志歩は
(あれ……私は一体……? フレイアさん達の演奏に全力で張り合った後から、なんだか、記憶がおぼろげな気がする……)
志歩はどんどん記憶を呼び覚ましていく。
(確か……司さんにお礼を言って、舞台裏でフレイアさん達にもみくちゃにされながらお礼を言われて、それで……あれ? そっから記憶がない……ああそっか、私、限界が来て倒れちゃったんだ……フレイアさん達に迷惑かけちゃったかな……?)
志歩は現状に納得し、恐らく慌てさせてしまっただろうフレイア達に対して少し申し訳なく思ってしまう。
そこでようやく、ふと自分がソファーの上で眠っている訳ではない事に気付く。
(あれ……? じゃあ私、今一体どこで眠ってるんだろ……?)
そう思いながら、今まで自分か身体を預けていた人肌の温もりを感じる台から顔を上げると、頭上には満点の星空が輝いていて、周囲は見慣れた家への帰り道の風景が流れていっていた。
(え? ライブハウスじゃない……? じゃあ、私、今一体どこに——?)
「——おっ、目を覚ましたか志歩! 全然起きないから心配していたんだぞ!」
「———えっ?」
すると、自分が身体を預ける台の方から
そして志歩はようやく自分の今の現状を悟ると、羞恥で顔を真っ赤に染め上げながら慌てて口を開く。
「ちょっ……!? つ、司さん……!? なんで、私をおんぶしてるんですかっ……!?」
「——何っ? いや、お前が全然目覚めないから、オレが店長に志歩の家を知ってるから送り届けると言ったんだ」
「いやっ……そういう事言いたいんじゃなくてですねっ……!?」
「な、なんだ? 現状になんの問題があるというのだ?」
「問題だらけですっ……! い、いいからもう降ろしてくださいっ……!!」
「いや、志歩お前さっきまで倒れてたんだぞ? 無理をするな……このまま家まで送ってやるから安心しろ」
「おーろーしーてーくーだーさーい!!」
志歩は、つい今さっき自覚した想い人におんぶされるという、非常に密着度が高く恥ずかしい現状に耐え切れず、顔を最早判子の朱肉のように真っ赤にしながら両足をバタバタし、手の方でも司の肩を軽くポカポカ叩きながら抵抗する。
「わ、わかったわかった、わかったからもう叩くのはやめろ……!」
司は思わず志歩の抵抗に狼狽した様子を見せた後で、屈んで志歩を地面に降ろす。
「もう、司さんは全く——えっ……!?」
志歩はようやく離れる事が出来たと安堵しながら地面に足を降ろすも、ふにゃりと膝に力が入らず、思わずその場でよろけてしまう志歩。
そんな突然のハプニングにも、当然の如く対応するのが未来のスターの素質を持つ男である天馬司。
すかさず倒れそうになる志歩の身体を抱きとめ、志歩をその胸の中にすっぽりと受け入れながら言う。
「それ見た事か、無茶だと言っただろう」
「~~~~~っ!!!!!」
志歩は司に抱きしめられている現状に、もう充分顔が熱くなっているのに更に頭に血が上っていく感覚を感じた。
もはやショートしてしまいそうな思考の中で、志歩は司の声を聞く。
「……それにしても、こんなになるまでよく頑張ったな志歩。お前の“魂の演奏”、しっかり聞こえたぞ。お前はオレの自慢の友だ」
「っ……そ、そうですか……あ、ありがとう……ございます」
そしてよりによってこのタイミングで、欲しかった言葉を直接伝えられ、志歩は思わず心の中で白旗を上げる。
(あぁ……本当に、この人には敵わないな……)
そのまま志歩はもう抵抗する意志すら無くして司に抱きしめられたままでいると、司は不思議そうに首を傾げて言う。
「……? おい志歩、いつまでこうしているんだ? お前の体調を考えるなら早く帰った方が良いと思うのだが」
「…………本当、無神経ですね司さん」
「おい、何故そうなる? むしろお前の事を最大限気遣っているだろう……?」
「……さぁ? 自分で考えたらどうですか?」
「むっ……ま、まったくわからん……!」
ムスっとした表情で志歩はそう言うと、司は頭を抱えるのだった。
そんな司に志歩はジトっと睨みを効かせながら言う。
「……で、帰ると言いますけど結局どうするんですか? またおんぶですか? おんぶはもう絶対嫌ですよ……?」
「何、それなら簡単じゃないか——よっと」
「えっ——!? ちょっと、待ってくださいまさかっ……!? ~~~っ!?」
すると司は平然と志歩の肩と膝を抱えて、所謂『お姫様抱っこ』状態に移行する。
志歩はまさか先ほどまでよりひどくなるとは思っておらず、思わず抗議の声を上げる。
「ちょっと……っ! 何やってるんですか司さんっ……!?」
「何とはなんだ。志歩がおんぶは嫌だと言ったのではないか」
「これならさっきの方が……マ……シ? 分かりませんけど! とにかく早く降ろしてください!」
「まったく……何だというのだ……」
ブツブツ文句を言いながら志歩を降ろす司。そして真っ赤な顔で電柱に寄りかかる志歩に対してため息交じりに言う。
「なら、お前はどうしたい志歩? おぶさるか、抱えられるか、どっちか選べ」
「——え? その二択ですか……?」
「当たり前だろう! それ以外なんの選択肢があるという! 分かったら早くどちらが良いか選べ! 子供っぽいから嫌だという文句なら受け付けんぞ!」
「~~~っ! も、もう……っ!」
プンプン怒り出す司に対し、志歩は真っ赤になりながら究極の二択に対して答えを出す。
「お、おんぶで……お願いします」
「よし分かった! さぁおぶされ志歩! 心配せずとも家まであと少しだ! このスター天馬司が、お前を無事に家族のもとに送り届けてやる!」
「……っ……は、恥ずかしいっ……!」
結局、志歩が選んだのは外見的な恥ずかしさより、密着度による恥ずかしさだった。
志歩は真っ赤になりながら自分から屈む司の背に乗ると、再び司は志歩を乗せて歩き始めるのだった。
そして暫く歩き、志歩の羞恥で火照った顔の温度が夜風で少し冷えた頃、司は口を開く。
「そういえば、フレイアさん達が目が覚めたらお前に心からの礼を伝えて欲しいと言っていた。本当にありがとう、お前のベースのお陰で、また自分達は一緒に世界を目指せるとな」
その言葉に志歩は、フレイアの笑みを幻視しながら口の端を緩ませつつ言う。
「フレイアさん……無事、イズさんと仲直り出来たんですね……それなら良かったです」
「ああ、だがオレが思っていた会話とは少し違ったがな。何やらフレイアさんはイズを見て開口一番に『“セカイ”が戻ったって事は思い出したのかイズ!?』——などと、そんな意味の分からない事を言っていた。“セカイ”とはあの者達が使っている仲間内の造語なのだろうか? 何か知らないか志歩?」
「“世界”……? さぁ、そんな事聞いた事ありません。“世界が戻る”なんて言い方普通はしないでしょうし、何かと聞き間違えたんじゃないですか? それに、何を話してたとしてもあの人達が元に戻れて良かったじゃないですか。その話そこまで気になる事ですか?」
「そうか……まぁ、確かにそれもそうだな」
そんな事を話している所で、ふと司のスマホにピコンと通知音が鳴る。
司が器用に志歩を背負いながら片手でスマホを取って画面を見ると、たちまち司は笑顔になった。
「……司さん、何見てるんですか?」
「——ん? あぁ、話していたら丁度そのイズ本人から知らせが届いた所だ。見るか?」
「えっ? 連絡先交換してるんですか!? いつの間に……み……見ます」
志歩は目を丸くしながら志歩は司が見せてくれるスマホを、司の肩越しに覗き込む。
そこには、車椅子で水色のニット帽を被った痩せた女性がフレイア達に抱き着かれながら、満面の笑みでそれを受け入れている所の写真だった。
それを見て志歩は思わず笑みを浮かべる。
(この人が今のイズさん……良かった、本当にフレイアさん達と仲直り出来たんだ。これからも大変そうだけど、きっとこの人達なら大丈夫そうかもね)
志歩がそう微笑ましく思っていると、写真の後にメッセージが続けて送られる。
波音:司くん! 本当に今日はありがとう! 君と、お友達の志歩ちゃんのお陰で私大切な事を思い出せたよ。これからも色々大変な事あるかもだけど皆と一緒に頑張れそう!
波音:また良かったら志歩ちゃんにも直接お礼が言いたいから、また都合良い時があったら是非会わせて欲しいな! 後、志歩ちゃんさえよかったら私のリハビリついでにベースの事を色々教えてあげるけどどう? って伝えて? 腕は少しなまっちゃってるけど、それでも“世界最強のベーシスト”の私から、志歩ちゃんに伝えられる事は沢山あると思うんだ。
波音:じゃあ、私これから愛兼ちゃん達が退院祝いついでに、久しぶりに“みんな”にも会いたいし飲みに行くって言うから一緒に行ってくるね。え? こんな時間に都合よく空いてる店があるのって? ふっふっふ……私には、トクベツな“場所”があるんだよ後輩君?
波音:また困った事があったら何時でも言ってね? 可愛い可愛い後輩の司くんの為だったら、おねーさん特別に一肌脱いじゃうぞ♡ なーんてね? それじゃあまたね!
そんなメッセージの文章を全て読んで、志歩はプクッと頬を少し膨らませながら、司の背にしがみつく腕の力を少しギュッと込めつつ、不満そうに言葉を司に対して漏らす。
「……私の知らない間に、随分イズさんと仲良くなったみたいですね。連絡先も交換してるぐらいですし……」
そんな志歩の言葉に司はイズのメッセージに目を通した後で、少しため息交じりに言葉を返す。
「はぁ……全くあの人は。どうせオレが子供だから、からかうのを楽しんでるんだ。本気になどする訳が無いだろう、スターたるオレはこの程度の甘い誘惑に心を揺らしはせん」
「——さぁ、本当にからかってるだけでしょうか? あの人達の年齢聞きました? 22歳だそうですよ? 司さんは私の一つ上ですから7歳差ですよね? それぐらいの年の差ならまだあり得ない程では無いんじゃないですか? それにこの人、今は退院したばかりで痩せてて分かりにくいかもですけど、元は凄く綺麗な人ですよ。それを司さんは……」
「——うぐっ!? お、おい志歩……しがみつくのは良いが、少し首に回している力が強いぞ……! 少々苦しいっ……!」
「知りませんっ……! この無神経……最低……人タラシ……女の敵……」
「ま、待てっ……! 少々不名誉な称号を並べ立て過ぎではないかっ……!? てっ、撤回を要求するっ……!」
そう言って苦しそうに軽く腕をタップする司に、ようやく志歩は
「はぁ……まぁ私も、そんな貴方だから
「ゴホッゴホッ……あ、あぁ……分かった。そう伝えておこう」
そう言って暫くせき込んだ後、司は気を取り直したように志歩に言う。
「それにしても——志歩、お前はあの者達を見て何か思う事は無かったか?」
その司の問いに、志歩は少しドキッとした。まったくもって図星な話だったから。
だからこそ志歩は素直に頷きながら、どこかその表情に寂寥感のようなものを帯びさせながら口を開く。
「はい……そうですね、実際の過程は全く違いますけど……それでも今の私達と境遇が似てるなって、正直そう思いました。だからでしょうかね、私がイズさんがまたフレイアさん達と一緒に居られてるのを知って、まるで自分の事みたいに嬉しいのは」
「——“嬉しい”、か。なぁ志歩……お前……もしかして……」
そう言って神妙な顔で志歩の呟きに対してそう問う司に、志歩はゆっくりと頷いて言う。
それは志歩が、ずっとずっと胸に抱え続けていた命題に、一つの答えが出た証拠。
「司さん……私、ずっと悩んでた事にやっと結論がつきました。私はやっぱり……一歌や咲希や穂波と、また一緒に居たいです」
「そ、そうか! それは良かった……!」
その言葉に司は目に見えて顔を綻ばせる。
志歩の事を気遣って、無理に仲直りはしなくても良いと口ではそう言っていた司だったが、そこはやはり多感な中学生。妹の友人関係が上手くいっていない事や、今や志歩の事を咲希の事を抜きにしても自身の友として認識している司にとって、苦しんでいるように見える彼女を見るのは、少し心にトゲが刺さっているような感覚が司にはずっとしていたのだ。
だからこそ、司は胸を張って志歩に言う。
「よし! ならば仲直りはこのスターであるオレに任せておけ! 昔取った杵柄で、一歌達を含め皆を集めて話し合う場を設けてやろう! 咲希はテレビ電話参加になるだろうが、思いを伝えられるならその差は些細な事だ! 心配するな、オレがしっかり傍に居てお前を励ましてやる! そしたらそれで、お前達の間にあるわだかまりは解消される!」
そんな、希望に満ち溢れた表情でそう言う司だったが、志歩は寂しそうな薄い笑みのままで言葉を続ける。
「——ですけど、私の方からそう伝えるのは止めます。一歌達との関係は今のまま、現状維持で居るのが私の結論です」
「——!? な、何故だっ……!? 何故そうなる!? お前は、咲希達と一緒に居たいのではないのか!?」
信じられないとばかりに志歩に問う司に、ゆっくりと首を横に振って志歩は答えを返す。
それは、志歩自身の優しすぎる性根が出した結論だった。
「だって、私は……やっぱり、皆を巻き込みたくないんですよ。私はみんなと一緒に居たいです。——でも、そんな私の我が儘に、みんなを振り回す事なんてできません。私の方から『面倒事を抱える事になるけどそれでも一緒に居て欲しい』——なんて、そんな図々しい事は一歌達に間違っても言えません。ですから、これからもみんなの前では普段通り、みんなの事が嫌いになった私を演じ続けます——例え、それをする事で本当にみんなに嫌われる事になっても、私はそうします」
「……っ、そ、それは……! ……むぅ」
そんな志歩の、どこまでも友人に対する思いやりに溢れた結論を聞いてしまえば、たちまち司は黙るしかなかった。
そんな司に、志歩は少し微笑みながら言う。
「……何も言わないでくれて、ありがとうございます司さん。多分、司さんにはまったく分からない事でしょうけど……それでも、これが私っていう人間なので」
「……分かった。それがお前の中の、揺るぎない心の芯というならオレはそれを尊重する。お前の言う通り……オレにとって正直理解は出来ん考えだがな」
「——まったく、そういう所ですよ……司さん」
そんな司の、無神経でありながらも、他人の心の中の一番大事な部分は否定せず、可能な限り寄り添おうとするその在り方に、志歩は思わずさらに自身の鼓動が早くなっていくのを感じる。
こういう所が、自分が好きになった人なんだと改めて理解させられる。と、そう思っている所で司はニヤリと笑って言う。
「だが、オレは納得したが、果たしてそれはオレの妹にも通用するかどうかは別だな?」
「——は? 咲希がですか?」
そんな唐突な言葉に、志歩は困惑しつつもそう問い返す。司はそんな志歩に向かって胸を張って言う。
「お前は今日で咲希達と一緒に居たい気持ちを認めた。そして自分からは言えないと——ならば、向こうからお前が何も言わずとも、どんな事があってもお前と一緒に居たいんだと覚悟を示されたらどうする? まるで、今日のフレイアさん達がイズにした事と同じようにだ」
「——っ!?」
そんな司が語る“もしも”に、志歩は思わず息を呑む。それは、志歩にとって想像外の可能性の話だったから。
「思えば、小さい頃から咲希はお前に対して辛抱強く関わり続けていた。お前がゲームがしたいからと言って外で遊ぶのを嫌がったが、それでも咲希は粘り強く誘い続けた——そして、結局お前は折れて一緒に外で遊んだことがあったよな?」
「なっ……そんな昔の話、よく覚えてましたね……」
「フッ、妹の事なら覚えていて当然だろう?」
「さ、さすがシスコン——と言いかけましたけど、結構ちょくちょく咲希との約束すっぽかして泣かせてた事ありましたよね? 妹関係なく忘れっぽい所あると思うんですけど。たまたま覚えてただけなんじゃないですか?」
「——うっ! や、やめろ、折角人が恰好つけた所で台無しにするのは……!」
「いえ……べつに……それにわざわざ無理して恰好つけなくても……司さんは充分——」
「充分……何だ?」
「——いっ、いえっ! 何でもありませんっ……!」
急にボソボソ言葉を呟いた志歩に首を傾げた後、司は頷き気を取り直したように言う。
「とにかくだ、オレが言いたいのは、オレの妹はそう簡単にお前という人間を諦めないという事だ。例え、お前が口ではなんと言って遠ざけようとしても、幼い頃と同じようにずっとオレの妹はお前に辛抱強く一緒に遊ぼうと誘い続ける筈だ——そこに、お前の意志などは関係ない。ならば、本当は一緒に居たいのだと気づいてしまったお前は、
「——っ!」
そんな、まるで未来の事を予言でもするかのように自信満々に言う司に、志歩は思わずギュッと握り拳を作る。咲希ならあり得るかもと、自身でもそう思ってしまったのだ。
だからこそ、まるで観念したかのように薄く微笑みながら言う。
「そうですね……なら、一度拒絶して、それでも何度も何度もしつこく誘われたら——私、絶対無理だろうっていう条件を突きつけようと思います。それでも……頑張ってやり遂げようとされた時には——その時はもう、観念しようと思います。観念して、みんなと一緒に居ようと思います」
「その時は、お前が提示する条件の達成の成否は問わない——そういう事か?」
「……もう、分かってる事を口に出すのは止めてください。そういう所が無神経なんですよ司さん」
「フッ……ハーッハッハッハ! ならばもうお前達は心配いらんな! 言っただろう? オレの妹を舐めるなと。その未来が来ることは最早確定事項だ! お前が一匹狼を気取れるのは、精々オレの妹が病院から退院するまでの短い間だけだな!」
そう言って、司は今度こそ悩みの種は無くなったとばかりに笑う。
そんな司に不満げに口の端を歪ませながら志歩は言う。
「な、なんですか……! 自分の妹だからって、ちょっと信頼し過ぎなんじゃないですか? それだからシスコンって言われるんですよもう……」
「妹の事が好きで何が悪い!」
「——!? ふ、ふふっ……そこまで開き直られると、気持ち悪いを通り越していっそ清々しいですね……ふふふっ……」
そう言って、志歩はどこか今まで抱えていた迷いが吹っ切れたかのような表情で、クスクスと笑うのだった。
そんな笑う志歩に対して、そういえばと言わんばかりに司は尋ねる。
「さて、一つの大きな問題も片付いた所で——今日はオレに話があるんじゃなかったのか? 後の心残りはそれに尽きるからな」
「——あっ、そう言えば……そんな事言ってましたね」
「なっ……志歩、お前が大切な話だというから忘れずにいたというのに、お前が忘れていたのか……!? まぁ、あれだけの事を成し遂げたのだから、無理もない話だと思うが……」
そう言ってガックリと俯く司に、志歩は満天の星空を見上げながら、脳裏に司から貰った言葉を反芻する。
『志歩を——
その言葉だけで、最初に志歩が確認したかった事柄は十分だった。
だけど、少しだけ引っかかった事を問う。
「司さん、聞いて良いですか? 最初私と司さんの間柄を店長に説明する時に、どうして私の事をただの友達だって言わずに、わざわざ妹の友達だって回りくどい言い回しをしたんですか? もう、司さんは私の事を友達だって思ってくれてたのに、どうしてあんな……」
そんな問いに、司は少々答えづらそうに言葉を返す。
「むっ……? あ、あぁ……あの時か……いや、あの時は志歩がオレとの関係で友達という扱いをされるのを嫌がるかと思ったんだ。オレが一方的に友情を感じていても、オレは志歩を怒らせてばかりだったからな、迷惑に感じられるだろうと思ったんだ」
「——め、迷惑!?」
「まぁ……だが結局、フレイアさんに色々お前の事を馬鹿にされて、頭に血が上ってしまって本心を口走ってしまったのだがな。だけど、お前が嬉しそうな顔で笑ってくれているのを見て——オレの想いは一方通行ではなかったのだと、そう知れて嬉しかった。それが、オレの行動理由だ」
「そっ、そう……だったんですか……わっ、私……司さんの事……嫌いじゃないですよ。そ、その……わっ、私は——」
志歩はそんな司の想いを聞き、そこで思わず再び顔を真っ赤にする。
そして、司の背に額をそっと乗せ、暴れ狂う心臓の鼓動に絞り出されるように、また勇気を絞り出すようにその言葉を吐く。
「——司さんの事が……好きです」
そう言ったと同時、志歩はさらに自身の心臓がバクバクと鳴り響くのを感じた。
(——いっ、言った……! 言っちゃったっ……私……! ど、どうしよう……流石に自分の気持ちが分かったその日に告白までは早まったかな……? い、いや、もう、最初あれだけ嫌いだったのに、今はこんな気持ちになってる時点で——どれだけ自分の気持ちを疑っても、どれだけ嫌おうとしても、結局好きだって思ってしまった時点で、もうこの気持ちは一生揺るがない気がする。だから、これが一番……!)
そう思考し、志歩はまるで裁判官の判決を待つ罪人のような、期待と不安が入り混じってドキドキするような気分で司の言葉を待つ。
すると、そんな司から帰ってきた返答は——
「……おおっ! そうか! 良かった……オレもお前の事は好きだぞ! 自分に揺るぎない芯を持ち、素晴らしいベースの演奏をするお前はオレの自慢の友だ!」
(——あっ、駄目だこれ。多分伝わってない)
あっけらかんとした返答に、志歩は静かにそう悟り、自分の初恋の前途多難さを実感する。
(やっぱり……司さんにとって私はどこまでいっても“妹”みたいなものなんだ……私個人の事を友達として見て貰えても、結局『一人の女の子』として扱って貰えない……だって、全然照れてないし、好きって言われちゃってるし、完全に司さんにとって私は脈ナシって事がすぐに分かる。もう……ここまでしても察してくれないなんて、本当に無神経なんだからこの人……)
志歩は静かにガックリ肩を落とし深い溜息をつくが、それでもと胸が激しく高鳴る鼓動が抑えられないかのように思い直す。
(ああ……でも、もうそれでも私……司さんの事が好き。驚いた、普通ここまで無神経で自分に対して脈も無いって分かったら、気持ちは冷めて諦められるものなんじゃないの? でも、全然諦められる気がしない……どうして?)
そんな、自身の衰えない恋心の理由を内心から探す志歩の脳裏に浮かんだのは、あの日の屋上で
『でも——だからって諦められる?』
(高木さん……ああそっか、そうだったね。私……ずっと一歌達の事をずっと諦めきれずに引きずり続けて、結局諦めないって決めちゃったぐらいに、諦めの悪い性分なんだった。だったらもう……司さんに対するこの気落ちも引きずり続けるしかない。本当……自分で思うのもなんだけど、厄介な性格してるな私)
内心でそんな事を思いながら、志歩はため息交じりに口を開く。
「はぁぁ……そうですか、司さんが私の事をどう思ってるのか、今の言葉でよーくわかりました。司さんが、どこまでも私を子ども扱いしてるって事を」
「——何? いや、そんな事は思っていないぞ。流石に小学生の頃とは身長も性格も、様々な事が違うではないか」
「……そういう事が言いたいんじゃないんですよ私。もっと……なんかこう……上手く言えませんけど、とにかく司さんは私を子ども扱いしてるんです。異論は認めません」
「……? なんだ? 何が言いたいのかまったくわからんぞ……まさか、そこまで思い悩む程におんぶされるのが嫌だったのか? なんだ……? 何が原因だ……?」
首を傾げ悩む表情を見せる司に、志歩は同じぐらい悩んだ表情で今後の策を考えるかのように呟く。
「司さんは……どうしたら私を子ども扱いしなくなるんですか?」
「何? いや、オレはお前を子供扱いなどしていないと何度言えば——」
「はい、もう聴き飽きました。そういうのはいいです……何だろう、何が悪いのかな……? 呼び方? いや……うーん……“司さん”以外の呼び方……“司”……? いや、なんだか失礼な感じがするし、そう呼んでる自分が全然しっくりこない……こうなったら、いっそ今の現状を変えるしかない……?」
そうブツブツと意味が分からない事を呟き始める志歩に、司は心配になった表情で言う。
「志歩お前、本当に大丈夫か? まさかまだ悩みを抱えているのか? むむ……心配だ、本当ならこの先もお前に付いててやりたいが、流石にこの間の中間テストの結果が悪すぎて母さんに『受験生なのに何事なの!?』と叱られてしまったからな……来週から予備校に通わされてしまう事になったんだ。だから、これからは同じようにお前に付き合ってやる訳には行かなくてな……」
そんな司の呟きに、志歩はハッと何かに気付いたように顔を上げて言葉を呟く。
「——司さんって、そういえば神山高校に進学志望でしたよね?」
「うん? あ、ああ、その通りだ! この都内で新しく出来た新設校! そんなまっさらなステージに身を移し、オレというスターの名を神高の歴史に刻み込むのも一興だと思ってな! そして、やがてオレがスターに成った暁には、世界で目覚ましい活躍を見せる卒業生として、この天馬司の名を唯一無二の名として称えるだろう! 全くもって素晴らしい! オレのスターとしての人生設計はもうすでに完璧で盤石なものなのだ! ハーッハッハッハ!」
そんな欲望に塗れた事を叫びながら高笑いする司には一瞥もくれず、志歩は静かにブツブツと呟きながら思考した様子を見せた後、真剣な表情で司に対して静かに言う。
それは、司にとってとんでもない爆弾発言だった。
「司さん……私に、“司先輩”って呼ばれるのアリです? ナシです? どっちですか?」
「——なっ!? 何ぃ!?」
志歩のトンデモ発言に、目をひん剥いて驚愕する様子を見せる司。
そんな司になおも志歩は言う。
「だって……司さんに子供扱いされない為に、何を変えていくかって考えたら……もう高校は外部受験して司さんの後輩になる事ぐらいしか思いつかなくて……」
「おっ、おい……? 折角今の中学に入学するのに受験勉強を咲希達と一緒に頑張っていたではないか、そんな程度の理由でまた来年再び受験生になるのか? 流石にそれはオレは止めるぞ……?」
恐る恐るそう言う司に対して、キッパリと即時訂正するかのように志歩は言う。
「
「なにぃ!? そ、そんなにオレのお前に対する態度に不服を感じているのか……!?」
「……はぁ、ここまで言っても本当に私の気持ちを分かってないんですね……司さん、“鈍感系主人公”っていう存在が人気なのは、ドラマとか漫画とかの創作物の世界だけなんですよ? そんな無神経な貴方の事が好きな人なんて……その……わ、わた——っ! やっぱり何でもありませんっ!」
「な、なんだ!? 一方的に話し始めて一方的に話を打ち切るな……! オレにも分かるように話せっ……!」
「ここで素直に話せるような性格だったら、私は今こんなに苦労して悩んでませんっ!」
「な、なんなのだ一体……!?」
遂に降参といったように片手で頭を抱える司に対し、志歩は『——それに』という話し口で、割と真剣な表情で今の自分の考えを実行した結果を考察した内容を口にする。
「……それに思うんです。確かに咲希達と一緒に行こうってなって進学を決めた宮女ですけど……私って、もしかしたら性格的に女子校っていう環境が合ってないんじゃないかなって最近思い始めてまして。事実、実質今だってイジメに遭ってるようなものですし。親に現状を正直に話して高校は別の所に進学したいって言ったら、素直に納得してもらえそうじゃないですか? だって、今私の事を無視してる人達って高校にそのまま全員上がってくるんですよ? 冷静に考えたら嫌じゃないですか?」
「——むっ!?」
割と真面目な意見に、思わず司は反論の言葉を失う。
そしてまだ志歩の言葉は続く。
「それに、お姉ちゃんからの過干渉からも離れるいいキッカケになると思うんです。だって聞いてくださいよ司さん、私のお姉ちゃん単位制クラスで今人気絶頂のアイドルなのに、私がお弁当忘れた時に平然と普通科のクラスに入ってお弁当届けに来るんですよ? あの時にクラスのみんなから浴びる針のむしろのような感覚、今思い出すだけでも鳥肌が立ちます……」
「……し、雫……お前っ……暫く会っていないが相変わらず天然なのだなお前は……!」
そしてその流れで志歩は、実質決定的な理由とまで言って良いほどの意見を口にする。
「それに、冷静に考えれば、今の学校自体から離れてしまえば、私は普通に一歌達と一緒に居て良いと思うんですよね。だって、そうなればもう私はどれだけ一歌達と仲良くしてても、他の子達にとって学校の外ですから何も一歌達を悪く言う理由は無くなると思いますし。確かに高校一緒に通えないのは少し寂しいですけど……でも違う学校に行ったぐらいで、一歌達は私に対して冷たくなるような人間じゃないと思うんです」
「むっ……ぐっ……!」
「以上が、私が神山高校に外部受験を考える理由ですけど……司さん、これを聞いてもまだ“そんな程度の理由”って言えますか?」
「な、何も反論ができんっ……!!」
未来のスター天馬司、完全敗北。
志歩に対して全ての反論を失ってしまった司は、観念したように項垂れる。
「わかった……お前がそこまで考えた上でそうしたいというなら、好きにしたらいいと思うぞ……勿論、もしお前が本当に後輩になるのなら、オレはスターの名にかけてお前の面倒を見る事を誓おう……」
そんな観念した司に対し、志歩は『——でも』と懸念を言うように口を開く。
「——でも悩む所は、もし私が外部の高校に進学するなら、私がイジメられてた事をみんなに話す事になると思うんですよね。そうしたら一歌と穂波は、そこまで思い詰めるまで自分達は気づいてあげられなかったんだって悲しむと思いますし、お姉ちゃんなんか特に責任感じそうで……暴走して私に『これからは一緒に芸能界で生きていきましょう』とか言いそうで困るんですよねぇ……前にも一度、お姉ちゃんがプロデューサーに私の写真見せて、何故か気に入られてお姉ちゃん経由でプロデューサーさんから芸能界の誘いとか一回ありましたし……」
「——し、志歩がアイドル……!? に、似合ってないとは言わんが……その……すまない、正直……
「ですよね? いえ、謝らなくていいです。私も全くもって同感なので。……でも、もし司さんに“あの日”出会えなくて、そしてそのまま落ち込んだ気分のままで一歌達とも離れる決心をして、そんな時にお姉ちゃんにそんな話をされたら——
「む……そ、そうか……ならばオレはタイミングは良かったのか?」
「……はい、あの時のスクランブル交差点で、私と出会ってくれて、私に声をかけてくれて……本当にありがとうございます、司さん」
「……そうか、ならば良かったという事にしておこう」
そう言って頷く司に対し、志歩はため息交じりに言う。
「まぁ……話を戻しますけど。でも、やっぱり私が他の高校に通う事での一番の問題は、咲希がもし帰ってきた時に、そこに私が居なかったら咲希は悲しむ事だと思うんですよね……私達四人一緒に青春がしたいっていうのが、咲希の願いでもありますし……でも、咲希だったらちゃんと話せば分かってくれそうな気も……」
「——! そ、そうだぞ! 咲希が悲しむではないか……! もっとそういう部分も加味して自分の未来をよく熟考してだな……それに、共学だからと言っていいものだとは限らないではないか、その辺りもよく考えてみたらどうだ?」
「……なんだか、そこまで反対されると少し悲しくなってきました。司さんは……そんなに私が後輩になるのは嫌ですか?」
シュンとしたような声色で言う志歩に、堪らず司は慌てたように言葉を紡ぐ。
「い、いや待て……! 違うぞ! 嫌というわけではない! だがアレだ! さっきまでの話の流れで本当にお前が神高に来てみろ? そしたらオレの所為でお前の人生を狂わせてしまったみたいな感じになるではないか! それではオレの胃が痛くなってしまう……!」
そんな司の反対の言葉に、志歩は司に聞こえないような声量で、顔を赤くしながらも小さく言葉をブツブツと口にする。
「そんなの……もう私の人生、とっくに貴方に狂わされきってますよ。それに……この先も貴方という存在に狂わされるんだったら……正直、私はそれで本望です」
「——なっ? おい、今何と言った志歩? よく聞こえなかったのだが……?」
「あぁ……でもどうしよう。やっぱり別の高校に行く事を一歌達に納得してもらうには、学校でのイジメっていう話より、私の正直な司さんへの想いをみんなに話したほうが早いのかな? 色々もっともらしい理由考えたけど、結局一番の本心は司さんの進学先を追いかけたいだけだからな……はぁ、これが俗に言う『友情より男を取る』って事? そんな言葉を聞く度に軽い考えだなって思ってたけど、まさか私がその立場になるなんて……」
「志歩? 何さっきからブツブツ言い続けてるんだ? おい、聞いているのか!?」
「うぅ………でも、みんなに『私、司さんの事が好きだから一緒の高校に行きたい』って、そんな頭にお花が咲いたような発言を……するの? 私が……!? む、無理っ……! そもそも、この先もし一歌達と仲直りが出来て、そして司さんと普通にみんなの前で話せるようになったら、その時みんなの前ではいつも通りの『司さんの事が苦手な自分』を演じて、みんなに私の気持ちがバレないようにしようと考えてるのに……? でも“司先輩”って、とってもいい響き……正直、そう呼んでみたい……! うぅ……どうしよう、難しい……!」
「志歩!? おーい! 聞いているのかぁーー!? 家だぞ! もうお前の家に着いたんだぞーー!」
そんな、志歩の目の前に突如として人生の大きな選択肢が出現した所で、無情にも志歩が司に背負われる時間はタイムアップを告げた。
志歩は何とも言えない表情で司の背から降り、ふらつきながらも体力は回復していたのか、何とか立って軽く歩けるようにまでなっていた。
志歩はまだ悩んでいるような表情をしていたが、そこで何とかようやく我に返り、後はまた家で悩もうと決意しながら、司を見て心からの感謝の思いを告げるように、頭を深々と下げながら言う。
「司さん……本当に、本当にこの二週間のあいだ、私に付き合ってくれてありがとうございます。司さんのお陰で、私はみんなへの“想い”と、見失いかけてたベースへの情熱を思い出す事ができました。全部全部……司さんのお陰です。この恩は、一生忘れません」
そんな、普段は自分に対して素直じゃない事が多い志歩の、真面目な心からの謝礼の言葉を受け、司は一瞬目を見開いたように驚き、その後で彼らしい最高に自信満々な笑みと共に大声で言う。
「ああ! どういたしましてだ! なにせ、オレは未来の世界的大スターだからな! 親しい友の力になる事ぐらい、当然のことだ!」
「……ふふっ……本当に、司さんらしいですね? きっと……司さんならなれますよ、いつか世界で輝く大スターに」
「ふっ、勿論だ! ハーッハッハッハ!」
そう言って、遠い夜空に輝く星を指さし、司らしい最高の決めポーズで高笑いをする司。
そんな司に、志歩は高鳴る胸を抑えながら、今日残った最後の勇気を全て振り絞るように顔を真っ赤にしながら言う。
「——そ、そのですねっ! この二週間……私なんて文句ばかりの可愛げのない人間に付き合ってくれたお礼を、私なりに色々考えていたんですが……その……結局なにも思いつかなくてですね……その……」
「何? 礼か? 馬鹿を言え、そんなもの勿論不要だ! 言っただろう? スターは見返りを求めない! 求めるものがあるのなら、心からの笑顔と礼の言葉のみ! だから、お前からは充分に礼は受け取った! 気にするな!」
「い、いえっ……そういう訳にはいかないのでっ……! それで……何が良いかって考えてたら、司さんが小さい頃よくやっていた王子ペガサスの劇のラストシーンを思い出しまして……その、司さんの劇のラストって、囚われのお姫様を助けるシーンが多いじゃないですか」
「ああ、まぁあの頃は幼かったからな、囚われの姫を助けるという構図が、単純で分かりやすいハッピーエンドのオチでよく使っていたな、懐かしい……」
「……そ、そのっ……そのラストから、着想を得ましたといいますか……ちょ、ちょっとだけ自分の希望も入っていますといいますか……と、とにかく! 何も聞かずに目を閉じて少し屈んでください! ——何がとは言いませんが、とにかく今の身長差だったら届かないんですっ……!」
「——んっ? なんだ急に……変な奴だな」
「良いですから、早くっ! これ以上は私の心臓が持たないですからっ……!」
「し、心臓っ!? なんなんだ一体……!? 分かった分かった——これで良いか?」
「——っ! よしっ……!」
そして志歩は、最早茹でタコかと言われてもおかしくない程に顔を真っ赤にし、屈んで目を閉じて顔を差し出す司を見て、小さく自分を鼓舞するように言葉を吐いた後で少し背伸びをし——
——その頬に、チュッと小鳥がついばむようなキスをした。
「———っ!!!???」
当然、司は目を白黒させながら頬を抑え、真っ赤な顔で志歩を見てワナワナと震えながら言う。
「しっ……ししししし志歩……!? な、なんなんだ一体っ……!!!?? これはっ、なんなんだ一体!!??」
「こっ……これが! 私なりの精一杯のお礼の形ですっ! 囚われのお姫様を救いだした王子様には、お姫様からのキスがあるって言うのが定番じゃないですかっ……! ですから、司さんもそういうのが好きかなって思いまして……!」
そう言って、真っ赤な顔の司に、負けないぐらいの真っ赤な表情で言葉を返す志歩。
そんな志歩に混乱の極みと言った表情で司は言う。
「い、いや待てぇ!!?? 確かに嫌いとは言わんが、そのっ……なんだ!? もっと自分を大切にしろぉ!!??」
「じ、自分を大切にした結果がそこへのキスなんですっ……! え? なんですか? 口にして欲しかったですかっ……!? え、えっちですねっ! へんたいですねっ……!」
「い、いやっ! そういう事を言ってるのではなくな……!」
——と、そんな日野森家の前で、志歩と司がそんな青春っぽい甘酸っぱさがあるワンシーンを演じている時だった。
バサッ、バササササササァ——と、何か紙のようなモノが大量にアスファルトの上に落ちる音がし、そして音の方を二人して顔を向ける。
するとそこには、丁度事務所のレッスンからの帰り道だったのか、真っ赤な顔をして手に持った資料のような物を全て地面に落とし、まるで犯行現場を目撃した家政婦のようなリアクションで口元に手をやる
「——しっ、しいちゃ……!? 司くんっ……!? 今のは……いったい、何……?」
———あっ、終わった。
それが、司と志歩の脳裏に浮かんだ共通認識だった。二人は震える声で雫に弁明の声をあげる。
「お姉ちゃん…こ、これは違くて……!」
「そっ、そうだぞ雫! お前は絶対に今、何かの勘違いをしているっ……!」
「——ふ、ふふふふふっ……しぃちゃん? 司くん? 私がいくら天然だって言っても、流石に今の現場を見て、他の何の勘違いをしろと言うのかしらぁ? 私、そこまで察しが悪い訳じゃないのよ? なぁに……? 意地悪しないで全部私に教えて欲しいわぁ……」
ゆらりと、まるで何かのオーラのようなものを漂わせながら、何かの圧を込めたような声の響きでそう言う雫。
その圧の名は——シスコン
その女王の圧倒的な圧を、もとい殺気を主に一身に受ける司は、思わず足をガクガクと震わせながら言う。
「まっ、待てっ! 話せばわかる!!! 話せばわかるぞ雫!!」
「うふふふふふふふ……あぁ、全部繋がっちゃったわぁ……最近、しぃちゃんがとっても明るいのも、学校に行くのも楽しそうなのも……全部全部
「おっ、お姉ちゃんっ……!? そのっ、違うからっ! 私と司さんそういう関係じゃないからっ! まだ全然付き合ってもないからっ……!!」
そんな志歩の発言に、雫は開き切った瞳孔で志歩の方に素早く視線を向けて言う。
「——
「いっ……言い間違えた! 全く付き合ってないから! お姉ちゃんの勘違いだから!」
「付き合ってないのに、どうしてああいう感じになるのかしらぁ? 私、天然さんだから全く分からないわぁ……? 素直に“そう”としか思えないわぁ……」
「雫っ……アレだ! 志歩は劇の練習に付き合ってくれたんだ! その中でそう言うシーンがあってだな……!」
「司くぅん……? 往生際が悪すぎるわよぉ……? さっきの雰囲気の何処が演劇の練習なのかしらぁ……? 素直に認めたらどう……?」
「まてぇ! ハプニングだッ!! 予期せぬハプニングがあったんだぁ……!!」
そんな司の言葉を聞いた後で、雫は静かに星空を見上げ、ポツポツと語るように言う。
「司くん……私ね、本当はいつかこんな日が来るんだと思っていたわ。どれだけ私がしぃちゃんを愛していても、いずれは誰かのもとにお嫁さんに行ってしまう……いつかこんな日が来る覚悟は出来てたわ。だから、全然怒ってないのよぉ……? 本当よぉ……?」
「ほっ……本当かっ……!? 雫っ、本当かっ……!?」
しかし、そこで雫はバッと司の顔を見、そして決死の決意を固めたような表情で言う。
「でも、私は決めているのよ……! しぃちゃんをお嫁さんにあげるのは、私が認めた人にのみ! だから司くんっ……しぃちゃんが欲しいというのならっ……私の
「しっ、雫ぅ!? まてぇ! だから勘違いだと言っているだろう……!!」
「——問答無用っ……! まさか、あなたとしぃちゃんを懸けて戦う事になるとは思わなかったわっ……お互い人は違えど、同じ“妹”を愛する者同士……あなたなら、私の気持ちは分かってくれていると思っていたのにっ……!」
「お、おい待てぇ! 本気か雫っ……!? おおおっ!?」
雫はそう言って司に掴みかかり、それに司も抵抗する形でガシッと雫の両手を自分の両手でつかみ、その場で二人は取っ組み合いになる。そのままギリギリと両手で押し合いになる形で雫は言う。
「あらぁ……司くん、優しいわねぇ……本気を出さないのかしら?」
「はっ、話を聞けぇ……! 勘違いだと言ってるだろ雫っ……! こんな戦い、得るものなど何もないっ……!」
「それはどうかしらぁ……少なくとも、私に得るものはあるわぁ……しぃちゃんにつく悪い虫を取り払って、しぃちゃんをまた私だけのものにするために、これは必要な戦いなのっ……! だから司くんっ……覚悟……!!」
「オイィィィーーー!! もう嫌だ! オレは今日何度、この手の勘違いをされねばならんのだぁぁーーー!!」
「や、やめてっ……お姉ちゃん、司さんっ……! わっ、私の為にそんな大声出して争わないでぇ!!??」
満点の星空の下、志歩が羞恥から来る涙で頬を濡らしながらそう叫んだ後——志歩と司の二人ががりで荒ぶる
■ ■ ■ ■ ■
志歩はその日の深夜、疲労困憊といった様子で布団の上に仰向けになっていた。
「はぁ……今日は、本当に疲れたっ……色々、本当に色々あり過ぎて疲れた。それに、折角さっき司さんに勇気を出したのに、お姉ちゃんの所為で全部有耶無耶になっちゃった……もう、お姉ちゃん、私の事を好きなのは分かったけど、ちょっと過保護もいい加減にして欲しい……!」
そう言いながら、自らの姉に対する恨み節を呟く志歩だった。
「あーあ……折角ちょっとだけドキドキしてもらえたって思ったのに……もしかしたら、あの時に“好き”って告白出来てたら、流石にちゃんとした意味で受け取って貰えたのかな? そして……もしかしたら、つ、付き合ったりとか……出来たのかな……? う、ううん……何考えてるの私っ……司さんはこれから受験勉強で忙しくなるから彼女なんて作ってる暇ないだろうし、私だって今はプロのベーシストになる為にまだまだ修行しなきゃいけないし。何考えてるんだろもう……自分の事ながら、初恋だからってはしゃぎ過ぎ」
そう呟きながら、ポスンと自分の手首を目元に当てて蛍光灯の光から目隠しつつ、志歩は今日あったライブでの演奏を、その中で自分が感じた不思議な感覚の事を思い出す。
「でも……今日は本当に良い演奏が出来た気がする。今日みたいな演奏がずっと出来るようになったら、私は“プロ”になれるのかな? あのドキドキする気持ちを全部ベースの音色に乗せれたら、私はまた“あの感覚”になれるのかな……」
志歩は目を閉じ、思い出す。あの時の記憶を。
『——
浮かんできたのは、あの時の逆境の中で司が自分に伝えてくれた事だった。
「そっか……あのドキドキする気持ちは、司さんが私にくれた感覚。なら——」
そこで目隠しをやめて目を開き、志歩はたどり着いたその理論を口にする。
「——私が、司さんへのこの気持ちを大事に育てていくことも、きっと私のベースの演奏の為になるって事なのかもしれない……!」
志歩が導き出したその結論は、外野から見れば少々都合が良すぎるような考え。
それでもきっと、自分の初恋をようやく自覚し、そしてその想い人相手とも自分は良好な関係が築けていると感じて少々浮かれている、まだまだ未熟で、恋に恋しがちな年ごろの女子中学生にとっては、何もおかしくはない理論なのかもしれない。
だからこそ、志歩は言う。
「よし、だったらこれからは……受験勉強で頑張る司さんの迷惑にならない程度に、自分なりに色々考えてアピールしてみよう……す、少し恥ずかしいけど……私のベースの為でもあるんだから……仕方ないよね。私、恋愛と夢、両立できるよね……よしっ」
そう言って決意を新たにしていると、ふと横目で部屋の姿見が見え、そこにはそれが自分だとは思えない程に、表情が緩みきっている自分の姿があった。
「でも……ほんと、信じられないな。まさか、私が誰かを好きになるなんて……しかもそれが、最初はあんなに嫌いだった司さん相手だなんて……思いもしなかった」
思わず志歩の脳裏に浮かぶのは、司と深く関わるようになった一番初めの頃自分の記憶。
『
「……まさか、“あそこ”から今の自分があるなんて、本当に信じられない。司さんは本当に、こんな事言ったら悪いけど……人たらしの才能があるのかも」
そこまで思い至って、志歩はハッとなった表情で布団からガバリと起き上がる。
「も、もしかして……私以外にも司さんの事が好きな人って居る!? い、居るかもしれないし、居ても不思議じゃない。むしろ、今だって彼女が居てもおかしくないぐらいなのに——いや、もし居たら、私と2週間も一緒に居る事を彼女さんが許すはずもないし、それはないか……でも、片思いだけなら沢山居そう……だ、だったら、私、がんばらないと……!」
そう思い立ち、志歩は思わず近くにあった参考書を手に取ってパニックになってしまう。
「と、とにかく司さんを追いかける為に受験勉強しないと? い、いや待って、司さんとみんなのどっちを取るのかって結論がまだ出てないっ……! ううっ……それに、私も正直勉強が得意って訳じゃ……ど、どうしよう……! た、助けて司さんっ……!」
そう言って、志歩は窓から夜空を見上げ、そこから遠くに輝く星を見つめながら、今この場に居ない司の名前に助けを求めるのだった。