街では霧が立ち込め、石造りの家屋や油の臭いの立ち込める工場についた煙突及びパイプから、排煙と蒸気が昇る。
カチリカチリとそこかしこから歯車の回る音と金属音が鳴り、街中で見上げれば目に入る巨大な時計塔は静かにそこに佇む。
夜中という事もあって誰もが寝静まっているのか、明かりは既に消えており、話し声は少しも聞こえない。
「チッ、どこまで逃げた? 全く腹立たしい……」
そんな静寂を遮ったのは、家屋の中ではなくレンガで舗装された石畳の街路上を歩く数多の影法師。
仄かな街灯に照らされたその正体は、暗く赤い上質な布のロングコートと白いズボンを身に纏い、美しい装飾のついた拳銃と剣を腰に帯びる、騎士を彷彿とさせる出で立ちの軍団だ。
コートは黒革のベルトと歯車型の真鍮製の留め金で締められており、黒いロングブーツを慌ただしく動かしている。
「なんとしてもあの反乱分子を見つけろ! 街中くまなく探し、そして生け捕りにするんだ!」
集団の先頭に立つ、左手の甲に『蜘蛛が描かれた赤い紋章』を持つ男が命じると、彼に付き従う者たちは一斉に両足を揃えて右腕で己の胸を叩いた。
『レンフィールド卿の仰せのままに!』
その言葉と共に軍団は三人一組で散開し、再び小さな物音だけが聞こえる空間が戻る。
しかししばらくの後、今度は地下水道に繋がる金属の蓋が開き、そこから小柄な人間の影が飛び出す。
「撒いた、かな」
暗がりのせいで正確な姿や声は判然としない。白衣を着ている事だけが、辛うじて分かる程度だ。
「流石に余裕がないね。早いとこ見つけないと、何もかもが手遅れになってしまう」
白衣の人影はそう呟くと、周囲を警戒しながら蓋を閉ざす。
「必ずどこかにいるはずだ……これを使うに相応しい者が」
そう言って去って行くその人物の手には、革のトランクが抱えられていた。
GEAR.01[魔王誕生]
日本の夏――それも春が過ぎ湿気と熱気が入り混じり始める、6月頃。
市内の中高一貫校、空久里学園の校舎内の入口で、そんな天気の空を溜め息混じりに眺める者がいた。
「はぁ……」
真っ白い夏用ブラウスと高等部の1年生である事を示す緑色のネクタイ、そして青とライトグレーのチェック柄のスカートを着用している、腰まで伸びた黒髪の少女。
少し暗い雰囲気で、目の上半分が隠れるほどに長い前髪を生やしており、怯えるように背が僅かに丸まっているが見かけよりも身長が高い。整った鼻立ちや柔らかな唇、そして大きく実った胸部に細い腰と、自信なさげな態度で目立たないだけで、美しい容姿であった。
名は
その手には鞄はあるものの、反対側の手には傘を持っていなかった。しかしそれは、決して瑠璃羽が傘を忘れたワケではない。
「……どうしよう」
遡ること数十分前、瑠璃羽は図書室に立ち寄り、同じ寮室で暮らす女子の友人とは別々に帰る事になった。
そして目的の本を借り、帰るために傘立ての方を確認したところ、自分の傘がなかった。誰かに誤って持って行かれたのだ。
このままでは門限までに寮へ帰れないため、悩んでいる間に現在に至る。
いっそ濡れてでも帰るべきか、しかし中々強い雨なのでそれでは借りた本がぐしゃぐしゃになるかも知れない。再びの溜め息と共に途方に暮れている、そんな時だった。
「おい、お前」
後ろから突然に強い口調で声をかけられる。
男子の声だ。思わずビクッと身震いし、彼女は慌てて振り返る。
そこにいたのは、長く伸びた赤みのある金髪を三つ編みにし、左肩から垂らしている黄色いネクタイの少年。瑠璃羽よりさらに背丈が大きく、柳の葉のように細い眉やシャープな鼻梁、長めのまつ毛に薄い唇などの整った顔の造形から、美丈夫と言って間違いない。
ただし目付きはややツリ気味で眼光鋭く、眉間に少し皺が刻まれているため、意図せずともその琥珀のような鮮やかな色の瞳が威圧感を発している。
そのため元々の気性の弱さもあって、瑠璃羽は彼の顔を見た途端に胃が押し潰されそうな勢いで身を竦ませ震えていた。
「な、ななななななな、なんですか? え、えっと……
どもりながらも上擦った声で尋ね、名札に書かれた苗字を呼ぶ。
少年、
「いや、その。なんかずっと突っ立てるから。傘忘れたのか」
「え、あぁっ……ご、ごめんなさい! わ、私邪魔でしたよね、すぐに帰ります!」
「は? おい待てよ」
肩を右手で掴んで止める千種に、瑠璃羽はさらに動揺してしまう。
すると、今度は彼の後ろの方から新たに声が聞こえて来た。
「ごめんお兄~! お待たせ!」
女子生徒、それも中等部の制服を着ている少女は、そう言って背後から腕を回して千種に抱き着く。
いわゆるギャルと呼ぶべき風体の彼女は、千種と同じく金髪でよく似る目鼻立ちの整った美形、しかし彼ほど威圧的ではなく目付きも含めてむしろ柔らかい表情で、身長は同じ女子の瑠璃羽と比べてずっと低く幼さを感じさせる容姿だ。
セミロングの金髪を揺らすその中等部の女子生徒は、千種に明るい笑顔を向けている。
「おう
すると千種はそう言って少女の手から傘を取り、瑠璃羽に差し出した。
「ホラ」
「えっ、えっ?」
「貸してやるから代わりに妹と入ってくれ、アンタの方が紬より背ェ高いだろ」
急な提案に瑠璃羽が目をしばしばと瞬かせる。そして千種の方は彼女が受け取るのを待ち、差し出したまま頑として動かない。
そんな様子を目の当たりにした紬は、興味津々に二人の顔を見比べている。
「え、なになに! お兄のカノジョ~!?」
「なワケねぇだろ、初対面だよ」
「んふふ。だよね~、ガサツなお兄が私より先に恋人作れるはずないよね~」
「お前なぁ……」
コツン、と千種が紬の頭を軽く叩き、叩かれた妹の方はイタズラっぽく舌を出して笑う。
「あー、ちゃんと自己紹介した方が良いか。俺は才賀 千種、こっちは妹の紬。俺は高等部2年で紬は中等部1年な」
「そっちは名前何て言うのぉ?」
好奇心に満ちた眼差しが注がれ、困惑しつつも名を名乗る。
「……か、香衣 瑠璃羽、高等部1年、です」
「じゃあルリリンね! よろしく!」
「る、るりりん……?」
「ほら行こうルリリン! せっかくだからお話しようよ~、お兄も!」
兄の手から傘を取り戻して瑠璃羽に握らせ、そのまま校舎の外まで強引に引っ張っていく。
ここまで来てしまうともう否応なしに傘を開く他なく、千種も後ろで自分の傘を開いて歩き出す。
そして紬は明るい笑顔を向け、愉快そうに初対面の彼女へ質問を投げかけ始める。
最初は馴れ馴れしい態度に戸惑っていた瑠璃羽だが、正反対に暗い自分に興味を示す紬と話す内に次第に緊張が解れて行き、気付けば身の上話になっていた。
「へぇ! ルリリンのパパって昆虫学者さんなんだ!」
「確かにその香衣って名前の研究家、ニュースかなんかで聞いた事あるな。色んな会社が関わってるデケェ研究所で地球環境改善に取り組んでるとか」
「で、パパさんの勧めでこの学校に入って寮暮らしかぁ~。通りで会った記憶ないワケだよね。じゃあさ、ルリリンも昆虫好きなの?」
こくこくと瑠璃羽は数度頷く。実際彼女は、父のような昆虫博士を志しているのだ。
「昔から、お父さんと一緒に博物館に行ったり、図鑑を読むのが大好き、で……今日も、図書室で読んでたん、だけど……帰ろうと思ったら、傘がなくなってて」
「忘れたんじゃなくて取られちまったのか。災難だったなそりゃ」
「それで寮に帰れなくなって……二人が、声をかけてくれて」
紬はそれを聞いて、ニヤ~っと笑みを作って千種の方を振り返る。
「二人っていうかお兄だよね。ほんと、照れ屋のくせに女の子に目がないんだから」
「からかうな、そうじゃねぇっての。あのまま置いて行くのが嫌だから話しかけただけだ」
「でもさっきルリリンの胸チラチラ見てたでしょ、むっつりスケベ~」
「コラ! 違うっつってんだろ!」
頬を赤く染めて千種が抗議し、紬はまたニヤニヤと笑う。
一方瑠璃羽も、仲の良い二人の兄妹の様子に自然と頬を緩ませていた。
「っと、もう着いたな」
しかし楽しい時間も束の間、一行は暖簾に『
この2階が千種たちの住まいで、彼らの父が店長を務めているという。それなりに繁盛しているらしく、既に客が入っているようだ。
「良かったら食べてく?」
「うぅん、門限があるから」
「そっかぁ。もうちょっとお話したかったけどねぇ~……あっ、連絡先でも交換する?」
「い、いいの?」
「もっちろん! ルリリンと友達になりたいし! お兄もほらほら!」
店の軒先の下で三人とも携帯端末機器の
「え、えへへ……寮の子以外で初めてできた、友達……」
嬉しそうに頬を緩ませる瑠璃羽。紬もそんな彼女を見て、満面の笑みを見せている。
そして千種はふと思いついたように「ちょっと待ってろ」と告げ、紬の傘を瑠璃羽に持たせた後、店の中に入っていく。
瑠璃羽も紬も顔を見合わせて首を傾げ、鞄を置いて待っていると、中に小さな箱の入った紙袋を持って二人の前に現れた。
「傘のついでにこれも持って行け」
「これは……?」
「桃饅。美味いぞ、寮の友達と一緒に食べな」
「えっ!? い、いい、んですか?」
「今日のところは俺のオゴリだ。代わりに、ウチの店の宣伝よろしくな」
視線が袋と千種の顔とを行き来する。
実際のところ瑠璃羽は甘いものが好物なので、とても魅力的な提案に聞こえた。
そしてほんの数秒逡巡した結果、その袋をしっかりと受け取る。
「あ、あ、明日! 雨降らない、らしいので、登校する時傘を返しに……寄りますね!」
声を張り上げて頭を下げ、傘を開き紙袋を片手に、瑠璃羽は去って行く。
その背中を見送りつつ、紬はまたもやニヤッと唇を釣り上げる。
「ホント優しいよね~お兄、言葉遣いはぶっきらぼうだけど~」
「うっせ……ん?」
千種が視線を地面に落とすと、そこには柱に立てかけるようにして置かれた瑠璃羽の学生鞄がある。
どうやら忘れて行ってしまったらしい。連絡しようかと二人とも思ったが、N-フォンもこの鞄の中に入れていた事を思い出す。
「おいおい、せっかく本借りたって言ってたのに」
「ん~、どうするぅ?」
「『善は急げ』だ、俺が届ける。一応寮の場所なら知ってるし、ひとっ走り行けば間に合うだろ」
「じゃあパパとママにはあたしから言っとく! 転ばないように気をつけて~!」
妹に自身の鞄を預け、傘を差して駆ける千種。念のためN-フォンのナビ機能も利用しながら、学生寮を目指す。
そこまで強い雨ではないはずだが、知らず知らずの内に霧が立ち込めつつあり、視界が妨げられていく。
だが何も見えないワケではなく、記憶の通り道路を歩き続けた。
「で、この角を曲がっ――」
言いながら曲がり角を通った、その直後。
「あ?」
周囲の風景が、それまでの街の空気と匂いが、明確に変化する。
眼前が霧に覆われているのは変わらない。だが建造物は多くが石造りで煙突が多く、見慣れない形状になっている。それに工場のようなものも多く見え、金属臭が漂っていた。
これでは街の外どころか、まるで異国に出てしまったかのようだ。
「え、あれ? はぁ~? なんだぁこりゃ?」
頭上に疑問符を浮かべているかのように首を傾げて素っ頓狂な声を上げ、一歩ずつ元の道に戻る。
だが、変化はない。今までに見た事のない景色が広がっているだけだ。
次第に千種の困惑と焦燥が深刻化していき、息遣いが荒くなる。夢か何かなのではないか、そうであって欲しいと願いながら再び瑠璃羽を探して前に歩こうとして、赤い光が目に入ってハッと空を見上げた。
そこにあるのは、まるで血溜まりに浸かっているかのような、深紅に輝く満月だ。
「……どこだよ、ここ!?」
あまりに現実離れした光景に、思わず千種が叫ぶ。
N-フォンの方も既に圏外でナビが機能しておらず、電話も通じない。
一体どうすればいいのか。焦りながら視線を彷徨わせると、見覚えのある姿を捉える。
瑠璃羽だ。赤黒い軍服のようなものを纏う三人の男たちに両腕を掴まれ、傘も奪われてどこかへ連れ去られようとしていた。
当然彼女自身は必死にもがいて抵抗しているのだが、如何せん非力な上に大人三人相手ではどうしようもない。
「野郎!」
考えるよりも先に体が動き、千種はその三人組の誘拐犯の内の一人の顔面に傘を投擲。
先端がスコーンと命中するのを確認すると、さらにそのまま腕を掴んでいる者たちに回し蹴りと掌底を食らわせ地面に転がす。
しかし、直後に背筋に寒気を感じた。男たちの目はずっと見開かれたまま、だが一切の生気を感じられず、肌も屍蝋めいて真っ白だ。
そして何よりも、唇や頬に切り傷ができているのに
「おい! ボーッとしてんな!」
「せ、先輩!? どうしてここに!?」
「ンな話は後だ! こいつら絶対ヤバい、逃げるぞ!」
いつでも瑠璃羽を守れるように隣を走るが、逃げ場に心当たりなどあるはずもない。
がむしゃらに見た事のない不気味な街並みを一緒に駆け抜け、とにかく捕まらないようにするしかなかった。
だが、その逃走劇は呆気なく終わりを迎えてしまう。
「何を遊んでいるのかと思えば、人間を見つけていたか。それも異郷の子供が二人……」
「はっ!?」
頭上、それも石造りの屋根の方から声が聞こえ、千種は空を仰いだ。
そこには、他の者たちとは少々異なる形状の軍服を纏う男が、意識のない素裸の女性を横抱きにして立っていた。
男は千種と瑠璃羽を見下ろして鼻を鳴らし、跳躍して何事でもないかのように地上へ着地する。
高所から降りたというのに眉一つ動かさないので、二人とも明確に異常である事を理解せざるを得ない。
「いい加減私も疲れたし、せっかく活きの良い獲物を見つけたのだ。一服するのも悪くない」
「クッ!? なんなんだテメェら!」
「フハハハ! これから餌食となる者が知ってどうするのかね!?」
男たちの両眼と唇の端が亀裂と共に裂け、ペキペキという音を立ててヒビが広がっていく。
そして彼らが大きく口を開くと、鋭い牙がずらりと縦に並ぶ、もうひとつの口とでも形容すべき左右に開閉する奇妙な器官が露出した。
「な、あ……は!?」
「ば……バケモノ……!?」
二人とも、目の前にある非現実的な光景に圧倒されてしまい、竦んでしまう。
しかもそれだけではない。リーダー格の男は抱えた女性の首筋にその牙を立てると、その血を啜り肉を貪り始める。
口の周りを血だらけにしてある程度吸い続けると、今度は部下たちに向かって放り捨て、同じように食わせた。
「次は貴様らの番だ」
ギチギチと口から音を立てながら迫る怪人たち。千種は身を奮い立たせようとするが、異形の牙によって絶命した女の姿から目を離せずにいる。
その時、二人と怪物たちとを隔てるように丸い物体が横切りって地面にぶつかり、カランッという乾いた音が響く。
「む!?」
リーダー格の怪人がその物体に一瞬目を奪われ、我に返った千種は咄嗟に瑠璃羽の手を取った。
直後、投げ込まれたものがガスを噴出し、煙幕のように周囲を白く包み込む。
「な、なんだ!?」
「来い少年たち、こっちだ!!」
驚く千種のもう片方の腕が、何者かによって掴まれる。
白いガスの中で正体は分からないが、千種たちはその小さな手の導きと声に従うまま、走り出す。
一方、突然の事態に怯んでいた異形の男の方も、既に冷静さを取り戻していた。
「バベッジか! 追え、逃がすな!」
言いながらリーダーの男が駆け、異形の軍服の内の一人が警笛を鳴らす。他の仲間に位置を知らせているのだろう。
その間に千種たちは、廃墟となった建造物を通って地下道に隠れ、開けた場所まで走り続けた。
「おい、アンタ一体……!?」
息を切らしながら尋ねようとしたところで、千種はここに来て自分が瑠璃羽の手をしっかりと握っている事に気付き、顔を赤くしながら慌てて離す。
その様子を横目に見て、千種の腕を取った人物――白衣を纏う女は、その顔に着けたゴーグルを額まで上げ、彼らの正面に向き直る。
「すまないが悠長に話している場合じゃない、ただ何も分からないままじゃ不安だろう。手短に少しだけ教えてあげるよ」
そう言った白衣の女の姿は、千種だけでなく同性の瑠璃羽も見惚れる程に秀麗であった。
肩まで伸ばしたやや癖のある真っ白な髪に、眠たげにタレた両目から見える深海を映し出したかのような青色の瞳。どこか余裕を感じさせる、自信に溢れた笑みを浮かべる薄紅の唇。
白衣の下にはブラウスに革のコルセットとショートパンツを着用しており、少々小柄ながらスレンダーな体型で足も長く、艶めかしい柔らかな太腿が目を引く。
金属製のヒールがついたショートブーツからカツッと音を鳴らし、白衣の女は奇妙なポーズでフッと笑みを零して名乗りを上げる。
「ワタシの名はシルキィ・バベッジ。ハイパーサイエンティストだ」
「ハイ……サイ……なんて?」
「ま、今は名前と私が超天才だという事だけ知ってくれたまえ。次に……キミたちを追って来たあの怪人、あれは『
マキナイト、という名を聞き、瑠璃羽はそれを脳に刻み込もうとするかのように復唱した。
「血を啜り、肉を喰らう。他の人間を貪って動力とする
「血を、って……まるで吸血鬼じゃねえか!?」
「その表現も概ね正しいよ。ただヤツらの前では言わない方が良い、自分たちを気高い貴族だと思っているからね」
「いやそうじゃなくて! あり得ねぇだろ!?」
「ここはキミたちの常識が通用しない星だ。そもそも、既に見ただろう? ヤツらの『あの姿』を」
微笑みながらシルキィが語り、一人で広間の端にあるボロ布の方に歩いていく。
「さて、キミたちはこの国から脱出して元の場所に戻りたい。違うかな?」
言われて、瑠璃羽がこくこくと頷き、千種もそれに続く形で深く首肯する。
「ではこのままワタシについて来ると良い。ここはキミらのような異邦人にとって快適な場所じゃない、悪夢を見たんだと思って忘れなさい」
「わ、分かりまし、た……えと、バベッジさん!」
「ハハ、シルキィで良いよお嬢さん」
シルキィは満足気に笑みを見せ、歩き出す。
だが、千種たちが彼女について行こうとした、次の瞬間。
「勝手に帰られては困るな」
そんな声と同時に、地下道の壁がまるで発泡スチロールのように蹴破られ、複数の人影がそこから転がり込み、三人へと向かって来る。
先頭に立つのはやはりあのリーダー格の軍人。他の面々も含め口部は元の人間らしい形状に戻っているが、それで千種たちが警戒を解くはずもない。
シルキィは千種と瑠璃羽を守るように前に出ると、腰のベルトに備え付けられたレザーポーチに手をかけた。
「ローマン・レンフィールド男爵……! もう追いつかれてしまったか!」
「小僧共、今すぐその女を引き渡せ。そうすれば見逃してやろう」
「騙されるな二人とも、こいつらは約束なんか守らないぞ!」
「ファハハハ! 貴様が信用に足るとは思えんがなぁ?」
腕を組みながらシルキィを見下ろすレンフィールド、対する彼女は渋面を作って男爵と呼んだ男を睨む。
すると千種が身を震わせながらも前に出て、そんな二人の会話に割って入った。
「勝手に話を進めんな。お前らに渡すワケねぇだろ、人を殺そうとしといて都合の良い事抜かすんじゃねぇ」
それを聞いて、シルキィもレンフィールドも唖然とする。
しかしそのすぐ後に、レンフィールドは噴き出して指を差して嘲弄し始めた。
「随分と反抗的な態度だ! 命乞いでもするのではないかという程、恐怖で震えていたというのにな?」
「別に今だって怖くないワケじゃねぇよ……けどな」
腕に青筋が立つ程に強く拳を握り込み、千種は背後の二人をかばいながら目の前男にその拳を向ける。
「生かそうとしてくれた恩人にケツ向けて、恥を抱えて逃げ延びるなんざ真っ平御免だ! あとテメェの余裕面がすげぇムカつくから一発ブチかまさないと気が済まねぇ! かかって来やがれ、このクソ吸血鬼ども!」
つい先頃とは打って変わって、レンフィールドはその言葉に不快そうに眉をしかめて鼻を鳴らす。
「そうか、引き渡す気はないのか。では仕方ない」
言いながら、レンフィールドは自らの左手の甲に描かれた蜘蛛の紋章を見せる。
さらに、彼の配下の額にも黒蟻の紋章が浮かび上がった。
「我らマキナイトの真の姿を見せてやろう……
そのキーワードと同時に紋章が光を放ち、レンフィールドの全身から赤い蒸気が噴出して、音を立てて肉体が変貌していく。
騎士甲冑のような装甲に包まれ、白い頭部に妖しく光る八つの目と、左右に開く虫のアゴに似る牙の付いた器官、後頭部には小さな巻き鍵が生える。
蜘蛛の巣模様の入った黒いマントを背中に羽織り、二本の剣と四本の短剣を腰に帯びるその姿は、蜘蛛の騎士と呼ぶに相応しい姿であった。
さらに彼の背後には、配下たちが蟻の姿を模したガスマスク状の兜を装備した鎧の騎士となっている。
手にはフォークの鉄槍やナイフの薙刀、スプーンの戦棍といった食器を象った武装を持つ。
「なんだ……そりゃあ!?」
「これが我が真の姿、スパイダー・マキナイト! 今更後悔しても遅い、死んで貰うぞ小僧!」
蜘蛛の騎士が手を挙げて合図を出そうとした、その瞬間。
シルキィはポーチからリモコンのようなものを取り出し、スイッチを押した。
すると壁や天井など周囲の至る所からパイプが伸び、そこからまたもガスが噴出して周囲を白く満たしていく。
「うおっ!?」
「良い覚悟と啖呵だ。気に入ったぞ少年、キミに決めた」
再び自身の前に出て来たシルキィに驚く千種、彼女はボロ布の下に隠していたらしいトランクを開いた。
「キミこそ――私が作り上げたこの力を扱うに相応しい!!」
そう言って彼女が見せた中身は、バックルの左手側に大きな赤いカブトムシの角のような物が付いた銀色のベルト。
その隣には、カラクリ仕掛けを動かすための巻鍵が付いた
さらにそれらの琥珀の中には、機械で構成された昆虫のようなものが見える。
「さぁ、それを使って戦うんだ」
「は!? 戦えったってどうすりゃ……」
「とにかく巻いて、さぁ!」
もたついてレンフィールドに隙を見せるワケにもいかないので、促されるまま千種はそれを装着した。
すると、そのベルトからサックスのような音色が流れ、同時に電子音声が響く。
《ダイナスティドライバー!》
「えっ、何!?」
「次はこの『ギミックアンバー』を右側のスロットにセットしてキーをひねりたまえ!」
「……こうか!?」
《
手渡された鍵赤い琥珀を、ダイナスティドライバーというらしいそのベルトの窪みに装填。
続いてキーをひねると、ベルトからまたも音声が流れ出し、千種の背後にいくつもの赤い光の歯車が出現する。
《ライノビートル!
「よし、次はその『ホーングリップ』を倒して『変身』と叫ぶんだ! そうすればキミは、ヤツらを叩きのめす力を手に入れる事ができる!」
「そうかい……じゃあその力、ちょいと借りるぜ!」
千種は言いながら、天を衝き上げるようなその一本角のレバーに手をかける。
そして先程言われた通り、弾くようにレバーを倒し叫んだ。
「変身!」
《
瞬間、ドライバー中央の円盤状のディスプレイが赤く発光し、蒸気タービンを髣髴とさせるように光が高速回転する。
さらに光の歯車も回り出し、千種の周囲から真鍮線が伸び出して、繭のような形を作り出した。
同時に視界を遮っていたガスも霧散し、レンフィールドたちは突然現れた巨大な金属の塊を目にして一瞬たじろぐ。
しかしそれも束の間、躊躇している場合でもないと判断した蜘蛛の騎士は、抜剣しその楕円球に斬りかかる。
《
だが命中は叶わず、繭は爆発するように自ら破れ、噴き出した蒸気と共に目の前の騎士たちを弾き飛ばす。
そうして現れたのは、黒いボディスーツの上に赤い装甲が装着された、一本角を頭部から生やすカブトムシのような姿の戦士。眼部はグリーンレンズのゴーグル状のバイザーで覆われ、その奥には歯車のような形状の瞳が覗く。
角は穴の空いた真鍮のパイプが芯となっており、さらに両腕両足にはバイクのマフラーのような形で同じくパイプが付いている他、拳銃の回転式シリンダーが腕部に備わっていた。
《
「うお、なんだこれ!?」
千種は左右の腕を見たり顔に手を当てたりして、自身の劇的な変化に気付き、声を上げる。
一方、彼の変身を見届けたシルキィも、歓喜の叫びを発して天を仰いだ。
「まさしく! グルーヴィ! やはりキミこそ……ワタシが待ち望んだ、この腐った国を引っ繰り返す『
「ダイナスト……!?」
両掌と眼の前で狼狽えているマキナイトとを交互に見比べる仮面の戦士、ダイナスト。
スパイダー・マキナイトは牙を軋ませ、右腕を掲げて配下の騎士たちに命じる。
「クッ! やれぃ、デッドアントたち!」
『キィーッ!!』
デッドアントと呼ばれた配下の異形が、各自の武器を手に飛び出した。
まず先陣を切ったのは、巨大ナイフを持ったデッドアント。武器を大きく天に掲げ、そして振り下ろさんとする。
するとダイナストは、素早く左の掌を前に出して右手は腹の前に、そして左足で踏み込んで腰を落とす構えを取った。
その立ち方を見慣れないようで、シルキィは不思議そうに眉を寄せる。
「なんだあの構えは?」
「……中国拳法?」
瑠璃羽がぽつりと呟くと同時に、ダイナストが動いた。
振り下ろされた剣の切っ先を前にしてあろうことか前に踏み出し、そのまま掌で素早く刀身を下へ打ち払うと同時に、いつの間にか握り込んでいた右拳をその勢いのまま顔面へ突き出す。
そのたった一撃のカウンターを受けたデッドアントは、顔面が陥没して背後にいたもう一体のフォークを持つ蟻の騎士ごと吹き飛ばされた。
「なっ!?」
「マキナイトってのがどれ程強いのかは知らんが!」
独特の歩法で前進を続け、向かい来る敵を打ちのめし続けるダイナスト。
フォークで突いて来れば左腕を上げ挟み込むようにして防いでもう一方の拳で胴を抉り、左右から同時にスプーンのメイスを振り下ろされれば両腕を拡げて掌によって円を描くように捌き、武器を踏んで止める。
そして驚くデッドアントの一方を右掌で打ち倒し、得物から手を離して後ろから襲って来る方には、その場で伏せて背中越しに避けた後に腕を肩で担ぎ、持ち上げてそのまま床に投げ飛ばす。
みるみる内に数を減らしていく自身の配下を目にして、スパイダーはたじろいでいた。
「なんだこの格闘術は!? この強さは!?」
「こちとら父親からも母親からもしこたま鍛えられてんだ、こんなんで負けてたまるかよ!」
そんなダイナストの叫びに呼応するかのように、両腕と両足のマフラーが唸り声を上げ、踏み出す動きに合わせ爆発音が響いて蒸気が噴出。
瞬間的な超加速で一気に間合いを詰め、その速度に乗った強烈な拳打がデッドアントの胸を砕き、他の全てのデッドアント諸共爆散せしめた。
その破竹の勢いに思わず蜘蛛の騎士は息を呑み、そして目前にまで迫ったダイナストの掌撃を胴体に受けてしまう。
「かかって来な、三流騎士」
そう挑発しながらも、ダイナストは油断なく再び掌を前に出して構える。
スパイダーはギリッと牙を軋ませると、自らのマントをその場に脱ぎ捨てた。
「図に乗るなよ小僧……身の程を思い知らせてやる!」
そして彼の背中から飛び出したものに、ダイナストは仮面の奥でぎょっと目を見開く。
現れたのは、籠手で守られた四本の腕だ。しかもそれぞれが自在に動き、短剣を抜いている。
元々ある両腕でも長剣を携え、その切っ先をダイナストに向けて、素早くスパイダーが飛び掛かった。
多腕でしかも武装した相手となれば、拳法をある程度体得していると言えど分が悪い。目で追いきれない程の速さの突きや斬撃の全てを回避できず、徐々に装甲に傷ができていく。
「くっそ……!」
「ファハハ! まだいくぞ!」
スパイダー・マキナイトが口から糸を吹いて、それを天井と壁や床など四方八方に巡らせていく。
続いて繰り出された斬撃を避けようとすると、糸が腕や足に絡みついて動きが阻害されてしまった。そして足捌きが鈍くなるという事は、攻めるも守るも困難となるのを意味する。
ダイナストは幾度も攻撃を受けて装甲から火花を散らし、堪らず僅かにシルキィの方へと振り向き、問いかけた。
「おい、なんか武器とかないのか!?」
「あるよ」
「じゃあ先に言えよ!!」
「まぁまぁ、左腰のホルダーに手を当てれば出て来るからさ」
攻撃を腕で凌ぎながら、言われた通りにダイナストは左手をドライバーの左側に当てた。
《ダイナシューター!》
すると、音声と共にその手に握られたのはカブトムシの角を模したバレルを持つ銃だった。
銃身の下部にはギミックアンバー装填用のスロットが、本体の側面には大きな歯車が備わっている。
ダイナストはその銃口を即座にスパイダーへ向け、背中の右の方から生えている腕の一本を狙って引き金を弾く。
銃弾は見事に狙った腕の関節に命中、そのまま千切り飛ばした。
「ぬうっ!? おのれぇ!」
蜘蛛の騎士は猛りのまま五本に減った腕を振るい、全く衰えない速度で斬撃を繰り出す。
距離を取りつつ発砲を続けるものの、威力を脅威と見たようで今度は容易く当たってはくれない。蜘蛛の巣を伝って回避したり剣で弾丸を逸らすなどして、直撃を免れていた。
「少年、これを使ってみたまえ!」
そんな時、シルキィから再び声がかかり、黄色いギミックアンバーが投げ込まれる。
キャッチしたその琥珀の内部には、ゲンジボタルのような機械の虫が内包されており、ダイナストはそのままそのギミックアンバーを銃のスロットに差し込んでキーをひねった。
《ギミックチャージ! ファイアフライ!》
「喰らいやがれ!」
そしてトリガーを引くと、放たれた光の弾丸が真っ直ぐではなく曲線を描き、そのまま糸を避けてスパイダーの顔面へと命中する。
「がっ!?」
銃撃を受けた蜘蛛騎士は、何が起きたのか分からないと言った様子でよろめく。
自在に軌道を変化させる事のできるエネルギー弾。その特性を理解して、ダイナストはさらに連射する。
光弾は上下左右あらゆる方向からスパイダーに飛んでいき、それを防ごうと振られた剣の横を通り抜けて、残る背面の腕を吹き飛ばした。
さらに膝にも一発命中し、蜘蛛の怪人はガクリと姿勢を崩す。その瞬間にダイナシューターをホルダーへセットし、ダイナストは前へ踏み込んで顔面に掌底を叩き込む。
「ぐあああ!! この、ガキめぇぇぇ!!」
怒り狂うスパイダー・マキナイト。しかし、満身創痍なのは明らかだ。
これを機と見て、再びシルキィが声をかけた。
「少年、ダイナスティドライバーのキーをひねってホーングリップを三回倒すんだ! それがとっておき、必殺の一撃だ!」
「あいよ!」
短く返答し、右手をドライバーにセットしたギミックアンバーに伸ばして巻鍵をひねる。
そして言われた通り、グリップを握って三度操作。すると、その右足へ真っ赤な光と熱が集約していく。
しかしスパイダーもまた、立ち止まるダイナストへ飛びかかろうとしていた。
《
「ハァァァ……ウォラァァァーッ!!」
だが長剣の届く距離まで迫ったその時、ダイナストは跳躍し、パイプから蒸気を噴出しながら旋風のように回転しながらキックを浴びせる。
その一撃を叩き込まれたスパイダー・マキナイトは悲鳴を上げながら勢い良く吹き飛ばされていき、壁面を砕いて倒れ込む。
「バカ、な……この私が、マキナイトが、
激しい亀裂と破損を負った身体からバチバチッと火花を発し、最期にそんな言葉を遺して、スパイダー・マキナイト、ローマン・レンフィールド男爵は爆散した。
地面には破損した歯車やシャフトと言った機械の部品や肉体を形成していた残骸が落ち、さらに蜘蛛の紋章の付いた左手も音を立てて砕け散り、消滅する。
《
爆炎を背にそんな音声がドライバーから流れると、千種はバックルからギミックアンバーを抜き取って変身を解除。
直後に、喜色満面のシルキィが瑠璃羽を伴って彼に駆け寄った。
「まさしく! グルーヴィ! やはりハイパーサイエンティストであるワタシの目に狂いはなかった! だが敵はまだまだ多い! これからもよろしく頼むよ、ワタシの
肩をパシパシと叩き、はしゃぎながら千種にそう告げる。
すると、千種は眉をしかめてこう言った。
「えっ、イヤだ」
一瞬の沈黙、ピシッと石のように固まるシルキィ。
そして。
「えぇぇぇぇぇーッ!?」
外まで聞こえるのではないかという程の絶叫が、真夜中の地下道で木霊した。