TSおねショタ雷十太   作:WhatSoon

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第九幕「飛天御剣流」

目の前で、神谷道場の面々に心配されている由太郎を見ていた。

 

その腕からは血が出ている。

吾輩が付けた傷だ。

 

浪人笠の下で、目を細める。

息を深く吐く。

 

 

『飛飯綱』。

 

 

それは飯綱を剣から弾き、斬撃を飛ばす吾輩の秘剣である。

 

その性質上、精密な攻撃は難しく、力加減に至っては至難と言って良い。

 

そう、難しい。

難しい『だけ』なのだ。

 

何百、何千、何万と剣を振るった。

只ひたすらに精度を上げ、自在に操る為に。

 

己の不安を払うために、剣を振り続けた。

そして、数え切れぬ鍛錬は実を結んだ。

 

ほんの少しの力加減、剣の振り方、踏み込み。

それらによって強弱を付けられるようになった。

 

岩を斬る事もできる。

葉を斬らない事もできる。

 

ならば、皮膚の表面だけを斬る事もできる。

 

人が呼吸する際に難しい事を考えないように、自在に飯綱を放つ事が出来るようになったのだ。

 

 

そして……その鍛錬の成果で、吾輩は由太郎を傷付けた。

皮膚が裂けただけだ。

血は流れていたが、七日もすれば痕も残らないような……そんな傷。

 

だがしかし、だからといって許される事ではない。

最低な行為だ。

由太郎も……これで、吾輩の事を見限るだろう。

 

そう思うと安心して、嬉しくて、涙が出そうで、苦しくて。

様々な感情を混ぜ合わせた心が、歪みそうで……いいや、既に取り返しが付かない程、歪んでいるのだろう。

 

自分が何をしているのか、何を言っているのか、それすらも分からなくなりそうで──

 

 

「雷十太殿」

 

 

剣心の言葉で、思考は現実へと引き戻された。

手に持つ真剣を強く握る。

 

まだだ、まだ終わりではない。

ここで剣心に完膚なきまでに敗北し、去る事によって……吾輩の出番は終わる。

 

吾輩が情けない姿を晒していた事を、剣心が由太郎へ伝える。

それにて、全て終わる。

これで終わる。

 

これ以上、苦しい思いをしなくて済む。

例え、自業自得だとしても……これ以上『私』には耐えられない。

 

だから──

 

 

「お主が何をしようとしているか……それはもう分かっているでござる」

 

 

目前で、逆刃刀を握る剣客が……そう言った。

……ハッタリだと、そう言い切る事が出来れば、どれほど嬉しいか。

 

 

「さて、何の事か」

 

「お主は……昔の拙者に似ている。考えている事は分かるでござるよ」

 

「…………」

 

 

塚山邸の庭園で交わした言葉を思い出した。

無言のままの吾輩に、剣心は言葉を紡ぐ。

 

 

「お主は……由太郎殿に幻滅されたい。そうでござるな?」

 

「……吾輩が何故、あんな小童に幻滅されようとする?」

 

「それは、お主が由太郎殿を大切に思っているからでござるよ」

 

 

……剣先が無意識のうちに下がっていた。

だが、反論せねばならない。

 

 

「矛盾している。ならば尚更、幻滅されようとする意味が分からんだろう」

 

「……お主はその『(ちから)』を、由太郎殿に継承して欲しくないと考えている。己の後を追って欲しくないと……そう思っている」

 

「…………」

 

 

剣先が地面に触れた。

 

 

「故に、お主は由太郎殿から嫌われる為、悪人のフリをし……その『剣』を己ごと葬ろうと──

 

「そうだ」

 

 

吾輩は肯定した。

最早、取り繕う事は不可能だった。

 

だから──

 

 

「抜刀斎……いや、剣心。貴様にも覚えがある筈だ」

 

「拙者にも……?」

 

 

剣を持ち上げる。

ただ鋭利で、重く、人を殺す為に作られた凶器。

 

それが剣だ。

 

 

「吾輩の剣は古流剣術を元に生み出した殺人術。人を傷付ける事しか出来ない」

 

 

剣は凶器。

剣術は殺人術。

どんな奇麗事やお題目を並べても、それが真実。

 

 

「人を殺す為の剣術など、これからの世には必要ない。貴様もそう思うだろう」

 

「……それは」

 

「貴様は明神 弥彦に飛天御剣流を授けなかった。それと同じだ。由太郎に必要なのは、人を活かす為の剣だ」

 

 

頭上には月が浮かんでいる。

由太郎達と初めて出会った、あの夜を彷彿とさせた。

 

 

「だが、由太郎は納得しないだろう。吾輩に憧れてしまっている。心の、底から──

 

 

あの時の目を覚えている。

吾輩に心の底から憧れる目を。

 

 

「駄目なのだ。吾輩のような人間になってはならない……!こんな誰からも愛される事がなかった、出来損ないの人間なんかに……!」

 

「雷十太殿……」

 

「だから、吾輩は惨めな姿を晒さなければならない!二度と、吾輩のような人間に憧れないように……!」

 

 

剣を、構える。

目の前の、最強の剣客に向けて。

 

剣心は目を細めて……逆刃刀を構え──

 

 

「雷十太殿は勘違いをしているでござる」

 

「……何?」

 

 

そう、言葉を口にした。

 

 

「お主はその手の剣を、殺人剣だと言った」

 

「……そうだ。吾輩が身を守る為、人を殺す為に生み出した剣術だ」

 

「そうか。だが──

 

 

剣心の目が、鋭くなった。

 

 

「拙者に向けられた斬撃……それと先程の由太郎殿への攻撃で確信したでござるよ、雷十太殿」

 

「……何を」

 

「殺人剣を唱えているが、お主は人を殺めた事は一度もない……違うか?」

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

目の前にいる浪人笠を被った女を見る。

剣を持つ手は……微かに震えている。

 

今まで、彼女の剣を見てきて一つの確信を持っていた。

急所を狙わず、加減もしている。

 

前川殿との時も……本気を出せば複雑骨折させていてもおかしくない一撃であった。

しかし、実際には骨にヒビが入る程度。

踏み込みの際に、一瞬の躊躇があったからだ。

 

それは人に対して剣を振るう事を、無意識のうちに躊躇っている証。

 

拙者のような人斬りには、それがない。

躊躇はしない。

 

 

「それが……!それが、どうしたというのだ!事実、吾輩の剣は人を斬る為の──

 

「雷十太殿。お主は人斬りの剣が持つ、奈落の深さを知らない」

 

 

逆刃刀を下げて、目を閉じる。

 

幕末、幾度も殺し合った相手がいる。

出会う度、人を斬った数が増える度に……その者の剣はより深く、だが軽くなっていった。

 

それは、人を斬る事に対する躊躇の無さが生み出す深さ。

それは、他者の命に対して憂う事がなくなった事による軽さ。

 

強くなったと捉えるべきだろうか。

あぁ、確かに強くはなった。

 

しかし、それは人としてではない。

 

少しずつ、取り返しの付かない場所へ沈んでいるだけなのだ。

やがて、その剣で我が身を滅ぼした。

 

奈落の底へと堕ちたのだ。

 

 

「ぐっ……だが、この剣は古流剣術だ!真剣で相手を殺す事を前提とした技術なのだ!」

 

「真剣だとか、古流だとか……そんな事で『殺人剣』と決まるのではござらん」

 

 

活人剣も、剣術だ。

人に剣を振るう技術だ。

 

ならば、活人剣と殺人剣の差は何か。

殺人剣とは──

 

 

「奪った命の重みで己が奈落へ堕ちる剣。それが『殺人剣』でござる」

 

「……奪った、命だと」

 

「由太郎殿はお主の剣によって救われた。そして、その剣で誰の命も奪った事がない」

 

「…………」

 

「ならば、その剣に意味を与えるのは雷十太殿自身でござるよ」

 

 

砂利を踏む。

拙者の剣は血で濡れている。

殺めた命の数が、この剣を『殺人剣』にした。

 

しかし、雷十太殿は違う。

まだ誰も殺めていないのであれば……それはまだ『殺人剣』ではない。

 

 

「お主はその剣で人を斬るつもりでござるか?」

 

「……いや」

 

「ならば、問題はない。その剣を由太郎が身に付けた所で、誰も傷付ける事はないでごさるよ」

 

 

……雷十太殿は手に持つ剣を眺めている。

拙者の言葉に思う所があったのだろう。

 

しかし、一度、握る手が強くなった。

 

 

「……吾輩に、由太郎を導けるとは思えない」

 

「それはお主の努力次第でござる。少なくとも……今の由太郎殿は真っ直ぐ育っているように見えたが」

 

 

……彼女は自己肯定感が低い。

それは何故か……何か、心の傷か。

幼い頃に愛されていなかった故に、愛される事に慣れていないのだろう。

 

雷十太殿が、浪人笠に隠された顔を再び上げた。

 

 

「……無理だ。吾輩は此処で去る。貴様と……神谷活心流に由太郎を任せたい」

 

 

……ダメか。

小さく、拙者は息を吐いた。

 

 

「断るでござる。由太郎殿と約束をした故に」

 

「……約束?その約束とは何だ?」

 

 

血を滲ませ、痛みに耐えながら……それでも由太郎が口にした願い。

心の底からの、願い。

それを無碍にする事は、拙者には出来ない。

 

 

「お主を連れて帰る。それだけでござるよ」

 

「……吾輩に、それに従う道理は──

 

「逃げてはならぬ、雷十太殿」

 

 

雷十太殿の肩が反応した。

確かに、拙者の言葉に反応したのだ。

 

 

「お主のしている事は、ただ責任を負いたくないという逃げでしかない」

 

「そんな事……」

 

「己の弱さを口実にし、他人に責任を押し付けているだけで──

 

「そんな事、とうに分かっている……!」

 

 

雷十太殿の怒声と共に……空気が震えた。

 

 

「だが!目の前に彼の幸せがあり、それが安易な道の先にあるのならば……!それに縋ろうとする事は悪いことなのか!?」

 

「雷十太殿……お主は──

 

「吾輩は……!『私』は!貴方達のように強くはない!」

 

 

それは雷十太殿の本音だった。

嘆くように、吐き出すように、懺悔するように、己の弱さを吐き出していた。

 

だが、それでも……拙者は否定しなければならない。

 

 

「お主の言う安易な道の先……そこにあるのは本当の幸せではござらん」

 

「……何?」

 

 

そうだ。

この先にあるのは……確かに幸せかも知れない。

由太郎殿は神谷道場で幸せな日々を過ごすだろう。

 

だが──

 

 

「由太郎殿の欲する幸せの中に、間違いなくお主は存在している」

 

「私が……?」

 

「由太郎殿にとって、お主は必要でござる。だから……もう逃げるのはやめるでござるよ、雷十太殿」

 

 

……静かに、風が拙者と雷十太殿の間を通った。

 

拙者の言いたい事は言った。

しかし、それでも……雷十太殿はまだ、こちらへ踏み込めずにいた。

 

何か、彼女自身が線を引いてしまっている。

その線を踏み越える事を、躊躇っている。

 

剣を納める事もせず……夜風に身体を晒していた。

 

……分かった。

まだ一つ、決定的に踏み込めない……彼女を縛る鎖がある。

 

それは、きっと──

 

 

「雷十太殿、剣を構えるでござる」

 

「……何?」

 

 

その剣……彼女の固定観念だ。

自らが幸せになれないという思い込み。

剣を振るえば人を傷つけてしまうという思い込み。

 

そして、拠り所。

彼女が自信を強く保とうとする為の……地に強く突き刺さり、引くも押すも出来なくしている剣術という柱。

 

それらを砕かねば……真の意味で、彼女を連れ戻す事は出来ない。

 

 

「剣客ならば剣で訊けと……以前、お主は言ったでござろう?」

 

「……だが、最早、この剣に意味など……」

 

「ならば、一つ。こうしよう」

 

 

拙者は指を立てる。

 

 

「拙者が負ければ、お主の言う通り……雷十太殿は悪人だったと由太郎殿に伝えよう」

 

「……吾輩が負ければ?」

 

「その時は何も望まぬ。お主の好きなようにするといい」

 

 

勝ち負けは、重要ではない。

ただ、雷十太殿を戦わせる事が今は重要だった。

 

 

「不平等だ……あれ程、戦いたくないと言っていた癖に」

 

「拙者は意味のない争いはしたくないと言っただけでござるよ。今のお主には……(これ)でしか分からせられぬと、そう思っただけでござる」

 

 

拙者が逆刃刀を構えれば……少し、迷ったまま雷十太殿が剣を構えた。

 

しかし、そこまで。

踏み込む事もなく、剣も振るわず……ただ、向き合っていた。

 

 

「どうしたでござるか、雷十太殿。お主にとっては、この勝負……少しも失うものは無いように見えるが」

 

「……だが──

 

「怯えているでござるか?」

 

 

一つ、挑発する。

 

 

「お主の想いはその程度でござるか?」

 

「……違う」

 

「ならば、一度……その大層な殺人剣とやらを構えるでござるよ」

 

 

……拙者が構えれば、雷十太殿が剣を構えた。

春先というのに冷たい風が、通り抜ける。

互いに踏み込まなければ……動かない。

 

仕方あるまい。

 

一歩、踏み込む。

 

直後──

 

 

「往くぞ……」

 

「来るといい、雷十太殿」

 

 

雷十太殿が剣を振り下ろした。

拙者はその剣の峰を逆刃刀で弾く。

 

地に落ちた剣先が……曲がり、拙者の足を狙う。

……まだ、迷いが見えた。

 

その剣の峰を踏み、宙を飛ぶ。

踏まれた剣は地に刺さり、拙者は宙で剣を構えた。

 

 

飛天御剣流『龍槌──

 

 

瞬間、雷十太殿が地を蹴り後退した。

 

 

「むっ」

 

 

そのまま引き付ける動作で、己の剣の尻を叩いた。

弾き上がった剣が、拙者を迎撃するべく……宙に向けての平突きを放った。

 

狙いは肩。

回避は不能。

 

ならば……逆刃刀で剣先を叩き、反動で錐揉む。

そのまま弾き、横に飛ぶ。

 

砂利を踏み締め、逆刃刀を再度構える。

 

結局、互いに有効打はなく……元と同じ距離に戻っただけだ。

拙者は雷十太殿へ目を向ける。

 

 

「得意の『飯綱』は使わないでござるか?」

 

「……使えば、洒落にならなくなる」

 

「相手の心配とは、とんだ殺人剣でござるな」

 

「何とでも言え」

 

 

やはり、雷十太殿は全力を出すつもりはないらしい。

彼女にとって、この戦い……勝とうが負けようがどうでも良いのだろう。

 

勝てば拙者を狂言に付き合わせる。

負けても敗北者として、この場を去るつもりだろう。

そして、未来永劫……由太郎達の前に現れぬか。

……それを許す事は出来ない。

 

無理矢理連れて帰る事は出来るだろう。

しかし、由太郎殿は「優しい先生」をご所望だ。

ならば……今のままでは駄目なのだ。

 

だから──

 

 

「ふむ……拙者を傷つけてしまうかも知れぬと、殺してしまうかも知れないと……そう思っているでござるか?」

 

 

全てを出し切らせて、その上で勝たねばならない。

 

己の剣が人を傷付けてしまうと思い込んでいる事も。

己の剣で由太郎が不幸になると思い込んでいる事も。

 

全て、一度砕かねばならない。

でなければ……凝り固まってしまった、その心を真っ当に戻す事は出来ない。

 

 

「成程、全力で剣を振るえぬと」

 

 

あと一歩、足りない。

この女を本気にさせる為には……足りない。

 

……ならば、何を。

雷十太殿の優しさに訴えかけるか。

雷十太殿の想いに訴えかけるか。

 

……いいや、違う。

今、彼女に残っているものは──

 

 

「安心すると良い、雷十太殿。お主がどんな剣を振ろうと……全力で戦っても、殺せぬ相手が此処に居るでござるよ」

 

 

剣客としての、矜持。

 

 

「ならば負けて願いを叶えるよりも、勝って願いを叶えるべきではないか?」

 

 

拙者には分かる。

彼女の剣……相当な鍛錬の末に鍛え上げられた剣でござる。

 

幾星霜の試行錯誤の末に生み出された秘剣だろう。

 

それを全力で振るえる相手は居なかったのだろう。

 

 

「雷十太殿、お主の全力を……拙者に見せて欲しい」

 

 

だが、今は違う。

ここに居るのだ。

 

 

「その上で、拙者はお主を打ち負かす」

 

 

そう宣言すれば……雷十太殿は、身体を震わせた。

侮辱に次ぐ、侮辱。

 

剣客としての矜持、そして彼女の心の支柱を傷付けてしまった。

……詫びは後ですれば良い。

 

だが、今は……。

 

 

「……良いだろう。その挑発に乗ってやる」

 

 

彼女がその震えた手で、浪人笠を乱暴に取り払った。

 

 

隠されていた彼女の顔が顕になる。

 

 

泣き腫らしたような跡があった。

今も頬は濡れているように見えた。

 

だが、それよりも……彼女の鋭い目に気付いた。

 

怯えるような顔ではない。

迷うような顔ではない。

 

ただ、剣客としての顔だった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

吾輩は……剣を振るって生きていた。

今まで、ずっと……未来の恐怖から逃げるために。

 

だが、それだけではない。

単純に剣を振るう事が好きだった。

 

古流剣術の秘伝書を読みながら試行錯誤するのが好きだった。

己の技量を磨くのが好きだった。

 

吾輩は、強くなった。

 

だが、強くなればなるほど……その剣を振るえる機会は減っていった。

 

気付いてしまったのだ。

己の剣が危険である事に。

人を殺めてしまう事に。

 

だから、剣を磨きながらも……全力で振るった事はない。

 

 

……その全力を、見せて欲しいと……打ち負かすと言われた。

 

 

今ここで、剣を振るう意味はない。

勝とうが負けようが、吾輩の願いは成就される筈だ。

ここで負けようとも、由太郎から離れるだけで良いのだ。

目的は達成しているのだ。

 

なのに……どうして。

 

 

目の前の、最強の剣客に勝ちたくなってしまった。

勝った上で、目的を果たしたくなったのだ。

 

 

身勝手だ。

我儘だ。

己の所為で傷付いている者がいる。

なのに、欲を満たそうなど……許される事ではない。

 

頭では分かっている。

心も咎めている。

 

それでも……吾輩は勝ちたいと思ってしまった。

一人の剣客として……この、渦巻く感情全てを剣に乗せ、ぶつけたいと思ってしまった。

 

 

浪人笠を脱ぐ。

全力で戦うのならば、これは視界の邪魔になる。

 

剣を上段で構える。

何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も振るった構えだ。

 

右手を柄に、左手は(かしら)に。

腰を落として、左足を前に。

 

 

「……ここで貴様を倒し、目的を遂げさせて貰う」

 

 

そう口にすれば──

 

 

「……うむ。そうすると良い」

 

 

剣心は満足げな顔を浮かべて、逆刃刀を納刀した。

勝負を捨てた……訳ではない。

 

即ち、刀身を鞘の中で加速させて放つ……居合の構え。

抜刀術である。

 

しかし、逆刃刀は抜刀術に向かない。

反りの腹側に刃がある都合上、十分な鞘疾りが出来ず速度が落ちる。

 

 

ならば、その一撃を回避する事は出来る。

抜刀後の隙を狙えば、確実に攻撃を当てる事が出来る。

 

 

……初見ならば、そう思うだろう。

一手、神速の居合さえ避ければ良いと。

 

だが、吾輩は知っている。

 

飛天御剣流の抜刀術は……常に、二段構え。

あの構えは間違いなく『飛天御剣流・双龍閃』だ。

飛天御剣流の神速の抜刀術から……鞘で追撃する抜刀術。

 

抜刀術の隙を、二撃目で補うのだ。

 

知らなければ……間違いなく、二撃目を喰らっていた。

だが、吾輩は知っている。

 

知ってしまっている。

故に……負けない。

 

 

……勝つ術は、既に見えている。

剣に『飯綱』を纏わせて、『双龍閃』にぶつけるだけでいい。

 

さすれば、剣心の持つ逆刃刀は切断される。

剣を失えば二撃目など関係ない。

剣を失った剣客は……敗北を認めざるを得ないだろう。

 

だが……それで良いのか?

逆刃刀は容易く代えが用意できる物ではない。

真打は確かに、京都に行けばあるだろう。

ただ、一本だけだ。

打てる者は既に死んでいる。

 

ならば──

 

吾輩が今、その逆刃刀を斬れば……物語は大きく捻じ曲がる。

それは良いのか?

今まで、由太郎を物語通りの幸せに連れて行くのだと、身を引こうと努力していたのに?

 

それは全てを台無しにするような──

 

 

「雷十太殿」

 

 

声を、掛けられた。

 

 

「今は未来(あす)を憂う必要はない。未来(あす)未来(あす)に悩めば良い。現在(いま)は……現在(いま)、出来る事をすべきでござるよ」

 

 

そう、言われた。

目の前の剣客は、吾輩の迷いを見抜いていた。

 

……未来(あす)未来(あす)に。

現在(いま)現在(いま)か。

 

 

「……ならば、現在(いま)、ここで。全力の剣を放たせて貰う」

 

 

剣を強く握る。

今……ここで、勝つのだ。

ここで勝ち、願いを果たすのだ。

勝ち取るのだ。

 

最早、悩みなどない。

今、この一瞬だけは。

 

宙に舞う、木の葉が砕けた。

 

吾輩は上段に剣を構え……一歩、近付く。

 

『飛飯綱』は放たない。

あれは剣の軌道を読めば回避は容易い。

至近距離で拳銃の発砲すら避ける剣心には効かない。

 

そして、外した隙を彼は見逃さないだろう。

……ならばやはり、『纏飯綱』しかない。

 

また、一歩近付く。

 

互いの間合いが……重なる瞬間。

その、一瞬。

 

剣心の足元で、砂利を踏み締める音がした。

それを引き金にして、吾輩は構えた剣を振り下ろす。

 

 

()ん!!」

 

 

今までの加減した一撃とは違う。

金剛石すら切り裂く、本気の『飯綱』だ。

 

その逆刃刀を以ってしても、受け止める事は不可能。

防御不能の一撃、それが『纏飯綱』の真骨頂なのだ。

 

真空の刃を纏った剣が、空中で加速し……刹那、剣心が剣を振るう。

 

吾輩より後に動き、それでも攻撃は同時となった。

 

速い……だが、吾輩が一手速かった。

故に、速度は初動で補えた。

 

攻撃は、同時。

剣心の抜刀術が迫る。

 

 

飛天御剣流『双龍閃』!

 

秘剣『纏飯綱』!

 

 

二つが、衝突する。

 

 

キィン、と切断される音が聞こえた。

そして、手元に残った確かな手応え。

 

斬った。

斬ってしまった。

逆刃刀を、斬ってしまった。

 

しかし……何か、おかしい。

違和感。

 

振り下ろした筈の剣は、何かに受け止められていた。

 

直後、視界に映ったのは……納刀されたままの鞘で、吾輩の剣を受け止めていた剣心だった。

 

 

「なっ──

 

 

剣心が振るったのは抜き身の逆刃刀ではない。

鞘に収めたままの逆刃刀だったのだ。

 

故に、刀身を保護する為の鞘は確かに切断されていた。

纏飯綱を受け止めきれず、吾輩の刀が食い込んでいた。

 

しかし、そこまでだ。

吾輩の剣は、逆刃刀に防がれていた。

 

逆刃刀だけならば、纏飯綱で断ち切れていた。

だが、鞘という緩衝材で飯綱を弱める事で、鞘中の逆刃刀により受け止める事を可能にしたのだ。

 

 

「少し痛むかも知れぬが……覚悟は良いな?雷十太殿」

 

 

鞘打ちの衝撃で吾輩の剣は逸らされている。

その、打ちつけたままの鞘から逆刃刀の刀身が走る。

 

剣心は抜き身になった逆刃刀を手に、抜刀の勢いのまま回転する。

吾輩の剣は弾かれている……最早、防御する事は叶わぬ。

 

そして、ようやく理解した。

先程のは……普通の『双龍閃』ではなかったのだ。

これは派生技だ。

 

鞘打ちから剣撃につなげるもう一つの二段抜刀術!

 

 

この、技はっ──

 

 

飛天御剣流……『双龍閃・雷』!

 

 

脇腹に、強烈な一撃が入った。

 

 

「ぐ、うぁっ……!?」

 

 

逆刃刀は刃がないとは言え、金属の塊。

みしり、と骨が軋む音が聞こえた。

 

咄嗟に地を蹴り、その衝撃を逃すが……それでも、意識の外の一撃……衝撃を逃す事も出来ない。

 

吾輩は弾き飛ばされて、木にぶつかった。

 

 

「がっ……!?」

 

 

口から、体内の全ての空気が吐き出された。

 

自惚れていた。

 

これが幕末最強、人斬り抜刀斎。

加減など……心配など……全くの不要だったのだ。

 

力を、見誤った。

何とも情けない話だ。

 

……私の抱いていた憂いも、そうなのかも知れない。

勝手に憂いて、勝手に見限って、勝手に身を引こうとした。

 

……全部、全部──

 

 

「無駄……だったか」

 

 

骨が軋む。

視界がボヤける。

意識は朦朧とし、涙が流れる。

 

私の決断も、今までの鍛錬も、全て──

 

 

「無駄ではござらん」

 

 

頭上から、私を下した剣客の声が聞こえる。

 

 

「全て……無駄ではない。その行いが間違っていたとしても、想いは……無駄ではない」

 

 

……慰められているのだと、そう感じた。

だが、剣心は本心からそう言っているのだとも……そう思えた。

 

 

「あぁ……そうか……」

 

 

目を閉じる。

意識が朦朧としてくる。

 

もう狂言だとか……そんな物は考えていない。

未来をどうこうしようなど考えていない。

全て、へし折れてしまった。

 

無意識の内に自惚れていたのだ。

自分ならば、より良い結末を作れるのだと。

 

それは間違いだった。

より良い結末とは、自分一人で作る物ではなかった。

 

私一人では駄目なのだ。

 

それが分かって……良かったと、そう思えた。

 

 

「……すまないな、剣心」

 

「構わないでござる……と、いうか、その、だ、大丈夫でござるか?」

 

 

張り詰めた空気は霧散し、戸惑うような声が聞こえた。

その声が少し面白くて、可笑しくて……苦笑する。

 

 

「……ふ、大丈夫な訳、ない、だろう」

 

 

逆刃刀を使い、全力で殴られたのだ。

その衝撃は鍛え上げた筋肉を貫通し、骨をへし折り、内臓を揺らした。

最後に頭をぶつけた所為で、最早、意識を保つのも困難だ。

 

全く、酷い話だ。

 

 

「お、おろ……」

 

 

焦っている様子が見えていなくとも分かった。

 

はぁ、全く……吾輩はこんな奴に負けたのか。

 

本当に……。

 

……。

 

……由太郎に謝らなければな。

あぁ、由左衛門にも……。

屋敷の者達にも。

神谷道場の人達にも。

道場破りで怪我を負わせた人にも。

迷惑をかけてしまった。

 

許して貰えるか分からないが……それでも。

 

あぁ……次に何をするか考えても、不安にならないのは……久しぶりだ。

本当に……負けたというのに……清々しい気分だ。

 

最早、私は……何にも憂いてなかった。

 

そうして勝手に満足した私は……意識を手放した。




次回で一応最後です。
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