無言のまま十数分が経過し、そろそろ限界が来た頃に扉が開く音が聞こえた。
「待たせたかな、折木君」
「……いえ」
「あまり驚いていないようだね。君なら想定内、といったところか」
「止めてください」
生雛の際に軽く会話したとはいえ、彼女を前にするとやはりあの出来事を思い出してしまい鼓動が早くなる。それを察してか、入須もそれ以上突っ込んでは来なかった。
「私はほうじ茶で。彼らの分は先に提供して頂けると助かります」
俺の正面に座り店員にそう述べた後、入須はこちらを向いた。
「十文字とはどれくらい話した?」
「千反田が十文字さんに置手紙を残して失踪した程度です」
「その手紙の内容を確認したか?」
「……一応、えるの気持ちを考えて見せてない。見せた方が良かった?」
「いや、不要だろう。……折木君、君は」
一瞬入須は俺から目線を外した。
「……決してこれは君をからかっているわけではないということを踏まえて聞いてほしいんだが、折木君、君はどこまで内情を知っているのかな」
「……千反田が家督相続の件で揉めている、としか」
「他には一切知らないか?」
「はい。俺達に千反田は書置きを残さなかったようですから」
「そのようだな」
店員が俺達の分の珈琲と、それにほうじ茶を持ってきた。名札にはやけにたどたどしい字で、『いづる』と書いている。随分と年季が入っているようで、アイロンのよくかけられた服にその名札はミスマッチだった。
「千反田が残した書置きは私が把握している限り三つ。まず、かほに宛てたもの。そしてもう一つ、私に宛てたもの。この二つは大凡内容は同じで、えるの消息を特定するには不十分な情報しか残されていない。……そして最後に、まだ見つかっていない一つ。私はそれこそ本当の書置きであると思っている」
「……もう一つの書置きがあると、どうやって?」
「手紙の中に、三通の手紙があること、それぞれ私宛とかほ宛であることが示されていた」
「どちらかに二通送ったり、残りは親戚宛だったりではなく?」
「前者は、まだ私達が見つけていない可能性を除けばないだろう。後者に関しては、千反田家の関係者に聞いたところ彼が知っている限りそのようなものは一切なかったそうだ。君たち古典部宛かとも思ったが、それならばそう書くだろうからな。もしかしたらと思ったが……」
「残念ながら。……本日はその存在を聞きに呼び出したということですか?」
「いいや」
入須は首を振った。
「今日は君に一つ、聞きたいことがあって来た」
「折木君、君はえるを助ける気はあるか?」
「君のモットーはえるから聞いた。そのうえで尋ねる。この件は所謂名家のごたごたから端を発したもので、君にとってはやらなくてもいいこと、に該当するだろう。それでも、自らのモットーを捨ててでも君はえるを助けたいか?」
俺が少し固まるのを見て、入須は言葉を継ぐ。
「……もちろんその理由は聞かない。ただ、えるは私に『探さないでください』と書いていたんだ。その、えるの決意を反故にするのだから、君にも相応の覚悟をしてもらわねばならないと思ってな。偉そうに聞こえたなら申し訳ない」
長い休日を、この手で終わらせていいのか。
幾度となく、自問した問だった。そしてなあなあにして、見ないふりをした問でもあった。
ただ、今回は、今回ばかりは、それを保留するわけにはいかない問だった。
ふと、里志の顔がよぎる。
あいつもおそらくは、こうして決断したんだろう。
まだきちんと、言語化できたわけではない。ただ、長い休日は誰かが終わらせるのではなく、終わらせに来るだけで。幕引きは自分の手でやらねばならないという決意だけは、確かにあった。
俺が頷いたのを見て、入須も頷いた。
「そうか。……なら一つ、私はかほに謝らなければいけないことがある」
そうして入須は十文字に少し頭を下げた。
「先ほど私とかほの書置きは大凡同じだと言ったが、厳密にいえばそれは少し違う。私はかほの知らない情報を少し持っていて、そのことを私が知っていることはえるも知っている。ゆえに書かれている情報は異なる」
「……それは、千反田家の家督相続についての内容?」
「いや、どちらかといえば四名家の伝統についてだ。20歳になれば四名家の子息なら必ず知ることで、私は特例でそれを耳に挟んだだけだ」
「それは、私にも関係のあること?」
「そう、だな」
少し入須は言い淀む。
「本来ならばかほも20になってから知る内容で、私が話すのは相応しくないが……」
「言って。お願い」
十文字は少し詰め寄る
入須は少し目を伏せた。
「える失踪の原因、これは私は大部分を知っている。ただ、直接言うことは簡単だが、これはえるの問題ではなく先ほども言った通り四名家の問題で、やはり私が言うのは筋ではないだろう」
「なら、なんで俺をここに」
俺の声は入須の手によって阻まれる。
「それに、これを知ったところで私は彼女の居場所を知らない。だから無駄だ、と言いたいのだが、えるは文章中でこう述べていた。『わたしがここを発つ原因も旅立つ場所も、どちらもわたしのルーツに関係している』と。私が言えるのはそこまでだ。後は折木君とかほ、それぞれで考えてくれ」
そして入須は席を立った。後に残された俺と十文字はあっけにとられるしかなかった。
「……冬美さんは最後まで話さなかったね。焦らしていたり、嫌がらせであったりではない、んだろうけど」
「……最後まで言ってくれていい、と思ったんだが、そういうわけにはいかなかったんだろう」
とはいえど、あまりの情報の少なさに笑うしかない。入須が残していったことといえば意味深な言葉を除くと、原因は名家の伝統に関係しており、原因と居場所が千反田のルーツに関係する、とだけだ。
まぁ、旧家名家のしがらみの中で彼女は生きているんだろう。その中でわずかな手掛かりを届けようとしてくれたならば、ありがたく思うしかない。
ルーツ。ルーツ、か。十文字の方をうかがうと、無表情なので分かりにくいがあまりピンと来ていないようだ。手を顎にあてている。
「そのまま訳すと、えるの起源、だよね。それこそ神山市、陣出。そのなかに手紙を隠しているとか」
「まさか、そんな砂漠の中で針を拾うような真似はさせないだろう」
「……それもそうだね」
ルーツ。千反田の人格が形成されたタイミングで重要な時や場所、人物。それならば俺に分かるはずがない。それに原因と居場所だが、それらを切り離して考えるべきなのかどうか。入須が気付いていないだけで両者が関連している可能性もある。とはいえ、まずは答えのある問である原因について考えていくべきなのだろう。
「あの」
十文字のものではない声がかけられ、俺の取り留めのない思考は泡と消える。誰かと横を見ると、先ほどの店員がいた。
「すみません、時間でしたか」
「あ、いいえ、そういうわけではないんですけど。お客様は高校生ですか?」
「そう、ですけど」
突然声をかけられたことをいぶかしみながら俺は返答した。
「申し訳ありません、先ほどの会話が聞こえてしまって。私も高校生の頃、友人を消息不明で失ったものですから、少し気になってしまって」
ふと、彼女の名札の字を思い出す。
「……外国の子供ですか?」
「ど、どうしてそれを?」
何の気なしに俺が呟くと、店員はおびえたように俺を見つめるが、俺の視線が胸元の名札にあることに気付くと察した表情を浮かべた。
「ああ、この字から。そうです、この名札、その友達が書いてくれたものなんです。たどたどしい字なんですけど、でもこれが唯一の思い出のもので、捨てるに捨てれなくて。でも子供じゃなくて、その子も高校生でした」
「そうでしたか。ひらがななので、てっきり」
「いえいえ、私の名前はひらがなで『いづる』なんですよ。よく言われます、なんで名前を漢字で書かないんだって」
「……あ、そうなんですね、それは申し訳ありません」
「いえいえ」
「もともとは漢字だったんですよ、私の名前。だけど事情があってひらがなになったんです」
「私の名前もひらがなです」
「あ、そうなんですね。もしかしたらもとは漢字だったかもしれませんよ」
「確かに」
「その友達も自分のルーツを探しに海外に行ってしまって。いまだにどこにいるのか分からないですけど、彼女を探しに私の友人はジャーナリストになって世界中を放浪しているんですよ」
ふと、彼女は口に手を当てた。
「……ごめんなさい、しゃべりすぎましたね。友人の方、見つかるといいですね」
「いえ。……ありがとうございます」
店員はお辞儀をして去っていく。「万智、いまごろなにしてるのかしら」という声が聞こえた。おそらくそのジャーナリストがマチという人物なのだろう。
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