家に帰ってすることもなくテレビをつけ、知らない芸能人が知らない場所を観光しているのを見ていると、電話が鳴った。半分寝ていた脳が急に覚醒し、相手も確認せずに慌てて受話器を取る。
「はい、折木奉太郎です」
「あれ、奉太郎、どうしたの。やけに出るのが早いじゃない、もしかしてあたしが電話かけてくるの、楽しみにしてたとか」
「……なんだ、姉貴か」
「ちょっと、急にテンション下がりすぎでしょ」
期待が外れて、どっと疲れが襲ってくる。
「いや……すまん。どうした、なにか用事か。親父ならまだ帰ってきてないが」
「あらそう。なら、そろそろ成田からボスニアヘルツェゴビナに旅立つから、数日間は連絡が途切れるかもと言っておいて」
「また東欧に行くのか。本当に物好きだな」
「中央ヨーロッパといった方がいいかもだけどね。それに今回は一人じゃないから、そう不安がらなくてもいいわ」
「どこが違うんだ、それ。というか、一人じゃないなんて姉貴にしては珍しいな」
「そうね、確かに。向こうであったフリーランスの記者の人とね。そんなとこで年の近い日本人の女性と会うなんてなかなかないから、意気投合しちゃって」
はぁ。そんな奇特な奴が姉貴以外にいたとはね。
「そんなわけで、こちらは問題なし。そっちは?」
「……いや、こちらも特に何もない」
「へー、そうなんだ。その割には随分暗い声してるわね」
変なところで聡い姉だ。
いつだってそう。姉貴は全てを見抜いているかのように匂わせておきながら、とぼけた顔で嘯くのだ、どうかしたのか、と。
「何か知っているのか」
どうせごまかされるのだろうと思いながら俺は尋ねる。
「さぁね。それとも、なにか知っておいてほしいことがあるってこと?」
「……いや、なにもない」
案の定だ。きっと、彼女は全て知っているのだろう、下手をすると、この事件の真相すら。いつだか里志に語ったように、俺は彼女にはかないっこない。いつだって俺の上位互換で、それどころか上位存在ですらある、思い返してみれば十文字事件の時だって。
「ねぇ、奉太郎」
姉貴の声のトーンが変わる。
「お母さんが亡くなった時、あんた覚えてる?」
「……覚えているわけないだろう、俺はその時幼稚園児だ」
「そう。私は覚えているわ。小学校低学年の時、泣き止まないあんたをずっとあやしていたこととか」
「……何が言いたい」
「その時、あたし思ったの。あたしはこいつを、お母さんの代わりに絶対に守ってやるって。だけど、そのモットーは高校くらいで消え去ったわ。何より自分が楽しむことが大事じゃない?本当に奉太郎が困っているときに、ちょいっと手を貸してやるくらいがあんたにとってもあたしにとってもちょうどいいんじゃないかって。それに、あたしがいちいち手をかしてやらなければいけないほど、あんたを軟弱に育てた覚えはないしね」
「……姉貴に育てられた覚えはないな」
「そう?まぁそれはいいの。あんたの掲げてるモットーは何だったっけ、『やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に』だっけ。姉として、おせっかいかもしれないけどアドバイスしてあげる。モットーに縛られるのは、やめておきなさい」
「……」
「あんたは結構そのモットーに則って生きてきたと思うし、それを否定するつもりは一切ないわ。そしてあんたもそれを後悔する必要はない。そしてこのアドバイスも、聞き入れなくても全くもって大丈夫。……ただ、モットーなんてそんな大層なものじゃないの。心の中にとどめておいて、ふとしたときの行動の指針にするだけでいいのよ。モットーを放棄しろと言っているわけじゃないわ。ただ、……過去に決めたモットーに縛られて、生きづらくなるなんて、本末転倒じゃない?」
「そう、かもな」
俺は。
俺は、いつしかモットーを枷と捉えていたのか。
それに気づかないふりをして、そのモットーから反する行いをするときは、他者からのお願いをまるで免罪符の代わりにして。
いつしか、他者のお願いを待ち望むようになっていたのではないか。
「奉太郎。長い休日はどうだった?その間に心境の変化はあった?休日を終わらせてくれる人は見つかったかしら。でもね、休日は人から言われて終わるものじゃないの。ずっと休日じゃいけないって気づいて、多少の面倒事も覚悟して、ようやく休日を開ける決心をするのは他でもない自分なの。
……もう、センドーと待ち合わせている時間だから、切るわね。いろいろ言ったけど、最後に決めるのは奉太郎だから。あんたのその辛気臭い顔が、幾分かましになってることを姉として願ってるわ。じゃね」
センド―?……仙道、だろうか。先ほど言っていた、姉の友達だろう。電話が切れる。
俺は受話器を持ったまま、その場から動けなかった。
書きだめていたのはこれで最後です。
要望があれば是非続きを書かせていただきます。