第十六幕「新月村」
「はぁ……!はぁ……っ!」
息を荒げて、俺は森の中……木々の合間を抜けて走っていた。
「あ、兄貴……」
腕の中に弟……栄次を抱えて、走っている。
「いたぞ!こっちだ!」
声が聞こえた俺は、足の進める先を変えた。
二年前、俺の故郷、新月村は志々雄一派に占領された。
駐在の警官を殺され、警視庁による奪還作戦が行われた。
しかし、志々雄の配下は何度も警官を殺し続け……そして、とうとう警官も派遣されなくなった。
志々雄一派による実質的な占領が成功したのだ。
俺、三島栄一郎も警官であり、東京にて故郷の状況を知った。
だが、幾多の警官が殺されたような修羅場で、この身一つで村を救えるほど俺は自惚れていない。
村を救う機会を窺いつつ、時を過ごし──
やがて俺は、一つの結論を知った。
政府から発行される国内の地図……そこにある筈の新月村の名前がなくなっていた。
政府は新月村を見捨てたのだと、悟った。
直後、俺は新月村出身である事を活かして、志々雄一派を調査するための密偵となる事を志願した。
だが、村を救おうなんて大それた事は考えていない。
ただ、家族を……父や母、弟を村から逃がしたいと思っただけだ。
新月村への出向が認められた俺は、故郷へと帰り……父や母、弟に村から出るよう話した。
だが、それを……この村の住人が聞いていた。
彼等は逃亡者を出してしまう責任を志々雄一派に咎められぬよう、志々雄の配下に密告した。
志々雄の配下に追われる事となった俺は、弟を抱き抱え、父と母を連れて逃げ出した。
だが、志々雄の配下に追われている中、両親とは逸れてしまった。
心配ではある。
だが、俺の腕の中にいる弟を守るために、俺は今も森の中を逃げていた。
「見つけたぞ!」
声が聞こえた。
志々雄の配下だ。
まずい──
子供一人を抱えたままでは、逃げる事は出来ない。
人数の差だってある。
だが……弟を見捨てて逃げられる訳がない。
迎え打つ。
勝てる見込みはない。
だが、ここで追っ手を少しでも減らして……弟が逃げられるようにしなければならない。
俺は足を止めて、腰に差した刀を抜く。
警官として剣を修めた身ではあるが、実戦経験は殆どない。
対して、志々雄の配下達はごろつき上がりの人斬りどもだ。
経験の差もある。
しかし、これが最適解だ。
ここで俺は死ぬかもしれない。
だが、それでも弟を守らなければならない。
「ようやく逃げるのをやめたか」
頭に大きな飾りを持ち、口元を布で隠し……手には槍を持っている。
そんな男達が七人、俺の前に現れた。
「栄次、隠れていろ……決して出てくるんじゃないぞ」
「あ、兄貴……」
弟を降ろし、俺は刀を構えた。
……膝が、震える。
武者震いではない。
恐怖だ。
俺は死ぬのだと、はっきり分かった。
「光栄に思え、お前は
口元を隠していても分かる下卑た笑み。
それは嗜虐心と自尊心、そして暴力への陶酔。
俺は震える足のまま、刀を構えた。
「そんなに震えて勝てると思うのか。万が一にも、貴様に勝ち目はない!」
対して、志々雄の配下達は槍を構えた。
そこには躊躇いなど少しもなかった。
「覚悟ッ!」
怒声が聞こえた。
槍は俺に向かって──
ズドン、と大きな音がした。
「何だ!?」
志々雄の配下は槍先を止めて、困惑した様子で音のする方を見た。
俺も驚きから足を止めて、その視線の先を追った。
「……何とか、間に合ったか」
そこに居たのは……浪人笠を被った、少し声の高い大男。
その腰には鞘があり、手には真剣が握られている。
廃刀令が発せられたこの時代に、真剣を持つ男。
志々雄の仲間か、新手の敵なのか。
そう考えた瞬間、志々雄の配下が槍をその男へと向けた。
「貴様、何者だ!」
槍を向けられたというのに、その浪人笠を被った男は少しも戸惑わなかった。
それどころか、剣を構える事すらしなかった。
その何もしない不気味さに、志々雄の配下達も……俺も、息を呑んだ。
「何者か、か。吾輩は──
大男は浪人笠を手に取り、投げ捨てた。
すると、その顔が顕になった。
「いや、名乗るのはよそう。貴様らに語る名はない」
浪人笠の下、その顔は……女だった。
少し日に焼けて浅黒くなった肌をした、大きな背丈を持つ女だったのだ。
「お、女だと……?」
俺は驚きながらも……先程の大きな音の正体を、彼女の後ろに見た。
そこには、切り倒された木々があった。
木々を刀で斬って、ここまで駆けて来た、のか?
ありえない。
俺は困惑した。
刀は木を斬るのに適していない。
数度、叩きつければ刃こぼれをして
だが、女が持つ剣は一切の刃こぼれをしていないように見える。
それに、木の切断面が綺麗すぎる。
斧で切っては、あんな美しい断面にはならない。
では、何で斬ったのか。
それは分からない。
だが、刀で出来るとは思えない。
そんな俺の困惑と、その原因にすら気付かず、志々雄の配下は足を女へと向けた。
「貴様!志々雄様に逆らうか!その無礼、後悔しても遅いぞ!」
そして、志々雄の配下が槍を突き出した。
まずい。
まだ、女は剣を構えてすらいない。
このままでは、死──
しかし、直後の景色は俺の考えた物ではなかった。
女は突き出した槍を半身に避けていた。
「なっ──
驚いた声をあげたのは俺か、その槍を振るった男か。
しかし、そんな事を理解するより早く、女は槍の柄を握った。
「き、貴様っ!離せ!」
「離して欲しいか?良いだろう」
「何をっ──
瞬間、目の前から槍を振るった男が消えた。
困惑したのは一瞬、女が槍の柄を握りながら上へと振り上げていた事に気付いた。
故に、俺は視線を上げた。
槍を掴んだままの男が持ち上げられて──
「ふん!」
槍ごと、男は投げ飛ばされた。
「ぎゃっ!?」
短い悲鳴と共に、森の木々にぶつかり地面を転がった。
当たりどころが悪かったようで……立ち上がる事すら出来ないように見えた。
「手を離していれば、こうはならなかったが」
一瞬の沈黙が、周りを覆った。
その沈黙を破ったのは、志々雄一派の者だった。
「き、貴様ぁッ!舐めるなよ!」
声を荒げて、怒りで我を失っているようだ。
だが、俺は先程の景色に困惑していた。
大の大人が、あんな投げられ方をするのか?
そんな事が可能なのか?
あの女、尋常ならざる膂力を持っている!
女は投げ捨てた男を一瞥して、再び志々雄の配下に目を向けた。
「舐めているのは貴様らだ」
その表情は無表情に見えたが……確かな怒りが目に込められていた。
「ここから怪我なく帰れると思うな」
その手に握った真剣が、ぎらつくように光った。
◇◆◇
原作での新月村の悲劇を阻止すべく、吾輩は新月村に向かおうとした訳だが……運良く、それとも運悪くか、森の中で怒声を聞いた。
視線を向ければ、その先に志々雄の配下……そして、逃げる男と腕に中に抱かれた少年の姿を見た。
そこで吾輩は遅れていた事に気付き、そして間に合った事にも気付いた。
しかし、距離は遠い。
そして、行き先には木々が邪魔をしている。
そのまま行けば、間に合わぬ。
そう判断した吾輩は、即座に刀を抜いた。
そして、水平に構えた。
剣先が揺れる。
空気の断層が生まれ、剣先が歪む。
腕と足の筋肉が軋む。
全身に力が籠る。
腰を捻り、大袈裟な程に振りかぶり──
秘剣、飛飯綱を放った。
剣身から放たれた真空の刃は、木々を切り裂き、余波で空気を爆ぜさせる。
吾輩が剣を振るった先にあった木々は全て、寸断された。
これで吾輩を邪魔する物はない。
地面を全力で蹴り、吾輩はその声がする方向へと飛び出した。
それが、先程の出来事だ。
「……貴様、構えもせずに!」
しかして、今。
目の前に居るのが志々雄の配下達だ。
目を覆うような悪逆非道の輩達。
吾輩は視線を逸らして、逃げていた男を見る。
三島 栄一郎か。
彼は原作ならば尖角という、新月村を支配する志々雄の配下に殺される筈だった男だ。
彼の弟である栄次が剣心と出会い、村を救う……という話。
だが、その話の中で栄一郎や、その父母は死んでしまう。
それは到底、許される事ではない。
だから、来た。
助けに来た。
戦いに来たのだ。
……ふと、吾輩の視線に栄一郎が気付いたようで……怯えた顔を吾輩に向けた。
む、酷いな。
助けに来たのだが。
まぁ、よい。
今、行うべき事は……目の前の悪漢達を叩きのめす事だ。
「もういい!覚悟!」
そう口にしつつ、志々雄の配下が槍を突き出した。
その速度は遅い。
いや、実際は速いのだろう。
だが、剣心や斎藤、彼等と剣を交わした吾輩には、遅過ぎる。
再び、すんでの所で避け……吾輩は剣を振り上げた。
スパン、という音と共に槍先が切断され、宙を舞った。
秘剣、纏飯綱だ。
「は──
槍先を切られた男は視線を、その宙へ飛んだ槍先へと追わせた。
だが、それは明確な隙となる。
「ふんッ!」
吾輩は地面を強く踏み締めて、肩を男にぶつけた。
古流剣術とは殺しの技。
技のありなし等という競技ではない。
当然、反則等も存在しない。
故に、如何なる手段でも相手を殺す技を使う。
真剣を直撃させれば人は死ぬ。
ならば、真剣を直撃させられるように布石とする技もある。
これは当て身だ。
剣を振るえぬ状況や、振るった隙などを打撃に繋げて、相手の姿勢を崩す技。
これにより、よろけた相手を剣で殺す。
その為の布石。
本命は当て身の後の、斬撃にある。
だが、吾輩の身体能力をもってすれば、この当て身もただの『よろけさせる』技ではなくなる。
「あばッ!?」
肩をぶつけられた男は、まるで馬車にでも撥ねられたかのように吹っ飛んだ。
宙を錐揉みし、そのまま木に衝突して……気を失った。
肋の二、三本は折れただろう。
吾輩は加減が得意ではない。
だが、今、別にそれを悔やむつもりはなかった。
目の前の悪漢共には、慈悲をかけるつもりなど毛頭ないからだ。
吹き飛ばされた男を見て、志々雄の部下達が躊躇った。
次に攻撃すれば、自分もああなるのではないかと恐れたのだ。
「怯むな!一人一人ではなく、一斉に行け!」
しかし、その中でも上役と思われる男の一喝で、統率を取り戻した。
なるほど、烏合の衆ではないようだ。
だが、一手遅れている。
躊躇った隙は、剣客を前にして見せるには悠長過ぎる隙だ。
吾輩は足の裏で地を踏み、脚の指で掴み、石をも砕く。
まだ、咄嗟に、即座に放つには練度が低い技。
しかし、ここまでの隙があれば構えられる。
吾輩は剣を肩に乗せて、身を捻る。
「すう……」
息を吸う。
「はあ……」
息を吐く。
体の皮膚の下、全身の筋肉に無駄なく力が響く。
血中の中すら感じ取られる程に、力を込める。
自然、その体内に込めた力は威圧感……剣客の放つ気迫、剣気として空気を揺らす。
木々が微かに揺れ、落ちる木の葉が爆ぜる。
「なに!?」
その圧に気付いたのか、再び志々雄の配下が怯んだ。
「ひっ……!」
対して、栄一郎は咄嗟に吾輩から隠れるようにその場を離れた。
それは恐怖から来る逃走。
だが、それでいい。
剣気を栄一郎に向けて飛ばした、吾輩の思惑通りだ。
「と、止めろ!あの女を止め──
「
直後、吾輩は全身の力を解放した。
肩に乗せていた剣の背、それが爆ぜた。
剣を振るいながら、剣身を全て揺らす。
空気の抵抗を受けて、真空の層が分散するように爆ぜた。
瞬間、吾輩の前方、全てが吹き飛んだ。
巻き起こったのは嵐。
「ぐあっ!」
「ぎゃあっ!」
悲鳴と共に志々雄の部下達が舞い上がる。
そして、その身体には細かな切り傷が生まれていた。
斬撃を含む暴風が、彼等を弾き飛ばしたのだ。
そうして、浮き上がった男達は地面へと墜落した。
錐揉みながら宙を舞い、落ちる。
志々雄の配下達は受け身も取れず、気を失った。
「ふぅ……」
吾輩は息を深く吐きながら、剣先を地に付けた。
これぞ、第三の秘剣、
吾輩が生み出した秘剣だ。
纏飯綱を直撃させれば人は死ぬ。
飛飯綱を加減すれば無力化は難しい。
故に、新たな秘剣を生み出す必要があった。
参考にしたのは記憶の隅。
原作では使われず、別媒体で描写された飯綱。
それを吾輩なりに解釈し、再現したのだ。
剣圧を極限まで込め、飯綱を剣身に纏う。
そのまま全力で剣を振るえば、剣身に込められた飯綱は爆ぜる。
敢えて、指向性を持たせず、圧縮しない事によって起こる暴発。
それは空気を破裂させ、嵐を巻き起こす。
その際、込められた飯綱は細かな飛飯綱となり、不可視の斬撃を巻き込んだ嵐となる。
しかし、指向性を持たせない飛飯綱に人を殺す殺傷力はない。
肉を斬り、血管を斬るだろうが、それでもこの世界の住人は死なん。
目に当たれば失明するだろうが……その程度を飲み込める相手ならば、問題はない。
この技は纏飯綱や飛飯綱のような、必殺技ではない。
技量によって生み出される暴発、それを意図的に引き起こす不殺の技。
それが、飯綱嵐なのだ。
「……ふぅ」
火照る身体を空気で冷やし、熱の籠った息を吐き……吾輩は剣を鞘に収めた。
身体も平時の状態に戻っている。
そのまま、吾輩は木々に隠れている栄一郎と栄次を見た。
「怪我はないか、二人とも。安心するといい、吾輩は味方だ」
そう口にした。
幼い方、弟の栄次は吾輩を見て呆けた顔をしていた。
だが、直後に顔を赤くして、目を輝かせた。
……む?
よく分からん反応だが……まぁ、いい。
命の危機を助けられて、興奮しているのだろう。
対して、栄一郎は──
「…………」
怯えた顔で吾輩を見ていた。
……なんだ、その顔は?
命を助けてやったというのに、何故こうも怯えられているのか。
分からんが……いや、まぁ、こんな態度一つで苛立つような吾輩ではない。
昔から多々あった事だ。
凶賊狩りをしていた頃も、助けた商人が逃げ出す事があった。
理由はよく分からなかったが、混乱していたのだろう。
「そこの男、志々雄の配下に追われていたという事は困り事があるのではないか?」
そう吾輩が問えば、栄一郎は気付いたように頷いた。
確かに、吾輩は少々不審かもしれん。
だが、それ以上に切羽詰まっている状態なのだろう。
栄一郎は焦ったような顔で、吾輩に声を掛けた。
「村を……俺の両親を、志々雄の連中から救ってくれ……!」
そうして、栄一郎は吾輩に事情を話し始めた。
◇◆◇
兄貴が、剣客の女……雷十太と名乗った女に事情を話している。
兄貴は少し、いや、かなり雷十太のことを疑っているようだ。
確かに、こんな森の中に急に現れたのは不審だ。
確かに、こんな力量を持つ剣客が都合良く現れたのは不審だ。
確かに、雷十太という女が名乗るには、あからさま過ぎる偽名は不審だ。
だが、それでも俺には、この女が救世主に見えた。
これだけ強いのならば、親父とおふくろ……村も、助けてくれるかも知れない。
そう考えている内に、兄貴は雷十太に話し終えたみたいだ。
雷十太は目を瞑りながら話を聞いていて……頷いた。
「分かった。村へ向かおう」
「……いいのか?何の利益が貴女にあるんだ?」
あまりにもすんなりと頷くものだから、兄貴は雷十太を訝しんだ。
志々雄は危険だ。
志々雄の部下の尖角だって危険だ。
なのに、この女は……迷う事なく頷いた。
それを兄貴は信じられないような者を見る目で見ていた。
「お前達の父と母が危険なのだろう。今は道理を説いている余裕もあるまい。案内してくれるか」
「あ、あぁ……分かった」
困惑しつつも、兄貴は頷いた。
確かに、この雷十太とかいう女は不審だが……それ以上に、親父とおふくろの安否が不安だったのだろう。
先程の志々雄の部下共は、「尖角の元へ連れ帰り処刑する」と言っていた。
だから、最悪の場合、親父やおふくろが捕まっても、村で待っていれば何とかなる筈だ。
俺は兄貴に背負われて、村へと向かい始めたが──
どうしても、遅くなる。
そりゃそうだ、お荷物を背負いながら山ん中歩いてりゃ遅くなるに決まってる。
俺が自分で山を歩いても良いが……それよりはマシだから、兄貴に背負われている。
自分の無力さを噛み締めていると──
「栄一郎。栄次は吾輩が背負おう」
「なっ……わ、分かった。頼む」
兄貴は俺を背負って大粒の汗をかいていた。
俺を背負っているから負荷が掛かっているのもそうだが、単純に山を歩いていても疲労は溜まる。
対して、雷十太は汗一つかいていなかった。
その事実を兄貴は飲み込み、俺を雷十太へと託した。
「背負うぞ」
「あ、あ──
俺が返事をするより早く、雷十太に担がれた。
胸元に引き寄せられ、抱き抱えられ……母親が子を抱くように正面から持ち上げられた。
「……っ!?」
そうすれば自然と、雷十太の胸元が俺の胸板にぶつかる訳で。
妙な柔らかさに、雷十太が女なんだと意識させられた。
「……大丈夫か、栄次。何かあったか?」
雷十太がそう問うて来て、俺は慌てて首を横に振った。
「な、なんもねーよ!」
今はこんな事を気にしている場合ではない。
実際、抱き上げられた時に驚きはしたものの、今は親父とおふくろの事で頭がいっぱいになった。
「よし、ならいい。急ぐぞ、栄一郎」
「あ、あぁ」
そうして、身軽になった兄貴の後ろを雷十太が追走し始めた。
……重荷を背負っていない兄貴の後ろを、俺を抱き上げながら雷十太は少しも汗をかかずに走っている。
何なら余裕すらありそうだ。
すごい。
まるで大きな熊のようだ、と俺は思った。
しかし、その実、その見た目は……たっぱがあって、筋肉質だろうと女だ。
その事実を不思議に思い、雷十太の顔を見た。
近くで見たが……村にいる若い女よりも、美人に見えた。
「なんだ?栄次」
ふと、視線に気付いたようで雷十太が俺へ目線を下げた。
「……おめー、何でそんなに強いんだ?」
誤魔化すように、疑問を口にした。
そうすれば、雷十太は目を細めて頬を緩めた。
「鍛錬の成果だ」
その笑みを見た俺はまた、何故かは分からないが、心臓を早鐘のように鳴り響かせた。
「ここか……」
新月村へ戻ってきた俺達、そして雷十太は村の外から様子を伺っていた。
中には手入れのされていない家がいくつかある。
それは志々雄一派の占領後、殺された村人の家だ。
そこを隠れるように移動しつつ、村の中を移動すれば──
「なっ……」
俺の親父と、おふくろが……血を滲ませながら地面に蹲っていた。
怪我は浅そうだが、志々雄の部下に殴られたのだとすぐに分かった。
助けなければ──
「待て、栄次。栄一郎も」
即座に、雷十太から止められてしまった。
俺は気付いていなかったが、兄貴も行動しそうになっていたようだ。
雷十太は目を細めつつ、眉を顰め……周りを見渡した。
「志々雄の配下が……十は居る。お前達を守りながら戦うことは出来ない。安全が確認できるまで、ここに隠れていろ」
そう言われて、兄貴は不服そうに顔を歪めた。
「……だが」
「足手まといになる、と言っている。吾輩に任せておけ」
そう言われれば、兄貴も俺も納得する事しか出来ない。
先程の闘いを見た後ならば、足手まといという言葉にも納得がいく。
そうして、俺達が納得したのを見て、雷十太は廃屋から飛び出し……親父とおふくろを庇うように、志々雄の部下達の前に立った。
そんな雷十太を見て、志々雄の部下の一人が前に出た。
「……貴様、
「そうか」
淡白な返事をしつつ、雷十太が剣を抜いた。
その様子を見て、志々雄の配下達も槍を構えた。
「志々雄様に逆らう蛮勇、許し難い!女と言えど、ここで死んで貰う!」
そう口にして、志々雄の配下、その先頭が槍を突き出した。
森で俺達を追っていた志々雄の配下よりも……強い。
だが、しかし──
雷十太は、そんな奴らよりも何倍も強かった。
槍を切断し、足を払い、吹き飛ばす。
志々雄の配下達が、宙を舞った。
まるで嵐のようだと、俺は思った。
そのまま、一人、二人と宙を舞い……地面へ叩きつけられた。
最初は余裕を持っていた志々雄の配下達も、数が減れば焦りだし、乱雑に槍を振い始める。
だがそれも雷十太は見切り、叩き伏せた。
格が違う。
そう、俺には見えた。
「ふんッ!」
雷十太の怒声と共に、最後の一人が打ち上がった。
地面に転がり泡を吹いた志々雄の配下を見下ろして……雷十太は息を深く吐いた。
気付けば、十数人の志々雄の配下すべてが地面に転がっていた。
そして、雷十太は廃屋にいる俺達に目を向けた。
安全が確保出来たのだろう。
そこでようやく、俺達も廃屋から出て来た。
「親父!おふくろ!」
俺と兄貴は、親父とおふくろの元へと駆け寄った。
怪我はしているが……見た目通り浅い。
これなら、森の中を歩いて逃げる事ができるだろう。
「二人を連れて、志々雄の手が届かない所まで逃げるぞ」
雷十太の言葉に、兄貴は慌てて頷いた。
突然現れた女の剣客に、親父とおふくろは驚きつつも、助けが来たのだと理解して腰を上げた。
だが──
「それはちょっと困りますね、石動 雷十太さん」
そう声が聞こえて、俺は視線を声の方に向けた。
そこには……小柄だが、優男そうな見た目をした兄貴よりも若そうな男が立っていた。
その表情には、笑みを浮かべている。
そんな、ひ弱そうな男を見て、雷十太は目を細めた。
「栄一郎、栄次。二人を連れて逃げろ」
「え?」
「行け、今すぐに」
そう口にした雷十太を見上げれば、先程の余裕のあった顔ではなく……余裕のない焦りが感じ取れた。
「それはやめておいた方がいいですよ。ここから逃げようとしたら……」
そう言いつつ、その優男は倒れた志々雄の配下が腰に差している刀を手にした。
「僕がそこの四人、殺しますから」
その言葉に殺気はなかった。
怒りもない。
だが、この男なら『やる』と言える実感はあった。
俺も兄貴も、冷や汗を流して……行動出来ずに居た。
◇◆◇
吾輩は目前の、優男を見た。
吾輩は彼を知っている。
志々雄の腹心、十本刀の一人。
あの明治政府内務卿、大久保利通を暗殺した男だ。
「へぇ、賢いですね。雷十太さん、僕からあの人達を守れないって、ちゃんと分かってるんですね」
「……ああ」
「あ、自己紹介まだでしたね。僕の名前は瀬田 宗次郎って言います。志々雄さんの部下をやってます」
そう口にしつつ、ニコニコと笑みを浮かべている。
敵対する意思も見せず、怒りも見せず、哀しみもなく……笑みだけを浮かべている。
喜怒哀楽の“楽”のみを感じさせる男……恐らく十本刀最強の男、“天剣”の瀬田 宗次郎がそこに立っていた。
「何故、吾輩の名前を知っている」
「あはは、それは秘密……って訳ではないんですけどね。ちょっと調べさせて貰いました」
吾輩は目を細めた。
拙い。
吾輩の名を志々雄に知られているのか。
何故、調べられたのか……いや、そうか。
神谷道場に通っていたからか?
そうに違いない。
でなければ、奴が吾輩のことを調べようとする訳がない。
「それで何用だ。生憎だが、吾輩は忙しい」
吾輩は背後に居る栄一郎達を守るように立ち位置を替える。
剣を抜いたまま、だ。
配下を倒した後、鞘に収めなくて正解だった。
だが、それでも……宗次郎から背後を守れる気はしないが。
「やだなァ、そんなにピリピリしないで下さいよ。ちょっとした交渉をしに来ただけですから」
「交渉?」
「はい、交渉です」
宗次郎は志々雄の配下から剥いだ刀を腰の位置に持っていきながら、薄っぺらい笑みを浮かべた。
「志々雄さんが貴女を歓迎したいそうです。どうです?館まで来てくれませんか?」
そう言いつつ、宗次郎は吾輩の後ろを一瞥した。
……こ奴。
「脅しか」
「交渉ですよ?まぁ、志々雄さん仕込みの、ですが」
吾輩は目を細めた。
瀬田 宗次郎。
彼の強さ、それは『速さ』だ。
抜刀術では剣心に並ぶ。
だが、その脚力は剣心をも上回る。
走る馬車に追いつき、要人を暗殺する事を可能とさせる脚の速さ。
まるで地面を縮めるかのように一瞬で間合いに入る幻の体技。
『縮地』
剣心が目にも止まらぬ速さだとすれば、宗次郎の速さは……目にも映らぬ速さなのだ。
「…………」
これは失態だ。
原作で宗次郎は志々雄の館に居た。
栄一郎達を村から脱出させるだけならば、遭遇しない筈だった。
だが、何らかの事情で予測は狂い、今ここで吾輩と対面している。
戦えば……間違いなく、必死。
負けるつもりはないが、確実に勝てるとは言えない。
そして、吾輩の背後には栄一郎達がいる。
宗次郎がその気になれば、庇う暇もなく殺されるだろう。
立ち位置で言えば、確実に吾輩の方が栄一郎達に近い。
だが、間合いで言えば宗次郎の方が近いのだ。
「雷十太さん、返事を聞かせてくれませんか?」
宗次郎が笑みを浮かべた。
幸い、ここで戦うつもりはないらしい。
志々雄の前に立ちたくはないが、ここは提案を飲むしかない。
「吾輩の後ろにいる家族を見逃すと言うのであれば、提案を飲もう」
「なっ!?」
吾輩の言葉に栄一郎が驚いた声を上げた。
その声に、吾輩は振り返る。
「栄一郎、頼めるか」
「い、いや……あぁ。だが、貴女は!?」
「構わん。元より、志々雄に会いに来たつもりだ」
これは方便だ。
志々雄に会うつもりはなかった。
だが、彼等を安心させたければ、こうでも言わなければならない。
「ら、雷十太!」
しかし、栄次は納得していないようだった。
「いいから行け。宗次郎の気が変わらん内に」
「で、でもっ──
「栄一郎、連れて行け!」
吾輩の怒声に栄一郎が、栄次を持ち上げた。
栄次は呆然とした顔で吾輩を見ていたが……そのまま栄一郎に米俵のように持ち上げられ、この場を後にした。
そうして、再び宗次郎へと目線を戻した。
「待たせたか」
「いえ、僕は構いません。ですが、志々雄さんは待たされるのが嫌いですからね……来て頂けますよね?」
「……あぁ」
ここで約束を反故にすれば、宗次郎は間違いなく栄一郎達を追いかけるだろう。
そうなれば、吾輩は追いつく事すら出来ない。
ここは大人しく、この男について行き……志々雄に会うしかあるまい。
吾輩の頬を大粒の汗が流れた。