神山高校1年A組日野森志歩   作:トール77

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12話 日野森家へようこそ司くん(姉在宅編)

 

 

 

 月日は流れ、年が明けた二月の終わり頃。

 いつか世界に羽ばたく大スター天馬司は、見事受験戦争という学生の戦いの日々に苦悩しながらも何とか勝利し、神山高校にギリギリで合格を決めた。

 

 それに対し、司の学力に不安を抱えていた両親はまるで、サッカー日本代表がワールドカップ決勝戦で大逆転勝利を決めた瞬間の日本人サポーターのように電話口で喜びを露わにし、遠方で入院中の妹である咲希はビデオ通話で『良かったね……! 本当に良かったねお兄ちゃんっ……!』と、まるで不治の病が奇跡的に完治した可哀想な小学生の女の子を見た時のような涙目で、祝いの言葉を贈るのだった。

このように家族全員から自身の学力を馬鹿にされたような反応だったが、単純な司は満面の笑顔で『当然だ! 未来の大スターに不可能は無いのだ! ハーッハッハッハ!』と調子の良い返答を返したのだった。

 

 そんな、学生としての大きな壁を苦労して乗り越えた天馬司に待っていたものは——

 

「あら、インターホンが鳴ったから誰が来たかと思えば……司くん? わざわざウチに用は無い筈なのに何の用なの?」

「おお雫か、今日は仕事は休みなのだな。いや驚かせてすまない、俺は今日は志歩に呼ばれて家に遊びに来たんだ。上がってもいいか?」

「成る程、司くん——さては泥棒ね? ウチを狙って空き巣に入ってきたのね?」

「は? お、おい、いや待て! 志歩に呼ばれたと言っているだろ! それに白昼堂々、玄関からインターフォン鳴らして家人に挨拶をする空き巣など居てたまるか!」

「じゃああなたが世界で初めての例ね司くん。“あの”しぃちゃんから家に誘われたなんて、そんな事あり得る筈ないもの……! 盗みに入って見つかったからって、言い訳にしてはもうちょっとマシな事を考えなさいっ……! この泥棒っ……覚悟っ……!」

「待て待て待て! 本当にいい加減にしてくれ! 志歩とは友人として懇意(こんい)にさせてもらっていると、何度言えば理解してくれるんだーー!」

 

 日曜日の昼に志歩の家の玄関前で、雫に泥棒だと疑われる宿命(さだめ)だった。

 雫は司に向かって突進すると、その場で司と両手で押し合う形で取っ組み合いになる。

 

「信じないっ、何度聞いたって私は信じないわっ……! しぃちゃんは司くんの事があんなに苦手だったのに、それなのに今こんなに仲良しさんなんて信じないわ! 絶対に、信じないっ……!」

「この……何度言ってもその一点張りか! いい加減に認めろっ、心配せずともお前の危惧しているような事は何も無いっ……!」

「うるさいわっ、司くんに私の気持ちなんて分かりっこないもの、この裏切り者っ…! 互いに妹を愛する同志だと思っていたのは私の方だけだったのねっ……!」

「だからこれも何度も言ってると思うが、その理論はまったくわからんぞ!!」

「司くん、あなたは妹を愛する者として失格だって話をしたいのよっ……!」

 

 そんな雫の言葉に、今度は司の方が心外だとばかりに目を剥きながら大声を出す。

 

「なにぃ!? それは聞き捨てならんぞ雫っ! オレは咲希を誰よりも愛している自信がある! その気持ちはお前にも負けんっ!」

「何を言ってっ……!? 私の方がしぃちゃんを愛してるわっ……! 寝言は寝てから言って頂戴、司くんっ……!」

「馬鹿を言え! オレの方が咲希の事を愛しているぞ雫ーーー!!」

「私が絶対に、世界で一番しぃちゃんを愛しているわっ……!!!」

 

そんな、司と雫(シスコン共)が言い争う日野森家の玄関で、その騒ぎに冷や水をぶっかけるかのような冷たい圧を含ませた静かな声が響き渡る。

 

 

「——何、やってるのお姉ちゃん?」

 

 

 そんな、騒ぎを聞きつけて遅れてやってきた志歩からの、静かな怒りを感じさせるような声に、雫は慌てて司からバッと離れて後ろの志歩の方を振り返りながら言う。

 

「し、しししぃちゃん……!? こ、これは違うの、司くんがしぃちゃんに家に呼ばれたなんて悪い嘘をついて強盗しようとしてるから、私がちゃんと追い返そうと思って……しぃちゃんは司くんを自分のお家に呼ばないわよね……?」

 

 しかし、そんな雫の震えるような声での問いに、志歩はキッパリと姉を切り捨てるかのような口調で言う。

 

「いや合ってるから、私が司さんを高校合格のお祝いがしたくて家に呼んだの。分かったならさっさと司さんの邪魔するのはやめて、自分の部屋に戻っててよお姉ちゃん……ハッキリ言って、今日は流石に本気で鬱陶(うっとう)しいから」

 

 そんな志歩の有無を言わせぬような断固とした物言いに雫は圧倒され、軽く涙目になりながら口を開く。

 

「しっ、しいちゃ……!? わ、わかったわ……しぃちゃんがそこまで言うなら、お姉ちゃん……部屋に戻ってるわ。も、もし何かあったら、何時でもお姉ちゃんを呼んで頂戴ね、しぃちゃん……!」

 

 そう負け惜しみのように吐き捨て自室に向かって小走りで去る雫を、志歩は冷たい目線で見送った後で大きな溜息を吐いて司に向かって頭を下げる。

 

「はぁ……司さん、本当にウチのお姉ちゃんが迷惑をかけてすみません。私の方から呼んだのにあんな酷い対応なんて……こんな事なら面倒になると思わずに、事前にお姉ちゃんに話を通すか、司さんが来る前に家から追い出しておけば良かったです」

 

 そんな志歩に対し司は、同じく雫の去った方を見た後で、軽く笑みを浮かべる。

 

「何、全く気にしていないから安心しろ。同じ妹を想う者として、妹が今までとは全く考えつかない交友関係の者を、しかもそれも異性の者を家に招こうとしていたら……心配にもなる気持ちは分からんでもない」

 

 そんな司の“異性”という単語に、志歩は慌てて言う。

 

「あ、あのっ……! わ、私っ、そんな……ヘンな目的で司さんをウチに呼んだ訳じゃないですから! 司さんが勉強とっても頑張っていたのは私よく知ってたので、何か労ってあげられたらなって思いまして……!」

「ああ、勿論分かっているぞ。友としてオレの事を信頼してくれているからこそ呼んだのだろう? オレは志歩の信頼を裏切るような真似はしないから安心しろ!」

 

 そう一切の曇りのない満面の笑みで司に言われてしまえば、それはそれで複雑なのが乙女心というもの。

 志歩は思わず頬を少し膨らませながら、小声で言葉を漏らす。

 

「別に……司さんだったら、そんな私の信頼なんて裏切ってくれても良いのに……」

「——む? どうした志歩?」

「い、いえっ……何でもありませんから気にしないでください! ただの独り言です!」

 

 志歩はそんな司の反応に一瞬自分の声が聞こえてしまったのかと焦るが、その懸念は司の次の言葉で一蹴される。

 

「それにしても、雫の立場を自分の身に置き換えてみると身の毛もよだつな……将来、病気も治り元気になった咲希が……オレに彼氏を紹介してくるだとっ……!? かっ、考えたくもないそんな未来……!」

 

 志歩はそんな未来に青くなる司に、小さく嘆息しながら言う。

 

「はぁ……司さん、咲希と同じ妹としてアドバイスしますけど、もしそうなっても絶対にさっきのお姉ちゃんみたいな事はしない方が良いですよ? どれだけ咲希が司さんの事をお兄さんとして大好きでも、それやったら一瞬で嫌いになられてもおかしくないですから。現に私が今そうなりそうですし……いや、お姉ちゃんが私の事心配してくれてるって分かってるんですけど、それでも少し思う所はあります」

「くっ、耳が痛い忠告だ。オレはその時になって平常心でいられるかどうか……まったくもって自信が無いぞっ……!」

 

 ついには頭を抱えてしまう司を見て、志歩は『しょうがない人だな』と言いたげな笑みを浮かべて小さく呟く。

 

「……本当に、咲希の事が大好きなんですね。司さんにそこまで想われるなんて……もう今の私にとったら、ちょっとだけ咲希が羨ましく思えてしまいそうです」

「む? また何か言ったか? スマン、夢中になって少々話を聞いていなかったようだ。もう一度言ってくれ」

「いえ……大丈夫です。それよりも司さん、まだご飯食べてないですよね? お昼ご馳走しますから上がってください」

「ああ、確かにこんな所で話しているのもなんだからな……わかった、是非そうさせてもらおう!」

 

 そう言って司は誘われるようにして家に入り、そして和室の広めの居間に案内される。

 立派な掛け軸も高価そうな壺もあり、高級な古き良き日本家屋の一室と言っても良いような室内を司は見回しながら言う

 

「それにしても、志歩の家は昔から変わらず日本の歴史の()()びというものを感じさせる素晴らしい造りだな」

「あぁ、司さんはそういえば咲希と一緒に小さい頃にウチに遊びに来た以来ですね。この家って母さんが父さんの所に嫁いでシブヤに住むってなってから、母さんの住んでた実家に合わせて父さんが新築したんです。母さん元は千代田区あたりに古くからある日本舞踊の家元の生まれだったらしくて、実家も東京都内にあるにしてはそれなりの武家屋敷みたいな感じなんですよ?」

「成る程、じゃあこの家は……海華(うみか)さんの元の住環境に合わせて忠志(あつし)さんが建てた家か……通りでこんなに立派なのか。その話だけで結婚当初から志歩の両親の夫婦仲はとても良好だった事が伺えるな……うんうん」

 

 司がそう言って一人で頷いていた時、志歩はそんな司の顔をキョトンとした表情で見ながら言う。

 

「あの……私の母さんと父さんの名前よく覚えてましたね? 小学生の頃1度か2度会ったきりでそれから会ってもないじゃないですか、てっきり私忘れてるものかと」

「おいおい、流石のオレもそこまで忘れやすい訳ではないぞ。まぁ……だが、志歩の両親は気持ちがまだ若々しい方々だったからな。昔一度“おばさん”や“おじさん”と呼んでしまって、とても悲しそうな顔をされたから、次は覚えておこうと幼心に誓ったんだ。だからかもしれん」

 

 司にそう言われてしまうと、志歩は気まずそうな表情をしながらも二人ならあり得ると納得せざるを得なかった。

 そして申し訳なさそうな表情で口を開く。

 

「あぁ……そうでしたか。なんだか……お姉ちゃんといい、父さん母さんといい、ウチの家族総出で司さんに迷惑かけてるみたいで申し訳ないです……」

「なに、迷惑でもなんでもないぞ。それに家族総出と言ったが、志歩にオレは迷惑などかけられた覚えは無いのだが?」

 

 そう司が尋ねると、志歩はキッパリと意見を譲らない意志を滲ませたかのような表情で、司に言葉を返す。“それ”は、志歩が去年の秋頃のライブハウスでの初舞台からの帰り道、司に背負われて帰ったその日から心に誓い、ずっと司に対して言い続けている言葉だった。

 

「いや、何言ってるんです……私が一番、司さんに迷惑かけたじゃないですか? 最初色々意地張って、司さんにも沢山酷い事言って——それでも、司さんは私の心を救ってくれました。それだけじゃなくて……もっと、他にも色んな……もう言葉じゃ言い尽くせない程の沢山のものをくれました。だから……私は決めたんです。これからは私が、司さんに貰った恩を返していくんだって。今日、私が司さんを家に呼んだのもその関係です」

 

 そんな、最早何度も聞いた志歩の言葉に、ため息交じりに司は答える。

 

「はぁ……お前はまったく……そのような義理は果たさなくても良いと、何度言えば分かるんだ?」

「司さん、知ってますよね? 私、一度決めた事は簡単な事じゃ曲げない、諦めの悪い性格してるって。ですから……私の、この司さんへの気持ちも絶対に曲げないって決めてるんです。ですから覚悟して、素直に私の感謝の気持ちを受け取ってください」

「む……仕方ない奴だなお前も……」

 

 梃子でも曲がらないような眼差しで見据えられてしまえば、司も折れる他なかった。

 そんな司に対し、気を取り直すように志歩は言う。

 

「話が逸れてしまってたみたいですね、じゃあ早速用意するので私が作ったご飯を食べてください。最近お母さんに料理教わってて、ついさっき出来たばかりなんですけど結構おいしく作れたと思う自信作なんです。まぁ……母さんには流石に敵いませんけど」

 

 そんな志歩の言葉に司は驚いたように少し目を丸くする。

 

「なに? 合格祝いにご飯をご馳走するという話は、まさか志歩の手作りだったのか?」

「……あ……すみません。本当は母さんに頼んで、おこずかいだいぶ先の分まで前借りして、ちゃんとした外食のお店を予約しようと思ってたんですけど……母さんに『まだ中学生ですのにそういうお金の使い方は良くないですよ』と言われてしまって。なので、司さんが期待しているような高級な料理じゃなくて、下手な私の手作りで申し訳ないんですけど、その分母さんから色々教えてもらって、司さんの好きそうなものを沢山作ったので……」

 

 司に落胆されたと思い、申し訳なさそうにシュンとする志歩に対し、司は勢いよく首を横に振って否定する。

 

「いや違うぞ! 文句などある筈がないだろう! まさか志歩の手作りの料理だとは思わなくて驚いたんだ。わざわざオレの為に料理を練習して作ってくれたのだろう? そんなもの、嬉しいに決まっている! その心遣いだけでどんな高級店にも勝る絶品だと食べる前に確信が持てるぞ!」

 

 司の言葉に、志歩は慌てたように口を開く。

 

「——っ、司さんに作る為に料理覚えたとかそんなのじゃなくて……! あの……アレです、一歌も穂波も自分で料理作れるって聞いてたので、私も料理作れたら便利だなって考えて……だ、だから、司さんの為に料理覚えようって思った訳じゃないんですから。た、たまたま司さんのお礼に役立っただけなんですから! かっ、勘違いしないでください!」

「な、なにっ……そうだったか。だが……そんな、二度もオレの為という部分を否定しなくてもいいではないか……気に障ったのなら謝る、すまない……」

「いっ……いえ、別に全然気にしてないので大丈夫ですから謝らないでください……あぁぁぁ……馬鹿馬鹿馬鹿、何で私の口はいつもこう真逆を……」

「志歩、何を小声で言ってるんだ……?」

「……なんでもありません。じゃあ私……作ったの用意しますので……」

 

 そう言って、意気消沈した志歩が台所の方に向かおうとした時だった。

 廊下の方から足早な足音が響き、(ふすま)をバンッと勢いよく開きながら、妹に激しく拒絶されてもめげない不滅の(シスコン)が現れた。

 

「——雫っ!? 何故お前がここに!?」

 

 そう司が驚くのも無視して、雫はその瞳を涙でウルウルさせながら大声で叫ぶ。

 

「やっぱりっ……! 司くんの……為だったのねっ!! しぃちゃんが『お世話になった大切な人』の為に料理を覚えたいって言って、お母さんに教わって最近ずっとお料理頑張ってたのは……全部全部っ、司くんの為だったのねっ! 認めないわ! しぃちゃんの手料理は私が全部食べるわ! 司くんにあげるのなんて、お米一粒もないんだからっ……!」

 

 そんな姉の叫びに、志歩はこれ以上ない程に顔色を朱色に染める。

 

「おっ、お姉ちゃんっ……! いらない事言わないで! いい加減にしてよっ! 自分の部屋でじっとしててって言ったよね私っ……!?」

「嫌よっ……! しぃちゃんの手料理なんて私が食べたいもの! なんで司くんにあげるのを私が目の前でみすみす見逃さないといけないのっ……!? そんなの絶対に認めないわっ……!」

「お姉ちゃんっ! 今食事の糖質制限してるんでしょ!? それにお姉ちゃんはお母さんが作り置きしてくれたお姉ちゃん用のご飯もう食べたよね!? 黙って見逃がしてよ!」

「しぃちゃんの手料理は別腹なのっ! いくら食べてもしぃちゃんの手料理なら実質ゼロカロリーだから大丈夫なのっ……!」

「意味わかんないから……! ほら、さっさと出て行ってよ!! 本当に邪魔だから! もし次来たら家から叩き出すからねっ……!!」

「ああっ……しぃちゃ~~んっ!」

 

 強引に雫を居間から叩き出し、元の部屋に放り込んだ後で志歩は肩で荒く息をする。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……本当に、ウチのお姉ちゃんが粗相ばかりして申し訳ありません、司さん……今度こそ今から用意します」

 

 そんな志歩を出迎えたのは、微笑ましい者を見る目で微笑む司の笑顔だった。

 

「ふふっ——ああ、そうだな。早く食べないと折角志歩がオレの為に頑張ってくれた努力が、全て無駄になってしまうからな?」

「なっ……なななななっ……!?」

「『世話になった大切な人』か……少し照れるものがあるが、そう想われているのは悪い気はせんな。それを言わずに隠そうとするとは……やはり、お前は可愛い奴だな志歩」

「~~~~っ!!」

(馬鹿馬鹿馬鹿っ! お姉ちゃんの馬鹿! もう本気で嫌い! 仕事で疲れてるだろうからって気を遣うんじゃなかった! 次やったら本当に家から叩き出してやる……!!)

 

 志歩はそんな事を考えてもはや羞恥で涙すら浮かべながら下唇を噛み締め、そして司に対して言う。

 

「も、もういいですから! とにかく持ってきますので、黙って待っててください!」

 

 それだけ言って志歩は足早に居間から去り、調理してあったフライパンの料理を温め直したりしながら大皿に盛り付け、それをお盆に乗せて居間のテーブルの上に配膳する。すると司の目の前にはみるみるうちに、素朴だがとても家庭的な料理の数々が並ぶ。

 厚焼き玉子、ハンバーグ、ポテトサラダ、みそ汁とメジャーな料理は勿論、中でも司が目を輝かせたのは——

 

「おおっ! どれもこれも旨そうじゃないか! しかもこれは、生姜焼きと……アクアパッツアか!? オレの好きな食べ物じゃないか……! 知っていて、しかもわざわざ作ってくれたのか!? 生姜焼きは兎も角、こっちは手間がかかったんじゃないのか?」

 

 そう言って、よく煮込まれて美味しそうな色合いの鯛が丸々一尾と、アサリ等の魚介類と香り高いオリーブオイルがふんだんに使われたアクアパッツアの皿を指さす。司はそれを見ているだけで漂ってくる魚介の香りに鼻をくすぐられ、食欲がわき上がるのを抑えきれなくなっていた。

 志歩はそんな司の素直な賛辞に、少し照れたように軽く司の純粋な視線から目を逸らしながら、少々つっかえつつも言葉を発す。

 

「あっ、ありがとう、ございます。司さんの好物は、咲希から話の中で聞いた事があったので知っていて……でも、生姜焼きは母さんも作った事があって美味しい作り方を教えてもらえたんですけど、流石にアクアパッツアまでは作り方知らなかったみたいで、それだけ自分で調べてレシピを見ながら作ったんです。なので、他と比べてそれだけ自信ないと言いますか……い、一応、味見はして私は大丈夫かなとは思ったんですけど、司さんが喜んでくれるかどうかまでは……」

「何を言う! こんなにいい香りをさせていて、不味いなどあり得る筈がないだろう! それだけではない、わざわざ試行錯誤してまで作ってくれたその努力、とても嬉しいぞ! 最早この時点で百点……いや、百二十点でも良いぐらいだ!」

 

 そんな司の評価に待ったをするように、志歩は首を横に振りながらキッパリと言う。

 

「お世辞で食べる前に点数をつけるのは止めてください。ちゃんと、味で判断してくださいね? 私、その……これからの為に、本気で料理上達したいので……もし駄目だったらハッキリと教えて欲しいです」

「む? ……そうか。成る程、分かったぞ! 志歩は料理においてもストイックだな、ならばオレは忌憚(きたん)ない意見を述べるとしよう——いただきます!」

 

 そう言って司は好物の生姜焼きを筆頭として、厚焼き玉子やサラダなどをどんどん食べ始め、しかも主菜ばかり食べるのではなく合間にしっかり主食の白米や汁物の味噌汁にも口をつけ、キッチリとした行儀正しい三角食べでもりもりと食べ進める。

 そして暫く無言でひたすら食べ続けていた彼は、ようやく半分以上を食べ終えた後で目を輝かせながら大きな声で言う。

 

「——うまいぞっ! 友人であるという贔屓目を抜きにしても最高にうまい!!」

「ほ……本当ですか?」

 

 ほっと一息ついたようにそう尋ねる志歩に、司は輝いた瞳のままで答える。

 

「ああ勿論だ! 流石は海華(うみか)さんの教えだな……和食の厚焼き玉子の味付けは素朴ながらも出汁の味わいが深くて素直に旨い、それに……まさかあの人、志歩にここまで教えられる程に洋食も作れたとは! ハンバーグもジューシーでポテトサラダも口当たりがとても滑らかで、全てが絶品だ! 味噌汁も良い出汁が出ている、もはや最高という他ないな!」

「よ、よかった……あの、生姜焼きはどうでしたか?」

「勿論うまい! これもまた絶品だ! ただ……ああ、いや、別になんでもない。とてもうまいぞ!」

 

 しかし、そこで急に口ごもった司に対し、志歩はそれを見逃さずにすぐさま突っ込む。

 

「“ただ”……なんですか? 司さん、私言いましたよね? 誤魔化さずにハッキリと言って欲しいって。私、手抜きの評価をされるのが一番嫌いなんです」

「む……あぁ、いや違うぞ、本当にうまいんだ。誤魔化そうとしたつもりはなく、ただこれはオレの好みの問題になってくるから、言う必要は無いだろうと思ったんだ」

 

 そう理由を述べた司に対し、志歩は瞬時に目を見開きながら食い入るように口を開く。

 

「それっ、一番大事な部分じゃないですか! どうして黙ろうとしたんですか!? それを教えてください!」

「何っ……!? いや、一般的には多分こちらのほうがうまいと言ってくれる者は多いと思うぞ?」

「いいですから……! 私の作る料理は司さん好みの味付けにしたいので、司さんの意見が一番大事なんです。ですから主観でいいので、どんどん思った事を言ってください」

 

 ——と、志歩は勢いのままに、好き好き大好き感情ダダ洩れの、告白どころか半ば結婚後の生活を少し夢見てしまっているようにすら聞こえる乙女発言を飛ばしてしまう。しかし無神経王子司は、そんな志歩の発言を平然とスルーしながら、どこか志歩の剣幕に圧倒されたように口を開く。

 

「な……成る程な……? 志歩がそこまで言うなら分かった、オレはその……生姜焼きはもっと生姜がきいていて、味が濃い方が好きなんだ。だからもっと生姜を入れてくれるとより嬉しい」

「成る程……生姜と味は濃いめですね。わかりました、覚えておきます。じゃあ、その……後はそこのアクアパッツアも食べてみてください」

 

 そう言って志歩は、心の中のメモ帳にしっかりと今の司の言葉を刻み込みながら最後の一品を司に薦める。

 そんな志歩に司はコクリと真剣な表情で頷きながら言う。

 

「ああ、一番自信が無かったようだから、心して食べようと敢えて手を付けていなかったんだ……なら、いただくとしよう!」

 

 そう言い、司は鯛の身をほぐしてパクリと一口食べる。そしてモグモグと咀嚼した後で飲み込み、その瞳を輝かせながら口を開く。

 

「うむ……うまいぞ! 魚によく火が通っていて、うまく香草の風味も活かしきれている……初めて作ってこれならばとても料理のセンスがあるな志歩は!」

「ありがとうございます——で、司さんの好みには合いましたか?」

「む……正直に、言わなければ駄目か?」

「はい、正直に言ってください。次また司さんに料理を食べてもらう機会があれば、是非改善したいので」

 

 そんな志歩の強い眼差しに、司は根負けするように恐る恐る口を開く。

 

「その……だな、アレだ。美味いんだぞ? 美味いのだが……魚を最初オリーブオイルでソテーする段階で少々焦がしすぎていて、ほんの少しだけだが苦い気がする。……だが勘違いするな? 本当に美味いんだからな! ただ、最近母さんが祝いで作ってくれて食べたんだ、それで気になってしまったかもしれんから、そこまで気にするな!」

 

 それを聞いて、志歩はウッと一瞬たじろいだ後にシュンと少し項垂れる。

 

「うっ……司さんの味の基準が咲希のお母さんだったって事を、つい今まで忘れてしまってました……あ、相手が悪すぎる……」

「待て落ち込むな! これは初めて作ったのだろう!? しかも母さんはオレの好物だからとよく作ってくれているんだ! 見据える目標が高すぎるぞ、もっと地道に行け!? 美味かったぞ? 本当に美味かったんだからな! オレは正直な事しか言わん!」

 

 慌てて全力でフォローする司に対し、志歩は再び自分に対し気合いを入れるように言う。

 

「だ、大丈夫です……よしっ、いつか心の底から司さんに美味しいって言って貰える料理を作れるように、私もっと頑張ります」

「むぅ……充分美味かったというのに、何故オレにそこまで拘る必要があるんだ……?」

 

 そう言って首を捻る司に、志歩はジト目になりながら呟く。

 

「——本気で、わかりませんか?」

「むむむっ……? ……悪い、オレは本気で、まったくわからん……!」

「はぁ…やっぱり、無神経ですね司さん」

「ぐっ……な、なんだ……? 何の真意が隠れているというのだ……!?」

「もういいですから、そういう所を含めて司さんなんだって……私は分かってますから。気にせず全部食べてしまってください」

「なんだが釈然とせんが……わかった、食べるぞ! ところで志歩は食べなくてもいいのか? これだけ作ってくれたんだ、お前の分も考えていたりはしないのか?」

 

 司は目の前にある、それなりの量の料理の品々を見ながら問いを発し、志歩はそれに首を横に振りながら答える。

 

「あぁ、いえ、私はもう食べましたから大丈夫です」

「なにっ……じゃあこの量は、全てオレの分という認識でいいのか?」

「はい。ええっと……やっぱり、こんなには要りませんでしたか? 咲希から司さんは沢山食べるって聞いていたので、沢山作った方がいいのかなって思ってしまいまして。あの……食べきれなかったら、全然残して頂いても……」

 

 少し申し訳なさそうな表情をしながらそう言う志歩に、司は満面の笑みで口を開く。

 

「そうか! なら……全部食べていいという事だなっ!?」

「——えっ? あの……無理なら全然残してくれてもいいんですよ? 司さんに無理させる訳には……」

「無理ではない! オレはとても嬉しいぞ! 出来立ての料理がこんなにも沢山……そうか! 全部オレが食べていいのだなっ! ありがとう志歩! 感謝するぞ……いただきますっ!!」

 

 そう言って司は、取り皿にハンバーグを遠慮なく残りの3個を全て盛って食べ、厚焼き玉子も丸々一本分を全て平らげ、そして食べるペースを全く落とさずにポテトサラダの深皿も空にした。そして、キラキラした目でご飯の茶碗を志歩に差し出して言う。

 

「すまない志歩、あるならご飯のお代わりも貰っていいか!? 本当に美味いからな……まだまだ食べられそうだ!」

「あっ……ええっと……全然ありますけど、どれぐらい食べますか?」

「可能な限り遠慮なく盛ってくれ! 全力で頼む!」

「は、はい、わかりました……す、すごい、本当に食べるんだ……」

「ありがとう志歩! これだけ食べてもまだまだ出来立ての生姜焼きと、アクアパッツアもある……素晴らしい、夢のようだ……!」

 

 育ち盛りの男子中学生、天馬司。

 彼は元々健啖家(けんたんか)な上に、成長期男子という支援魔法(バフ)がかかったその全力の食欲に圧倒されながらも志歩は、目の前で笑顔で美味しそうに自分の作った料理を食べてくれる司を見ながら思う。

 

(こんなに喜んでくれるなんて……頑張って作って本当に良かった。こうして喜んで食べてくれる人が居るなら、料理を作るのって……結構楽しいかも。まぁ、お姉ちゃんにも悪い事しちゃったかもだから、そんなに食べたいならまた少しならお姉ちゃんにも作ってあげてもいいかもね)

 

 ——と、そう思ったこの時こそが、日野森志歩という少女の趣味にライブ観賞やベース練習以外にも、“料理”という単語が新たに追加された瞬間だった。

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 約1時間後、満足げな表情と共にようやく食事を終えた司は、料理を作ってくれたのだから洗い物は自分がやると宣言し、それに対し『いいですから、私がやります』と頑として譲ろうとしない志歩が対立し、結果折衷案で共に手伝いながら洗い物を済ませ、司は志歩の部屋の座布団の上でくつろいで笑みと共に言う。

 

「いやぁ、美味だった! こんなに満足した食事は久しぶりだ! 改めてとても感謝するぞ志歩!」

「い、いえ……こちらこそ、本当に全部食べてもらえるとは思ってなかったので、嬉しかったと言いますか、その……ありがとうございます」

「なに、気が付いたらあっという間に無くなっていたからな! もっと多くても良かったぐらいだ!」

「司さん、それは流石に太っちゃいますよ?」

「ハッハッハ! 問題ない! 食べた分は動いて全て筋肉に変換すれば良いだけの話だからな! 食べた物全てがオレが将来スターに成る為の身体づくりの糧になるのだ!」

「成る程……じゃあ、頑張って今日私が作ったご飯も、司さんが将来スターになる為に是非役立ててくださいね?」

「勿論だ! オレは未来の大スター! 天馬司なのだからな! ハーッハッハッハ!」

 

 そう言って司は機嫌よく笑った後、気を取り直すように志歩に言う。

 

「——では、今更ながらになるが、こうして実際に顔を合わせるのは久しぶりだな志歩! 暫く会っていなかったが、体調やその他の日常生活に問題はなかったか? 新しく悩みが増えたりはしなかったか? 普段のメッセージアプリでのやり取りではなく、こうして実際に顔を合わせているんだ。遠慮せず何でも言ってくれ! この未来の大スターであるオレが全て聞き届けてやるぞ!」

 

 そんな司の問いに、思わず志歩は懐かしさを覚えてしまいクスクスと笑ってしまう。

 笑いながら志歩は“あの日”の記憶を思い出し、同じ言葉を返す。

 

「ふふっ……『なんでわざわざ改まってそんな事を聞くんですか? 別に……司さんに報告するような事は何もありません』」

「——むむっ? その返し、前に一度聞いたような気が……」

「もう……本当に忘れてるんですか? 司さんは忘れっぽいですね。さっきの司さんの質問、私達が久しぶりに再会した日に聞いてきた内容とほとんど似てますよ? 狙ってたんじゃないんですか?」

 

 笑う志歩に司は狼狽(ろうばい)したように言葉を返す。

 

「わ、笑うな! 狙ってなどいないぞ! ただ純粋にオレは志歩が心配でな……あのライブの日から一週間ぐらい後に、改めてイズにお前を紹介してから今まで、あまり顔を合わせてじっくり話す機会など無かったからな。大丈夫だったか? あれから時々イズにベースを教わるついでに、フレイアさん達とも交流は続けているのだろう? あの者達をもう今は信じていない訳ではないのだが……ほら、フレイアさんは特に、本人の悪気はなくとも色々……アレだ、“雑”だろう? 志歩が嫌な思いはしていないか心配でな」

 

 司の心配に、志歩は脳内で豪胆な彼女が『ヒャッハァ! 焼き尽くすぜぇ!』と獰猛に笑う姿を思い浮かばせながら、少し納得した様子で困ったような笑みを返す。

 

「成る程……まぁ気持ちは分かりますよ。実際、ライブハウスに行ってイズさんに会ったら、あの人ブランクがあるとは思えないぐらい的確にベースの演奏のコツを教えてくれて勉強になります。ですけど……何故か最終的には横からフレイアさんが突然現れて『覚えたなら実戦だぁ! 今日も臨時の奴に飛ばれたからまたお前がアタシ等の代理のベースだ来い!』って言われて強引にスタジオに運ばれて……そして、気が付いたら毎回の如くあの人達の災害現場(ステージ)に立たされてて……」

 

 最終的に額をおさえてため息を吐く志歩に、司は呆れた表情で口を開く。

 

「また臨時のベースに逃げられたのか……まさかあの者達は、イズが復帰するまでずっと志歩に頼りきる気じゃないだろうな?」

「もう今となっては私も逃げる人の気持ちは分かりますよ。あんな所でずっとベースしてたら、命がいくつあっても足りないような気がしますから……実際自分でも、よく毎回“あそこ”から生きて帰って来れてるなって不思議に思いますし……本当にあそこは、イズさん専用の“居場所”なんですよ。でもまぁ、その無理を通してる分私のベースの実力は確実に上がってるって実感はありますから……それは助かるんですけど」

「それは……究極のスパルタ方式だな。オレとしては志歩にあまり無茶はして欲しくないから、早くイズには復帰して欲しいのだが——そう言えばオレに連絡があったんだが、あの人ようやく最近になって松葉杖で立てるようになったんだったな。どうだ? 調子は大丈夫そうか?」

 

 そんな司の発言に、志歩は動揺したように一瞬目を丸くする。

 

「え……? つ、司さんは、今でもイズさんとメッセージのやり取りしてるんですか?」

「む? ああ、イズからたまにメッセージは来るぞ。唐突に『リハビリ辛いよ~後輩君、おねーさんの事を励まして~』だとか、またある時は『立った! (クララ)が立ったよ!』と車椅子から立ってヨロヨロと歩いている動画が添付されてきたり……最近は試験日前日に『受験頑張ってね司くん! 未来が君を待ってるよ!』と応援メッセージが届いたりと……まぁ、色々お茶目で面白い人でな。年上の人なのにまるで咲希とやり取りしてるような気になってしまうんだ」

 

 そんな司の苦笑に、志歩は考えこむ。

 

(ま、まさか……イズさんが今でも司さんとやり取りを続けてるなんて。前に私が司さんに言った時は殆ど冗談だったけど、まさかイズさん司さんの事を本気で? 流石にそれは無いよね……? いやでも、も、もしそうだったらどうしよう……イズさん体重だって戻ってきてて、今はあの時とは見違えて綺麗な大人の女性って感じなのに……だ、駄目っ、司さんだけは誰にも渡したくない……!)

「どうした志歩? 急に黙って……」

「——別に、何でもないです。本当に司さんは無神経だなって、最初から分かってた事を改めて再確認してるだけなので」

「な、なんなんだ急にそれは……!」

 

 司が朴念仁なのは今更だと、志歩は諦めのため息を吐きながら言う。

 

「はぁ……まぁとにかく、イズさんは元気ですよ。今のところ病気が再発する様子は全くないようで、最近の病院での検査の結果も驚くほど数値が回復してたみたいです。これなら今後も数年程度軽い投薬治療を継続すれば、病気の再発のリスクもゼロに近くなるそうですよ。医学の進歩って凄いですよね」

「なるほど……そうか、良かったなイズ……フッ、ならばオレも負けてられんな! 今後はさらにスターとして磨きをかけ、咲希をもっともっと笑わせて元気にさせ、病気を吹き飛ばしてやるぐらいにならねば!」

 

 そう言って明るく笑顔になる司に対し、志歩も自然と釣られて笑みを浮かべてしまう。

 

「そうですね……司さんと一歌が度々お見舞いに行って咲希を元気にしてくれるなら、きっと咲希はもっと早く病気が治りますよ」

「フフッ——何をオレと一歌だけの力だと限定したように言う。志歩もあれからたまに電話をしてやってるそうじゃないか、咲希が『最近しほちゃんからも電話がくるようになったから嬉しい!』と言っていたぞ、妹の代わりに礼を言う……感謝するぞ!」

「あ、あぁ……咲希から聞いたんですか……そうですか、いや、別に私なんて一歌に比べたら本当に大した事じゃないですよ」

「何を言う、大事なのは気持ちだ。だが——それにしても、咲希はこうも言っていたぞ『電話してくれるのは嬉しいけど、しほちゃんがアタシに話題を無理に合わせてくれてないか心配だよ』と」

「——え? 咲希がそんな事を?」

 

 首を傾げる志歩に、司は頷きながら言う。

 

「ああ、『前まではアタシがお兄ちゃんの話をし過ぎてたら、他の話題は無いのって言われちゃって嫌がってる感じだったのに、最近はもっと他にお兄ちゃんの話はない? って聞いてくるようになったの。アタシ、しほちゃんに気を遣わせちゃってるのかなぁ…』と言っていた——志歩、無理に咲希が話したい話題に合わせてやる必要まではないんだぞ? 好きに話させてやりたい気持ちは分かるが……」

 

 瞬間、志歩は表情に朱の色を滲ませながら慌てて口を開く。

 

「……さ、咲希の馬鹿……! なんで司さんにそんな事言っちゃうのっ……!?」

「何? どういう意味だそれは?」

「何でもありません! ああもう……私も迂闊(うかつ)だった。これからは気を付けないと……それにもし咲希に私の事がバレたら、一体何言われるかわかったもんじゃないし……と、とにかく無理はしてないので心配しないでください! 咲希にもそう伝えてくださいね! お願いします!」

「なんなんだ一体……? わ、分かったからとりあえず落ち着いてくれ……機嫌でも悪いのか?」

「そうですね! 今までの司さんの言動のおかげで悪くなったかもしれませんね! もっ……もういいですから、暫く私の顔見ないでくださいお願いしますっ……!」

「な、なんだというのだ一体……分からん、まったくわからんぞ——おや、アレは……」

 

 司にとっては理由も分からず、何故か不機嫌になってしまった志歩に司は困り、視線を部屋の中でさ迷わせる。

 すると司は勉強机の上にある写真立てが目に留まり、立ち上がり近くに寄ってそれを眺めて目を輝かせる。

 

「おお! 懐かしいな……これは、小学生の頃にお前が咲希達と一緒にフェニランに遊びに行った時の写真か?」

「えっ? あ、あぁ……その写真ですか? ——はい、もう3年以上も前の写真になってしまいますけど……そうですよ。前に、咲希や一歌と穂波と一緒に、フェニランに行った時の思い出の写真です。」

 

 そんな、今となっては古い思い出となってしまった、四人で笑顔で映る集合写真。

 それを暫く眺めて志歩は、スッと表情を寂寥感を滲ませたようなものに変え、自らの胸をキュッと抑えながら言う。

 

「……司さんは、こんなものをまだ大事に飾ってる私の事を……馬鹿だと思いますか? 結局、あれからも私は学校で一歌や穂波に今でも一切近づこうとはしてません。みんなと一緒に居たいって気持ちは……今もこの胸の内にあるのに。本当……我ながらどうしようもない人間ですよね私って……司さんもそう思いませんか?」

 

 そう言って俯く志歩に司は、そっと優しい口調で言葉をかける。

 

「そんな訳ないだろう? 確かに、お前の決断はオレにとっては理解できないものだ。だが……志歩はそれを分かっていて、学校に居る一歌達との不干渉を貫くと決めたのだろう? 誰にも迷惑をかけている訳でもない、寧ろ一歌達に迷惑をかけない為の決断だ。なら、そんなお前を、オレはどうしようも無い人間だとは思わんぞ、志歩」

 

 そんな司の言葉を、志歩は自分の胸の内の奥底にゆっくりと飲み込むように聞きながら頷き、そして僅かに微笑みながら口を開く。

 

「——私も結局、ズルい人間ですね。司さんならきっと私にそう言ってくれるだろうって期待して……弱音を吐いてしまいました。でも……ありがとうございます。私は、司さんのその言葉だけで……とっても救われた気持ちです」

「フッ……そうか、それもまた仕方ない事だろう。オレだって弱気になる時はあるんだ。ならお前もそうである事に対して、何もオレは軽蔑などしたりしない。それに、オレは未来の大スター天馬司だからな! 落ち込んだ友を元気づける事など朝飯前の事だ! ハーッハッハッハ!」

「ふふふっ……もう、本当に大きな声で笑いますね……司さんらしいです」

 

 そう言って大声で笑う司を見つめて、志歩は心音が跳ねるような感覚を覚える。

 そして目を閉じて自らの暴れる心音に耳を澄ませながら、静かにこう悟った。

 

(ああもう……本当に、私って色々手遅れだな。たったこれだけの事でドキドキして……司さんの事を好きだなって、あらためて思っちゃうのは)

 

 そう思い、志歩はキュッと自らの唇を引き結んで頷く。

 

(——よし、今のこの気分なら……言えるかもしれない。『ずっと前から、貴方の事が好きです。だから私と恋人として付き合ってください』って……もう、受験が終わったんだから、私のこの気持ちを司さんに伝えても迷惑にならないよね? よし、言おう……! だ、大丈夫。料理だって美味しいって言って貰えたし、それにここって私の部屋だし……どんなに司さんが無神経でも、流石に少しぐらいは私の事を女の子として意識してくれてる——はず! よし、告白するなら今しかない。い、言おう……!)

 

 そう決心して目を開き、志歩はその瞳に勇気という名の光を宿しながら言葉を発する。

 

「——つ、司さんっ! あのっ、話があるんですけど聞いてくれますか!?」

「うむっ? 勿論聞くぞ! 何だ志歩? この未来のスター、天馬司に何でも話せ!」

「はいっ! わ、私っ……実はその……つ、司さんの事が! すっ……()——」

 

 そして志歩は、その心に約半年の間も寝かせた想いを司に対して告げようとした——その時だった。

 

 

「しぃちゃんっ! お洋服の裾がほつれてたから直してあげたわっ……! これで良いか見てくれないかしら!?」

 

 

 スパァンと志歩の部屋の障子を勢いよく開きながら、いつになく必死の表情をした雫が服を両手に持ちながら現れ、まるで話を聞いていたかのような絶妙なタイミングで志歩の話を強引に遮った。

 志歩はギギギッと油の差していないロボットのような首の動きでそんな愚姉(ぐし)の方を向き、射貫かんばかりの眼光で睨みつけながら思う。

 ——うん、コレは本気で私怒っていいよね?

 

「おねぇ……ちゃん? 私、司さんにすっごく大事な話しようとしてたんだけど?」

「し、しぃちゃん……! ごめんなさい……でも私……! どうしても認められないものは認められないのっ……!」

「へぇ……その言い方、話を聞いてたのは認めるんだ? 潔いねお姉ちゃん。じゃあ私が怒ってるのは当然分かるよね……? すいません司さん、ちょっと待っててくださいね?」

「お、おい!? 志歩……?」

 

 司の声も無視して志歩は、ゆらりとまるで幽鬼のように立ち上がり、ズンズンと足音を立てながら、雫の手を強引に掴んで引っ張り廊下から玄関に向かって歩いていく。

 

「あっ、しぃちゃん待って……! 嘘、力強いっ……! だっ、駄目よしぃちゃん! 私を家から追い出したら、しぃちゃんが司くんと二人きりになっちゃうじゃない……! 司くんは……まぁ、百歩譲って悪い人って訳じゃないけど、それでも男の子なのよっ? 狼さんなのよ!? しぃちゃんの身が危ないわっ……!」

「司さんはそんな事しないっ……!! とっ、というか、もし“そんな事”になってもいいって思ってるから部屋に入れてるの……分かったらもう私の邪魔しないでお姉ちゃん……!」

「いっ、いやぁぁーー! しっ、しぃちゃんがっ……! 私のしぃちゃんがっ……! 大変な事になっちゃうっ……!」

「もういいからっ! それ以上騒ぐと……明日から私、お姉ちゃんの妹やめて天馬さんの家の子になるからっ! これからは司さんの事を“兄さん”って呼んで、お姉ちゃんを一生他人扱いするからっ!」

「——な、なななななっ、なんて酷い事を考えるの……!? 私、しぃちゃんが居なくなったら死んじゃうわっ……!」

「死ぬわけ……ないでしょっ!」

 

 志歩は玄関の引き戸を勢いよく開け、そこから雫をドンッと押し出し、ピシャリと扉を閉めて鍵を二重にロックする。

 完全に姉を締め出す構えだった。

 

「しぃちゃぁぁ~~ん……!」

「じゃあ外で、琴の出張教室やってるお母さんが帰って来て鍵を開けてもらうまで外で時間潰しててね、お姉ちゃん……? 絶対、内側から鍵開けないから……それじゃ」

「しぃちゃぁぁぁぁぁ~~~ん!!」

 

 玄関の外でしぃちゃんしぃちゃんと鳴き声をあげる邪魔者(シスコン)を排除し、でっかいため息を吐きながら志歩は自室に戻る。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ……ほんっとう……もう私、あの人の妹やめたいです……最初からこうしておけば良かった……」

「……何と言うか、その……我が身につまされる思いがあるな。気持ちは理解できるが、手加減はしてやれなかったのか?」

「あんな人、司さんは気にしなくてもいいです! 小窓からお姉ちゃんの靴とお財布の入ったカバンは外に放り出しておきましたから、勝手にどっかで時間潰してきてもらいます……!」

 

 最早完全にお(かんむり)の志歩に対し、司は諦めたように首を横に振りつつ呟く。

 

「そ、そうか、成る程……オレも、咲希の時は雫の二の舞にならないようにしなければな……」

「……そうですね。まぁもう私、司さんの事はそこまで非常識な人だとは思ってませんし、そこまで気にしなくても大丈夫だと思いますけどね……はぁ、いっそ私、本当に司さんの妹になってしまいたいです……」

 

 そんな志歩の発言に、司は一瞬意外そうに目を見開いた後でキラリとした笑みを浮かべる。

 

「なに? そうなのか? ——フッ、問題ないぞ志歩! お前の事はもう小学生の頃から穂波と同じく実の妹のように想っている! 何時でもオレの事は“兄”と呼び慕うが良い!」

 

 そんな自信満々の様子の司に、志歩はため息と共に小さく消え入るような声で言う。

 

「あぁ……でもやっぱり、“妹”だと司さんと結婚できないから嫌だな……」

「——うむっ? 志歩、今何と言った?」

「いえ……何でもありません。やっぱり司さんの“妹”は嫌だと考え直しただけです」

「何っ? そうか……少し残念だな」

「あっ……ふふっ、今の発言、咲希に伝えておきましょうか? 『司さんから妹にならないかって言われた』って。多分咲希から怒られちゃうと思いますけど?」

「おっと、そうだった……オレには最愛の妹が既にいるのだった……! 咲希にヘソを曲げられてしまう所だったな、危なかった」

 

 そう司は胸を撫で下ろした後で、志歩に向かって改まったように言う。

 

「ところで、すっかり雫の件で流れてしまったが、大事な話というのは何だったんだ?」

 

 司の問いに、志歩は苦渋を飲んだような表情になって答える。

 

「——いえ、もうそんな気分じゃすっかりなくなっちゃいましたし……いいです。それに……別に、今しないといけない話でもないので」

「そうか……ならば良いんだが……その、なんだ。もしまた悩みを抱えているなら、遠慮せずに何時でも相談するんだぞ? オレは、いつだってお前の味方だからな」

 

 そう言って自身の胸を張って腕を組む司を見ると、志歩は苦い表情を次第に和らげ、口元を緩ませる。

 

「……ふふっ、そうですか。じゃあまた……その、私の決心が付いたらまた、司さんに話します。その日までずっと、私と友達で居てくれますか?」

「ああ! 勿論だ! というより、『その日まで』などと悲しい事を言ってくれるな! この先一生友達でもオレは当然構わんぞ!」

「——えっ?」

 

 しかし、そういう言い方をされてしまえば、また困ってしまうのも少女の恋心の表れ。視線をさ迷わせながら、志歩は言葉を選ぶように発言する。

 

「ええっと……その……私、司さんと一生“友達”で居るのは嫌といいますか、その……」

「なに……!? 友達が嫌という事は、や、やはりオレは志歩に嫌われているのか!?」

「ちっ、違いますっ! むしろ逆——っ、いえっ! やっぱりなんでもありません! 少なくとも、私は司さんの事は嫌いじゃないとだけ覚えててくださいっ!」

「友達が嫌なのに嫌いではないだとっ……!? な、なんだそれはっ……!? わ、分からん……まったくわからーーん!」

「ああっ……! そ、そう言う意味では無いと言いますか……何と言うか……っ、日本語って難しい……!」

 

 そう言って志歩は大声で叫ぶ司を見ながら、自身の恋路が想像以上に前途多難である事を苦悩と共に悟るのだった。

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 そして気づけば時間は流れて夕刻になり、司は玄関先で志歩に向かって別れの挨拶を告げていた。

 

「じゃあ今日は邪魔したな志歩! ついつい咲希に披露するショーの台本の相談に乗ってもらっていたら、こんな時間まで長居してしまってすまなかった。昼は本当にご馳走なった、とても美味かったぞ!」

「はい、次に司さんに食べて貰える機会があれば、絶対もっと美味しいものを作りますので、楽しみにしててください」

「なにっ、もっと美味い料理になるのか? 今日で充分美味かったというのに……それは楽しみだ! 上達すれば是非また食べさせてくれ!」

 

 そう言ってにこやかに笑う司に、志歩はずいっとその顔を司に近づけながら念を押すように言う。

 

「——今、また食べさせて欲しいと言いましたね司さん? 私、覚えておきますよ?」

「おおっ……? な、なんだその圧は? 言われずとも勿論だ。楽しみにしているぞ志歩!」

「……ふふっ、はいっ。私、絶対司さんに気に入って貰えるような料理を作ってみせます」

 

 志歩はそう言って微笑みを返した後で、そっと玄関先の様子を伺いながら言う。

 

「——よし、お姉ちゃんは居ないようですね、今のうちに帰ってしまってください司さん。そして、もし司さんが帰り道でお姉ちゃんに絡まれて困ってしまったら……頭を二、三発……いや、四、五発ぐらいでも好きなだけ本気で引っぱたいて、撃退してもらって構いませんから。妹の私が全面的に許可します」

「お、おいおい……スターの手は誰かを傷つける為にあるのでは無いのだぞ? オレにそんな事を雫にさせようとするな……」

「良いんです、馬鹿な人に灸を据える気分で思いっきりやってください。スターだって、自己防衛ぐらいしても良いと思いますから」

 

 まだ怒りが収まらないといった志歩の様子に、司はため息を小さくつく。

 

「はぁ……雫の奴、相当嫌われてしまったな。同じ妹を愛する同志のよしみだ、後でフォローでも入れておいてやるか……」

「要りません。お姉ちゃんは甘やかすとつけあがりますし……それに私、今回は割と本気で怒ってるんですからね? 絶対あの人と一週間以上は口をきかないって決めてます」

「お、おぉ……そうか。まぁ……オレは本当に気にしていないから、ほどほどにしておいてやれ。雫のあの言動も、お前の事を大事に思うからこそなんだぞ?」

「いえ……ですけども……」

「全く……相変わらず、志歩は手厳しいな。雫は仕事の忙しいスケジュールの合間を縫って学校の単位を取得して、中等部を卒業して高等部に進学する分の単位を取得したのだぞ? いままで頑張った結果が実る中等部の卒業式がもうじきある。寛容になれとまでは言わんが、それでも少しぐらいは優しくしてやってもいいんでは無いのか?」

「む……司さんがそこまで言うなら考えておきます。まぁ……お姉ちゃんの態度次第ですけど。それに、優しい司さんが『許してやれ』って言うから許すんだって、お姉ちゃんの耳にタコができる程に言ってやります」

「オレが言ったからという辺りは不要だが……まぁ、そうしてやれ——あ、そういえば」

 

 と、ようやくほんの少しだけだけど納得した様子の志歩に、司は頷いた後に何かを思い出したように言う。

 

「ところで……オレももうじき卒業式だが、志歩も今年で中学生最後の年だったな」

「はい、そうですよ。それがどうかしたんですか?」

「どうかしたというか……その……なんだ? あれだ……その……前に言っていたではないか」

 

 そう言って司は、何やら言いづらそうにした後で言葉の続きを口にする。

 

「お前が、その……今いる宮女から、高校は神高を外部受験すると言っていた話だ。アレは結局どうする事にしたんだ?」

「あっ……ああ……その話ですか? それは……その——」

 

 司の急な問いに志歩は口ごもりながらも、バツの悪そうな顔で言葉を紡ぐ。

 

「——正直、まだ迷ってるんです。自分の中で……その、二つの想いが同時に並んでて、どっちを優先したらいいのか……まだ、考えてる最中で。ですから、まだ決められてません」

「そうか……まぁオレが今更何を言っても、志歩の人生だからな。結局は志歩が一番後悔の無い選択をするのが一番だと思う。まだ三年になるまで少し余裕はある、ゆっくり考えると良い。……安心しろ、何を選んでもオレはお前の選択を尊重するぞ」

「司さん……はい、ありがとうございます」

「では、これで本当に失礼しよう! 今日は本当に楽しかったぞ! またな志歩!」

「はい司さん、また是非遊びに来てください」

 

 そう笑顔で志歩は司を見送り、司は意気揚々と日野森家を後にした。

 そして大声で明るい人物が居なくなり、志歩はいつもよりずっと静かに感じる家の空気を味わっていた。

 

 

『えへへ……アタシ、いっちゃんと、ほなちゃんと、しほちゃんと、こうしてたっくさんおしゃべりして、帰り道に星見たりして……そんな風に、ずーっとみんなと一緒にいられたらいいなぁって思ったんだ』

 

『——刮目(かつもく)せよ!! 魂の演奏に!!』

 

 

 志歩はその脳裏に、幼い頃の咲希達の記憶と、司と過ごした日々の、二つの記憶を思い浮かべながら呟く。

 

「本当に……私、咲希や一歌や穂波と、そして司さん……どっちを選べばいいんだろ」

 

 その志歩の呟きは、友情と恋路を天秤にかけ、揺らいている内心の葛藤の表れ。もうじき中学三年生になろうとするこの時期、日野森志歩は——大きな、人生の岐路に立たされているのだった。

 志歩はそんな悩みを抱え、静かに自室に戻ろうとしたその時、庭先から声が響く。

 

『おっ!? おいっ、雫っ!? なんなんだその、長い物干し竿みたいな竹刀は!? どこから持って来た!? 危ないからそんなもの振り回すなぁっ!!』

『——練習用の薙刀よ……! 探したら家の倉庫にあったわ! さぁ司くん、正直に言いなさいっ! しぃちゃんに何をしたのっ……!? しぃちゃんはまだ中学生なのにっ……! 早いわっ! 早すぎるわっ……! 千……いえ、十億歩譲ってお付き合いするにしても、せめて清く正しい交際にしなさいっ……!!』

『早とちりが過ぎるぞ雫ーー! 何もする訳がないだろう!? 落ち着けぇ!?』

『えっ……!? あんなに可愛い可愛いしぃちゃんと二人っきりで何もしない……!? 司くんっ……! 私のしぃちゃんに何の不満があると言うの……!? 最低な人ね、覚悟……!』

『じゃあ一体、オレは何と言えば良いんだぁぁぁーー!!??』

 

 ——うん、一週間じゃお姉ちゃん(あのバカ)には生ぬるいね。今後一ヶ月以上口利かないでおこう。

 

 志歩はそう静かに誓いながら、司を狂暴化した(シスコン)から守る為に玄関を開くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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