TSおねショタ雷十太   作:WhatSoon

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第十八幕「京都へ」

出血と疲労で、吾輩がうつらうつらと朦朧としている中……剣心と宗次郎が向き合った。

 

既に、志々雄と由美は隠し通路を通じて逃走した。

 

いや、正確には『逃げた』というより『戦いを預けた』という方が正解か。

曰く、今の牙を抜かれた抜刀斎など戦うに値しないと。

志々雄は宗次郎を殿に残し、その場を後にした。

 

斎藤は志々雄を追いたがっていたが……負傷した吾輩や、三島兄弟、忍者娘……(みさお)という足手纏いを抱えているため、追いかける事は出来なかったようだ。

いやはや、申し訳ない気持ちだ。

 

そうして、宗次郎を前にして……剣心が納刀した。

戦う気が失せたのか?

否、あれは抜刀術の構えだ。

 

そんな剣心を見て、斎藤は鼻を鳴らした。

 

 

「『後の先』が取れない相手ならば、(おの)れの最速の剣で『先の先』を取る。それが最良だ」

 

 

武術に関して認識が浅い、操や三島兄弟の疑問に答えるように斎藤が呟いた。

……やはり、この男は見た目や態度に似合わぬ、面倒見の良さがある。

 

なんて思っていると──

 

 

「うぐっ」

 

 

斎藤に脇腹を軽く蹴られた。

負傷者だというのに、酷い扱いだ。

 

そんな吾輩の様子を見て、三島 栄次が斎藤を睨んだ。

が、そんな事も気にせず、斎藤は剣心と宗次郎を見ていた。

 

 

「へぇ……じゃあ、僕も、っと」

 

 

剣心が構えたのを見て、宗次郎も抜刀術の構えを取った。

 

互いに抜刀術の構え。

争いの渦中だというのに、驚くほど静かになる。

 

そして──

 

双方、共に剣を抜いた。

あまりにも速い抜刀、そして剣速。

 

剣は交差し──

 

 

剣心の逆刃刀と、宗次郎の剣がぶつかった。

澄んだ鈴のような音が響く、その瞬間。

 

 

剣心の剣が、折れた。

 

 

是非もない。

速度も、筋力も同程度。

ならば、差が出るのは……剣に乗せた殺意の差だ。

 

剣心の手には、その信念の行末を暗示するかのように折れた逆刃刀が残っている。

 

そんな折れた逆刃刀を見て、宗次郎は目を細めた。

 

 

「勝負あり……かな?」

 

 

勝ち誇る訳でもなく、ただ事実を述べるように宗次郎が口にした。

その言葉に斎藤は同意した。

 

 

「ああ。『互い』に戦闘不能で、引き分けってトコだな」

 

「え?」

 

 

斎藤の言葉に、宗次郎は己の剣を見た。

そこには刀身がひび割れて、砕けた剣があった。

 

 

「……へぇ、驚いたな。これじゃ修復も出来なさそうだ」

 

 

勝敗はなし。

どちらの勝ちでもなく、負けでもない。

 

ただ、互いに剣が折れたという事実のみを残した。

 

しかし、剣心は……険しい顔をして、己の逆刃刀を握りしめていた。

折れてしまった逆刃刀を。

 

対して、宗次郎はひび割れた剣を鞘にしまった。

 

 

「ま、いいや。どーせこれ、志々雄さんの剣だし」

 

 

剣を収めて、宗次郎は剣心の横を通り過ぎる。

 

 

「志々雄さんの受け売りですけど、僕も勝負を預けますね。今日はこれで失敬しますけど……次に会う時までに、新しい刀を用意して下さい……ね?」

 

 

そう告げる宗次郎に剣心は少しも反応しない。

だが宗次郎はそんな剣心の様子に満足して、隠し通路へと向かった。

 

 

「では、また」

 

 

斎藤も、剣心も追わない。

追っても宗次郎には追いつけない事が分かっているからだ。

 

 

重い空気の中……剣心が、折れた逆刃刀を鞘へと戻した。

鍔の音が、ただ無情に鳴り響いた。

 

 

「……緋村」

 

 

沈黙する剣心に、操が何か言いたそうにしている。

だが、満身創痍の吾輩から離れるのは拙いと思っているのか、何も言わず寄り添ってくれた。

 

……良い()だな、この()は。

 

そんな操の情緒を無視して、斎藤が鼻を鳴らした。

 

 

「刀も折れた。志々雄達も逃した、か」

 

 

責める訳でもなく、ただ事実を告げた。

だが、その無神経な発言に、操が少し苛立った表情を見せた。

そのまま操が何か言おうとした瞬間、剣心が口を開いた。

 

 

「なに、刀はまた作ればいい。志々雄達もまた追えばいい。今はただ新月村を志々雄一派から取り戻せたから、良しとするでござるよ」

 

「……フン、甘い奴だ」

 

 

そうは言いつつも、斎藤はどこか満足げに頷いた。

刀を折られた剣心が戦意を喪失していないか、心配だったのだろう。

何だかんだ言って、その辺りの機微を読む事が斎藤にはでき──

 

 

「うごっ」

 

 

また、斎藤に脇腹を軽く蹴られた。

吾輩は負傷者だというのに、酷い扱いだ。

断固、抗議せねばならん。

 

そんな吾輩の様子に気づいて、剣心は少し失念していたという顔をした。

 

 

「っと、今はそれどころではござらん。雷十太殿、大丈夫でござるか?」

 

「……うむ。今は立てぬが、少しすればすぐに動けるように──

 

「阿呆」

 

「ふぎゅっ」

 

 

斎藤にまた脇腹を軽く蹴られた。

仏の顔も三度まで、だ。

流石に我慢の限界が来た吾輩が、斎藤を睨んだ。

 

 

「むぅっ……!何をする、怪我人を相手に……!」

 

「自らの体を傷つけて、その傷を過小評価する死にたがりの阿呆相手など、これぐらいの扱いで丁度いい」

 

「ゔっ」

 

 

図星だ。

 

 

「そもそも呼んでも居ないのに、何故ここに居る?阿呆が。人の忠告は受け止めるべきだと思わんか?」

 

「うぐっ」

 

 

これも図星だ。

京都に来るなと言われたのに、勝手にここまで来て、勝手に死にかけて、挙げ句の果てに助けてもらった。

 

少し申し訳なくなって押し黙っていると、斎藤がため息を吐いた。

 

 

「……だが、まァ、少しはマシになったか」

 

 

呆れたような声色だったか、どこか不思議な暖かさがあった。

斎藤らしくないな、なんて考えて──

 

 

「うぐっ」

 

 

再び、脇腹を蹴られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斎藤が連れて来た警官達により、尖角を含む新月村を支配していた志々雄一派は逮捕された。

密告を推奨されていた支配状況から、村人同士は解放されたが──

 

三島一家は新月村に戻らない事にした。

当分は三島 栄一郎の職場である東京へと家族で転居する事となったそうだ。

いつかほとぼりが冷める頃に帰ってくるそうだが、それまでこの村が残っているのか……疑問である。

志々雄一派は去った。

だが、疑念や恐怖、疑心は残る。

互いに監視し合っていた村人が、明日から信頼できる筈もない。

 

故に、三島一家は村を去る事にしたのだ。

 

栄一郎の父母、栄一郎、そして栄次からも感謝の言葉を貰った。

 

吾輩は、彼等を救う事が出来たのだ。

それだけで十分だろう。

 

……結局のところ、剣心の逆刃刀は折られてしまったが。

“私”の知る物語と顛末は大きく変わらない。

だが、それでも救えぬ筈の命を救う事ができた。

 

であれば、無駄ではなかった。

吾輩がここに居る事にも意味がある。

 

ならば、これでいい。

覚悟を抱えたまま、吾輩も京都へ向かい──

 

 

「ダメだ」

 

 

ダメらしい。

 

 

「……何故、京都に行ってはならんのだ」

 

 

新月村の派出所にて、吾輩は布団の上で斎藤と向き合っていた。

 

ちなみに三島一家は既に東京へ、剣心と操は京都へ向かっている。

吾輩は負傷者として、派出所の寝床で寝ているというのに。

情けない話である。

 

 

「阿呆が。お前はまだ怪我人だろう。手当てをしたとはいえ、普通ならば重傷だ」

 

「いやこんなもの……少し、飯でも食って寝れば、すぐに治る」

 

「冗談を言うな」

 

「…………冗談ではないが」

 

 

冗談?

冗談を言ったつもりはない。

この程度の傷ならば、少し飯を食うて休めば治るだろう?

 

 

「…………」

 

 

何で黙るんだ?

そして、訝しむような目で吾輩を見るんだ。

 

気まずい空気に、堪らず吾輩が口を開こうとした瞬間……斎藤がため息を吐いた。

 

 

「ハァ……お前、まさか本気で言っているのか?」

 

 

吾輩が嘘や冗談を言っている訳ではないと悟り、斎藤は少し引いたような顔をした。

しかし、嘘でも冗談でもなく事実なのだ。

 

そもそも、この世界の剣客どもは怪我の治りが異常に速い。

普通の人間とは別格の再生能力を持っている。

であれば、吾輩の言っている事も特異な戯言でもない。

 

確かに前世であれば変な発言かも知れんが、今生では普通だろう。

実際、剣心に折られた骨も割とすぐに治ったし。

 

そう考える吾輩の肩に、斎藤が少し力を込めて触診した。

そして、神妙な顔で頷いた。

 

 

「フン。確かに、俺が刺した肩の傷ももう完治しているようだな」

 

「そうだろう」

 

「……血の代わりに、ガマの油でも流れているのか?」

 

 

散々な言いようである。

吾輩が口を開いて文句を言うより先に、斎藤が再びため息を吐いた。

 

 

「まぁ……なるほど、分かった。傷の方は問題ない。それは認めてやろう」

 

「ならば──

 

「だが、やはりダメだな」

 

 

前のめりになった吾輩を押さえつけるように、斎藤が吾輩の額に指を押し付けた。

ぐりぐりと押されて、思わず布団へと倒れ込む。

 

 

「む、何故だ?」

 

「この村でお前は、確かに尖角を倒した。しかし、俺達が来ていなければ瀬田 宗次郎に殺されていたのも確かだ」

 

「……うむ」

 

「お前がどこで死のうと勝手だが、お前が死ねば困る奴も居る。意義のある死であれば問題ないが、このままでは無駄死にする」

 

「…………」

 

 

つらつらと言っているが、つまりは心配してくれている……という訳ではなさそうだ。

単に、吾輩が無駄死にすると思っていそうだ。

 

 

「お前に一度、手加減の極意について話したな」

 

「……うむ」

 

 

剣心が行なっている手加減。

それは数多の人間を殺した事によって習得した、不殺(ころさず)の加減なのだと。

人を破壊する術を知るが故に、人を破壊しない術も知る。

それが手加減の極意なのだ。

 

 

「確かに、手加減の極意を知らずとも、尖角程度になら勝てるだろう。だが、あの優男と次に会って勝てると思うか?」

 

「それは……いや……」

 

「フン、正直な事だ。あのトリ頭よりは見込みがある」

 

「…………」

 

 

何とも嫌味な言い方をする男だ。

 

 

「俺の見立てでは、お前と奴に大きな差はないように見えた」

 

「なに?」

 

 

斎藤の言葉に、思わず片眉を上げた。

吾輩と宗次郎に差がない……?

それは本気で言っているのだろうか。

 

 

「お前は意識的に殺さぬよう加減をしている。そして、無意識にも殺人を恐れて加減をしている。意識下と無意識での、二重の加減……そんな状態では、勝てる相手にも勝てん。偏に、お前が手加減の極意を習得していないからだ」

 

 

それは事実だ。

吾輩は加減が下手である。

いや、人並みなだけだ。

人を殺した経験のない吾輩は、人を殺す事に恐怖しているのだ。

 

だが、しかし──

 

 

「それでも、吾輩は京都へ行く。出来る事があるのに足を止めたくはない」

 

 

出来る事をやる。

助けられる人を助ける。

見て見ぬフリなど、もうしたくはないのだ。

 

運命というものを受け入れて、ただ安らかに傍観者として死んでいく事など……もう、できない。

いいや、したくないのだ。

 

吾輩の言葉に斎藤は、呆れた……という顔をした。

 

 

「……何を言っても分からん阿呆が。抜刀斎の周りは、揃いも揃ってバカばかりだな。まったく」

 

 

誰の事を指して言っているのか、吾輩には何となく分かった。

左之助やら弥彦などの事を言っているのだろう。

 

しかして、斎藤は紫煙を燻らせながら、目を細めた。

 

 

「ならば、仕方ない。怪我が完治するまでの間、新月村に残るだろう?」

 

「……む?あぁ、残るが」

 

「せめて、その間に無駄死にしなくなる程度に、俺が教えてやろう」

 

「……何を?」

 

 

金属の皿に、斎藤が灰を落とした。

そして、壬生の狼としての目を見せた。

 

 

「効率的な、人の殺し方だ」

 

 

思わず、吾輩は頬を引き攣らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新月村に滞在する間、斎藤は幾つかの話を教えてくれた。

人間はどこを斬れば死ぬのか、どこを刺せば死ぬのか。

即座に死ぬのか、ゆっくりと死ぬのか。

手当てで間に合うのか、間に合わぬのか、不要なのか。

 

人斬りとしてのノウハウを手加減へと活かせるように、吾輩へ叩き込んだ。

 

とはいっても、吾輩は未だに人を殺した事もない人斬り童貞……ならぬ、人斬り処女なのだが。

それでも幕末の世を生き残った人斬りの授業だ。

万金に値する。

 

そうして、一通り教えた後、吾輩の怪我が完治するのを待たず、斎藤は京都へ向かった。

これで勉強しろと言わんばかりに、西洋から持ち込まれた人体の解剖書を押し付けて。

 

そんな物を読んだ所で、人を斬る加減が上手くなるのか。

そもそも、口頭で話された程度で理解できるのか。

 

答えは(いえす)である。

 

吾輩は実戦派ではない。

書庫から書物を読んで、古流剣術を再現するような女である。

机上の空論を、現実にする事が得意な女である。

 

結果として、吾輩は確かに……吾輩は斎藤の教えによって、人斬りの何たるか、その初歩に足を踏み入れる事に成功した。

 

 

 

 

 

そんな斎藤を思いながら、吾輩は剣を腰に差して派出所を出た。

 

そして、道行く新月村の住民へ目を向けた。

圧政から急に解放されたため、まだぎこちない。

仕方ないだろう。

少し前まで、互いに密告するような関係だったのだから。

 

住民へ向ける目に、意識を集中する。

僅かにだが、人体の構造が透けて見える……ような気がした。

斎藤曰く「人を斬る時は面で見るな、内を想像しろ」とのこと。

 

以前までは吾輩は人を人として見ていた。

いや、それは当たり前なのだが。

人を斬る時は人を、皮、肉、骨、臓物の集合体と認識し、どこを斬るべきか身極めろ……とのこと。

 

曰く、そちらの方がお前に向いている……とのこと。

 

 

吾輩は目を閉じて、こめかみを揉む。

確かに、こうして人体の内部構造を想像する事は出来る。

西洋の写実的な解剖書を人の像の上から、見透かす事が出来る。

 

しかし、それには極度の緊張と集中が必要となる。

長時間の運用には耐えられないだろう。

 

まだ使い熟せては居ない。

だが、確実に武器となるだろう。

“手加減”という名の武器に。

 

吾輩は新月村を後にして、京都へと向かう。

道なりに行けば一週間程で着くだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ、最短距離を突っ切れば、数日で着くか。

吾輩は藪を掻き分けながら、そんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかして、三日後。

野宿をしながらも京都へと到着したが……夜も遅く、旅館に一人で泊まる事にした。

 

久しぶりの、お一人での旅館である。

一人旅をしている最中は殆どが野宿だった。

そして塚山家で世話になっている間は旅館に泊まる事も少なく、泊まったとしても由太郎と共にする事が多かった。

 

久しぶりの人並みの食事に舌鼓をうっても、どこか少し味気なく感じた。

 

“ほーむしっく”という奴だろう。

何とも、己の弱さに顔を顰める程だ。

 

……いかんな。

夜風で冷えると、余計な事を考えてしまう。

 

 

「ふぅ」

 

 

吐息を一つ吐き、貸し出された浴衣に着替える。

そうして、木桶を持って浴場へと向かう。

 

ここの旅館は、銭湯も営んでいる。

新月村から京都へ向かう中、疲れと共に身体も汚れている。

……いや、言い訳ではないが……川の水で水浴びぐらいはしていたのだが。

 

どうにも現代の感覚が残っている吾輩としては、それだけでは不十分に感じるのだ。

 

かくして、吾輩は木桶を手に浴場へと向かっている訳だ。

肌寒く、望郷の念にかられる中、少しぐらいは身体を温めて、身も心も落ち着かせたかった。

 

夜も更けて、少し薄暗い道中……二人の少年が吾輩の横を走り抜けた。

 

 

「……ふむ」

 

 

そう、丁度、あれぐらいの背丈だ。

由太郎はどうしているだろうか。

 

……いかんいかん、人を見て、他人を思い出すなどらしくない。

 

 

「待てこのクソ猿!捕まえて肉鍋にしてやる!」

 

「返せ!それは親父の金だ!」

 

 

……ん?

 

吾輩は振り返った。

すれ違った少年達はもう、そこには居なかった。

……由太郎と弥彦の声に聞こえたのだが。

 

 

「……はぁ、吾輩も焼きが回ったか」

 

 

ため息を一つ吐いて、吾輩はその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺、塚山 由太郎は薫さんと弥彦の三人で京都まで来ていた。

元々、先生が京都へ向かった後、自分は追うつもりなんてなかった。

 

だけど……薫さんと弥彦が、剣心を連れ戻す為だからと京都へ向かうと話されて、自分も向かう事にしたんだ。

 

きっと、出来る事は多くない。

だけど、出来る事はある筈だ。

 

そう考えて、三人で船に乗って京都まで来た。

到着した時に夕方になっていたため、明日から剣心や先生を探そうと話し合い、今日は旅館に泊まっている。

 

そうして三人、一部屋で寝る事になったのだが──

 

 

「だあああ!あのクソ猿!逃げ足がはえーんだよ!」

 

 

弥彦が頭を掻きむしりながら、床に転がった。

 

 

「どうするんだ、弥彦!元はと言えばお前が──

 

「うるせー!文句はオレじゃなくて猿に言いやがれ!」

 

 

何故こうも旅館を走り回っているのか。

原因は……視線の先、俺達を嘲笑っている子猿にある。

 

経緯を思い出す。

夜、薫さんが眠った後に、弥彦が俺を起こしたのが始まりだった。

薫さんが管理している旅費の入った財布を手に、夜の屋台に行こうだなんて言い始めたのだ。

 

俺は反対した。

だが、俺が反対しようが弥彦は食い意地を張らせて屋台に行こうとした。

曰く、寿司と天ぷらが食いたいのだと。

 

俺も気になってはいた。

雷十太先生と遠出していた時、先生は夜も早寝をしていた。

その所為で夜に廻ってくる屋台など行く機会がなかった。

故に、気になってはいたのだ。

 

だからそう、仕方なく、だ。

弥彦を一人で行かせたら何をしでかすか分からない。

故について行く事にしたのだ。

 

仕方なくだぞ。

屋台に行って見たいからだなんて、そんな理由ではない。

 

薫さんが寝ている隙に弥彦と俺は旅館を抜け出して、屋台まで行った。

寿司は……うちで食う寿司の方が美味かった。

天ぷらも……油が悪いからか、そんなに美味くはなかった。

 

弥彦も「まぁまぁだな」とか言っていたし、間違いない。

 

弥彦と俺はがっかりと落胆しながら、旅館に戻ってきたのだが──

 

 

 

 

 

弥彦が、突如現れた子猿に財布を盗まれたのだ。

 

 

 

 

弥彦も俺も、青ざめた。

屋台に行った程度の金額ならば薫さんにもバレないが、財布ごと無くせば薫さんにバレる。

いや、そもそもアレは俺の親父が包んでくれた旅費だ。

それを奪われては、京都で人探しなど言ってられなくなる。

 

だから──

 

 

「くそっ!由太郎!アイツ、勝ち誇った顔をしてやがる!」

 

「くっ……アイツ本当に猿なのか!?中に人でも入ってるんじゃないか!?」

 

 

俺達は、こうして子猿を追っている。

旅館の廊下を駆け回り、中庭の木々を飛び回る猿にキレながら。

 

 

「なんか手はねーのかよ!」

 

「あったらやっている!」

 

「クソッ、石でも投げるか!?」

 

「外して旅館の襖に穴を開けてみろ!そっちの方が無一文だ!」

 

 

弥彦と俺が右往左往としている中、猿は別の木に飛び移り、へらへらと嘲笑してきた。

 

 

「ブッ殺す!」

 

 

怒りに耐性のない弥彦が竹刀を手に、猿へと突進した。

だが、木々を登り、頭上を駆け巡る猿に追いつきはしない。

 

何か手はないのか。

俺はそう考えて……一つ、妙手を思いついた。

 

 

「弥彦、耳を貸せ」

 

「ッ、チッ!なんだよ!しょーもない作戦だったらキレるからな!」

 

 

猿相手に小声で話す必要があるかは分からないが、あの猿が言葉を理解していないとも限らない。

耳を寄せてきた弥彦に、耳打ちする。

 

 

「まずは──

 

 

作戦を伝えている間に……弥彦は顔を顰めた。

 

 

「お前、バカなのか?」

 

「信用できないのか?」

 

「……信用していいのか?やれんのか?」

 

「半々って所だな」

 

 

俺がそう口にすると、弥彦が笑みを浮かべた。

 

 

「……上等!どうせ、このままやっても埒が明かねーんだ!半々だったら割りの良い博打だぜ!」

 

 

俺と弥彦は竹刀を手に、猿へと……いいや、逆方向へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猿は、俺と弥彦が反対の方へ向かったのを見て……ついに諦めたのかと、ほくそ笑んだ。

油断していた。

 

だからこそ……それが隙となる。

 

がさがさ、という物音で猿が慌てて振り返った。

だが、そこにあるのは生い茂った葉だ。

 

訝しむような顔をしているが、誰もいないだろうと振り返り──

 

 

「やっと、間合いに入ったぜ……!」

 

 

息を切らした弥彦が、猿の真後ろに居た。

枝で肌の表面を切っていたが、どうしてそんな場所に来れたのか……猿には分からないだろう。

真実は単純だ。

遠回りに迂回して、木に登っただけだ。

 

だが、単純に登っただけではない。

弥彦は口に竹刀を加えて、両手両足で一気に駆け上ったのだ。

それが速さの秘訣らしいが……これじゃ山猿だ。

 

 

猿も引いた顔をしている。

 

 

「返してもらうぜ……そいつを……!」

 

 

だが木の上は足場が悪い。

弥彦も即座に猿へと詰められない。

 

その事に気付いた猿は、別の木々へと飛び移ろうとして──

 

 

「由太郎、やれ!」

 

「分かってる!」

 

 

集中しているんだ、話しかけるな。

俺は竹刀を両手で持ち、横に構える。

 

思い出すのは、先生の背中だ。

大きくてしなやかで、頼り甲斐のある背中。

 

その先生が剣を振るう、その様子を。

 

 

「……ふぅ」

 

 

剣先が震える。

だけど、先生程じゃない。

それでも竹刀が音を鳴らすほどには細かく、早く揺れている。

 

剣先が歪む。

ほんの僅かだけど、それでも歪んでいる。

 

 

「いくぞ!」

 

 

俺は竹刀を全力で振りかぶり、横に薙ぐ。

そして、正面に切先を向けた瞬間に、全身の筋肉で留めた。

 

瞬間、竹刀は何も叩いていないにも関わらず、大きな音を響かせた。

 

空気の歪みが爆ぜて、不可視の弾丸となり……子猿にぶつかった。

 

 

名付けて──

見様見真似(みようみまね)飛飯綱(とびいずな)

 

 

「よし!」

 

「よっしゃ!」

 

 

殺傷力はない。

ただ、真空の球を発射するだけの芸に過ぎない。

竹刀で叩かれるよりも威力が低いし、成功率は半分ってぐらい。

そんな、先生の本気の技に比べれば足元にも及ばない児戯だが……それが今、有効打となった。

 

猿は衝撃に驚いて、巾着型の財布を落として逃げていった。

その財布は……投げ落とされた所為で、木の枝の先に引っ掛かっていた。

 

 

「って……」

 

 

しかも枝の先は、何か知らないが木のついたての先だ。

下から向かう事はできない。

 

 

「……なんつー所に落としてんだ、クソ猿が」

 

「まったく」

 

 

弥彦は未だ木の上。

ここは俺が行くべきか。

 

 

「……オイ、お前、木登りできんのかよ」

 

「馬鹿にするな。俺にだって出来る」

 

「ほー、へー?本当か?」

 

「本当だ」

 

 

俺は木を登って行く。

正直に言えば拙いが、弥彦から馬鹿にされたままというのも癪だ。

 

 

「……代わってやろうか?」

 

 

少し小馬鹿にするような弥彦を睨む。

 

 

「どうも、おかまいなく!」

 

 

そうして、そのまま俺は木を登り……財布のぶら下がっている枝の先へと向かう。

随分と揺れる……少し、怖くなってきた。

 

ちらと弥彦を見ると、普通に心配そうな目で見てやがる。

軽口ぐらい叩けば良いのに、叩けないほど俺が覚束ないという事か。

 

見返してやろうと考えて、勇気を振り絞り……俺は木の枝の先まで来た。

何やら下から湯気が登っていて視界は悪いが……何とか、財布を手に取る事に成功した。

 

俺は自信満々に弥彦へ目を向ける。

 

 

「ほら見ろ、俺だって木登りぐらい──

 

 

みしっ。

 

 

「……みし?」

 

 

みしみしみしっ!

 

 

「…………もしかして、これ」

 

 

ぼきっ!

 

 

木の枝が折れた。

瞬間、俺は地面へと落ちていく。

咄嗟に受け身を取るべく、手を地面へと向けて……ぼちゃん!と水へ落ちた。

 

 

「がぼっ!?」

 

 

いや、水じゃない。

お湯だ。

しかも熱いお湯だ。

 

そういえば、ここは銭湯もやっているのだった……と頭から湯に突っ込みながら、俺は考えていた。

不幸中の幸いだ。

 

 

「……っぷは!」

 

 

着ている服も、財布も、髪も顔も濡らしながら湯から顔を出した。

湯気が立ち上り、よく見えないが……周りを見渡し……木ついたてを登り、弥彦の元へ戻ろうと考えた。

 

俺は湯の中から立ち上がり──

 

 

「…………」

 

 

人の気配がした。

 

そういえば。

この時間の銭湯は、女湯か、男湯か。

旅館の中に一つしかないため、時間によって男女を分けていた筈だ。

 

男湯ならば問題ない。

だがもし、女湯なら拙い。

 

憲兵に突き出されても文句は言えない。

 

 

「…………っ!」

 

 

身体の奥から冷えて行くのが分かった。

熱い湯に浸かっているというのに、身体の芯から冷えて行く。

 

俺は気配のする方から離れようとして──

 

 

「あっ」

 

 

足を滑らせて、湯船に転んだ。

バシャ、と大きな音が響いた。

 

怪我はない。

だが、大きな音を立ててしまった。

 

人の気配がこちらに近づいてくる。

心配しているのだろうか、いそいそと近づいてくる。

 

拙い、逃げられない。

 

俺の脳内に幾つか言い訳が思い付いて、ぐるぐると回る。

猿を追いかけて風呂に落ちてしまった、なんて信じて貰えるとは思えない。

 

逃げ出そうとするも、姿勢が崩れていて立ち上がれない。

そんな俺へと、人影が近付き。

 

 

「大丈夫か?随分、大きな音がしたが──

 

 

そこに居たのは女人だった。

急いで来たのだろう、湯船に隠れていない女人の裸体が、俺の目に入った。

 

しかし、それ以上に驚くべき事があった。

 

 

「せ、せせ、せ、先生……?」

 

「……由太郎?」

 

 

そこに居たのは雷十太先生だった。

日に焼けた健康的で、筋肉質な身体は……着物という壁すらなく、俺の目へ映っていた。

細かな傷があるが、それでも女性らしい丸みもある先生の裸体は……湯で濡れて、いつもより扇情的で──

 

 

血の気が引いて、血が集まって、湯にのぼせて。

 

 

俺は気を失い、湯船に倒れた。

 

 

 

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