ザクロの華   作:理乃碧王

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ep10:大金星の果実

「大金星! 大金星じゃねーか! ええ? あのマンダリンちゃんを打撃で倒すなんてよォ!」

 

 力王が驚きと困惑、そしてわざとらしいまでの大拍手を打ち鳴らす。

 そう、ザクロがサンキスト一族の上級戦士を倒すという想定外を引き起こしたのである。

 続けて、力王は「打ち合わせと全ッ然違うじゃないですか!!?」とでも言いたげな表情で倒れたマンダリンを見つめていた。

 

「ザクロ、お前さん安〇乃島だぜ」

「あき……?」

「昭和、平成の時代の昔話さ。歴代最多の金星ゲットなお相撲さんの四股名だぜ。それはそれは横綱をブン投げまくった剛の者さ」

 

 力王はそう述べると柔らかく、ザグロの右肩に手を置いた。

 

「マジの大金星上げちゃってどうするの? ここは普通、お前がボコられるのが『おいしい展開』じゃないですか。作者さんの気分でも変わっちゃったのかなーっ!」

 

 そして、力王はむんず、とザグロの右肩を強く握りしめた。

 ――ビキ、ビキビキ、ビキキッ!

 

「……ぐっ……ッ……?!」

 

 マスク越しだからわからぬが、気に入らぬ展開に怒り心頭の様子だった。

 

「可愛がり――大失敗というところだがな、お前さんマジで調子乗るなよ? マンダリンがマジのガチでカポエラと芦崎空手とサンキストの殺法の『三合拳』でいったら殺されたからな? 相手のガチ油断に救われたな」

 

 ピタリ、と力王の顔から表情が消えた。

 握りしめていたザクロの肩から静かに手を離すと、力王は無言のままマンダリンの元へと歩み寄る。

 リング上を支配するのは、息苦しいほどの静寂。

 

「……伝統だの、捌きだの、口ばかり達者で技に溺れた果実ほど、中身はスカスカに乾いてやがる。油断は死に直結ということを先代のオレンジから学べっての」

 

 力王は低く、地を這うような声で呟いた。

 それは先程までのハイテンションな悪役レスラーの姿ではなく、地下社会を生き抜いてきた本物の「殺し屋」の顔だった。

 力王はマンダリンの胸ぐらを掴み、軽々と片手で持ち上げるとそのままリングの外へと無造作に放り投げた。鈍い落下音が室内に響く。

 

「ザクロ。お前、自分が少しばかり『力』を手に入れた気でいるだろ?」

 

 力王はゆっくりと振り返り、血走った目でザクロを射抜いた。

 

「「死合(たたか)いってのは、そういう小賢しい技(スキル)を覚えることじゃねェんだよ」」

 

 リングを降りる直前、力王は一度だけ立ち止まった。

 

「お前は『殺人を知らない』チェリーボーイだからな」

 

 それだけを述べると、力王はポケットからスマホを取り出してパズルゲームを遊び始めた。

 

「……おっ、連鎖。コンボ、ピロリローン、っと。あーあ、スコアが伸びねェなあ」

 

 気の抜けた電子音と独り言を果樹の室に響かせながら、力王の巨体はトレーニングルームの暗がりへと溶けていった。

 後に残されたのは、血と汗の匂い、そしてリングの下でピクピクと痙攣するマンダリンの無様な姿だけ。

 ザクロは一人、静寂を取り戻したリングの中央に立ち尽くしていた。

 

「殺人……」

 

 無意識に呟いたその言葉が、ひんやりとした空気に吸い込まれる。

 先ほど力王に握り潰されかけた右肩が、心臓の鼓動に合わせてズキズキと熱を持っていた。

 その激痛が力王の放っていた底知れぬ圧を、殺気という名の現実を、ザクロの骨の髄にまで刻み込んでいる。

 

「……殺人か……」

 

 自分の両手、両足を見下ろす。

 つい先程、カポエラとサバキの達人を沈めた手だ。

 確かに力はついた。

 兄弟子イーグレの足を破壊し、強者マンダリンの脳を揺らした。

 ――しかしだ。

 力王の言う通り、自分はまだ『他者の生命を完全に終わらせる』という一線を越えていない。

 まほろに教わった技も、生き残るための本能も、力王の目から見ればまだ『死合い』の入り口に立った程度に過ぎないのだ。

 

「……上等だ」

 

 ギリッ、と奥歯を噛み締める。

 赤いマスクの奥で、ザクロの瞳が再び昏い獣の光を宿した。

 力王への果てしない憎悪。そして、己の弱さへの苛立ち。

 本当の強さが『殺人』の果てにあるというのなら、その血の味すらも泥啜りして喰らってやる。

 

(見ていろ、力王。貴様という最悪の腐れ蜜柑を……俺が必ず叩き潰す)

 

 薄暗い果樹の室の中で、未熟なザクロの種は暴力と屈辱という最高級の肥料を吸い上げ、より深く、よりどす黒い根を地下へと張り巡らせていくのだった。

 

〇〇〇

 

「敗者に技を乞う――ですけんか」

 

 医務室にて、小梅、小竹の治療を終えたマンダリンは床に臥せっていた。

 そこにザグロは正座をし、頭を床につけていた。

 

「あなたの打撃を教えて欲しい。今の俺には足りないものが多すぎる」

 

 マンダリンはベッドの上に半身を起こし、小梅と小竹が処方した橙色の特製軟膏をひどく腫れ上がった側頭部に塗り込みながら、自嘲気味に口元を歪めた。

 

「……キィス。わちを打撃で沈めたグリーンボーイが、何の冗談ですけん」

 

 マンダリンの言葉には、確かな棘があった。

 サバキの達人を自負する自分が、基礎も持たない未熟な果実に掟破りの模倣技で沈められたのだ。

 その敗北感と屈辱は、肉体の痛み以上にマンダリンのプライドをえぐっていた。

 しかし、ザクロは微動だにせず、床に額を擦り付けたまま低い声で返す。

 

「あれはただの模倣。窮地から逃れるための偶然にして、生存本能に過ぎない。俺の打撃の基礎はゼロだ。あの力王を相手に奇襲やマグレが通用するとは思っていない」

 

 ザクロの言葉は冷徹なまでの自己分析に裏打ちされていた。

 感情に任せて勝利に酔うのではなく、己の絶対的な手札の少なさを誰よりも理解している。

 

「まさか……力王を倒したいですけんか?」

「……無論……」

「バカな……」

 

 マンダリンは目を細め、ザクロのを静かに見据える。

 この若者、そこまで力王を憎み、越えるべき存在と思っているのか。

 そこに甘い同情はない。

 同じサンキスト一族の端くれとして、そして何より格闘者として、目の前の若者が放つ異様な『渇き』を感じ取っていた。

 

「……喰らうつもりですけん? あの力王はただの果実ではないですけん」

「俺が壊す。そのための『牙』が要る」

 

 静かな、だが確かな殺意。

 力王に『殺人を知らないチェリーボーイ』と侮蔑され、見下された男の地獄の底から這い上がろうとする執念の炎だった。

 マンダリンは顎を撫でる。

 脳裏を過るのは傷が癒えたら、今回の反省を活かして技を更に磨き、アフリカへと向かい『黒衣の強者』に挑戦する自分。

 マンダリンは絶大なる強者へと挑戦する自分自身と、この若き果実であるザグロを重ね合わせた。

 

「……いいですけん」

 

 マンダリンは重々しく息を吐き出すと、痛む首をゴキリと鳴らした。

 

「君のそのドス黒い憎悪が気に入った。わちの芦崎空手の『サバキ』を注ぎ込むには極上の土壌ですけん」

 

 ザクロがゆっくりと顔を上げる。

 その赤い覆面の奥の瞳と、マンダリンの黄みがかった赤色の覆面の奥の瞳が交錯した。

 

「ただし、わちの教える空手は死合いのための戦技。血反吐を吐き、骨が軋む地獄のミット打ちになるけん……覚悟するですけんッ!」

「……望むところです」

 

 ザクロの口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。

 その時、部屋の奥の暗がりから熟れた果実たちの不気味な笑い声が木霊した。

 

「「キ"ィ"ィ"ィ"ス"キ"ス"キ"ス"サ"ン"キ"ス"ト"」」

 

 小梅と小竹の双子であった。

 二人は暗闇の中で、まるで極上の果実酒の完成を夢見るように肩を揺らしている。

 

「ヒヒヒッ、良き肥料じゃ、良き交配じゃて」

「力王への憎悪が、ぼんをいっそう甘く、毒々しく育てますぞよ、小梅さんや」

「そうですなぁ、小竹さんや。強く、(つよ)く、(つよ)くなりますぞ!」

 

 敗者から技を貪り、夜の技術とサバキの技術を交配させる。

 ザクロという異端の果実は真の『暴果実』となるべく、自ら進んでさらなる地獄へと足を踏み入れたのだった。

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