TSおねショタ雷十太   作:WhatSoon

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第八幕「月華の秘剣」

深夜、塚山邸。

吾輩は縁側に座り、夜風に当たっていた。

 

空には少し欠けた月が浮かんでいる。

月見をするには少し風情がない。

 

それでも吾輩は何を飲む訳でもなく、何を食う訳でもなく。

ただ、月を見ていた。

 

膝下に置いた鞘に触れる。

少し抜いて、刀身に映る自分を見る。

 

……酷い顔をしている。

陰鬱で、覇気も感じられない顔。

 

また、ため息を吐く。

 

……今日も日中、由太郎は神谷道場に行っていた。

吾輩に隠すようにして、一人で。

 

それを責めるつもりはなく、それ自体に不満がある訳でもない。

寧ろ、吾輩の企みは上手くいったのだと喜んでいる。

 

しかして、初日。

由太郎が薫に放った言葉が脳裏に焼き付いていた。

 

 

『けど、やっぱり……俺、強くなるのは雷十太先生のもとがいいから』

 

 

……そう言って、神谷活心流を学ぶ事を拒否していた。

 

 

その言葉を聞いた時──

 

 

『吾輩』は落胆した。

『私』は安堵してしまった。

 

 

由太郎が神谷活心流に……活人剣を学ぶように仕向けた筈だ。

それが失敗したのだから、落胆するべきなのに。

 

なのに、私は……由太郎の言葉に──

 

 

「……何もかも、中途半端だな。『私』らしい」

 

 

相反する感情に動揺し、それを剣心に悟られ……隠れていた場所がバレそうになったのは、一生の不覚だ。

 

そうして吾輩は、深く息を吐き出した。

自分の中にある泥のような渦巻く感情を全て吐き出せたら……なんて考えて。

 

……ふと、足音が聞こえた。

子供の重さとは違う音、その持ち主は──

 

 

「……由左衛門か」

 

「雷十太先生、眠れないのですか?」

 

 

私の雇い主、由太郎の父親だ。

少しは姿勢を正すべき……なのだろうが、そういった事をしなくていい程には、気心が知れた仲だ。

 

縁側に腰を下ろしたままでいると、由左衛門が隣に座った。

 

 

「……少し、気に掛かる事があってな」

 

「そうですか……それは、由太郎の事ですか?」

 

 

その問いに吾輩は少し迷い、首を縦に振った。

 

 

「吾輩は、由太郎に幸せになって貰いたい。だが、今の自身の行いが正しいのかと……何度も考えてしまう」

 

「……分かりますよ。なんと言っても私は親ですからね。子育てとは難しいもので」

 

「それを言えば、吾輩は部外者だからな。幾分かはマシ──

 

「いいえ、先生は部外者ではありませんよ」

 

 

その言葉に、由左衛門の顔を見る。

世辞ではなく、気遣いでもない。

 

 

「先生は私達にとって、家族ですから」

 

 

心の底から……そう、嘘もなく言った。

その言葉を嬉しいと思いつつ、重石のように感じてしまう。

 

責任。

吾輩はそれを背負う事を忌避していて、目の前の男はそれを背負う事に躊躇がない。

 

 

「……強いな」

 

「私が、ですか?先生の足元にも及びませんが」

 

 

力ではなく、心が、だ。

明治維新後の世界、確かに力の強さも必要になる場面があるかも知れない。

しかし、それは例外。

力よりも心の強さが重視される事の方が多いだろう。

 

彼は一家の大黒柱として財を成し、それでも善性を保ち続け、家族を養っている。

どちらかと言えば普遍的だ。

 

だが、その普遍性を守る事が難しい事を吾輩は知っている。

 

 

「……由左衛門には世話になってばかりだ。すまない」

 

「構いませんよ。世話になっているのは、私もそうですから」

 

「……そうか?」

 

「ええ。由太郎の面倒を見てくれているでしょう?あの子の良い先生として、振る舞ってくれているではないですか」

 

「……そう、だろうか」

 

 

そんな事はない。

吾輩は……彼の模範になれない。

導く事は出来ない。

 

そんな吾輩の顔を見て、由左衛門は小さくため息を吐いた。

 

 

「謙遜……ではないですね?自己評価が低いのは先生の欠点ですよ」

 

「……正しく己を評価してるつもりだが」

 

「いいえ、全く出来ていません」

 

「自惚れるよりはマシだろう」

 

「貴女は少し自惚れた方が良いぐらいです」

 

 

なんて笑われて、少し眉を顰めた。

そうして由左衛門は立ち上がり、笑顔を返してきた。

 

 

「えぇ、そうですよ。もっと自身を肯定すべきです。自信満々に胡座でも掻いて、いつまでも此処に居て良いのですから」

 

「……だが」

 

「要は何がしたいか、何処に居たいのか……それだけで良いのです。人は我儘なぐらいが丁度良いのですから」

 

「…………」

 

「先生。春先とは言え、夜は冷えます。あまり夜風に当たり過ぎないよう」

 

 

その背を目で追いながら、吾輩は……強く、刀の柄を握った。

自身を含めて幸せになれる道……そんなものは……筋書きには無く。

定められた筋書きに沿う事が由太郎の為になると……そう信じている。

 

それが、揺らぐ。

揺らいではならないと、己を叱責する。

 

それでも、揺らぐ。

決意を揺らげてはならぬと、己を戒める。

 

 

最早、猶予は無い。

 

 

己がこれ以上、惰弱になる前に……動かねばならない。

立ち上がり、目を強く瞑った。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

かつかつと、お椀に入った白飯を口に含む。

やっぱり、稽古の後のご飯は美味しい。

 

日課になりつつある、神谷道場での稽古後、道場にいた全員で牛鍋屋の『赤べこ』に来ていた。

一度、先生とも来た事がある飯屋だ。

前と変わらず、美味しい。

 

空になった茶碗に視線を落として……『赤べこ』の前掛けをした弥彦に視線を向けた。

 

 

「そこの店員サン、おかわり頼んで良いか?」

 

「……チッ、てめぇに食わせるメシなんてねーよ」

 

「なんだと?俺は客だぞ?」

 

「あーあー、やだねぇ。金払ってるからって偉そうな客は」

 

 

悪態を吐きまくる弥彦にイライラしつつも、店内だという事で我慢する。

 

弥彦は何故か『赤べこ』日雇いで裏方の雑用をしている。

理由を薫さんに聞いたら「うーん、勝手に話す事じゃないから……」なんて言われてしまった。

 

訝しんでいると──

 

 

「弥彦くん、ダメですよ……お客さんにそんな事言ったら」

 

 

なんて弥彦に声を掛ける少女は現れた。

年齢は俺達と同世代ぐらいか……弥彦と違い『赤べこ』の制服を着ている。

髪の短い……まぁ、可愛らしい女の子だった。

 

 

「は?別に良いんだよ!」

 

「ひゃっ……」

 

「燕も覚えとけ!コイツにはコレぐれぇの扱いで──

 

 

直後、弥彦の頭に拳骨が落ちた。

落としたのは薫さんだ。

 

 

「燕ちゃんを怖がらせるんじゃないの!」

 

 

……成程、燕って言うのか。

随分と弥彦と仲が良さそうだし……ははぁ、そういう事か?

 

頭を殴られた弥彦は涙目になりながら、俺達をじとっとした目で睨んだ。

 

 

「くそ……俺に味方はいねぇ!みんな敵だぜ……!」

 

 

なんて悪態を吐くものだから、トリ頭……左之助がため息を吐いた。

 

 

「いじけんなよ。みっともねェ」

 

 

そして、箸で肉を掻っ攫った。

 

一つ、大きな鍋を囲って俺と薫さん、剣心と左之助の四人で食事している。

そんな鍋で肉ばかり食う行為は、かなり不躾な事なのだが。

 

それに、この食事代を払っているのは薫さんだ。

せめて、俺の分ぐらいは親父から貰っている小遣いで払おうとしたけれど……遠慮されてしまった。

 

なのに、左之助は肉ばかり食っている。

なんて図々しい奴だ。

 

食事も終盤、漬物を口に含んでいると……剣心が俺に視線を向けていた。

気になって、茶碗を置く。

 

 

「……なんだよ?」

 

「いや何……少し訊きたい事があるのだが、良いでござるか?」

 

 

訊きたい事?

訝しみながらも頷く。

 

 

「内容によりけり、だな」

 

「……では、雷十太殿の事について訊いて良いでござるか?」

 

「……先生の?」

 

「そう、雷十太殿について教えて貰いたいでござるよ」

 

 

ピクリ、と視界の隅で弥彦が動いた。

……気になっているようだ。

 

 

「ふん、嫌だね。先生とお前は敵だろ……?そう易々と、それも勝手に、手の内を晒して良い訳がないだろ」

 

 

目の前の男が良い奴だってのは分かってる。

善良で優しく、強い剣客だって知っている。

 

だからと言って、先生の敵である事に変わりない。

仲良くしても良いが、勝手に先生の剣技について話すつもりは──

 

 

「そうではなく、雷十太殿の人柄について教えて欲しいでござるよ」

 

「人柄……?」

 

 

剣心の言葉に薫さんも頷いた。

 

 

「私も気になるわ」

 

「おう。俺も知ってんのは通り名と、前の庭園の盗み聞きぐれぇだからな」

 

 

左之助も同意し、弥彦は黙って俺達の近くまで来て突っ立っていた。

 

 

「それなら、まぁ……」

 

 

……これは先生の名誉を守る好機だ。

俺は何を話そうか迷い……脳裏に焼き付いている、あの夜のことを思い出した。

 

 

「先生に初めて会ったのは──

 

 

ぽつり、ぽつりと話す。

 

あの夜、凶賊から助けてくれた先生の姿を。

悪党を一撃で打ち払った強さを。

……真っ先に俺を心配してくれた優しさを。

 

 

「……そうでござったか」

 

 

剣心が頷くと同時に、左之助が訝しむような顔をした。

 

 

「あの雷十太が人助け、ねぇ?なんか嘘くせー話だな」

 

 

その言葉に俺は目を見開いた。

 

 

「黙れトリ頭!嘘じゃない……!先生は優しいんだ……!無口で無表情だから、みんな誤解してるだけなんだよ……!」

 

「お、おう……そうか、そりゃ悪かったな?」

 

 

左之助はたじたじ、と言った様子で申し訳なさそうに謝罪した。

こいつはクソ野郎だが、弥彦と違い大人だ。

悪いと思ったことはキチンと謝る人間のようだ。

 

薫さんに背中を撫でられた。

 

 

「由太郎君は、その雷十太先生の事を信じているのね」

 

「あ、あぁ……先生は本当に凄いんだ」

 

 

剣心も弥彦も興味深そうに耳を傾けてくれている。

俺は……込み上がってくる思いを口にする。

 

 

「先生は強くて──

 

 

あの夜、悪漢を打ち払った瞬間を思い出した。

 

 

「剣術も凄くて──

 

 

俺の目の前で巻藁を容易く斬った瞬間を思い出した。

 

 

「勉強熱心で──

 

 

夜中、書斎で本を読んでいる先生を思い出した。

俺が覗いている事に気付くと、小さく微笑んで手招いてくれた。

灯りの油が切れるまで、並んで本を読んだ。

 

 

「誰にでも優しくて──

 

 

街中で迷子になっている子供を見つけた時を思い出した。

先生はその子の両親が見つかるまで、手を繋ぎ探した。

引き合わせた母親が謝礼を渡そうとしても受け取らず、子供の頭を撫でて別れた。

 

 

「でも……少し、抜けてる所があって──

 

 

奉公人に頼まれて、先生が朝食の火の番をした日を思い出した。

その日の、俺の朝ごはんは酷く焼けこげた卵焼きだった。

……先生の皿の上にあった卵焼きは、俺よりももっと焦げていたけれど。

マシな方を俺に回したのだと、何となく分かったんだ。

 

 

「……涙脆い所もあって──

 

 

時折り利用していた商会の、跡取り娘が病死した時を思い出した。

先生は無表情のまま涙を流して、墓に花を供えていた。

 

 

「強いけど……弱い所もあるんだ」

 

 

そう、俺が言うと左之助が片眉を上げた。

 

 

「なんだそりゃ。よくわかんねぇな」

 

 

反論する事もせず、俺は俯いた。

なんだか、体が熱くなって……心の芯が痛くなっていた。

 

左之助の所為ではない。

ただ、昔の事を考えると、どうしてか苦しくなってしまう。

 

思い出の中の先生は、いつも綺麗だったから。

 

そんな俺の頭を、剣心の手が触れた。

 

 

「拙者には分かるでござるよ」

 

「……何が、分かるっていうんだよ」

 

「拙者、由太郎殿の事は信用しているでござる。そんな由太郎殿が信用しているのだから、それはきっと真実だと……拙者も、そう信じられるでござるよ」

 

 

そう言われて……何故か、服の裾が濡れた。

それが自分の流した涙だって、そう気付くのに少し時間が掛かった。

 

目元を拭うと……肩を小突かれた。

振り返ると、不機嫌そうな顔の弥彦が居た。

 

 

「っ……何だよ」

 

「あぁいや……何だ?その……」

 

 

歯切れが悪そうにしている。

 

 

「……はっきり言えよ。男が泣くのはダサいって」

 

「ち、違ぇよ。そうじゃなくて、なぁ……」

 

 

弥彦は頬を掻いて、気まずそうにして──

 

 

「悪かったな」

 

 

何故か、謝った。

 

 

「……何が、だよ」

 

「お前のセンセーの悪口言って、悪かったって言ってんだよ」

 

「……何で今更」

 

「別に良いだろ……クソッ、俺は謝ったからな!」

 

 

そう言って俺を睨んで来た。

……全く、何なんだコイツ。

 

お陰で涙が引っ込んでしまったじゃないか。

 

 

「じゃあ、まだ俺は仕事があっから……チッ、柄でもねー事しちまったぜ……!」

 

 

そう言いながら、弥彦は『赤べこ』の奥の方へ消えていった。

その姿を見た薫さんは少し笑っていた。

 

 

「……素直じゃないわね」

 

「だな」

 

「そうでござるな」

 

 

三人が頷いて……弥彦は、愛されてるんだな……なんて、心からそう感じた。

茶碗に視線を落として……薄い黄色の沢庵に箸を伸ばした。

 

日は落ちて、少しずつ東京を赤く染めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日は更に落ちて、夕と夜の狭間。

暗くなって来たからと『赤べこ』から、そのまま家まで送ってくれる事になった。

 

林道を歩きながら、ふと思った。

 

先生と初めて会った場所も、こんな場所で、こんな時間だったな……なんて。

先生が真剣を振るった所を見たのは、あの時が最初で最後だった。

 

だけど、その強さに……俺は綺麗だと、そう憧れたんだ。

 

だから、今でも。

 

 

「緋村 剣心」

 

「おろ?何でござるか?」

 

 

前を向いたまま、少し後ろにいる剣心に話しかける。

 

 

「いずれ、先生と戦うんだろ?」

 

「……それは、拙者にも分からないでござるよ」

 

「でも先生は何故か戦いたがってるけど」

 

「……それでも、拙者に争うつもりはないでござるよ」

 

 

砂利を踏む音が耳に響く。

 

 

「でも、もしも……戦う事になったらさ。その時は正々堂々戦って欲しいんだ。真っ向勝負で……前は先生が負けたかも知れないけどさ。次は──

 

「由太郎殿」

 

 

剣心の声は少し鋭かった。

砂利を踏む音が、止まる。

 

振り返ると……剣心は柄に手を当てながら、後ろを見ていた。

 

それに薫さんが反応した。

 

 

「剣心?」

 

 

それに左之助が反応した。

 

 

「……オイ、どうした」

 

 

それに弥彦が反応した。

 

 

「あ?何かあったか?」

 

 

俺を含む四人に訝しまれても、剣心は警戒するような表情で……今まで歩いて来た道を見ていた。

 

そして、口を開いた。

 

 

「……古流剣術に於いて、歩法は隠されるべきものとされている」

 

 

何故、そんな事を言い始めたのか分からなくて俺は困惑する。

薫さんも、弥彦も。

 

しかし、左之助は何か気付いたようで……顔を険しくさせた。

 

 

「素早い飛び込みには『地を蹴る事』が重要であるが……逆も然り。地を蹴らず、踏み鳴らさず……隠して、見えぬようにする事で攻撃の所作を見破れないようにする」

 

 

少しそうしていると……耳に少し、砂利が転がる音が聞こえた。

とても、小さい音だ。

 

それが俺達が歩いて来た場所から聞こえたんだ。

 

 

「地を滑るように……静かに。聞こえず見えず。それ即ち、古流歩法の奥義。そうでござるな?」

 

 

空を覆っていた雲が掃けると……ようやく、俺達の後ろから誰かが……足音を消して追って来ていたのだと気付いた。

 

 

「雷十太殿」

 

 

そこに居たのは先生だ。

いつもの服装で、頭には浪人笠をかぶっていて……表情は分からない。

 

しかし、その手には……既に、真剣が握られていた。

 

 

「せ、先生?」

 

 

しかし、俺の言葉は聞こえない素振りで……視線は剣心へ向いていた。

 

 

「……よく気付いたな」

 

「獣よりも静かであった……故に、お主だと気付いたでござるよ。音を無くそうとする人の意思があった故に」

 

「……それで気付くのは貴様ぐらいだ」

 

 

剣心の表情は険しい。

真剣の抜刀……二人は剣客。

ならば今から行われるのは、命の奪い合い。

 

背筋が冷たくなる。

先生が負ける事はないと信じている。

だけど、それでも──

 

 

「せ、先生!」

 

「……何だ」

 

 

少し前に出て、声を出せば……無視できないと思ったのか、先生が声を出した。

いつもと違う、冷たい声色だ。

 

だけど、怯えずに声を振り絞る。

 

 

「緋村 剣心は悪い剣客ではないです!真剣での勝負なんて、先生にはして欲しくな──

 

「口を噤め、由太郎」

 

 

そう言われて、反射的に黙ってしまう。

先生から威圧感を感じた。

肌に痺れるような感覚がして、腰が抜けそうになって──

 

 

「由太郎殿、拙者の後ろに」

 

 

庇うように、剣心が俺の前に立った。

それだけで、少しマシになって……息を深く吐いた。

 

そんな俺の様子を見て、剣心の目は鋭くなった。

 

 

「離れるでござるよ、薫殿。弥彦を連れて」

 

「う、うん……」

 

 

薫さんが頷き、弥彦を連れて……道の横へ離れた。

左之助はそんな二人を庇うように立っている。

 

 

 

「由太郎殿も」

 

「で、でも──

 

「頼む、でござるよ」

 

 

その目があまりに真剣だから……俺はボヤけた視線のまま頷いて、左之助達の方へ合流した。

そうして、剣心と先生が向き合った。

 

 

「それで……雷十太殿。拙者の話した言葉を考えた上での行動でござるか?」

 

「無論」

 

 

それでも、剣心は柄に手を乗せたまま……刃を抜かなかった。

 

 

「拙者はお主と戦うつもりはない、そう言った筈だが」

 

「貴様に無くとも、吾輩にはある」

 

 

何かが軋む音がした。

先生の存在感が大きくなった……気がした。

俺が、弥彦が……薫さんが、左之助が息を呑んだ。

 

しかし、存在感に晒されている剣心は……何事もないかのように、少しの反応もしなかった。

 

 

「……お主が何をしようとも、拙者に剣を抜くつもりは──

 

 

瞬間、地面が爆ぜた。

先生が踏み込んだ反動で、砂利が舞う。

 

 

「せ──

 

 

俺が声を出すよりも早く、技が放たれた。

 

 

秘剣『飯綱』。

 

刀身が蜻蛉のように歪んだ。

 

見せて貰った事が何度かある。

刃のない棒でも巻藁を切り裂く、先生の秘剣。

 

しかし、今握っているのは竹刀でも金属の棒でもない。

真剣だ。

故に……何倍も鋭く、速く、剣が振り下ろされた。

 

凡そ、金属音ではない切断音が響いた。

 

 

「先生!?」

 

 

しかし、剣心は数歩引いており……切ったのは地面だけだ。

敷き詰められた砂利が、幾つか切断され綺麗な断面を見せていた。

 

先生は剣を持ち上げ、再度上段に構えた。

 

 

「緋村 剣心……いや、人斬り抜刀斎。まだ、剣を抜かぬか」

 

 

……人斬り、抜刀斎?

俺は頭の中で、微かに聞いた事がある人斬りの伝説を思い出した。

 

緋村 剣心が、その抜刀斎、なのか?

その強さの秘訣に納得しつつ、あの優しい剣客が人斬りだった事に……少し、恐怖する。

 

 

「……雷十太殿。まだ間に合うでござる。その剣を納めて──

 

 

また、地が爆ぜた。

 

上段から剣が振り下ろされる。

それを剣心は回避するも……追撃が迫る。

 

その追撃すら剣心は避けるが……地は切り裂かれ、背後の木も寸断された。

 

当たれば致命傷なのは、俺でも理解できる。

故に、先生が本気で剣心を殺そうとしているのだと……理解した。

 

俺が呆然としていると、左之助が目を細めた。

 

 

「どんなに威力があろうと、当たらなきゃ意味がねぇ。だが……あのままだと、ちと拙いな」

 

「拙い……?」

 

「反撃しねぇなら、攻撃は止まねぇ。雷十太が疲弊するのが先か、剣心に当たるのが先か……分の悪過ぎる賭けだぜ」

 

 

先生が剣を薙いだ。

その剣、全てが『飯綱』。

全てが致命傷に繋がる。

 

そして、微か、数歩の踏み込みが状況を変えた。

 

剣心の服の袖を切ったのだ。

 

 

「剣心!?」

 

「な、何やってんだ!?」

 

 

薫さんと弥彦が声を上げた。

 

と、同時に剣心は地を蹴り……大きく距離を取った。

いつも着ている赤い和服の袖に、大きな切り口が出来ている。

 

 

「安心しな、嬢ちゃん。切れたのは袖だけだ」

 

 

左之助の言葉に、確かに袖に血が付いていないと……納得した。

 

ホッとするような顔を薫さんが浮かべた。

対して弥彦の顔は、まだ険しい。

 

 

「……アイツ、あんなに強かったのかよ」

 

 

そう、小さく呟いていた。

今じゃなければ喜んでいたかも知れない。

 

だけど、今……この状況。

世話になった人を、先生が殺そうとしている。

 

その状況であれば、素直に喜ぶ事は出来なかった。

 

 

しかして、先生が刀を背負うように構えた。

独特な、構え……見た事のない、構えだ。

 

浪人笠から僅かに見える口元が、微かに笑っていた。

 

 

「どうやら貴様は、『纏飯綱』の方で(たお)せんらしい」

 

 

……(まとい)

飯綱は……見せて貰った方、だけじゃない、のか?

 

 

「こちらの『飯綱』は奥の手だったが……抜刀斎、貴様には出し惜しみなど出来ぬようだ」

 

「雷十太殿……」

 

 

剣心が警戒するような目をしている。

強く、強く、先生が振りかぶる。

 

その刀身が、歪む。

 

 

「往くぞ」

 

 

そして、明らかに……刀身の届かぬ範囲で、剣を振るった。

空気が弾けて、何かが切断される音が聞こえた。

 

何が起こって──

 

そう、思った瞬間……剣心が肩から血を流し──

 

 

背後にいた俺の、右腕に……鋭い、痛みが走った。

目の前で、赤い血が舞った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

目の前で、雷十太殿が剣を振りかぶった。

間合いの外の筈だ。

 

だが、しかし……あの日、あの夜でも見た異常な制空権。

その射程の内に、拙者は入ってしまっている。

 

これがハッタリではないのであれば──

 

 

剣が振るわれた。

 

 

瞬間、違和感。

肌で感じる空気の、不自然さ。

 

 

何だ?

 

 

即座に横へ回避した。

『何か』が刀身から『放たれた』。

見えない『何か』が。

 

斬線の軌道から離れようとして……一手、遅れた。

 

肩に、痛み。

 

 

「っ!?」

 

 

『何か』に切られた。

 

衝撃を感じながらも、地を滑るように転がる。

肩を手で押さえる。

 

傷は……浅い。

皮膚の表面を剃刀で切ったような傷。

血が流れているが、見た目よりは重傷ではない。

 

これならば──

 

 

「由太郎君!?」

 

 

瞬間、己の失態を悟った。

拙者の背後には、由太郎が居た。

 

 

「由太郎!」

 

 

思わず、敬称を忘れてしまう程の衝撃。

由太郎の着ている服の袖が、赤く滲んでいた。

 

 

「お、おい!大丈夫かよ!?」

 

 

少し遅れて弥彦が、倒れそうになっている由太郎を支えた。

 

 

「ぐ、うぅ……()っ……」

 

 

由太郎は苦悶の表情を浮かべている。

 

 

「チッ……!」

 

 

左之助が手に巻いていた(さらし)を解き、即座に止血した。

その(さらし)が血で滲む。

 

 

「大変!早く医者に見せないと──

 

「放っておけ。皮膚の表面を切っただけだ」

 

 

雷十太殿の言葉に、薫殿も弥彦も……目を見開いた。

そんな彼等を無視して、雷十太殿が口を開く。

 

 

「先程の『飛飯綱』は加減した。急所に当たらなければ死ぬ事はない。ただの擦り傷だ」

 

 

思わず、拙者も顔を顰める。

しかし、拙者より早く弥彦が口を開いた。

 

 

「馬鹿野郎!てめぇの技で弟子が怪我してんだぞ!傷の深さとか……そんなんじゃねぇよ!分かってねェのかよ!」

 

 

その罵声を、雷十太殿は咀嚼するように頷き……聞こえるように、ため息を吐いた。

 

 

「分かっていないのは貴様らだ。吾輩が本気で、そんな小童を弟子にすると思っていたのか?」

 

「……何ですって?」

 

 

薫殿も表情を険しくしている。

ここに居る誰も彼もが、目の前の悪人に対して怒りを抱いている。

 

 

「今の剣術が金にならん事は貴様らも理解している筈だ。だろう?弱小流派の師範代」

 

「……それが、どうしたって言うのよ」

 

「フン、その小童は吾輩の支援者の息子。面倒なのを我慢して、先生のフリをしていただけに過ぎん」

 

 

薫殿の腕の中で、痛みに堪えている由太郎が、目を見開いた。

大粒の涙が溢れていた。

 

それは身の痛みからか、心の痛みからか。

 

 

「しかし、破落所(ごろつき)を雇い狂言強盗までして作った支援者を失うのは惜しいが。まぁ、どうでもいい」

 

 

由太郎が痛みを堪えて、身体を乗り出す。

 

 

「先生……嘘、ですよね」

 

 

縋るような声に、雷十太殿は見向きもしない。

 

 

「代わりなど、どうにでもなる。先生ごっこは、これで終いだ」

 

 

その言葉に、由太郎は顔を俯かせた。

咽せるような声が、聞こえる。

泣いているのだろう。

だが、その声を悟られないように必死に抑えている……か。

 

地面を踏み締める音が真横で聞こえた。

 

 

「左之……」

 

「手ぇ出すな……なんて言うなよ。俺も腑が煮えくり返ってんだよ。この、とんでもねェクソ女に」

 

 

左之助が怒っている。

自身の女子供とは喧嘩しないという信念を曲げてまで、怒っているのだ。

 

しかし──

 

 

「それでも、手出しは不要でござる」

 

「はぁ……!?」

 

「左之は由太郎殿を、恵殿の所まで連れて行くでござる」

 

 

道場近くの診療所まで、由太郎を連れて行くよう頼む。

左之助は少し、悩むような素振りを見せて……頷いた。

 

 

「……チッ、負けんなよ」

 

「当然。負けるつもりはないでござるよ」

 

 

そう言って……雷十太殿へ背を向る。

敵前で背を向けるのが気に食わないのか、雷十太殿が口を開いた。

 

 

「……勝負を捨てるつもりか」

 

「……しばし待たれよ。お主の望み通り、戦ってやる。だが、その前に──

 

 

由太郎の側に座り込む。

涙と血が入り混じっている……呆然とした顔。

 

その、頭を撫でる。

 

 

「由太郎殿、どうしたいでござるか?」

 

「……どう、って」

 

「そのままの意味でござる」

 

 

痛む筈だ。

まだ子供……こんな怪我を負った事はないだろう。

そんな状態で話させようとするなんて、酷い事をしていると言われても仕方ない。

 

それでも、訊かねばならない。

 

 

「お主は、どうしたいでござるか?」

 

「お、俺は……俺はっ──

 

 

だが、由太郎は……頬を食いしばり……思いの丈を……吐いた。

 

 

「先生に……元の優しい先生に、戻って……帰って来て、欲しい……!」

 

 

小さく、雷十太殿にも聞こえないほど小さい声で……それでも振り絞るように声を出した。

 

 

「……左様でござるか」

 

「……頼んでも、良い、かな」

 

「無論。拙者に任せるでござるよ」

 

 

拙者は立ち上がり、左之助に目配せした。

それに頷き、由太郎殿を抱えた。

 

薫殿から心配する視線を感じる。

弥彦から不安そうな視線を感じる。

左之助から問いかけるような視線を感じる。

由太郎から……縋るような視線を感じる。

 

 

「由太郎殿を頼んだでござるよ。ここは拙者が何とかするでござる」

 

 

そう笑いながら言えば……納得したように、由太郎を抱き抱えた左之助と、薫殿は来た道を戻って行った。

しかし、弥彦はその場に留まっていた。

 

 

「弥彦も──

 

「……っ、雷十太!」

 

 

拙者の横で、雷十太殿へ怒鳴りつけた。

 

 

「アイツは努力家なんだ!知ってるか!?剣を握ってまだ十日程度だって言うのに、すげぇ綺麗に竹刀を振るんだ!」

 

「…………」

 

 

しかし、雷十太殿は全く反応しない。

怒り返す事もなく、嘲る事もなく……ただただ、聞いていた。

 

 

「お前なんかより、よっぽど強くなるんだ!才能もあるんだ!後で後悔したって、遅ぇからな!」

 

 

そう言い切って……鋭い視線のまま、拙者に顔を向けた。

その目は少し、涙で濡れていた。

 

 

「クソッ……俺じゃまだ、アイツに勝てねェから……頼んだぜ、剣心……!」

 

「承知、頼まれたでござるよ」

 

 

そうして弥彦は、薫殿達を追って走って行った。

 

夜道、雷十太殿と二人っきり……向き合う。

 

 

「待たせたでござるか?」

 

「今際の際だ。その程度の分別はある。貴様は此処で、死ぬのだからな」

 

「……そうでござるか。腹を割って話すつもりはない、と」

 

 

地を踏み締める。

砂利が音を鳴らす。

 

腰に刺した刀、その柄に手を触れる。

 

 

「正直に言えば……お主と戦うのは、まだ本意ではない」

 

「…………」

 

「お主が本当は優しい事を、拙者は知っている」

 

「……優しくなど、ない」

 

「本当に優しくない者は、否定しないでござるよ」

 

「……世迷言を口にするな」

 

「……全く、お主は素直ではないでござるな。いや、それとも……素直になりたくないだけなのか」

 

 

金属が小さく擦れる音がした。

 

 

「しかし、約束したでござる」

 

「……約束、だと?」

 

「うむ、由太郎殿に頼まれたでござる。故に──

 

 

それは拙者が鞘から『逆刃刀』を抜いた音だ。

 

 

「その性根、拙者が叩き直させて貰う」

 

 

息を深く吐く。

柄を握る手に力が込められる。

 

月明かりの下、剣を構えて向き合った。

 




↓↘︎→+A 飛飯綱(弱)
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