にじさんじヤンデレ物語 作:にじさんじヤンデレ委員会非常勤員
「おりゃあああ!」
ガラスの割れる音と共に低めの女性の声が響いた。
突如現れた第三者の姿を確認するため視線を巡らせるが、視界を遮るようにどこからともなく白い煙が部屋に充満してしまう。
加えてどこかで嗅いだことのある独特な匂いを感じ、驚きで動けない体の代わりに脳が現実逃避をしていたときだった。
「な、なんやこれ……グッ⁉」
苦し気な声と共に俺に覆いかぶさっていた戌亥の体が離れる。
そして苦悶の表情で床を転げまわった。
「おまたせ、まった?」
聞こえたのは先ほどの掛け声と同じ者、そして聞きなれた台詞だった。
「アンジュ?」
「美女に助けられるなんて人生にそうそうなかんな! ありがたく思って早く逃げるぞおおお!」
煙の中から細くて白い手が伸び、俺を引っ張って真っ白な視界の中を突き進む。
こんな視界の中でもアンジュは迷うことなく突き進み、そして俺は店の外へと脱出した。
「リゼ! 救出成功した!」
「よくやったアンジュ! 早く乗って!」
リゼさんの声と車のエンジン音が聞こえ、そちらを見れば黒光りする車の中からリゼさんがこちらに手を振っていた。
訳も分からずアンジュに引っ張られる形で車に乗り込むと、黒の高級車が唸り声を上げて急発進した。
「ど、どうして二人がここに……帰ったはずじゃ……」
助手席に座っているリゼさん、そして隣に座るアンジュ。
俺は彼女たちを戌亥から逃がすために返したはずだった。
だが、困惑する中でアンジュがいつもの明るい笑顔を向けてくる。
「なーに言ってだよ、あんな状況で寝てらんないでしょ」
「作戦考えたのは私だからねアンジュ! 車も材料も全部私が用意したんだから!」
ぷりぷりと可愛らしく怒るリゼさん。
なるほど、あの時やけに聞き分けよく帰ってくれたものだと思ったが、そういうことだったのか。
「ごめん、二人とも。無理矢理帰したのに……俺なんかのために……」
「いえ、いいんですよ。あの時だって私達のために強引に帰らそうとしていたのだって分かってますから」
「せやせや」
「アーンージュー? アンタは訳も分からず騒いでただけでしょー、何回も説明してようやく分かったくせに」
「てへへ」
わざとらしいやり取りにどこか安心感を覚えた。
さっきまでの空間が嘘のように、ここの空気は和やかだった。
「にしても、戌亥のアレは凄かったなぁ……私本当に殺されるかと思ったよ~」
「確かに、今日の戌亥はおかしかったな。アンジュにあんな殺気を向けるなんて……」
「……」
「なんだったら奈田君は文字通り食われてたな、見た時ビックリしちゃった」
「はは、恥ずかしい所を見られたな。だけど助かった……あのままじゃ本当にどうなっていたか……」
好意を持たれているからとはいえ、あんな状況で喜べるほどドMとかじゃないしな。
「……」
「奈田君の状況も凄かったなー、お前がパパになるんだよ! て感じだったもんな」
冗談にならないから笑えない。
なぜなら戌亥は確かに「犯す」と言っていたんだ、比喩でも濁したわけでもなく純粋な意味がアレには込められていた。
「ね、ねえ……アンジュはどうして普通に会話できてるの……?」
「急になに言うてんのリゼ」
「だって奈田さん今上半身裸だよ⁉ おかしくない⁉」
「そういえばそうやった」
あ、そうだった。
上半身裸体だわ。
見れば助手席に座っているリゼさんの耳は真っ赤になっていた。
16歳の少女に上半身を見せつけてる状況……捕まったりしないよな?
「リゼさん、本当に申し訳ない。できれば通報だけはやめて欲しい」
戌亥以外のも警察から逃げるとか無理ゲーだろ、いやここはむしろ警察に捕まるべき……?
ダメだわ。善良な警察官が蹂躙される光景しか見えないわ。
「だだ、大丈夫です! 状況は理解してましたし、奈田さんが自分で脱いだんじゃないって知ってますから」
「まーったくリゼは初心やなー、こういう時はありがたく拝むのが礼儀ってもんよ!」
「違う、それ絶対違う」
「男の裸なんていいもんじゃないだろ……」
とはいえこの状態は不味いということで、車に常備されていた毛布を貸してもらうことになった。
「ぐへへ、普段リゼが使ってる毛布を裸体の奈田君が使ってるぅ」
「ねえアンジュ本当に辞めない? 今緊急事態」
「俺からも頼む、戌亥がいつ襲ってくるかもわからないんだ。それに感謝しているけどこのままじゃ二人にも危険が……」
アンジュもリゼも戌亥から殺気を向けられているんだ、そのうえ俺を助け出している……。
今の彼女が二人に危害を加えないなんて考えられなかった。
「なあ、奈田君。戌亥が危ないってことも十分分かってるんだけどさ、ちょっと話をさせてくれない?」
そう言ったアンジュの声はいつになく真剣だった。
頷く動作に自然と力が入る。
「戌亥は奈田君のことが好きなんか?」
「……この間、本人から直接言われたよ」
「奈田君は戌亥のことは好きなんか?」
アンジュの言葉に咄嗟に答えることができなかった。
「……分からないんだ」
アンジュやリゼさんに向けるものと、戌亥に向けるこの感情の違いが、俺には分からなかった。
「なんや、奈田君も初心なんやな」
「うるさい、人を好きになった経験がないだけだ」
「そら以外やわ、奈田君モテそうなのに」
「モテたことなんて一度もない、だから女性経験なんてゼロ……自分で言ってて情けねぇ」
人を好きになるというのが、俺には分からなかった。
その人を前にしてドキドキするのが好きなことは思えなかった。
「アンジュ、そしてリゼさんは確かに友人として好意を持っている。二人といると楽しいしな」
「あ、あははー。なんかそういうの面と向かって言われると恥ずかしいですね」
「ま、私は言われなれてるけどな!」
「アンジュは二枚目に隠れた三枚目でしょ、いつもそうじゃん」
「違うよ、それじゃただの引き立て役なんよ。あと一枚は減らしてもろて」
なんとなくアンジュがモテない理由はこれ気がする。
「そういうアンジュは好きになった人とかいないんかよ」
俺だけつめられるのは我慢ならん、死なばもろとも。恥ずかしい話は全員でするべきだ。
「い、いい、いたよ?」
嘘コケ、目がバタフライしてるぞ。ジャブジャブしてんじゃん。
気まずくなりかけた空気を救ってくれたのはリゼさんだった。
「でも、好きなるって意外と分かんないですよね。学校でも隣の席の人達がコイバナしてても私分からなくて」
「そうですよね……それにしても偉い遠回しなお友達の表現ですね」
「へ? あ、ああ! そ、そうですかねぇ~?」
何か気まずいことを言ったのだろうか?
リゼさんの反応に自身の発言を思い返していると、隣に座ったアンジュが肩に手を載せて来た。
「聞くなんて野暮だぜ、学校でのリゼは人気はあるのに初見限定の人見知り過ぎて、学校での友達が少ないんだ……」
「あ、そ、それはごめん……で、でも俺達友達ですから! ね、ほら、ここにはアンジュもいるし、戌亥もいるし。い、いやーリゼさんは友達がいっぱいるなー」
「やめて! その優しさが私を殺すとなぜ気づかない! 陰キャは光を当てたら死ぬぞ! ジュワッて死ぬんだぞ!」
長い髪を振り乱して狂乱するリゼさん。
「……ごめん」
「や、止めてぇ……私に優しくしないでぇ……」
「因みに、大富豪をソロプレイしてるぞ」
「大富豪って一人用だっけか……?」
「……もう、死にたい」
リゼさんってさんばかの中でも一番の常識人イメージだったけど、別のベクトルで他二人に負けてないんだな。
「まあ、リゼのことは置いておいて」
「置いておくなあ! 陽キャはいつもそうだ! 自分達がどれだけ相手を傷つけたかを知ろうとしない! それが憎しみの連鎖を生むということになぜ気付かない⁉」
やばい、いつものお淑やかお嬢様が完全に崩壊している。
友人系の話題は今後控えよう、見ていて切ねえよ。
「奈田君は好きとか分からないって言ったけど、誰かからそれだけ愛されるってかなり凄いことなんじゃないかなって……。いつか私も戌亥みたいに、誰にも譲れないほど人を好きになってみたいんだわ」
少し照れくさそうにはにかみを見せるアンジュ。
「俺……酷い奴だな」
確かに戌亥の行動は常軌を逸していた。
でも、それだけ俺のことを想ってくれているということだ。俺みたいな最低な、相手の気持ちを思いやれないような奴をだ。
「奈田君……」
「……なんだ?」
「話し合いは確かに大事、相手を理解しようって相手のことを理解することは凄く難しい。だから考えが違ったり、すれ違ったり……傷つけてしまうんだと私は思ってる」
悲しそうに笑うアンジュは、もしかしたら過去に似たような経験をしているのかもしれない。
そんな経験があるからこそ、彼女は誰とでも仲良くなれるのだろう。
配信のときとこうして目の前で話しているアンジュの姿は、表も裏もひっくるめて赤裸々に見せてくれている。
だから俺みたいに、こうして彼女に甘えたくなってしまうのかもしれないな。
「でもそれ以上に、自分がどうしたいのかって……一方的に押し付けることも必要なんだよ、きっと。そうしてお互いの思いをぶつけ合うのって、凄く怖いけど本当に仲良くなるならするべきなんだ」
「自分の気持ちなんかぶつけたことがない気がする」
「皆そんなもんよ、だから相手の強い思いを渡されたときに戸惑っちゃう。どうしたらいいのか分からないから、分かってるのに分からないふりをしてしまう」
分からないふり、その言葉が耳にやけに痛く聞こえた。
「きっと相手を好きになるってもっと簡単なんだと思う。顔が好みでも、性格が好みでも、話していて楽しいでも、嘘とか本当とか。答えなんてないのに考えるだけ面倒じゃん」
「……アンジュらしいな」
皮肉でもなんでもない、横で語るアンジュを見て純粋にそう思った。
彼女はこちらに挑発的な笑みを浮かべる。
「知ってるか? 錬金術の基本原則は等価交換なんだぜ。貰った分だけ渡して、欲しい分だけ押し付ければ良い。戌亥が奈田君の人生を求めるのなら、奈田君も戌亥の人生を貰えば良いだけ、簡単だろ?」
ドヤ顔を決めるアンジュに、俺は思わず吹き出してしまう。
だけど、その言葉はストンとどこかに空いていた穴を綺麗に塞いだ気がした。
「もっと傲慢になろうぜ。私達は神でも悪魔でもない、それなのに地球を我が物顔で占拠してるちっぽけな人間様なんだぜ?」
「ああ……そうだな。たかがケルベロスに負けてらんねえよな」
脚も手も震えている。力では到底勝てない相手だ、そんな奴が怒り狂って追って来ているのは確実。
だからこそ、俺は強く笑みを顔に貼り付ける。
「好きになった女一人に、怯えてらんねえよ」
「お! 奈田君かっこいい台詞言うじゃん!」
「あぁ、あれは絶対後で黒歴史になるんだよ。そして絶対ベッドの上で頭を抱えて後悔と羞恥心にのたうち回るんだ。私知ってる、アレ凄くきついんだよ、たまに思い出しちゃうんだよ……覚悟の準備をしておいてください」
「リゼー? もうそろそろ帰っておいでー」
……この二人は片方がまともだと、もう片方がおかしくなる法則でもあるのだろうか?
「お嬢様……」
今まで口を開くことのなかった初老の運転手が、困惑した声を上げる。
信号が赤になっている訳でもないのに、ゆっくりと停車する。
「どうしたの? 早く安全な場所に逃げないと」
「どうやらそれが難しくなりそうでございます」
運転手はそう言うとソッと手を前方に向けた。
いつの間にか時間はかなり進んでいたようで、外は既に暗くなっていた。
そんな暗がりの中、車のヘッドライトに照らされる人影がいた。
「はっは~ん、さては奈田君が相当恋しいと思える。罪作りな男だねこのこの~」
おちゃらけた言葉とは裏腹に、アンジュの声色は決して明るいモノではなかった。
「ンジュ……ィゼ……返して……」
車の進行を遮るように立っていた戌亥のオッドアイが、まっすぐに俺と交差した。