにいた。
何故ならば、その行動で誰かが助かる訳でもないからだ。
内心、煮えくり返っていたが。
その『何者か』が悪人ならば問題なかった。
……ソイツは清らかな善人ではないが、悪人でもない。
寧ろ、己が悪と断じた者を斬る……正義を掲げる男なのだ。
いや、由太郎を傷付けたのは本当に許さないが。
……これも、漫画の記憶だ。
また、自分の知る筈のない知識に振り回されている。
自覚すれば自己嫌悪しそうになる。
奴は吾輩から探さずとも、神谷道場に来るだろう。
何故なら、奴の狙いは──
「先生!」
視線を向けると、由太郎は竹刀を肩で持っていた。
「む……どうかしたか?」
「出稽古、終わりましたよ。道場に帰りましょう?」
「……あぁ、そうか。そうだな」
目頭を揉みながら、立ち上がる。
どうやら考え事に没頭し過ぎていたようだ。
今日は出稽古で、中越流前川道場まで来ていた。
師範代の薫が代表として。
由太郎と弥彦は門下生として。
剣心と吾輩は付き添いとして。
……あぁ、しかして、前川道場に来るのは気まずい。
少し前に吾輩が道場破りをした道場なのだ。
しかし……道場主の前川宮内に頭を下げれば、心が広いようで許して頂いたが。
その前川宮内は、肩にまだ包帯を巻いていた。
吾輩が負わせた傷だ。
気まずい。
しかして、門下生の好奇の目に晒されてしまう事となる。
随分と辛かった……思考に没頭し現実逃避する程には辛い。
門下生の好奇の目が辛かったのは剣心も同じようだが、剣心は座ったまま眠って居た。
これだけ視線に囲まれても眠れるのは、鈍感なのか、流石に大物なのか。
後者だと思いたい。
前川宮内が用意してくれた座布団から立ち上がると……すぐ側で剣心が寝ぼけた顔をしていた。
そんな剣心は、業を煮やした薫に引き摺られていった。
吾輩は前川宮内に頭を下げ、由太郎と道場を後にした。
その頃には剣心も自分の足で歩いていた。
目も覚めたようだ。
帰路を歩きながら、薫が剣心へ目を向けた。
「そういえば、いつもは眠っても浅いのに……今日は随分と深く眠っていたわね」
「それは……少し、昔の夢を見ていたでござるよ」
昔の夢、という言葉に弥彦が食いついた。
「幕末の話か?」
「まぁ、そうでござるな……幕末の──
桜が散る中、剣心が指を立てた。
「新撰組の夢でござるよ」
「新撰組?って言うと、アレか。維新志士の宿敵として有名な新撰組、だよな?」
吾輩も耳を傾ける。
剣心も少し気分が乗ったのか、口を軽くしていた。
「そう。維新志士の宿敵、新撰組。拙者が昔、幾度となく剣を交えた相手でござるよ」
それから剣心は新撰組の話を続けた。
京都の治安を守る為に結成された治安維持組織。
国の姿を変えようとする維新志士を取り締まる為、幕府によって結成された最強の剣客達。
血風纏う京都の治安を守る為、剣を振るった者達……。
卓越した剣の腕前と、死をも恐れぬ闘志。
揺るぐことのない『正義』。
壬生の村で結成された事から『壬生狼』と呼ばれ恐れられていた。
そう剣心が語ると、弥彦が首を傾げた。
「そいつら、剣心の『敵』だったんだろ?何でそんな好意的に話せるんだ?」
「うむ。まぁ、それは──
剣心は過去に思いを馳せ、そのまま弥彦に目を向けた。
そして、穏やかな笑みを浮かべた。
「敵ではあったが、その信念は本物であった。この国を良くしたいという想い……立場が違えど、信念を懸けて戦った事に変わりはない」
「……そんなモンかねぇ」
「そういうモノでござるよ」
そう言いつつ、剣心は苦笑しつつ言葉を繋ぐ。
「そう、それこそ……今、政府の要職に就いている
懐かしむように言葉を口にした剣心に、薫が少し笑った。
そんな薫へ剣心は目を向けた。
「……やっぱり変でござるか?」
「ううん、でも少し珍しいなって……そう思っただけ」
「おろ?珍しい、でござるか?」
「うん、
薫がそう言うと、弥彦も笑いつつ……頷いた。
「おう、そうだな。昔話を語りたがらねぇ奴が二人居るもんなぁ」
そう言いつつ、弥彦が吾輩を一瞥した。
苦笑する。
吾輩の過去は別に剣心のような重い物ではなく、ただただ情けない話だからだ。
剣を振るい過ぎて実家から勘当された女の話など、酒の肴にもならないだろう。
一緒にしては剣心に悪い。
剣心に目を向ける。
彼は少し神妙な顔をしつつ……吾輩の視線に気付き、誤魔化すように笑っていた。
◇◆◇
そうして歩いて、東京の空は茜色に染まりつつあった。
川のそばを歩きつつ、
「……剣心、どうしたの?」
「む、何もないでござるが……」
「ちんたら歩いてっと、陽が暮れちまうぜ」
そう各々が口にし、最後に由太郎が口を開いた。
「あまり遅くなると親父が心配する」
「へっ、まだ親離れ出来てねーのかよ」
「……そんなんじゃねぇよ」
「どうかなぁ……?乳離れも怪しいだろ」
「なにをっ──
「やるかっ──
ギャーギャーと喧嘩し始めた二人を微笑ましく見ていると……普段は直ぐに止める薫が首を傾げた。
「元気ないわね……剣心、お腹でも痛いのかな?」
なんて事を言っている。
恋は盲目というのは本当らしい。
思わず吾輩は眉尻を下げた。
剣心も気の抜けた様子……この喧嘩を止めるには吾輩しかいないらしい。
吾輩は由太郎と弥彦、両名の首元を掴んだ。
「そこまでにしておけ」
「「ぐえっ」」
喧嘩するほど仲が良いとは言うが、少々心配になりそうだ。
二人とも勝ち気で負けず嫌いだ。
故に、互いに譲らず、細かい所で競い合おうとしている。
それは剣の上達という意味では良い事だろう。
事実、同年代の中ではずば抜けて剣に精通して──
「お、おろ、雷十太殿──
「む?如何がしたか」
「二人の首が締まっているでござるよ……」
「首……?あっ──
視線を下げると、顔を青紫色にしている由太郎と弥彦がいた。
慌てて手を離すと、二名共に地面にへたり込んだ。
「す、すまない」
「こ、殺す気かよ!
「げほっ、弥彦ごほっ、先生を侮辱する、な、げほっ」
「てめぇも息が出来てねーじゃねぇか!」
おろおろとしていると……くすり、と笑う声が聞こえた。
ちら、と吾輩と剣心、薫が声の方を一瞥した。
そこには黒髪で長髪の、美人がいた。
「ごめんなさいね、笑うつもりは無かったのよ?」
「あーっ!め、恵さん!?どうしてここに!?」
「あら。ここは天下の往来、私が歩いていてちゃいけないかしら?」
「そ、そーいう訳じゃないけど……」
医者である高荷 恵がそこに立っていた。
由太郎や吾輩の応急手当てをしてくれた、神谷道場と縁のある女医である。
困惑する薫を横目に、恵は意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「なんてね。ホントは明日、明後日が仕事お休みだから遊びに行くつもりだったの。剣さんにも会いたかったし」
ちら、と恵が剣心に目を向ける。
剣心は呆けていたのか、「おろ?」なんて言っている。
しかして、その仕草に薫の目が厳しくなった。
「ダメ!神谷道場は女狐出入り禁止だから!」
「あらあら?由太君と雷十太さんの治療したのは誰だったかしら?」
「うぐっ」
「しかも
「ぐぐぐ……!」
薫は悔しそうに唸っている。
同じ人を好きになった女同士の争いだ。
巻き込まれないよう吾輩は少し距離を取ったが……由太郎が横から顔を出した。
「治療費は親父が払ったと思うんだけど」
「え?あ?そうなの!?恵さん!」
「あら?バレちゃったかしら」
オホホなんて笑いながら、恵は手を口に当てている。
そんな二人の様子に、弥彦がため息を吐いた。
「はぁ、俺はどっちでも良いけどよ──
「ね?弥彦君、良いわよねぇ。夕飯は私が作ってあげるから」
「おう、泊まっていけよ。良いじゃねーか薫。ケチケチすんなよ」
「弥彦の裏切り者!」
正直、弥彦の心変わりの気持ちもわかる。
薫の料理が……まぁ、その、独創的で。
対して恵は料理が上手いのだ。
左之助曰く、「月とすっぽんぐらい違う」らしい。
怒っている薫を他所に、恵は剣心へ顔を向けた。
「ね?剣さん、私も遊びに行っていいわよね?」
「……うむ」
少し遅れた気のない返事に、恵は表情を強張らせた。
「何だか本当に元気がありませんね?何か変な物でも食べたのかしら──
「いや、大丈夫でござるよ……少し、考え事をしていただけでござる」
……まぁ確かに、今の剣心は少しおかしい。
だが、それは自身の過去を思い出したからだろう。
壬生狼、新撰組……過去に敵対していた者達を。
道場の近くまで来た頃には、空が少し暗くなり始めていた。
「では、薫さん。吾輩達はここらで」
「えぇ、由太君もまた明後日ね」
「はい!」
三人に手を振り、別れる。
そのまま、帰路につく。
少し薄暗い道を歩き、塚山邸へと向かう。
ほんの少しの胸騒ぎと、罪悪感を感じながら。
◇◆◇
二日後、神谷道場にて。
「トリ頭が襲われたって!?」
由太郎が弥彦の言葉に驚いた。
曰く、吾輩達と別れた後、道場に大きな穴が空いているのを見つけたそうだ。
そして、その先で……傷を負った左之助が倒れていたのを見つけたと。
「あぁ、一命は取り留めたらしいけど……今も恵と薫が様子を見てるぜ」
「……そ、そうか」
由太郎は安堵して息を吐いた。
……アレだけぞんざいな扱いをしているが、命の危機には心配するらしい。
嫌っている訳ではないのだろう。
対して吾輩は内心、罪悪感を感じていた。
この襲撃は予想できた話なのだ。
……なのに、吾輩は何も対処しなかった。
日和見で、見捨てたのだ……故に、左之助が怪我を負ったのは吾輩の所為だ。
神妙な顔をしている二人を見ていると、薫が襖から顔を出して来た。
「弥彦、剣心に豆腐を買ってくるように言ってくれない?」
「は?何で俺が……ちっ、分かったよ」
薫の手に濡れた手拭いがあるのを見て、弥彦は頷いた。
彼女は未だ目を覚さない左之助の面倒を見ている。
それを察して、弥彦は普段の憎まれ口を叩かなかったのだ。
まぁ、弥彦は悪童だが最低限の気遣いが出来る少年なのだ。
吾輩は薫殿に視線を向ける。
「吾輩にも何か出来る事はあるか?」
「え?あぁ……それなら、悪いけど水汲みをお願いして良い?」
「うむ、分かった」
左之助が『こう』なる事を知っていた。
だが、口にしなかった。
その罪悪感を振り払う為に、手伝いを申し出たのだ。
……やはり、物語の記憶など、普通に生きる上で邪魔にしかならない。
いっそ割り切ってしまえば楽な物だが……何とも。
一つ、ため息を吐く。
井戸があるのは中庭だ。
途中まで弥彦と共に行こうと、由太郎を連れて歩いていると──
「おう、剣心!」
「おろ?」
剣心が縁側に座り、何かを読んでいた。
しかし、弥彦が声をかけた瞬間に着物の中に隠した。
アレは……手紙か。
折られた紙に墨で文字が書かれているのが見えた。
端には……
しかし、吾輩の動体視力でギリギリという事は、弥彦も由太郎も視認できてはいないだろうな。
そう思考していると、弥彦が剣心へ声を掛けた。
「剣心、薫がひとっ走りして豆腐を買ってこいってよ」
剣心が弥彦の方へ、申し訳なさそうな顔を向けた。
「すまんが、弥彦……拙者はこれから野暮用があるでござるよ」
「は?それじゃあ、俺が豆腐を買いに行かなきゃなんねーだろ!」
「頼むでござるよ」
「はー?……くそっ、しゃーねーな」
「すまないでござるな」
嫌そうな顔をしている弥彦から目を逸らし、剣心が吾輩を見た。
「雷十太殿」
「……何かあったか?」
「本当に野暮用でござるよ。しかし、頼み事をしても良いでござるか?」
「……頼み事か。言ってみるといい」
吾輩がそう言うと、剣心は少し表情を強張らせた。
「神谷道場の皆を頼むでござるよ」
「……頼まれなくとも。だから安心して野暮用に向かうと良い」
そう返すと、剣心は頬を緩めた。
「頼りにしてるでござるよ」
「……あ、あぁ。うむ」
頼りにされてしまったらしい。
思わず緊張して声が上擦ってしまったが……言われなくとも、神谷道場に何か危険が迫れば、吾輩は守るために戦うつもりだった。
「では、弥彦。遅くなるかもしれないから……戸締りはしっかり頼むでござるよ?」
そうして剣心は後ろ手を振って出て行った。
その背には……戦いに向かう者の覚悟が見て取れた。
しかし、頼りにしている……か。
思わず、自身の腰の辺りに手が伸びた。
……真剣は持ち歩いていない。
剣心に打ち負けた時から、持ち歩いていないのだ。
それは戦う意志の欠落……剣客としての己と距離を取っているのだ。
だが、今は……それでも、真剣の重みが欲しかった。
◇◆◇
由太郎と弥彦は共に豆腐を買いに走った。
先日、誘拐された事もあり、弥彦は竹刀を持ち歩くようにしている。
由太郎もだ。
本当なら吾輩も付いて行きたい所だが、過保護すぎると彼等の成長の邪魔をしてしまう。
放任するのも子育て……いや、吾輩は未婚だが、何故、子育てに関して悩まねばならんのだ。
しかして、水汲みを終えた吾輩は薫に事情を話していた。
「剣心が用事?」
「うむ、野暮用で遅くなるかも、と」
「そう……?」
不安そうな薫を他所に、水瓶に水を入れる。
ちら、と左之助を見れば血色のいい顔で眠っていた。
元気そうに見えて、安堵のため息を吐く。
そんな吾輩を他所に、薫が首を傾げた。
「でも何か変よね……神谷道場以外で用事と言っても……赤べこか前川道場ぐらいだし。雷十太さんは何か知らない?」
「……む。と言われても……そうだな、左之助関連ではないか?」
「……やっぱり?また一人で危険な事を抱え込んで……」
はぁ、とため息を吐きつつ薫は心配そうな顔をしている。
……事実、剣心は今、争いの場へ向かっている。
いや、誘き出されているが正しいか。
しかして、罠と言えど剣心は負けはしない。
彼に勝ちたければ、それこそ幕末の人斬りを連れて来なければならない。
直後──
「ごめん下さい」
ガラガラと、道場の戸が開いた。
そこに居たのは警官だ。
目の細い、優しそうな警官……。
「こちらの道場に、緋村 抜刀斎さんがいらっしゃると聞いたのですが」
薫が顔を強張らせた。
剣心の捨てた筈の名前を呼ぶ男……警官と言えども警戒せざるを得ないのだろう。
そんな薫を見て、警官は人好きのする笑みを浮かべた。
「あ、私、この度、この街に配属される事になった藤田という者でして。緋村さんの事は署長からお聞きしましてね」
「あら、そ、そうなの……署長が……」
薫が安堵のため息を吐いた。
吾輩は藤田と名乗った警官に、視線を向ける。
ピクリ、と彼の眉が動いた気がした。
少し、剣呑な空気を発した直後──
「藤田さん、剣心はあいにく今、留守にしていますが何か……?」
薫の言葉で、その空気は霧散した。
それでも吾輩は藤田に目を向けているが。
「ええ、実は未確認ながら緋村さんを狙っている輩がいるという情報が、警察の方に入りましてね」
「や……やっぱり!」
「おや?ご存知でしたか……失礼ですが、中で少し待たせて頂いても構いませんか?」
「あ、はい!帰りが遅くなっても良ければ──
なんて、薫の不安を煽り……彼女の後ろで藤田が足を進めた。
吾輩は横に並び……無言で視線を向ける。
疑っているのではない。
既に確信しているからだ。
……巻き煙草の臭い。
無意識のうちに眉が顰められる。
そんな吾輩を嘲笑うかのように、藤田は先程の人好きのする笑みではなく……獰猛な笑みを浮かべていた。
◇◆◇
警官、藤田は道場まで通された。
神谷道場の掛け軸を前に、彼は正座をし……手元に真剣を握っていた。
既に薫はここを離れ、恵と会話している頃だろう。
吾輩は、警官……藤田と名乗っている男に視線を向けていた。
「さて──
明治の警官にしては珍しく、
「何の用でしょうか?そこまで警戒されるような真似をした覚えはありませんが」
そうだ。
確かに、警戒するような謂れはない。
彼の本性を知っていなければ、だが。
「貴様だろう」
「何が、でしょうか」
「由太郎と弥彦の誘拐を指示したのは」
ピクリ、と藤田の背中が動いた。
「何の話やら──
「現場に紙巻の煙草があった。その臭いを吾輩は覚えている」
「……ほう、随分と鼻が利きますね。まるで犬のようだ」
組んでいた足を広げて、藤田が立ち上がった。
先程とは立ち方が違う。
剣の素人と偽るために、佇まいを偽装していたのだ。
今は……熟達した技量が垣間見える。
しかし恐れず、声をかける。
彼に関わる事に対する不安より……遥かに、今は怒りが胸を占めていたからだ。
「本来であれば、貴様に関わるつもりはなかった。緋村 抜刀斎に任せるつもりであった」
「……それで?」
「しかし、貴様は……吾輩の触れてはならぬ所に踏み込んだ。故に、もう一度問いたい」
目の前の剣客が握っているのは真剣だ。
対して、吾輩が握っているのは木剣。
しかし、それでも向かい合わなければならなかった。
「由太郎と弥彦の誘拐を、賊に指示したのは貴様か」
空気が爆ぜる。
吾輩が剣気を放てば……しかして、藤田は柳のように受け流した。
「……そうだ。『俺』の目的の為には必要だった」
口調すら変わった藤田が、目を開いた。
鋭い……鋭すぎる、目。
幕末の人斬りの目だ。
そして、その肯定を聞いた瞬間……吾輩の脳が沸騰した。
一発、殴らねば気が収まらなさそうだった。
「貴様は──
「故に謝ろう。すまなかった」
「……は?」
冷や水を頭から浴びせられたようだった。
……この男が、謝罪をした?
困惑する吾輩へ、藤田が視線を合わせた。
「本来ならば彼等は無傷で返すつもりだった。言い訳にはなるがな……度が過ぎれば俺が介入するつもりだった」
「……何が目的だ?二人を誘拐するなど──
「お前の力が見たかった。そして、それは俺だけの都合ではない」
それは本心に聞こえた。
吾輩の力量を測るために誘拐を……?
しかし、そうか。
そうだ。
この男は、子供を……守るべき弱者を傷つける様な事は好まない。
悪人ではなく、善人ではあるからだ。
ならば、あの作戦は……別の、上の……明治政府の意思か。
「……その言葉、信じよう」
木剣を床に付けた。
争う気が失せたからだ。
あとは……物語通り、剣心に何とかして貰おう。
なんて消極的なことを考えていた。
「ほう……どうやら、引き際も弁えているらしい」
「……しかし、問おう。吾輩は貴様らの眼鏡に適ったか?」
力量を見るという企み……その結果に興味が湧いていた。
これからの物語にどれだけに影響をするのか、その指標にもなるからだ。
「……フ、どこまで知っているのやら……だがまぁ、やはり、思ったより鼻が利くようだな」
記憶の下を語るつもりはない。
未来の記憶など、厄ものでしかない。
吾輩という異物が世界をかき乱した結果、誰かが死ぬようなことになれば耐えられない……そんな後ろ向きな理由だ。
吾輩の剣呑な顔を見て、藤田は鼻で笑った。
「上からすれば、お前はお眼鏡に適ったようだ」
「……そうか」
面倒ごとに巻き込まれそうだと、内心落ち込ん──
「だが、俺からすればお前の剣は
ぴくり、と肩が跳ねた。
無意識のうちに、だ。
「……吾輩の剣が
これからの物語の争いに巻き込まれたくないのであれば、彼等には評価されない方がいい。
だが……それでも。
捨てた筈の誇りが……剣客としての矜持が、目の前の男の侮辱を許さなかった。
「事実だ。確かに、お前の『剣術』は凄まじかった。認めよう。だが、それは『剣術』としてだ」
「……何が言いたい」
「薄らと分かっているだろう。自身の大切な者を人質に取られて尚、人殺しを忌避する性根……そんなもの、『剣』の足手纏いにしかならない」
藤田が鞘から真剣を抜き、縦に持った。
右手は柄に、左手は鍔に。
正面に、見せるように持った。
刀の側面、片方は藤田を映し、片方は吾輩を映していた。
そして、口を開いた。
「『悪』と見做した相手に加減など不要だ。その下らない加減の所為で、いつか致命的な失態を犯す。守るべき者を失う事になる」
「…………」
理解した。
藤田は吾輩の剣術を愚弄したのではない。
剣客としての心構えを見下したのだ。
「『悪』は斃せる時に斃す。そこに加減は不要であり、見定めた『悪』は『即』座に『斬』るべきだ。即ち──
悪・即・斬。
それこそが真実だ」
彼等の……幕末の人斬りが掲げる『正義』だ。
自身の敵を迷いなく斬り捨てる覚悟。
命の奪い合いに於いては重要な事だろう。
どれだけ剣術が得意だろうと、その真価を発揮できなければ格下に負けるのだから。
そして、敗北とは即ち己の死……守るべき者の死に繋がる。
藤田に目を向ければ、吾輩の顔を見て鼻で笑った。
「人を殺さぬ剣など、やはり
「…………」
「どうやら理解したようだな。これからの戦いに、中途半端な『剣客』は不要だという事だ」
藤田の言葉に、目を細めた。
「……なるほど、確かに吾輩は人を殺めた事のない……殺める事もできない人間だ」
吾輩は手に持った木剣を強く握った。
これからの争い……物語に吾輩は不要だと断じられた。
あぁ、それで良いだろう。
物語の異物である吾輩が、自ら死地に飛び込む必要など……ない方が良い。
しかし、それでも……彼の言葉には一つ許せぬ事があった。
「しかし、活人剣を愚弄する言葉は撤回して貰おう」
「……ほう。神谷活神流に対する名誉の庇い立てか」
活人剣は夢や、幻ではない。
人を活かす剣は存在する。
それを吾輩は剣心や、薫……神谷道場の皆から教わった。
吾輩の人を傷付ける事しか出来なかった剣で、人を活かす事が出来るのだと話してくれた。
信じてくれたのだ。
無価値ではないと……。
故に、その言葉、思想は撤回させる必要があった。
原作通り等と、考えている場合ではなかった。
木剣を強く握り……正面へ構える。
「……フ、良いだろう。お前の『剣』……もう少し、見定めさせて貰おうか」
藤田……いいや、元・新撰組三番隊長『斎藤 一』が真剣を構えた。
彼は剣を水平に、腰を落とした。
そして、右手で切先に触れ………左手は柄尻を掴んだ。
あの構えは『牙突』だ。
新撰組隊士独特の技、『
斎藤一の代名詞でもあり、相手を確実に仕留める必殺の一撃だ。
それが吾輩に向けて、構えられている。
しかし、怖気付かない。
身体に満ちる闘争心が、恐れや不安を全て押し除けていた。
「吾輩が、貴様の思想を否定しよう」
「ならば、俺は……お前の全てを否定してやる」
互いに剣を構えた。
水平に構えた斎藤一の剣が、まるで牙のように鋭く見えた。