TSおねショタ雷十太   作:WhatSoon

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第二幕「愛しさの糧」

俺、塚山 由太郎が雷十太先生に出会ってから半年が経った。

 

先生は不思議な人だ。

目の部分に穴が空いた藁笠を被り、男性用の衣服を着て……腰に真剣を差している。

身長は俺より頭二つは高い。

 

太くはないけれど、筋肉質で大柄。

肌も日に少し焼けている。

服装も加味すれば、荒々しい大男のような風貌だ。

 

名前も、雷十太と……男みたいな名前してるし。

口調も男のようだ。

 

しかし、浪人笠の下の顔は……少なくとも、俺には綺麗な女性に見えた。

絶世の美女という訳ではない。

ただ、容姿自慢の町娘と同じぐらいには、綺麗な顔をしていた。

しかし、目はいつも何かに憂いているように見えた。

 

だから、チグハグだ。

俺が今まで出会ってきた、どんな人間よりも……強く。

そして、綺麗で、虚でもあった。

 

 

 

 

早朝。

 

まだ屋敷内で活動している奉公人も少ない。

普段はこんなに早く起きない。

偶然、目が覚めてしまったのだ。

しかし、もう一度寝付ける気はしなかった。

 

だから、顔でも洗おうと中庭の井戸まで歩き──

 

 

「……先生?」

 

 

中庭に、先生がいた。

巻藁が立てられていて、その前で剣を構えている。

 

……いや、あれは剣ではない?

何か、金板が巻かれた……柄だけが刀のように作られた、重そうな金属棒を持っていた。

 

何をする気だろうか?

あんな物では、巻藁なんか切れるわけが──

 

 

 

ぞくり、とした。

 

 

一瞬、背筋が冷えた。

 

 

 

先生の持つ、金板を巻き付けた棒の先端が……ブレた。

 

目の錯覚か?

まだ、俺は寝ぼけているのだろうか?

 

そう疑った瞬間──

 

先生が棒を振るった。

 

 

「あ……」

 

 

巻藁が、斬られていた。

あんな刃もないような、鍛錬に使うような重いだけの棒で……斬ったのだ。

 

目を疑い……それでも、雷十太先生ならばと、そう納得した瞬間。

 

先生が地に落ちた巻藁から視線を逸らした。

そして、俺へ視線を向けた。

 

 

「……由太郎か」

 

「わ、あっ、はい!」

 

 

慌てて、草鞋を履いて中庭に飛び出した。

先生が重そうな棒の先端を地に静かに下ろした。

 

 

「すまない。五月蝿くしてしまったな、起こしたか?」

 

「あ、いえ……そういう訳では……偶然、早起きしただけです!」

 

「そうか、なら良かった」

 

 

俺を見て、先生が頬を緩めた。

 

この目だ。

優しく、慈しむような目。

 

少し、こそばゆい。

荒々しく、強い先生だけれど……優しい。

奉公人にも下手に話すし、重い物を持っていれば手伝う……それに、感謝の言葉は忘れない。

 

親父も、そんな人だからこそ……この家でも、かなり好きにさせている。

命の恩人というだけでは、それほど屋敷の人間達から好かれてはいないだろう。

 

しかし……この優しい目は、それでも少し、恥ずかしく感じた。

だから、話を切り替える。

 

 

「それよりも!先生、今のは何だったんですか?」

 

「む?今の……あぁ、この巻藁を切った事か?」

 

「はい!凄かったです!」

 

 

先生が切断された巻藁を拾った。

……切断面は、恐ろしい程に滑らかだった。

 

巻藁は人の四肢と硬さが似ると聞いた事がある。

藁は肉を、竹は骨を表しているとか。

 

ならば、この切断は……先生なら刃がなくても、人体を切断できるという事実に他ならない。

 

 

「これは『飯綱(いづな)』だ」

 

「い、づな?ですか?」

 

「あぁ……」

 

「………え?」

 

「…………?」

 

 

あれ?

今ので話、終わり!?

 

説明が全くないので、俺は慌てて口を開いた。

 

 

「そ、その『飯綱』って、先生の必殺技ですか?」

 

「必殺……いや、必殺技ではない。そもそも、由太郎、必殺技なんて物は吾輩にはない」

 

「ない……ですか?」

 

 

心なしか、先生の視線が柔らかくなった。

……バカにしている、という訳ではないだろうけど……無知な子供を相手にするような目だ。

 

俺は顔が少し熱くなるのを感じた。

 

 

「必殺技……それ即ち、放てば相手を『必ず』『殺す』技の事だ。容易く、己の技能に『必殺』などと評する事はできない」

 

「そ、そうですか……そう、ですね」

 

 

恥ずかしくなって、視線を逸らす。

しかし、先生は言葉を続ける。

 

 

「まぁ、しかし……『秘剣』と言っても良い。吾輩にとって、此れは切り札だからな」

 

 

視線を戻す。

すると、先生も少し恥ずかしそうに頬をかいていた。

 

……恥ずかしがってしまった俺に合わせて、恥をかかせまいと『秘剣』と言ったのだろう。

 

思わず、俺は笑った。

 

 

「秘剣、ですか……秘剣『飯綱』って事ですね!」

 

「……あぁ、まぁ。そうなるな」

 

「カッコいいです!」

 

「……そうか?」

 

「はい!」

 

 

先生は苦笑して、また頬を掻いた。

そのまま、先生は金板を貼った棒を壁に立てかけ、切った巻藁を片付け始めた。

 

俺は数歩、近づく。

 

 

「手伝いましょうか?」

 

「いや、いい。由太郎は寝起きだろう?」

 

 

そう言って、先生は巻藁を脇に抱えて、蔵へ向かっていった。

後ろ姿は何も重い物を持っていないかのように、軽やかだった。

 

俺はそれを目で追って……視線に、先生が振るっていた金属の棒が見えた。

 

 

「…………ちょっとだけ」

 

 

……その柄に手を触れる。

握って、持ち上げようとして──

 

 

「……うっ、重……!」

 

 

少し、ズレただけだ。

重い、重過ぎる。

 

普段、俺が鍛錬で使っている重石の何倍も重い。

先生はこんな重い物を振るって……剣技を披露したのか。

 

大人と子供。

身体能力の差は……それだけでは説明が付かない程に乖離している。

 

何という怪力か。

 

思わず……手を離してしまいそうになり──

 

 

「由太郎、危ないぞ」

 

 

先生が俺の手の上から、手を触れた。

それだけで、急に重さを感じなくなった。

 

 

「せ、先生……」

 

「お前にはまだ、此れは少し早い」

 

 

柔らかく、硬い感触がある。

先生の手は滑らかで、それでも硬かった。

 

鍛えている手だ。

鋼のような硬さ……なのに、肌の感触は確かに女の物だった。

 

……顔が上気する。

身体が熱くなって、頭が(ぼー)っとする。

 

 

先生がもう片方の手で、刃にあたる部分の……巻き付いた金板を握り、棒を持ち上げた。

離れた手を惜しみつつも、思考が冷静になっていくのを自覚した。

 

そんな俺へ、先生が口を開いた。

 

 

「まだ基礎の鍛錬中だろう?剣を握るのは、まだ先だ」

 

「そ、そうですが……」

 

 

俺は左手で、自分の右袖を掴んだ。

 

先生は剣術を教えてくれない。

必要な訓練だと言われて、基本の鍛錬はしているけれど……教えてくれないのは、俺に剣の才能がないからではないかと……そう、疑ってしまっている。

 

視線を泳がせて……その様子を見て、先生はため息を吐いた。

 

呆れられたのか、見放されたのか。

思わず、口を開こうとして──

 

 

「由太郎、剣を振るうのに必要な筋肉とは、どこにあると思う?」

 

 

先生の問いが重なった。

 

 

「……『腕』ですか?それとも『肩』……」

 

「『全身』だ」

 

 

先生が金属棒を持ち、俺から背けて……構えた。

 

 

「『腕』『肩』……それも正しい。だが、それだけではない。『脚』や『腰』も……全身の力が必要だ」

 

 

上段に構え──

 

腕で剣を持ち上げ──

手で柄を強く握り──

身を捩り──

地面を踏み締めて──

 

振り下ろした。

 

 

 

 

 

刹那、風が俺の頬を叩いた。

 

とても綺麗な……まるで、神主が儀式を行うかのような……そんな、洗練された美を感じた。

 

 

「お前はまだ子供だ、由太郎。だから、今出来る事は……剣を握るための下準備だ」

 

「下準備……」

 

「基礎が組まれていない建物は、多少の揺れで崩れてしまう。剣術は……いや、万事がそうだ」

 

 

先生が真剣な目で……それでも、歯を見せて笑った。

 

 

「応用の後に基礎はない。基礎の後に応用がある。分かったか?」

 

「は、はい……」

 

 

正直に言うと、そう言われても剣は握ってみたかった。

だけど、先生が言う事ならばと……納得はした。

 

強く頷くと、先生も安心したように息を小さく吐いた。

 

 

「さ、由太郎。朝食の時間だろう?向かおう」

 

 

些細な事だと笑って、先生が俺の横を通り過ぎた。

俺は、先生の後ろを追って……慌てて歩き始めた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

塚山家に来てから半年。

着実に、物語の始まりへ近付いている。

だが、吾輩の周りでは何も変わった事はない。

 

塚山家に厄介になりながら、剣術の鍛錬を続けているだけだ。

 

 

近距離用の、剣に纏う『纏飯綱』。

遠距離用の、飛ぶ斬撃『飛飯綱』。

 

その二つの精度を鍛えている。

 

他に技は必要ない。

『纏飯綱』は真剣で放てば金剛すら切り裂く、防御不能の一撃。

『飛飯綱』は相手の間合いの外から一方的に攻撃する、反撃不能の一撃。

 

離れれば『飛飯綱』が、それを嫌い寄ってきた者には『纏飯綱』が効力を発揮する。

 

それだけで良いのだ。

小難しい何十という技は必要ない。

 

吾輩は器用ではない。

ならば、この二つをひたすら鍛えるのが正解だ。

 

十の手を持つよりも、最強の二を繰り出す方が強い。

それが吾輩の結論だ。

 

 

「……先生、よく食べますね」

 

 

横から、由太郎が興味深そうに声を掛けてきた。

 

朝食は白米、味噌汁、漬物、海藻の酢漬けだった。

吾輩はそれを山盛りにして貰っていた。

 

 

「適度な運動の後は、適度な食事が重要なのだ。剣客に取って身体は資本だからな」

 

「適度……ですか?」

 

 

由太郎が猫のような目を細めた。

……確かに、白米は富士の山の如く歪な見た目になっているが……適度だ。

 

吾輩は由太郎に視線を向けた。

 

 

「証拠に太っていないだろう?ほら──

 

 

吾輩が着物の裾を捲ると──

 

 

後ろから奉公人に止められた。

 

 

「いけませんよ!雷十太先生、はしたないですから!」

 

 

……まぁ、食事中に腹なんぞ見せる物ではなかったか。

食欲も減退するだろう。

反省せねばならない。

 

しかして、由太郎はその様子を見て、安堵の顔を浮かべていた。

 

 

だが、吾輩にも言い分はある。

 

この朝食会。

そこに由太郎の父、由左衛門の姿は無かった。

彼は朝から商談だとかで家に居ないのだ。

 

だから、気にするのは……食事を用意してくれた女の奉公人と、由太郎ぐらいだが。

 

流石に由左衛門や、男の奉公人がいる前で腹を見せるような事はしない。

そこまで吾輩は羞恥心を捨てていない。

 

 

咳払いをし、食事に戻る。

しばし、気まずさからか無言の時間が続き──

 

 

「……その、先生」

 

「何だ?由太郎」

 

 

何か……由太郎は少し吃り、目を瞬かせ……吾輩はそれを見ていた。

何かを話そうとしているが、緊張しているようだ。

 

しかし、それを急かすような真似はしない。

 

 

「えっと、今日……神社で縁日があるのですが──

 

「護衛か?構わないぞ」

 

 

由太郎は豪商である塚山家の跡取り息子だ。

そして、母親は居ない。

 

事情や、詳しい話は聞いていない。

だが、実子が一人しか居ないのであれば、塚山家の家督を継げるのは、由太郎のみ。

 

由左衛門も少々、過保護になるのも仕方のない事だ。

実際に身代金目的で、由太郎を誘拐するような奴もいるだろう。

 

……まぁ漫画の『石動 雷十太』のような悪漢に利用される事もあるだろう。

 

ならば、由太郎が外出する際に吾輩が護衛をするのも当然の事なのだ。

 

 

「え、あ……はい。先生には、一緒に来て欲しいんです」

 

「うむ」

 

 

味噌汁を啜る。

 

話は終わった……筈なのだが、由太郎の表情は少し強張ったままだった。

 

 

「……由太郎?」

 

「い、いえ……何でも、何でもありません!」

 

 

由太郎が飯をかき込む姿を見て……吾輩は背後の奉公人へ目を向けた。

女の奉公人は、吾輩を見て大きくため息を吐いた。

 

……何なのだろうか?

 

 

 

 

 

そして、食後。

 

吾輩は自室で、着ていた服を脱ぎ捨てた。

柔らかな布地で出来たものより、多少着心地が悪かろうと生地は分厚い方が良い。

衣服の上から身体の線が見えなくなるからだ。

 

何故か?

真の護身とは何か。

正しい護衛とは何か。

 

荒事が起きた時に即座に解決する力か?

否、それも重要だろうが本質ではない。

 

真の護身とは争いを起こさない事である。

悪事を働こうとする者の、戦意を喪失させること。

すなわち、威圧にある。

 

この時代、女の身である吾輩は侮られてしまう。

 

ならば、身体の線を見えなくし、浪人笠によって顔を隠し……男を装うのが正解なのだ。

 

吾輩は笠を手に取り、部屋の襖を開け──

 

 

「む?」

 

 

ニコニコと笑顔を浮かべる、先程の奉公人と顔を合わせた。

 

 

「雷十太先生、付かぬことをお伺いしますが、まさかとは思いますが……その格好で行くおつもりですか?」

 

 

しかし、口調は厳しい。

吾輩は困惑しつつも、首を傾げる。

 

 

「駄目なのか?」

 

「……当たり前、です!」

 

 

笑顔のまま、威圧感を増した奉公人に、吾輩は部屋へ押し込まれた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「……先生、遅いな」

 

 

御者を側にしながら、馬車の前で俺は待っていた。

いつもならば、もっと早く準備する筈だ。

 

先生は常在戦場の人……という訳ではないが、何事も早い。

着替えも、支度も……ふ、風呂も……。

 

故に、何故遅いのかと考えていると──

 

 

「すまない、待たせたな」

 

 

想定していた方向とは逆から、先生の声が聞こえた。

 

 

「いえ、全然待っていませ──

 

 

そこには普段の動き易さ重視の服装ではない、色鮮やかな布地で出来た……着物を着た先生が居た。

 

石に、なってしまうかと思った。

あまりの衝撃で、身体の機能が全て停止してしまったかと思った。

 

それほど、先生の姿に驚き……魅力的に感じていた。

 

 

「……ほら、やはり似合っていないだろう」

 

 

先生は半笑いで、奉公人を睨んだ。

彼女は……朝食の時に居た奉公人か。

 

しかし、奉公人は先生に睨まれているにも関わらず、俺へ視線を向けた。

 

 

「今からでも、いつもの服装に着替えた方が──

 

 

そう、先生が口にした。

慌てて、俺は首を横に振る。

 

 

「いえ!先生、とても似合ってます!」

 

 

思わず声が大きくなり、響いてしまう。

恥ずかしさに顔が熱くなる。

 

……先生はそんな俺を見て、目を瞬いた。

そして、一拍置いて目を細め……穏やかに微笑んだ。

 

 

「そうか。ありがとう、由太郎。世辞と言えども嬉しい」

 

「い、いえ……お世辞ではなく、事実ですから」

 

 

なんて一言、二言交わして……ふと、視線に気付いた。

奉公人の視線だ。

 

……目が笑っていて、微笑ましいものを見るような目で俺を見ていた。

 

 

「……せ、先生!早く行きましょう!」

 

「む?あぁ……そんなに急がなくとも、縁日は逃げはしないぞ」

 

「だとしても、です!」

 

 

先生の背を押して、馬車に乗せた。

本気になれば抵抗もできるだろうが、為されるがままに俺でも押し込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

祭りの主題なんて知らないけれど、それでも賑やかな雰囲気に俺は胸を沸かせていた。

 

日中だというのに灯っている提灯に気を取られながら、歩く。

先生も俺の後ろに付いてきてくれている。

 

今、先生は女性らしい服装をしている。

ただ、それでも竹刀袋を持ち、刀を隠し持っている。

 

それが、俺の誘いで遊びに来た訳ではなく、俺の護衛として来ているのだと……そう気付かされて、少し心に靄が掛かる。

 

 

「先生、次、あっちに行きましょう!」

 

「あぁ、構わない」

 

 

屋台に売っている菓子や、食事……それらは家で食べるものよりは美味くない。

ただ、それでも美味しく感じるのは何故だろうか。

 

特別な環境が香辛料(スパイス)となっているのか。

 

焼いた烏賊(イカ)を齧りながら、そう思った。

先生も俺と同じものを食っている。

 

人混みに紛れ、流れに沿って屋台を回る。

先生は身長が高いから、周りより頭一つ抜けて……少し目立っている。

 

耳を澄ませば……「顔は悪くない」だの「それでも背が高すぎる」だの「肌が白くない」「気が強そうで好みじゃないな」等と……好き勝手に言っている。

 

こそこそと話す輩に、少々腹立たしく感じる。

 

無意識のうちに口を尖らせていると……頭を撫でられた。

 

 

「う、わっ……先生?」

 

「気にするな、由太郎。吾輩は気にしていない」

 

 

見上げると、俺を安心させようと優しく微笑んでいた。

 

……そうだ。

先生は俺なんかよりも耳がよく、護衛という自覚を持って周囲も警戒している。

ならば、彼らの声が耳に届くのは当然なのだ。

 

しかし。

 

 

「……先生は──

 

「む?」

 

 

それでも。

 

 

「先生はとても、綺麗ですよ」

 

 

悪く言われるのは堪らなく嫌だった。

 

 

「…………」

 

「……あっ」

 

 

しかし、恥ずかしい事を言ってしまったのだと気付いてしまった。

 

だけど、俺の本心に違いはない。

 

先生は綺麗だ。

 

立ち振る舞いも、剣を振るう姿も、その在り方も……強さも……容姿も。

 

俺は、それを綺麗だと感じた。

可愛い、ではなく……美しいという程に上品でもなく……研ぎ澄まされた刀身のような綺麗さがあると思ったのだ。

 

 

また、先生に頭を撫でられた。

 

 

「……由太郎は優しいな」

 

「……そ、そんな事はありませんよ」

 

 

撫でられるのは嫌いじゃない。

だけど……少し、ほんの少しだけ、悔しいと感じた。

 

先生にとって俺は子供なのだ。

頼れる人間ではなく、対等な人間でもなく、守るべき人間なのだ。

 

だからもう少し、五年でも良いから、俺が早く生まれていれば……なんて、考えてしまう。

 

先生と並び、屋台の合間を歩く。

日中に照らしている提灯の明かりのように、この感情は……先生には気付かれもしないだろう。

 

先生は……今、いつもと違い綺麗な格好をしている。

町娘がお洒落をする時に着るような着物を着ている。

 

しかし、髪型は少し荒い。

整えている時間がなかったのか、合う(かんざし)が無かったのか。

 

(かんざし)……。

 

 

「先生、ちょっと行きたい場所があるんですけど……」

 

 

そう言って、俺は先生の手を……引こうと迷って……手首に、俺の指が触れた。

 

先生は少し不思議がる表情を浮かべ……頬を緩め、おれの手を握った。

 

 

「構わないとも。由太郎に付き合おう」

 

「……は、はい!」

 

 

少し声が上擦って、ぎこちない俺を微笑ましそうに見ながら、先生の手を引く。

 

縁日の屋台通りを過ぎて、一度だけ……来た事のある店頭に到着した。

 

 

「……ここは?」

 

「小間物の店です!」

 

 

親父が取引先の、海外の女性に贈り物をする際、ここで買っていたのを思い出した。

ここには櫛や簪、紅などが売っている。

 

 

「……欲しい物でもあるのか?」

 

「えぇ、そうです……!」

 

 

女性用の品が多い店だ。

俺が来たいと言うような店では無さそうだろう。

実際、今の今まで頭の中に、ここに来る選択肢は無かった。

 

だから、先生は俺の考えが分からず不思議そうにしているのだろう。

 

 

店主は俺の事を覚えていた。

塚山家、いや親父はここのお得意さんらしい。

 

一度しか来た事はないのに、得意先の息子の顔を覚えているのだから……その点、尊敬出来た。

いや、そこまで強かではないと商人としては成功できないという事だろうか。

 

なら……親父も──

 

 

いや、今はそんな事を考えなくて良い。

 

 

並べられた(かんざし)と先生を交互に見る。

正直、俺にお洒落は分からない。

 

だから、何が良いかなんて分からない。

どの(かんざし)に価値があるかなんて、少しも分からない。

 

悩んでいると、先生が顔を覗かせた。

 

 

「……由太郎?誰に贈るつもりなんだ?」

 

「それは……その、まぁ……後で良いじゃないですか……?」

 

「む……」

 

 

無理矢理に誤魔化すと、先生は目を細めながら首を傾げた。

 

俺は店主が並べた(かんざし)の中から……一つ、手に取った。

花や鳥、月のような華やかな飾りは付いていない。

 

ただ真っ直ぐに、飾り立てず……研ぎ澄まされた美しさがあった。

……薄く黄色く、飴のような色をしている。

 

 

「……店主、これを」

 

 

店主を呼んで、その(かんざし)を買った。

値段はそれなりにした。

何でも、べっ甲で出来ているらしく……俺が貯めていた小遣いを全て使ってしまう程に。

 

店主はそれを、紙に包み手渡してくれた。

 

先生も興味深そうに見ながら……俺と先生は店を出た。

 

 

「……結局、誰に贈るのだ?」

 

 

そして、先生が俺へ耳打ちした。

……そんな俗っぽい事に、先生も興味があるのかと思えば……何故か少し嬉しく感じた。

 

俺は紙袋から簪を取り出し──

 

 

「せ、先生に……ですよ」

 

 

先生に手渡した。

 

先生は手に持った、べっ甲の(かんざし)を不思議そうに見て……俺へ視線を戻した。

 

 

「……何故?」

 

「それは……俺が普段から世話になってるからですよ」

 

 

そう言っても、先生は納得していないように首を傾げる。

 

 

「しかし、塚山家には吾輩も世話になっている。食事も用意してもらっているが──

 

「俺が……!その、俺が贈りたかったから、では……駄目、ですかね?」

 

 

勇気を振り絞り、そう格好付ける。

恥ずかしさで顔が熱くなる。

 

先生に笑われてしまわないか心配で──

 

 

「……すまない。いや、嬉しいよ。由太郎」

 

 

茶化す事なく、馬鹿にする事もなく、嬉しそうに先生は笑った。

 

そして、左側の髪を流し……巻くように(かんざし)を刺した。

先生の耳元と、(うなじ)が露出した。

 

それを見て……心臓が痛くなりそうなほど鳴り響いた。

 

 

「む……(かんざし)の使い方、これで合っているか?」

 

「え、えっと……すみません、俺はちょっと分からないです」

 

「……吾輩も幼い頃に着けたことがある程度だからな。自信はないが──

 

 

先生が(かんざし)の挿さった髪を、見せ付けるように撫でた。

 

 

「似合っているか?」

 

 

そう、少し照れるように言った。

しかし、目元には若干の不安が滲んでいるように見えた。

 

俺は……大きく頷いた。

 

 

「勿論、似合ってます!俺が選んだんですから!」

 

「ふふ、そうだな。由太郎が選んだのだ……似合わぬ訳がないか」

 

 

笑いながら、先生と共に歩く。

空は若干、茜色に染まりつつあり……べっ甲が夕焼けを反射し、煌めく。

 

 

「……大切にするよ、由太郎」

 

 

……今日、ここに来て良かった。

心の奥底から、そう思えた。

 

 

「……さて。これ以上、遅くなれば由左衛門も心配するだろう」

 

「え、あ……はい!そうですね、帰りましょう」

 

 

先生に連れられて、馬車を止めていた方へ戻る。

 

先生はいつもより柔らかな目をしていた。

普段は何か、憂うような……少し影のある瞳をしている。

だが、今日だけは普通の人のように……優しく、楽しそうに微笑んでいた。

 

 

それが堪らなく、俺には嬉しくて──

 

 

 

先生が、足を止めた。

 

 

「……先生?」

 

 

その目は……先程までと異なり、また何か憂うような目をしていた。

口は一文字に噤んで、何かに目を向けている。

 

……俺はその視線の先へ、目を向ける。

 

 

それは、先程すれ違った人間だった。

腰に帯刀している。

 

剣客────

 

しかし、中性的な顔に、伸びた赤髪を纏めている。

強そうに見えはしない。

 

そんな人間の後ろ姿を、先生は見ていた。

 

 

「……もう、ここまで来ていたか」

 

 

そして、小さく呟いた。

 

何が言いたいのかは分からない。

俺は困惑しつつも、もう一度視線を戻す。

 

既に赤髪の剣客は、人混みに紛れて……見えなくなっていた。

 

何者だったのか。

気になった俺は先生へ問うた。

 

 

「……お知り合いですか?」

 

 

先生はハッとして、俺へ視線を落とした。

 

 

「いや……吾輩が一方的に知っているだけだ」

 

「そう、なんですか」

 

 

そう、気にするなと……言って先生は何事も無かったかのように歩き出した。

しかし、先生の目は……少し険しかった。

 

あの剣客……左頬に『十字傷』のある男。

アイツ……一体、先生の何なんだ?

 

先生は昔の事を語りたがらない。

自分の事も語りたがらない。

 

きっと、訊き直しても詳しくは答えてくれず、はぐらかされてしまうだろう。

 

歯痒い感情。

心に突き刺さった魚の小骨のような物を感じながら……俺は黙って、先生の後ろを歩いた。

 

こんな質問をして、先生に嫌われたくなかったからだ。

そんな事を知らなくとも、きっと先生は俺の側に居てくれる。

これからも、ずっと……無根拠な自信で、そう信じていた。

 

だからこそ……俺は、訊かないという選択肢を選んだ。

この選択が正しいのか、誤っていたのか……それは、子供である今の俺には分からなかった。

 




次回、「剣心・緋村 抜刀斎」
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