神山高校1年A組日野森志歩   作:トール77

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 それから約二ヶ月後の週末の夕方、集まった観客の熱狂が支配するライブハウス内。

 その熱狂の渦の中心、まるで災害の只中のような戦場(ステージ)の上で私は、必死にベースをかき鳴らしていた。

 

 それは、今も舞台の上で暴れ回る三人の化け物を必死で束ね、従える為に。

 化け物の中でも最も規格外な女性は燃えるような紅の瞳を瞬かせ、自らの深紅の長髪を振るいながら、全てを焼き尽くすかのような意志を宿した歌声で絶唱(うた)うと同時——ステージの中心には爆炎の火柱が上がる。

 

 

オラオラどしたぁ!? そんなモンか志歩!! お前ならもっとやれんだろぉ!? このアタシを殺す気で来なきゃ、この絶唱(ウタ)は従えられねぇぞぉ!!??

 

 

 ——と、そんな心の声が聞こえてくる程に、フレイアさんの歌声とギターの演奏からは吹き荒らす激しい熱波が伝わってくる。

 その熱波が放つ熱量と爆炎は、最初にフレイアさん達と一緒に演奏した時に見たものより更に勢いを増していた。

 焔は、絶唱(うた)う。

 

 

「——♬!! ——♬!!」

 

 

 そしてそれは、他の化け物二人のさらなる覚醒の合図。

 

 

(今日はいつもより最高っすね(カシラ)ぁ! 指先が燃えるようにアツい——いくっすよ志歩ちゃん! あれから3年間のブランクも完全に抜けて、全盛期の頃に近い今の自分等の本気(ガチ)演奏に何処まで耐えられるのか——今の志歩ちゃんの全力を見せてみるっす!!

 

(最ッ高ぉですわぁ……! 私の目の前で、推しと推しが競い合って高め合ってますわぁ……! あぁっ、眩しすぎて直視できないぃ……! ですけどっ! お願いですから私を置いていかないでくださいましっ……! 私も今、“そっち側”に向かいますのでぇ——!

 

 

————♬ ♬ !!

 

———— ♪♪ !!

 

 

 スノトラさんの指先から奏でられるキーボードの、地の底から震える程の力強い旋律にステージ全体が鳴動するように震え、その足元から地響きと共に双頭の龍が顕現する。

 

 そして、シェヴンさんの手でスティックが高速でスピンしたかと思えばドラムを激しく打ち鳴らす。するとその背にはいつも通りの雷太鼓だけではなく、羽衣までもその身に纏いながら観客席に雷轟電撃(らいごうでんげき)を放ち続ける。

 

 そんな『ゾーン』に突入して完全覚醒を果たしたフレイアさん達に、観客席からは熱狂の声援がさらに高まるのを感じた。

 だけどそんな事をされてしまえば当然、私のベースの音は完全に死んでしまう。

 私はベースを鳴らしながら、そんな現状に思わず強く歯噛みする。

 

 全くっ……この人達は本当に毎度の事思うけど……! バンド演奏する気あるの!? 

 私に合わせてってまでは言わないけど、せめてもう少し抑える努力をしてよっ……!

 しかも、この人達あの日の全力より断然レベルが上がってるしっ……! 

 本当にこの人達はいつだって勝手なんだから……私は今、そんな気分になれないっていうのに……!

 

 

『……うん、いいよ。今日の放課後暇だったから、私も行くね』

 

 

 その時私は脳裏に、変わり果ててしまった穂波の姿を思い出してしまって、私は思わず意識が別の方向に逸れてしまうのを抑えきれなかった。

 ダメだ……集中できない……! このままじゃフレイアさん達の演奏が、私の所為で台無しに……!

 

 ——と、私がそんな風に諦めそうになってしまった時だった。

 

 

「負けるな志歩(しほ)ぉぉぉ——!!! このオレがついてるぞぉぉ——!! オレが信じるお前が最強だぁぁ——!! 構わずドーンとぶつかっていけぇぇ——!!」

 

 

 このライブハウス全体を覆う熱すら弾き飛ばすような、観客席の司さんの大声が響く。

 その言葉に、私は一瞬で目が覚めたような気分になってしまう。

 そうだ……忘れてた。何やってるんだろ私……今日は、司さんが見に来てくれてるっていうのに……!

 大きく息を吸い、そして観客席の司さんの姿を見据えて心の中だけで強く宣言するように思う。

 

 今はもう、穂波の事はどうだっていい。

 私はこの胸に溢れる貴方(あなた)への想いを、ただそれだけをベースの旋律に乗せて、私は貴方に最高の演奏を届けてみせる……!

 ……好きです。大好きです。愛してますよ——司さん!

 その決意と同時に私はベースの音をかき鳴らす。今までよりも強く、より早く。

 

 

————♪ ! ——♪ !

 

 

 すると意識が段々と明瞭(クリア)になっていき、まるでベースと自分の身体が一体化したような、そんな不思議な感覚が再び私の意識を満たした。

 そんな私が鳴らすベースの弦の銀色の音の煌めきは、は荒れ狂う音の嵐の中でもハッキリと鳴り渡り、フレイアさん達のバラバラの音を調律(ちょうりつ)する。

 瞬間、観客席はさらなる盛り上がりを見せる。

 

「何だこのベースの演奏……スゲェ、なんて技術(テク)だ……! あの子の音が響いただけでフレイア達の演奏がよりハッキリ鮮明に聞こえてくる。まるで、群れを統率するリーダー狼の遠吠えみたいだぜ……!」

「い、今、あの子の背後でキラキラ光る星屑を(まと)った狼が吠えなかったか!? あ、アレが見えたの俺だけか……!?」

「すげぇーー! さすが『Asgard(アースガルズ)』の“当たりの日”の代理ベースの子だぜ! ベースの音が潰れてねぇ! それどころか、どんどん強くなっていきやがるっ……!」

「私、あの子の最初のライブの時からずっと見てきたんだけど……! あの日もすごかったのに今なんてもっと段違いに良くなってる! まさかあの子、まだまだ実力は発展途上だっていうの……!? という事はあの狼、まだまだ成長の余地を残した子供狼……!」

「良いぜ! どんどん吠えろ! 俺達に、お前のキラキラした流星のようなベースの遠吠えを聞かせてくれぇぇーー!!」

 

 

 そんな私を見て、フレイアさん達はそれぞれ勝手な事を思ってそうな視線を私に向ける。

 

 

(——ハッ、目覚めるのが遅せぇよ“流星狼(スターフェンリル)”。もう少しで焦げ炭にしちまうトコだったろうがよ。次からは司の助けも借りずにもっと早く目覚めな。料理下手なアタシに、火力調整なんて頼むんじゃねぇぞ……!? さぁこっからが本番だ! 景気よく燃えろよ観客(マキ)共! このアタシの最高の業火でお前らを炭にしてやるぜぇぇ!!

 

(いつ見ても綺麗っすねぇその狼……! でも残念っすけど、その程度の遠吠えで、まだまだ自分の“龍”が支配する低音域の咆哮(オト)の波は制御できねぇっすよ!? もっともっと音量アゲてついてきてみろっす! じゃねぇと嚙み潰しちまうっすよぉ!!

 

(あ……無理、尊っ……! テンションブチ上がりますわぁぁ——!!! 震えるこの私の(ハート)! 燃え盛る程に(ヒート)! 刻みますわよ……血液の鼓動(ビート)!!

 

 

 三人が私を見つめる視線からそんな風な言葉を眼で訴えられ、その次の瞬間、さらに熱量が上がったフレイアさん達の演奏に私はまた必死で喰らいつく。

 

 

 ——そんな風に、私はもう何度目になるかわからないフレイアさん達『Asgard』の代理ベースでのライブを、どうにかこうにか乗り切ったのだった。

 

 

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

「みんなライブお疲れ様ーー!! 料理沢山作ってきたから、みんなで食べてー!」

『カンパーイ!!』

「か……乾杯……」

 

 そんなイズさんの音頭と共にフレイアさん達はビール缶を空けて乾杯の声をあげ、司さんはそんなフレイアさん達に完全に同調した乾杯の大声でウーロン茶の入った紙コップを高く掲げる。

 勿論、私はそんな場の雰囲気に押されて、司さんと同じウーロン茶を手に持ちながら小さく乾杯と言うのが精いっぱいだった。

 

 私と司さんは今、ライブが終わった後でノリノリのフレイアさん達に連れられて、テーブルやイスや料理を並べた、練習に使ういつものスタジオの一室を完全に貸し切って行われる『お疲れさま会』に参加していた。

 

 今までこういう『お疲れさま会』とか、そういう祝いの場というものに参加した事が一切なかった私。

 そんな私でも、目の前で笑い合いながら一緒に居るフレイアさん達とイズさんの姿を見ていたら、『お疲れさま会』も案外悪くないかもなって、そんな事を思ったりした。

 そう考えながらイズさんが作ってきたって言う、から揚げやハンバーグやポテトサラダなどのパーティ料理の数々に私は箸をつける。

 あ……すごく美味しい。特にハンバーグが優しい味わいでずっと食べてられるかも。……どうやって作ったんだろイズさん、ちょっと教えて欲しいな。

 そう思っていると、スノトラさんが笑顔で私に声をかけてきた。

 

「——にしても、今日は最高だったっすねぇ志歩ちゃん! 最初は一瞬しか保たなかった『ゾーン』状態も、今じゃ入るまでが遅いっすけど入ってからは安定するようになったし、ベースの腕が最初会った時より見違える程に成長したんじゃないっすか?」

「スノトラさん、ありがとうございます。でも、私なんて皆さんについていくのが精いっぱいで……プロの道はまだ遠いなって、皆さんと一緒にステージに立つ度に思います」

「いやいや、その年で自分らについて来れる事自体が充分すごいっすよ。正直言って、今日代理ベースをする筈だった人より、志歩ちゃんの方が断然上手いし()ってて楽しいっす。最早三日前に辞めてくれてラッキーとすら。自分もうイズが帰ってくる間の代理ベースは探すのやめて、ずっと志歩ちゃんにお願いしたいぐらいっす」

「……えっと、そこまで評価してくださるのは嬉しいんですけど——」

 

 そんなスノトラさんの誘いに私がどう言おうか少し悩んだ時、料理をこれでもかと紙皿に取り分けた司さんが私の所にやってきて、スノトラさんを諫めるように言う。

 

「スノトラさん、オレの大事な未来の後輩に、負担をかけすぎるような事はやめていただきたい。それに彼女は受験生ですよ」

「——つ、司さん」

 

 わ、私が大事な未来の後輩……大事な……

 そんな司さんらしい大仰な言葉に、私は思わずふわふわとした思考に支配されて何も言えなくなってしまう。

 すると、スノトラさんはニヤリと笑う。

 

「おおっと、そうだったっすねぇ司くん。志歩ちゃん専属の騎士サマにそう言われたら敵わないっす。今日だってイズ経由で志歩ちゃんが出演するから見に来るかって聞いたら、二つ返事で『オレも行く』って返事が来たときには驚いたっすよ。よっぽど志歩ちゃんの事が大事なんすねぇ、司く~ん?」

 

 そんな明らかなからかいの言葉に、私は思わず頭が沸騰しそうになる程の恥ずかしさを感じながら慌てて言う。

 

「すっ、スノトラさんっ……! か、からかうのは止め——」

「ハーッハッハッハ! 良い事を言うではないかスノトラさん! 勿論だ!」

「つ、司さん——!?」

 

 慌てて司さんを見ると、司さんは料理の皿を机に置いてから私の隣にまでやって来て、事もあろうか私の反対側の肩を片手で掴んで引き寄せながら拳を高く掲げて、元気溌剌とした笑顔でまるで舞台の上で意気揚々と宣言するように言う。

 

「オレは騎士! 天馬司! 夢に向かって努力する大切な友を守る為、ここに立つ男! 今までは学業を優先してうまく来れなかったが、めでたく高校生になったこれからは大手を振ってこの場に居れる! だから志歩! オレが付いているから、これからは大船に乗ったつもりでいるといい! ハーッハッハッハ!」

「ちょっ……!? つ、司さんっ!? あのっ、き、気持ちは嬉しいですけど、調子に乗り過ぎないでください……! ち、近いですからっ……!」

 

 そう言って高笑いする司さんだったけど、司さんに片手で半ば抱き寄せられている状態に近い私はそれどころじゃなく、司さんに抱きしめられて嬉しいっていう気持ちより遥かに恥ずかしい気持ちが勝ってパニックになり、大慌てで両手を使ってドンッと全力で司さんを突き離してしまう。

 そんな失礼をしてしまった私を気にする事もなく、司さんは機嫌よく言う。

 

「おっと……ハッハッハ! 照れずとも良いではないか。オレとお前の仲だ、何も気にする事などないぞ!」

「あっ、す、すいません……ですけど、司さんが気にしなくても私が気にするんですっ! ほ、本当に司さんは無神経なんですから! せ、せめて……誰も見ていない所でなら、好きなだけ私を——っ!? わ、私今何を言おうと……!? と、とにかく司さんは無神経なんです! 早く反省してください!」

「む……そ、そうか……よくわからんが、調子に乗り過ぎてしまったのなら反省しよう。むぅ、今だに志歩との距離感は掴みきれん時があるな……」

 

 そんな私に困り顔で首を捻る司さん。

 ——ああ、もう。どうして本当に私はいつもこうなんだろう。司さんに抱き寄せてもらって……嬉しかったのに、恥ずかしくて気づけば拒絶してしまう。

 優しい司さんだから許されてるけど、普通の男の人だったら愛想を尽かされてもおかしくないって、正直自分でもそれが分かってしまう。どうして私っていつもこう……最近やっと、お姉ちゃんや咲希達には司さんの事が好きだって公言できるようになれてきたのに、当の本人にだけなんで素直になれないんだろう。

 こんな私でもいつか……司さんに素直になれる日が来たら良いのに。

 そう悩む私を見て、スノトラさんはウンウンと頷きながら言う。

 

「うーん……やっぱり、強引系の年上男子とツンデレ年下女子はイイっすねぇ。少女漫画でよく見る世界が、今目の前に……! 素晴らしいっす司くん。案外と釣った魚にちゃんと餌をあげるタイプなんすねぇ」

「ふふふふ……スノトラもどうやら、ついに私の世界を理解する日が来てしまったようですわね。そのCP(カプ)道は沼ですわよ? ささ、早くこちらへ。あの二人を眺める“壁”になるにはこの位置がベストですわ」

「——げげっ、シェヴン……相変わらず意味分かんねぇ事言ってるっすねぇ。自分をソッチの道に引きずり込もうとするのはやめるっす」

「大丈夫ですわスノトラ、少女漫画が好きならあの二人を愛でる素質はあります。ほんの少し興味が出てしまって、足を踏み入れた時が最期(さいご)——気づけば肩までドップリ浸かっている。それが“沼”というモノなのですから。ほらほらぁ……おいでくださいまし? 一緒に司くんと志歩ちゃんのCPを愛でましょうスノトラ……?」

「こわっ、なんか良く分かんねぇっすけど“沼”こわっ! やめろ、誘う言葉を吐くのは止めるっす!」

 

 そう騒ぎ、怪しい笑みで手招きするシェヴンさんを追い払うスノトラさん。

 そんな中、一人で景気よく缶ビールを2,3本程ハイペースで飲み干したフレイアさんは、完全に出来上がったような酔っ払い特有の真っ赤な顔で司さんの傍に寄って、強引にその肩を組んで豪快に笑いながら言う。

 

「ヒャハハハハッ! 言ったな司ぁ! そう言うなら志歩が居る時にはお前には毎回来てもらうしかねぇよなぁ!? だって、やっぱお前が居ると、ウチの代理ベースちゃん様の“ノリ”が違うからよぉ!」

「ちょっ、何をするフレイア——さん! 勿論、言われなくてもこれからは志歩の事は可能な限り見に来ます……というより、息が酒臭いぞ……!? 飲み過ぎだ——じゃないですか!?」

 

 そんなフレイアさんの態度に、ついつい司さんは敬語を忘れかけながらたどたどしい口調で文句を言うと、フレイアさんは不機嫌そうに言葉を返す。

 

「あぁん? なんだ司その変な言葉遣いはよぉ? お前イズには呼び捨てタメの癖に、このアタシにまだ敬語使おうとしてんのかぁ? そいうのよくねぇぜぇ~~?」

 

 そんな明らかなフレイアさんの絡み酒に、司さんは我慢の限界と言った様子で口を開く。

 

「だったら——酔い過ぎだフレイア! そのノリでオレに絡もうとするな……! オレはこの美味しいから揚げを食べる所だったんだ! 邪魔をするな!」

「オッケェ、それでいい! そしてから揚げがウマい? あぁ……分かるぜぇ! ウメェよなぁイズの料理はよぉ? 金持ちに抱えられるような腕利きシェフの料理じゃ、絶対味わえねぇ家庭的な美味さがあるよなぁ? このアタシにとってのお袋の味って言ったら最早イズの料理だ。それが分かるんだったら気が合うじゃねぇか司ァ!」

「っ、だから離せと言っている……!」

 

 そんなフレイアさんどこか呆れたように見ながら、最近ようやく短い距離でなら松葉杖の助けなしに歩けるようになったイズさんは、水色の髪のポニーテールを揺らしながら電子レンジで温めてきたタッパーに入った料理を運んでスタジオに戻ってくる。

 

「もう……褒めてくれるのは嬉しいけど、酔い過ぎじゃない愛兼(あかね)ちゃん? 司くん困っちゃってるでしょ、可哀想だからやめてあげてよ」

 

 そんなイズさんに、フレイアさんはニヤリとした満面の笑みを浮べる。

 

「あぁん? オイオイ、なに馬鹿な事言ってんだよイズぅ~! 司こんな事言ってるけど、内心じゃ大喜びに決まってるぜぇ~? アタシっていう年上のこんな絶世の美女様にくっつかれてんだ、男子高校生だったらテンション大上がりに決まってるよなぁ~?」

「——んな訳ないだろぉ! 迷惑以外の何物でもない……! 年上の女性だと自称するなら、もっと(つつし)みを持て!」

「ハァ……? 言ってくれんじゃねぇか司ぁ。こうなったらアタシも意地だぁ……どんな手を使ってでも認めさせてやるよ……!」

 

 そう言ってより一層身を寄せて司さんに、その勝ち気な美人系の整った顔を近づけるフレイアさんに対し、明らかに狼狽する司さん。

 

「——なっ、フレイア!? お前なっ……!?」

 

 うん。もうそろそろ……我慢の限界。

 私は、頭が完全にアルコールに支配された思考になってるフレイアさんを思いっきり睨みつけて言う。

 

「——酔った勢いで、司さんに絡むのやめて貰っていいですかフレイアさん? 幾らこういう場が無礼講だといってもやりすぎだと思いますよ?」

 

 フレイアさんは私を見てピタリと動きを止め、軽くヒュゥと口笛を吹く。

 

「おぉ~イイ覇気(モン)持ってるじゃねぇか志歩……軽く狼のオーラが見えたぜ? さすが司の彼女サマだぁ、おお怖い怖い」

「なら何故まだオレを離さん!? ——って、オレと志歩はそんな関係ではないと何度言えば分かってくれる!?」

「——っ、つ、司さんの彼女じゃ、ないですけど……! それでも……と、友達が困ってるのに見過ごすことなんて、私には出来ません!」

「あははははッ! 折角良い啖呵吐いたのに土壇場で照れてるんじゃねぇよ志歩~! 面白れぇ、酒の(さかな)にもってこいだ。次はナニしてやろっかなぁ~?」

「オイィィィ——!? いい加減にしろぉ!?」

「フレイアさんっ……!?」

 

 ニヤニヤ笑いで私と司さんの静止も聞かず、司さんを離さず密着するフレイアさん。

 ああもう……! この人は本当に自由奔放過ぎて困る……!

 そう思って私がさらに口を開こうとした時だった。

 

「——ねぇ、()()()()? お酒の悪ノリで未成年に必要以上に絡むの、そろそろ本気でいい加減にしよっか?

「ヒッ……!」

 

 瞬間、イズさんは自らの水色の長いポニーテールを逆立たせ、普段は明るくて優しいイズさんの口から出たとは思えない程の極寒の冷気の気配を纏った言葉を、冷えきった蒼い眼光を宿した瞳で射貫かんばかりの視線と共にフレイアさんに放つ。

 えっ……なにココ、いつの間に冷房ガンガン利かせてたの? 寒い……! っ、で、でも……ナイスですイズさん……!

 そんなイズさんにフレイアさんは、ほろ酔い気分の赤い顔から血の気が引いた青い顔に一瞬で早変わりする。

 すっかり酔いなんて覚めてしまった様子のフレイアさんは、震える声を発しながらイズさんに言う。

 

「じょ、冗談だってイズ……ほら、今日はお前のお気に入りの司が来るって言うから、お前だってあの日のお礼がしたいって、いつもより張り切って料理作ってたじゃねぇか。だから……ほら、アレだ? アタシなりに司を歓迎してやろっかなぁっていう……」

「——は? 意味分からないから。それのどこが歓迎なの? というかさ、反省する気があるんだったら早く司くん放して貰って良い? 見てて良い気分になれないんだけど」

「わかったわかった! 離す! 離すから! これでいいんだろ!?」

 

 慌てて司さんを離すフレイアさん。

 開放された司さんは、安堵の溜息を吐いて私とイズさんに目線を向ける。

 

「全く、とんだ災難だった……! フレイアを制止してくれて感謝するぞ、志歩、イズ」

「い、いえ……私はなにも出来ませんでしたから。お礼ならイズさんの方に」

「いや、何を言う。庇おうとしてくれた気持ちが嬉しいんだ。そういえば言うのが遅れていたが志歩、今日のライブは本当に——っ!?」

「司く~ん! ごめんね! ウチの愛兼ちゃんが変な事しちゃって! 司くんには私、今日は美味しいもの食べて楽しんで欲しかったのに……!」

 

 司さんは私にそう言いかけた瞬間、冷え切った雰囲気を一瞬で解き心から司さんを心配したような表情のイズさんに横から、もうそれは抱きついているんじゃない? と疑いたくなるぐらいの距離感まで急接近される。

 ——は? いや、ちょっと、何やってるのこの人っ……!?

 驚く私と同じように、驚いた様子の司さんは慌てて言う。

 

「お、おいっ!? イズ……? オレは何も気にしていない! だからだな、その——」

「大丈夫だった? ほっぺにキスとか変な事なにもされてない? 頼りになるこのおねーさんに何でも言うんだよ? 後で愛兼ちゃんにはすごーくお説教しとくから……!」

 

 そう言って司さんを引き寄せて間近でその顔を見つめ、司さんの顔をベタベタ触るイズさん。そんなイズさんに司さんはさらに狼狽の色を濃くする。

 ——え? 何やってるのこの人? さっきフレイアさんの事怒ってたのに、自分やってる事大差なくない? まさかコレで悪気ないの? あ……分かった。この人もしかして、初対面とか仲良くない人には普通の距離感弁えるけど、自分が気に入った人に対しては、素でパーソナルスペースがゼロになるタイプの人なんだ……!

 

「わ、わかった! イズがオレを心配してくれる気持ちは充分伝わった……! だ、だからだな……その、頼むからもう離れてくれ……困る……!」

「——? どうしたの司くん? まさか、やっぱり何かされて——」

「いや、最早フレイアと言うよりだな……! その……何と言えばいいか……!」

 

 そう言って、狼狽しながら要領の得ない言葉を吐く司さん。

 そんなどこかおかしい司さんの様子に、私は一瞬で司さんがハッキリと何も言えない原因を見抜いてしまう。

 ——イズさん……よく見たら……胸! 当たってますって! 自分がシェヴンさん程じゃないにしても、そこそこ胸が大きめの方だって自覚してくださいイズさん!!

 それが、私が堪える事ができた限界だった。

 私は必死でイズさんと司さんの間に割り込んで二人を引き離し、司さんを庇うようにしながらイズさんを強く睨みつけて言う。

 

「イズさん……! そろそろ、貴女の方こそいい加減にしましょうか!? 私の前で、司さんにヘンな事をするのは許しません!」

「——ふぇ? 変な事? 私……何か司くんに悪い事しちゃった?」

「自覚がないのがよりタチが悪いです! いいですから、貴女にはフレイアさんを怒る資格なんてありません! 今日はもう司さんにこれ以上近づくのは絶対に許しませんから!」

「え、えぇぇ~~! せっかく司くんと久しぶりに会えたのに~! 近づく位はせめていいでしょ? 司くんといっぱいお話させてよぉ~!」

 

 そう不満げに口を尖らせるイズさんに、司さんは安堵した様子で言う。

 

「す、すまない……助かったぞ志歩。苦労をかけてしまったな」

「大丈夫です。私がやりたいからやってる事なので……司さんは、私が守りますから」

「む、なに、それは聞き捨てならんな。未来の後輩に守られては頼りになる先輩の名折れ! お前を守るのはこのオレだ、志歩!」

「……そ、そうですか。なら……これからの司さんの努力を、期待してます」

 

 私は思わず司さんの言葉に胸が跳ねるのを感じながら、その動揺を悟らせないように冷静にそう言った。

 そんな私達を見ながら、外野の三人は苦笑する。

 

「いやぁ……それにしても志歩ちゃん最初会った頃は、無頼(ぶらい)で孤高の一匹狼って感じしてたっすけど——今じゃもう、すっかり司くんの飼い犬(けん)番犬っすねぇ。ご主人様の危機に駆けつける忠犬の風格出てるっすよアレ」

「イズも変わんねぇなぁ、アタシの事言えねぇじゃねぇか。ま、なんか無罪放免の流れになりそうだしラッキーって思っとこっと」

「フレ様とイズには悪いですけど……私的には尊い二人が見れて万事オーケーなので問題なしですわ。それに、フレ様とイズに絡まれて慌てて可愛い司くんが見れて、私的には中々眼福——って、眼福ってなんですの!? 私もしかして“推し”増えかけてません!? 志歩ちゃんに続いて司くんまで推してしまったら、私の推し活がまた忙しくなってしまいますわ……! どうしましょうフレ様! スノトラ! 私の時間は無限には無いのですわよ!?」

「いや知らねぇよ」

「勝手に忙しくなったら良いじゃないっすか……」

 

 そんな、私の生活には今まで殆ど無縁だった賑やかさを感じながら、ようやくひとまず落ち着いた私と司さんは、イズさんのとっても美味しいパーティ料理を食べながら再び四人で騒ぎ始める『Asgard』の皆さんを見ていた。

 

「——にしても、本当に騒がしい者達だな。このオレが雰囲気に押されて、まさかあんな醜態を晒してしまうとは思いもしなかった」

「ええ……そうですね、これで大人とは思えないぐらいです。きっと多分、あの人達は四人で居る時はずっと今でも、学生時代の自分達のままなんじゃないですか?」

 

 そう私が言うと、司さんは納得したように頷く。

 

「成る程、“これ”がイズが一年前にオレに教えてくれた『仲間』というモノか……スターは無頼。誰にも頼らず一人で輝くべき者だと考えていたが……オレも、いつかこんな風に笑い合える『仲間』を作るというのも、悪いものではないのかもしれんな」

「…………そうですね。きっといつか、司さんにもそんな人達が現れますよ。司さんの輝きを支えてくれるような、そんな素敵な人達が」

「フ、そうだな! なにせオレの輝きは世界一! 溢れ出すこのスターのオーラで、仲間などすぐに沢山集まる筈だ! ハーッハッハッハ!」

「ふふっ……もう、自信過剰すぎですよ司さん」

 

 そう宣言しながら高笑いする司さんを見て、その口ぶりにやっぱり司さんにとって私は、仲間とかそういう枠とは違う枠として認識されているんだと実感する。

 それに対して、なんだか少し寂しいような、それとは逆にこれで良いんだと納得するような、そんな何とも言えない気持ちになってしまう自分もいた。

 だって、司さんと私の目指す道は違うから。

 違う方向を向いている者同士が仲間っていうのは、それはまた違うっていう気持ちも私の中にはあったから。だから、これで良いんだと私は納得する。

 今、私と司さんがこうしてまるで“仲間”みたいに一緒に居られるのは、偶然の産物がいくつも繋がった、本当だったらあり得ない奇跡みたいな時間。

 それでも——

 

「よし決めたぞ志歩! オレは近い将来咲希が退院したら、仲間と共に観客を大勢招いてショーをする! その時には、お前には特別に特等席を用意してやる! だから必ず見に来てもらうからな! 約束だぞ!」

「司さん……はい、是非楽しみにしています。司さんの初舞台……私、必ず見に行きますから」

 

 ——きっと、司さんと一緒に過ごすこの今の時間はいつか思い出になって、決して消えはしないから。

 そうやって私は司さんと約束を交わしながら、そう確信した。

 だから、私は司さんの“仲間”にはなれなくても、それで充分。

 

 それに何より私には、咲希と一歌が居るから。

 仲間って存在がどういうモノか私にはまだ分からない所があるけれど、それでも、あの二人はもう私にとってただの友達や幼馴染っていう枠だけには収まらない、それ以上の繋がりがあるんだって、今の私はそう思う。

 

 

『……うん、いいよ。今日の放課後暇だったから、私も行くね』

 

 

 でも本当は穂波もそう思いたかったけど……残念だけど、穂波はもう私達と一緒に居てくれる気は無いみたいだから。

 だったら……諦めるしかないよね。

 

「……どうした志歩? 浮かない顔をしているぞ。何かあったのか?」

 

 そんな事を考えていると、不意に司さんが私にそう尋ねてきて私は思わず、口元が緩むのを感じてしまう。

 全く……司さんは、普段はあんな無神経の癖にどうしてこんな時だけ察しが良いんです?

 嬉しいけど、でも困ったな、それでも私はこの件で司さんに迷惑をかけたいと思えない。

 だから私は誤魔化す為に別の件を口にする。

 

 ——実際、この件も真剣な悩みと言えば真剣な悩みでもあったから。

 

「すいません……勉強で苦手な教科がありまして。今この時ぐらいは切り離して考えようとは思うんですけど、どうしても少し不安が出てしまうみたいですね」

 

 そう打ち明けると、司さんはパッと目を輝かせながら胸を張る。

 

「——フ、そういう事なら先輩のオレに任せておけ! なんの教科が不安なんだ? 未来のスターたるこのオレがバッチリ教えてやろう!」

「え……? その、いいんですか?」

「勿論だ、何を馬鹿な事を言う。オレも通ってきた道だ、ならば道案内ぐらい出来ずになんとする? だから、なんの教科が苦手なのか教えてくれ! 理科か? 英語か? ……それとも数学か!? 任せておけ! オレも苦手な教科だった。だがしかし、分からないなりに特に必死で勉強したつもりだ! 同じ分からない者の気持ちなら分かる! だから、さぁ! 遠慮せずドーンと言え!」

 

 そんな司さんに、私はとても言いずらいものを感じながら、その教科名を口にする。

 

「その……国語が、ダメなんです私」

「——なっ? こ、国語だとっ!?」

 

 予想だにしなかった教科名だったのか、司さんは目を大きく見開く。

 あぁ……やっぱり、そんな反応ですよね。分かってました。一歌にも咲希にも一瞬キョトンとした顔で返されましたし。でも、分からないんだから仕方ない。

 そんな私に、司さんは首を捻りながら言う。

 

「む……それは、どこが分からないんだ? 国語の読解問題など、答えがそのまま問題文に載っているではないか。文章を読んでいたらなんとなく分かるのではないのか?」

「すいません、私はその『なんとなく』が分からないんです。その場面での登場人物の気持ちだとか、その時主人公は何を思ったのか、何故そんな事が起こったのか、作者の言いたい事を答えろだとか……意味の分からない事ばかりで。下手したら私、小説の文章題より古文の方がまだ分かる位です」

「な、何っ? そ、それは……何故分からんのだ? 全くわからん……! オレは古文の方が全然わからんぞ……! ど、どうアドバイスをすればいいのか全く分からん……!」

 

 そう言って頭を抱えてしまう司さん。

 まぁ……仕方ないよね。私もコレに関しては理解してもらえる人が少ないだろうなって思ってたから。

 

「いえ、大丈夫です司さん、私は気にしてませんから。司さんから頂いた問題集、本当に役立ってますよ? それだけで私は司さんが立派な先輩だって思ってますから」

「うっぐ……無力な先輩ですまない志歩」

 

 そう言ってガックリと司さんが肩を落とした時だった、祝いの席のテーブルの向こう側から、いつから話を聞いていたのかフレイアさんが私を見て言う。

 

「ほーん。つまり志歩お前、文章の『読解力』がねぇんだな?」

「——!? ふ、フレイアさん!?」

「——っ、フレイア!?」

 

 そんな、今この場で最も勉強という言葉から縁遠そうな人物から声をかけられた事で、私と司さんは思わず驚愕の視線を返してしまう。

 私達の視線に、フレイアさんは心外そうな表情で言う。

 

「……あ? なんだその目はよ? まさかオメーら、アタシが頼りにならねぇとでも思ったのか?」

「あ、いえ……そこまで言うつもりはありませんけど、それでも敢えてこんな内容を相談しようと思える相手でもなかったと言いますか……」

「んだよそれ、ま、正直なのは良い事だぜ志歩? オメーの彼氏にさっき悪ノリしちまった詫びだ、ちょっと教えてやるよ。持って来てたらノートか参考書出してみろや」

「い、いや、彼氏ではないですけど……でも、はい、わかりました」

 

 な、何考えてるんだろフレイアさん。とりあえず、ここは従っておいた方がいいのかな。

 そんな風に考えながらノートを取り出すと、ペンを取り出したフレイアさんが私と司さんの所まで歩みよりながら言う。

 

「まず志歩、お前アレだろ? 数学とか理科とか答えがハッキリしてる問題は大丈夫だけど、答えが二つ以上あるとか正解が決まってねぇ問題とかになると途端に苦手になるタイプだろ?」

「——っ!?」

「やっぱな。じゃあ志歩お前、典型的な理系女子(リケジョ)ってやつじゃねぇか。今の流行りだぜ? よかったなぁ?」

「おいフレイア、無駄口を挟むのは止めろ。本当にお前が教えられるんだろうな?」

「ヒュゥ、志歩の専属騎士様はおっかねぇぜ。まぁまぁ見てろって……志歩、お前が苦手なのはこんな問題だろ?」

 

 

【問:波線部で筆者はどのような事実に基づいて主張しているか。二十五文字以内で答えよ

 

 

 参考書のその問題文を見た瞬間、私はうんざりする気持ちを覚えた。

 出た。この、文字の海から無数の選択肢から一つの答えを探し出すような問題。いくら探しても答えなんて見つかる気もしないし、探している内に文字の海に眩暈がしてしまいそうなこの感じ。いつ見ても慣れる気がしない。

 そんな事を考えながら、問題文前に記載されている著者の長ったらしくて意味の分からない政治社会と経済という題の、どうでも良い講釈文に目を通す。

 ——あ、駄目だ。これを書いた作者が何を言いたいのか訳が分からない。というより、そもそもこんな問題がある事自体が間違ってると思う。

 顔も見た事がない他人の言いたい事なんて、どうしてこんなに分かりにくくて長ったらしい文章を読み解いてまで理解する必要があるの? よく数学の内容が社会に出てから一切意味が無いって文句言ってる人に、国語のこんな問題を解く事も充分意味が無いって事を、声を大にして言ってやりたい。

 ……って、そう考えちゃうのは駄目だよね。分かりたくなくても、これからは分かる努力をしないといけない。

 こんな私でも、誰かの為に——司さんの為に変わりたいって思ってしまったんだったら。

 そう決意して文章を必死で読む私に、フレイアさんは言う。

 

「おーおー、分かりやすく苦しんでるなぁ。わかるぜ、現代文ってごちゃごちゃしてて意味分かんねぇよなぁ? 特に物語がある小説じゃなくてこういう論文みてぇのだったら特にな。志歩、訳わかんねぇ文章の中から答えを探すのに必死なお前に、ピッタリの『攻略法』を教えてやるよ」

「こ、攻略法——!?」

 

 その言葉に私は思わず頭を上げてフレイアさんを見る。そんな私を見て、ニヤリと笑って続けるフレイアさん。

 

「比喩だとか直喩とか隠喩だとか、自己陶酔っていう脳内麻薬キメて酔ってるだけで、その実分かりにくくてクソ長げぇオナニスト作者の文章に真面目に付き合ってやる義理なんざねぇ。その文章が分かりにくいなら、勝手に自分好みに改変しちまえばいいんだよ」

「改変!? ど、どうやって……」

「そんなお前に今からアタシが教える技術(テク)はな、『削読法』っていう名だ……まぁ見てろ、こうやるんだよ」

「お、おいフレイア! 志歩の読んでる文章に何をしようとしてるんだ!?」

 

フレイアさんは司さんの声も無視して、勝手に私の手元に手を伸ばしてシャーペンで私が読んでる問題文の文章に、勝手に縦線を引いて読めなくしていく。

 

「ちょっ!? また勝手な事して……! 何してるんですか!?」

「よし、一丁上がり。志歩とさっきからうるせぇ司、アタシが縦線引いた文章の部分を無視してもう一回文章読んでみろよ」

「ふざけるなよフレイア! こんな事して何が——何ぃ?」

「そんな、勝手に文章を消して内容が分かる訳——って、え?」

 

 瞬間、司さんと私は目を疑う。

 何故なら、さっきまでごちゃごちゃして分かりにくかった文章が綺麗さっぱりなくなっていて、途端にこの文章を書いた作者の意図がハッキリ見えてくるような気さえしたからだった。

 す、すごい……これなら、私でも『なんとなく』わかる……!

 そんなまるで魔法みたいなフレイアさんの技術に、思わず私は言ってしまう。

 

「フレイアさん、ど、どうやってやったんですか?」

「注目するのは『つまり』『要するに』とかいう“接続詞”だ。文章の中でその類の単語が来れば、つまり作者が言いたい事はその次の言葉に詰まってる。となりゃ、その直前の文章は大体同じ事言ってるだけで不要ってコトだ——だったら、消しちまっても問題はねぇよなぁ?」

「そ、それは……確かに」

「で、同様に『だが』『しかし』っていう逆接があった場合も、作者の主張は大体その後に来る。ならその前の文章も削っても問題はねぇ。こうして、無駄に語りてぇだけの余分な肉付け部分を削ぎ落せば——作者サマの言いたい事がスッキリ見えてくるって訳だ」

「じゃあ、こうして分かりにくい所を削っていけば……」

 

そう言う私に、フレイアさんはニヤリと笑って答える。

 

「その通り、どんな奴がごちゃごちゃ言ってても、ソイツが一番言いたい事がすぐに分かるってコトだ。例をやるよ——『アタシはその昔、世界最強のベーシスト様に見初められただけの、どうしようもねぇ高校もドロップアウトしちまった不良女だった。最初は最強のベーシスト様に一緒にバンドやろうって言い寄られて粘着されてめんどくせぇって思って断ってきたけど、ある日調子乗って強ぇヤツに喧嘩売っちまってボロボロになっちまってた所をソイツに庇われて恩売られて、見返りに一度きりの約束だと舞台に立っちまったのが始まり。初めてのステージで歌ってギター弾いて、悪くねぇって思っちまったのがアタシの年貢の収め時。それからはどうしようもねぇ生活から何とか足洗ってベーシスト様と一緒にバンドやるって決めて、そこに何のお節介か、チームを解散したのについて来るってうるせぇ二人を加えて四人でバンド組んで、必死こいて練習してライブにもバンバン出て、そして今、四人でまた世界に挑む為の準備期間を過ごしてる。まぁ長くしゃべっちまったけどつまり、昔は色々あったけど今のアタシはこの四人で()る音楽と歌を愛してるって事だ』」

 

 その言葉は、“文章”は、確かに長かったけど今の私にはもう、フレイアさんが何を一番言いたいのか分かってしまう。それは、表情を見るに司さんも同じみたいだった。

 そしてニヤリと笑ってフレイアさんは私達に問う。

 

「さて問題だ——志歩、司。今のアタシが一番、自己紹介をする時に一番伝えたい事は一体何だと思う?」

「——フ、問うまでも無いだろうそんな事」

「ええ……そうですね。でもその素敵な皆さんの昔話も、線で消して読み飛ばすには少し、失礼に思ってしまいますけどね。ありがとうございます。『削読法』の事、理解出来たような気がします。これで前よりは現代文に挑みやすくなりました」

「ハッ、そうかよ。まぁ後はそのやり方でどんどん問題解いてみて文章の読み方を掴む事だな。慣れれば、線ナシでも重要じゃない部分とそうじゃない部分が一瞬で分かるようになるぜ?」

「はい、そうしてみようと思います。本当にありがとうございました」

 

 そう言って私が頭を下げると、意外そうに司さんは言う。

 

「にしても意外だったな。フレイアがここまで教え上手だったとは……まさかフレイアお前、頭良かったのか……!?」

「お、見直したか司? 惚れんなよ~? 年下はアタシ趣味じゃねぇんだよ」

「いや……それだけは絶対に無いがな」

「フレイアさん? 助かりましたけど司さんに変な事言わないで貰って良いですか?」

 

 そんな反応を見せる私と司さんに、クスクス笑いと共にシェヴンさん達の方から声が上がる。

 

「ふふふっ……そうですわ。フレ様は頭がとっても良いんですわよ? しかも分かりやすく教えてくださいますし。私、いつも赤点常連組だったのですけど、フレ様のお陰で平均点にまで届くようになったのですから」

「はははっ、そうっすよ司くん。意外だってよく言われるっすけど(カシラ)は学校通ってた頃は、成績は常に学年の中で首位だったんすよ? ま、にしても教え方はちょっとキザが過ぎると思いましたっすけどね~?」

「……まぁ、教えるのが上手いって事はそれだけ分からない人の気持ちが分かるって事だから、愛兼ちゃんも努力してたんだよね。でも……そんな愛兼ちゃんの努力も、お家の人達には伝わらなかったみたいだけどね」

「——ハッ、良いんだよ。あんな奴らなんてどうでも良い。過去よりも大事なのは今だ」

「……そんなに頭が良いのに認められないって、フレイアさんの家ってどれだけ厳しかったんですか?」

 

 私がそう言うと、途端にフレイアさん以外の三人の顔が気まずい表情に歪んでしまう。

 ——あ、しまった。多分この話題って地雷だ。やっぱり私って……司さんに無神経って言い過ぎる事が出来ないぐらいには無神経なのかな……。

 そう反省する私に、フレイアさんはニカっと笑みを浮べて言う。

 

「ま、そりゃぁ気になっちまうよな。分かった、オメーらにだったら特別に軽く話してやるよ。まず“フレイア”がアタシの本名じゃなくて芸名って事は分かってるよな?」

「え、ええ……そうですけど。と言うか実際、イズさんは本名っぽい名前でフレイアさんの事を呼んでるじゃないですか。確か……愛兼さん、ですか?」

「そう、実はアタシの本名はな——椿紅(つばい)愛兼(あかね)って言うんだよ」

「えっ? 椿紅って……まさか“あの”!?」

「おい志歩、知っているのか?」

 

 私は思いもしなかったフレイアさんの有名な苗字につい声を上げてしまい、知らなさそうな司さんに対して言う。

 

「知らないんですか司さん? 椿紅って言ったらIT関係を中心に日本の多くの会社の株式を保有する、日本国内でも5指の内に数えられる程の大企業『椿ホールディングス』の頭取の名前ですよ? 国内のIT関係の事業に限定して言えば、あの言わずと知れた大財閥である『フェニックスグループ』ですら凌ぐ業界シェア率を誇り、その総資産額は一兆を超えるとすら言われてる凄い家なんですよ……!」

「なん……だと……!? フレイア、お前、超お嬢様ではないか……!」

 

 私の解説に目を剥いてフレイアさんを見る司さん。

 そんな私達の視線に、予想通りとばかりに呆れたようにフレイアさんは溜息をつく。

 

「はぁ……久しぶりに本名を名乗ると、やっぱそんな反応になられちまうよなぁ……これだからこの名前は嫌いだぜ。オイ、念のため言っとくが畏まる必要なんて一ミリもねぇからな? お察しの通り今はこうして実家から絶縁喰らって、今でも急病で倒れたっう親父に菩薩心出して見舞いに行っても病室から塩撒かれるレベルで、親族全員から嫌われてるからなアタシ? 金も権力もねぇし、残ったのは重ッ苦しいこの名前だけ……邪魔でしかねぇんだよこんなの」

「……っ、フレイアさん……」

「フレイア……お前……」

 

 そんな、軽くしか語られていないにも関わらず、とても重いと感じてしまうフレイアさんの家庭事情に、私と司さんは思わず絶句してしまう。

 あぁ……そうなんですねフレイアさん。貴女が本名を名乗りたがらないのはそれが理由なんですね……

 そんな私達を見て気にしてしまったのか、フレイアさんは慌てて話を畳むように早口で言う。

 

「まぁそんな訳で、アタシは一つ年上の姉貴と同じように、会社の後を継げるような最先端の英才教育ってヤツをガキの頃から吐くほど叩きこまれてきて、アタシなりに期待に応えようと頑張ったんだが、姉貴が特に才能ある奴だったのもあって、アタシは親父の期待にはどうしても応える事が出来なくてな——で、最終的に何もかも嫌になってグレて終了! って訳だ! ハイ! これクソつまんねぇアタシの家の話は終わりだ! “つまり”、だからアタシは勉強が得意ってコトだ! それ以外の話は全て聞き流せ! 分かったな!?」

 

 そんなフレイアさんに、私と司さんは何と言ったら良いのか分からないような表情をしてしまう。

 

「はい……分かりました。その……不用意に話を聞いてしまって、嫌な事を思い出させてしまったのならすいませんでした、フレイアさん」

「あぁ……そう……だ……ですね。オレもそうとは知らずに色々失礼な事を……すみませんでした、フレイアさん」

「お、おい止めろよ志歩、司、気を遣ってるんじゃねぇよ! ってか司ぁ! お前敬語に戻してるんじゃねぇよ! やめろって言ってるじゃねぇか! もう良いから食え! 飲め! よく考えりゃここは湿っぽい話をする場じゃなかったの忘れてたぜ!」

 

 慌てて大声を張り上げるフレイアさんに、やれやれと言った様子でスノトラさん達が言う。

 

「ほら言わんこっちゃないっす(カシラ)。言ったらこうなりそうだって分かってたから自分ら黙ってたのに、酒の勢いで自分からクソ重過去サラケてたんじゃ意味ねぇっすよ」

「うぅっ……いつ聞いても可哀想ですわぁフレ様ぁ……!」

「ふぅ……まぁ、そこら辺の話は利音(りお)ちゃんも朱恩(しゅおん)ちゃんも深く聞いちゃったら中々の地雷持ちだからねぇ。志歩ちゃん達みたいな純粋な子が、あんまり自分から進んで深く聞くのはオススメしないかなぁ……この中で正直、家庭環境でややこしい事情持ってないの私だけだし。でも私個人だったら入院生活の話を語ったら、色々重くなっちゃうのかな私も……」

「ああもう! とにかくだ!」

 

 そこでフレイアさんはガンッと手に持った缶ビールをテーブルに叩きつけ、自分が作り出してしまった何とも言えない微妙な空気を振り払うかのように言う。

 

「誰しも皆! 人にはあんまり言えねぇ事情だとかなんか抱えてるんだよ! 表じゃニコニコ取り繕ってても、その実は辛い過去だったり、やらかしちまった失敗だったり、兎に角色々だ! 志歩だって学校じゃ色々あるだろ! そんな感じで、事情を抱えてねぇ奴なんて殆ど居ねぇ! だから、そこら辺を気にしてやりながらも、時には敢えて気にせず接してやるのも大切なんだよ! 分かったか!?」

 

 ……人間誰しも、誰にも言えない事情を抱えてる、か。確かに言われてみればそうかも。

 今、私の件に時間を割いてまでつき合ってくれて、こんなに明るい司さんも、病気の咲希の事や、あまり家に帰ってこないお父さんやお母さんの件とか、そんな色々を抱え込みながら、今こうして頑張ってる。

 だったら、フレイアさんがどんな事情を抱えてても関係ない。私にとってフレイアさんは舞台の上じゃ燃えるような歌を歌う、滅茶苦茶だけど熱い人。それ以上でも以下でもない。そういう事ですよね。と、そう思っていると、シェヴンさんとスノトラさんが笑って言う。

 

「ふふふっ、まぁそれもそうですわね。まぁとにかく、フレ様が本名を言ったのでしたら私達もちゃんと名乗らないとですわよね?」

「ハハッ、そっすよねぇ。頭が自分の本名を言うってコトは、そんだけ志歩ちゃんと司くんの事を気に入ってるって証でもあるっすから。それに、こんだけつき合いが長くなったんだったら、いつまでも名乗らないのも道理じゃねぇっすもんね」

 

 二人はそう言って、軽く改まった様子で自己紹介をする。

 

「申し遅れました、『Asgard』のドラム担当シェヴン。本名は匂宮(におうのみや)朱恩(しゅおん)ですわ。以後お見知りおきを」

「自分は『Asgard』のキーボード担当スノトラ。本名はまぁ、志歩ちゃん達みたいな現代っ子には聞き覚えが無い苗字だと思うっすけど、それでも言うなら黒龍(くろたつ)利音(りお)って名前っす。ま、これからも宜しくって訳で」

 

 え、黒龍? 逆にシェヴンさんの名前の方が聞いた事がないけど、そっちの方は私聞いた事がある。確か、お母さんが——

 そんな事を考えていると、司さんが驚いたように言う。

 

「なにっ、匂宮……? まさか“あの”香水メーカーの?」

「……意外ですわね、まさか司くんの方が知っていらしたなんて。もしかして、妹さんつての情報ですの?」

「あ、ああそうです。妹の咲希から病室で雑誌を見せられながら聞いた事があります。確か日本でも有数の香水メーカーで、芳香剤や消臭剤関係も手広く取り扱っているという、関連の業界なら国内シェア率ナンバーワンを誇る大企業ですよね」

「モチですわ! まぁ私、家業は現在進行形で兄さんと姉さんに全丸投げの、高校を中退してお金だけ貰って放置されてる放蕩娘ですけどね! ですから同じく畏まる必要なんて全然ないですわよ。何なら今だって司くんの敬語は要らない位ですわぁ」

「そうか、なら分かったぞシェヴン。だが、またサラッと深く突っ込めば闇が見えてきそうな話を……」

「そうですわよ司くん。私の家の事に関してはあんまり深く聞かない事をおススメしますわ、ですから、これからも私の事はシェヴンと呼んでくださいまし」

「分かった……そうしよう」

 

 シェヴンさんにそう頷く司さんに、スノトラさんは気楽に伸びをしながら安堵したように言う。

 

「いや~、やっぱ自分の事は知らねぇっすよね。良かった良かった。にしてもやっぱり頭とシェヴンの苗字は有名っすねぇ、いやぁ、その辺自分は良かったっす。日本の古臭い歴史なんて、現代人は全く興味なくて——」

「——“黒龍(くろたつ)”といえば、その起源は江戸時代から続く歴史ある歌舞伎の名門の屋号『音駒(おとこま)屋』を担う家の名前ですよね?」

 

 そう私が言うと、瞬時にスノトラさんは飛びあがる勢いでテーブルから離れ、謎の構えをしながら私を見て警戒する様子を見せた。

 

「なっ——何で知ってるんすか志歩ちゃん!? ま、まさか……同業っ……!? チッ、宮女のブランド力を舐めてた……! まさか同業者がまだ在籍してたなんて……わ、私っ! 古臭いって言った事は撤回しませんよ! 私はあんな家大ッ嫌いで一方的に絶縁状叩きつけて出てきたんですから!」

 

 あ、しまった。スノトラさんをすごく警戒させてしまってるみたい。地の口調まで出ちゃってるし……そこまで家の事が嫌いなんですね……。

 そんな感想を覚えながら私は言う。

 

「あ、いえ……そんなつもりは。私も全然同業者じゃありませんし」

 

 そう言うと、スノトラさんは構えと警戒を解いた様子で言う。

 

「あ……そうなんすか。良かったぁ……じゃあなら、何で知ってるんすか? メディアにはあんまり積極的に出てないっすよ『音駒屋』は」

「いえ、私の母さんが元は古くからある日本舞踊の家元の生まれなんです。父さんの所に嫁いできてからは琴の先生をやってるんですけどね。ですから、その関係で聞いた事があって」

「ああ成程、そうなんすか。もしかしたら自分も聞いた事がある流派かもしれねぇっすね、志歩ちゃんのお母さんの実家はどの辺りで?」

「東京都の千代田区あたりです」

「——ゲッ」

 

 私がそう言った瞬間、表情を苦くするスノトラさん。

 えっと……もしかして、私はまた何か変な事やっちゃった?

 そんな不安に襲われている私に、スノトラさんは恐る恐ると言った様子で言う。

 

「ええっと……志歩ちゃん? ちなみに確認したいんすけど、お母さまの旧姓って“園田”っていう苗字っすか?」

「あ、はい。そうです。結構門下の方も多かったって聞いているんですけど……」

「あ~~やっぱり“園田流”っすか。日本の五大流派程じゃねぇっすけど、それでも有名な流派っすよそこ。はー、成程。歌舞伎界の事も詳しいのも納得っす。あーでも、古臭いってお母さんのご実家の事まで悪く言ってたように聞こえたなら謝るっす。自分は歌舞伎が大嫌いなだけなんで……ゴメン志歩ちゃん」

「いえ、言った通りお母さんはもう実家とはあまり関係ありませんし、私も日本芸能の伝統とか本当によく分からないので。ギリギリで一応書道の心得はありますけど……」

「え、マジっすか? 書道得意なんすか志歩ちゃん!? いやー自分、子供の頃から色々ぶち込まれてた習い事で、唯一書道だけは大好きで……! 墨の香りとか、文字を書いてる時に精神統一してるあの感覚がとっても好きなんすよねぇ!」

 

 私達がそんな話し合いで盛り上がっていると、今まで放置されていたイズさんが拗ねたように言う。

 

「む~、司くんも朱恩ちゃんも、志歩ちゃんと利音ちゃんも、みんなして家柄マウントよくないぞ~! 一般の共働き家庭の私にもついていける話題にしてよ~! 私なんてみんなの名前聞いても誰一人ピンとくる名前なかったんだからぁ~! え~ん! 私だけ仲間外れだぁ~!」

 

 そう言って、お酒の酔いで情緒が不安定になっていたのか泣き出してしまうイズさんに対し、司さんは慌てて駆け寄ってポケットからハンカチを取り出して言う。

 

「落ち着けイズ。放っておいてすまなかった、確かにこの話題は長くするものではなかったな。ほら……オレのハンカチを貸してやるから早く泣き止むと良い」

「う、ううっ……ありがとう、後輩君やっぱり優しいっ……! ねぇねぇ、養ってあげるからおねーさんと結婚して~!」

「いや……その気持ちは嬉しいがオレはまだ16だぞ? 酔っているんだろうがふざけすぎだぞイズ?」

「——イズさん、ふざけた事を言うのは止めてもらって良いですか? 先ほどと言い、今といい……そろそろ私が本気で怒りますよ? 戦争売ってるなら買いますけどどうします?」

「……ひえっ、冗談だよぉ……怒らないでしほちゃ~ん……」

「ああもう! その甘えた声をやめてください! 大人なのにいちいち咲希を連想させる人なんですから貴方は……!」

 

 そんな私と司さんとイズさんを見て、フレイアさん達は大笑いを初めてしまう。

 

 ——こうして、私が初めて参加した『お疲れ様会』は、私の今までの人生の中でも一番騒がしかった記憶として刻まれるのだった。

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 ゴーンとまるで新年の訪れを告げるように除夜の鐘が鳴り響く深夜。

 私は卓上の蛍光灯の明かりだけが照らす暗い自分の部屋で、今までずっと解いていた問題集から頭を上げると、ぴこんぴこんと鳴る通知音で新年の訪れを悟る。

 

「……あ、一歌だ。ふふっ、ミクの可愛いスタンプだ。あの子らしいな」

 

 そんな一歌からの新年の挨拶に、私は思わず心が温まるのを感じながら口元がついつい緩んでしまうのを感じる。

 去年は司さんと咲希からしか連絡が来なかったから、そこに一人増えた事に私は殊更嬉しさを感じていた。

 その一歌に返信していると、さらに一件の通知が来る。それは、消灯時間なんてとっくに過ぎてるはずなのに珍しく起きていた咲希からの連絡だった。

 

 

咲希:あけましておめでとうしほちゃん! 勉強頑張ってる?

 

 

「咲希……もう、早く寝たら? まぁ……気持ちは嬉しいけどね」

 

 私は呆れてそう呟いてしまいながら、文字を打つ。

 

 

志歩:あけましておめでとう。勉強は勿論頑張ってるよ。でも、そっちは消灯時間過ぎてるのに大丈夫なの? 早く寝たら?

 

咲希:良いじゃん、こんな日ぐらいアタシだって夜更かししたいよ~!

 

志歩:病気悪化しても知らないよ?

 

咲希:ふーんだ、こんな遅くまで起きて勉強してる、不健康な志歩ちゃんに言われたくないもん。

 

志歩:私は別に良いでしょ。それにもう受験当日まであと二ヶ月もないから、寝てる気分にもなれなくて。勉強してる方が落ち着く。

 

咲希:そんなに追い詰められなくても良いじゃん♪ 万が一駄目でも志歩ちゃんは宮女に戻って来れるんだから、気楽に頑張ったらいんだよ!

 

志歩:それ、心配してるように見えるけど、本心は司さんと同じ学校に行って欲しくないだけでしょ? 魂胆見え見えだよ。心配しなくても絶対何が何でも神高に合格してみせるから。安心したら?

 

咲希:む~! 志歩ちゃん、これでもアタシ優しい言い方してるんだよ? いいの? そんな事言ったらアタシ、受験生にとって禁句な“お”から始まる三文字の単語打っちゃうよ!?

 

志歩:咲希、新年早々悪いけどブロックしていい?

 

咲希:ちょっと~! 冗談だよ~! 文字打たないからやめて~!

 

 

 そんな、画面越しに慌てた様子の咲希の顔を想像しながら、私は思わずクスリと微笑んでしまう。

 そうしている時だった。咲希から追加でもう一件連絡が来る。

 

 

咲希:で、そんな夜遅くまで頑張ってる志歩ちゃんに、これから多分すっごい邪魔が入ると思うから、勉強に集中するんだったらちゃんと断ってね! 分かった!?

 

志歩:え、咲希、それってどういう意味?

 

 

 そう打って送信した直後、咲希のメッセージの真意を私に理解させるような連絡が来る。

 

 

司:志歩、あけましておめでとう! まだ起きているなら、良かったらこれから共に初詣に行かないか? 受験に願掛けは大事だからな! この未来の大スターが、お前の為に未来の必勝を願ってやるぞ!

 

 

 私はその文字を見たと同時に問題集をバタンと閉じて外出の準備を始め、司さんに『行きます』と返信した。

 入試本番まで二ヶ月を切ってる? 何ソレ知らない。いや……でもやっぱりそれは嘘、完全に無視するのはやっぱり良くない気がするけど、根詰めて勉強するばっかりじゃ逆に効率落ちるって言うよね? それに私、クリスマスだって遊んだりしないでずっと勉強してたんだし、今日ぐらい許されても多分良いはずだよね? よし、行こう。

 でもそれにしても……やった、司さんとデートだ。何着て行こうかな。

 そんな、らしくもなく浮足立った気持ちになりながら私は衣装箪笥を開く。

 

 まず目についたのはシンプルな作りな深緑色のダウンジャケット。普段からも着慣れていて、緑系統の色の私服を持っているのが多い私にとって一番私らしいって感じる服。

 そしてもう一つは、厚手でふわふわのファーが付いた白色のダッフルコート。最近服屋で見つけて可愛いって思ってつい買ってしまったけれど、こんな可愛い服なんて私が着るのは何か違うんじゃないかって思ってしまって、結局着て出かける勇気もなくて箪笥の中にずっと置きっぱなしになってしまっている服。

 

「ど、どっちにしよう。司さんを待たせられないから早く決めないと……」

 

 私がここでどれだけ悩んでも、あの無神経な司さんの事だからどうせ何を着て行っても気にされないとは思う。

 それでも、ちょっとは印象良く思われたい。それこそ司さんに友達で妹だと思われていて、現状私が女の子として見られていない脈ゼロ状態だって分かるからこそ、こういう所から頑張りたい。

 

「だったら……こっち」

 

 そんな決心で私は普段着ない白色のダッフルコートを選んで、後の支度を整えて外に出るのだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「おお来たか! あけましておめでとうだな志歩!」

 

 それから15分後、私は神社の入口の鳥居の前で、黒のダウンジャケットを羽織ったジーンズ姿で待っていてくれていた司さんは、私の姿を見つけると同時に大きな声でそう言った。

 周囲は深夜とはいえ新年明けでもあるので多くの人でごった返しているので、そんな中で大声で話すものだから当然周囲の人達の注目を集めまくって、私は少し恥ずかしく思ってしまう。

 

 けど、司さんとのこうした付き合いも、もう丸々一年以上を過ごしてきた私。

 人っていうのは不思議なもので、どんなに苦手な事でも何度も続くと段々と慣れてしまうものなのか、私は司さんにこれぐらいで怒る気なんて一切なれなかった。

 それよりもショー衣装や高校のブレザー姿じゃない司さんの、まともな落ち着いた感じの私服姿を見て、そんな特別な司さんの姿に改めてこれが司さんとのデートなんだと実感して、心がふわふわしてしまう感覚がずっとしていた。

 

 ——え? デートなんて今更でしょって? 一回、司さんと放課後に遊園地デートした事あるよねって?

 違う、それは全然違う。私は司さんに初めて恋をして悟った。“デート”って言うのは心の持ちようなんだと。

 司さんと待ち合わせして出かけるこの時を、私自身がどう思いたいか。それが一番重要なんだと。

 だから、今この時こそが私の司さんとの初デート。異論は認めない、絶対に。

 ——と、そんな浮かれ切った内心を必死に押し隠して、表情には出ないようにしながら私は司さんに頭を下げる。

 

「はい、あけましておめでとうございます司さん。私の為にわざわざ、こんな深夜に出て来て下さってありがとうございます」

「何、むしろ急な思いつきでの呼び出しになってしまったからな、オレの方こそわざわざ出て来てくれて有難いと言うべき場面だろう。でも大丈夫か? もしや勉強中だったりはしなかったか?」

「いえ、丁度ひと段落ついた所で休憩しようと思っていたので丁度いいぐらいでしたよ。それに、ずっと根を詰めてやっていても勉強効率は上がりませんし、それなら外出して気分転換するのも悪くないかなと」

「成る程な。それもそうだな! よし、ならば行くぞ——おっとそうだ、志歩」

 

 そう言って司さんは進みかけた足をピタリと止め、私の方を見る。

 

「な、なんですか?」

 

 そんな司さんに驚いてそう尋ねてしまうと、司さんはニコリと微笑みながら言う。

 

「そのコート、真っ白でふわふわしていて可愛らしいな。お前によく似合っているぞ」

「————え」

 

 その言葉を聞いた瞬間、嬉しさで一瞬頭が真っ白になってしまうのを感じる。

 ——え? あ、今、司さんなんて? 可愛いって? 似合ってるって? え? 嘘……今、褒められたの私?

 あの無神経な司さんが、まさか女の子の服装とかそんなのを気遣える人だったなんて。

 正直、司さんにそういう所を完全に諦めてたからその、すごく嬉しい。

 もしかして……咲希の教育の賜物? ありがとう咲希……! 司さんにそういう事を色々吹き込んでくれてて。

 あ、でもそれはそうとして、さっきからずっとメッセージアプリの通知がひっきりなしに五月蠅いからスマホの電源切ったからね? どうせ咲希でしょ? 司さんとのデートの邪魔しないでお願いだから。

 そんな事を考えながら立ち止まっていると、司さんは首を傾げて言う。

 

「——ん? どうした志歩、そんな所で立ち止まって……まさか、オレは何か失礼な事でも言ってしまったのか? 咲希と出かけていた頃、咲希は女の子は服を褒めて欲しいものなんだと言っていたからそうしたが、まさか、それはガセ情報だったのか……!?」

「あっ、いっ、いえっ! ち、違います! とっても……その……う、うれしかったです。この服、兎みたいで可愛くてつい買ってしまいまして……お気に入りなんです」

「そうか! ならよかった。さてこんな所で立ち止まっている暇はないぞ! 遅くなり過ぎない内に用を済ませてしまわねばな!」

「そうですね、行きましょう司さん」

 

 そう言って、私は司さんについて神社の境内に入ったのだった。

 そして、参拝にきた人達の列に並びながら、私は司さんから神高での学校生活の事を聞いたり、また私の学校での事を司さんに話していた。

 その中で、私が一歌と仲直りした事や咲希のお見舞いに行った事を話すと。

 

「おおっ……! そうか! 一歌と仲直り出来たか! 良かったな志歩!」

 

 そう言って特に喜んでくれて、そんな司さんの安堵の笑顔を見ると、私も不思議と笑顔になってしまっているのを感じていた。

 

「だがしかし、咲希の見舞いに行ったのか……水臭いぞ志歩、一歌に頼まずともオレに頼めばよかったではないか。言ってさえくれればオレも喜んで着いて行ったというのに」

 

 でも、続くその司さんの発言には、確かにあの時一歌に頼ろうか司さんに頼ろうかの二択で悩んだけど、結局病室での咲希との会話の内容を考えるに、一歌にしてよかったと心からそう自分の判断を褒めたかった。

 と、そんな風にしているとあっという間に時間は過ぎて、賽銭箱の前に到着する。

 司さんは賽銭箱の前で意気揚々と100円玉を取り出しながら、元気いっぱいに言う。

 

「よし、着いたな! 当然オレが願う事は決まっている! 志歩の高校合格だ! 志歩、お前もそうだろう!?」

「司さん、あんまり神様の前で騒がしくするのは失礼ですよ。静かに願い事をして後ろの人に順番を譲りましょう」

「おっと……それもそうだな。分かった」

 

 そう言うと司さんは100円を賽銭箱に投げ入れ、背筋をピンと伸ばして鈴をカランカランと鳴らす。

 そして伸びた背筋のままで深く真っすぐなお辞儀を二回し、胸の前で二回パンパンと大きな柏手を打った後に司さんは目を閉じ、深く一心に何かを念じているような表情になる。

 そんな一連の綺麗な司さんの所作に、私は思わず目を奪われてしまう。

 ——何て言うか、司さんは本当に何をやらせても絵になる人ですね。正直……すごくカッコいいです。

 って、何ボーっとして馬鹿な事考えてるんだろ私。早く私も何かお願いごとしないと。司さんが先に終わって待たせるなんて絶対にしたくない。そう思って私は、急いで司さんと同じように一連の参拝の動作を行い、柏手を打って願い事を考える。

 

 願う事はもう決まっていた。

 高校合格? それは私自身が努力して叶える事。神様に縋る事じゃない。

 プロのベーシストになれますように? それも私が努力して叶える事。神様に頼りたい願いじゃない。

 

 私は思う。“願う”という事は、自分自身の心の中に描いている遠い未来の理想を“想う”事。

 だからこそ、私の願いはただ一つ。

 

 

 

 司さんと、これからもずっと一緒に居られますように。

 

 

 

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 

 参拝を終えた私と司さんは、社務所前で参拝客に無料に振舞われている暖かい甘酒を飲んでいた。

 冬の外気に晒されて冷えた体に、お米由来の優しい甘さがあるとろみのついた暖かい飲み物がじんわりと染みわたる。

 

「ふぅ……美味いし暖かいな」

「そうですね。普段はあまり飲もうとは思わないですけど、こんな時に飲むのはうってつけですね」

 

 そう言って、満足そうに頷く司さんに私は頷きを返した。

 そんな私に司さんは、ちらりとお守りを売っている[[rb:授与所>じゅよしょ]]を見て笑みを浮かべながら言う。

 

「よし、来たついでだ。合格祈願のお守りを買ってやろう! 何が良いか選ぶと良い!」

「え、いやいいですよ。そんなの司さんに悪いです」

「何、勉強で忙しい者をこんな夜遅くに連れ出してしまったんだ。ならばこれぐらい報いなければいけないだろう、だから遠慮せず選べ!」

「もう……わかりました。司さん相手にはどうせどれだけ遠慮しても無駄なんでしょうし、素直にご厚意に預からせていただきます」

「フ、よく分かっているではないか!」

 

 そう言って私は司さんと一緒に紙コップを捨ててから、隣の授与所に行って沢山並んだお守りやお札の数々に目を落とす。

 それにしても、こうしてお守りなんてじっくり見る機会無かったけど、改めて見てもお守りってこんなに色んな種類あるんだ。交通安全、厄除け、金運、商売繁盛、無病息災、必勝祈願——そして、合格祈願。

 

「お守りってこんなに沢山あるんですね。今まで自分で選んでお守りなんて買った事なかったですから、こうしてみるとすごいって思います」

「そうか、まぁ志歩だったらそんなものなのかもな。だが、オレなんて去年は父さんに、金は出すから合格祈願を5個は買ってこいと言われたぞ?」

「ふふっ……司さんは随分勉強の事お二人に心配されてたんですね。合格出来て良かったじゃないですか」

「な、笑うな! 全く、他人事だからと気楽に言ってくれて……分かってるのか? 今年はお前の番なんだぞ? もっと真剣にだな……」

「いえ、そんな他人事だなんて思ってないですよ。しっかり、私だって司さんが頑張って欲しいって思ってましたから」

「む……本当か?」

「本当ですって」

 

 そんな少し拗ねた司さんを見て微笑ましい気分になってしまいながらも、私は改めてなんのお守りを選ぼうか考えていた。

 合格祈願のお守りでもいくつか種類はあった。色だったりデザインだったりと色々。

 私は折角買ってもらうんだから、気に入ったデザインのものにしたいという気持ちで眺めながら選んでいると、ふとその隣にあるお守りに目を奪われる。

 そのお守りの名は——

 

縁結(えんむす)び………」

「縁結び……? 縁結びのお守りがどうしたんだ? それが今お前に関係あるのか?」

「いっ、いえっ! なんでもありません! お願いですからさっきの私の発言は気にしないでください!」

「な、なんだ急に……まぁいいが」

 

 ああ、馬鹿馬鹿馬鹿! どうして口に出しちゃったの私は……反省しなきゃ。いや、でも——これなんじゃない? 私の今一番欲しいお守りって、合格祈願じゃなくてこれじゃない?

 いやいやいや、何考えてるの私……! 今は合格祈願でしょ。それに、今この場で縁結びのお守りが欲しいなんて事言えるの? 口が裂けても言える訳ない……!

 

「はい! 合格祈願のお守りはこれがいいです! 買ってください!」

「あ、ああ……随分急いで選んだな。本当にコレでいいのか?」

「良いんです! 真っ赤で、やる気が出るようなデザインじゃないですか! 私コレに決めました!」

「分かった、そこまで言うならコレを買おう。すいませーん!」

 

 そう言って司さんは、合格祈願のお守りを持って巫女さんに話しかけてお金のやりとりをする。

 そうして無事に、私は赤い合格祈願のお守りを司さんにプレゼントしてもらった。

 

「ありがとうございます司さん。これがあればとっても心強いです」

「ああ! それで当日も頑張るんだぞ志歩!」

「はい、大切にさせていただきます」

「よし、ではこれで用も大体終わったな。そろそろ帰るとするか」

「そうですね。あまり遅くなるといけませんし————あっ」

 

 そう言った司さんについて帰ろうとした時だった、ふと横目でおみくじがあるのを発見し、私は足を止めてしまう。

 

「む? どうした志歩?」

「あっ、いえ……なんでもありません」

「……あぁ、おみくじを見ていたんだな。アレをやりたいのか?」

「違います。やりたいとかそういうのじゃなくて、少し思い出してしまった事があっただけなので気にしないでください」

「そうか、まぁ悪い結果が出てしまえば縁起が悪いからな——っと、思い出したぞ。そういえば小学生の頃に、穂波(ほなみ)が毎年必ず大凶を引いて泣いていたな……もしや、思い出したのはその事か?」

「っ……!」

 

 そんな司さんの推察は全部当たりで、私は思わず言葉を詰まらせてしまう。

 そう、私は穂波の事なんて全然振り切れていなかった。確かにあの時は、このまま穂波が離れていくなら好都合だなんて強がった。

 でも、私はどうしても心のどこかで穂波の事を諦められていないのか、こうして事あるごとに穂波の事を思い出してしまって、その度に今の穂波の事を思い出して悲しくなってしまう。

 こんな事繰り返していつまでも未練がましいって、自分でもそう思ってる。でも——

 

「……志歩、もしや穂波と何かあったんじゃないのか? だからお前は今、そんなに辛そうな顔をしているのではないのか?」

「————えっ?」

 

 そんな時、司さんの口から予想もしていなかった言葉をかけられ、私は思わず目を見開いて司さんの事を見てしまう。

 そんな私を見て、軽くため息をつきながら司さんは言う。

 

「その反応……やはりか。先ほど一歌と咲希と仲直りをしたという話はあったが、穂波の件には一切触れられていなかったからな、気になっていたんだ。志歩、お前はオレの事をよく無神経だと言うが、そんなオレでも流石にそれぐらいは分かるぞ?」

「司さん……」

「全く……やはりお前には、悩み事は秘めておくという悪い癖があるようだな。だが忘れてくれるなよ? お前の目の前に居るのはこのオレ! 未来の大スター天馬司だ! 真のスターは悲しんでる者を決して見過ごさない! そんなオレを前にして、辛い気持ちを隠しておけると思うなよ志歩? だから、安心して話せ志歩。このオレがお前の抱えたモノを全て受け止めてやる」

 

 そう言って、まるで夜空に輝く星のような輝く笑みを浮べる司さんに、私は胸の辺りがきゅぅっと締め付けられるような甘い痛みを感じてしまう。

 あぁ……私、本当に貴方の事が好きです。どこまでも貴方って言う人には、私は敵わないんですね。

 分かりました。だったら——

 

「その……聞いてくれますか? 私の話を」

「ああ! 勿論だ!」

 

 そう言って胸を張る司さんに、私は穂波の現状を全て打ち明けるのだった。

 そして全てを聞いた司さんは、静かに頷く。

 

「そうか……そんな穂波の姿を、志歩は見てしまったのだな?」

「はい……穂波、私達ともう話してくれる気なんてもうないような態度で……いえ、その事自体に私が文句を言える立場になんて無いのは充分分かってるんですけど、それでも……私は、どうしたら良いのか分からなくて」

「成る程な……よく分かった」

「司さん……私は、一体どうしたらいいですか? 私にはもう、よく分かりません」

 

 私がそう司さんに問いかけると、司さんは暫く難しい表情をして黙ってしまう。

 とうしたんだろう司さん。まるで、何か悩んでるような……?

 だけど、暫くすると司さんは軽く自分の頭を横に振って、まるで気を取り直したかのように口を開く。

 

「——志歩、オレなりに色々考えたが、やはりお前に言える事はただ一つだ。志歩……お前は、一体穂波をどうしたい?」

「穂波を……ですか? そんなの、私がどう思ってようと本人があれじゃ結局——」

 

 そう言って俯く私に、司さんは私の方に顔をズイっと寄せ、有無を言わせないかのような口調で言う。

 

「志歩、オレはお前がどうしたいのかと聞いたぞ? 穂波がどうかは関係ない。お前がどうしたいかの望みを言え」

「私が……どうしたいか?」

「ああそうだ、お前はいつだってそうだったじゃないか。時に迷う事があっても、必ず自分の志だけは曲げたりしない。そんなお前だったらもう、自分がどう在ればいいのか答えは見えている筈だ」

「私は……わ、私は……」

 

 そこで司さんは私の両肩に手を置き、それでも迷ってしまう私の心を眩く導く光のような声を上げる。

 

「思い出せ! お前にとっての穂波は、どんな存在だった!? お前が自分の身を犠牲にしても守りたいと思った穂波という存在は、お前達の事を切り捨てる事を何とも思っていないような、そんな割り切った人間だったか!? ——お前の信じたい穂波は、どんな人間だった!? 思い出すんだ志歩!」

「私にとっての……穂波。私の、私にとっての穂波は……」

 

 司さんに諭されるように私は目を閉じ、穂波と過ごした記憶を辿る。

 そこには——

 

 

『見て志歩ちゃん、あの明るく目立つ三つの星が『デネブ』と『アルタイル』と『ベガ』って名前でね、この三つを繋げて『夏の大三角』って言うんだよ?』

 

『見て見て、昨日作ったアップルパイが本当に美味しいの! みんなにも食べて欲しくて持って来たんだよ、だから食べて?』

 

『志歩ちゃん、こんな所で一人で居てもどうにもならないよ。咲希ちゃんに怒り過ぎてごめんねって謝りたいんだよね? 大丈夫、わたしも一緒についていってあげるから、ちゃんと咲希ちゃんにごめんなさいって言おう?』

 

 

 私の記憶の中では数々の穂波との思い出が浮かび、そのどれの思い出の中にも優しい笑顔で微笑んでくれる穂波の姿があった。

 私が本当に好きだった、優しくて強い穂波の姿があった。

 でも、そんな穂波はもう——

 

 

『でも——だからって諦められる?』

 

 

 そんな私の脳裏に再び浮かんだのは、今でも私の記憶の奥深くに残り続ける高木(たかぎ)さんの言葉だった。

 そうだった……私、忘れてた。私は、諦めの悪さだけは人一倍だった。

 だからいつだって、私の心は決まってる。

 そんな決意を新たにし、私は顔を上げて真っすぐに司さんを見据えて言う。

 

「私は……穂波の事を諦めたくありません。絶対必ず、いつかまた一緒に居られる日が来る事を、私は待ち続けます」

 

 私がそう宣言すると、司さんは少し安堵のような表情を見せた後、満足そうに微笑む。

 

「——ああ、そうだろう? お前だったらそう言うと信じていたぞ、志歩。それでいいに決まっている。オレは決めたぞ……お前に穂波の事は託す。だから、決して穂波の事を諦めてくれるなよ志歩」

「わかりました。司さんに言われなくても諦めません。だって私は、諦めの悪さだけは人一倍なので」

「……フ、流石だな志歩、それでこそオレが認めた友だ。お前のような人間ならばきっと必ず、いつか欲したものを全て手に入れる事が出来るだろう!」

 

 そう言って頷く司さんに対し、私は穂波の事でどうしても気になる事を口にする。

 

「それでも司さん、穂波は一体どうして私達の事よりクラスの子を優先するようになってしまったんでしょうか? それが私には分からなくて……」

「……志歩、それに関してオレは何も言う事は出来んが、だがいつぞやフレイアも言っていただろ? あの日のあの言葉がヒントになるんじゃないか?」

「え、フレイアさんが? 何をですか?」

 

 思わず尋ねてしまう私に、司さんは言う。

 

「『人間は誰しも事情を抱えている』……だから、嘗てのお前が理由なく一歌達を避けていたわけではなかったように、穂波もそうするしかない心の悩みを抱えているんだと、そう思ってやる事はできないのか?」

 

 そう言われた瞬間、私は穂波の言動が許せないばかりに視野が狭くなってしまっていた事に気付く。

 そっか、その可能性を考えてもみなかった。穂波もきっと、何かをずっと悩んで決めたことがきっとあるんだ。だったら……私はそれを信じないと。

 そんな覚悟を胸に刻みながら、私は自分にも言い聞かせるように司さんに言う。

 

「そうですね司さん……私、今まで穂波の事を考えられていなかったのかもしれません。私は決めました。穂波が、今でも私が知ってる穂波のままだって事を。信じて……また、穂波の心が事情を話しても良いって思ってくれるまで、私は待ち続けます。例え、違う高校に行っても……私は絶対に穂波の事を忘れずに待ち続けます」

 

 私がそう宣言すると、司さんはニヤリと笑う。

 

「よし——なら、ここで神様とやらに聞いてお前が選んだ道が正しいという事を証明してやろうではないか! すみません! おみくじ2枚よろしくおねがいします!」

 

 そう言って司さんは勢いよく硬貨を受付の巫女さんに出し、クジの入った長い缶を持ってジャラっと私に突き付けた。

 

「——さぁ、クジを引け志歩! お前の強い意志は、決められた運命すらもねじ伏せて己に従える事が出来るのだと証明してやれ!」

「え、どうして急におみくじを……」

「良いから! 引け!」

「うっ……わ、わかりました。引けばいいんですよね……!」

 

 私は司さんに押されるようにしてクジの入った缶を手に取る。

 そして、振って中から出てきた棒に書かれていた番号は12番。

 その番号を告げて受け取った紙に書かれていた私の運勢は——

 

 

運勢  末吉

 

願望(ねがいごと) おそいが叶う。精進せよ。

待人(まちびと) 待ち人来るがおそい。

失物(なくしもの) 高いところにあり。

商売(しょうばい) 地道な利益あり。

学業(がくぎょう) たゆまぬ精進第一。

争事(あらそいごと) よき助言者あり。

恋愛(れんあい) 困難を越えれば成就する。

 

 

 そんな、大吉みたいに劇的に良い結果でもなくて、また穂波のように大凶というとんでもなく悪い結果でもない。

 良くて喜ぶことも、悪すぎて笑い話にも出来ないような、そんな何とも言えない結果。

 どこまでも現実的で——でも、それでいてとっても私らしい結果だと私は思った。

 

「さぁ、どうだった? 志歩」

 

 そう尋ねる司さんに、私は少し笑みを返しながら答える。

 

「どうやら、待ち人は……来るけど遅いそうですよ?」

「つまり、待てば必ず来るという事だな? ほら見ろ、オレの言った通りではないか! お前は必ず、その意志で伸ばした手の先で望むものを必ず手に入れられる! だからこれからも、自信を持って頑張るといい!」

「ふふっ、なんなんですかその応援の仕方は……でも、ありがとうございます。私、お陰でやっと自分がどうしたいのか吹っ切れる事が出来ました。これで、迷う事なく勉強に集中できそうです」

「ハーッハッハッハ! 当然だ! だからオレにまかせておけと言っただろう? なにせ、オレは未来の世界的大スターなのだからな! ハーッハッハッハ!」

 

 そう言って大笑いをする司さん。

 私はそんな司さんに、今までよりも一層大好きになってしまった想いを込めて——今までの私だったら絶対に言わないだろうなって、自分でもそう思ってしまうぐらいに“らしくない”言葉を、素直に告げる。

 

「——はい、そうですね。司さんはもう立派な……私のスターです。そんな司さんなら絶対に、未来は世界に羽ばたく大スターになれるって……そう私は信じてますから」

「なっ……志歩、お前っ……!?」

 

 そんな私の言葉に、司さんは私がまさかそんな事を言うなんてと驚いたのか、これ以上ないぐらいに目を見開く。だけど、その数秒後すぐに大笑いする。

 

「ふっ……アハハハハハ! 仕方ないな! あの志歩にそうお墨付きを貰ってしまったのであれば、オレもいよいよもって本気でスターを目指して頑張らねばならんな! よし! 決めたぞ! オレは今年はスターとして飛躍する一年にしてみせる! だから必ず、そんなオレの姿を目に焼き付けるのだぞ志歩!」

「ええ、勿論そうします。その為に絶対に司さんの高校に合格してみせますから……待っててくださいね?」

「勿論だ! 待っているぞ志歩! 頑張れ、お前の受験をオレは応援しているからな!」

「——はいっ!」

 

 そんな言葉を交わし、私の初めての司さんとのデートは幕を閉じた。

 

 私は司さんに送られて家に帰って、司さんがくれた合格祈願のお守りを目に見える所に大切に置きながらノートと参考書を再び開いてシャーペンを取り、この日の深夜はついつい夜遅くまで勉強に夢中になってしまう。

 

 

「司さん、私は頑張ります……! 絶対に、貴方の傍にこれからも居続ける為に……!」

 

 

 だって、言いましたよね司さん? 私は、求めるものは必ず手に入れられる人間だって。

 

 

 だから私は、この伸ばした手の先に求める貴方が居る事を、それを信じて頑張ります!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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