「君が、伏黒恵くんかい?」
黒いランドセルを背負った子供に声をかける。
無言でこちらを振り向いた容貌に、一瞬だけ体が強張った。
確かに、あの男の面影がある。
「何?」
ぶっきらぼうに問われ、意識を引き戻す。
小学生ながら、理知的でくすんだ目をしている。きっと色々と苦労してきたのだろうと、容易に察しがついた。
「君のお父さんから頼まれてね。君を呪術高専に引き取りに来た」
「親父から?」
眉間の皺が一気に深まる。
小学生がしていい顔じゃないだろ、なんて思いながら、夏油はしゃがみこんで伏黒恵の顔を覗き込んだ。
「君のお父さんと私たちは……ちょっと、なんというか……浅からぬ因縁があってね。その果てに、君の存在を教えてもらったんだ」
「…………」
視線が痛い。
不審者を見る目つきだ。
「じゅじゅつこうせん、だっけ」
「ああ」
「そこに行けば、津美紀は幸せになれるのか?」
二階の窓から、こちらを見下ろす少女の影がある。彼女が、姉である伏黒津美紀だろう。
呪術も知らない、人の裏側も知らない、無垢な子供。
「……ああ、もちろんさ」
その姿を見て、夏油の心に小さな希望の芽が生まれた。
ほんの微かな、未来への希望が。
「君たちは、幸せになれる──幸せにしてみせる」
育てよう。
他人の死を喜ぶような薄汚い大人ではなく、自らの力で未来を切り開ける大人に育ててみせよう。
「私が、君たちを導くよ」
守りたいものを守れるように。
行きたい場所へ行けるように。
夏油は、この子達を正しい未来へ導いて行くと──そう決めたのだった。
◆◇◆◇
あれから一年が経った。
あの日を境に五条悟は呪術高専を去り、フリーの呪詛師となった。
「夏油、大丈夫?」
「……ああ、問題無い」
「クマすごいけど」
「寝れてはいるよ、大丈夫。恵くんと津美紀ちゃんに心配かけるわけにはいかないからね」
「私には心配かけて良いんだ」
夏油と家入は順当に進級し、三年生となった。
「行ってくる」
「無理すんなよ〜」
季節は巡り、夏。
蛆のように湧いてくる呪霊を取り込みながら、夏油は街を歩く。
もしかしたら、偶然親友に会えるかもしれないと考えて。
そんな淡い希望に縋って、夏油は今日も呪霊を祓い、取り込む。
(監督役から、日本各地で強力な呪霊がかなり減ってきていると報告があった。おそらく、悟だろう)
確信があった。
(……その分、頭が破裂した変死体が数人目撃されている。おそらく、これも悟だろう)
納得があった。
呪霊を祓うついでに、気に入らない一般人も殺して回っているのだろう。
無差別に殺していない点が、唯一の救いだろうか。
五条悟がその気になれば、地球上の人類を皆殺しにできる。
つまり、人間社会の存続は五条悟の気分一つに委ねられたということだ。
「……馬鹿げてるな」
すれ違う人々は気付かない。
今、自分が生きているのが、ほんの偶然であるということに。
日々を過ごす人々は気付かない。
今、こうして生きていられるのが、ただの偶然でしか無いことに。
「ん……はい、もしもし」
ポケットに入れていた携帯電話に着信がかかる。
家入からだった。
人波を離れて、壁によりかかる。
「は?」
家入の言葉に、一瞬思考がフリーズする。
気がつけば、移動用の呪霊に飛び乗って渋谷の街へと向かっていた。
「よぉ、傑」
人混みに降り立ち、特徴的な白い髪を視界に収める。
後ろを向きながらも、まるで夏油の動きが分かっているように言葉を紡いだ。
「悟」
「酷い顔してんじゃねぇか。夏バテか?」
くるり、と五条が振り向く。
あの日と同じく、黒い高専の制服に身を包んでいるのは、何の皮肉か。
「やっと見つけた。帰ろう、悟」
「帰る? 何処にだよ」
青い瞳が夏油を射抜く。
数秒、言葉に詰まった。
「高専にだ。決まってるだろう」
「バカ言うなよ。なんでわざわざ檻の中に戻んなきゃなんねぇんだ」
檻。
檻ときたか。
「あそこは檻じゃない。学び舎だ」
「学び舎、ねぇ……」
五条の顔が、不敵に笑う。
「じゃあその学び舎で、ごっこ遊びでもやってれば良いんじゃねーの? 俺以外とさ」
「悟……!」
思わず、一歩踏み出す。
五条は何でも無いかのように話を続ける。
「引き取ってくれたんだって? あいつの子供。ご苦労なこった、自分から面倒事背負い込むなんてな」
「教えたのはそっちだろう」
伏黒甚爾の遺言を夏油に教えたのは、他でもない五条だ。
お尋ね者になる自分よりも、高専に残る夏油に預ける方が安全だと思ったのだろう。
実際、それは正しい判断だった。
(そうだ。悟がわざわざ私に伝えたのは、やはり)
夏油は確信する。やはり、五条は完全に悪の道へ進んだわけではない。
今ならまだ、やり直せる。
「んじゃな。久々に会えて嬉しかったわ」
「待て、悟!」
イカの呪霊が、五条の両足に巻き付く。
行かせない。
引きずってでも、連れて帰る。
「邪魔」
そんな決意は、いとも容易く打ち砕かれた。
吹き飛ぶ、吹き飛ぶ、吹き飛ぶ。
呪霊が、人混みが──そして、自分自身が。
「俺に勝てると思ったわけ?」
空を舞った夏油に、五条が肉薄する。
手を伸ばせば掴めそうな距離なのに、遥か遠くに感じる。
勝てない。
今の一瞬だけで、そのどうしようもない事実が理解できてしまった。
「さ、とる……!」
「じゃあな、傑」
ビルの壁に叩きつけられる。
それを最後に、夏油の意識は闇へと落ちていった。
◆◇◆◇
強く、みんなで強くなろう。
親友に置いていかれないように。
もう誰も失わないように。
証明する。
一人で最強になった親友よりも、みんなで最強になったほうがよりよい未来が描けるのだと。
生徒を育てて──そう、証明してみせよう。
◆◇◆◇
「夏油先生、もう授業始まってるよ?」
「うたた寝してる」
聞き慣れた声で、目を覚ます。
目の前には、呪術高専の制服を着た双子の姉妹の姿があった。
「……ああ、すまないね。ちょっと気が緩んでたみたいだ」
椅子から立ち上がり、二人の頭を撫でる。
子供の頃から、この二人は夏油に撫でられるのが大好きだった。それは今も変わっていない。
「えへへ~……じゃない! 早く来て、夏油先生! 伏黒が生意気でうるさいの!」
「虎杖と野薔薇も、漫才しててうるさいの」
「わかった、わかったから」
ジャージの裾を引っ張らないでくれ、伸びる。
「……悟、私は私のやり方で、最強になってみせるよ」
双子に手を引かれ、廊下を歩きながら夏油は考える。
最強とは、何も戦闘力だけで決まるものではない。
他者を尊び、自らの守りたいものを守れる、強い大人が大勢いる世界──そんな世界があったら、間違いなく『最強』なのだから。
「お待たせ、皆」
扉を開けて、教室に入る。
今日もまた、呪術高専の1日が始まるのだった。
これにて完結。
曇らせは楽しいけど、ちゃんとアフターケアもしないとね。投げっぱなしジャーマンダメ、絶対。