それから二ヶ月なんて時間はあっという間に過ぎて、受験日当日。
私は宮女の制服を着て上からコートを羽織り、神山高校の校門前で肌を刺すような寒さを堪えながら受験票を握りしめていた。
「うぅ……寒い。こんな日に限ってこの冬一番の冷え込みなんて……ツイてない」
あまりの寒さに思わずそう言葉を漏らしてしまうけれど、周りを見ると沢山の人達が寒さを堪えながら校門をくぐっていた。
その人達の多くが、真剣な目で前を見据えながら学校の中へと入っていく。
それを見た後で、私はカバンに付けた司さんから貰った合格祈願のお守りを見る。
……そうだった、条件はみんな同じだった。
きっと、誰もがこの神山高校って場所にそれぞれの想いを抱いて、そして今日のこの受験っていう日にかけて今まで努力してきたんだ。
「だったら、私もこれぐらいで負ける訳にはいかないよね。努力の量だったら、私は誰にも負けない」
手に持った受験票を見つめて決意を新たにし、私は前に一歩踏み出そうとしたその時。
ビュゥと強く、北風が吹きつけて私は堪らず目を細める。そして、まさかの緊急事態が発生してしまう。
「あっ、しまった! 受験票が……!」
手に持った受験票が、急な北風で飛ばされてしまった。
私は思わず血の気が引くのを感じながら風にさらわれる受験票に手を伸ばして追いかけるけど、私の身長じゃ届かなかった。
どうしよう。受験票って再発行してもらえたっけ? でも確か手続きに時間かかったよね? ああもう、バカ私。立ち止まって考え事してるからこんな事に——と、私は諦めかけたその時だった。
「——よっと」
——トンッと高く、同い年ぐらいの一人の男子中学生が軽やかに跳躍し、宙に舞う私の受験票を目の前で簡単にキャッチしてしまった。
「……ふぅ、取れた。受験票なくしちゃう所だったよ、再発行できるって言ってもめんどくさいでしょ? 気をつけてね」
「えっ……!? あ、ありがとうございます……助かりました」
そう言って私は受験票を受け取りながら、その人の事を見る。
——私がその人を見た一番最初の印象は、とっても目鼻立ちが整っていて、薄桃色の長い髪を頭の後ろで三つ編みにして纏めた、女の子だと言っても全然違和感が無いほどにとっても可愛い人だった。
でも、それでもどうして私がその女の子のように可愛い子を男子中学生だと思ったのかというと、判断材料はその中学校のブレザー姿だった。
その人は、制服である
その可愛い男の子は、お礼を言う私に対して逆に困ったような笑みを浮かべた後、まるで全ての物事に冷めたような目つきで、少しだけ冷たく突き放したような口調で私に言う。
「あぁ……いや、ボクに別にお礼なんていいから。目の前で受験票をなくしそうになってる人が居たから、つい思わず助けちゃっただけ。だからそこまで気にしないで、さっさと行きなよ」
「いや……でも……」
「あぁ……うん、まぁとりあえず気にしないでって事。じゃ、ボクこれで行くから」
そう言って、その人はまるでこれ以上私と深く関わるのを避けるように先に進む。
その人の後ろ姿を見ながら、私は思う。
——なんだろうあの人。
口調も態度も冷たいって感じなのに、その心の性根が優しいような、そんな人柄が滲み出ているような感じがする。
だってそうでしょ? 『つい思わず助けちゃった』って事は、それってなんの見返りも期待しない、本当の善意で行動したって事だよね。そんな事、中々出来る事じゃない。
それにもう一つ、私があの人の事をここまで気にしてしまう理由があった。あの人の冷たい薄紅色の瞳を見た時、私は本能的に思ってしまったのだ。
この人、司さんと正反対みたいな人だって。
司さんはその瞳に、自分の強い想いと世界に対する希望を宿してその目を強く輝かせているけど、この人はこの世界の全てを諦めて斜に構えたような冷めた目をしながら——その瞳の奥に、司さんに負けないぐらい譲れない“信念”の輝きのようなものを宿していたから。
それは、まるで司さんを皆に愛されている輝く太陽に例えるならば、その人は暗い闇の中で静かに強く輝く月のような、そんな独特な人を惹きつける引力のようなものが、その人にはあった。
そんな男の子の進む背を見て、ようやく自分も行かないといけないのを思いだした私は、慌てて歩を進める。
そしてその男の子を追いかける形で校舎に入って上履きに履き替えていると、目の前で私より一足早く上履きに履き替えた男の子が、受付の先生に受験票を手渡して身分証明の為に自らの名前を言っていた。
「シブヤ区立葦原中学校三年、
——暁山瑞希。
あの人、そんな名前なんだ。
そんな事を軽く思いながら、もう先に行って見えなくなってしまった人の名前を何故か私は頭に刻んでいた。
そして私も受付を終え、無事に指定された教室に入る事ができた。
すると、その教室には何と信じられない事に、最前列の窓際の席にはさっきの男の子が頬杖をついて、窓から外をボーっとした様子で眺めていた。
「嘘……同じ教室なんて、凄い偶然。どうしよう、一応さっきのお礼また改めて言った方がいいかな……?」
それを後ろの席から見つけてしまった私はそう呟いて少し悩んでしまう。
だけど、その周りの人達が全員参考書や単語帳を開いたりしているのを見て、すぐにそんな事している場合じゃなかったと思い直す。
そうだった、私は司さんの為にも自分の為にも、この学校に絶対合格するんだ。
確かにすごい偶然だけど、今はそんなの後。今は英単語とか歴史の人物名の記憶漏れがないかどうか確認しなきゃ。
——と、最後の確認をしようと思った時、私は暁山さんの異質さに気づいてしまう。
え……待ってあの人、さっきから問題集も参考書も何も開かずにずっと窓から外を眺めてるだけなんだけど……最後の確認とか、そんなのしないの?
そう思って改めて暁山さんを凝視すると、なんと暁山さんは事もあろうかその場で軽く欠伸をして、しかも机の上にうつ伏せになって眠り始めてしまった。
え……貴方、この高校を受験しに来たんだよね? まさかそんなに余裕なの? 私は必死で今日まで勉強してきたのに……く、何だか悔しい……い、いやいや、今は暁山さんの事なんて気にしてる場合じゃないって。それより、今は私だ。切り替えろ。切り替えろ——
「あぁぁぁぁぁ……全っ然覚えてる気しないよぉ……! 英文とかナニコレ、何言ってるのか全然分かる気しない……! どうしよう、まさか、私っ、お、落ち——? い、いや、そんな事言ったら駄目だって私っ……言霊って言うじゃん……! うぅっ……こんなの、ステージの上で歌うより何十倍も緊張する……! どうしよう……!」
と、私がそう思って切り替えようとした時だった、隣の席から問題集を真っ青な顔で食い入るように見つめている、長いウェーブのかかった黒髪で毛先が青みがかった色をしたの女の子の口からパニック寸前の
それは、今でも窓際の席で余裕な暁山さんとは、どこまでも正反対の姿だった。
私は思わずその人に声をかけてしまう。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「——あっ。す、すいません……もしかして私、口に出ちゃってました?」
「え、ええ……小さいですけど、すごく聞こえて来ました」
「ご、ごめんなさい……! 静かにしますから……!」
そう言って、その女の子は再びパニックになった涙目で問題集に目を落とす。
……なんだか、自分よりも慌ててる人を見たら落ち着くっていうのは本当みたい。さっきまで少し慌ててた気持ちが嘘のようにどっかに行っちゃったから。
でも、この子心配だな……こんな時、司さんだったらどうするんだろ? うん、司さんだったらきっと——
そう思って、私はその子に声をかける。
「——きっと、大丈夫ですよ」
「……えっ?」
そうポカンとした顔でその子は私の方を見る。
そんなその子に対して、私は司さんがいつもそうしているように、安心させてあげるような笑みを浮べて言う。
「あなたの事はよく知りませんけど、それでも、その今あなたが開いてる問題集にすごく書き込みがされてて、それを見るだけで今日まであなたが熱心に勉強してきたんだなって、それが分かりますから」
「——あ」
「……ですから、落ち着いて頑張って下さい。きっとその努力は、あなたの事を裏切りませんよ? そして……無事に一緒に、この高校に合格しましょうね」
私がそこまで言い切るとその人は急に、感極まったように私の手を握って涙目で言う。
「~~~っ! あ、ありがとう! 私、なんだかやれる気がしてきた! あなたのお陰だよ! 絶対、一緒に合格しようね!」
「えっ……あの、その……」
「私、緑ケ丘中学三年の
「え、ええっと……日野森志歩です。よ、よろしく……?」
「うん! よろしく!」
私はぐいぐい来るその子の圧に押されて、思わずたじろぐ。
すごく元気な子だな……あっ、分かった。きっとこの子陽キャだ。不動のクラスの中心タイプの子だ。私にはわかる。だってずっとクラスの日陰から見て来た私は詳しいんだ。
——でも、この子には学校に居るアイツらみたいな嫌な感じはしない。この子みたいなタイプの明るい子も居たんだね。
私はそんな事を考えながら、静かに椅子に座って上着を脱ぐ。
すると、隣の白石さんが私の制服を見て驚いたような声を上げる。
「え、その制服って……もしかして日野森さんって“あの”宮女?」
「あ……! う……うん。そう、ですけど……それが一体どうしたんですか?」
そう白石さんに言われた瞬間、私は今の自分の着ている制服が悪目立ちをするリスクを孕んだ制服である事に気付いて一瞬で凍りつく。
——そうだ、制服指定って言われたから正直にこの服で来たけど、何で今までこうなる可能性に気づかなかったんだろ。分かりにくいように、セーラー服の上から室内でも羽織って不自然じゃないカーディガンでも持ってくればよかった……。
宮女はシブヤの中でも有名な女子校で、中高一貫だって知ってる生徒も沢山居るはずなのに、そしたらどうしてわざわざココを受けに来たんだろって思いたくなる人は絶対居るはず。もしかして、白石さんも——?
だけどそんな私の心配は一瞬で杞憂で終わった。白石さんは私の焦ったような表情を見て一瞬キョトンとした後、すぐに何かを察したような笑みを浮べてこう言った。
「——へぇ、すごーい、珍しいね! あぁ……私、実はずっと宮女の制服可愛いって思ってたんだよねぇ、まさかこんなに近くで見られる機会があるなんて……」
「白石さん……そうなんですね、だったら……良かったです」
「さ、そんな事より最後の追い込みしようか日野森さん。絶対、一緒に合格しようね!」
私はそれを聞いて、すぐにこの白石さんは私が色々事情を抱えてしまっている事を察して、当たり障りのない話題に変えてくれた事に気付く。
——この子、本当に今まで会ってきた人達と何か違う感じがする。
どこまでも明るくて前向きで、それでいて何も考えてないように見えるけど、誰よりもずっと他人の事を見て気遣ってくれる優しい子だ。
こんな子、宮女の中じゃ見た事もない。
……へぇ、そうなんだ。今まで私が遠ざけてきた他人の中にも、探せばこういうしっかりした子もこの世にはちゃんと居るんだ。世間って……案外捨てたモノじゃないのかもね。
それを知れただけでも、今日ここに私が受験しに来た意味はあったのかもしれない。
そう思いながら私は少しだけ笑みを浮かべ、隣の白石さんを見て言う。
「——ありがとうございます、白石さん。頑張りましょうね」
「うん! よーし、やるぞー!」
白石さんはその気合と共に、今度こそ熱心に英語の問題集に目を落とす。
それを横目で見た後、私も最後の自分の弱点の要点をまとめたノートをもう一度読み直し始める。
——そして、30分後。
ついに私の運命を決める、受験の開始を告げるチャイムが鳴り響くのだった。