私は高まる心臓を抑えながら、何とか司先輩の居る2年A組の教室に辿りついた。
よし……もうチャイムが鳴るまで時間に余裕はそこまでない。早く渡さないと……でも、そもそも司先輩、学校に来てるかな?
そう思って私は教室の中をチラリと覗く。
するとそこには、教室の中心で何故か胸を張って、クラスの皆の前で得意の指さしポーズをとる司先輩の姿があった。
「ハーッハッハッハ! どうだ! これが未来の大スターであるオレに相応しい、一番輝けるポージングだ! 360度、このオレに死角はなぁい!」
「ははははっ! すっ……すげぇよ天馬! お前今マジ輝いてるよ!」
「アハハハッ! きゃー、カッコイイ天馬くーん! もっと他にどんなスターのポーズあるの~?」
「そうそう! もっと他の見せて~?」
「むっ……コレが最も良いと思ったのだが……そう乞われては答えないのはスターとしての恥! 良いだろう見せてやる! このオレの必殺! スターポーズ変化十連発!」
「アハハハッ! すげぇ~! ポーズ変えるの早ぇぇ……! ヒヒヒッ……笑い過ぎて腹痛ぇ……!」
「あはははっ! きゃ~! すご~い! あ、天馬くん、おひねりとかあった方が良い? 私、ちょっとウチで余ってたパンの耳を揚げてお菓子にしたやつあるんだけど……」
「おっ、いいのか!? すまないな……ありがたく頂こう——って!? なにが、おひねりだ! オレは教室で大道芸をしてるのではなーい!!」
そう司先輩が大声でツッコむと同時に、教室では先輩を中心として沢山の人の笑い声があがる。
あぁ……やっぱり司先輩って、分かってたけど人気者だな。どうしよう、私が今ここに居るのが場違いな気がしてきた。
やっぱり今からでも帰って、このお弁当をクラスの皆に頼んで食べて貰った方が——
「あれっ? 可愛い子はっけーん! 後輩の子かな? 私のクラスに何か用?」
そう思った瞬間、司先輩のクラスメイトらしい女子の先輩がタイミングよく教室から出てきて、私にそんな声をかけてくれた。
だけど私は、そんな突然の事に慌ててしまう。
「あっ、あの……私、このクラスに居る先輩に用があって……」
「へ~、なんだか大きな包みを持ってるけど、その荷物を届けに来たの?」
「えっと、これはその……ちょっと、お弁当で……」
そう言った瞬間、先輩は私の全てを察したのかニヤッと笑みを浮かべる。
「あ~、な~るほどねぇ! うんうん、このクラスにいる大好きな先輩に、手作りお弁当でアピールしに来たんだぁ~! もう、可愛いじゃ~ん! そんな健気な事しなくても、あなたぐらい可愛い子だったら、告白したら男子とか全員秒でオチるのに~!」
「あっ……! あのっ、あんまり大声出さないでもらえると……!」
「あぁうん、わかったわかった……秘密に、こっそりと渡したいんだね? 分かったよ、だったら任せて? クラスの人だったら誰でも呼んでくるよ、その人の名前を教えて?」
私に優しくそう言って、名前を聞く姿勢を見せてくれる先輩。
この人……良い人だな。よし……勇気を出して、司先輩を呼んでもらうように頼もう。
そう思って私は、その先輩の耳元に口を寄せる。
「あ、あのっ……天馬司って人を、呼んでほしいんですけど……」
「あぁ……! 天馬くんね? それだったらお安い御用だよ——って、え゛っ!?」
と、そう言って先輩がクラスの方を向いて歩いて行こうとして、ピタリとその先輩の動きが止まる。
そしてギギギッと、油を差していないロボットのような首の動きで私の方を振りかえり、両目をこれ以上ないぐらいに見開いて、私に再度確認するように言う。
「ええっと……ちょ、ちょっと待ってね? 確認させて? 今さ、天馬司って、あなたそう言った? 天馬くんに、その手作りのお弁当を……?」
「えっと……はい、そうです。間違ってないですけど……何か問題でもあるんですか?」
私がそう言った瞬間、先輩はワナワナと震えてその場で絶叫するように言う。
「え、えええ~~~!!?? こんな可愛い後輩の女の子が!? “あの”天馬司に……『変人ワンツーフィニッシュ』の“ワン”の方に、手作りのお弁当を!? 嘘ぉ!?」
え? 『変人ワンツーフィニッシュ』って何? ……って、声大きい!? これじゃ他の人達に私の存在がバレる……!
「ちょっと先輩、大声を出さないって約束だったじゃないですかっ……!」
私が注意するも時すでに遅し。
案の定、司先輩の居るクラスの中の人の目線が、一斉に入口の方に居る私の方に注がれる。
「えっ……今、天馬の奴の名前を言わなかったか?」
「ちょっと待って!? あの銀髪の後輩の子超かわいい……!」
「え? フランス人形が動いてるんじゃなくて? アレ人間? 人間なの!?」
「うっわ……俺、超タイプかも……あんな激カワイイ後輩が今年入って来てるのか? うっわ……俺幸せ……」
「いや待て、ちょっと待て……あそこにいる天使が、手作り弁当を持って来たって言ってたぞ? え? 誰にって……? あ、いや待て! その男の名前を言うな……! 俺に現実を直視させるんじゃねぇ……!」
「えぇっ……嘘ぉ……!? アタシ、司くんだったら面白いし安パイそうだから、実はちょっと狙ってたのにぃ~! あんな可愛い後輩のガチ恋勢いるとか嘘じゃーん!? 勝てるわけないじゃーん!!」
「ソレ、私も同じ事思ってるぅ~!! 嘘ぉ、私の司くんがぁ~!」
「うっそぉ……天馬くんが!? 信じられなーい!! ウチの学年の面白ネタ枠じゃなかったの……!?」
そんなクラスメイトの声を全員スルーして司先輩は、私の顔を見て明るく笑みを浮かべながら入口までやってきた。
「おお! 志歩ではないか! オレに弁当を作って持って来てくれたとは本当か!?」
そんな、私の方にキラキラと輝く瞳で駆けて来た司先輩の背後には、クラスメイトの主に男子の方から、まるで呪い殺さんばかりの黒い視線が司先輩に集まった。
え、ええっと……どうしよう。思った以上に大事になっちゃった。今すっごく注目されちゃって恥ずかしいし……そ、それに、ちょっとだけ司先輩の事も心配。
でも、ここまで来ちゃったらもう後には引けないし……それに、せっかく司先輩の為に作ったんだから、このお弁当は司先輩に食べて欲しい。
よ、よし……頑張ろう!
「は……はい! 司先輩に喜んで欲しいって思って、朝から頑張って作ってきました。えっと、私の料理の腕が、どれだけ上達したか司先輩に食べてみて欲しくて……それで」
「おおっ! そうかそうか! 丁度よかった! オレも今日は学食で食べようと思っていてな、弁当は持って来ていないのだ! だから助かったぞ!」
「そうですか? なら良かったです……」
「……それにしても、弁当を作って持って来てくれる程にオレを慕ってくれる、素晴らしい自慢の後輩が出来たとはな……! ううっ……また、目から涙が溢れてしまう……!」
そんな目の前で涙ぐむ司先輩のオーバーリアクションに、それでも私は『自慢の後輩』と呼ばれた事が嬉しく思ってしまう。
ああ……司先輩が喜んでくれてよかった。
朝5時から起きて、眠かったけど頑張って作った甲斐があったな……嬉しいな。
私は口元が緩むのを抑えきれず、思わず笑ってしまう。
「ふ、ふふふっ……お、大袈裟ですって司先輩……でも私、そんなに喜んでくれるなら、作った甲斐がありました。こっちこそありがとうございます。では、カラになったお弁当箱は放課後に取りに来ますので、よければ待っててもらえれば——」
そう言って重箱を渡して私が教室に帰ろうとした瞬間だった。司先輩の口から、思いもしなかった幸運が私に告げられる。
「そうだ! おい志歩、お前の分の弁当はちゃんとあるのか?」
「え……? いや、材料は全部司先輩の為に使いきったので、今日私は普通に購買で、一歌を見習って焼きそばパンでも買って食べようかと……」
「そうか、ならば尚更だな。志歩、提案があるのだか、折角作ってくれた弁当だ。勿論オレが一人で食べても構わんが、この量ならば分け合うのにも問題はないだろう! オレと昼食を共にしないか?」
「——えっ!?」
降って湧いた幸運に、私は思わず声を上げてしまう。
嘘……司先輩と、お昼ご飯? なにその幸運、是非一緒したい。
「まぁ勿論、無理にとは言わ——」
「食べます、是非ご一緒させてください」
「——っと!? そ、そうか……? なんだ? 思った以上に反応が早くて少し驚いてしまったのだが……」
「あっ……ええっと、私も、作ってる途中で美味しそうだなって、そう思ってたので、つ、つい……」
「ああ、成程な。そういう事か……よし! ならば昼休憩の時にまた集合しよう! それまで、この重箱は大切にオレのロッカーの中で保管させてもらうぞ、またな! 志歩!」
「は、はい……また、昼休憩の時に。場所はまたメッセージで決めましょう」
私は司先輩とそう約束して、教室を後にする。
「~~~っ♪」
嬉しくて楽しみで、気付けば口から声にならない喜びの声が漏れてしまっている気がするけど、そんなのは関係ない。
ああ……本当に、朝早起きしてよかった。
先輩と一緒にお昼が食べれる……嬉しいな、幸せだな。
そんな喜びを噛み締めながら、階段に向かおうとした時だった。
背後から地鳴りのような足音と共に、司先輩の教室の方から人の波が飛び出してきた。
その人波はさっきのクラスの男子生徒達で、その先頭には司先輩が真っ青になりながら追い立てられていた。
「このヤロォォーーー!! 天馬ァ! この裏切りモンがぁ! お前あんな羨ましい所見せつけといて、よく俺たちのクラスの敷居跨げたなぁ!? しねぇぇーーー!!」
「あの天使が作ったお弁当は許すっ……! 危害は加えん! だが、お前の存在は許さんぞ天馬ァァーー!!」
「何故お前がッ……!? あんな天使に想いを寄せられてるんだよぉーー!!??」
「虫にも劣る存在の癖に、おこがましいんだよ馬鹿がぁぁぁーーー!!!」
「コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス……!!!」
「オィィィィィーー!!?? お前ら!? なんだなんだ!? 落ちつけぇ!? オレと志歩はそんな関係ではないと、先ほどの会話で何故分かってくれない!?」
「「「「ふざけんな鈍感野郎ッ!!」」」」
「何故だぁぁぁーーーー!!??」
そんな大騒ぎで、あっというまに廊下の角を曲がって行って、司先輩を追い立てる男子の波が視界から消えていく。
あれ? これ、瑞希の時も同じ光景見たな……。
うん……すいません司先輩。でも、ちょっとだけ……鈍感って所だけはあの人達に完全に私も同意なので……その、頑張ってください。
そう思って私は、朝のHR前の予鈴を聞きながら、教室へと急ぎ足で戻った。
ちなみに、教室に戻った時に瑞希と杏にお礼を言おうとしたんだけど、言えたのは瑞希にだけで、彼
杏、風邪引いてたんだ……心配だな。
■ ■ ■ ■ ■
「喜べ志歩! 今日はお弁当を作って来てくれたお前の為に、このオレがとっておきの穴場スポットを教えてやる! 一人で優雅なランチタイムを過ごしたい時に役に立つ、人があまり来ない場所だ!」
「はい、よろしくお願いします司先輩」
そして昼休み。
私はそう意気揚々と宣言する司先輩に案内されて、裏庭の隅の方にある木陰のベンチのある所にまでやって来た。
先輩はたどり着いたその場所で、風呂敷包みを持ちながら元気よく言う。
「ついたぞ志歩! ここがオレの優雅なランチタイムスポットだ!」
太陽の光が届きにくくて、少し暗くてジメジメした感じがある場所だったけれど、その分吹き抜ける風は他の場所より涼しくて、私にとっては心地いいと感じる場所だった。
「へぇ……少し薄暗いですけど、落ちつけそうな場所ですね。気に入りました」
「ああ、そうだろう? お前はこういう落ち着ける場所が好きだと思ったから、気に入ると思っていたぞ。よければ普段から使うと良い、一人になりたい時にこの場所は、屋上に続いてオススメの場所だからな!」
その言い方、もしかして司先輩……私の為に、この場所を紹介してくれたのかな?
丁度、一人で落ち着きたい時に、そういう場所があったら良いなって思ってたから、この場所は屋上が使えない時に丁度良さそう。
それに何より……この場所が私に丁度良いって思ってくれたって事は、司先輩が私の事をよく分かってくれてるみたいで、それが私は一番嬉しかった。
「そんな場所を教えてくれて、ありがとうございます。またありがたくこの場所を使わせてもらいますね」
「気に入ってくれたようだな、ならばよかった。では早速、昼食にするとしよう!」
「はい、そうですね」
私はそう言って目の前のベンチに座ろうとすると、司先輩は自分のポケットをまさぐりながら私の動きを制した。
「え? どうしたんですか?」
「——いや、少し待っていろ志歩……よし、これでいい」
そう言うと司先輩はベンチの上に、ポケットから取り出した白いハンカチを広げて置いた。
そして私に案内するように言う。
「ベンチとはいえ、外にあるものにそのまま座るのは服を汚してしまうからな……志歩はこのハンカチの上に座るといい! 安心しろ、使っていないものだから湿ってはいないぞ」
そんな律儀な司先輩に、私は思わずクスリと笑ってしまう。
先輩って、こういう小さな所で律儀だな。私なんて全然気にしないで座ろうとしちゃったのに。でも……こうされると、私の事を大切にされてるって感じで、とっても嬉しい。
「ありがとうございます。ではありがたく座らせてもらいますね。——あ、でも司先輩の座る場所はどうしますか? もしよければ、私もハンカチは使ってませんので、私は自分のを使いますけれど——」
「心配無用! 真のスターはもしもの時の備えを常に怠らない者! こんな事もあろうかと——よし、コレで問題ないな! 頂くとしよう!」
そう言うと、司先輩は胸を張りながらもう片方のポケットからもう一枚のハンカチを取り出して、それを自分の場所に置いた。
ふふっ……まったく……準備が良いというか何というか。流石司さんですね。
そう内心でクスリと笑ってしまいながら私は、司先輩と一緒に座ってベンチの中央で風呂敷を置いた。
そして風呂敷を広げて先輩は重箱を開き、その中身に瞳を輝かせた。
「お、おおおっ……! ウィンナーに卵焼きに、ミニハンバーグにアスパラベーコンに、から揚げに……これは、豚の生姜焼きではないか!? 美味そうだ……見るだけで美味そうだぞ志歩! こんなに色々作ってくれたとは……手間がかかったのではないか?」
「いえ……まぁ、本当は司先輩の好物のアクアパッツアもリベンジがしたかったんですけど、流石にあれはお弁当向きじゃないと思いまして。その……あとは、大体男の人が好きそうかなっていう具材を作って詰めただけですので……そんなに、手は掛かってませんよ?」
「そうなのか……これほどの量を手間をかけずに作れるとは、志歩、お前の料理の腕も上達したな!」
「そ、そうですか? ありがとうございます。あれからも母さんに色々教わってるので……あと、友達にも食べて貰ってますので味の保証もできてます。気にしないでどんどん食べください」
と、私はそう言って、実は朝5時起きで手間をかけたお弁当である事だけは、気を遣われるのを避けるために伏せて司先輩に食べるように勧めた。
すると素直な司さんは目を輝かせる。
「うむ! 腹が減って来たところだ……是非頂こう! いただきます!」
そう言って司先輩は生姜焼きを箸でつまむと、それを口に放り込んだ。
そして暫く咀嚼した後で飲み込んで大きく目を見開く。
「——っ! うまぁぁぁい!! なんだこれは、冷めても味がしっかり効いていていてうまいぞっ……! 志歩お前っ、本当に上達したな……!」
司先輩のリアクションに、以前先輩から聞いた好みを完全に再現できたことを実感する。
あぁ……よかった。全体的に味付けは濃いめにして、生姜もしっかりたっぷり入れたのがよかったみたい。これが、司先輩の好みの味付け……よし、覚えた。一生忘れない。これから何度でも同じ味を再現できるようにしよう。ええっと、確か醤油は大さじで——
「どうした志歩? お前は食べないのか?」
「あ、す、すいません。考え事してました。食べます……って、あ……」
レシピを思い出している最中、そんな風に聞いてくる司さんに、私は慌てて思考を中断してそう言いかけた所で、大事な事を思い出す。
本来、こうなる予定なんか頭になかったから、お箸が司さんの分しか用意してなくて
え……どうしよう。一番下の段にあるおにぎりは手で食べれるけど、おかずはそうはいかないよね。まぁ、私は別に、おにぎりは小さめなのを2個か3個か食べたらそれで充分だし、後は司先輩に食べてもらったら良いか。
と、そう思いかけたその時、私の頭の中である画期的な発想が電流のように走る。
これ、もしかして司先輩に無理なく『あーん』をして貰える場面じゃないの?
瞬間、私の心臓が早鐘のように鳴る。
『あーん』は、司先輩に恋をしてから私が時々してしまう、もし『司さんと付き合えたら』と考えた時の想像で、必ずと言っていい程に私の想像の中の司先輩からされる、ある意味私にとって夢みたいな行為だった。
ど……どうしよう。あっ、いや、それだと間接キスになるから恥ずかし——いや、でも『あーん』だよ? 正直……司先輩にされてみたい。これだけ頑張ってお弁当を作ったんだから……それぐらいは、報われても良いんじゃないの? うん、そうだよね、絶対そうだ。だから恥ずかしいけど……よし、頑張れ……私。
そんな決心で、私は口を開く。
「そ、そのっ……司先輩、私、お箸を余分に用意するのを忘れてしまったので……よ、よければ、そこにある厚焼き玉子を、たっ、食べさせてくれると嬉しいのですが……!」
よし、声が震えてしまったけど、何とか言えた……! 司先輩の返事は、どうかな? でも流石に、いくら無神経な司さんでもやっぱり『あーん』は厳し——
「おっと……それはすまない! オレとした事が、誘った側であるというのについ失念してしまっていたな……よし、それぐらいならお安い御用だ。ほら、取ったぞ! 食べさせてやるから口を開くといい……あーんだぞ、志歩!」
——え?
あまりにも、拍子抜けするぐらいにあっさりと実現してしまった、司先輩から笑顔で卵焼きを箸でつまみ口元に差し出される光景に、私は一瞬思考が真っ白になる。
え? え? こんなにも、あっさり『あーん』してもらえて良いの? 私の夢、こんなにあっさり叶っていいの?
司先輩が、お箸で、卵焼き……お箸で、司先輩が、卵焼き……ああ、駄目だ、目の前の情報が頭の中でグルグル回って永遠に完結してくれない。
「……おい、どうした? 食わんのか? あーんだぞ?」
「あっ、ご、ごめんなさい……! い、今食べます……っ! ——あむっ」
私はそんな、訳の分からない頭のままに目の前の卵焼きにかぶりついた。
食べたそれは、しっとりと濡れた柔らかい塊にしか思えないぐらい、味なんて全然わからなかった。
でも……ああ……私、なんだか訳が分からないけど、もう今、とにかく幸せ……!
ありがとうございます司先輩、無神経でいてくれてありがとうございます……! い……いや、やっぱり冷静になれ私……逆にこれは、付き合ってもないのにこんなに平然と『あーん』をしてくる時点で、私は女の子として意識されてないって、ある意味証明されてるような気もしないでもない。
うぅ……やっぱり、複雑……い、いや。でも……私の夢はとりあえず一つ叶ったんだから、喜ぼう……! やった、このままこの調子で、どんどん司先輩と距離を詰めていければ、きっといつか——!
「……志歩、さっきから嬉しそうな顔をしたり悲しそうな顔をしたり、随分と忙しそうだが、どうした?」
「……い、いいえ! なんでもありません! ありとうございます、美味しかったです」
「そうか……何も無いならいいのだが。よし、ならば次は何が食べたい? また食べさせてやろう!」
「——えっ?」
そんな唐突な提案に、私は口をポカンと開けるしかなかった。
あれ……? え? えっ? もう一回、『あーん』してくれるんですか? 待って司さん、突然の幸運に私、頭ついて行ってません。
「どうした? お前が作ったお弁当だ、遠慮などするな。よし、ならばハンバーグはどうだ? 確かお前の好物だったはずだな? ほら、食べろ! あーんだぞ志歩!」
だけど司さんは、私の事なんて本当にお構いなくて、ニコニコ笑顔で私にミニハンバーグを箸でつまんで口元に運んでくれる。だから私はもう、考える事をやめることにした。
「——ハイ、イタダキマス」
「よしよし、それでいい……ならば次は、このタコさんウィンナーはどうだ?」
「ハイ、ウレシイデス、イタダキマス」
「おっ、よく食べるな……良いぞ、ならば次はこのから揚げだ。中々うまそうだぞ?」
「ハイ、アリガトウゴザイマス、イタダキマス」
そこから先は、私はあんまりよく覚えてない。
ただひたすらツバメの雛のように、司先輩が自分が食べる合間に、時々食べさせてくれる料理をパクリと食べ続けて、そして気が付けば重箱はカラになっていて、司先輩と一緒に『ご馳走様』と言っていた。
「ふぅ……美味かったぞ! 量も多かったから、オレはとても満足だ! ありがとう、感謝するぞ志歩!」
司先輩にそう声をかけて貰えるまで、私は完全に上の空だった。
私は気づいて慌てて言う。
「あ……え……はい、そうですか。なら、私も頑張った甲斐はありました。こ、こちらこそ……ありがとうございます」
あれ? なんだろう、私今日で死ぬのかな? こんなに幸せでいいの? こんな事を毎回して貰えるなら、私毎朝だって5時に起きれる気がする。……って、駄目駄目、冷静になって私。こんな事今日だけだって。
私がそんな色ボケした頭を何とか立て直していると、司先輩はしみじみと言う。
「それにしても……志歩がこの学校に入学してから2週間以上経ったか。どうだ? この高校には慣れたか?」
「あ……はい、やっぱり私が前に居た所が女子校だったからでしょうか、この学校は生徒全体のノリが根本的に違うなって思いました」
「ほぉ、そういうものなのか?」
「はい、なんといいますか……女子も男子のパワフルさに引っ張られる
「おお、そうかそうか、ならば良かった。ここは基本的に気の良い奴らが多いからな! また6月にある球技大会も楽しみにしておけ? 去年はとても大盛り上がりだったぞ!」
自慢げに言う司先輩に、私はついサッカーや野球で活躍する先輩の姿を想像してしまう。
スポーツで頑張る司先輩……絶対にカッコいいに決まってる。いいな、とっても見たい。
「そうですか、司先輩がそう言うならとっても楽しみにしています。その……私、先輩のクラスの応援に行ってもいいですか?」
「勿論だ! クラスの勝利の為に活躍する、オレの勇姿をしっかりその目に焼き付けるのだぞ!」
「はい、先輩のカッコいい所、期待してますね」
司先輩が胸を張りながら未来の自分の活躍を自慢する姿に、私は心から六月にあるという球技大会を楽しみに思った。
司先輩のカッコいい所、見れるといいな。
そんな未来を夢見ている時だった。司先輩は気を取り直すように言う。
「——と、そうだ、思い出した。志歩、実はオレがお前を昼食に誘ったのは、お前に是非話しておきたい事があったからなんだ」
「え、話したい事って……なんですか?」
急に改まった雰囲気に、私は思わず姿勢を正してしまう。司先輩が私に話しておきたい事って、一体なんだろう。
そんな先輩が、とても嬉しそうな笑みと共に伝えてくれるその知らせは、私にとっても嬉しいニュースだった。
「実はだな……咲希の退院が、今週末の土曜日に決まったんだ!」
「……えっ!? 本当ですか!? 咲希、病気治ったんですか!?」
私は嬉しさで思わず立ち上がりながら、興奮気味に司先輩に詰め寄ってしまう。
良かった……咲希、病気治ったんだ。良かったね、本当に良かったね、咲希。
そう喜ぶ私に、先輩も私と気持ちは同じなのか、嬉しそうに笑って答えてくれる。
「ああ! ようやく治療が終わってな、これならば退院して週明けの月曜には学校にも復帰していいと医者からも言われたのだ! それを聞いたら咲希のやつ、とても喜んでいてな……!」
「ふふっ……その顔、司先輩も嬉しそうですよ? ……まぁ、当然でしょうけどね。私も、とっても嬉しいです」
「ああ! お前なら、この喜びを分かってくれると思っていた……! ようやく、咲希が学校に行ける……兄として、これ以上に嬉しい事はない……!」
「……ええ、本当に良かったですね、司先輩」
そんな会話をしながら私は司先輩と、しばらく咲希の退院の喜びを分かち合った。
その後で司先輩は、大きく胸を張って言う。
「という訳でだ! これでオレも、心置きなくスターの夢に向かって邁進できる! オレは咲希が無事退院したらさっそく、かねてから計画していた所へアルバイトの面接を受けようと思うのだ!」
そう宣言する司先輩に、私は二年前にフェニランからの帰り際で、先輩自身が言っていた事を思い出す。
「ええ、確か言っていましたね。フェニックスワンダーランドにショーキャストとしてデビューするって」
「おお、確か二年前に一度話しただけなのによく覚えていたな! その通りだぞ!」
「当然ですよ、だって私、司先輩のファン第三号ですから。先輩が夢に向かって羽ばたく時が来るのを、私も楽しみにしてました」
「おお! 流石オレの自慢の後輩! ならば、オレが大スターとして飛翔するフェニランでのその初舞台を、是非楽しみにしていてくれ! 日程が決まれば報告するからな!」
「はい、よほどの事が無い限り、絶対にその日は予定を空けておくようにします。先輩のスターとしての第一歩……この目で見ない理由なんてありませんから」
「おお……そこまで期待してくれているとは、それは責任重大だな! だが問題ない! スターとは期待を裏切らない者だ! お前に必ず、最高のショーを見せてやろう!」
「はい……!」
私は司先輩とそんな約束をして、この日の昼食を終えた。
それにしても……咲希が退院するし、司先輩も将来の夢に向かって動き始めるみたいで、今日は良い事だらけでよかったな。
この調子なら、司先輩の初舞台も絶対素敵なものになりそう。……うん、楽しみだな。
よし、司さんも頑張るんだし、私もライブハウスのアルバイト来週から始めよう。司さんと同じように、私は私の夢を叶える為に。
この時、夢への第一歩を踏み出す司さんの活躍を純粋に期待していた私は、まったく夢にも思わなかった。
そんな司さんの初舞台で……まさか『あんな事』が起こってしまうなんて。