「姉貴か」
番号は非通知だったが、確証があった。
「そうよ。今、神山高校のチャットページにアクセスしたでしょ。まさか過去のログを遡って懐古する趣味はもってないでしょうし、何か思うところがあったの?」
「もう腹の探り合いはいい。……俺のアカウントで千反田と会話していたんだろう。その理由を調べようと思った」
姉貴は嘆息する。
「……ばれてしまっては仕方がないわね。全く、OBOGのアカウントではチャットルームに入れないとは予想外だったわ。無駄なところだけセキュリティ高いんだから。バックログは消せるとはいえ、最終ログインまではいじれなかったの」
「入須とつながっていたのもこのチャットルームか」
「……ふぅん」
姉貴の声のトーンが、一段低くなる。
「よく分かったわね。あの子にかまでもかけた?」
「いや。これで確証を得た」
「そう。……どこで分かったの」
「姉貴自身が俺をけしかけると、流石の俺でも、姉貴と千反田がつながっていると一瞬で分かるからな。となると誰かをかませると思った。それに姉貴と入須は、やり口が似ているからな」
それに、入須は俺の弱いところを的確に甘い言葉でついてきた。いくら入須でも初対面の人間のウィークポイントをそう簡単に把握できるわけがない。となると、俺の情報を前もって誰かから伝えられていたことは確実だろう。そしてそのような人間は、姉貴くらいしか心当たりがなかった。
「冬美には悪いことをしたわね。例の映画の事件で手を貸したから、それを返してもらったの。どちらも君に迷惑をかける役になってしまって申し訳ない、って言ってたわよ」
「例の映画の件、やっぱり姉貴も嚙んでいたのか。……どこまでだ」
「うーん。総監督があたし、現場監督が冬美、主演が奉太郎、ってところかな。今回の件もそう。だから冬美を恨まないであげてね、あの子も役割があって、果たすべき責務に追われているだけなんだから」
唇をかむ。やはりあの事件もヴェールがもう一枚かかっていたのだ。
「過ぎ去ったことはどうでもいいわ、国際電話は高いし。何かあたしに用でもあったんじゃないの、手短にお願い。無いなら切るわよ」
姉貴は電話を切りたがっている。姉貴は家の電話番号を知っているので俺に一方的に電話を掛けられるが、俺は姉貴に電話をかけるすべがない。この姉貴の気まぐれを除けば、次にいつ姉貴と連絡を取れるか分からない。
……まだ完全に考えが固まったわけではない。だが、一つ言うとすれば。
「姉貴は関谷純のことを優しい英雄と確か評したよな」
「ええ、そんなこともあったかしらね」
「俺はずっと、『優しい』ということを強調しているのかと思っていた。それがゆえ皆に付け込まれて、退学したのだと。千反田も糸魚川教諭も、それに沿うような証言しかしなかったからな。
……だが、そもそもそれが間違っているとしたら、話は根底から変わってくる。ほんとうは、優しい『英雄』だったんじゃないか。英雄に憧れ、その為に皆の希望に応えんとし、退学した後も、救う人を見つけるため海外へといった英雄性愛者。それが、関谷純の本性だったんじゃないか」
姉貴は沈黙したままだった。それはほかの何よりも雄弁に、俺の推理が当たっていることを示していた。
「なぜ姉貴が氷菓の創刊号を俺達に渡さなかったのか。そして今になってなぜ千反田にそれを渡したのか、それが少し謎だった。まさか千反田と俺のとっかかりをつくるためでもあるまいしな。
……だが、そう考えれば何となくの説明はつく。関谷純がそうであることを、千反田家の後継ぎであり彼を尊敬する千反田に知られては都合が悪いと思ったのか」
「……余計なおせっかいだとは思ったんだけどね」
姉貴の声は若干後悔の念が滲んでいた。
「関谷純のことを調べる上で、彼に憧れた姪がいることは冬美から聞いていたの。それに、彼のことを少し勘違いしていることも。汚い真実は知る必要がないと思ったから、あたしはその本だけ失敬した。……糸魚川教諭とは一度話したことがあったけど、先輩に対する過去の記憶は美化されていたのか、それとも序文を書いた時から彼のことを誤解していたのか分からないけど、ちょうど偽の関谷純を形作るうえでちょうどよかった」
「だが、千反田は後継者にならなかった」
そう。そんなことになるなんて、流石の姉貴も読めるはずがない。
「だから、もう隠す必要がないと思ってそれを見せたのか?」
「……いや、それはちょっと違うわ」
ここにきて否定されると思わなかったので、少し困惑する。
「じゃあ何故だ」
「……『旅行』にするわけにはいかなかった、というのが一番の本音かしら」
姉貴の言っている意図を汲めずに俺は黙る。
「家督相続ができないという件で関谷純を思い出して、彼の後を追うというのが考えうる限り最悪のプランだったから。それは関谷純ではない、ただ彼女の理想を投影した虚像だったし、その状態で万が一外国に行っても、得られるものはないと考えたの。どちらにせよ、機を見て氷菓は返そうと思っていたし。時期が想定より早まっただけ」
「……一体、関谷純とはどんな人物だったんだ。千反田の、彼にまつわる話はどこまでが本当で、どこまでが正しかったんだ」
「奉太郎が聞いた話も真実よ。でもね、えてして話は歪むものなの。神山祭の委員長に祭り上げられ、反教師派の代表格として祭り上げられたのも本当。責任を全部取らされて退学させられたのも本当。そのあと海外に行ったのも、……氷菓の題名の意味だって本当。
だけど、彼はそんなに気弱な人じゃなかった。代表格としての仕事はしていたみたいだし、抗議行動の式は大体彼がとっていたらしいわ、なぜか他の人にされされている体を取っていたみたいだけど。それこそ同性の後輩、大乗さんなんかにはよく自分の展望を語っていたみたいね」
「……あの後輩の作文は色眼鏡で見た結果と思っていたが、実際は的を得ていたわけか」
「そうね。それで、退学の時もひと悶着あったみたい。最終的には関谷純が条件を全て飲んで、全責任を負ったわけだから、間違いばかりの人物像というわけではないけどね」
やけに姉貴が関谷純のことについて詳しいのが引っ掛かる。……姉貴の年齢は俺の五つ上。関谷純が失踪したのは今年で八年。姉貴が一年生の時に、三年生は二つ上。
「姉貴は……古典部時代に、先輩から関谷純の噂を聞いていたのか?」
「ええ。ぎりぎり、一番上の先輩に関谷純と会ったことがある人がいて。私自身はあったことがないけど、生きざまに興味があって、学生時代に少し彼のことについて調べていたの。だからあんたの同級生に、彼のことを調べている彼の姪がいると知った時にはちょっと驚いたわ」
「海外旅行も、その影響か」
「そうね」
いったん姉貴は言葉を区切る。
「そうではないと言ったら、嘘になるわ。……関谷純の墓は見たかしら?向こうの国で関谷純のことを知っている人を探したことがあって。まさか見つかるまいと思っていたんだけど、意外と多くて。手紙を書きたいって言われたからお墓の住所を教えてあげたの」
「結構な量だったな」
「あれでもごく一部よ。本当はもっと来ていたんだけど、お寺の方にとっては邪魔でしょうし、関谷家に送るように取り計らっておいたの」
話が一旦途切れる。だが、まだ、聞き足りないことが山のようにあった。
「なぜ入須を使って俺に干渉した。千反田の手紙はどこにある、いやそもそも姉貴の目的は何だ?それに姉貴は千反田とつながって、一体何がしたかったんだ」
「うーん、全部の質問には答えられないわ」
「ふざけてないで……」
「とりあえず二番目の質問には答えてあげる。千反田さんの手紙は、ないわ。正確に言うなら、あったけど、今はないというのが正しいわね」
「……処分したのか?なら何のために。そもそももしそうなら、俺に手紙のありかを教える必要などなかったのに」
「こら、早合点しない。冬美にはあんたの行動を誘導してもらうようにしたからあまり詳しくは知らないのだけど、十文字家のご令嬢を付き合わせたみたいね」
「……誘導?何のために」
「千反田さんの、人宛の文章を消去するためよ」
「文章?何言って……」
いや。
千反田が、もし俺達に何か残すなら、それは文書であろうという、思い込みがあった。
だが実際には、どうやって残せばいい?確かに失踪前ならいくらでも残し場所があるだろう。それこそ部室でも、氷菓創刊号のページの間でも、クラスの俺達の机でも。
ただ、もし失踪後に、俺達に最後のメッセージを送ることを思い立っていたとしたら。それこそメッセージの送り方はかなり制限される。手紙だと投函すれば親に見られる可能性もあるし。
となると、一番手っ取り早いのは、高校のチャット掲示板ではないだろうか。相手からのレスポンスも確認できるうえ、こちらから一方的に連絡を送ることも出来る。変に状況証拠を残さなくてもいい。
なぜ気づかなかったのだ。入須の手紙という言葉に惑わされ、完全に紙の実物がどこかにあると思い込んでいた。完全に誘導されたのだ。
「千反田さん、勢いに任せてあんた達宛のメッセージを書いたらしいんだけど、取り消したいらしくて。内容も、今、そしてこれからの居場所につながる内容だったから、ログを削除することにしたの。でもこれ、ログを削除するには書き込んだパソコンからのアクセスが必要で、ちょっと時間がかかりそうだったし、それにその間変に推理を進められてメッセージを見られたりしたら困るじゃない。……里志くんと伊原さんが見るかどうかは賭けだったんだけど、まぁ見ないだろうと思っていたし、実際それは当たったようね」
横のパソコンを操作し、プライベート掲示板を開く。メッセージは、ゼロ。千反田との過去の会話履歴も、すべて消えている。
「それに、あたしは何がしたいか、そしてあたしの目的だけど、これは大したことないわ。ただ、いままで限られた世界しか見られなかった子が、もし本気で外の世界を見ようというなら、それを手伝いたいと思っただけ。ちょうど縁もある子だしね」
「自分なら手伝えると?」
「伊達に海外に何年もいないわよ。今回は水先案内人、もとい船頭もいるし」
姉貴の後ろで、誰がセンド―よ、という声が微かに聞こえた。
「正直そこまで心配しなくてもいいわ。そっちはやっぱり焦っていると思うけど、今生の別れっていうわけじゃないし。千反田さんの意思ではそっちにいつかは帰ってくる予定だから」
「ふざけるな、高校はどうする。受験もあるだろうが、何より警察も動いているのに」
一瞬の静寂の後、姉貴は少し笑った。
「警察と千反田家にはもう、連絡しているに決まってるじゃない。してなかったら誘拐よ」
「……は」
「千反田家からも一応、了承は得ているわ。当たり前じゃない、あたしがいくら破天荒とは言えど、そんな真似はしないわよ。そもそも出国審査時に行方不明届が出ていたら弾かれるかもしれないのに。少し手続きとかで揉めるかもしれないけれど、いずれ高校でも通達されるわ。騒ぎには……なるでしょうけど」
それも、そうだった。言われてみれば、当たり前の話だ。
ならば。
ならば俺は、何をしているのだろう。何の義理があり、こんなことをしているのだろう。
当事者同士で、すでに解決した問題だというのに。
「また、黙りこくって。あたしがちょっと前に電話したとき、あんたは何かを決心したようだったけどね。」
姉貴は呆れたように言う。
「……冬美に一つだけ、頼みごとをしたの」
そう言葉を継ぐ。
「千反田さんを助ける気はあるのかって、奉太郎に聞いて、その時の反応を教えてほしいって。冬美からは『強くうなずいた』とだけ教えてもらった。でも、言葉にはしていないんでしょう。それじゃあダメよ、奉太郎。決心は言葉にして、ようやく身に沁みるものだから」
「……俺は」
「それに、千反田さんのメッセージを消した理由の一端にもそれはあるの。やっぱり、対面じゃなくてもいいから、話して言葉にしないと伝わらないこともあると思うし。
ってことで、あんたが今話そうとしていた言葉は千反田さんに直接言ってあげて」
「何を、というか、そう簡単に千反田に連絡出来たら世話はない」
「簡単よ、横にいるもの。今電話を替わるわね」
ひゃっという悲鳴。ガサゴソと異音がし、こそこそと少し話し声が聞こえる。そして。
「……折木さん、久しぶり、ですね。ご迷惑をおかけして本当に、申し訳ありません」
緊張している、うわずって、こわばった声だった。
だのに、幾度となく聞いた声だとはっきり分かった。