瀬田 宗次郎に案内されるがまま、吾輩は道を進む。
腰に差した剣が揺れて音を鳴らす中、吾輩は一つの心配事をしていた。
三島一家は逃げ切れただろうか。
宗次郎は吾輩と共におり追う事は出来ないが、志々雄一派のゴロツキどもが追わぬとは限らぬ。
吾輩が介入した結果、殺されたとなれば……と。
冷や汗が流れる。
「そういえば、雷十太さん。気になっていた事があるんですけど、一つ質問いいですか?」
「……なんだ?」
ふと、宗次郎から声を掛けられた。
優しげな顔に、優しげな声。
だが、その実、コイツに善意などない。
ただ笑みを浮かべている、それだけだ。
「どうして、あの兄弟を助けたんですか?」
心底分からない、という顔で聞いてくる。
吾輩を煽っている訳でもなく、ただただ不思議だから質問しているという顔だ。
「……さてな、理由が必要か?」
「いやだなァ、何を惚けてるんですか?理由なく志々雄さんに盾突くほど、貴女はバカじゃないでしょ?」
そう言いつつ、宗次郎は歩みを止めて吾輩を見た。
そして、笑みを深めた。
……ただ、吾輩はその笑みに少し含みを感じる。
少しも崩れぬ強固な笑み、その中にほんの少しの“揺らぎ”を感じさせた。
「目の前で困っている人が居たのだ。助けるのは当然だ」
「……へぇー、そうですか?まぁ、いいですけど」
吾輩の言葉を聞き、宗次郎は興味を失ったように吾輩から顔を逸らして、再び足を進め始めた。
先程見えた感情は“苛立ち”……いや“失望”か。
吾輩にはそこまで読み切る事は出来ない。
だが、彼には彼なりの信念があり、吾輩の信念と相容れぬのだと察したようだ。
しかして、吾輩は宗次郎に連れられ、新月村の山側にある屋敷まで連れて来られた。
大きな屋敷で、僅かに硫黄の臭いがする。
温泉が湧いているのだろう。
そして、感じる……粘着質に肌に纏わり付くような重み。
それは空気の質や、匂いの類ではない。
第六感に不躾に触れる強者の気配だ。
「志々雄さんは奥の間に居ますよ。さぁ、どうぞ」
志々雄真実、か。
志々雄の部下が門を開き、そこを宗次郎に連れられて歩く。
部下のごろつき共の視線が鬱陶しい。
好奇に満ちた目を感じる。
「すみません、雷十太さん。不躾な奴らで」
「……いや、いい」
宗次郎は申し訳なさそうな声色で言葉を発しているが、内心はどうでも良いと感じているに違いない。
顔が笑ったままなのだから。
形だけの謝罪など不要だ。
それに、下衆な輩に吾輩をどう見られようが気にする事もない。
そうして、廊下を歩き……ここが敵地なのだと実感しつつ、吾輩は大部屋へと通された。
その大部屋の奥、屏風の前に二人の男女が座っている。
女の方は、髪を後ろで結い、着物を着崩した……吾輩から見ても色気が強い容姿の整った女だ。
吾輩はその女の名を知っている。
駒形 由美、志々雄真実の愛人である。
つまり、そんな女が世話を焼いている、横の男が──
「よォ、よく来たな」
志々雄真実だ。
包帯で全身を巻いているが、その下にある全身が火傷に侵されているのを吾輩は知っている。
包帯の隙間から見える目は、ギラギラと輝いており……まるで、抜き身の刀のような男だ。
これが……志々雄真実か。
知ってはいた。
だが、相対する事でしか分からぬ事もある。
思わず屈してしまいそうになる威圧感。
研ぎ澄まされた刃物のような存在感。
「……なんだ?挨拶はなしか?好みじゃねェが、イイ女だと思っていたが……無礼な女だな」
志々雄の言葉に、由美の顔が少しむっとした。
吾輩に少し苛立つような視線、そして志々雄を咎めるような目。
……そう気にしなくとも、志々雄が吾輩のことを好きになるなどという事は、天地がひっくり返っても発生しないだろう。
極上の女が横に居るのに、吾輩のような男か女かも分からんヤツを好む訳があるまい。
つまり、先程の志々雄の言葉は冗談だ。
吾輩には分かる。
「すまぬな。少し緊張してしまった。聞いていたよりも随分とイイ男だったんでな」
冗談には冗談で返す。
この吾輩の心にある“怯え”を感じ取られぬように。
「ククク……そぉかい」
「ちょっと、志々雄様」
……ぬ、由美が吾輩を凄い目で見ている。
嫉妬心と憎悪を込められた目に、少し引いていると──
「そう嫉妬するな、由美。お前が一番、イイ女だ」
と、志々雄が由美の頬に触れた。
「志々雄様……」
由美も嬉しそうに頬を緩めている。
こう、何かこう、何だ?
吾輩は何を見せられてるんだ?
少し目を細めていると、志々雄が吾輩へと視線を戻した。
「おっと、悪いな。話がしたくて呼んだのに、待たせちまったか」
「……いや、いい。構わぬ」
寧ろこのまま話などなく、帰らせて欲しい。
今すぐにでも三島家の安否を確認したいのだ。
そんな吾輩の内心を気にせず、志々雄は姿勢を崩して煙管を手に取り吸い始めた。
「俺は志々雄 真実。つっても、自己紹介は必要ないか?」
「ああ、代わりに吾輩が自己紹介でもしようか?」
「そいつは要らねェ。石動 雷十太……よく知ってるぜ」
よく知ってる?
志々雄に知られている事自体が驚きだったのだが、何故こうも注目されているのか。
これまで志々雄一派と事を構えたことすらないというのに。
「石動 雷十太……美濃の豪商“石動家”の生まれ。幼い頃から何かに取り憑かれたように剣を振るい生きてきた……まぁ、そこはどうでもいい」
志々雄が話した内容は、吾輩が家を勘当されてから他人に話した事はない過去だった。
そこまで遡って知っているのならば、それ以降の目立つ事も知っているという事だ。
吾輩が
「俺の興味があるのは、刃のない棒だろうと人を殺せるてめぇの剣だ」
吾輩は眉を顰めた。
「てめぇの剣は本質的に殺人剣。その中でも、暗殺に特化した殺人剣だ」
そうだろう?と、視線を向けてくる。
肯定はしない。
だが、否定は出来ない。
吾輩の剣のその最たる利を、この男は気付いているのだ。
「凶器でないものを凶器に変える……この廃刀令の世に、おあつらえ向きの暗殺剣だ。目に見えぬ刃を懐に忍ばせ、殺される間際にすら悟られぬ、その力……このまま退屈な世で腐らせるには惜しい」
志々雄の目に、炎が見えた。
「どうだ?俺の下で働く気はねぇか?」
野望という名の炎が。
志々雄真実の目的を、吾輩は知っている。
この国を支配すること──
西洋列強にも負けぬ強い国にすること──
前者はまだしも、後者は理解できる。
未来、この世界とは異なる世界から来た身であるが、この先の日本のことを知っている。
今のままでは困るという事も理解できる。
強くならねば困るというのも理解できる。
西洋列強に負けぬよう、この国を強くしたいという理念も理解できる。
ならば、同意できるのか?
志々雄真実の下に就くべきか?
「断る」
答えは否、だ。
「ほう?参考までに、何で断るか聞いても?」
志々雄はそう問いかけながらも、さほど驚いた様子はなかった。
恐らくは理解していたのだろう。
吾輩が断ると。
吾輩はその事実を噛み締めつつ、志々雄へと視線を戻した。
「吾輩は新月村を見た。それが理由だ」
志々雄に支配された村は、絶望に染まっていた。
耐え難い程の血を流し、罪なき者を泣かせている。
国を想うのは結構。
未来を想うのは結構。
野望を抱くのも結構。
しかし、その為に他人に血を流させるのならば許せはしない。
「なるほどな……やはり聞いていた通りの甘ちゃんか」
吾輩の言葉に志々雄は苦笑しつつ、煙管を揺らした。
灰が溢れて、煙が漂う。
「吾輩をここに連れてきたのは、そんな話をする為だったのか?」
「まぁな。だが、そりゃ表の理由だ」
「……表だと?」
「てめぇが断る可能性も考慮していた、という訳だ」
志々雄が煙管を置いて、畳を叩いた。
……何の真似か、と問うよりも早く、吾輩は殺気を感じ取った。
殺気の出処は……下か!
瞬間、吾輩は畳を蹴り後退した……と、同時に、大きな音と共に畳が砕け散った。
どんな床に潜んでいたのか、途轍もなく大きな男が現れた。
「仲間にならねぇなら仕方ねェ。邪魔される前にブッ殺すしかねぇな」
心底楽しそうに笑みを浮かべる志々雄の前。
そんな志々雄を無視して、吾輩は正面の大男を見た。
上下一体の肌着のみを身につけた、頭の尖った大男。
その特徴はつまり──
「尖角か……!」
「雷十太といったか!この尖角が相手をしてやる!」
尖角。
志々雄の部下の一人であり、新月村を統治している大男だ。
統治、というが実際は恐怖による支配であり、幾人もの村人を殺した下衆だ。
吾輩の知っている歴史では、三島栄一郎、そしてその父母も惨殺している。
己の力を誇示する為に、力ある剣士のみならず力なき村人をも殺す、そんな外道だ。
そんな相手を前に、吾輩は腰に差した剣を抜いた。
「ほう……?」
志々雄が興味深そうに吾輩を見ている。
尖角に吾輩を始末させると言っていたが……吾輩の力量を見定める目的でもあるのか。
ここで飯綱を披露するのは、拙いか?
しかし、加減をして勝てる相手では──
「どこを見ている、女!お前の相手はこの尖角だと言っているだろうが!」
瞬間、尖角が畳を踏み抜き、吾輩へと接近して来た。
──速い。
一つ、瞬きをする間に既に接近されていた。
大柄である吾輩より背丈が大きいにも関わらず、かなりの速度で踏み込んできた。
「ブァウァアッ!!」
奇声を発しながら、尖角が腕を振り上げた。
その手には、握り壊剣。
拳を保護するように付けられた、
それを吾輩に向けて突き出してくる。
避けきれん。
ならば、受け止めるまで。
「ヴァッ!」
「ぬ、ぅっ!」
尖角の握り壊剣と、吾輩の持つ剣がぶつかる。
鈍い金属音が鳴り、火花が散る。
速く、重い一撃だった。
巨体から繰り出される素早い一撃は、まともに当たれば吹き飛んでしまう程の破壊力を秘めている。
志々雄の部下であり、十本刀でもない悪漢であるが……それでも、この村を任される程の力量を持っている。
巨漢とは思えぬ足捌き。
速さと力強さを備えている。
吾輩は尖角の一撃を敢えて受け止めず、そのまま後退した。
「力負けか!やはり女よ!雷十太、恐るるに足らず!」
吾輩は自らの足で飛んだのだが……まぁ、いい。
実力を誤認しているのならば、それを活かすまでだ。
「ブアァアアッ!」
そのまま、尖角が接近してくる。
この尖角を倒すこと、それ自体は容易い。
全力で水平に薙ぎ払い、飛び飯綱によって胴を寸断すれば良いだけの事だ。
だが、それは確実に致命傷になり得る。
ならば、威力を抑えるか?
否、不可能だ。
飛び飯綱の威力は、目当ての的から遠ければ遠い程に威力が落ちる。
加減するならば、当てる相手との距離を見計らって調整するしかない。
しかし、この尖角という男は速い。
目に捉える事が難しい相手に対して、その距離を見定めて飛び飯綱の加減をする?
それは困難だ。
可能ではあるが、極限状態の中の加減など信用できん。
ならば、どうすれば良いか。
「来い、尖角」
吾輩は腰を落として、剣を鞘に収める。
身体を引き絞り、抜刀術の構えを取る。
そんな吾輩を志々雄は興味深そうに見ている。
しかし、尖角は嘲笑するような顔をしている。
「抜刀術か!しかし、この尖角を前に悠長な真似をする!」
そのまま、尖角が突っ込んでくる。
吾輩が剣を抜くより素早く攻撃するつもりだろう。
実際、それは理に適っている。
吾輩の抜刀術など、剣心達に比べれば疎かなもの。
そんな相手よりも素早く動ける尖角ならば、抜刀する前に殺せる……いや、抜刀された所で避けられるだろう。
「速さは俺の方が上!剛力も上!切り刻んでやる!」
握り崩剣を持つ両手を構えながら、尖角が吾輩へと接近する。
その瞬間、吾輩は剣を抜いた。
抜刀──
そのまま、横に薙ぎ払う。
「見切った!」
しかして、尖角はすんでの所で避けて見せた。
ただのごろつきでは、吾輩の剣を避ける事は出来なかっただろう。
「大振りな一撃!隙だらけだ、女!間抜けめ!」
尖角は足だけではなく、目も良い。
しかし、だからこそ……その目の良さが命取りとなるのだ。
「なっ……!?」
吾輩はそのまま剣を振り切り、尖角に背を見せる。
そして、強く畳を踏み締めた。
軋む音、砕ける音が足元で響いた。
「なに!?」
尋常ならざる気配に尖角が怯むも、もう遅い。
吾輩の『起こり』を見誤り、『隙』だと誤認した尖角は……既に間合いに入ってしまっている。
「
身体中の筋肉を萎縮させ、鋼のように硬くする。
地についた足を木の根のように深く踏み締める。
そこから迫り来る敵に対して……全身全霊の力を持ってぶつかる。
それこそが、吾輩の狙いだ。
「グギャッ!?」
轟音。
尖角が吾輩の背中にぶつかり、大きく吹き飛ぶ。
巨漢だろうが関係ない。
吾輩の体重のみでぶつかった訳ではないからだ。
この技は、地面と身体を一体化させ、柱のように固定して迫り来る敵の力を利用して吹き飛ばす。
鉄山靠と呼ばれる中国の武技、その亜種だ。
尖角が畳の上を転がり、壁へ激突する。
そのまま柱すら折り、血を流して痙攣している。
気も失っているようだ。
……まぁ、普通の人間なら即死だろうが、あの大男がそう簡単には死なぬだろう。
「……ほう?」
吾輩が尖角を倒したのを見て、志々雄が笑みを浮かべた。
「へー、面白い技使うんですね」
いつの間にか背後に居た宗次郎が、気の抜けた感嘆の声を上げた。
そんな宗次郎を由美は呆れた目で見ているが、志々雄は吾輩から目を離さなかった。
そして、獣のような笑みを浮かべた。
「今の技……自力で生み出した技じゃねェな。てめぇの本質とは異なる、『何か』の真似だ」
……拙かったか。
そう、今の技は吾輩が自力で生み出した技ではない。
飛天御剣流、その抜刀術……『双龍閃』を元に、吾輩が生み出した技である。
飛天御剣流の抜刀術は全て、隙を生じぬ二段構え。
一撃目の隙を、二撃目の起こりに代えて放つ二段構えの抜刀術。
吾輩が以前、負けたのも飛天御剣流の抜刀術だった。
常人ならば剣心の技術に感嘆し、素直に負けを認めていただろう。
だがしかし、吾輩は剣客である。
それも、負けず嫌いの剣客である。
負けたままで終わらせる事は出来ない。
己を打ち負かした技を己の技に取り込もうとするのは当然だ。
見様見真似であるが、それでも吾輩が出来る全力。
纏飯綱を放ち、避けた相手へ飯綱を放つ。
それが『飯綱返し』。
対して、飯綱を避けた者に加減が必要であれば、返すのは飯綱ではなく体当たり。
名付けて『飯綱返し・
名を付けるには児戯のような物であるが、こういう物は銘を打ち、繰り返す事でこそ意味がある。
だから、名を付けたのだが──
「問題はその『何か』だ。てめぇ、誰を真似やがった」
志々雄には全てお見通しという事か。
「…………」
「答えるつもりはねェって事か。いいぜ、興味が湧いた。強情な女も嫌いじゃない」
そう言いつつ、志々雄はすぐ側の刀掛けから、鞘ごと持ち上げて……吾輩に向けて投擲した。
それを避けるが──
いや、違うか。
吾輩ではなく、その後ろに居る──
「お、っとっと」
宗次郎に向けて、か。
鞘ごと刀を受け止め、宗次郎は笑みを浮かべた。
そんな宗次郎に向けて、志々雄が口を開く。
「宗次郎。俺はこの女の底が知りてェ。少し遊んでやれ」
「いいんですか?」
「構わねぇ。ちょっとした『遊び』だ」
宗次郎は笑みを浮かべつつ、鞘を腰へと持って行った。
……しまったな。
不意打ちすべきだったか。
既に宗次郎に隙はない。
どこからでも、どの間合いに居ても吾輩に斬りかかれるだろう。
「という訳で雷十太さん。僕がお相手する事になりました。構いませんね?」
有無を言わせぬ笑み。
だが、志々雄と異なり威圧感は全くない。
吾輩が剣を構えた。
先程の抜刀術のような小手先の技では勝てぬと悟ったからだ。
そして、心に威を込め、剣気を放つ。
「ほう、面白ェ……」
志々雄は面白そうに笑みを浮かべている。
吾輩の剣気を感じ取ったのだろう。
しかし、宗次郎は反応しない。
まるで柳に当たる風のように、流れて行くだけだ。
やはり、無意味か。
「志々雄さん。殺しちゃっても良いんですよね?」
宗次郎がそう笑顔で剣呑な言葉を吐く。
「あぁ、良いぜ。殺す気で『遊んで』やれ」
「では、遠慮なく」
瞬間、宗次郎が消えた。
「っ!?」
目に見えぬ、映らぬ。
あまりにも速い、間合い詰め──
「かぁッ!」
瞬間、剣がぶつかった。
吾輩の剣と、宗次郎の剣がぶつかったのだ。
刹那、宗次郎は吾輩の剣の圧に逆らわず、後ろに飛び退いた。
気付けば、攻め込む前の元の立ち位置に戻っていたのだ。
「あれ?」
宗次郎は少し不思議そうな顔をしている。
当然だ。
吾輩の方が剣速に於いて明らかに下。
であるのに、剣を見切って防いだのだから。
答えは単純である。
吾輩はこの速さに慣れている。
神谷道場で世話になっている間に、何度か剣心に懇願して試合をして貰った。
無論、竹刀での稽古ではあったが、その速度はそこらの剣客とは比較にならぬ速さであった。
薫やら弥彦、由太郎にも引かれていたのを今も覚えている。
その経験が生きた。
「おかしいなぁ、見えてない筈なのに」
そう言いつつ、宗次郎が再び消えた。
その刹那、吾輩は宗次郎を目で追う……事はなく、宗次郎の居た床を見る。
畳の爆ぜた具合、その角度。
方向は──
「はッ!」
右だ。
接近する宗次郎の刀に無理矢理、防御を合わせる。
迎撃する事は難しいが、防ぐ事なら……いや、容易くはない。
だが、不可能でもない。
再び宗次郎を弾き飛ばせば、彼は壁に足を付けて受け身を取った。
「やっぱり、『見えて』ないけど、『
宗次郎の言う通りだ。
吾輩には宗次郎を目で追う事は出来ない。
だが、来る方向だけなら初動さえ見切る事が可能だ。
踏み込みの角度、強さ。
風の流れ、そして吾輩の死角。
それらを元に、大まかな方向を見極める。
さすれば、目で追わずとも防御は可能だ。
「宗次郎」
「分かってますよ、志々雄さん。次は……『二歩手前』で行きます」
宗次郎の言葉に、吾輩は顔を顰めた。
二歩手前……それ即ち、宗次郎の全力である『縮地』の二歩手前だということ。
全力とは程遠い。
「あ、雷十太さん。待たせて、すみません」
「……吾輩はそのまま、待たせてくれると助かるのだが」
無駄話をしつつ、呼吸を整える。
ここで先制攻撃を仕掛けても避けられる。
いや、避けられる所か反撃もされるだろう。
であれば、吾輩に出来る事は待つだけだ。
言葉とは別に、脳は全力で宗次郎の足元へと集中する。
「いえ、志々雄さんを待たせる訳にはいきませんから」
とん、とん、と宗次郎が畳を爪先で踏む。
より身軽に、より素早く、身のこなしが一段階切り替わるように。
「では、行きます」
そう告げた、と同時に──
畳が爆ぜた。
「っ!」
方向──
左。
吾輩は畳を全力で踏みつけて、姿勢を落とす。
身体を捻り左を向けば……やはり、宗次郎は既に間合いへと入っていた。
剣も抜かれて、頭上へと振り上げている。
速い、速すぎる。
間に合わない。
「だ、ぁッ!」
だが、何もせず死を待つ事はしない。
帰ってくると、由太郎に約束した。
であれば、帰らねばならない。
死ぬ事は許されていない。
剣を薙ぎ、飯綱を纏わせる。
秘剣、纏飯綱──
これぞ、決死。
当たれば即死の居合斬り。
宗次郎の進む先に死の一撃がある。
しかし、それを見切れぬほど相手は甘くない。
宗次郎はその飯綱を避けるために、吾輩の頭上を飛び越えた。
「
直後、吾輩の肩に痛みが走った。
纏飯綱を避けるために吾輩の頭上を飛び越えつつ、宙で回転し、吾輩の肩を斬ったのだ。
そうして立ち位置が、入れ替わった。
宗次郎は息一つ切らしていない。
「はぁ……ふ、ぅっ」
しかして、吾輩は息を切らし、脂汗をかいている。
肩から血が滲む。
だが、肩の傷は筋まで届いていない。
浅く、この剣戟に影響はしないだろう。
しかし、一撃は一撃。
この一撃の重みは違う。
「……二歩手前。ここが雷十太さんの反応できる限界、でいいですか?」
宗次郎はその一撃を喜ぶ訳でもなく、ただ事実として受け止めていた。
これは確定した力量の差。
つまり、何度も繰り返すだけで吾輩は死に至る。
……だが、勝機が無い訳ではない。
ただ一度だ。
ただ一度、攻撃を当てるだけで決着がつく。
問題があるとすれば、その一撃で宗次郎を殺してしまうかもしれない……という事だ。
「……ふっ」
「あれ?何で笑ってるだろう……打ち所が悪かったんですか?」
いや、違う。
格上相手に手加減などと考えている自分を嘲る笑みだ。
もし、そうだ。
もしも、だ。
由太郎と会う事なく、剣心達とも会わなければ……吾輩はきっと、この状況で宗次郎を殺すべく剣を振るっていた。
相手は格上で、殺しにも来ているのだ。
ならば、勝つために全力を出すのは当然だ。
殺されるぐらいなら殺してやる、そう考えるのが普通の剣客だ。
吾輩もそうだったろう。
だがしかし、それは『もしも』の話だ。
吾輩は由太郎に会い、剣心と戦い、今に至る。
積み重なった心が、吾輩の剣から殺気を抜いた。
真古流は殺人剣。
されど──
『その剣に意味を与えるのは雷十太殿自身でござるよ』
……そうだったな、剣心。
ならば、この力を振るう事に恐れはない。
全力は出す、だが殺しはしない。
「……ふ、ぅ」
息を深く吐き、体に力を満ちさせる。
剣気に満ちて、部屋が軋むような悲鳴を上げた。
剣を握る手を強めて、構える。
「……宗次郎、一歩手前だ」
「え?二歩手前でも殺せますよ?」
志々雄の言葉に宗次郎が首を傾げた。
そんな宗次郎に志々雄は笑みも浮かべず、口を開いた。
「俺の言う事が聞けねぇのか?」
「……いやだなぁ、志々雄さん。ちょっと疑問に思っただけですよ」
そう口にしつつ、宗次郎は吾輩に向き直った。
油断はしてくれぬか。
そう思いつつも、落胆はしない。
今はただ、宗次郎を倒す。
全身全霊、全力を以て相手をする。
「じゃあ、行きますよ?雷十太さん」
宗次郎が再び軽く足を鳴らした。
それと同時に、吾輩は剣を頭上へと掲げた。
そして剣に飯綱を纏わせる。
「来い」
「では、お言葉に甘えて──
刹那、宗次郎の居た場所が爆ぜた。
目にも見えぬ、神速を越えた接近。
速い。
先ほどよりも、速すぎる。
最早、その爆ぜた場所から方角を見極めようとも、反撃は間に合わない。
ならば、そう。
吾輩に出来る事は──
「
吾輩は飯綱を纏った剣を、自身の足元へと叩きつけた。
宗次郎の困惑するような声が、聞こえたような気がした。
だが、それに反応する事はない。
剣圧を極限まで込めた飯綱が吾輩の足元に叩きつけられた。
そしてそれは、足元の畳に衝突すると同時に爆ぜた。
第三の秘剣、
吾輩を中心として、小さな斬撃が拡散する。
「っ……!?」
見えた。
宗次郎が焦るように後退しているのが見えた。
小さな真空の刃が宗次郎へと襲いかかる。
宗次郎はそれを回避しようと、距離を取っている。
だが、今の宗次郎よりも真空の刃の方が速い──
「なっ!?」
しかし、宗次郎は更に加速した。
全力で畳を蹴り、宙で身を捻り、壁を、天井を蹴って回避したのだ。
「……ふー、びっくりした」
宗次郎は少し汗をかきながら、元いた位置へと戻っていた。
そして、吾輩に向けて笑みを浮かべた。
「あーあ、思わず『縮地』を使っちゃったじゃないですか。一歩手前だって言ったのに」
そう言いつつ、宗次郎は息を深く吐いた。
「あぁ、宗次郎。『遊び』は、お前の反則負けだな」
志々雄の方は……真空の刃から由美への巻き添えを防ぐためか、足元の畳をひっくり返して盾にしていた。
そんな志々雄を見て由美は驚いているが、志々雄はそれを無視して吾輩を見ていた。
深く、笑みを強めながら。
「だが、雷十太。『死合い』ならてめぇの負けだ」
そう、吾輩の負けだ。
……吾輩の身体がボロボロになっていた。
当然だ。
飯綱嵐は四方八方へと爆ぜた。
その中心に居たのは誰か。
吾輩だ。
吾輩の足元から放たれた真空の刃は、吾輩の身体をも傷付けた。
深くはないが、決して浅くもない斬撃が身体をズタズタに引き裂いていたのだ。
「く、ぅ……っ」
吾輩は膝をついた。
出血もそうだが、疲労の蓄積が凄まじい。
思えば、今日。
全力で山を駆けて、飯綱を何度も放った。
志々雄一派の者ども、尖角と、宗次郎。
連戦だった。
身も心も疲弊していたのだ。
甘かった。
捨て身になれば勝てると考えていた吾輩の落ち度だ。
「……どうしますか?志々雄さん、殺しますか?」
宗次郎がそんな事を言う。
既に勝敗は決していた。
吾輩の負けは、誰の目から見ても明確だった。
「いや、連れて帰る。殺すつもりだったが、存外、中々の上玉だった。こいつには利用価値がある」
その言葉に由美が顔を顰めた。
「志々雄様?」
「そう妬むな。言葉のあやだ。十一本、ってのは語呂が悪いが、悪くねェ」
自分の処遇をどうするか話している言葉すら、遠くに聞こえる。
「でも志々雄さん、従いますか?雷十太さんは」
「従わせる方法は何も説得だけじゃねぇ。色々と方法はある」
息を何度も吸って、吐いて……何とか立て直そうとする。
だが、ダメだ。
皮膚の下、筋が切れている。
待てば自然と治るだろうが、数刻で治るほど浅くはない。
最早、ここまでなのか──
「それは困るな。そこの阿呆は、連れて帰ると約束している」
瞬間、襖が蹴飛ばされた。
外れて落ちる襖の外に居たのは……警官服を着た男。
「ほう、来たか」
斎藤一……何故、ここに?
いや、斎藤一だけではない。
まだ側に、人が居る。
「お主が……志々雄 真実でござるか」
「フン、“君”ぐらい付けろよ。無礼な先輩だな」
そこに居たのは剣心だった。
分からない。
どうしてここに来ているのか。
何故、ここに来たのか。
「雷十太さん!」
剣心達の後ろから、吾輩の側に二人の兄弟が寄って来た。
「栄一郎と……栄次、か」
逃した筈の栄一郎と栄次がそこに居た。
血塗れになった吾輩を見て右往左往している。
「ちょ、血塗れじゃない!手当てしないと!」
……あれ?
いや、知らん奴も居る。
太腿丸出しの女忍者みたいな奴が居る。
まぁ、それはいいか。
置いておいて、吾輩は栄一郎に目を向ける。
「何故来た」
「……お袋達は警官に預かって貰った。だから、助けようと栄次が──
栄次の方へ目を向ける。
顔を青褪めさせていた。
怖いのだろう。
志々雄や宗次郎が。
だというのに、助けに来たのか。
危ないというのに。
叱るべきか、褒めるべきか。
それは吾輩には分からない。
ただ──
「すまぬ、助かった」
助かったのは事実だ。
なんて言っている間にも、忍者娘に晒しで巻かれる。
……この忍者娘……あぁ、なるほど。
巻町 操か。
見覚えはあったが、会った事は無かった。
栄一郎に栄次。
色々と話したい事もあるが、今はそれどころではない。
吾輩は視線を志々雄と剣心へと戻した。
剣心はいつもの気の抜けた顔ではなく、真に迫る顔をして志々雄を睨んでいた。
「お主に無礼を咎められる程ではない……雷十太殿に怪我をさせたのはお主か」
「いいや、そこの宗次郎がやった」
志々雄の言葉に、宗次郎が目を瞬いた。
「え?僕ですか?そこの雷十太さんが自分でやった事ですよ?ね、雷十太さん」
「…………」
宗次郎の言葉を聞き、吾輩は押し黙った。
事実だから致し方ない。
そんな吾輩の側に、斎藤が寄って来た。
「阿呆」
そして小声で罵倒しつつ、吾輩の頭を鞘尻で小突いた。
怪我人だというのに酷い奴だ。
そんな吾輩達を無視して、剣心は志々雄達を睨んだ。
「……剣を取れ、志々雄 真実」
「話も聞かず死合おうだなんて、やっぱ無礼だぜ。先輩さんは」
志々雄と剣心、二人の剣気が衝突した。