それから数日が過ぎ、三月中旬。
私の通う宮益坂女子学園の中等部では、例年通り卒業式が執り行われていた。
春の木漏れ日が差す体育館内で、バーチャル・シンガー初音ミクの代表曲で、有名な卒業ソングでもある『桜ノ雨』を歌う生徒達のコーラスが響く。
そんな中、私も今日ばかりはみんなと同じように合わせて歌いながら、静かに考え事をしていた。
今日でこの学校ともお別れか——結局、私はこの学校に何しにきたんだろうな。
そんなこと、考えたってどうしようもない事は勿論分かっている。
でも、それでも考えずには居られなかった。
私は結局、最後までこの学校には馴染めなかったし、そして四月からはここの生徒の大半がそうであるように、この学校の高等部に進むんじゃなくて、私は神高の生徒になる。
だから多分、私に嫌がらせのように色々言っていた人達は、私が逃げたんだって思うんだろうな。
そして仲間の内でこう言うんだ。
『やった、勝った』『私達はアイツを追い出したんだ』『これぐらいで逃げ出すとかメンタル終わってる』——とか、そんな色んな適当な言葉を。
でも、そんなのはどうでもいい。私の事を悪く言いたかったら勝手に言ってろ。
私はアンタ達みたいな人間に、合わせて生きるような人生を送りたいんじゃない。私は、私が私である事を認めて、そして応援してくれる人のところで生きるって——私が一番なりたい自分になれる場所で生きるって、そう決めたんだ。
だからもう、こんな場所なんかに何も未練なんかない。
この気持ちだけは強がりなんかじゃ絶対にない、本物だ。
■ ■ ■ ■ ■
卒業式が終わり、教室内で高等部に進学してからの事を仲間内でいろいろ賑やかに話し合って、卒業アルバムを開いて楽しげに書き込みをしている人達を尻目に、居心地の悪かった私は一人教室を抜け出していた。
教室を出て廊下を歩いていると、窓の外の中庭では他の子達が親と一緒になって記念撮影をしたり、仲間内で集まってお世話になった先生に花束を贈っている様子も見える。
その中には、
……ほんの少しだけ、最後に一言だけ穂波に何か言おうかと思ったけど……でも、あの空気に私が横入りして、穂波の今の努力を無駄にするわけにはいかないか。
そう思って私は、穂波には何も言わずに行く事を決めた。
母さんには仕事の事もあるから元々今日は来ないで大丈夫って言っているし、特別お世話になった恩師も居ない私には、その両方も必要のないイベント。
じゃあいったい、今の私はどこに向かっているのかと言われると、私はこんな自分にとって唯一の、宮女で思い入れのある場所に向かっていた。
その場所は、学校の屋上。
私は今でも記憶に残っている2年前に屋上で出会ったあの子、
『でも——だからって諦められる?』
多分、今の私はあの言葉から始まったんだと思う。
人間関係の全ても、一歌達と一緒に居る事も、全て諦められたら楽だったのに、そうしたくない自分がいるって気づかせられたあの言葉のお陰で……今の私はある。
だから、そんな恩人でもある高木さんとの思い出の日々に少しだけ浸りたくて、私は屋上に向かっていた。
司さんに助けて貰ったあの日から結局、今まで一度も向かう事がなかった、久しぶりの思い出の場所を、最後に一度だけ目に納めたくて。
そんな場所を目指して階段を一段一段登り、そして屋上の扉に手をかけてゆっくりと開く。
すると——
「ワン、ツー、スリー、フォー! ワン、ツー、スリー、フォー!」
そこには、可愛らしいラッコの生き物がプリントされた運動着のシャツに着替えた、元気そうな可愛らしい茶髪の女の子が笑顔で踊っていた。
え……あの子まさか、卒業式の日に踊りの練習してる? なんで?
そんな光景に私は思わずあっけにとられて見ていると、唐突にその子の頭上にカァカァと鳴くカラスの集団が通り過ぎたかと思えば、その中の一羽が落としたフンがベチャリとその子の頭に直撃する。
「ワン、ツー、スリー……きゃっ!? えっ、何っ!? 何が落ちて……って、えっ!? と……鳥さんのうんちっ!? そんなぁ! 最悪だよ~~!」
その子は慌てて私の目の前で、傍に置いてあったミネラルウォーターを手に取り、それを頭にバシャリとかけたと思えば、その場で膝をつきながら涙目でゴシゴシと頭をタオルで拭き始めた。
え……うわ、誰だか知らないけどあの子、カラスのフンが頭に当たるなんてすごい不運。
もしかしたら、不運さならおみくじ毎年大凶の穂波以上かも。
そう思っているとようやく汚れは取れたのか、その子は涙目でため息を吐く。
「はぁ~、わたし呪われてるかも……」
しかし、そう呟いた後でその子は勢いよく首を横に振り、さっきの弱音を振り払うように言う。
「だ、だめだめ! こんな事ぐらいで落ち込んじゃ……!
そう大声を出し、その子は再び立ち上がった。
……すごい、あの子。とってもガッツのある子だな。フレイアさんが気に入りそう。
そんなことを考えながらまだ見ていると、ついに私の存在に気付いたのか、その子は大きく目を見開いた。
「あっ! ご、ごめんなさい! わたし、てっきり今日はここに誰も来ないかと思っちゃって……! すぐ別の所に行きますから!」
「あ、いえ、別に大丈夫です。ちょっと一人でここに来たい気分なだけだったので、別に邪魔とかそんなの……」
「あ……そうですか? ならいいですけど……」
そう言ってその子は帰り支度をやめた。
この子、少しそそっかしいな。むしろ、申し訳なく思うべきなのは練習を邪魔しちゃった私のほうなのに。
「その、どっちかって言うと、貴女の練習の邪魔をして私の方が悪いなって思うんですけど……でもそれにしても、どうして今日ダンスの練習をしてるんですか? 今日って、卒業式ですよね? わざわざこんな日にしなくても……」
私がそう問うと、目の前の子は照れ臭そうに頭を掻きながら答えてくれた。
「そ、それはぁ……えへへっ、実はわたしアイドル目指してて。それで昨日書類選考がやっと通って一次面接があるって連絡があったんです。だからわたし嬉しくて嬉しくて……! 今日だって居ても立ってもいられなくて、一緒に居た友達に断ってからここで練習してるんです!」
その子の言葉に、私は納得を覚えた。
そっか、この子、アイドル志望の子だったんだ。だったら、やっぱり邪魔なのは私の方だよね……帰ろう。
「そうだったんですか、じゃあ邪魔なのは私の方ですね。すみません、私は帰るのでこれで」
そう言って踵を返すと、アイドル志望の子は私の肩をガシッと掴んで止めた。
「あ~~~!! 待って待って! 大丈夫だから! わたしも邪魔じゃないから! 居てて大丈夫だよ!」
「えっと……その……私は別に大した用事じゃないですし……」
「そんな事ないって! だって、その青色のネクタイ私と同学年だからあなたも卒業生でしょ? この校舎に通う最後の日に、この場所を選んで来たんでしょ!? だったらここはあなたにとって何か思い出の場所なんだよね? じゃあ大事だよ~! 居て? わたしの事は、喋って動く置物とでも思ってくれて良いから!」
「えっ……? ふっ、フフッ……しゃ、喋って動く置物って……何それ……」
私は、その子の言葉に思わず吹き出してしまう。
この子……なんだか、和やかな雰囲気の子だな。なんだか喋ってて自然と気安く接せるような、そんな不思議な魅力があるような気がする。
そんなアイドル志望の子は、私が笑ったのを見てニコリと笑って言う。
「わたし、普通科3年C組の
「あ、私は……普通科3年B組の日野森志歩……」
「へぇ……そうなんだ。初めまして! 日野森——志歩ちゃんだね! よろしく志歩ちゃん! わたしの事はみのりちゃんって呼んでくれて良いよ?」
「え、いや、会ったばかりでみのりちゃんは流石にちょっと……」
そう言って躊躇う私に、その子はさらに明るい笑顔になって言う。
「大丈夫! わたし全然気にしないよっ! むしろ気楽に呼んでくれる方がわたしも嬉しかったりするから……どうかな?」
最後に小首をかしげて私の意志を訪ねてくるその無邪気な仕草に、私は思わずその微笑ましさに笑ってしまう。
「……ふふっ、わかったよ。よろしく、みのり」
「うんっ! 宜しく志歩ちゃん!」
だから私は、気づけばそう言ってしまった。
するりするりと、まるで笑顔で私の心の内側まで接近するように、この子は私との会話のペースを自然に掴む。
気付けば、初対面なのにタメ口と下の名前で呼ぶのが違和感を感じないぐらいに、心の距離を接近されてしまった。
すごい、流石アイドル志望の子。私の心の他人に対する警戒心を一瞬で剥がされた。
この子……最初はそそっかしい子だって思ってたけど、誰かと仲良くなる事がとっても上手い。天才的な愛嬌の持ち主だ。まるで例えるなら、ペットショップで売られている豆柴犬みたいな、そんな雰囲気がある。
こんな子がアイドルになったら、きっとすごいんだろうな。
クールな完璧美人を売りにしてるお姉ちゃんとは真逆の客層から支持されるような、そんな愛嬌のある人気アイドルに、きっとなれる。
そう思って、ほんの少しだけ尊敬の目で見てしまっていると、みのりは突然何かに気付いたような表情になった後で、おずおずと躊躇いがちになりながら私に尋ねてきた。
「あ、あのぉ……志歩ちゃん? ちょ、ちょっと聞いてもいい?」
「え? どうしたの?」
「えっと……違ってたらゴメンなんだけど、ひょっとして志歩ちゃんの苗字の日野森って、“あの” 『Cheerful*Days』の日野森
その表情に、私は一瞬で察する。
ああ……この子。私のお姉ちゃんのファンだ。
まぁ、別にそれは隠す事じゃないから良いんだけど……でも、あれ? さっきこの子、
そんな疑問を覚えながらも、私は答える。
「うんそうだよ、私のお姉ちゃんなんだ。今は宮女の高等部の芸能科に通ってる」
「えっ! 妹さんなの!? え~! そうなんだ~! どおりでちょっと似てるって思ってた……! 私、あなたのお姉ちゃんのファンなんだ! いつも応援してます! 頑張ってください!」
そう言って興奮気味に私の手を握るみのりに、私は少しだけ呆れてしまいながら言う。
「あの……そういうのだったら、私じゃなくてウチの姉に直接言ってくれたらいいんだけど……」
「あっ、そうだった! ご、ごめんなさい! 私つい……」
「まぁそれはいいんだけど……というか、さっき独り言で遥って言ってなかった? その人の事は別に好きじゃないの?」
そう聞いた瞬間、みのりは目の色を変えて大きな声で叫んだ。
「違うよっ!! 私、遥ちゃん大好き!! 私の一生の推しの子だから!! 金輪際現れない一番星の生まれ変わりだから! 勿論雫ちゃんも好きだけど、遥ちゃんはそれこそケタが違うっていうか……もう、なんか、人生? 生涯? 生きる目的そのものっていうか……、そう! 最推し! それ! それなの!」
「……ふ、ふーん……そ、そうなんだ」
——あっ、察した。この子アレだ。少しアイドルが好きな程度の一般人じゃない。
ガチの筋金が入ったアイドルオタだ。
どいうかこの“推し”に対する熱意、ちょっとシェヴンさんに似てるんだけど……。
「あの……つかぬ事を聞くんだけど、みのりって
「えっ? 匂宮ってあの有名な香水メーカーの社長さんの所の名前だよね? それ以外は知らないけど……何かあったの?」
「あ、いや……別に何でもない」
よかった、この反応だったらシェヴンさんの関係者じゃなさそう。
そうほっとする私に、みのりは遠くを見つめて夢見がちな表情になって言う。
「あぁ……それにしても、志歩ちゃんのお姉さんってすごいよね……月9で出演してるドラマも雫ちゃん人気で視聴率好調だし、ファッション誌だったらどこの雑誌も殆どトップモデル扱いだし、もう順調にマルチタレントとしての道を歩いてるっていうか……」
「あぁ……うん、そう言ってくれる人が居たって伝えとく。お姉ちゃん喜ぶだろうし」
「ほんと!? ありがとう! あぁ……でも、ちょっとわたしが気になるのは、最近は雫ちゃん単体の仕事が多くて、『Cheerful*Days』としてのテレビ出演が少なくて気になってるんだよね。わたし本当は、『Cheerful*Days』でセンターやってる雫ちゃんの方が好きなのに……まぁ、個人のお仕事が忙しいなら無理は言っちゃいけないって分かってるけど……」
そんなみのりの呟きに、私は思わず確かにと思ってしまう。
最近、確かにお姉ちゃんは仕事が多くなった。でも、それはアイドルとしての仕事じゃなくて女優業やモデル業。
お姉ちゃんの本職はアイドルだ。でも、何故か今はユニットメンバー全員でのダンスのレッスンがあるって話もあんまり聞かないし……それに、お姉ちゃんいつもは私に五月蠅いぐらい喋りかけながら引っ付いてくるのに、最近は黙って私を抱きしめて暫くしたら自分の部屋に戻るだけ。
アイドル業だけじゃなくて、他の慣れない仕事もしてるから、疲れてるのかなって思って何も聞かないでいたけど……何か、あったのかな?
「——って、こんな事を志歩ちゃんに言っても仕方ないよね。とにかく、お姉さんに応援してますって伝えてくれたら嬉しいな!」
「あ……うん、わかった。伝えとく」
そんなみのりの笑みに、今はお姉ちゃんの事を心配しても仕方ないかと思い直す。
お姉ちゃんは確かに困った所もあるけど、それでも立派なプロだ。なら、芸能界の事を何も知らない素人の私が変に口出しするのは、逆にお姉ちゃんの迷惑だと思うしね。
でも、もし何か相談事があったら、その時は家族として乗ってあげようかな。
「あ~、それにしても、やっぱり憧れちゃうなぁ……あんな風に、誰かに希望を届けられるようなアイドルに、わたしもなりたいなぁ……」
そう決心していると、空を見ながらみのりはまるで、夢に恋焦がれているかのようにそう呟いていた。
みのり……きっと、本気でアイドルになりたいんだろうな。
よし、これもきっと何かの縁だろうし……もう今日限りで会う事はないかもだけど、それでも何か、この子を応援してあげたいな。
そう思って私は、笑みを作りながらみのりに言う。
「みのりなら……きっとなれるよ、立派なアイドルに」
「——えっ?」
「だって私……正直言っちゃうと、今日の卒業式がとっても憂鬱でさ、この屋上にだって教室に居場所がなくて、仕方なくやって来たみたいなところがあるから」
「そ……そうなの?」
「うん。まぁでも、思い出の場所ってところは間違ってないんだけどね。でもさ、そう思って少しだけ暗かった気持ちが、今みのりと出会ったお陰ですっかりなくなったから」
「……志歩ちゃん」
「だからさ、出会ってすぐなのに私を笑顔にしてくれたみのりは、私にとってはもう、立派な“アイドル”だよ? だから、自信もってオーディション頑張って。もしみのりがアイドルになれたら——私が推すから」
そう言い切ってみのりの目を見据えると、みのりは途端にその瞳を潤ませながら私の両手をギュッと握りしめる。
「あ……ありがとう~~!! すごく元気出たよ~! これで今度こそオーディション受かる気がしてきた! わたし、もっともっともーっと頑張るよ!」
「わっ、ちょっと……おおげさだって、別に泣くほどの事じゃ……」
「ううん、そんな事ないよ! だってわたし、今までずっとオーディションに応募しても、ずっとほとんど書類審査で落とされてて……これで通算47回目のオーディションで、やっと一次面接まで行けたから、実はちょっとだけ緊張してたんだ。でも……そう言ってくれたからわたし、頑張れそう!」
「——え゛っ? 47回……目?」
その思いがけないみのりの事情に、私は思わず目を丸くしてしまう。
「次で47回って事は、その……つまり、それまでの46回はずっとオーディションに落ち続けてるって事? それも……
「い、いや、全部がそうじゃないよ? ええっと……2回は一次面接まで行ったよ!」
「え、
「あ、あははは……でも、その2回も結局、1回目は乗ってた電車がトラブルで急に止まっちゃって遅刻して落選で、2回目はインフルエンザにかかっちゃって……辞退しちゃって」
「うそ……」
信じられない、何て不運なのこの子。
書類審査でも選ばれない、そして選ばれたその2回も不幸でチャンスをフイにする。
これは流石に、『運が無かっただけ』って自分に言い訳できる範疇を遥かに超えてる。
それこそ、この世界にとって自分は生きていちゃいけない存在なんじゃないかって、そう錯覚してしまう運の無さ。
もう今、普通に生きている事だけで難しいって、そんな事を思ってもおかしくないぐらいの天運の無さ。
そんなの、普通は夢を諦めるに決まって——
「
だけど、そんな辛く苦しい現実を前にしても、そう高らかに夢に向かって声を張り上げるみのりは、まるで地上に舞い降りた光り輝く一番星のようで。
私は不覚にも、その姿に
この子……本当に凄い子かもしれない。
今はその運のなさのせいで、アイドルになるっていうスタートラインにも立ててない子だけど——もし、その問題が改善されたら? オーディションっていう運の要素が介在する過程をすっ飛ばして、世間に自分の存在をアピールできる場所を手に入れられたら?
もしそんな時が来たとしたら……その時は、とんでもない
なんて……末恐ろしい子なんだろう。
一体、どうやったらそんな風に考える事が出来るの?
私はあなたが、そんな風に現実に折れないでいられる理由を知りたい。
「……どうして、みのりはそんな風に考えることができるの? 普通は、アイドルになるって夢を諦めてもおかしくないのに……どうしてそんな風に、未来に希望を持つ事が出来るの?」
そんな私の問いに、みのりは満面の笑みで胸を張って言う。
まるでそれが、自分の心の中にある誇りの象徴である、信念であるかのように。
「今日がいい日じゃなくても、明日はいい日になるかもしれないって思えるように」
そんなみのりの言葉を、私は思わずオウム返しのように呟いてしまう。
「今日が……いい日じゃなくても、明日は……?」
「うん! そう! わたしがね、小さい頃にテレビの中の遥ちゃんから教えて貰った、大事な言葉なんだ!」
「それを信じて、みのりはずっと……?」
「うんっ! わたしは小さい頃から今だって、そして、これから先の未来だって、ずっとずっとずーっとそう信じ続ける! そうわたしは決めてるの! だからわたしは、アイドルになるのを絶対に諦めないんだ!」
私は、一切の曇りのないみのりの瞳を見て、みのりにとってその言葉は本当に大事な言葉だって事を悟った。
『今日がいい日じゃなくても、明日はいい日になるかもしれないって思えるように』……か。その言葉、悪くない言葉かもね。
よし、心に刻んだ。
「……ありがとう、みのり。私、あなたの事がよく分かった気がする」
「えっ、わたしが何か、志歩ちゃんによく知りたいって思われるような事したの?」
「……ううん、
「う、う~ん……よく分からないけど、わたしが志歩ちゃんにとって何か役に立てたなら、それでいっか!」
「じゃ——私はこれで本当に行くね。結構長く話したし今ならもう、みんな帰ってて目立たずに学校から出ていけそうだから」
そう言って、私は今度こそみのりに背を向けて歩き始める。
そんな私にみのりは——
「……あ、あのっ! 志歩ちゃん! 4月からまた同じ学校だよね? わたし達……きっと友達になれるよね? だったら、またこんな風に一緒にお話しようね! 約束だよ!」
その言葉に、私はピタリと歩を止めた。
事実を言うかどうか一瞬だけ悩み、そして口を開く。
「……ごめん。実は私さ……高校から別の学校に行くんだ。だから多分、この学校でみのりと会う事は、もうないと思う」
「——えっ!? そ……そんなぁ……折角、お友達になれそうだって思ってたのに……もう、これで……お別れなの? ほんのちょっとしか喋ってないのに……お別れなの?」
私の言葉に、みのりはあからさまにショックを受けた表情になった。
こんな私と、本気でこれから仲良くなれるって思ってくれたんだろう。
こんな私と、次に会った時も楽しく話をしようって、そう思ってくれたんだろう。
……本当に、本当に、優しい子だな。
「や、やっぱり……わたし、呪われて——」
そして、そんなみのりが、また自分の不幸を嘆く言葉を言おうとした——のを、私はそれを言わせない為に言葉を重ねた。
「
「——え?」
「私、このシブヤから出て行くわけじゃないから。進学予定なのは都立神山高校。だから、この“
「そ、そう……なの? でも、わたし……運悪いよ? そんな偶然、ないかもしれない……」
俯くみのりに、私はみのり自身気づいていない事に気付かせるように言ってやる。
「……あれ? 私の記憶違い? みのり、自分の言った言葉忘れた? 『今日はいい日じゃなくても』——」
「——あっ! 『明日はいい日になるかもしれない』……」
「ほら……また会えそうな気がしてきたでしょ? ……でも、それでもみのりが心配だって言うなら……」
私はポケットからスマホを取り出し、司さんがよくやっているように、相手の事も釣られて笑わせてやるような、そんな優しい笑みを浮かべながら言う。
「——私が、みのりに会いに来てあげる。だから連絡先……交換しよ? だって、これから人気になる“推し”のアイドルの連絡先だしね、みのりの『ファン第一号』としては知っておきたいでしょ?」
「あっ……う、うんっ! 連絡先、交換するっ! ……え、えへへへっ……ありがと、よろしくね、志歩ちゃん!」
「……うん、よろしくね。みのり」
そう言って、私はみのりの表情に咲く満面の笑みを見ながら、連絡先を交換する。
それにしてもまさか、私にとってもうロクな人間なんて一歌達以外誰も居ないって諦めてたこの学校で、こんな子がいたなんて。
……本当に、今まで私は、この世界を見たいようにしか見れてなかったのかもしれない。
本当は探せばこんな子が居たのに、それを探そうとする努力も自分から捨ててきたのかもしれない。
もっと早くこの子に出会えていたら……この学校に通い続ける選択肢、あったのかな?
ごめんね、みのり。でも……この出会いはきっと、無駄じゃないから。
「あ……でも志歩ちゃん、ちょっとだけ言いたいんだけど、わたしまだアイドルって訳じゃないし、『ファン第一号』ってのは恐れ多いっていうか……」
「——え? 言ったでしょ、もう私にとっては立派なアイドルだって。それに私はみのりが将来立派なアイドルになれるって、そんな気がするから。だったら今から推しといて損はないでしょ?」
「え、えぇぇ~~! わたしが志歩ちゃんの推し!? それは責任重大だよぉ……!」
「ふふっ……大丈夫だって、そこまで気負わないで。だって私の最推しの一番星は別の人だから。みのりはあくまでも二番目」
「だ、だったら最推しの人に専念してよ~!」
「——ふふっ、駄目。二番目でも私の推しなんだから、みのりは自分にもっと自信もって、オーディション頑張ってね?」
「うっ……わかった、がんばります……! じゃあ何か志歩ちゃんの推しとして、今のわたしでも出来る事………あ、そうだ! サインとか……要る?」
「あ、それは名案、是非ほしいかな。——じゃあ、
「あ……! うんっ!」
最後にみのりとそんな会話を交わして、私は屋上を後にした。自分の手に、まっさらだった余白のページに大きく『みのり』というサインが書き込まれた卒業アルバムを持ちながら。
そして満足した私は、曲がりなりにも今までお世話になった宮女の校舎から出て、もう生徒が全員下校しきって誰も居ない校門から、外に出ようと歩みを進める。
そんな私の目の前で、まるで私の歩みを遮るように、待ち構えていたかのように、もう生徒が全員下校して誰も居ないと思っていた校門脇に、たった一人だけ残っていた子が移動して校門前に立ちはだかる。
「……やっと見つけたよ、志歩。私、ずっと志歩の事探してたんだからね?」
「
それは、今までずっとすれ違ったり、そしてまた仲直りをしたりした、私の大切な親友の姿だった。
親友は私を見て、どこか儚げな笑みを浮かべながら言う。
「……どうだった? もう、この学校に悔いはない?」
「……さぁ、どうだろね? さっきまでは迷いなんて一切なかったんだけど……でも、今はちょっとだけ、惜しかったかなって思っちゃう気持ちも、無いとは言えないかも」
「じゃあ……まだ
「…………それは、ごめん。私はもう、なりたい自分を見つけたから。それは、この場所に居たら手に入らないものだから……だから、やっぱり行くよ……ごめん、一歌」
「…………そっかぁ、じゃあ、仕方ないね。って……そもそも、今更無理だって分かってるんだけどね。それでも言っちゃった、ゴメンね」
一歌はそう言って、とっても残念そうに俯いた。
もしかしたら一歌は、私に口では私のことを応援するって言えても、心のどこかで、私が別の高校に行くのを納得していない所があったのかもしれない。でも、それでも一歌は、今までずっとそれを表に出さずに、私の幸せを願って見守っていてくれたんだ。
本当に……本当に、今までありがとう、一歌。
私が心の中で一歌にそんな感謝を告げていると、一歌は自身の中の迷いを振り切るように力強く頷いた。
「——よし! じゃあ志歩、最後に私、やりたい事あるから付き合って?」
「……え? 何するの?」
「今志歩が持ってる卒業証書、貸して?」
「これ? ……はい」
「ありがと、志歩」
一歌は私から卒業証書が入った黒い筒を受け取ると、キュポンと音をさせながら蓋を取り、私の卒業証書を取り出した。
そして、桜の花びらが舞い散る中、私の前で卒業証書を広げて両手で持ち、一歌は大きく息を吸って口を開く。
「卒業証書授与! 日野森志歩!」
「——は、はい……!?」
私は、思わず目を見開いて返事をしてしまう。
これは……もしかして、卒業式?
「貴女は今まで……この学校で数えきれない程の
「——っ!」
違う……これは、一歌からの、私だけへのメッセージ。
私だけを、送る言葉だ。
「それは一見、簡単な事に見えるかもしれません。ですが、こんな私の浅い考えでは、決して理解出来ない程の苦労が、今まで志歩にはあったと思います!」
そこまで言って一歌は再び息を吸い、そして、その目に感極まったように、涙を浮かべながら続く言葉を吐く。
「ですが、そんな志歩にっ……! 私は、私はっ……! 結局っ……! グスッ……ヒッグ……最後までっ……何もっ、何もぉ……出来ませんでしたぁっ……! 志歩が苦しんでる時に、ニコニコ笑って別の友達と焼きそばパン食べてたりぃ……休みの日にぼぉっとサボテン眺めてたりっ……! そんな呑気に毎日過ごしてましたぁっ……! 辛かった志歩に、寄り添ってあげる事も……また、志歩からも寄り添ってもいいって思われる存在にも、なれませんでしたっ……! 本当に、本当にっ……! 申し訳ありませんでしたっ……!」
「…………!」
私は、思わず言葉を失った。
一体私の知らない裏で、一歌はどれだけ自分を責めたんだろう。
私の辛かった時に傍に居れなかった自分を、そして、自分の知らない間にそれを解決されてしまっていた事実を、どんな気持ちで受け止めていたんだろう。
そっか……ごめん、一歌。私は貴女と仲直りした日に、自分の事を話した時……心の裏で、それだけ自分を責めてたんだね。だからずっと、何度も何度もあの時、私に謝ってたんだ。それを知らないで私は……
そう私が自分を責めていると、一歌はゴシゴシと制服の袖で涙を拭い、キッと強い眼差しで私を見て言う。
「——でも私はっ! もう心の中で志歩に謝り続ける日々から、今日で卒業します! これからは、私はっ……志歩の居ないこの学校で、もっと、もっと強くなります! 誰にも誇れる所がないような、そんな“平凡”な私だけど……っ! それでもっ……今度は、志歩からも頼りにされるような私に……なってみせます! それこそっ……司さんよりも強い私に、絶対になってみせます! 今日この日から、司さんは私にとってライバルですッ! 親友を救ってくれた恩人で……超えるべき、目標です!」
「一歌……」
その瞳からは、一歌の固い決意が伝わって来た。決して揺るぐ事のない、そんな固い決意が。
——そっか、一歌。
変わりたいって思ってるのは、私だけじゃなかったんだね。
あと……一歌、貴女は自分を平凡だって思ってるみたいだけど、私はそんな事ずっと思ってなかったよ。
少なくとも……本当に平凡な人間には、そんな宣言は絶対に出来ないよ。そう誓える自分が居る時点で、十分あなたは特別なんだよ、一歌。
そう思う私の目の前で、一歌はこれが最後の言葉とばかりに声を張り上げる。
「だからっ……! そんな私ですけど、まだ、全然志歩の親友で居るのに役不足な私ですけどっ……! これから別の高校に行ってもっ……仲良くしてくれますかっ……? これからも、私は志歩の——」
ごめんね一歌、もう、その先は言葉にしなくていいよ。
そんな意志を示すように、私は一歩前に進んで卒業証書を受け取り、一歌の続く言葉を奪うように私は言う。
「——“親友”だよ、一歌。今も、これからも、例え何があっても私達は親友だよ。そんなの……当たり前じゃん」
「——っ! 志歩っ……志歩ぉ……!」
そう言うと、一歌は涙を再びボロボロ流しながら私に抱きついた。
この瞬間がきっと、私にとっての本当の、宮益坂女子学園の卒業式。
私達の、今までの関係からの卒業式。
そして、これからの新しい関係を始める為の卒業式。
そんな卒業式を——私達だけの卒業式を、私は終えたのだった。