再び思索に耽るがどうも考えがまとまらず、珈琲に手を伸ばす際にふと十文字と目が合った。
「……千反田も名前がひらがなだが、もしかすると四名家にはそういった決まりがあるのか」
目が合った気まずさからではないが、取り留めのない思考をいったん中断するために十文字に少し話しかける。
「いや、そういったことはないんじゃないかな。名前がひらがなはそんなに珍しい?」
「珍しい、というほどでもないが。二人以外に知り合いはいないと思う」
「そう」
十文字は言葉を区切る。
「……万人橋の今の当主と、百日紅の当主が確かひらがなだったと思う。どちらも女性で、有意に多いと言えるかは微妙」
「そうか」
少しデジャビュを覚えた。以前、大日向の従兄弟の喫茶店の店名をあてる際に似たことをやった覚えがある。ひらがなから、意味を類推して漢字に直す作業だった。『ぶれんど』から、確か『歩恋兎』だったか。喫茶店のルーツは、自慢のブレンドと、奥さんの歩さんから。
ルーツ、すなわち生まれる所以。名前とはすなわち、大人たちが子供に与える指針、初めての理由足りえるのか。
「十文字さんは、自分の名前のルーツについて心当たりは?」
十文字はなぜそのようなことを聞くのかといわんばかりの目でこちらを見る。
「……そういえば、昔に聞いたことがある気がする。なんだっけな。私の神主としての役割とかを込めたといっていたきがするんだけど」
少しの間首をかしげていたが、思い出せないようだったので質問を変える。
「なら、千反田の名前については?」
「それも聞いたことがない。だけど確かにえるという名前は珍しいし、えるの両親は意味もなく娘の名前をつけるようなひとではないから、意味があるというのは間違いないと思うけど」
える。アルファベットが由来ではなく、意味を考えた結果、名前の音を呼びやすいアルファベットにおさめることができたと考えるのが自然だろう。となると、分けるのはえとるの間に違いない。
まだ絞り切れない。もし彼女の名前が漢字由来だとして、候補は片手では数えられないほどある。
「すみません」
片手をあげると、先ほどの店員が駆け寄ってきた。
「追加のご注文をされますか?」
「キリマンジャロのホット、ブラックで。……すこしお聞きしたいんですが」
「はい?」
「お名前の由来って教えていただくことできますか」
「……私の、ですか?」
店員は当然ながら訝し気に俺を見つめてくる。
「その行方不明の子も名前がひらがなで。もしかすると手掛かりになるかも」
店員はさらにいぶかしむ表情を見せたが、俺が真剣に言っていることが伝わったのか返答をしてくれた。
「逸脱の逸に、留まるの留です。相反する漢字を並べるため、ひらがなにしたそうですが」
「……なるほど、参考になりました。ありがとうございます」
「いいえ、役に立ったのなら何よりです。では、珈琲は後ほどお持ちいたしますね」
そう言い、店員は奥に引く。
さて、まずは十文字の名前を考えてみる。かほ、かとほで区切るとしてもかやほという漢字の候補は相当に多い気がする。かほという名前がよくある以上、普通の名前をひらがなにしたと考えられなくもない。
神主、ひいては名家の後継ぎとしての役割。十文字のことはよく知らないが、千反田について、彼女が後継ぎとしてやってきたことを思い返す。生雛祭り、彼女がやったこと。雛として歩くのは後継ぎとしてではないだろう。彼女を一番後継者足らしめていたのは、北と南の橋渡しであった。それのアナロジーとして考えるなら。
俺は一応持ってきたボールペンでナプキンに文字を書き、十文字に見せた。
「……あくまで推測なんだが、『十文字 架保』という名前に見覚えは?」
ちらりとそのナプキンを見た十文字は、つかの間目を閉じた。
「どこかで見たことがある、かも。……これが私の名前の由来?」
「かもしれない」
「だとすると、ひらがなにしたのはなぜ?」
「単純に推測すると、意味を隠したかった、とかだろうな」
さて。もし、もし千反田の名前が同じように、ひらがなにしなければならない理由があってひらがなにしたのなら。
俺はそこまで漢字に詳しくないが、るときかれて出てくるものは、かやほと比べてそこまで多くないと思う。流、留、琉、瑠くらいではないだろうか。よく見る漢字が並ぶが、このうち流は流産を連想させるので名前に付ける漢字として、ある程度縁起を担ぐ親なら、まして娘相手に、絶対に選ばないだろう。
だが。だからこそ、ひらがなにしたという考えも出来るのではないか。
となると、えは江がふさわしいのではないだろうか。こちらも同じさんずいで、名前としてはあまりふさわしくないものの、ひらがなにすれば縁起は保たれる。
江流。どちらも流れを指し、意味的には一貫している。ただ、余りに一貫しており、意味の重複が否めない。
……となると、江留はどうだろうか。穏やかな流れを指す江と、停滞を指す留。さんずいを打ち消すため、そして店員と同じ、意味の相反を打ち消すために、ひらがなにしたと考えれば、意味は通っている。
あくまでこれは想像である。仮定の上に仮定を重ねた、砂上の楼閣。ただ実情として、ベースとなる事実が少なすぎるため、仕方ないともいえる。ただ、これがもし正しかったとして。流れて留まる、それをどう解釈すればよいだろうか。
千反田が桜の前で言っていたことを、思い返す。私のたどり着く先は、結局ここなのだと、自虐のようでいて、どこか誇らしげに語っていたその姿を。
「ここから先は俺の想像なんだが」
「うん」
「四名家の代表になる予定の、特に女性は、名に親の望むその子の生き方を込める習慣があるとして。それを隠すために、あえてひらがなにするとしたら、十文字さんはどう思う?」
「……そうだね」
十文字はやや苦い顔で答える。
「そういう田舎めいた女性蔑視の風習がまだ残っていることは、否定しきれないかな。そしてそれが真実と仮定したうえで、私は特に何とも思わない」
そして彼女は俺がナプキンに描いた文字を指さす。
「これが私の真の名前だとして、これが生き方だとして、確かに、家と家の架け橋とか、人と神さまとの架け橋を保つのが私の仕事だから。だけど、えるは」
俺はそのナプキンに千反田の名前だと予測されるものを書いた。
「千反田の名前が『江留』だとしたら。どこに流れようとも、そこに留まるべきだと、名前にまで勝手に込められた思い、自分の人生の根幹が否定されたのなら、それは……」
どのような思いになるのだろうか。生ぬるい生き方をしてきた俺には分からないが、通じるところのある十文字であれば、理解はともかく共感はできるのだろう。十文字は目を伏せた。
「あまりに残酷、かな」
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