「これがおそらく、入須が言い渋っていた理由につながると思う」
「そう、だね。となると、後は……」
「どこに千反田はいるのか。もしくは、それの手がかりになるかもしれない手紙はどこにあるのか、だな」
とはいえこちらはまるで見当がつかなかった。しばらくお互いに考え、十文字が言葉をこぼす。
「……ルーツとはいっても、受動的なものと能動的なものがあるよね」
「確かに」
「受動的、つまり生来与えられていたルーツは失われた。となると、自分が選択して手に入れた、後天的なルーツに縋るっていうのはおかしな考えかな」
「いや、妥当だと思う」
「えるが、千反田家とは直接関係なしに選択して、それが今までの生き方に影響を及ぼしているものといえば……」
俺は千反田についてよくは知らない。中学以前の彼女については全く知らないし、学外での活動もほとんど把握しているわけではない。ただ一つ、そんな俺でも思い当たるとすれば。
「千反田が神山学校を選択した理由って知ってるか?」
「えるから聞いたことがある。えるの叔父さんの言葉の真意を知るためだって。そのために古典部も入ったって聞いた」
「良く知っているな。……そして、その言葉に関わる重要なもの、事件のマクガフィンとして、氷菓という冊子があった」
「古典部の部誌だね」
「そう、千反田は幼いころ、その創設号を見たはずなんだ。事件を解く途中でそのバックナンバーを探す機会があってな。バックナンバーは見つけることはできたんだが、唯一、その創設号だけが見つからなかった。結局真意にはたどり着けたが、それは見つからないままだった」
そうだ。冷静に考えて千反田が、あの好奇心の猛獣がそれを探さないはずがないのだ。そしてその捜索に俺達を巻き込まなかったことについても、もう解決した事件に俺達を巻き込むわけにはいかないという彼女なりの考えがあったのかもしれない。
となると、千反田はそれを見つけることができたのだろうか?
おそらくその答えはノーだろう。書庫にも地学準備室にもない以上、探しようがない。可能性があるとすれば、遠垣内が創刊号を汚したかなにかであの時に持ってきておらず、煙草の件で彼を脅すことで強引に奪取したりだとか、そもそも新聞部部室のどこかに創刊号だけ眠っていたりだとかだろうが、可能性は薄い。そもそもそれで発見したのなら、貴重なバックナンバーなのだから俺達に一応見せはするだろう。
となると、考えられるのは、自ら発見せずに第三者から創刊号を得た場合。それも、ごく最近、家督相続問題ののちに。
「お待たせいたしました、キリマンジャロです」
追加で頼んだ珈琲が運ばれてきた。ホットを頼んだと思ったが、届いたのはよく冷えたアイスだった。啜ると頭が冷えていくのを感じる。
さて、氷菓の創刊号はかつて、もちろん数十部程度は刷られたに違いない。しかしそれらが今もなお現存しているとは考えにくい。大多数は捨てられただろう。現存する創刊号があるとすれば、関谷家で保管されていて千反田が読んでいたであろうそれを除くと、古典部のバックナンバーとして保管され、今は遺失物となっているそれだ。
さて、その創刊号にアクセスできた人間を考える。古典部員、それに顧問、そして遠垣内、可能性として一応新聞部員の誰か。ここで、遠垣内を信じて彼は創刊号を知らない、すなわち彼以前の段階で創刊号は消えたとする。引っ越しのごたごたで、もしくはそれより以前のいざこざで創刊号が失われたというのはあり得ない話ではない。これではまだ、歴代の古典部員ほぼ全てが、創刊号を失くした犯人の候補者のままである。
だが。あの頃を思い返す。姉貴は関谷純のことを、正確に把握していた。あれが『悲劇』であると、正しく認識していた。
俺達が関谷純のことを調べたのは、千反田の叔父だから、そして千反田の依頼あってこそだ。それがなければ、ひと昔前の先輩の闇に隠された悲劇譚など調べる由もないし、そもそもその存在にすら気が付かないはずだ。なぜ姉貴はそれを知っていたのか。口承のみでこの伝説が長年伝わってきたとは考えづらい、すなわちそこに文字ベースでの記録があり、それを古典部の秘密として代々受け継いできたからだ。そしてその文字媒体こそ、創刊号なのではないか。姉貴の頃まではまだ、創刊号があったのだろう。
それに、姉貴は『バックナンバーは薬品金庫の中』と言ったのだ。もし彼女以前の段階で創刊号が欠けていたなら、可愛い弟にそれくらい伝えてくれてもいいだろう。それが無かったということは、姉貴は創刊号が欠けているということを知らなかった。しかし、これでは遠垣内やその周辺人物が犯人ということになる。
……いや、違う。もう一つ、可能性がある。
姉貴は、創刊号が欠けているのを知っていた。
欠けている要因が他者によるのであれば、確かに俺に言ってくれないことはおかしいだろう。……だが。もし、その要因が自分にあれば、どうだろうか。
姉貴が氷菓の創刊号を持っている、もしくはどこかに秘匿している。その可能性も、存在するのではないか。……だが、なんのために。
「なあ、十文字さん。関谷家って有名なのか」
「関谷家……ああ、関谷純の。そう、だね。ある程度神山に詳しい人なら、千反田家と関連があることくらいは知っているんじゃないかな」
すなわち、姉貴なら知っていてもおかしくはないということ。関谷純と関谷家を結び付けられたのなら、そして関谷家、もしくはその関係する家から関谷純のことを調べる人間がいたのなら、氷菓の創刊号はマストアイテムだ。それに、古典部という存在だって。
姉貴は俺に、古典部を存続させてほしいと言った。姉の青春の場を守ってほしいから、と。だが実際は、俺を部活に入れさせ、俺の信条を見直させるための口実だった。そう、今までは思っていた。くだらない嘘をついて、弟を思いやる姉。嘘のオブラートで包んだ、甘い果実を見て、俺はそこで彼女の真意を見抜いた気になっていた。だがもし、それもフェイクなのだとしたら。更に一枚、真意が奥に隠れているとしたら。
関谷純を知る親戚が彼を追って神山高校に入学した際に、彼の痕跡を辿るのに困らないように、古典部の存続は必須だった。だから、俺を使って、二重の嘘までついて部を存続させた。
これはせいぜい一時的な処置である。俺が卒業したら、姉貴は高校内部に干渉する手段を失う。だが、それで十分だった。彼を追ってきた千反田は俺と同学年で、ちょうどおあつらえ向きの状況だった。ここまでくれば、姉貴が創刊号を最後まで見せなかった理由も分かる。俺を操ることで、俺を介して千反田に創刊号の内容を伝えさせたのだ。その結果として俺は部に馴染み、一枚目の優しい嘘も達成されることになる。
となると、創刊号はどうなったか。まさか処分するわけにもいくまい。姉貴は時機を見て、千反田にそれを渡したに違いない。それを手に入れた千反田の心情はおいておこう。そして、その結果、それは今、どこにあるのか。
可能性としては、いくつか考えられる。自室。関谷家に寄贈。関谷純のお墓に供える。
ただ。入須の言っていたことを思い出す。もし、もう一通の手紙というのが実在して、それがルーツに関係している所に隠したのならば。そしてそれを仄めかす、つまり見つけてほしいと心のどこかで願っているのならば。俺達でも、手に入れることのできる場所で、ただ簡単には分からないような場所できちんと保管しているはずなのだ。そしてそれは、下手をすれば一生気付かれないようなところではない。少なくとも千反田に関する誰かが見つけてくれるような場所。
例えば、今年の氷菓制作のためにバックナンバーを漁っていたら偶然見つかるようにしこまれた、薬品金庫の中、他の氷菓のバックナンバーの中に混ぜ込んでおくとか。
「十文字さん、今から学校に行こうと思うが来るか?」
「……何かわかったの?」
「うまくいったらお慰み、くらいかな」
そう言って席を立つ。
「お会計で」
「いえ、先ほどの女性のお客様が支払われましたよ」
俺は渋い顔になった。入須に借りをなるべく作りたくなかったのに、思わぬところで。
「ごちそうさまです」
十文字がそう言うと、先ほどの店員はにこりと微笑んだ。
「また来てくださいね」
そういえば。俺はふと疑問に思い、店員の方を向く。
「このお店の名前、あさやでいいんでしたか」
「いえ、よく間違われるんですが、まやと呼びます。……その友人の名前が由来なんですよ」
彼女は名札に目を落とした。名札の右下に小さく、marija Jovanovicと書いてある、おそらくその友人の名前なのだろう。
「そうですか。ご馳走様でした、途中失礼なことを聞いて申し訳ありません」
「いいえ。……ご友人、早く見つかるといいですね」
外に出る。室内にいたので気付かなかったが、天気が悪化してきたようだ。
「早めに終わらせよう、雨が降ったらおもしろくない」
「そうだね」
幸い、麻屋と学校はさほど離れていない。俺たちは神山高校へと歩みを速めた。
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